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2015年09月 アーカイブ

2015年09月01日

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「自衛・個別的・集団的自衛権」とは―日米安保条約の改定

●自衛―武力(暴力装置)で守る―武力(他者への暴力)の正当化―「暴力の源泉」→エスカレート
●国際法―すべての国が自動的に拘束されるとか、常に国内法に優越するなどということもない
  強い「義務」を定めた国際法規(武力行使・威嚇の禁止規定、根本的な人権を保障した条約や国際人道法などの法規)の場合は、いずれの国も拘束されるが、
  「権利」を定めたものは、無理やりその権利を行使し、その法規を実施しなければ国際法違反になるということはない。国際法上の「権利」だからといって、それをもって違憲立法を正当化することはできない
●自衛権―(個別的自衛権の場合も)国連国際法委員会が2001年採択した国家責任に関する条約案(『国家責任条文』)21条に「自衛は権利ではなく違法性阻却事由」と―本来は違法な武力行使だが状況から判断して違法性が取り除かれる(免除される)行為だというわけ。
 「権利」だからといって乱用してはならない(そもそも権利ではない)
  乱用―「先制的自衛」と称して先制的に使われがち(同時多発テロ→アフガン攻撃)
        ↓
        現行国際法上、国々の権利として認められているとは言い難い
●集団的自衛権―国連憲章には定義や行使要件など一言も書かれていない(意味内容の不明な概念)―自然権ではない
 同盟政策―特定の仮想敵を念頭(想定)―敵対関係を潜在的に抱え込む―集団安全保障とも本来の自衛権(個別的自衛権)(仮想敵を想定しない)とも論理構造を全く異にする。

 抑止力―軍事的抑止力―武力による強圧・威嚇で挑戦を抑止―相手は対抗・反抗、軍備増強⇒軍拡招く、非対称な(弱小な)相手は生物・化学兵器などの「弱者の兵器」やテロで反抗
 平和主義―愛(隣人愛・人類愛)により挑戦を抑止―軍事的抑止力はそれとは本質的に別物
  積極的平和主義―単に戦争のない状態(消極的平和)に対して、貧困や差別など構造的な暴力のない状態(積極的平和)をめざす(ノルウェーの平和学者・ヨハン・ガルトゥング
博士が提唱)―安倍政権の「積極的平和主義」は軍事的抑止主義で全く違うもの

 <参考>世界9月号(2015)最上敏樹・国際基督教大学名誉教授『国際法は錦の御旗ではない』

●日米安保条約の事実上さらなる改定
  旧安保条約・前文―「日本国は武装解除されているので・・・・固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない。無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので…日本国には危険がある。・・・・集団的安全保障取極めを締結する権利・・・個別的及び集団的自衛の固有の権利・・・これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその付近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。」(→「9条と日米安保」セット論)
     片務性―米国は日本を守る責任を(義務としてではなく「恩恵」として)負うも、日本は米国に基地提供義務を負うも米国を守る義務はない(相手国を守る防衛義務は法的には双方ともない)。
  現行安保条約・前文―「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、相互協力及び安全保障条約を締結する」
     双務性へ―共同防衛義務―日本も米国を守る―但し、日本の施政下の領域内で
―在日米軍・基地に対する武力攻撃に対処。
       共同防衛の対象は「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」に限定(5条)。
       共同防衛の発動は「自国の憲法上の規定及び手続」に従わなければならない。
       米軍の日本国への配置における重要な変更、装備における重要な変更(核兵器の持ち込みなど)と在日基地の戦闘作戦行動のための使用には事前協議が必要。

 憲法は、自国のため、他国に武力行使してもらう権利(消極的行使)は事実上容認も、他国にために武力行使する権利(積極的<能動的>行使)は認めてはいない。
 政府の説明(解釈)―これまでは「日本が行使できるのは個別的自衛権だけ」と―米国にとっては、日本をも守るという集団的自衛権だが、日本にとっては、その領域における米軍への攻撃は日本への攻撃だから個別的自衛権だと。
 在日米軍基地は「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」に米軍が使用することを許される(6条)が、日本の平和と安全に直接関係ない事態については事前協議で米軍の出動は拒否できる。
 しかし、領海を航行中の米艦や領空を飛行中の米軍機への攻撃は、日本にとっては「武力攻撃」ではなく領域侵犯にとどまるはず、なのに、これに対して武力によって自衛権を発動すれば、それは集団的自衛権の行使となる。陸上基地への攻撃であっても、米軍はこれを「極東における国際の平和及び安全」のために使用できるから、このような基地を供与し、かつ防衛することは集団的自衛権によらなければ正当化できない。それ故、現行安保条約は、国際法上は日本にとっても集団的自衛権を根拠にしていると見なされる。
 また、日本の領域外における米国に対する攻撃については、日本は「憲法上の規定」を根拠として共同防衛を今まではそれを断れた。ところが、今回の憲法解釈の変更による集団的自衛権行使の容認で、それが断れなくなるし、等しく共同防衛の義務を負う完全な軍事同盟条約に転化、それも単なる抑止力ではなく、戦う同盟に転化。
 「極東」という範囲限定のなくなり、グローバル化(地球規模に拡大)
 これらは日米安保条約の事実上の改定を意味する(国会承認を受けることなく)。 

 <参考>世界3月号(2015) 松井芳郎・名古屋大学名誉教授『日米安保体制の変容と集団的自衛権』

2015年09月02日

マスコミの偏向(加筆版)

 8月30日のニュース―民放や海外メディアにひきかえ、国民から受信料を集めているNHKでありながら、この国民大衆の全国的な大集会・デモをろくに報じない―トップ・ニュースは数日来のタイのテロ事件関連、次いでスズキ自動車のフォルクスワーゲンとの資本業務提携解消問題。それらの後に安保法案関連として、その中でこの集会・デモをチラッと映して、自民党幹事長の会見・言い分で締めくくる、というやり方。政府の意向にそった意図的な報道姿勢。
 新聞は朝日・毎日・東京新聞・中日新聞などは翌日朝刊一面に掲載されたが、読売・産経・日経は一面扱いにはしておらず、その対照がきわだっている。
●マスコミ・メディア・ジャーナリストに対する「公正・中立」評価の基準は、それぞれがいったいどの立場に立って報道しているか、民衆か支配層か、多数派か少数派か、どっちかであり、それで見分けがつく。また、それを見て評価している自分自身はどの立場に立っているのかも、同じく自己評価されよう。
 商業ジャーナリズムなら、視聴率・購読部数の獲得―売れるか売れないか―に左右されて、多数派寄りになる。(読売系―日テレなど、産経系―フジテレビ・文春などはそれがはっきりしている方だが、それら以外の新聞社・放送局の場合は「公正・中立」原則を守っているポーズをとって、両論併記やバランスにこだわり、どっちつかずで曖昧なあたりさわりのない表面的な解説・論評になりがち。)NHKは経営員会人事や予算・決算、事業計画・報告など国会の承認を得なければならないため、政府・与党(多数党)の意にそうような報道の仕方になる。
 読売の安保法案に関する世論調査については、世論誘導的な手法が見られる。池上彰氏が8月1日の朝日新聞の「新聞ななめ読み」で、衆院の安保関連特別委員会で採決が行われた翌日(7月17日)の主要各紙の比べて論評し、次のようなことを書いていた。
 同法案については、各紙とも社説など社論(自社の意見)はそれぞれあるものの、朝日と毎日それに日経も(前2紙に比べ分量は少ないながらも)賛否双方の主張や論者の意見を紹介している(朝日は投稿欄でも賛否両論を載せている)。そうすることによって読者に判断材料を提供。
 ところが読売は賛成論only(反対論者たちの意見は紹介せず)、「幅広い議論の場の提供を放棄している」と指摘。
 しかも同社による世論調査は誘導質問的な設問の仕方をしている(設問は「法案は、日本の平和と安全を確保し、国際社会への貢献を強化するために、自衛隊の活動を拡大するものです。こうした法律の整備に賛成ですか、反対ですか」というもので、小池氏は「こんな聞き方だったら、それはいいことだと賛成と答える人が大勢」になる、「設問で答えを誘導していると言われても仕方ないでしょう」と)。
 そんな読売の世論調査でも反対の方が多いのだ(賛成38%、反対51%)とのこと。

 読売・NHKとも、それらの新聞やテレビ・ニュースしか見ない人には、まるっきり政府広報的な(多数派政権の意向とその都合に合わせて取捨選択された)その情報でしか判断しようがなく、自ずから政権よりの見方をするようになるわけである。そしてそのような彼らによって多数派世論が形成され、内閣や政権党への高支持率が形成されることにもなるのだろう。
 尚、NHKに対しては、最近、市民団体が東京・渋谷の放送センターを包囲して抗議行動、「政権の広報をやめよ!」「”アベチャンネル”にするな!」「市民の行動を伝えろ!」などと訴え、大阪・京都・広島のNHK局前でもそれが行われている。

2015年09月08日

デモで民意は量れないのか

 橋下大阪市長が国会前のデモは日本の有権者全体から見れば、ごくわずか。「たったあれだけの人数で国家の意思が決まるなんて民主主義の否定だ」と。
有権者も色々で、マジメで一生懸命な人、仕事やカネに追われて時間の無い人、動けない人、物事に疎い人、無関心な人、利己的な人など様々いるわけであり、「声ある声」もあれば「声なき声」もあるだろう。
 その中でデモに集まる人は、どちらかと言えば私利私欲に囚われず世のため人のためを思うマジメで一生懸命な人たちで、黙ってはいられず、意を決してわざわざ馳せ参じた人々だろう。彼らは数からいえば限られた人かもしれないが、その背後には同じ思いながらも集まれない「声なき声」が何倍もの数でいるのである。
 安保法案に関しては、直近の(NNN)世論調査では今国会で成立させることに「よい」と「思う」が24.5%と減ってきており、「思わない」が65.6%と増えていて、デモが国民の意識を「代表している」と「思う」が46.6%で、「思わない」が36.9%。
国会前に集まった人は、全体からみたパーセントは僅かでも、法案に疑義のある人は6割を超えている、それは事実なのである。
 一方、現在の参院を構成する13年選挙で選ばれた議員のうちの自公の得票数は全有権者数の24.1%程度なのに改選議席の62.8%も占め、非改選議席と合わせて過半数を裕に上回っている。法案は民意では賛成が少数なのに、参院で採決すればあっさり決まってしまいそうだ。それこそ「たったあれだけの国会議員で決まるなんて民主主義の否定」だろう。

 *NNN世論調査は9月4~6日実施
 *13年参院選 改選議席121 投票率52.61%
    自民党 投票総数に占める得票率34.7%(全有権者に占める得票率では18.2%)
        獲得議席65議席  議席占有率53.72%
    公明党 投票総数に占める得票率14.2%(全有権者に占める得票率では5.9%)
         獲得議席11議席  
    自公合わせて 投票総数に占める得票率48.9%(全有権者に占める得票率24.1%)
        獲得議席76議席 改選議席のうち62.8%
        非改選議席と合わせて全議席(242)のうち134議席 議席占有率55.3%

2015年09月09日

「国を守る―防衛」とは?

 安倍首相は「政府には『国民を守る』責任がある」といって安保法案を持ち出している。
しかし、政府の権限とその行使は憲法に依らなければならない。日本国憲法(9条)は政府に戦争をする権限を与えていない。
 「国民を守る」というが、それは大義名分。実際は何を守るのか。次の二通りがある。
 国家(体制・機構・主権・領土・権益)を侵害から守る(侵害を抑止)
 国民(生命・平和的生存権・財産)を侵害から守る(侵害を抑止)
何から(どの国、どの勢力による侵害から)守るのか―中国・北朝鮮・過激派テロ組織を念頭(仮想敵国として想定)。
 どうやって守るのか―守るためなら何をやっても構わないというわけではなく、守り方(手段・方法)は規範(ルール)に従わなければならない。―①憲法②国際法その他
 「守り方」には次の二通りがある。
 ① 武力(軍事)で―他国(アメリカなど)と組んで―「集団的自衛権」―参戦・共同防衛(他国をも守る―自国が攻撃されていなくても)―戦争に備える―安保法制(法的担保)→敵(仮想敵)を作って対決(仮想敵国とみなされた国や勢力も対抗)→軍事衝突→戦争を招く―戦争リスク拡大―国民・自衛隊員の犠牲を伴う。
  軍事組織関係者(統合幕僚長ら自衛隊幹部)は軍事の論理(軍事的合理性―戦いに勝つことが最高目的、そのために最適な方法を駆使。効率性、秘密性、リスク・コスト計算など)で判断して事を進める→独走・暴走しがち(政府・国会などシビリアンコントロールから離れ―安保法案成立前に、国会審議に入ったか入らないかのうちに(昨年中に)「法案は来年夏までには終了する」として法案成立を前提に、国会説明抜きで法案具体化―国会などでの追及に対しては「我々や相手(米軍幹部)の思考方法、手の内が分かる(米軍幹部との)やり取りを載せた文書は絶対外部に漏らしてはいけない」と国会・国民には隠す―内部文書でその事実が判明)
  (かつての満州事変や日中戦争は軍部や現地部隊の暴走から始まった。)
 軍事組織はなのを守るか―国民よりも組織防衛(優先)・自己防衛
 ② 非軍事的方法
   友好、経済・文化協力、「ソフトパワー」(「平和国家」という世界からの信望を背景に紛争仲介)など―敵を作らず、安心・信頼を供与―による。
 我が国憲法は①を禁じ、②の方法を要請している。
 国際法―国連憲章など―自衛と国連安保理決議による制裁以外には武力行使禁止
     戦時国際法―残虐兵器の使用禁止、民間人無差別攻撃の禁止など・・・・核兵器などは違法

安保法案はどうしても必要なのか

集団的自衛権行使の限定容認―憲法解釈の変更
安保法案①「平和安全法制整備法案(一括法案)」―武力攻撃事態法の改定、周辺事態法の改定→「重要影響事態法」、自衛隊法の改定、PKO協力法の改定、船舶検査法の改定など
    ②「国際平和支援法案」(海外派兵恒久法)
  (それらは「戦争抑止法制」「世界平和に貢献する『国際平和協調法制』」だという。が、かえって戦争やテロを呼び込み、紛争をこじらせ、激化させる結果にならないか?)
  具体的には―国連安保理決議がある場合だけでなく有志連合軍(多国籍軍)へ参加(参戦)―海外(戦闘地域)で米軍(先制攻撃して戦争を行った場合でも)への後方支援(兵站)―武器(ミサイルや戦車も)輸送、弾薬提供・補給、給油・役務の提供
     (戦闘中の支援活動は避ける?が、戦場に取り残された米兵の捜索・救出も)
     他国軍(米軍だけでなく豪軍・斑入りピン軍など密接な関係にある国の軍も)守る―これらの国々の軍が武力攻撃を受ければ、それに反撃し、防護(米軍基地をはじめ他国軍の艦船・戦闘機・ミサイルや武器を防護)―武器等防護は平時も地球上のどこでも、「存立危機事態」と認定しなくても(現場指揮官・米軍の指示で「撃つ」)。
     船舶検査活動は外国領域でも
     平時から共同で訓練・監視・警戒活動―切れ目のない対処
     PKO(国連でなくてもNATOなど国際機関の要請あれば)―駆付け警護(他国部隊を加勢)、治安維持(安全確保)業務―監視・検問・警護など―任務遂行(業務妨害する行為の排除など)に武器使用→戦闘、住民(戦闘員と区別つかず)に銃を向け、殺すことも
     在外邦人保護―警護・救出
     グレーゾーン事態―国籍不明の武装集団が離島に上陸or日本の民間船を攻撃
              などに対処
 これらは中国・北朝鮮の動向など「安全保障環境」の激変によって必要に迫られていると―中国・北朝鮮・過激派テロ組織による急迫不正の侵害(武力攻撃)の蓋然性が強まっている?―国の存立が危うくなり、国民の生命・自由・幸福追求の権利が覆される危険が強まっている?だから、これらは是非とも必要だと―本当にそうか?立法事実(その立法が必要される理由・事実)があるのか?(曖昧・不明―海外で紛争が発生し、邦人避難者を乗せて輸送する米艦を自衛隊が守れるようにしなければならないということを理由に、集団的自衛権の行使を容認する必要に迫られているとして、この法案の立法を求めているが、そもそも米艦には避難民を乗せるにも「①に米国籍を持つ者、②に米国永住許可証を持つ者、③にアングロサクソン系国民、④その他」という優先順位があり、日本人はあてにすることはほとんどできないし、事実、米国政府にその考えはないことがはっきりしている。中谷防衛大臣は「米艦に邦人が乗っているかいないかは集団的自衛権の絶対的条件ではない」と答弁している。
また、イランがホルムズ海峡を封鎖すれば、日本は石油危機に陥り、存立危機事態に陥る。だから、その時には自衛隊がそこへ行って機雷掃海をやれるようにしなければならないということを理由に、集団的自衛権行使を容認する必要に迫られているとして、この法案の立法を求めているが、そもそも、石油輸出国のイランがペルシャ湾の出口ホルムズ海峡に機雷敷設して封鎖することなどあり得ず、イラン当局者も封鎖を否定している。つまりその立法事実はないということ。)

 それら(集団的自衛権の行使容認と安保法制の改定)にはリスクをともなう―①違憲リスク―立憲主義に大きく損なうリスク、②国民のリスク―戦争やテロを招く、或いはそれらに巻き込まれるリスク(大森元内閣法制局長官は「集団的自衛権の抑止力以上に紛争に巻き込まれる危険を覚悟しなければならない」と)。それに徴兵制もあり得る(*)。③自衛隊員のリスク―戦死者が出る、④コスト(防衛費・増)―社会保障費など抑制・削減してまでも(オスプレイ17機購入企図3,600億円、社会保障費15年度削減分3,900億円)―「国民の命と暮らしを守るため」どっちを優先か
 それらのリスクを冒してまでも必要不可欠なものなのか?
 また、そのための改憲が(解釈改憲であれ明文改憲であれ)どうしても必要なのか?

 いまのまま(「専守防衛」―武力行使は我が国に対する武力攻撃がある場合に限る)では、どうしてもダメなのか

*「徴兵制になる」は誤解?
 憲法18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」
 安倍首相はこの憲法規定に基づいて、我が国で徴兵制はあり得ないという。
 漫画家の小林よしのり氏は徴兵制を国民の「自主防衛」として肯定する立場から「国の防衛にあたることは本来、崇高な職務」、「徴兵制の制度が整っていなかったとしても、必要になればわっと導入するでしょう。その時は『苦役にはあたらないのだと』と、時の政権が憲法解釈を変えるだけの話」と。
 また、法律家(日弁連憲法問題対策本部副本部長)の伊藤真氏は、それに徴兵制は憲法18条に反するから全くありえないというが、これは13条の「公共の福祉」で制限できるとも解釈されているのだと。
 大内裕和・中京大学教授は「経済的徴兵制」はあり得ると―アメリカは志願兵制だが、実態はそれ―「貧困層の若者が、大学の学費や医療保険費の肩代わりという条件に引き付けられて軍に志願し、戦場に送られている」―「経済的な事情から自衛官の道を選ばざるを得ない事態が日本でも現実になるのではないか」「重すぎる学費負担や奨学金の返還、正社員への狭き門など、若年層が直面する厳しい現実が、経済的徴兵制につながる社会的条件を作り出している」「また、企業の新規採用者を2年間、自衛官として任用する防衛省の『自衛隊インターン・シップ・プログラム』構想も明らかになっている」と。(朝日新聞9月2日「耕論」欄から)

2015年09月15日

軍事の論理か平和憲法の論理か(再加筆修正版)

 安保法案について政府与党の側は平和・安全保障を力(軍事)の論理で発想し、法案を作ってその正当性を主張し、議論を展開している。そういう軍事の論理で発想し論じられる限りにおいて、彼らの言い分にも一理あり、もっともだなんて思ってしまう。
 例えば、「中国・北朝鮮脅威論から、これらの国による軍事攻撃があった場合、それを防ぎ、或いは抑止して国民の命を守るために日米同盟の連携協力と隙間のない法整備が必要不可欠だ」というふうにこられると、(そのようにそれらの国を脅威視・敵視するのは不適切であり、それらの国が軍事攻撃をしかけてくるに違いないなどと決めつけてかかるのは間違っており、たとえそれが全くあり得ないことではないとしても、そんなことがないように友好・互恵関係をはかるべきだ、と言って真っ向から反論してもよさそうなものだが、それをせずに)そうだ、脅威だ、軍事攻撃もあるかもしれないなどと同調してしまい、同じ土俵に乗って、同じ論理で、法案の不備を突いて重箱の隅をつつくような些末な議論に終始し、対案を出しても修正案で、政府案を補強するだけになってしまう(一部野党)。 
 だから、それに真っ向から対抗し論駁するには、彼らと同じ土俵での力(軍事)の論理ではなく非軍事・不戦の平和共生の論理すなわち平和憲法の論理で対抗し、議論を挑まなければならないのではあるまいか。
 (Ⅰ)力(軍事)の論理では
 安全保障を軍事という次元でしか考えない、軍事専門家の発想
 「安全保障イコール軍事」「平和は力」という短絡的な考え方。
 「国民を守るため」というが、それは兵士・自衛隊員を戦いに命を懸けさせる、かつ国民の支持・協力を得るための大義名分。
 最大・最優先の目標は戦って必ず勝てるようにすること―敵国・仮想敵国を特定・想定し、それに対して圧倒的な、或いは充分上回る軍備を備える―それによって相手からの攻撃を抑止する(「戦わずして勝つ」)こともでき、攻撃されても撃退・制圧できるようにする。
 そのために、あらゆる事態(海賊や武装集団の離島上陸などグレーゾーン事態から全面戦争という最悪の事態にいたるまで)に対処するに必要なすべての事、すべての物を備える―強力な軍備(兵器・部隊組織)・緊密な同盟体制・綿密な法制など…憲法解釈のねじ曲げ、さらには憲法改正して集団的自衛権の行使を容認、その他「隙間のない安保法制」整備…制約のある自衛隊よりも正式に軍隊(国防軍)にした方が合理的。或いは集団的自衛権の行使を容認して日米安保条約を「相互安全保障条約」とし、「対等な」日米同盟として完全に機能するようにした方が合理的だと。(しかし、集団的自衛権の行使とは、我が国に対して武力攻撃していない国に対して日本側から武力行使をすることで、相手国からみれば、日本による先制攻撃と見なされ、相手の攻撃を呼び込み、かえって最悪の事態を招く結果ともなり得る。)
  安保法制は、ありとあらゆる事態―海外で戦乱が起きて脱出・避難する日本人を乗せた(?)米艦や、北朝鮮などのミサイル発射の動きを監視する米イージス艦を自衛隊が攻撃から守らなければならない事態とか、イランによるホルムズ海峡の機雷封鎖(?)に自衛隊を派遣して掃海しなければならない事態など(それらを理由に集団的自衛権の行使容認を法制化しようとしているが、現実にそのような事態に立ち至るような状況にない、即ち「立法事実」のないようなこと等)、「万一」の(1万分の1の確率でしか起きない、ほとんどあり得ないような)事態までも―想定するも、それをいちいち事前に法律に規定することは困難だとしてそれらを具体的に列挙して明記はせず、ということは政府がその都度その都度「総合的に判断」して“Go”となれば自衛隊は何でもやれることになる。自衛隊の海外派遣などは、新たな事態が生じる度に特別措置法を制定するのではなく、恒久法のほうが都合がいい、というわけ。
 自衛隊法など安保法制は現在のポジティブリスト(根拠規定)よりもネガティブリスト(禁止規定)の方がやり易い―前者は、その法律に明記された規定に根拠を持つ権限の行使・活動以外には行うことができないのに対して、後者は一定の行為だけを禁止して、それ以外の権限行使・活動は自由に行なえるので、この方がやり易いというわけ。
 (そもそも憲法はポジティブリストで、73条の「内閣の行う仕事(権限)」には「軍事」はない、であるからには内閣が軍事を行うことはできないはず。また9条には戦争・武力放棄を規定している、であるからには、自衛隊は設けられはしても、戦争・武力行使は行えず、米軍と集団的自衛権を行使することもできないはず。)
 軍事的合理性の追求―必ず勝てるように軍備・同盟体制・法制を最大限機能するように、又効率的に運用できるように整備
  軍事作戦―迅速性―部隊の即応性・機動性
  軍事情報の秘匿性―手の内を知られないようにし、必要な秘密情報の確保(…特定秘密保護法の必要性)
      
*首相いわく、「攻撃をしかけようとする相手の意図をくじき、戦争を未然に防ぐための抑止力を高めることによって平和・安全を確保できる」と。いわば「力による抑止平和」。
 その場合、力(軍事力)は、相手を圧倒するか充分上回り、戦えば必ず勝てるという軍事力でなければならず、そういう軍事力を備えるべくひたすら邁進することになる。そして日米同盟も100%機能するように集団的自衛権の行使を容認して軍事上のあらゆる事態にいつどこでも対応できるように隙間のない安保法制を整備するというわけである。
 それ(勝てるようにすること)をすべてに優先し、それを損ない、妨げになるものは排除するということになり、それが正当化される(軍事的合理性…軍事組織は迅速性・即応性を追求し秘匿性を持つので、政府・国会などのシビリアンコントロールから離れて独走・暴走しがちだが、シビリアンコントロールといっても、首相・防衛大臣・国会議員までが軍事の論理にとらわれていれば、かれらが自衛隊をコントロールするどころか、軍事知識に疎いばかりに、自衛隊幹部以上に暴走しがち)。
 中国・北朝鮮こそが力の論理に立って軍備強化・軍拡に邁進していると見なして、それに対抗して同様に日米ともに軍事同盟強化をめざす。
 中国・北朝鮮に対して日米が互いに同じ「力の論理」のもとに力対力で軍事強化を競い合う結果になる。その間、不測の事態(偶発的軍事衝突)、誤って戦争を引き起こす事態がいつ起こるか分からないことに。世界では核軍備競争の結果、今や地球上に1万6千発以上の核弾頭が存在し、それが誤っていつ発射されるかわからない。また、力が不均衡で非対称な相手でも、テロや自暴自棄的な玉砕戦法には抑止が効かない、という緊張・不安がつきまとい、平和的生存権(安心して生きられる権利)は損なわれる。
 従ってそのような軍事抑止力では、たとえどんなに強大な同盟国と組んで万全な軍事法制を整えたところで、平和・安全を確保することは不可能であろう。
 軍事対応は軍事対軍事の悪循環を生み、憎しみの連鎖を生む。
 (Ⅱ)非軍事的平和安全保障の論理―平和憲法の論理
  日本の立ち位置―資源・食料などあらゆるものを海外からソフトウェア(知識・技術)と引き換えに買い入れないと食べていけない。世界のすべての国と平和が安定している下で、どの国とも仲良く自由に取引できるようにしなければならない国(アメリカなどと違う)。
  憲法:「再び戦争の惨禍が起ることのないように」―国権の発動たる戦争・武力(による威嚇・行使)放棄―戦力不保持、国の交戦権を認めない
  全世界の国民―恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生存する権利(平和的生存権)を有する。
  日本国民―「諸国民の公正と信義に信頼して安全と生存を保持」―敵をつくらず(憎しみの連鎖を断ち)、諸国民と友好・協力(…東南アジア友好協力条約、北東アジアにも同様の友好協力条約を、アメリカとも友好条約―軍事同盟としての日米安保条約は解消)、北朝鮮とは拉致問題の解決、核ミサイルの放棄を求めつつ、早期国交正常化・過去の清算をはかる。
  「崇高な理想を自覚」―「国家の名誉に懸け」―「国際社会において名誉ある地位を」
     非同盟・中立と諸国民融和の立場に立って積極的に平和外交を推進
     国際社会への貢献―「専制と隷従、圧迫と偏狭を除去」(…難民受け入れ)
               貧困・教育・気候変動・感染症対策・難民対策
               紛争調停・仲介、平和復興支援―丸腰(非武装)で 
                   平和復興支援―丸腰(非武装)で。
   「他国を無視してはならない」。「他国と対等関係」
   「普遍的な政治道徳に従う」。
   世界から不戦・非軍事の平和国家という信望を得る→安心供与、国際紛争を(武器を使わずに)調停(「日本が言うなら」と応じてもらえる)、そうした実績を積み重ねることで他国からの攻撃と戦争を抑止。
  領土・領海・領空・シーレーンの警備(不法侵入の拒否・排除)は警察力(海上保安庁その他の非軍隊)充実で。 自衛隊はこれを補完、災害救援隊を兼ねた国土守備隊という非軍隊に徹し、日米軍事同盟は解消

安保法案への「声」論評

 朝日新聞10日の「声」投稿に安保法案について「核攻撃を防ぐための抑止力向上」①と「安倍首相は先人の外交力に学べ」②という賛否両論が載っていた。
 12日には「集団的自衛権『備えて使わず』で」③と「鴻池委員長 強行採決しないで」④、13日には「国防軍持って自主防衛しかない」⑤という投稿が掲載。
 ① と③は軍事的抑止力論であり、①は、北朝鮮・中国脅威論と軍事抑止力論に立って安保法案を肯定、支持している。それは安倍首相の論理と全く同じに、力(軍事)の論理で平和・安全保障を論じている。③は「集団的自衛権『備えて使わず』」というが、集団的自衛権「行使容認」は集団的自衛権を使うことを前提に(想定して)自衛隊は準備・情報収集・作戦研究・訓練・待機するわけであり、装備している兵器などとともに「使わず」に済ますということはあり得ないわけである。
 ②と④は平和憲法抑止力論で、④は平和憲法を「したたかな盾」と称し、「戦争をしない国」という国際理解は、いまや確立」「これこそが最強の抑止力」と書いている。②「米国追随の外交はもうやめて、日本独自の外交を積極的に展開し、世界の平和に貢献すべきだ」として外交力による安全保障の確保と国際平和貢献を主張している。
 ⑤は改憲・自主防衛論で、日米安保条約を破棄、自衛隊を国防軍にして自国防衛に徹するようにすれば米国の戦争に巻き込まれずに済むというが、これも「力(軍事)の論理」・「平和は力」・「軍事的安全保障」にとらわれた考えである。

9月のつぶやき                                   7817
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●「さよなら原発」デモ―土曜の午後、参加者は(たったの)約20人、前後にパトカー、後ろのパトカーの後には何台もの車が徐行(渋滞)。申し訳ないなと思いながら、「再稼働をやめろ!」「すべての原発、廃炉にしろ!」と叫ぶが・・・・このようなデモは再考の余地があるな
●稲刈りが始まった。彼方にコンバインが動いているのが見える。その田んぼ道を声を張り上げながら歌い歩く。♪花は 花は 花は咲く・・・・♪ ♪日本国民は恒久の 平和を念願し・・・・・♪
●国会テレビ中継、安保法案審議の特別委員会のなりゆきをずうっと見ていた。委員長不信任動議、野党の賛成討論「アベ総理は・・・・委員長は・・・・」と、そこへ小1の孫が帰ってきてランドセルを下しながら「そうだ そうだ!」と。日頃、当方には「ただいま」も言わず、言うことを聞かないキカン坊だ。
 夕食時、テレビニュース、安保特別委員会の「もみ合い」採決場面を見て、彼の親「こんなことやんねくても、どうせ決まるものは決まんなだがら」と。
 翌日、夕食時、テレビニュース、安保法案・可決成立、自衛隊の観閲式行進などの映像に、小1の孫、シクシク涙「戦争で死にだくない、早く年寄りになりだい」、中一の姉「なに泣いでんなや、考え過ぎだってば」、婆―バ「大丈夫だよ、国会議員になれば戦争さなの行がんたてええなだよ、性転換して女ごになる手もあんなだがら」、爺-ジ「子供だまし、言うもんでない、アベ政治を変えんなねなだ」、中三(幼稚園の時は「大きくなったら何になりたい」と先生に訊かれて「アメリカを守る人になりたいです」と答えていた)兄「変わりっこないサ」、婆―バ「何言ってんだが、お前だぢ若者が変えんなねなだべや」
●朝日川柳から   「国民に対するだまし討ちと知れ」
            「強行もやんわり見せるNHK」・・・・安保法案「賛成」集会を参加人数(10人~50人?)を伏せて、連日数万人の反対集会と同列に報道。こういうのがNHK流の「中立・公正」報道。籾井NHK会長いわく「政府が右というものを左てゃ言えない」というわけだ。
●朝日川柳から 「武器持たず活躍してる自衛隊」 そうだ自衛隊の非軍隊化 賛成!
                                軍隊化  反対!
    「政権の広報支援NHK」    座布団一枚! NHKに喝!
●「教訓1」―ネット動画で何回も聴いて、ようやく憶え、田んぼ道で歌ってきた。こんな歌、ついぞ知らなかったが、1970年代初期にフォークシンガーの加川良が作った歌だという。 ♪命は一つ 人生は一回だから 命を捨てないようにネ ・・・・・死んで神様と言われるよりも 生きてバカだと言われましょうよネ キレイごと 並べられた時にも この命を捨てないようにネ 青くなって 尻込みなさい 逃げなさい 隠れなさい♪ 
 家でも、孫どものいるところで歌ってやろう。学校では「愛国心・道徳」を習っているんだろうが。
 ♪ 真っ白な 雪道を 春風かおる ・・・・♪(「花は咲く」)と口ずさむと、女房「もう秋(飽き?)だってば!」と口説く。じゃ「教訓1」へ切り替えよう。♪命は一つ 人生は一回・・・・♪
●小学校・恒例の水泳大会は夏休み明け早々開催予定だったのが8月最後の日に延期されて、それも中止に終わった。孫はがっかり。曇天・雨空続きで秋に入ったが、長期予報では平年並みの9月になるとのこと。まあ いいか

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2015年09月20日

戦争法制の廃止へさらなる闘い

 安保法案は決まってしまった。法案は「平和・安全確保のため」というが、そうはならず、海外で戦争できるようにする、紛れもない戦争法案であり、違憲法案。それを国民の多くの反対を押し切って、不当採決を強行した。このような正当性のない新安保法制を、決まってしまったものは仕方ないといってそのまま受け入れるわけにはいくまい。法制は定まりはしても、その運用・実行はさせないようにすること。即ち、米軍などのために自衛隊を戦地や紛争地に派遣・兵站・武力行使など。その都度その都度、違憲訴訟と合わせて、これまで同様の大規模デモ・集会など反対運動を展開して阻止する。さもないと時が経てばほとぼりが冷めて忘れてしまう。その頃合いを見計らって、政府はそれらを実行に移そうとするだろう。
 安倍政権は当面、来年の参院選までは運用・実施は極力控えて何もしないだろう。首相いわく、「法案が成立し、時が経っていく中で、間違いなく理解は広がっていく」と。それは「のど元過ぎれば熱さも忘れる」ということだとすれば、「そういうわけにはいかんぜよ!」と挑まなければなるまい。そして、この安保法制には正当性がないこと、平和主義・立憲主義・民主主義を守り抜く決意を新たに、さらなる運動を展開し続けなければなるまい。目標は安保法制に賛成した党派の議員を来るべき選挙で落選させること、反対した党派の候補を当選させて彼らの新政権を推し立てること。


2015年09月21日

新安保法制は認められない

理由
(1)安全保障に有害無益
 平和・安全のためというが、かえってそれを損ない、リスクを高める
  アメリカに寄り添った軍事に偏り、平和ブランド(中立・不戦イメージ)を著しく損なう
  戦争抑止力というが、かえって戦争に近づける―中国・ロシア・北朝鮮などに対する「軍事バランスの維持」と称して、日米同盟の軍事強化→不必要に緊張を高め、偶発的軍事衝突から全面戦争(*)にもなりかねず、軍拡競争に拍車をかける。
 自衛隊は、アメリカ(の要請)に引きずられて海外に(米軍と共に)出かけて行って武力行使へ(米軍防護・兵站支援―戦闘地域までも)
 武力攻撃事態・存立危機事態・重要影響事態・国際平和共同対処事態など事態に応じて自衛隊派遣・出動―その判断は政府―判断基準があいまい・不明確―恣意的な判断にも
  自衛隊員のリスクが増大(殺し殺される事態が多発)、
  あの手この手で隊員の確保(経済的徴兵制)へ―自衛隊に入隊した場合は返還不要としている防衛省の奨学金制度を拡充、奨学金返済に苦しむ学生を1~2年自衛隊に入隊させる「インターンシップ」制も(検討)。憲法18条に抵触する苦役には当たらないと「解釈変更」も時の政府がその気になれば可能。
  国民のリスクも増大(日本人が米国人とともに敵視され、標的となる)(「反日」対「反中」・反「北朝鮮」等のいがみ合いも)。

*(1937年7月、北京郊外に日本軍の駐屯地が中国軍の駐屯地の間近にあり、盧溝橋付近で夜間演習を行ったその終了時、数発の射撃音が響き、一人の日本兵が行方不明になって―実は用便中、ほどなく戻っていた―それを中国兵の仕業と断じて日本軍が中国軍を攻撃(盧溝橋事件)。それをきっかけに全面戦争へ発展していった。それが日中戦争。)

(2)憲法違反で無効
 「国際紛争を解決する手段として武力による威嚇または武力行使は放棄」に違反。
  自衛権の行使は我が国に対する武力攻撃に際してのみ(個別的自衛権)―許容範囲、
  なのに日本が直接攻撃されていなくても、米軍などが攻撃された場合でも反撃できるようにして(それは相手国から見れば先制攻撃と見なされる他国防衛にほかならない)集団的自衛権の行使まで(限定的とはいえ)容認。
  大多数の憲法学者、元内閣法制局長官にとどまらず元最高裁裁判官・長官までも違憲だとの見解。

(3)手続き的に無効
 安保法案採決は、先に、アメリカに公約(本年の夏までにと)、その後で閣議決定、国会審議―野党から異論・疑義が多々あるも、政府の説明は不十分、世論調査では大多数が法案の会期内成立に反対―にもかかわらず、両院とも与党・準与党による強行採決。(国会は、あたかも政権の下請け機関化)。
 参院・特別委員会では、公聴会は「採決のための単なるセレモニー」に終わり、その報告ぬきで(議事録に残されることなく)直後に委員会開催、総括質疑ぬきに終局宣言・採決(その間8分―与党委員が委員長席に駆け寄って、委員長を囲んでガード、野党委員がそれを退けようとして揉み合い、議事録には「議場騒然、聴取不能」としか記載されず。)

 こんなのは到底認められまい

2015年09月25日

軍事的抑止力って、はたしてどうなの

 集団的自衛権行使容認の安保法制も沖縄基地も「戦争を未然に防ぐための抑止力」というが、はたしてどうなのか。
 キッシンジャーいわく、「抑止の効果は、実際には(攻撃・戦争)“起こらない”ことによって、消極的な方法で試される。しかし、それが、なぜ起こらないかを立証することは絶対不可能である」(戦争が起きた原因は立証できるが、起きない原因は立証できない)と。
 軍事力(自衛隊や日米同盟、それらを運用する為の「安保法制」など)の「抑止効果」なるものは、実際、はたして効いているのかどうか、それは撤廃してみないと分からない(撤廃してみたら、そのとたんに敵が攻め込んだきたという事実を見なければ)。しかし、それを実験としてやるわけにはいかない(撤廃して攻め込まれたらお終いだから)。
 核抑止は、実際、はたして効いているのか、それは撤廃してみないと分からない。しかし、撤廃したとたんに、相手から核攻撃されたらお終いだ、というわけだ。
 北朝鮮は、自らの核武装をアメリカの攻撃を抑止するためだという。アメリカも自らの核戦力を相手からの攻撃を抑止するためだと、お互いに自らの核開発・保有を正当化。しかし、いずれも、その抑止効果は立証できないわけである。互いに主観的に、「抑止力」だと思い込んでいるだけにすぎない。その効果は心理的効果にほかなるまい。
 中国も北朝鮮も日本を攻撃・侵略しないのは日米同盟の抑止力が効いているからだといっても、それは立証のできない、都合のいい結果論にすぎないのだ。

 市民・個々人が銃を持てば、それが強盗・殺人などに対する抑止力になるのか。アメリカではそれが認められているが、日本では認められていない。それで日本では強盗・殺人などの犯罪がアメリカより多いかといえば、むしろ逆で、はるかに少ない。
 警察の「抑止力」が市民に安心感を―しかし、その地区で犯罪が起きていないとしても、それは警察のおかげかどうかは、証明できない、他の理由もあるかもしれない。
 少なくとも、警察官がぶら下げている拳銃(武器―とっさの時に攻撃や逃亡を阻止するため威嚇射撃をやることもあるが、基本的には護身用にすぎない)がおっかなくて、犯行を思いとどまるなどということはあり得まい。おっかないのは警察官が武器を持つからではなく、強制権限(行政権限・司法権限)をも持つからにほかならない。
 その抑止効果は心理的な安心感にほかならない。

 警察力(法的強制力)―警察官の拳銃など武器は、あくまで護身用・防御用。
 軍事力(武力)―軍隊の武器・兵器は防御用(盾)でもあり攻撃用(矛)でもある。それを持つことによって、相手の攻撃を抑止できるのは、それが単なる相手からの攻撃を防ぐ盾にとどまらず、攻撃も(先制攻撃も)かけようと思えばかけられることになっているからであり、「いざとなったらやるぞ」という攻撃意思を見せることによって抑止できるのである(その武器・兵器は単なる防御用でもなければ、見せ掛けの「張り子の虎」でもない)。軍事的抑止力は、単なる抑止力や防御力にとどまらない、いざとなったら全面戦争も辞さない覚悟(意思)があることを前提にしているのだということを見落としてはならないということだ。
 それに対して相手はおとなしく引き下がれば(核・ミサイルなど撤去・放棄すれば)、効果てき面ということになるが、相手が対抗して、同じように「抑止力」と称して軍備増強すれば、かえって軍事衝突、そこから全面戦争にも発展するという危険がともなうことになるわけである。つまりは相手次第ということなのであって、自国側の一方的な思い込みだけでは抑止力は成立しないということだ。
 尚、沖縄(在日米軍基地の74%が集中)、そのうちの75%が海兵隊基地(名護市辺野古も)は抑止力か―そもそも海兵隊は海外への攻撃部隊(「殴り込み部隊」)なのであって、日本本土国民や沖縄住民を中国・北朝鮮などの攻撃から守る防御用部隊ではない。むしろ沖縄住民にとっては、そこが中国からも北朝鮮からも弾道ミサイルの射程内にあり、そこに海兵隊基地があることによって標的にされるだけで、彼らに島を守ってもらえるというのは大間違い。
 それに尖閣など、台湾とともに中国本土に近い離島へ揚陸艦やオスプレイで海兵隊の上陸作戦を敢行しても、制空権が中国軍に握られている(という現実がある)限り、それも不可能だし。

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