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   <title>米沢長南の声なき声</title>
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   <title>議員定数削減の理由は？(訂正版)</title>
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   <published>2010-08-25T08:36:05Z</published>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://yonezawa-chonan.com/">
      　議員定数削減。菅首相が提起しているこの問題は我が国の議会制民主主義の根幹に関わる大問題。
　彼および民主党がこれを持ち出した理由はそもそも何なのか。
　財政難を打開するべく、少しでも財政負担を減らすためだというのだろうが、それが、それよりもはるかに金額の多い政党助成金などではなく、なぜ国会議員定数削減でなければならないのか。

　日本の国会議員が多すぎるという根拠はない。アメリカより多いというが、ヨーロッパ諸国から比べれば、それらのどこよりも少ないのだ。
　アメリカは連邦議会の議員は少ないが、この国は50州に分かれており、各州には軍事・外交など以外は独自の権限をもつ州政府とともに上下２院の議会があり、州議会のすべての議員を合計すれば、下院だけで5,000人以上にものぼる。このようなアメリカと比べるのは、そもそもおかしいのだ。

　にもかかわらず削減する理由はいったい何なのか。
　ＣＳ放送の朝日ニュースターの番組「闘え！山里ジャーナル」は先日（８月21日）この問題をテーマに取り上げていた。（ゲスト出演者：民主党議員の伴野氏、共産党議員の穀田氏、NPOドットジュービー事務局次長の北島優子氏。コメンテーター：朝日新聞編集委員の曽我氏・安井氏、週間朝日編集長の山口氏）そこで解ったことなのだが、どうやらそれは次のようなことのようだ。
①一般国民の国会議員に対するイメージ―高いカネをもらっていながら、たいした仕事をしていない議員が多く、「特権階級」と見なされている。
②国民に消費税増税など「痛み」を求める（「辛い事」をお願いする）うえで、それを
国民から受け容れてもらえるように、「議員自ら身を削る」という姿勢を示す。―しかし、消費税１％税率アップで２兆６千億円の国民負担増。それにひきかえ、議員が「身を削る」といっても、(議員１人当り年間７千万円として)120名（衆院80名、参院40名）の削減で、その金額は総計わずか84億円程度にしかならないし、バランス上も極めて合理性に乏しいのだが、①のような思いを持つ国民感情にはアピールしやすく、「国民受け」する（情緒的・象徴的効果をもつ）と考えたわけだ。
③議員定数を削減するにしても、それがなぜ（選挙区部分ではなく）比例部分なのかといえば、各都道府県選挙区の定数を削減するとなると、それら（削減する選挙区）の有権者の納得を得るのは容易でなく、手っ取り早く比例部分のほうから削減してしまおう、というわけだ。

　要するに、このような国会議員定数削減案は、なんら合理的な根拠に基づいてはおらず、「思惑」から発想している、ということ。
　①②③のような現実があることも確かだが、だからと言って、このように議員定数を削減してしまったら、（少数政党は切り捨てられ、国会に多様な民意が反映されなくなるなど）そのデメリットは余りに大きく、我が国の議会制民主主義を著しく損なうものとなるだろう。

　「ムダを削る」というのであれば、政党助成金（年間320億円―国会議員450人分の経費に相当。議席数に応じて配分され、民主党・自民党２党で85％を山分けしている、それらの党を支持していない国民にとっては、税金で強制的に献金させられているようなもの）こそカットすればいい話なのだ。

      
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   <title>「核依存症」社説に疑問</title>
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   <published>2010-08-11T21:16:00Z</published>
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   <summary>　広島市長が「核の傘」から離脱を促したのに対して、首相が核抑止力は引き続き必要だ...</summary>
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      　広島市長が「核の傘」から離脱を促したのに対して、首相が核抑止力は引き続き必要だと述べたことを、本紙社説は「すぐに核の傘から離脱することは現実には困難」であり、「首相の言う通りだ」とし、世界の核依存を「減らしていく」外交を積極的に展開することによって「非核日本の道理を世界にアピールできる」、そうして「核依存症から抜け出そう」と書いている。あたかも「吸引をきっぱり絶つことなく、本数を減らして依存症から抜け出そう」と言っているようにも思える。
　アメリカには核廃絶を求めずにその核抑止力に依存し続けながら、いくら「相手の核使用抑止以外には核を使わないようにする」など「世界の核依存を減らしていく外交」を展開して、北朝鮮などに核の放棄を要求し、諸国に核廃絶を促しても、国々は納得してそれに応じようとするだろうか。やはり「日本は矛盾している」との不信感を払うことはできないだろう。
　「すぐに・・・は困難」だというが、「核の傘から離脱する」とは、必ずしも「同盟から離脱」するというわけではなく、ただ「アメリカにも核廃絶を求める」というだけのことで、我が国政府がその気になれば済む話。既に国是としている非核三原則を堅持し、その上、同盟国アメリカにも核廃絶を求めてこそ、「非核日本の道理」が通用し、「核廃絶への道」の先頭に立つ資格が得られるというものではあるまいか。


      
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   <title>議員定数削減は筋違い（完成版）</title>
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   <published>2010-08-04T04:41:21Z</published>
   <updated>2010-08-07T02:19:07Z</updated>
   
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://yonezawa-chonan.com/">
      <![CDATA[　菅首相は参院選に臨んで消費税増税を打ち出したが、それとともに「衆院比例８０、参院４０程度の削減」をも公約にしていた。しかし選挙の結果は、与党は大幅に議席を減らし政権に対する不信が大きく表れた。
　その後、首相は消費税増税には及び腰となったが、増税の前に「まずはムダの削減」、「国会議員自身が身を切ることだ」として、議員定数削減のほうを言いだした。（それを朝日は「臨時国会召集日に記者会見で、今後何をめざすのか、その数少ない具体案、唯一の目玉」だと書いている。）
　しかし、議員定数削減は<strong>議会制民主主義の根幹</strong>に関わる問題であって、単に財政の都合で減らしたり増やしたりする筋合いのものではない。
　<strong>そもそも民主政治は</strong>国民の意思に従って行う政治であり、成人に達した国民は全員国政に参加することが理想なのであり、デモクラシーの発祥地アテネなどで実際それが行われたこともあったが、人口など大規模で複雑な現代国家においては全員が一堂に会することは不可能なので、国民が選挙で選んだ代表に限定して国会を開くようにしている（間接民主制）のであって、それは単に物理的な理由からにほかならない。そういう意味では、一堂に集まれるだけ集ることのできる最大限の人数を議員定数とすべきなのである。（論理的にはそういうことになる。）
　その議員定数を減らすなどというのは議会制民主主義の逆行にほかならない。
　<strong>「身を切る」</strong>といっても、それは議員報酬（歳費など）を減額するのなら話しはわかるが、議員定数を削減するというのは、主権者国民にとっては、その意思・願いを託し、自らに代わって要求・意見を代弁してもらおうとする権利、あるいは自分たちの代表（議員）を立てようとする権利が削られるということにほかならないのであって、実際に削られるのは中小政党とそれを支持する民意にほかならない。それを「国会議員自身が身を切る」などというのはズルい国民ダマしだ。

　我が国は、国会議員が<strong>他国に比べて</strong>（人口比に対する議員数が）多すぎるという向きがあるが、それはアメリカとだけ比べて多いといっているのであって、ヨーロッパ諸国と比べればどの国よりも少ないのである。

　実際、いてもいなくてもいいような<strong>無駄な議員</strong>がいることも事実だが、それは選んだ方の問題、つまり、そのような人物に投票した有権者側の知識・判断力の問題にほかならない。議員定数を減らせば、おのずから有能でまともな人物が選ばれるという保証があるわけではなく、かえって有能でまともな人物が落選させられるという結果にもなるのだ（今回の選挙でも、前の国会議員で、論客と目され、国会内外でしばしば的を射た発言をおこない、国会になくてはならない存在だと思われるような惜しい人が落選している）。
　<strong>政治不信</strong>は、それまで選ばれてきた議員（それに、その中から選ばれてきた総理大臣とそれが任命してきた大臣たち）が招いたのであって、選ばれなかった候補者たちが招いたものではない。落選した彼らが議員になっていれば、政治不信などなかったかもしれないのだ。政治不信は当選して議員になっている者たちのせいなのであって、議員定数が多すぎるせいではないのだ。
　「いい加減な議員が多い」「働かない議員が多い」との政治不信に乗じ、「そんな議員はいらない」との国民感情を利用して、議員定数を削減し、消費税増税・日米同盟堅持・改憲などに反対する政党議員を切り捨てて、これらの政策・路線を押し通そうという思惑があるのだろうが、それはとんでもないことだ。

　<strong><strong>民主党マニフェストの議員定数削減案</strong></strong>は比例代表のほうを削減するというものだが、それでは小選挙区で二大政党のどちら側かしか選ばれないことになり、少数政党の議席の多くは切り捨てられてしまうことになる。
　衆院の比例代表定数を80削減すればどうなるか。昨年の総選挙結果で試算すると民主党は比例代表42.4%の得票率で、小選挙区の分も含め衆院議席68.5%を占め、３分の２以上（法案が参院で否決されても衆院で再議決できる数）の議席を得ることになる。一方、自民党は得票率26.7%で議席23.5%、議席占有率は比例得票率とほぼ同じだが、その他の小政党は全部合わせて得票率30.8%を得ながらも、議席はわずか８％だけ、ということになる。
　民主党にとっては全く都合のいいやり方で、党利党略もいいところ。そればかりか一党独裁的な強権政治にはしりがちな危険性もある。
　民主党という党名に反する、どこかの国のような多数派独裁の体制にもなりかねない由々しき一大事、といったら言い過ぎだろうか。　

　国民の間には、実に様々な生活基盤・生活信条・意見・要望（<strong>民意の多様性</strong>）があり、その中で少数ではあっても、それらの人々の深刻で切実な願い・要望を代弁してくれる少数政党の議員が国会にいなくなるということは、それら立場が弱く困っている人々の願い・要望が国会には全く届けられなくなってしまうということなのだ。たとえば消費税を上げられては困る人々、職や仕事がなくて困っている人々、派遣切りにあって困っている人たち、学費で困っている人たち、米軍基地で困っている人々、感染症で困っている人たち等々、彼らの声を正面から取り上げて国会の場で訴えてくれる政党・議員がいなくなってしまうということになるのだ。

　財政上のムダということで、議員活動がその月は実質たった数日だけなのに月割りで一月分の歳費が支給されるなど<strong>議員歳費のムダ</strong>を問題にすること自体はおかしくない。議員歳費日割り法案が出ているが、それは秋の臨時国会で審議されることのようだ。とりあえずは今回の参院選で当選した議員に限って「自主返納」方式（いったん支給された歳費を日割り計算して自主返納するということ―任期は７月26日からで、７月分歳費129万7千円のうち 104万円を返納）で対応する動きになっている（自主返納法案は今国会で成立）。

　それから、原口総務大臣は来年度予算に関連して、政党交付金の削減を議論する必要があるとの認識を示したとのことであるが、これは的を射ている。政党交付金（政党助成金）はそもそも不合理なもの（各党に、議席に応じて配分され、民主党ついで自民党にゴソっと分配されている。税金が、これらの党を支持していない人の分までそこに流用されている。近代政党は党員が出し合う党費と支持者のカンパのみによって資金は賄われるべきものなのに）であり、ムダの削減というなら、この<strong>政党助成金こそ全面カット</strong>してもいいのだ。（衆参議員定数それぞれ80人・40人を削減すれば、各議員の歳費・立法事務費・秘書給与など合わせて合計84億円。それに対して政党助成金は320億円にもなるのだ。）

　それを、消費税の増税を国民から受け入れてもらえるように、まずはムダを削減すると称して、<strong>国民の政治不信を逆手に</strong>取って（いい加減な政治家―いなくてもよいムダな議員」と感じる不信感に乗じて）、<strong>「国会議員なんか減らせばいいんだ」と</strong>単純に考えがちな大衆の受けをねらって「ムダを削減するために議員定数削減を断行する」。そうして消費税増税に反対する政党や議員の議席を奪った上で、その法案をすんなり通せるようにする、というわけである。なんというズルいやり方だ。それは消費税増税のみならず、日米同盟の「深化」・米軍基地の永続その他、改憲発議までも、国会では万事、二大政党の思惑通り一方的にすんなり決められてしまうようになる、ということだ。
　
　菅首相は議員定数削減案を<strong>12月までに与野党で合意、実行</strong>まで企図している。それは阻止しなければならないが、同時に、衆院の場合、現在の小選挙区主体の比例代表並立制（民主党は衆院比例部分を削減して、小選挙区部分４分の2.5を４分の３に増やそうとしている）を、全体の定数はそのままに小選挙区のほう（二大政党のどちらか一人しか当選できず、大半の投票は「死に票」になってしまい、著しく民意を歪める）を廃止して、その分を比例代表（民意を最も正確に反映するやり方）に変え、全員を比例代表で選ぶようにするなど<strong>選挙制度そのものの改変にも</strong>取り組まなければなるまい。　

　
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   <title>国より家の借金が心配な子も</title>
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   <published>2010-07-18T02:50:44Z</published>
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   <summary>　「小６の娘も心配　借金大国日本」という投稿で、「文具にも10%の消費税がかかる...</summary>
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      　「小６の娘も心配　借金大国日本」という投稿で、「文具にも10%の消費税がかかることは嫌だろうに」、「借金は自分たちの肩にのしかかってくる」、「消費税は上げないで大丈夫なの？」、「自分たちは痛みを引き受けようとしない国民にがっかり」とありました。
　しかし、この問題については、テレビの報道番組などで知るだけではなく、もっと子どもに教えなければならないことがあるのでは。
　一つは、家庭によっては「国の借金」なんかよりも家の借金のほうが心配であり、また将来を心配するよりも、その日その日食べて生きていくのがやっとで、５円・10円でも値上げされると困るという家の子もいるのだ、ということ。
　もう一つは、税金は、消費税だけではなく、法人税・所得税その他色々あり、増税しなければならないのはむしろそちらの方なのでは、ということ。
　もう一つは、「国の借金」は、それで国民みんな等しく恩恵をこうむっており国民皆のせいだ、というわけではなく、ある分野の人々に偏しており、国民間には税の負担能力にも隔たりがある、ということ。
　それに、税金は公平でなければならないが、消費税は所得の有無・格差を度外視して一律な税率で課する税で、負担能力の乏しい人ほど重くて不公平な税なのだ、ということ。
　子供にはこれらのことをきちんと教えなければならないのではないか、と思うのです。

      
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   <title>参院選の結果</title>
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   <published>2010-07-12T09:44:47Z</published>
   <updated>2010-07-14T12:02:45Z</updated>
   
   <summary>　与党民主党が敗北（過半数とれないばかりか、大幅後退）、自民党が復調、みんなの党...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://yonezawa-chonan.com/">
      　与党民主党が敗北（過半数とれないばかりか、大幅後退）、自民党が復調、みんなの党が躍進、護憲派（共産・社民）さらに小さく。
　ただ、自民党復調・みんなの党躍進といっても、それは政権交代を果たしながら期待を裏切った民主党に対する批判票が両党に流れたということであって、自民党の政権復帰を望んだというわけではない。国民は、いったいどの党がいちばんまともなのか、未だよく判らない模索の過程にあり、これからどうなるかはっきりしない流動性がある。
　しかし、いずれにしろ、この結果は、庶民にとっては、状況は何も変わらず、前のまんま。それどころかもっと悪い方向にいくだろう。
　＊家計―生活難
　＊雇用・労働―派遣労働など非正規
　＊営業―困窮
　＊社会保障―年金・医療・介護の不安
　＊子育て・教育―競争・管理教育
　＊沖縄県民をはじめとする人々への軍事（安保）の重圧
　これらは何も変わらないか、かえって危うくなるのかもしれない。
　民主党政権の国会運営は「ねじれ国会」で混迷・遅滞することになるだろう。
　政策課題ごとの与野党間「談合」―「パーシャル（部分）連合」など行われるだろう。
　　＊消費税増税・法人税引き下げを民主党と自民党との間で。
　　＊議員定数削減も（「議員自ら身を削る」のだという殺し文句で、少数野党議席はムダだとして切捨てる。これと引換えに消費税増税をねらう）
　　＊普天間基地の辺野古移設も
　　＊自衛隊の海外派兵恒久法も
　　＊改憲（憲法審査会）も
　　＊公務員改革は民主党とみんなの党との間で。
　政界再編もありだ。
　メディアが取り上げるのは、専ら政局（駆け引き・談合）。そして「懸案」（メディアがそう思っている）の消費税増税・議員定数削減・辺野古移設・海外派兵恒久法・改憲など、「二大政党」自民・民主両党を中心にそれぞれどう巧く運ぶか、ということばかり。

　このような選挙の結果は、庶民にとっては全く残念というほかないだろう。
　特に「二大政党」（民主・自民両党）と「第三党」（みんなの党）はいずれも議員定数削減を企図し、メディアもそれに同調しており、３党が談合してそれを決めてしまったら、弱者の声を代弁してくれる議員がいなくなってしまうことになる。そんなことになったら大変だ。護憲派政党が排除されて、改憲阻止もできなくなってしまう。




      
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   <title>広告料にあてる政党助成金こそムダ</title>
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   <published>2010-07-11T07:24:43Z</published>
   <updated>2010-07-11T07:27:05Z</updated>
   
   <summary>　本紙に民主党の全面広告が、昨日に続いて、投票日の今日も出ていた。それには菅代表...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://yonezawa-chonan.com/">
      　本紙に民主党の全面広告が、昨日に続いて、投票日の今日も出ていた。それには菅代表の名で「私は市民運動から政治をはじめました。誰よりも庶民の側に立ってきた自負があります。」「私は財政再建に挑みます。徹底的にムダづかいを根絶した上で、党派を超えた議論をはじめます。消費税を含めた税制の抜本改革を・・・・。もし消費税率を変える時には必ず国民に信を問います。」「国民のみなさんだけに負担を押しつけません。」「国会議員定数を大幅に削減」する、それらのことを「あらためて強く決意しました。」とある。
　しかし、そこには、大企業の法人税をさらに引き下げようとしているのに、そのことは書かれておらず、金持ち優遇税制を廃止するとも書かれていない。米軍再編費・「思いやり予算」など軍事費のムダ、それに政党助成金などのムダを削るとも書かれていない。削るのは国会議員定数で、「声の小さい」庶民（弱者・少数派）の声を託する議員の議席を切り捨ててしまう、ということだ。
　この新聞広告の広告料も、同党の多数議席に応じてより多く配分されている政党助成金から支出されているのだろう。このようなやり方は、沖縄県民の切実な要求より日米合意を優先するかのようなやり方とともに、はたして「庶民の側」に立っているのかといえば、とてもそうは思えまい。

      
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   <title>議員定数削減問題も争点</title>
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   <published>2010-07-04T04:57:21Z</published>
   <updated>2010-07-11T08:52:32Z</updated>
   
   <summary>　マニフェストに議員定数削減を取り上げている各党 ①民主党：参院40程度削減 　...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://yonezawa-chonan.com/">
      <![CDATA[　マニフェストに議員定数削減を取り上げている各党
①民主党：参院40程度削減
　衆院比例定数80削減―07年参院選の得票結果をもとに試算すると自民・民主だけで95%独占。09年総選挙の結果で試算すると共産党は現在の９から４に減、社民党はゼロに。 
　小選挙区制では、それぞれの選挙区から自民・民主二大政党のどっちか一人しか選ばれず、その当選者以外に投ぜられた票はすべて「死票」になる。昨年の総選挙では、小選挙区からは、民主党が47％得票で74 ％もの議席を獲得してかさ上げされ、自民党は39％の得票を得ながら 21％議席しか得ていない。小泉郵政選挙の時は逆だった。
　民主党マニフェストでは、その小選挙区定数はそのままに、比例区の方を（比例代表選挙こそが民意を正確に反映するのに、その方を）削減―少数党の議席数は大幅に切り捨てられることになる。
　比例定数をこのように大幅に減らして小選挙区制の比重がさらに大きくなると、相対的に一番多い得票を得た政党がそれほど多くない得票率でより多くの議席をガバッと獲ってしまう。（衆院比例80削減すれば、昨年の総選挙結果で試算すると、民主党は42％の得票で68％もの議席を獲得でき、法案が参院で否決されても衆院で再議決できる３分の２以上の議席が得られることになる）
　二大政党にますます有利となり、二大政党制（両党が替わりばんこに政権に就く）に固定―自民・民主両党支配―多数派独裁へ―アメリカ・イギリスと共通性―中国・北朝鮮などは一党独裁だが、多数派独裁という点では（「二大政党」は別な党だといっても政策的には大きな違いがないとなると）これらの国と同然だということになる。
　消費税増税問題、普天間問題（辺野古移設、日米同盟堅持）、改憲問題など、自民・民主は基本的には政策が同じで、両党だけですんなり決まってしまう。これらに反対している共産・社民などは切り捨てられる。
　菅首相は参院選後の次期臨時国会に法案を提出する考え
②自民党：衆参定数を３年後に１割削減、６年後に３割削減
③公明党：衆院は新しい中選挙区、参院はより民意を反映する選挙制度改革で定数削減。
④みんなの党：衆院180人削減（300人に）、参院142人削減（100人に）。　
⑤新党改革：国会議員定数を半減。
⑥たちあがれ：衆院定数80議席削減、比例代表廃止。参院定数42議席削減。
⑦日本創新党：国会議員定数を半減。　
<strong>各党の議員定数削減の理由</strong>（思惑）　
①財政危機を理由に消費税増税―国民に「痛み」を求める―その代償措置で、「国会議員自らが血を流す」「身を削る」のだというわけ。そういう言い方をされると、単純な有権者は直ぐ「そうだ」となる。
　テレビ朝日・報道ステーション（７月１日）古館キャスター、菅首相に「是非進めて頂きたい」と。
　異論：一高校生が投書（６月29日付朝日）で「議員を減らして財源を削減しても、民意が反映されなければ元も子もない」と。
　削減したからといって、真に国民・庶民の代表として相応しいまともな党・人物だけが選ばれるという保障はなく、まともな党・人物は選ばれないということにもなる。
　経費削減も、80人減で議員の歳費・立法事務費・秘書給与など56億円しか削減ならない。「身を削る」というのであれば、議席に応じて税金を分け取りしている政党助成金320億円のほうこそカットすべき。
②日本の国会議員「多すぎる」―しかし、それは嘘。人口比でアメリカよりは多いが、ヨーロッパ諸国よりは少ない。人口10万人当たりの国会議員数0.57人は世界で最下位の部類。イギリスは人口は日本の半分だが、下院定数は650名で、日本の衆院480名よりはるかに多い。
　（公務員数も日本は、先進国の中では少ないほうなのだ）
　
　民主政治は、そもそも主権者・国民が全員直接参加するのが理想なのだが、（古代ギリシャの小さな都市国家なら全市民が議場に集まれたが）人口の多い国ではそれが不可能。なので、一堂に集まれるだけの数の代議員を選挙で選んで委任。代議員の数は多いほど民意が反映される度合いが大きいが、少なければ民意反映の度合いは小さくなる。要するに議員定数は多ければ多いほど良いのであって、少なければいいというものではない。（数が多いと違う意見が入り乱れて、すんなり決まり難いから少ない方がいい、といった発想をするなら、寡頭政治あるいは「常に満場一致」とも言うべき専制政治のほうがいいということになる。）　

　小選挙区制で比例区定数削減が決まってしまったら、小数派にとっては大変なことになる。日本は多数派独裁＝ファシズムの国になってしまう。
　この問題も重要な争点の一つだ。


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   <title>政党選択選挙（加筆・修正版）</title>
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   <published>2010-06-23T12:44:37Z</published>
   <updated>2010-07-02T12:38:25Z</updated>
   
   <summary>　世の中、「恵まれている人・生活にあまり困っていない人」と「恵まれない人・生活に...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://yonezawa-chonan.com/">
      <![CDATA[　世の中、「恵まれている人・生活にあまり困っていない人」と「恵まれない人・生活に困っている人」とに分かれている。選挙はそのどちらにつくか、ということにほかならない。
　当方の場合、それはイデオロギーなどからではなく、生まれ育った境遇（カネや財産にも、力やアタマにも恵まれないということ―人々の印象によっては「そうかな」と思われる向きもあるだろうが、内情をよく知っている人なら肯かれるだろう）から　自分と同様に恵まれない人の側につく。それは子どもの頃からの（ケンカやいじめにしても、いつも弱い方の側についた）習性のようなもの。大学で思想を学んだり、誰かから感化されたからではない。選挙というと結局、「恵まれない人・生活に困っている人」の立場にたって政治に取り組んでくれている政党や候補者かどうかで選んでいる。
　今回の争点は、なんといっても消費税と安保（米軍基地問題）。恵まれている人は消費税など増税してもたいして困らないのだろうし、安保・米軍基地問題など現状のままでも別に困らない、それどころか、米軍駐留と基地があるお陰で利益をこうむり、既得権を得ている者もいるわけだ。それに対して消費税を増税するなんて困るし、米軍基地が置かれているおかげで危険・(それに税金を注ぎ込まれていることも含めて)迷惑を被っている人たちがいる。
　当方は後者の立場にたって消費税増税問題・安保（米軍基地問題）に対応している党や候補者に投票しようと思っている。

　そもそも、当方がここで発している「声なき声」、その見解・意見も特定のイデオロギーからではなく、生来のパーソナリテー（性格）やメンタリテー（心性）からきているものと思っている。それは子供時代に、育った境遇の中で形成された。だから、政治・経済・教育・社会などの諸問題や諸政策に対する選択判断基準は一貫している、と思っている。
　当方の生まれ育った境遇から来ているその心性とはどんなものかといえば、「バカでお人好し」「嘘がつけないバカ正直」「自分より相手の方を思いやる」「欲が無い」「人と張り合うのを好まない」、「弱い方に味方したがる」「自分を誇ることを好まない」「自慢する人、威張る人、傲慢な人、人を見下す人間、人をバカにする人間を嫌う」等など（そうかな？と思う向きもありだろうけど）。
　当方のイデオロギー的傾向（思想傾向）も、それら生来のメンタリテー（心性）から来ているのだろう。当方が違和感をもつイデオロギ－は国家主義・自国優越主義・権威主義・多数派独裁主義・官僚主義・資本至上主義・反共主義・競争主義など

　各党は「恵まれている人・生活にあまり困っていない人」「恵まれない人・生活に困っている人」それぞれどの立場に立っているか。
　報道各社は「不偏不党」の建て前からどんな読者や視聴者からも受けるような八方美人的な報じ方をしているようにも思えるが、結局そのスタンスは自民・民主二大政党に偏している（批判するにしても両党のどちらかの立場に立って一方を批判。消費税増税と日米同盟堅持では基本的に一致している両党に同調）。「二大政党」とともに、中間層以上の「恵まれた人・生活にあまり困っていない人」―読者・視聴者の多数派―に的を絞って報道しているからだ。

　むのたけじ氏（ジャーナリスト、社会評論家）いわく「弱い者、小さい者、貧しい者の側の人間なんだから、そちらの側に立ってものごとを考えよう」（生活クラブ生協連合会発行の月刊誌掲載の対談から）。そうだ。そういうことなんだな。

<strong>ねたみ？</strong>
　朝日新聞（６月28日付）に「若者の夢を奪う税の累進性強化」と題した投稿があって、次のようなことが書いてあった。「累進度の世界に冠たる高さ」「累進性のさらなる強化は若者から『努力すればより良い生活を手に入れられる』という夢をますます奪い、社会の活力を損なうのではないか。」「格差とは、身分制度のように努力しても乗り越えられない壁」なのに「単なる所得の違いから子どもの成績まで格差として表現する、ねたみとも言えるいまの風潮」と。はたしてそうか?
　まず、我が国の税の累進度は高いというが、それは逆で、むしろ低い方。所得税の最高税率は、以前（1970年代）は10%から75%まで19段階もあったこともあったが、今は10%から40%まで６段階だけ。給与水準の違いによる税負担率の差は、OECD加盟30ヵ国中下から３番目に小さい。
　いま若者に「努力すればより良い生活を手に入れられる」という夢を持たない者が多くなっているのは確かだが、それは累進税率が高いせいではなく、高い税率で税を納めなければならないほどの給与が得られないことのほうが問題。40%（最高税率）を納めなければならない1,800万円以上もの給与なんてどうせいつまで経ってもありつけそうにない。それどころか、どんなに努力しても正社員になれない、就職さえできない、ということのほうが問題なのだ。
　格差とは、同じ能力を持った者が同じ努力を払っても同じ待遇が得られず、差があることだ。今は昔のような身分制度はなくなっているとはいえ、経営者・株主と従業員、大企業の社員と中小零細企業の社員、正社員と非正社員、公務員と民間社員とでは、同じ能力を持った者が同じ努力を払っても同じ待遇は得られておらず、それぞれ大きな差がある。そのように不合理な（身分制度のように努力しても乗り越えられない壁による）格差があることは厳然たる事実である。それを批判することは単なる「ねたみ」などではあるまい。
　子どもの成績でも、家庭環境（家計所得など）によって成績に差があることは厳然たる事実であり、そのような教育格差を批判することは、できる子をうらやましがる単なる「ねたみ」とは事が違うだろう。
　ところで夢（志）とは自己実現欲求から生まれるのだと思うが、それには利己的欲望（自分だけ『より良い生活』が手に入れられればよい）だけではなく、利他的欲求（他人のために尽くして感謝される喜びを得ようとする欲求）あるいは共同的欲求（他人と共にやって喜びを分かち合う）もあり、他の人々と共に『より良い生活』を、ということを夢と考える人もいるわけである。
　税は（憲法上、民主国家として国民に納税義務を課している我が国では）市民にとって、搾取ではなく、福祉・教育・公共事業・公共サービスなどの財源（資金）を互いに出し合うことによって、いわば『より良い生活を手に入れられる』という夢を広げるものであって、その夢を奪い、やる気を損なうようなものではないはず。
　但しその税は各人の負担能力に見合った公平・適正な税（応能負担）でなければならない。ところが消費税は（たとえ「福祉目的」のためという名目であっても）負担能力の有無にかかわらず、子供でも、年金暮らしの老人でも、ワーキングプアか職の無い若者でも容赦なく取られ、所得の低い人ほど負担が重くのしかかる不公平税制であるので、それは、国におカネを出し合って社会に貢献するなどというものではなく、まるで国からピンはねされる搾取のようなもの。
　このような消費税を増税することこそ子供・老人それに若者から夢を奪うものと言うべきだろう。





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   <title>理想主義と現実主義（加筆・修正版）</title>
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   <published>2010-06-18T02:36:27Z</published>
   <updated>2010-06-19T08:32:48Z</updated>
   
   <summary>　鳩山前首相の「友愛精神」とか「命を守る政治」とか「東アジア共同体」とか「普天間...</summary>
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      　鳩山前首相の「友愛精神」とか「命を守る政治」とか「東アジア共同体」とか「普天間基地移設は国外、最低でも県外へ」とかを掲げた「理想主義」？に対して菅新首相は「現実主義」で行くと言っている。（就任記者会見では、最大幸福社会ならぬ「最少不幸社会」をめざすと言い、所信表明演説では「世界平和という理想を求めつつ、『現実主義』を基調とした外交を推進すべき」と。）
　ところで、「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と定めているのは日本国憲法（前文）である。北朝鮮国民の場合はどうなのか。我々日本人にとっては北朝鮮が脅威であり、その核・ミサイルは恐怖なのだが、北朝鮮の方も、（アメリカとは60年前以来朝鮮戦争、休戦はしているものの、戦争自体はまだ終わってはいないし、日本からは100年前の日韓併合以来恐怖を強いられてきた植民地支配にたいして北朝鮮は何一つ清算してもらっておらず）アメリカ、それと同盟する韓国・日本の軍事力はそれこそ脅威・恐怖であり、そのうえ「経済制裁」という兵糧攻めを受け欠乏にもさいなまれているのだろう。
　北朝鮮国民も日本国民も共に平和のうちに生存するにはどうすればよいのだろうか。
それには、共に恐怖の原因―軍備を（「核」も、「核の傘」も、ミサイルも、ミサイル防衛システムも、軍事同盟も米軍基地も）撤去し合えばよいのであり、北朝鮮国民に対しては、欠乏をひどくする経済制裁も解除してやらなければならないわけである。
　それに対して、「いや、そんなことは出来るわけない。要は北朝鮮さえ核・ミサイル開発を放棄すればよいのであって、現政権がそれを拒み続けるかぎり、日米韓側は「核の傘」も基地も維持し続け軍事的・経済的圧力（制裁）を加え続けるしかなく、場合によっては攻撃のやむなきも」というのが現在の日米韓政府の考え方。はたしてどちらが現実的か。
　韓国人のあいだでは「北風政策」に対する「太陽政策」論―キム・デジュン元大統領とノ・ムヒョン前大統領らの考え方がある。それは必ずしも理想主義ではなく、むしろ現実主義に基づいている。なぜなら、経済力・軍事力とも北朝鮮に比べて韓国のほうがいくら圧倒的に優勢だとは言っても、戦争したらソウルが実際「火の海」になり、共倒れさえも起きかねないし、北朝鮮国家が崩壊してしまったら韓国が大量難民（窮民）を抱え込まなければならないことになり（その経済運営の困難はベルリンの壁崩壊で東ドイツ国民を抱え込んだ西ドイツの比ではなく―人口比・GNP比などの格差で）、国がもたなくなる、ということが解っているからにほかならない。
　ところが、直ぐ近くで北朝鮮と対峙している韓国人と違って、とかく日本人は戦争に対してリアリティーをもって考えない向き（平和ボケ）が多く、タカ派的になりがち。また、日本人の中には、相手側からみれば自国の方が脅威になっているのに、そのことは気に止めず、相手の脅威にばかり気をとられる傾向があるようにも思われる。日本人はとかく主観的情緒的で非現実的な判断に陥りがちだということ。
　北朝鮮の専制政治体制では、かつて我国が専制体制にあった時のように非理性的な暴挙に走る危険性がある一方、韓国は（哨戒艦沈没事件で大統領が打ち出した対北強硬姿勢に対する反応などを見ると）むしろ政府より国民のほうが冷静で理性的なようだが、現在の日本やアメリカは民主主義が発達しているから、国民の理性がはたらいて暴挙にはしることなどないかといえば、さにあらずで、フィーバー（熱狂）した多数国民によって戦争を後押ししがちだという一面もあるのだ（９.11からアメリカがアフガン～イラク戦争に突入した、あの時のように）。
　菅首相の「現実主義外交」は、はたしてどうか？「国民や世界の人々が不幸になる要素をいかに少なくしていくか」「貧困・戦争などをなくすことにこそ、政治は力を尽くすべきだ」と言っているのだが。
　菅首相は「時には自国のために代償を払う覚悟ができるか。国民一人ひとりがこうした責任を自覚し、それを背景に行われるのが外交である」とも言っている。しかし沖縄県民の多くは、自国のためにこれまで負わされ続けてきた基地負担を今後も負い続けるなんて、そんな覚悟はもうできないと言っているのである。また、沖縄県民以外の日本国民にしても、その「代償」をずうっと払い続けるなんて、そんな「責任の自覚」を求められても困るわけである。「覚悟」を言うならば「基地を維持して戦争もやむをえないとする戦争の覚悟」ではなく、「基地を撤去して、戦争だけは止めさせる不戦の覚悟」というものもあるはず。「戦争の覚悟」と「不戦の覚悟」、そのどちらが、より現実的・合理的か（国益と国家の損失の損益計算に照らして―とは言っても戦争をやったら、人的・物的な資源の消耗・損失・惨害を考えれば、何もかもお終い、それでもいいのかだ）。
　現実主義とは、空想や主観的情緒に陥らずに現実に則して合理的に物事を考える立場だが、それには二通りがある。一つは、現状を肯定して踏襲。それに対して、もう一つは、現実を踏まえながら、理想に向かって現状を変革。（理想主義とは、単なる空想とは異なり、現実主義でも後者のそれと両立する。）
　日米同盟関係と沖縄の基地についても、現状―前政権・前首相の日米合意―を肯定・踏襲するのと、変更するのと、二通りあるが、菅首相の「現実主義」は前者。
　菅氏は01年民主党幹事長当時は「海兵隊は即座に米国内に戻ってもらっていい。民主党が政権をとれば、しっかり米国に提示することを約束する」と言っており、06年党代表代行当時は「あそこ（沖縄）から海兵隊がいなくなると抑止力が落ちるという人がいますが、海兵隊は守る軍隊ではありません。地球の裏側まで飛んでいって攻める部隊なのです。・・・・沖縄に海兵隊がいるかいないかは、日本にとっての抑止力とはあまり関係のないことなのです」と言っていたのに、政権の座に着いた今は、「東アジアの安全保障環境には最近の朝鮮半島の情勢にみられるとおり不安定性・不確実性が残っている現時点において、海兵隊をふくむ在日米軍の抑止力は、安全保障上の観点からきわめて重要だ」との現実認識で在日米軍基地の維持を肯定する。一方、基地を押し付けられている沖縄県民の物理的・精神的負担の現実（その深刻な実態と切実な願い）も解っている（？）、そのうえで、「移設」受け入れをあくまで県民に「説得」しようというつもりなのだろう（「誠心誠意説明し、理解を求めていく」とは言っているが、県民の「合意を得る（それが前提だ）」とは言わない）。
　（その「説得」とは説得工作―基地所在市町村長・議会の移設容認派に根回し・交付金・「地域振興策」・地元土建業者などへの利益誘導、「辺野古に移設すれば普天間基地住民の負担軽減は可能となるが、そこへ移設しなければ普天間はいつまでもそのままだぞ」と脅す―「アメとムチ」で地元切り崩し）
　８月には辺野古のどこかに滑走路の場所、工法を決定。９月に名護市の市議選、11月に沖縄県知事選がおこなわれる。この間、移設容認派の拡大に向けて説得工作を進めていくのだろう。

　菅首相は市民運動からスタートした政治家だというが、彼が「現実主義」といっても、権力（日米の支配層）の立場に立って（自らの政権維持とともに）現状維持に帰してしまうのであれば、それはもはや自民党同様の保守主義であって市民主義ではない。市民（民衆）の立場に立って、彼らの置かれた現状を変革してこその市民主義だろう。
　消費税（富裕層・貧困層の別なく一律５％から10%に増税）のこともそうだ。権力（支配層・富裕層）の立場に立ってそれを容認するか、庶民の立場に立って反対するかだ。（財政赤字解消・財源の確保のためというなら、それは、所得税の最高税率を上げて富裕層に増税、大企業の法人税減税・証券優遇税制などやめること、事業仕分けの徹底、特別会計における「埋蔵金」の廃止、それに米軍への「思いやり予算」など軍事費のカット等によって行うべきなのだ。）
　普天間基地の県内移設容認といい消費税増税容認といい、菅首相が推し進めようとしている政策は「最少不幸社会」からは、むしろかけ離れ、自民党と同様に、かえって不幸な人々を増やす方向に向かうのではあるまいか。
　鳩山前首相の理想主義（現状―辺野古移設案へ回帰など自民党前政権の路線に逆戻り）も空しかったが、菅新首相の現実主義も、現状維持よりも消費税増税などもっとひどいことになるのだとすれば、なおさら空しい。
      
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   <title>鳩山から菅への首相交代と世論（加筆・修正版）</title>
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   <published>2010-06-13T15:37:22Z</published>
   <updated>2010-06-19T08:31:33Z</updated>
   
   <summary>　鳩山首相は退陣の弁で「米国に依存し続ける安全保障が50 年、100年続いていい...</summary>
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      　鳩山首相は退陣の弁で「米国に依存し続ける安全保障が50 年、100年続いていいとは思わない」「日本の平和を日本人自身で作り上げていく」と、その「思い」を述べている。しかし「思い」だけで終わらせてならないのだ。
　鳩山氏は、その後（６月11日、ＢＳ朝日の番組で）「反省の弁」。いわく「アメリカは辺野古で非常に固かった。外務省も防衛省も今までの経緯があるものだから、『最後はここ（辺野古）しかないぞ』という思いがあった。」「（県外移転には米国だけでなく、外務・防衛両省とも非協力的であった。）本当は、みんな説得するぐらいの肝が据わってなきゃならなかった」（もっとリーダー・シップがあれば）と。しかし、鳩山首相が決断した閣議決定に自分も署名した菅氏は、後継首相に指名されると早々にオバマ大統領と電話会談をして「日米合意」の継続を約束、関係閣僚（外務・防衛・沖縄担当大臣）を留任させ、所信表明演説では「日米合意を踏まえつつ、同時に沖縄の負担軽減に尽力する覚悟」、「外交・安全保障は今後も日米同盟を機軸とし、日米同盟関係を深化させる」と言いきった。
　一方、世論のほうは、５月31日発表の世論調査では、鳩山首相が（辺野古移設を日米合意して）決めた政府方針を「評価する」が27%、それに対して「評価しない」が57%であった。ところが菅首相就任後、６月10日発表の世論調査（いずれも朝日新聞）では、新首相の「日米合意を踏まえての対応」を「評価する」が49%、「評価しない」が26%。首相が変わっただけで、辺野古移設の基本方針は変わりないのに、それに対して「評価する」が「しない」を上回り、逆転してしまっているのだ。「世論も世論だ」ということか？
　しかし、沖縄の世論は５月31日発表の世論調査（琉球新報と毎日新聞の合同調査）では辺野古移設に賛成6.3%に対して反対が84.1%であり、日米安保については「維持すべきだ」が7.3%だけ（「平和友好条約に改めるべきだ」が54.7%、「破棄すべきだ」が13.6%、「多国間安保条約に改めるべきだ」が9.7%）。首相が菅氏に替わったからといって、それが逆転するなどということはあり得るだろうか。
　マス・メディアの立つ位置を見ると、朝日など主要メディアは、日米同盟はもとより、海兵隊の「抑止力」も肯定。朝日は昨年12月29日の社説で「日本防衛や地域の安定のため海兵隊が担ってきた抑止力は何らかの形で補う必要がある」と書いており、その後にわたって「（沖縄県民の基地負担）分かち合いの必要を全国民に訴える」など県外移設論にとどまり、無条件撤去・国外移設は問題外というスタンス。全国紙に対して「琉球新報」や「沖縄タイムス」などの地方紙は「抑止力」論を批判している。
　消費税増税も、朝日などはかねがね社説でそれを促しており、同紙が行った6月14日発表の世論調査では消費税増税に賛成が49%で、反対44%を上回っている。
　このようなマス・メディアの世論誘導があるわけである。
　ジャーナリズムには権力チェックの役割と中立性の原則というものがあるが、営利企業でもある新聞社や放送局はもとより、「公共放送」といわれるＮＨＫにしても、あらゆる人々にたいして公正・中立かといえば、それはありえない。多様な興味・関心・要求・意見をもつ人々のうち、その多数派に照準を合わせ、かれらの意に沿った論調を展開する。多数派といえば、前政権の自民党と新政権の民主党のどちらかで、このところの「小鳩政権」批判など民主党に対して厳しい論調が続いているのに反発して、「政権が替わったのに、マスコミは政権交代をしていない」といってメディア批判をする向きもあるが、朝日など主要メディアは、いずれにしても基本政策に共通点の多い自民・民主「二大政党制」肯定の立場で、そのどっちかであればよく、少数派にとっては公正・中立でもなんでもないわけである。
　このような主要メディアからは、普天間基地問題でも「無条件撤去」論が（沖縄県民の間ではそれへの支持が一番多いのに）取り上げられることはほとんどなく、「安保反対」論が取り上げられることもほとんどない。それに「消費税増税反対」論が取り上げられることもいたって少ない。
　これが日本のマスコミなのだ。
 

      
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   <title>「『普天間』で覚悟」とは？</title>
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   <published>2010-06-05T08:56:26Z</published>
   <updated>2010-06-05T09:00:13Z</updated>
   
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      　「『普天間』で我々も覚悟必要」との投稿があった。日本の安全保障の問題を国民全員が熟考すべきだというのは、その通りだと思う。
この問題で「覚悟」と言う場合、もっと突き詰めて考えれば、「戦争の覚悟」にたいして「不戦の覚悟」というものもあり得るわけで、そこのところにも考え及ぼす必要があるのでは。
　ところで、「抑止力」とは武力攻撃や戦争をしかけてくるのを抑止するための軍備。
日米同盟も米軍基地も、その「抑止力」というわけ。そこには、「もし攻撃をしかけてこられたら応戦し反撃する、その用意がある」ということで、「やむを得ざる戦争」を容認し、「いざとなったら戦争も辞さないという覚悟」を前提にしているのが抑止力論だろう。
　そのような「戦争の覚悟」に対して、「戦争をしない覚悟」というものもあるのでは。
　我が国では、憲法が政府に命じているのは戦争放棄と交戦権の否認であり、その下で我々日本国民に求められているのは「不戦の覚悟」のはず。
　実際問題として、「覚悟」とはリスク（惨害をこうむる危険）に対する覚悟であるが、戦争にともなうリスクと不戦（戦わないこと）によってこうむるリスクとで、どちらがよりリスクが大きいか。現代戦争のありようから考えれば、戦争にともなうリスクのほうがはるかに大きいと考えられ、覚悟なら「不戦の覚悟」こそ必要なのでは。

　
      
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