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2015年10月 アーカイブ

2015年10月01日

軍事抑止力論は虚構

 安倍首相は、中国は「軍事費が26年間で40倍になった」とか、「海洋進出が強引だ」とか、北朝鮮は「日本を射程に入れる数百発の弾道ミサイルを配備し、核開発を進めている」と言って、その脅威を強調している。
 そして、それらの国から我が国が攻撃され戦争をしかけられることのないようにしておかなければならないとして、安倍首相は「戦争を未然に防ぐため」「抑止力を高めるため」安保法制が必要なのだという。
 その安保法制も沖縄基地も賛成だという論の決め手は、いずれも、中国・北朝鮮の脅威とそれに対する「抑止力」としてそれらが必要だからだ、というところにある。
 ある国が攻撃をかけ戦争をしかけてくると見なさる根拠には①必要性(正当な理由、大義名分)があること、②戦争能力を持っていること、③その意図を持っていること、それら3要件がなければならないが、安倍首相やその賛成論者があげているのは、中国・北朝鮮とも、そのうちの②の戦争能力を持っていると見なされることだけである。北朝鮮は「東京を火の海に」などと言い立てたりするが、それは脅しに過ぎず、東京を射程におさめる弾道ミサイルを保有していることを誇示しているだけに過ぎない。これらの国が日本に対して、或いはアメリカに対しても、韓国に対しても(挑発的言動はあっても)自分の方から本気で戦争を仕掛ける必要性も意図もあるとは思えまい。
 それに、そこには、その抑止力は必ずや効くものだという思い込みがある。第一その軍備は「抑止力」のつもりでも、抑止効果は立証できない不確かなものだということ。なぜなら、相手が攻撃を仕掛けてこないのは、その抑止力が効いているせいだとはかぎらず、それらの国には日本に戦いを挑まなければならない必要性などあるのか定かではないし(賛成論者は中国や北朝鮮などの脅威を強調はしても、それらの国が我が国に戦争をしかけてくる蓋然性が認められる具体的な根拠があるのかといえば、その指摘はほとんど見られない*)、そもそも、それらの国に戦争しかける意図などないからにほかならない、とも考えられるからである。それにまた、こちら側の「抑止力」強化に対して、相手はそれに屈して軍事対抗から手を引くとはかぎらず、むしろこちら側と同様に自らの「抑止力」増強に意を注ぐこともあり得、その結果、双方とも互いに軍事強化・対決に傾き、偶発的な軍事衝突から戦争に発展する事態を招き、抑止どころか、かえって戦争を招く結果をもたらすとも考えられるからである。

 *朝日新聞9月27日付「長谷部・杉田『考論』」欄で長谷部早大教授いわく、「安保法制の必要性を説く人たちは具体的な必要性を論証しようとしない。中国が怖い、北朝鮮も怖い、だから軍事的オプションを増やさなければならない、としか言えない。これは安全保障論ではなく「安心保障論」。不安そのものをなくそうとしてもきりがありません」と。
 軍事抑止力というものは、「備えあれば憂いなし」とはいっても、地震・台風など自然災害なら備えあればその減殺効果は明確だが、軍備の抑止効果は不確かで、要するに「気休め」という心理的抑止効果しかないのだということだろう。

 軍事攻撃(武力行使・暴力)に対して軍事的抑止力(武力・暴力装置、軍事同盟・それらの運用を可能とする法制をも含めて)では、たとえ圧倒的な軍事力を以てしても、サイバー攻撃やテロやゲリラ・自暴自棄的な玉砕戦法など抑止しきれない―憎悪の連鎖は続く。
 憎悪による暴力・軍事攻撃には非暴力・非軍事的手段(「敵を愛す」―味方に変える―こと)で抑止するのが最善―それが9条による平和的安全保障。

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10月のつぶやき                                   7934
●朝日川柳に「外遊は気紛れ気晴らし気が紛れ」。その欄の上に、風刺漫画―「議事堂のシャッターに『国会閉会中』と張り紙。その前に野党の党首らしき面々が立って『早く質問させろよ!』と叫んでいる」。首相にこけにされている野党、いや、こけにされているのは国民だろう。
 野党は憲法53条(衆参いずれかの議員4分の1以上の要求あれば、内閣は国会を開かなければならぬ)に基づいて臨時国会開催を要求したにもかかわらず、首相はそれに背を向け中央アジア諸国歴訪を優先。国民にとっては、今、首相や国会議員に是非やってもらいたい緊急課題(安保法・TPP・沖縄新基地建設・原発再稼働など、納得できない国民に対して説明責任)があるのに、それらと外遊、優先順位はいったいどっちが上なんだ?それに憲法違反にさらに違反を重ねてはばからないこの横暴
●稲刈りの終わった誰もいない田んぼ道。当方はひたすら歌の散歩。♪この9条 救うために 声なき声よ 集え 我が9条 ・・・・♪(沢田研二の「我が窮状」) 
新聞「声」欄に、最近沙汰やみの感じだった安保法制やアベ政治に関する投稿だが、「山形県83歳 無職」という方の「安保法反対の訴え これからも」という投稿があった。「辻立ちやビラまきは続けていくつもりだ」と。偉いもんだな。
●小野川温泉の近く(簗沢)、山の栗園に栗拾いに行ってきた。女房と。当方は熊の出没が気になって歌(いつもの散歩の歌)を唄いながらうろつき、栗の木の下に散らばり落ちているイガ栗を拾い集めた。二人で3.5キロg(代金2,400円)。
 女房の言い分―当方が拾ったのは5分の1だけ、「これじゃ一億総活躍なんて、とても無理」だって。
●稲刈りも大部分終った田んぼ道、吉川晃司の「イマジン」と、ネット動画で一緒に憶えた沢田研二の「我が窮状」を歌ってみた。「勝手にさがれ」はレパートリーに入っていたが、よおし、これも加えよう。
●朝日新聞の「声」欄に、最近のデモ・集会に際して、皆で唄える何か適当な歌がないものか、といった投稿があった。・・・・やはりイマジンかな、但し日本語の、と思って、ネットで調べてみたら、忌野清志郎の他いくつかあって動画を聴いてみたが、吉川晃司(被爆二世)が以前8月6日広島球場の試合前のセレモニーで、被曝ピアノの伴奏で一番だけ歌っていたのがあった。このあたりかな、と思って、歌詞をメモして何回か聴いて憶え、田んぼ道散歩に行って唄ってみた。ジョンレノンの英語の歌詞も歌えるが、日本のデモで歌うなら、これがいいんじゃない。
 ♪天国はない ただ空があるだけ 国境もない ただ地球があるだけ
  みんなが そう思えば 簡単なこと さあ
  放射能もいらない もう被爆もいらない 偉い人も 貧しい人も 
  みんなが同じならば 簡単なこと さあ
  夢かもしれない でも その夢を見ているのは
  一人だけじゃない 世界中にいるのさ ♪
●朝日新聞・連載・四コマまんが『地球防衛家のヒトビト』から―
 「一億総活躍ってなー」・・・「しかし、この年から活躍と言われても・・・」「一億総ゴロゴロの方がいいと思います」・・・・同感
●田んぼ道、唄い歩いているうちコースの半分を過ぎたあたりで便意をもようしてきた。柔らかいうちに出しておかないと痔に悪い。やむなく、辺りを見回し、・・・・・・。♪命は一つ 人生は一回だから・・・・青くなって 尻込みなさい 逃げなさい 隠れなさい♪(「教訓1」)
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 俳人・金子兜太氏の筆 掲示呼びかけ人―瀬戸内寂静・澤地久枝・永六輔・日野原重明氏ら
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来るべき選挙へ野党の大同団結への動き

 自公政権によって戦争法がクーデター的に強行採決され、立憲主義・民主主義が踏みにじられ、今や「政治の非常事態」にあり、この際、来夏の参院選、その後の総選挙に向けて野党は自公とそれに同調する準与党に対して大同団結して選挙に勝を制し、国会で過半数議席を獲得して新安保法(戦争法)を廃止し、立憲主義・民主主義をとり戻すのだと共産党が呼びかけた。これは大歓迎だ。
 同党は『国民連合政府』構想まで打ち出しているが、そこまで行けるか政権合意は容易ではなかろうが、安保法案に反対した野党(民主・維新・共産・社民など)が「戦争法を廃止し、立憲主義・民主主義をとり戻す」という一点で引き続き共闘、すべての政党・団体・個人が思想・信条・立場の違いを乗り越えて大同団結して国民運動を展開し、選挙に際しては候補者調整・統一候補を立て選挙協力、これが反自公・反安保票の受け皿となって自公を上回る得票と議席を獲得し、国会で新安保法の廃止を議決、自公政権の「閣議決定」撤回へ持ち込むと同時に、立憲主義・民主主義をとり戻す、という、この方向に期待せずにはいられない。

 尚、最近の世論調査(9月5日朝日)では
      内閣支持率 支持 36%
              不支持42%
      政党支持率 自民 36%   民主10%  支持政党なし37%
            公明 3%    維新 2    答えない・分からない6
            次世代0     共産 4
            その他0     社民 1
                    生活 0
                    その他 1
  仮に「野党連合」が成立したら、どれだけの支持が得られるか(自公を上回れるか)だ。

2015年10月06日

護憲でも自衛隊そのものは容認の人も

 先の高校生の方の投稿『護憲派へ、自衛隊は違憲でしょ』には、「立憲主義を貫き通すならば、整合性を取れる立場は改憲論者か自衛隊解散論者だけだ」、「護憲だけれども、自衛隊は現状のままでよいというのであれば立憲主義を語る資格などない」とあったが、もしそうだとしたら、朝日新聞社は(現状の自衛隊を否認してはいないし、改憲を主張しているわけでもない、とすれば)立憲主義を語る資格はないとなるのか?
 護憲の立場でも、自衛隊は普通の軍隊とは異なり、自衛のために必要最小限度の実力(自衛力)は持っていても、9条が否認している対外戦争のための戦力も交戦権も持ってはいないという合憲解釈で、歴代内閣法制局がそれなりに立憲主義を踏み外してはならないとの立場から論理的に整合性を取って、(個別的自衛権―専守防衛に限定しつつ)ぎりぎりのところで許容限界を守って違憲立法を審査して認めてきた現状の自衛隊の存在を是認している、いわば護憲的自衛隊合憲論者もいるわけである。
 しかし、安倍内閣は、その憲法解釈をがらりと変更して、これまで認めてこなかった集団的自衛権の行使までも容認する閣議決定を行い、それを盛り込んだ新たな安保法制につくり変えた。それに対して憲法学者の圧倒的多数および元内閣法制局長官、元最高裁長官までも違憲だとの見解を表明したにもかかわらず、多くの異論・反対を押し切って、国会で与党議席の数に物を言わせて採決を強行、多数決で法案を通した。それは明らかに違憲立法であり、立憲主義を踏みにじるものとしてそれを糾弾するのは誰であれ当然なのでは。
 現下の問題は自衛隊そのものの存在が違憲かどうかの問題ではないのであって、自衛隊なのに国外で米軍など他国軍までも「他衛」する集団的自衛権の行使容認の新安保法を一内閣一国会で憲法解釈の独善的な変更と強引な多数決だけで立法を強行した、そのような立憲主義の破壊を許しておいていいのかの問題だろう。

2015年10月14日

吉川晃司の「イマジン」なんかどうかな

 先の投稿「『戦争NO』共に歌える歌ほしい」。「音楽家のみなさん」に「作って下さい」とのことだが、とりあえず今ある歌で何かないかなと考えた。
 ところで当方、日頃、散歩を励行しているが、誰もいない田んぼ道を思い切り唄いながら歩いている。「花は咲く」とか「昴」・「千の風」とか。時には北川てつの「憲法の歌」(憲法前文に曲をつけた)や“We shall overcome”なども歌ったりしているが。最近、集会で加川良の「教訓1」を初めて聴きつけて、ネット動画で憶え、これも歌っている。
 そこで、デモで「共に歌える歌」に日本語の「イマジン」なんかどうかなと思いついて、ネットで調べたら、忌野清志郎が歌っているやつなど幾つかあって、その中に吉川晃司が一昨年の8月6日広島球場の試合前セレモニーで歌っていたのがあった。沢田研二の「我が窮状」もいいが、吉川の「イマジン」は一番だけで短くて歌詞は単純明快。これなら、みんな知っている歌で、直ぐ憶えられていいかな、と思って、田んぼ道散歩で唄ってみた。
 「天国はない ただ空があるだけ 国境もない ただ地球があるだけ みんなが そう思えば 簡単なこと さあー 放射のもいらない もう被爆もいらない 偉い人も 貧しい人も みんなが同じならば 簡単なこと さあー・・・・」

2015年10月15日

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米沢市六郷 鬼面川橋(北へ)渡って間もなく左側に置賜民資料館そこに付設

自衛隊は軍隊ではなかったはず

 安倍首相は自衛隊を「我が軍」と言い、国際法上は軍隊と見なされると。しかし、憲法9条(戦争放棄・戦力の不保持・交戦権の否認)の下では自衛隊は軍隊とは異なり、我が国に対する急迫不正の侵害(直接攻撃)があった時の自衛のための必要最小限度に実力行使は限定される。その国土防衛以外には災害出動や警備活動などもあるが、海外に出て行って紛争に介入したり参戦したりして武力行使することはできないことになっている。
 ところが、湾岸戦争後、PKO(国連平和維持活動)に派遣できるようにされ、また同時多発テロ後には「特措法」によって米軍や多国籍軍への「後方支援」「人道復興支援」活動に「非戦闘地域」などに限定して派遣できるようにされた。
 そして今回、安倍政権による憲法解釈変更の閣議決定によって、自国が攻撃されなくても同盟国等が攻撃されて、危険が我が国に及ぶと判断すれば、それに対して武力行使ができるとして集団的自衛権の行使もできるようにされることになった。(集団的自衛権というのは、この場合、米軍など味方の他国軍を守る「他衛権」というべきものであり、味方が攻撃されて自国に危険が及ぶと感じて、自国が攻撃されてもいないのに、その敵国軍を攻撃するというのは、相手国から見れば先制攻撃ということになる。)それは自衛の範囲を越えており、9条の許容範囲を越えるものと見なされよう。
 また、それをも含めて新安保法制で、恒久法によって戦闘地域における(支援する味方の武力行使と一体化した)兵站活動にまで自衛隊を派遣できるようにされ、PKOにおける自衛隊の任務も拡大させ、住民防護・巡回・警備・検問、それに他国部隊を加勢する「駆け付け警護」も加えるようにし、その際の(任務遂行のための)武器使用も、それまで自己防護などに限定されてきた以外に使用できるようにされることになった。こうなるといや応なしに戦闘(武力行使で、殺し殺される事態)は避けられなくなるわけである。
 こうなると、それまではまだ、9条の(自衛以外には武力行使は許されないという)許容範囲にぎりぎりセーフと見なされてきたものを完全に越え、もはや「自衛隊」ではなく完全な「軍隊」に化したと言わざるを得まい。
 護憲派でも、自衛のための必要最小限度の実力組織としての自衛隊は(災害出動などで大きな役割を果たしてきたこともあって)9条とは両立できるものとして認めてきた人たちもいるわけであり、その人たちが今回、集団的自衛権の行使容認など新安保法制は、もはや自衛隊合憲解釈の一線(レッドライン)を越える違憲立法であり、その強行は立憲主義を覆すものだとして、立憲主義を守れと主張するのは、(9条改憲論者か自衛隊解散論者だけとは限らず)誰であれ当然のことだろう。
 自衛隊は軍隊なのか否か、自衛隊の定義と軍隊の定義など国際法上厳密な定義はどうあれ、自衛隊は米軍・ロシア軍・中国軍など他国の軍隊とも、又かつての日本帝国の軍隊とも性格は全く違うことは明らか。それが今や、その自衛隊が新安保法制によって米軍との一体化を一層強めるようになったことと相まって、それら他国の軍隊やかつての日本帝国の軍隊と同然と化してしまう。それでもかまわないのか。否、その方がいいし、それでもまだ不十分で、正式に改憲して(9条を書き変えて)軍隊として正式に認めるべきだともいうのだろうか。安倍首相はそういう考えだが、国民はどうなのだろうか。そして高校生など、これからの日本を担う若い有権者たちは。

テロも戦争も人殺しであり、悪

 先の中学生の投稿、「空爆も人殺しにほかならない」。ISの残虐行為に対して「空爆する側は『正義』を掲げるが」、「空爆は「『非人道的で残虐』ではないのだろうか。それとも、『毒をもって毒を制す』という言葉の通り、残虐な行為に対しては、残虐な手段をとってもよいのだろうか」、「やってもよい人殺しは、この世に存在するだろうか」と。
 米国では原爆投下は必要やむをえなかったとして正当化し正義に適うものとする向きがあり、我が国では刑法犯罪の最高刑として死刑が認められているが、それらは感情的(復讐心を満足させる)或いは政治的戦略的・法的には「正義」だとしても、道徳的にはあくまで悪である。それに対してナイチンゲールや「国境なき医師団」のような行為こそが善行であり、我が国の現行憲法9条は、戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、(国際紛争を解決する手段としてはたとえ「正義」ではあっても)悪として避けなければならないことを定めたものと解する。
 道徳の根本原理は「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」(論語)、「自分を愛するように隣人を愛せよ」(新約聖書)、「人を単に手段としてではなく、常に同時に目的として扱うように行為せよ」(カント)といった言葉で言い表されよう。この原理に照らせば戦争や空爆や死刑も人殺しであり悪なのであって、人として極力、避けなければならないことなのである。「汝、殺すなかれ」。それは、もし人を殺してもかまわないなら、自分も殺されてもかまわないことになるからにほかならない。
 「悪いことに対しては『悪い』と声をあげることが今、大切だ」との中学生に同感!

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