米沢 長南の声なき声


ホームへ戻る


「自衛・個別的・集団的自衛権」とは―日米安保条約の改定
2015年09月01日

●自衛―武力(暴力装置)で守る―武力(他者への暴力)の正当化―「暴力の源泉」→エスカレート
●国際法―すべての国が自動的に拘束されるとか、常に国内法に優越するなどということもない
  強い「義務」を定めた国際法規(武力行使・威嚇の禁止規定、根本的な人権を保障した条約や国際人道法などの法規)の場合は、いずれの国も拘束されるが、
  「権利」を定めたものは、無理やりその権利を行使し、その法規を実施しなければ国際法違反になるということはない。国際法上の「権利」だからといって、それをもって違憲立法を正当化することはできない
●自衛権―(個別的自衛権の場合も)国連国際法委員会が2001年採択した国家責任に関する条約案(『国家責任条文』)21条に「自衛は権利ではなく違法性阻却事由」と―本来は違法な武力行使だが状況から判断して違法性が取り除かれる(免除される)行為だというわけ。
 「権利」だからといって乱用してはならない(そもそも権利ではない)
  乱用―「先制的自衛」と称して先制的に使われがち(同時多発テロ→アフガン攻撃)
        ↓
        現行国際法上、国々の権利として認められているとは言い難い
●集団的自衛権―国連憲章には定義や行使要件など一言も書かれていない(意味内容の不明な概念)―自然権ではない
 同盟政策―特定の仮想敵を念頭(想定)―敵対関係を潜在的に抱え込む―集団安全保障とも本来の自衛権(個別的自衛権)(仮想敵を想定しない)とも論理構造を全く異にする。

 抑止力―軍事的抑止力―武力による強圧・威嚇で挑戦を抑止―相手は対抗・反抗、軍備増強⇒軍拡招く、非対称な(弱小な)相手は生物・化学兵器などの「弱者の兵器」やテロで反抗
 平和主義―愛(隣人愛・人類愛)により挑戦を抑止―軍事的抑止力はそれとは本質的に別物
  積極的平和主義―単に戦争のない状態(消極的平和)に対して、貧困や差別など構造的な暴力のない状態(積極的平和)をめざす(ノルウェーの平和学者・ヨハン・ガルトゥング
博士が提唱)―安倍政権の「積極的平和主義」は軍事的抑止主義で全く違うもの

 <参考>世界9月号(2015)最上敏樹・国際基督教大学名誉教授『国際法は錦の御旗ではない』

●日米安保条約の事実上さらなる改定
  旧安保条約・前文―「日本国は武装解除されているので・・・・固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない。無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので…日本国には危険がある。・・・・集団的安全保障取極めを締結する権利・・・個別的及び集団的自衛の固有の権利・・・これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその付近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。」(→「9条と日米安保」セット論)
     片務性―米国は日本を守る責任を(義務としてではなく「恩恵」として)負うも、日本は米国に基地提供義務を負うも米国を守る義務はない(相手国を守る防衛義務は法的には双方ともない)。
  現行安保条約・前文―「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、相互協力及び安全保障条約を締結する」
     双務性へ―共同防衛義務―日本も米国を守る―但し、日本の施政下の領域内で
―在日米軍・基地に対する武力攻撃に対処。
       共同防衛の対象は「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」に限定(5条)。
       共同防衛の発動は「自国の憲法上の規定及び手続」に従わなければならない。
       米軍の日本国への配置における重要な変更、装備における重要な変更(核兵器の持ち込みなど)と在日基地の戦闘作戦行動のための使用には事前協議が必要。

 憲法は、自国のため、他国に武力行使してもらう権利(消極的行使)は事実上容認も、他国にために武力行使する権利(積極的<能動的>行使)は認めてはいない。
 政府の説明(解釈)―これまでは「日本が行使できるのは個別的自衛権だけ」と―米国にとっては、日本をも守るという集団的自衛権だが、日本にとっては、その領域における米軍への攻撃は日本への攻撃だから個別的自衛権だと。
 在日米軍基地は「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」に米軍が使用することを許される(6条)が、日本の平和と安全に直接関係ない事態については事前協議で米軍の出動は拒否できる。
 しかし、領海を航行中の米艦や領空を飛行中の米軍機への攻撃は、日本にとっては「武力攻撃」ではなく領域侵犯にとどまるはず、なのに、これに対して武力によって自衛権を発動すれば、それは集団的自衛権の行使となる。陸上基地への攻撃であっても、米軍はこれを「極東における国際の平和及び安全」のために使用できるから、このような基地を供与し、かつ防衛することは集団的自衛権によらなければ正当化できない。それ故、現行安保条約は、国際法上は日本にとっても集団的自衛権を根拠にしていると見なされる。
 また、日本の領域外における米国に対する攻撃については、日本は「憲法上の規定」を根拠として共同防衛を今まではそれを断れた。ところが、今回の憲法解釈の変更による集団的自衛権行使の容認で、それが断れなくなるし、等しく共同防衛の義務を負う完全な軍事同盟条約に転化、それも単なる抑止力ではなく、戦う同盟に転化。
 「極東」という範囲限定のなくなり、グローバル化(地球規模に拡大)
 これらは日米安保条約の事実上の改定を意味する(国会承認を受けることなく)。 

 <参考>世界3月号(2015) 松井芳郎・名古屋大学名誉教授『日米安保体制の変容と集団的自衛権』


ホームへ戻る