米沢 長南の声なき声


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軍事的抑止力って、はたしてどうなの
2015年09月25日

 集団的自衛権行使容認の安保法制も沖縄基地も「戦争を未然に防ぐための抑止力」というが、はたしてどうなのか。
 キッシンジャーいわく、「抑止の効果は、実際には(攻撃・戦争)“起こらない”ことによって、消極的な方法で試される。しかし、それが、なぜ起こらないかを立証することは絶対不可能である」(戦争が起きた原因は立証できるが、起きない原因は立証できない)と。
 軍事力(自衛隊や日米同盟、それらを運用する為の「安保法制」など)の「抑止効果」なるものは、実際、はたして効いているのかどうか、それは撤廃してみないと分からない(撤廃してみたら、そのとたんに敵が攻め込んだきたという事実を見なければ)。しかし、それを実験としてやるわけにはいかない(撤廃して攻め込まれたらお終いだから)。
 核抑止は、実際、はたして効いているのか、それは撤廃してみないと分からない。しかし、撤廃したとたんに、相手から核攻撃されたらお終いだ、というわけだ。
 北朝鮮は、自らの核武装をアメリカの攻撃を抑止するためだという。アメリカも自らの核戦力を相手からの攻撃を抑止するためだと、お互いに自らの核開発・保有を正当化。しかし、いずれも、その抑止効果は立証できないわけである。互いに主観的に、「抑止力」だと思い込んでいるだけにすぎない。その効果は心理的効果にほかなるまい。
 中国も北朝鮮も日本を攻撃・侵略しないのは日米同盟の抑止力が効いているからだといっても、それは立証のできない、都合のいい結果論にすぎないのだ。

 市民・個々人が銃を持てば、それが強盗・殺人などに対する抑止力になるのか。アメリカではそれが認められているが、日本では認められていない。それで日本では強盗・殺人などの犯罪がアメリカより多いかといえば、むしろ逆で、はるかに少ない。
 警察の「抑止力」が市民に安心感を―しかし、その地区で犯罪が起きていないとしても、それは警察のおかげかどうかは、証明できない、他の理由もあるかもしれない。
 少なくとも、警察官がぶら下げている拳銃(武器―とっさの時に攻撃や逃亡を阻止するため威嚇射撃をやることもあるが、基本的には護身用にすぎない)がおっかなくて、犯行を思いとどまるなどということはあり得まい。おっかないのは警察官が武器を持つからではなく、強制権限(行政権限・司法権限)をも持つからにほかならない。
 その抑止効果は心理的な安心感にほかならない。

 警察力(法的強制力)―警察官の拳銃など武器は、あくまで護身用・防御用。
 軍事力(武力)―軍隊の武器・兵器は防御用(盾)でもあり攻撃用(矛)でもある。それを持つことによって、相手の攻撃を抑止できるのは、それが単なる相手からの攻撃を防ぐ盾にとどまらず、攻撃も(先制攻撃も)かけようと思えばかけられることになっているからであり、「いざとなったらやるぞ」という攻撃意思を見せることによって抑止できるのである(その武器・兵器は単なる防御用でもなければ、見せ掛けの「張り子の虎」でもない)。軍事的抑止力は、単なる抑止力や防御力にとどまらない、いざとなったら全面戦争も辞さない覚悟(意思)があることを前提にしているのだということを見落としてはならないということだ。
 それに対して相手はおとなしく引き下がれば(核・ミサイルなど撤去・放棄すれば)、効果てき面ということになるが、相手が対抗して、同じように「抑止力」と称して軍備増強すれば、かえって軍事衝突、そこから全面戦争にも発展するという危険がともなうことになるわけである。つまりは相手次第ということなのであって、自国側の一方的な思い込みだけでは抑止力は成立しないということだ。
 尚、沖縄(在日米軍基地の74%が集中)、そのうちの75%が海兵隊基地(名護市辺野古も)は抑止力か―そもそも海兵隊は海外への攻撃部隊(「殴り込み部隊」)なのであって、日本本土国民や沖縄住民を中国・北朝鮮などの攻撃から守る防御用部隊ではない。むしろ沖縄住民にとっては、そこが中国からも北朝鮮からも弾道ミサイルの射程内にあり、そこに海兵隊基地があることによって標的にされるだけで、彼らに島を守ってもらえるというのは大間違い。
 それに尖閣など、台湾とともに中国本土に近い離島へ揚陸艦やオスプレイで海兵隊の上陸作戦を敢行しても、制空権が中国軍に握られている(という現実がある)限り、それも不可能だし。


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