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2005年07月 アーカイブ

2005年07月01日

大陸へも追悼慰霊に

 戦没者追悼は、自国内で自国民にたいしてだけでなく、海外で、自国民のみならず他国民にたいしても行うべきだろうと思うのです。
 小泉首相は、過日、現職首相としては初めて硫黄島を訪れ、慰霊碑に手を合わせてこられた。また、天皇・皇后両陛下も初めてサイパンへ慰霊に行ってこられた。両陛下は、これまで硫黄島・沖縄・広島・長崎、そして大空襲のあった東京へと赴かれ、それは「慰霊の旅」と称されている。サイパン島には日本と現地政府が合同で建てた戦没者慰霊碑があり、慰霊の対象は中部太平洋海域で戦没した人々で、国籍は限定されていない。この碑の他に、両陛下は現地島民・米軍人・沖縄県出身者・韓国人それぞれの碑を回って慰霊してこられたという。
 それにつけても、戦没者が圧倒的に多いのは中国です。首相は、そこへも慰霊に行ってきてくれればよいものを、と思わずにはいられません。「相手国が抵抗感をあまり持たずに受け入れるか」という心配はあるでしょうが、とにかく、そこへ行って碑の前でひざまずき頭を垂れてくることなのです(もうずっと前に、ドイツのブラント首相がポーランドを訪れてそうしたように)。

2005年07月02日

問題の歴史・公民教科書

 以下は、当地の教科書採択に先だって行われた教科書展示会で、今国内外で問題の歴史・公民教科書―扶桑社版―を読み、アンケート用紙に意見として書いて出してきたものに若干の補足・修正を加えたもの。
[歴史]
 この教科書は、21世紀後半にわたって生きていく生徒たちや国内外の民衆(生活者)の立場ではなく、自国の、かつてその当時の、そして現在の為政者・支配層の視点・立場にたち、かつての皇国史観のような偏った歴史観にたって書かれているように思われる。

(1) それは、神話や天皇・聖徳太子など皇室に関わる記述、それとの関連で、古代と近代に(中世・近世に比して)多くの頁が割かれており、神武天皇を(架空の人物であるにもかかわらず)初代とする「万世一系」の天皇を中心に我が国家は成立してきたとし、あたかも、いつの世も国民は皆(武士も農民も)天皇や朝廷に仕え、従ってきたかのように書いている。明治維新は「武士たちによって実現した改革だった」「全国の武士は究極的には天皇に仕える立場だった」として、世直し一揆など民衆の動きは全く無視されている。

(2) 「江戸時代の身分制度は・・・・血統による身分ではなかったから、その区別はきびしいものではなかった」などとおかしなことを。例えば、新撰組の近藤勇は百姓の出であり、養子に入って武士とはなったものの、その出自は生涯彼につきまとったといわれ、また、維新の担い手となった武士たちは、同じ武士でも下級武士であったのであり、その身であった福沢諭吉は「門閥制度は親の仇でござる」と言っているが、これらはよく知られた話である。

(3) 近隣諸国や世界との関係史では、自国の正当性弁護のニュアンスがつよく、戦争や植民地支配については、それらには、我が国の安全と生存圏の確保という正当な理由があり、また現地にもつ権益と在留邦人を排日・反日攻撃から守るため必要やむをえざるものだったとし、(「侵略」の「し」の字も使っておらず)加害事実は多々省かれている。
 日朝修好条規については、それが、日本が欧米列強から強いられたのと同様、朝鮮側にとって不平等条約であったということは書かれていない。
 日露戦争は、「日本の生き残りをかけた戦争であった」(それは支配層にとっての話―帝国主義の論理・戦略論―だろう)「歴史の名場面―日本海海戦」この戦争に「勝利して自国の安全保障が確立した」「有色人種の日本が・・・・白人帝国ロシアに勝ったことは、植民地にされていた民族に独立への希望を与えた」などと書いている。そしてネールらの民族運動に励ましを与えたとの言葉を紹介しているが、「ところが、日露戦争のすぐあとの結果はひとにぎりの侵略的帝国主義のグループにもう一国をつけ加えたにすぎなかった。そのにがい結果は朝鮮であった」というネールの言葉は省いている。
 1935年当時の中国人の反日運動について、「米外交官マクマリーの見解」なるものを取り上げているが、あたかもその言葉どおり、日本は反日に対して「我慢しきれなくなって手痛いしっぺ返し」におよんだ。それが、さも日中戦争でもあるかのような取り上げ方である。
 「大東亜戦争」―それは欧米による「経済封鎖で追いつめられ」て、やむなく起こした「自存自衛」のための戦争であり、また「欧米の支配からのアジア解放」「大東亜共栄圏の建設」のための戦争であった。「日本の将兵は敢闘精神を発揮して、よく戦った」「国民はよく働き、よく戦った」「東南アジアやインドの多くの人々に独立への夢と勇気を育んだ」と。まるで当時の国家指導者になりきって書いているかのようである。(きれいごとばかりだ)
 ポツダム宣言のことと関わって、「もしルーズベルト大統領が急死せずに、アメリカの戦争指導を続けていたら、日本はどうなっていたか想像してみよう」などと無意味なことを発問している。「もしも」のことをいうなら、天皇は、2月に近衛文麿が早期和平を上奏した時「もう一度戦果をあげてからでないと」などといって、それを退けていなかったら、東京大空襲も、沖縄・広島・長崎の悲劇も無くて済んだということを取り上げればよいものを。

(4)「20世紀の戦争と全体主義の犠牲者」(「読み物コラム」)―「戦争で、非武装の人々に対する殺害や虐待をいっさいおかさなかった国はなかった。」というわけである。     そして「日本軍も戦争中に侵攻した地域で、捕虜となった敵国の兵士や民間人に対して不当な殺害や虐待を行った」とし、別に本文の中でも、「この戦争は、戦場となったアジア諸地域の人々に大きな損害と苦しみを与えた。とくに中国の兵士や民衆には日本軍の侵攻により多数の犠牲者を出した」とは書いている。
 コラムには、さらに「アメリカが東京大空襲をはじめとする多数の都市への無差別爆撃を行い、広島と長崎に原爆を投下した」と書き、別なところで、日本は「全土で50万人もの市民の命をうばう無差別爆撃を受け、原子爆弾を落とされた」と書いている。
 コラムには、また「ソ連は日ソ中立条約を破って満州に侵入し、日本の民間人に対する略奪・暴行・殺害をくり返した。そして日本兵の捕虜をふくむ60万の日本人をシベリアに連行して過酷な労働に従事させ、およそ1割を死亡させた」と書いている。
 日本軍の加害状況については、上記以外には、犠牲者の人数や具体的状況はほとんど書かれていない。あたかも、日本は、どの国もやっていたのと同じことをやったに過ぎず、ドイツやソ連がやったのと比べれば、「まだましだ」とでも云っているような書きぶりである。
 南京大虐殺については、本文ではなく脚注で「南京事件」―「日本軍によって、中国の軍民に多数の死傷者が出た」として「虐殺」とは書かず、「犠牲者数などの実態については資料の上でも疑問点が出され、さまざまな見解があり、今日でも論争が続いている」などとしているが、犠牲者数は10万人単位であることは歴史学界では通説になっているのである。 強制連行のことについては、「徴用が朝鮮や台湾にも適用され」「朝鮮人や中国人が日本の鉱山などに連れてこられて、きびしい条件のもとで働かされた」と書いているのみであり、「強制連行」というこれまで通用してきた歴史用語を避けている。従軍慰安婦問題については何も書かれていない。これらの問題は、「でっち上げ」「捏造」だとの考えに立っているようであるが、それは、拉致問題を「でっち上げだ」といっているようなものだろう。

(5) 天皇制国家主義イデオロギーに偏していること
   民衆の果たした役割はほとんど取り上げず、それにひきかえ、天皇が果たした役割をいたるところで数多く取り上げ、人物コラム「昭和天皇」は1頁いっぱい使って、その「お人がら」「国民とともに歩む」など、その人徳を讃え、美化して書いている。
   「武士道」として忠義―「公のために働く」「犠牲の精神」―を強調しているが、その公とは天皇の国家のことであって、人民というわけではないのである。
 人物コラムで、伊藤博文の「日の丸演説」とともに「国家を思う心」を取り上げている。
  教育勅語―「国家や社会に危急のことがおこったときは、進んで公共のためにつくさなければならない」など―を「近代日本人の人格の背骨をなすものとなった」としている。「公共」と書き換えているが、原文では「公」すなわち天皇の国家のことであって、パブリック(人民)ではないのであり、この勅語に書かれているのは、封建的忠孝道徳ではあっても、「近代日本人の・・・」などと云えるものではないのである。
  大日本帝国憲法のことに関する記述で、発布のその日東京市中は「祝賀行事一色」と書き、「憲法を称賛した内外の声」を紹介している。しかし、ドイツ人医師ベルツの日記に「だがこっけいなことに、だれも憲法の内容を知らないのだ」とあることや、中江兆民の「果たして如何の物か、玉か瓦か、いまだその実を見るにおよばずして、まずその名に酔う。わが国民の愚にして狂なる」といった評は紹介されてはいないのである。この憲法には、「天皇に政治責任を負わせないこともうたわれた」として、あたかもそれ故に、天皇には戦争責任その他いかなる政治責任も問えないかのような書きぶりである。しかし、そんなことは、この憲法には「うたわれ」てなどいない。ただ、解釈(「立憲君主」など)として、そのように解釈する向きがあるというだけのことなのであって、はっきりしていることは、天皇は大臣・議会・臣民に対して責任を問う立場ではあっても、責任が問われる立場ではないというだけの話なのである。「天皇がご自身の考えを強く表明し、事態をおさめたことが2度あった」として2,26事件とポツダム宣言受諾だけをあげているが、対米開戦決定の「聖断」もあり、その他、戦局の節目節目に重臣たちに詰問し、指示を下したり、承認・激励を与えたりしているのである。

(6) 反共主義イデオロギーに偏していること
戦時中の我が国の国家体制はファシズムではないとする一方、マルクスらの共産主義を歪曲したスターリニズムを共産主義そのものだとして、それは全体主義の一種で、ファシズムと同種であると、いずれも勝手に解釈し、いたるところで共産主義を否定的に、或は脅威として記述している。

(7) 東京裁判については、「国際法上の正当性を疑う見解や、逆に世界平和に向けた国際法の新しい発展を示したとして肯定する意見があり、今日でもその評価は定まっていない」とし、そこで僅かに肯定意見に触れているだけで、それ以外にはその積極的意義(「平和に対する罪」―それまで国際法にはなかった概念―を初めて用い、戦争指導者の責任を究明して処罰することによって、国家の犯した愚行を断罪)には言及せず、法的手続き上の不備と(アジアと欧米に対して)不公平を問題にしたパル判事の被告全員無罪論を(無罪といっても、日本に戦争責任は無いといっているわけではないのに)ことさら取り上げ、また、GHQのプロパガンダとともにこの裁判によって、日本人に必要以上に罪悪感が植えつけられたとして、まるで日本人には、天皇から平民にいたるまで誰にも、戦争責任はなかったかのような書きぶりである。

(8) 日本国憲法についても、現在改憲をめざしている特定勢力の立場で書いている。
  「わずか約1週間で」GHQが作成した憲法草案を、政府が「それを拒否した場合、天皇の地位がおびやかされるおそれがあるので、やむをえず受け入れた」としているが、天皇の戦争責任にたいする厳しい国際世論があったこと、先に示された日本政府(国務大臣松本)原案があまりに不充分な(旧憲法の域を出ない)ものであったこと、鈴木安蔵らの憲法研究会など民間の憲法案がつくられていて、それを参考にすることができた等のことは触れられていない。
当時の政府、その系譜をひく現在の政党などからすれば「押し付けられた」と思われても、民衆のサイドからみればそんな感覚はなく、大多数の人々はこの憲法を歓迎していたことが、当時の世論調査などによって明らかなのである。

 以上、その他にも、「世界で最も安全で豊な今日の日本」などと、おかしなところが散見されるが、いずれにしても、この歴史教科書は著しく偏っていて、それを読んで鵜呑みにした生徒は、歴史のたいしてさしたる反省もなく、国内外には様々な境遇や過去にたいする思いをもった人々(民衆)がいることに無理解・無頓着な一人よがりの日本人になってしまうことにならざるを得ないのではないか。

[公民]
(1)国家主義のほうに偏っているということ。                             

①「家族のきずな」「公共的な精神」を強調し(それはよいとしても)、個人よりも家族と国家、権利よりも義務を(国防の義務までも)強調しているように見える。そして「男らしさ、女らしさ」と性的役割分担を重んじ、「男は仕事、女は家庭」或は三世代同居という昔ながらの家族形態を家族のあるべき姿としているかのようであり、今我が国が、男女がともに仕事と家庭を両立できるような環境をめざしながら推し進めている「男女共同参画社会」を批判的に書いている。 

②法治主義(万事は法に基づいて行われ、すべては国法に従わなければならないということ)だけを取り上げて、法を強制的に守らせる力―政治権力―の必要性を強調するが、「法の支配」(国民の人権を国家による権力や法律の乱用から守るということ)を取り上げてはいない。(法治主義と「法の支配」とは、法に基づくという意味において共通項もあるが、必ずしも同一概念ではない。)民主主義にとって、より重要不可欠なのは「法の支配」であるはず。

③皇室は「古くから国民の敬愛を集めてきた」として天皇の役割―「皇室外交」や「施設訪問」などの儀礼的行為―を重要視して大きく取り上げ、また、「国を愛することは国旗・国歌を尊重する態度につながる」として、「日の丸」・「君が代」に3頁以上も割いている。
「社説の研究」として国旗・国歌法にたいする代表的な2つの新聞社の賛否両論を数行ずつ要約してあげているが、そこで否定的意見をも小さく紹介しているのみである。
「天皇の権威は、各時代の権力者に対する政治上の歯止めとなり」としているが、戦争などをくい止める歯止めにはならず、むしろそれらに正当性を与え、その方向に国民の気持をまとめあげるために利用されてきたという側面の方が強かったのでは。

(2)改憲の方向に誘導していること。
「26、憲法改正」として2頁にわたって、わざわざ改憲論を取り上げている。そして、「一度も改正されていない」「世界最古の憲法」「1週間で書き上げられ、英文で書かれた憲法草案」などと、本質的ではない現象的な事実をことさら取り上げ、国会議員アンケート結果を示して、「時代の流れに合わせて改正すべきだという意見もしだいに大きくなっている」などと書いている。
  現行憲法の3大原則は、諸外国のものと比べて、より徹底したものであり、とりわけ平和主義の規定は時代を先取りしており、この憲法が無改正の世界最古の憲法だとすれば、むしろそれを誇りにしてもよいものを。
  尚、国会議員とは異なり、全国新聞社(全国紙・地方紙あわせて)の社説は改憲賛成論のほう(40%)が反対論(60%)より少なく、国民世論も、9条2項に限っていえば、やはり改憲賛成のほう(40%)が反対(60%)より少ないのである。

(4) 非軍事平和主義よりも軍事肯定に偏していること。
国防の義務を定めているドイツなど3国の憲法条文をことさら並べて紹介し、「憲法で国民に国を守る義務を課している国が多い」との説明を書き添えたりしている。
 自衛隊と日米安保を積極的肯定的に取り上げ、「戦後のわが国の平和は日米安全保障条約に基づいて国内に基地をおく米軍の抑止力に負うところも大きい」「わが国だけでなく東アジア地域の平和と安全の維持に大きな役割を果たしている」としている。しかし、それが中国・北朝鮮などから見れば大きな脅威となっており、また日本をアメリカの戦争に巻き込む危険性があるなど、問題点は一切取り上げていない。
 口絵の「世界で活躍する日本人」では、真っ先にPKO即ち自衛隊を載せている。「周辺の問題」として竹島など領土問題と北朝鮮のミサイル・工作船・拉致問題、中国の原潜領海侵犯事件などを、口絵でも本文でも課題学習でも、いたるところで大きく取り上げて緊張と脅威を強調している。
 冷戦後「わが国にも相応の軍事的な貢献が求められるようになった」「多国籍軍のアフガニスタン攻撃やイラク戦争でも・・・後方支援や復興支援のために自衛隊が派遣されることになり、国際評価も高まりつつある」として、専ら自国政府・与党の考えに即した記述がなされていて、反対論や批判論は一切取り上げられてはいない。

(5) 国民主権についておかしな説明をしている。いわく「国民主権・・・この場合の国民とは、私たち一人ひとりのことではなく、国民全体をさすものとされている」とし、「議員が、その国民になりかわって政治をあずかる」としているが、主権は私たち一人ひとりにあるのであって、一人ひとりが主権者であるはず。議員は、国民一人ひとりが選挙権・被選挙権を行使して選び、選ばれるのであり、そうして議員に付託する間接民主制を基本としつつも、一人ひとりの国民が直接主権を行使する直接民主制も併用して行われるシステムになっているのである。ところが、この教科書は、直接民主主義の問題点として住民投票のことを取り上げ、それは「国民全体の利益」とぶつかる場合があるとして否定的に書いているのである。

(6) その他
① 社会主義経済について、「生産手段の国有化を基本とする」と書いているが、それは誤りである。社会主義経済は生産手段の社会化(社会的所有―その形態は様々)が基本なのであって、国有化が基本というわけではないのである。

② 竹島を「韓国が不法に占拠」と書いているが、それは韓国側の一定の根拠に基づいた言い分と議論を無視した一方的・対決的な表現である。
以上、この教科書は、生徒にとって、これで、自分が社会でより良く生きていくために(自他に認められている権利と自他に課されている法や義務を)学ぶというよりも、国家・社会の一員として責務を果たすために学ぶ、というニュアンスがつよく、国防(軍事)を積極的に肯定し、改憲を促すものとなっており、そのような政策や路線を志向している特定の党派の政治的意図が露骨にあらわれている。
 教育および教育行政が守るべき現行憲法と教育基本法から見て著しく偏った教科書である。この教科書を読んで、それを鵜呑みにした生徒は、国のため、公共のため、家族のため、国際貢献のためと、戦いもいとわず献身するいさぎよい日本人となるだろうが、それは彼ら教え子を再び戦場に送る結果にもなるだろう。彼ら生徒は、自他の人権も、主権者としての権利も、平和的生存権も軽視しがちな人間になってしまうだろう。

2005年07月04日

東条氏の見解に対する疑問

 東条氏(元首相の孫)が民放テレビの異なる番組に出演して語られた話を2度聞きましたが、その見解は、「あの戦争は自衛戦争であり、それを犯罪として裁いた東京裁判は不当」「濁流のような大きな流れにあって、戦争を止めようとしたが、できなかった」「天皇を守るため、責めを一身に負って処刑されたことは名誉」「サンフランシスコ条約11条は『判決』を受け入れることを認めたものであって、『裁判』そのものを認めたわけではない」「昭和28年の国会決議で『戦犯』扱いは解かれた」というもの。

 しかしこれらは、いずれも国際社会では(日本人の勝手な解釈・独断だとして)通用せず、国内でも、それは受け入れ難いという人たちは(東条陸相の戦陣訓を守って捕虜となることを拒んで集団自殺をしたサイパンや沖縄の人たちをはじめ)沢山おられます。

 氏は、「国内では天皇と国民に対して責任はあるが、国際的には罪人ではない」といい、中国をはじめアジア諸国民に対する責任には一言も触れられていない。そして靖国神社は、彼ら「敵国」犠牲者、それに同国民でも民間人戦没者は祀ってはいないのである。これらの点はどうなのでしょうか。

【テレビ朝日・サンデープロジェクトにメール】7月3日のサンプロに疑問

第一部「東条英機の孫語る」

 東条由布子氏の見解

①まず、「あの戦争は自衛戦争」だと―アジア・太平洋各地へのあの侵攻・占領が自衛戦争なのか?あれが、正当防衛として許され、侵害を遮止・排除するために必要な範囲内の武力行使なのか?なるほど東条元首相もヒトラーも、自ら起こした戦争を「自存自衛」の戦争と云っていた。よくもまあぬけぬけと。しかしヒットラー曰く。「大衆は小さな嘘より大きな嘘に引っかかる」と。その言葉は真理だろう。今ここで元首相の孫のお方から、再び「あれは自衛戦争だ」と、こうもはっきり云われると、すっかり真に受けてしまう視聴者は少なくないだろう。

②「濁流のような大きな流れにあって、戦争を止めようとしが、できなかった」と―しかし、東条陸相は一貫して強硬派であり、慎重派の近衛首相に対して「人間たまには清水の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ」と云って対米開戦に踏み切ることを説き、内閣の総辞職を要求した。天皇は、「毒をもって毒を制す」との進言に応じて「虎穴に入らずんば虎児を得ず、だね」といって、その東条を後継首相に任命したのであった。しかし東条も天皇も結局開戦に踏み切ったわけである。また、1945年2月に、近衛が和平を上奏したのに、東条は戦争続行を主張し、天皇は近衛の和平意見を退けた。この時、近衛の意見に賛成していれば東京大空襲も、沖縄戦も、原爆も、なくて済んだのではないか?戦争は止めようと思えば止められたのに。

③「東京裁判は、それまでの国際法にはなかった事後法で裁いた不当裁判」だと―確かにこの裁判にはなにかと不備や不公平があったことは事実であるが、だからといって、その不備や法の盲点(それまでの国際法には、適用すべき規定がないなど)につけこんで罪を免れようとするわけか?

④「天皇をお守りするために、責めを一身に背負って処刑されたことは名誉」だと―悲劇のヒーローというわけか?

⑤「サンフランシスコ条約11条は(東京裁判の)諸判決を日本側が受け入れることを認めたもので、裁判そのものを認めたものではない」と―ということは、処刑にはいさぎよく服するが、罪は認めないということであって、罪なくして死んでいくことを甘受したまでだ、というわけか?

⑥「昭和28年の国会決議で『戦犯』扱いは解かれ、閣議決定で『公務死』ということになった」と―日本の国会や政府がそう決めたからといって、それが、中国をはじめ旧連合国など国際社会に通用すると思うのか?

⑦「日本人の死生観は、大将であろうが一兵卒であろうが、亡くなれば差別はなく、すべてが神様になる。指導者(A級戦犯)だからいけないとか、いいとかいうのは日本の精神文化にはない」と―しかし靖国神社には、敵側戦死者は勿論のこと、何の罪もない一般の民間人戦没者は一切合祀されていないし、それは、国家の政治的意図に基づくものではあっても、日本の伝統的な精神文化とか、死生観などに基づくとはいえないのでは?

 氏の、これらの見解に対して、田原氏はうなずいて肯定するばかりか、補強さえしている。「昭和天皇は『もし戦争を無理に止めたりしたら、格子戸の付いた所に入れられて自分は全く関係なくなってしまい、もっとひどい戦争になっただろう』とおっしゃっているが、東条さんも、そういう気持がおありになったのか」だとか、「マッカーサーも、日本は(ABCD包囲網や石油禁輸にあい)『自衛』のために戦争せざるを得なかったと証言していますね」などと。

 桜井氏は氏の話の感想を訊かれて、「現代に生きる侍の生き残り」「感動しました」と答え、高野氏も「感動した」と答えている。

 しかし、この方は、「国内では、天皇にたいし、国民にたいし、国土を焦土に化した責任はあるが、国際的には罪人ではない」といって、中国をはじめアジア諸国民に対する責任には一言も言及していない。それは、東条元首相・陸相からして、自己の責任のことは、天皇に対してと、自国民に対しての責任だけで、侵攻して戦争をした相手国の犠牲者・被災者に対する責任には(「俘虜虐待等の人道問題については至極遺憾であり、それは軍の一部の不心得によるものだが、彼らに規律を徹底させられなかったのは、一人自分の責任だ」と云っている以外は)一切言及がないのと同じである。(花山信勝著「平和の発見―巣鴨の生と死の記録」朝日新聞社)

 そして、孫の東条氏は自分が味わった辛い思いは語られたが、アジア諸国の犠牲者(2000万人)の遺族、そして自国民戦没者(310万人)の遺族、その中には東条陸相の戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」を真に受けて、捕虜となるのを拒んで集団自決したサイパンや沖縄の住民戦没者の遺族もおり、それぞれに辛く悲しい思いがあるのである。靖国に合祀されている軍人・軍属でも、赤紙一枚でかりだされた兵隊、台湾人・朝鮮人兵士の遺族など、その思いは格別のものがあり、中には指導者とともに合祀されていることに違和感を覚え、或は異民族の宗教施設に勝手に祀られていることに耐え難い屈辱を覚え、裁判訴訟をおこしている遺族もいるのである。

 番組は、これらのことも考慮を払うべきである。

 氏のこの番組への出演と発言は極めて大きな影響力をもつだろう。これによって世論は、靖国参拝と扶桑社版教科書への支持に大きく傾くに違いないでしょう。 

第二部「反日、歴史認識・・・」の討論

 司会の田原氏のほかメンバーは5人、うち中国人は一人だけ(それも日本の某私立大学に職を得ている方)。2人はともに保守系の国会議員、それに桜井氏と、いずれも反中右派系論者である。あとの一人は高野氏。

 民主党の松原氏は、中国の、教師の指導マニュアルなるものを取り上げ、それは中国の子どもたちの心に日本への怨みを植えつけようとするものであり、その反日教育は、中国共産党政権に対する国内の不満を反日に転化するためのものだと論じている。(中国人の側からすれば、このような発言は、自国側の非を認めたがらず、自国に対して向けられている反日の矛先を中国共産党政権への批判に転化しようとするものだ、となるだろう。)

自民党の西川氏は、日本の教科書は、中国や韓国側の視点で書かれていると。(自国側の一方的な視点に立った記述ではなく、相手国側の視点を加えることも必要なことなのに)

 桜井氏は日中戦争の中国側の死者の数が、戦後数年おきにかさ上げされていると指摘。田原氏は、そのことに対して抗議していない日本の外務省の非を突いている。(調査の進展によって数が増えるのはあり得ないことではないし、3500万人という数字は「死者」の数ではなく「死傷者」の数であるはず。また、先方に抗議する前に、日本側がその根拠となる確かなデータを自分で調べ、国内外に明らかにすべきであるのに)

 日本政府は何回も謝罪しているが、謝罪のあとで閣僚の中に、それを打ち消すような発言がされることについて、田原氏は、その閣僚はクビになっていることを強調。(しかし小泉首相になってからは、だれもクビにはなっていないし、首相も、自ら謝罪の言葉を発しておきながら、それとは両立し得ない靖国参拝をやめようとしてないのに)

今回の当番組は第1・2部とも、一方に偏し、非常にアンフェアな感は否めません。この局が、NHKのような過ちをおかさないようにしていただきたいし、特定教科書の採択に手を貸すようなことはしないようにしていただきたい。次回にでも今回の不公平をならす措置を講じていただければ幸いです。

2005年07月15日

なんという恥さらし

 中山文科相は講演で、従軍慰安婦問題に関する自らの発言に対して一学生から寄せられたメールを紹介したという。「(慰安婦は)戦地にある不安定な男の心をなだめ、一定の休息と秩序をもたらした存在と考えれば、プライドを持って取り組むことが出来る職業だったという言い方も出来る」というメールで、大臣は「感銘を受けた」と。

 この学生は、実態をよく知った上で、また、当時、婦女売買禁止条約があったことなども承知の上で、このようなことを記したのだろうか。当時「軍慰安所従業婦」などの言葉はあったし、慰安所に連れて行かれて人身拘束され、相手を拒むことが出来ない状態で身体を買われてもて遊ばれる、という実態は厳然として存在した。兵隊たちはそのお陰で心の休息を得、規律を犯さずに済んだ、というわけか。この学生ならば、もし自分が、慰安婦になっていたら、お国の兵隊さんために、「プライドを持って」取り組んだかもしれないが、当時日本人女性であっても、「プライドを持って・・・」などという者が、果たしていただろうか。まして外国人女性が、である。

 早速、中韓両国外務省から非難がきて、「恥知らずな発言」だと。

だいたい、歴史教育でも従軍慰安婦問題をきちんと取り上げて教えないから、この学生のような性道徳に無感覚な日本人が生まれるのではないのか。

2005年07月19日

我が家に「九条の会」発会宣言

 「九条の会」といえば、全国でいちばん最初に発会した大江健三郎氏や井上ひさし氏らの会があります。今年は当市にもそれができ、入会しました。それはそれとして、独自に我が家だけの「九条の会」をこのたび発会することにいたしました。それは、他の「九条の会」と連帯しつつも、たとえ我が家だけでも「九条」を守り抜くのだという気構え(主体性)を意味します。改憲の激しい動きに対して九条を守り抜くということは、世界史的な意義をもちますが、その世界史的な事業(運動)に主体的に参加するということなわけです。

 私どものこうした考えは何から発しているかといえば、それは、イデオロギーや政治的意図からではなく、感情からにほかなりません。すなわち、改憲を言い募る者たちの、歴史にたいする無反省と野望を合理化しようとする卑怯さ・ずるさに対する反感、それに、我が子・孫たちをこの先戦争の犠牲にされてたまるかという思いとともに戦争犠牲者とその遺族たちを可愛そうに思う、その感情からなのです。

 ここに、我が家の「九条の会」発会を宣言するしだいです。

【解説】
「世界史的な事業への主体的な参加」ということについては、一つには、インド独立の指導者ネルーの、次のような言葉がある。「毎日のパンやバターのこと、子どもの世話、また暮らし向きのことなど、さまざまなことが心を煩わせる。しかし、いったん時が来て、人々が大きな目標をつかみ、それに確信を持つようになると、どんな単純な、平凡な人たちでも英雄になり、歴史は動き始め、大きな時代の変わり目がやってくる。・・・・歴史を読むことは楽しみだ。だが、それよりももっと心をひき、興味があるのは、歴史をつくることに参加することだ。」

もう一つに、経済同友会の品川正治氏の、次のような言葉がある。「この九条を本当に守った場合には、世界史的な役割を果たすことになります。・・・ベルリンの壁の崩壊に匹敵する世界史的な出来事になるでしょう。・・・日米同盟の体制も変わります。日中韓を含めたアジアの変わり方、ひいては世界全体の変わり方は想像できないほど大きいでしょう。そういう世界を自分の子どもや孫たちに残したい。」(6月18日「損保9条の会」結成講演会での記念講演)

 「改憲を言い募る者たちの卑怯さ・ずるさ」とは次のようなことである。即ち、他国に大軍を派遣して戦争・占領し、あるいは国を併合・植民地支配して、何百万何千万という人々を犠牲にしておきながら、それを「侵略戦争」とは、はっきり認めず、いったいどっちが被害国で、どっちが加害国なのかわからないかのように言いつくろい、正当化さえしていること。また、降伏して、諸条件を受け入れ、戦犯裁判に服し、新憲法を制定して戦争と戦力を放棄したと思いきや、後になってから、あれは「押し付けだ」といって反故にしようとする。アジア諸国にたいしては、何回も謝罪したと言っておきながら、片方では謝罪の言葉とは裏腹な言動をしてはばからない。そして、超大国に対しては、「寄らば大樹」で、基地の提供も、自衛隊の協力もおしまず、いつも言いなりで追従ばかりしている。その卑屈さ・卑怯さ・狡さのことなのである。

2005年07月20日

なぜ歴史を学ぶのか

 かつて大日本帝国時代は、国民は、天皇の臣民として、天皇とその国家・大日本帝国の偉大さ・尊さを歴史から知って、その(天皇とその国家の)ために尽くし、命さえも捧げる気持(愛国の情)を抱くようになるために、歴史を学んだ。学校の歴史教育は、その立場で行われ、教科書(国定)はその立場で編纂された。したがって、その教科書には、専ら天皇とその国家の偉大性・正当性を裏付けるような内容が盛り込まれ、歴代天皇と皇室、かれらに忠実に従った者たちの治世・業績・苦心を美化・正当化し、それを貶めたり、汚したり、傷つけたりするような事柄(国にとって都合のわるいこと)は一切カットされた。

それに対して、今、我々が歴史を学び、子どもたちが学校で歴史を学習するのは、国家の都合(必要)のためではなく、自分自身の必要のためなのである。

我々も、子どもたちも、自分が社会で生きていくには、社会の歴史を知っておく必要がある。国内外の社会に生起する諸現象―産業・経済・政治・文化など―はいかなる歴史の下に(歴史を経て)成立しているのか(生成してきたのか)を知る必要があるし、また知る方法(歴史的な物の見方)を身につけておくことも必要である。そして自分とその子孫が生きていく未来はどうなっていくのかを展望し、未来社会はいかにあるべきかを考えることができるようにならなければならない。生徒は、このように自分自身がこれから社会(国内および国際社会)で、一人よがりではなく、皆と相和して生きていくために必要な、歴史に関する知識や歴史的な物の見方・考え方を身につけなければならないということである。

その時代その時代の社会で、人々はどのような衣食住生活・文化を営み、どのようなシステム(協力もしくは支配・被支配の関係)の下で生活し、為政者(権力者)はどのような統治をおこない、どのように内外の敵と争ったのか。そこには、どのような苦心・努力があり発展があったのか、またどのような合理性があり、或は不合理(理不尽、過ち)があったのか。その下で人々は、どのように生活と身の安全が保障され、或は搾取され、虐げられ、戦に駆り立てられ、辛くて苦しい思いをしたか。それに自国は外国とどのような関わりを持ち、どのように交わったのか。平和的な交流、文明・文物の摂取はどのように行われたか。或は断絶・対抗して国の独立は保たれたが、近代以降には近隣諸国に対して侵略・戦争を行い、併合(植民地支配)も行われた。それが、さらにはアジア太平洋戦争・世界大戦へと拡大・発展した。それらは何故、どのようにして行われたのか。それらによって諸国民にどのような惨害をもたらしたのか。連合国の反撃によって沖縄と本土にどのような被害をこうむったのか。日本人はそこから、何を教訓として得、何を反省しなければならないのか。それらのことを、生徒たちは自分自身のために、よく知る必要があり、教科書はそれらを包み隠しなく生徒に伝えなければならないのであり、それに適した教科書を採択しなければならないわけである。

 ところが、そのような生徒の立場からはかけ離れた、あたかも大日本帝国時代の「国史」教科書のような書きぶりの教科書が検定に合格・出版されて、一部で採択されようとしている。扶桑社版の「新しい歴史教科書」である。それは、天皇はいかに尊く、その下でおこなわれた為政者たちの統治や判断はいかに賢明で、戦争はやむをえざる選択であったか等、自国の為政者にとって都合のよいことが、都合よく(正当化して)書かれ、都合のわるいことは省かれているか、薄めて書かれている。要するに、脚色されて書かれ、ありのままの真実が書かれていないこの教科書からは、生徒たちにとってはとうてい歴史の真実を学ぶことはできない。このような国家主義的な色彩がつよく、独善的で、戦争や植民地支配の真実(侵略・加害の事実)を隠蔽するような教科書は諸国民・国際社会のためにもならない。たとえば、従軍慰安婦問題について、女性たちが慰安婦にされた被害国でも、国連人権委員会でも、日本は学校できちんと教えるべきだと求めているにもかかわらず、そんなものは無かったことだとして、教科書には一切載せない(この問題については、扶桑社版をつくった「新しい教科書をつくる会」の影響で、他のほとんどの教科書も載せなくなった)。それらの加害事実は、たとえ日本人が知らないでいても、周りの国々では皆知っていることなのだ。皆が知っていることを自分だけが知らないということは恥ずかしいことであり、他からはとうてい尊敬されない。また加害事実をいさぎよく真実と認めず、自国民に伝えないそのやり方は、日本人拉致のことをいさぎよく認めて真実を明らかにしようとしない北朝鮮を、我々が卑劣だと思うように、諸国民からは卑劣だと見なされ、日本人の誇りをかえって損なうことになるだろう。

 子どもたちは日本人として誇り高く生きるとともに、恥を知る人間にならなければならないのであって、国を誇るだけでなく、国の恥をも知らなければならないのである。

 いずれにしても、生徒たちは国家の必要のために歴史を学ぶのではなく、あくまで自分自身と(国際社会も含めた)社会の必要のために歴史を学ぶのであって、その教科書はそれに役立つ教科書なのかどうかである。

2005年07月22日

教育基本法が変えられようとしている

 教育基本法には、「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」「第1条(教育の目的)教育は、人格の完成をめざし平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」「第3条(教育の機会均等)すべての国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない。」「第10条(教育行政)①教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。②教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」とある。 

 要するに、教育とは、国家が国家(国家目的・国家の都合)のために行うのではなく、国民が各人の子弟(個人)ために行うのであり、子弟に①人格(人間性・人間らしさ)を身につけさせること、②社会で自立して心身ともに健康に生きていく上で必要な知識・技能を身につけさせること、③社会の形成者(自らを支える社会を維持していく担い手)として、勤労と責任を果たす上で必要な知識・技能を身につけさせること、④平和的・民主的な国家の形成者(主権者)として権利を行使し責任を果たす上で必要な知識・判断力を身につけさせること、等を目的として行われるものなのである。

 それで、国家や行政当局の役目は、このような教育の目的を遂行するに必要な諸条件を整備すること(予算を確保して教員を増やすとか、少人数学級にするとか、校舎や設備をよくするとか)であって、教員のやること(教育内容)にあれこれ口出し(介入)することではないということである。

 ところが今、それ(そのような教育の基本的なあり方)が変えられようとしている。政権与党は新教育基本法の法案をつくって国会にかけようと機会をうかがっており、民主党の中にもそれに同調する向きがある。(「教育基本法改正促進委員会」議員連盟が結成され、その結成集会で民主党の西村議員は次のように発言したという。「お国のために命を投げ出してもかまわない日本人を生み出す。お国のために命を捧げた人があって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる」と。)

 国家の経営と産業・軍事などに必要な人材・要員を確保するために文部行政当局は、これまでも、「個性の尊重」や「多様性の尊重」の美名のもとに、一つの尺度(テストの成績)で上中下のランク、勝ち組・負け組に振り分ける能力主義・選別・競争教育を推し進める一方、教育の管理・統制を強めてきた。文部省が学習指導内容の基準として指導要領を制定して、それに法的拘束力を持たせるようにし、それに基づいて文部省が教科書を検定するようになって久しい。高校の場合は各学校の教師が、自分の教える生徒に相応しいと思われる教科書を選定して自主的に採択できるが、小中学校の場合は、自治体の首長が任命する教育委員会が教科書を採択する権限をもち、彼らが選定・採択した教科書で先生方は教えなければならないことになっている。それに近年、国旗・国歌は法制化したが、強制はしないという政府見解があるにもかかわらず、東京都などでは、教育委員会が卒業式・入学式における国旗掲揚・国歌斉唱等のやり方(実施指針)を定めて、管内の各校に通達、学校長は教員にそれを職務命令として伝え背けば処分する、等のことが既に行われている。

 それが今や、その上にさらに教育基本法の全面「改正」にまでのり出しているのである。与党はその素案(「協議会中間報告」)を出しているが、現行教育基本法の教育目的にあった「個人の価値をたっとび」と「平和的な国家及び社会の形成者として」を削除し、新たに定めた教育目標のなかに「公共の精神を重視」ということとともに、「国を愛し(又は大切にし)」といったようなことを(そのようなことは各人の自由な心に自然に発する事柄で、公権力によって押し付けられる筋合いのものではないのに)掲げている。

 教育の機会均等は、「すべての国民に、ひとしく、その能力に応ずる教育」となっていたのを、単に「国民に、能力に応じた教育」となってしまっている。

 「学校教育」のところでは、わざわざ「規律を守り、真摯に学習する態度は、教育上重視されること」として管理教育をうち出している。

 「家庭教育」をとりたてて設け「家庭は、子育てに第一義的に責任を有するものであり、親は子の健全な育成に努めること」として家庭(親)の責任を強調。問題行動や落ちこぼれの責任を家庭や本人のせいにできるようにされている。

 「教育振興基本計画」、これまた現行教基法にはないもので、それに「政府は、教育振興に関する基本的な計画を定めること」として、政府が教育内容に介入できるようにしている。

 そして「教育行政」の条項改変である。現行教基法では「教育は不当な支配に服することなく」として、教育現場に対する政治家や行政当局(知事や教育委員会など)の支配介入を退けているのに、それを「教育行政は不当な支配に服することなく」というふうに改変して、教育委員会に対する現場の教師たち(教員組合)や父母たち(市民団体)の抗議や要請行動などを不当な介入として退けることができるようにされている。

  教育基本法がこのように改変されてしまったら、それに基づいて教育された国民は皆、国家意識・愛国心にとらわれるようになり、現行憲法は国家や国益よりも個人の自由・人権や平和的生存権を重んじて有事(戦争など)における国民の決起・結集の妨げとなると感じ、改憲を肯定し当然視する方向に向かうようになる。そして、歴史・公民教科書は、非自虐的・愛国的なものでなければならないということになって扶桑社の教科書がすんなり採択され、どの出版社もそれに右倣いするようなり、国旗・国歌の強制も当たり前になってしまうことになるわけである。

 私が戦後まもなく小学校に入学して民主教育を受けるようになったその前の時代に、まさに逆行するものである。孫たちがかわいそうだ。こんな改悪は許してはならない

2005年07月25日

大江健三郎氏の講演

 それは、24日、山形市内の山形国際ホテルで、県教組山形地区支部が主催して開催された。演題は「『人間らしさ』の力―教育・平和・福祉」。「私は、井上ひさしさんと違って、話べたなので、講演は苦手」ということで、次のようなエピソードの話から始まった。「ある雑誌社主催の講演会に、井上氏と一緒に出た時のこと、始まる前にたまらなく憂うつになって帰ってしまおうとしたら、事務局の人につかまってしまい、彼は井上さんに番(見張り)を頼んだらしい。演壇の前に立ったら、その下に井上さんが座っていて、僕のズボンのボタンのあたりを見ているんですよ」(爆笑)。

 講演の大要をいえば、(筆者の解釈だが)それは、非暴力・非戦(それらの用語自体は、大江氏ご本人はこの講演の中では使っていないのだが)―「『人間らしさ』の力」―で人々の生命と安全・平和を自国および他国による戦争から守る、それが「九条」であるということ。「『人間らしさ』の力」とは、人間だれしも持っている「真直ぐ立てる」(自立できる)能力(意志)、感情・理性などであり、それらの潜在力(素質)を発見して伸ばし、支援する、それが教育であり、福祉である、ということのようである。そのことを、自らの人生体験とご子息の障害克服のサポート体験の中から掘り起こしながら展開された。

 ご子息は、生まれて間もなく、頭蓋骨に欠損があって手術をされた。足が曲がって歩行できなくなりそうな症状もあって、整形外科で診てもらった、そこから氏は、彼を「真直ぐ立って」歩けるようにしてやるのだ、ということを思いたったようである。

 音楽は4歳の時、奥さんがたたいたピアノの一つの音を、その音として感じとる能力(絶対音感)を持ちあわせていることがわかった。音をピアノで復元することもできた。ところが、視覚の異常もあって黒鍵をきっちりとらえることができず、その不自由さから、ピアノに抵抗感をもつようになった。それで鍵盤をたたくかわりに、譜を覚え、音を五線紙に音符で表わす方法を身につけ、16歳で作曲もできるようになった。何年かたって、それをぴたっとやめてしまったと思いきや、音楽理論(技法)に興味がいって、その方に傾倒するようになっていたのだ。そこでそれを習い覚えたところで一段と表現能力の向上がみられるようになった。それにともなって対話・説明能力までも身につくようになった、というのである。それらのいきさつを、微笑ましいエピソードをとりあげながら語られた。(大江家では豆腐を買うさいに、2軒ある豆腐屋のうちどちらから買うかという問題にさいして、豆腐屋のラッパの音を息子が聴いて、どっちが正確な音が出ているかによって豆腐屋を選んで買うことにしたとか、或はまた、今年の事だそうだが、ご子息の曲の演奏会が開かれ、本人が解説のスピーチにたって曰く「このソナチネは、パパが70歳になったといって憂うつな顔をしていたので、変ロ長調の曲につくりました」と。司会者がご子息に、「お父さんはどうして、そんな顔をしていたのでしょうか?」と聞くと、「それは石原都知事のせいです」といったという。事実、大江氏は、石原知事がフランス語を数が数えにくく語学的に劣っていると述べたことなどにたいして、とんでもないことを言うものだと嘆いていたのだ。氏いわく。「あれはおそらく、石原氏が高校でフランス語を習った時に、1-un,2-deux,3-trois・・・・と、60までは数えることができたが、そこから先は覚えきれず、ドロップ-アウトしたからだろう。」)

 ご子息に関するこれらのことは、アップ-スタンディング-マン、すなわち肉体的にも精神的にも真直ぐ立てる(自立する)人間になっていく過程を物語っているというわけである。

 学校の先生に、子どもたちをどのように教育することを望むかと訊かれると、ただ「真直ぐ立てるように、そしてそれを妨害しないようにしてあげて下さい」とだけ言ってきたという。

 子どもたちには、真直ぐ立てるようになりなさいといっても、この国の国際関係におけるあり様はそうなってはいない。つまり、独立国家とはとうてい云えない(対米従属の)状態にある。氏はそこでこう言われた。「私はあと10年ぐらいしか生きられないと思っているのですが、7~8年ぐらいの間には、日本がアメリカに対して自分たちは真直ぐ立っていくということをはっきり示すことができるような政治家や政治環境が現れてくると思っています」と。

 今は、沖縄では住民の居住地や道路に程近いところで米軍が実弾射撃訓練を強行してはばからないという状態で、戦後60年というのに、基地問題は何一つ解決していないのである。

 ところで、氏が「沖縄ノート」で、沖縄戦における2つの島(座間味島と渡嘉敷島)の住民の集団自決は日本軍の命令によって強いられたと書いていることが、一方の島の守備隊長だった本人ともう一つの島の守備隊長の遺族から、それは偽りであり名誉毀損だとして訴えられたという。(その新聞の記事を見てみたが、それには「存命中の女性が『軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され、偽証した』と話したことが明らかになっていると。)

氏は、その告訴を後押ししているのは、おそらく藤岡信勝氏ら(「新しい歴史教科書をつくる会」等のメンバー)であり、それには喜んで受けて立つつもりだ。たとえ守備隊長は言葉では言わなかったとしても、命令を下したことには変わりはない。住民一人ひとりに手榴弾が配られて集団自決したのは事実なのだから、と語られた。(氏がその告訴のことを知ったのは、その日、山形新幹線に乗ってくる車中でのこと。隣に座った客が開いていた新聞をチラッと見たら、それは産経新聞で一面に「大江・・・」という見出しが出ていたのだという。それでその新聞の持ち主に・・・と、その話も笑わせた)

戦争が終わって新たに制定された憲法、そして教育基本法のことを知ったその年、氏は12歳。「国際平和を誠実に希求する」とか、「真理と平和を希求する」などの言葉を覚えて、母親にたいして何かご馳走を「希求する」とか、何かにつけてその言葉を活用したものだという。

 氏は、この憲法と教基法をもとに「人間らしさ」の力によって子どもも国も真直ぐ立って歩み続けられるようにする教育・平和・福祉を希望しながら70歳まで生きてこられ、この先、あと10年かそこら、といっても、息子さん・娘さんもおられ、お孫さんもおられて、それぞれの人生が後に連なる。氏は勇ましそうなきつい言葉は使われずに、優しい言葉づかいで語られたが、その言葉の中に、今ここで憲法も教育基本法も改変されてはたまらない、反動を許してなるものか、という強い思いがうかがわれた。

 とかく、中国や北朝鮮・韓国に対しては勇ましいことを言いたがる、そのくせアメリカには何もいえない、そういう親米・愛国主義者たちによって、この先、教基法が変えられ、改憲され、国家・国益・軍事を優先する体制に変えられて、国民は、作家も教師も、国家や自国の歴史を貶めるようなことは大っぴらには何も書けなくなり、教えられなくなって、忍従を強いられ、住民・弱者・障害者が犠牲にされる、そんなことになってはたまらない。それが大江氏の言わんとすることではなかったかと思われる。

2005年07月29日

16年前の若者の訴えは今も

「毎年夏になると、テレビでは原爆や空襲など戦争を扱った番組が増える。しかし、その中で日本の中国侵略を扱ったものは少ない。なぜ日本人はアジア侵略の事実に触れようとしないのだろうか。加害者意識をけろりと忘れる一方、原爆を引き合いに出して平和を説くこの風潮・・・」これは、16年前の8月、本紙に投稿された横浜市の高校生の投書で、その4年後出版された高校政経副読本に載っていたものだ。私は、たまたまこの副読本の頁をめくったら、これが目に留まった。読んでみると、私がこのところずうっと思っていることと同じことが書いてある。そうだ、今もそのとおりだ、とつくづく思う。メディアも歴史教科書も、自国民の被害・悲劇だけでなく、日本から侵略をうけた諸国民の悲惨にもっと目をむけ、加害事実をもっと取り上げて、その実態を国民や生徒に知らせるべきだ。なぜなら、我が国は今、アジア諸国から少なからず反感を買っており、国際社会から充分信頼されているとは言えない状況にあるが、それは、日本人が自分たちの国がしてきたことをよく解っていないと思われているからに相違ない、そのことを痛感するからだ。


【解説】

16年前の一高校生の投書というのは、1989年8月13日朝日新聞の投書欄に「なぜ教えない」という題名で載った、横浜市、高校生16歳、宮岡江都子さんのもの。

 高校政経副読本というのは、1993年東京学習出版社が出した「なるほどワイド政経1993」。

 7月中に、新聞には、8月中放映されるNHKと民放テレビの終戦・被爆特集番組が紹介されているが、そこに挙げられている番組を見てみると、中国などの被害国側の悲惨の実態や悲劇を取り上げたものは一つもない。

 尚、当方は、6月中に、新聞各社にたいして、「アジア太平洋戦争の加害実態の特集企画を」という次のような要望を出したりもしている。


戦争といえば、原爆や空襲などの戦災、敗戦と、日本人には被害意識の方がつよくて、アジア近隣諸国にたいする加害意識が薄い向きがあり、日本人には、中国人や韓国人は、いったいどうしてそんなに歴史や日本の首相の神社参拝にこだわるのかよく解らない、といった状況があるように思われます。そこには、彼我の間に戦争や植民地支配の被害と加害の感覚・意識に大きなギャップがあって、「人の足を踏んだ者は、踏まれた人の痛みが解らない」という日本人の感覚の鈍さがあり、その上、日本人には加害事実にたいする歴史認識の乏しさがあるのではないでしょうか。

 日本人には、もっと歴史と加害の実態をよく知り、被害国民の痛みの程がわかるような努力が必要な気がします。

 そこでこの際、戦後60周年にあたって、各メディアがアジア太平洋戦争の特集を組んで、その加害実態を我々国民に詳しく教えてもらえるような企画はないものでしょうか。日本人は中国や朝鮮半島、東南アジア各国で、はたして何をしたのか。それによって各国民はどのような被害をどれだけ被ったのか、国別の人的物的被害の数量と被害状況を実態調査してまとめ、紙面に公表してもらえれば、我々国民の認識不足克服に大きく資するというものではないでしょうか。

 是非、このような我が国の戦争と植民地支配の加害実態が、われわれ国民に解るように各国別にデータと具体的状況をまとめて教えていただくような企画を組んでいただくよう要望いたします。

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