米沢 長南の声なき声


ホームへ戻る


我が家に「九条の会」発会宣言
2005年07月19日

 「九条の会」といえば、全国でいちばん最初に発会した大江健三郎氏や井上ひさし氏らの会があります。今年は当市にもそれができ、入会しました。それはそれとして、独自に我が家だけの「九条の会」をこのたび発会することにいたしました。それは、他の「九条の会」と連帯しつつも、たとえ我が家だけでも「九条」を守り抜くのだという気構え(主体性)を意味します。改憲の激しい動きに対して九条を守り抜くということは、世界史的な意義をもちますが、その世界史的な事業(運動)に主体的に参加するということなわけです。

 私どものこうした考えは何から発しているかといえば、それは、イデオロギーや政治的意図からではなく、感情からにほかなりません。すなわち、改憲を言い募る者たちの、歴史にたいする無反省と野望を合理化しようとする卑怯さ・ずるさに対する反感、それに、我が子・孫たちをこの先戦争の犠牲にされてたまるかという思いとともに戦争犠牲者とその遺族たちを可愛そうに思う、その感情からなのです。

 ここに、我が家の「九条の会」発会を宣言するしだいです。

【解説】
「世界史的な事業への主体的な参加」ということについては、一つには、インド独立の指導者ネルーの、次のような言葉がある。「毎日のパンやバターのこと、子どもの世話、また暮らし向きのことなど、さまざまなことが心を煩わせる。しかし、いったん時が来て、人々が大きな目標をつかみ、それに確信を持つようになると、どんな単純な、平凡な人たちでも英雄になり、歴史は動き始め、大きな時代の変わり目がやってくる。・・・・歴史を読むことは楽しみだ。だが、それよりももっと心をひき、興味があるのは、歴史をつくることに参加することだ。」

もう一つに、経済同友会の品川正治氏の、次のような言葉がある。「この九条を本当に守った場合には、世界史的な役割を果たすことになります。・・・ベルリンの壁の崩壊に匹敵する世界史的な出来事になるでしょう。・・・日米同盟の体制も変わります。日中韓を含めたアジアの変わり方、ひいては世界全体の変わり方は想像できないほど大きいでしょう。そういう世界を自分の子どもや孫たちに残したい。」(6月18日「損保9条の会」結成講演会での記念講演)

 「改憲を言い募る者たちの卑怯さ・ずるさ」とは次のようなことである。即ち、他国に大軍を派遣して戦争・占領し、あるいは国を併合・植民地支配して、何百万何千万という人々を犠牲にしておきながら、それを「侵略戦争」とは、はっきり認めず、いったいどっちが被害国で、どっちが加害国なのかわからないかのように言いつくろい、正当化さえしていること。また、降伏して、諸条件を受け入れ、戦犯裁判に服し、新憲法を制定して戦争と戦力を放棄したと思いきや、後になってから、あれは「押し付けだ」といって反故にしようとする。アジア諸国にたいしては、何回も謝罪したと言っておきながら、片方では謝罪の言葉とは裏腹な言動をしてはばからない。そして、超大国に対しては、「寄らば大樹」で、基地の提供も、自衛隊の協力もおしまず、いつも言いなりで追従ばかりしている。その卑屈さ・卑怯さ・狡さのことなのである。


ホームへ戻る