米沢 長南の声なき声


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【テレビ朝日・サンデープロジェクトにメール】7月3日のサンプロに疑問
2005年07月04日

第一部「東条英機の孫語る」

 東条由布子氏の見解

①まず、「あの戦争は自衛戦争」だと―アジア・太平洋各地へのあの侵攻・占領が自衛戦争なのか?あれが、正当防衛として許され、侵害を遮止・排除するために必要な範囲内の武力行使なのか?なるほど東条元首相もヒトラーも、自ら起こした戦争を「自存自衛」の戦争と云っていた。よくもまあぬけぬけと。しかしヒットラー曰く。「大衆は小さな嘘より大きな嘘に引っかかる」と。その言葉は真理だろう。今ここで元首相の孫のお方から、再び「あれは自衛戦争だ」と、こうもはっきり云われると、すっかり真に受けてしまう視聴者は少なくないだろう。

②「濁流のような大きな流れにあって、戦争を止めようとしが、できなかった」と―しかし、東条陸相は一貫して強硬派であり、慎重派の近衛首相に対して「人間たまには清水の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ」と云って対米開戦に踏み切ることを説き、内閣の総辞職を要求した。天皇は、「毒をもって毒を制す」との進言に応じて「虎穴に入らずんば虎児を得ず、だね」といって、その東条を後継首相に任命したのであった。しかし東条も天皇も結局開戦に踏み切ったわけである。また、1945年2月に、近衛が和平を上奏したのに、東条は戦争続行を主張し、天皇は近衛の和平意見を退けた。この時、近衛の意見に賛成していれば東京大空襲も、沖縄戦も、原爆も、なくて済んだのではないか?戦争は止めようと思えば止められたのに。

③「東京裁判は、それまでの国際法にはなかった事後法で裁いた不当裁判」だと―確かにこの裁判にはなにかと不備や不公平があったことは事実であるが、だからといって、その不備や法の盲点(それまでの国際法には、適用すべき規定がないなど)につけこんで罪を免れようとするわけか?

④「天皇をお守りするために、責めを一身に背負って処刑されたことは名誉」だと―悲劇のヒーローというわけか?

⑤「サンフランシスコ条約11条は(東京裁判の)諸判決を日本側が受け入れることを認めたもので、裁判そのものを認めたものではない」と―ということは、処刑にはいさぎよく服するが、罪は認めないということであって、罪なくして死んでいくことを甘受したまでだ、というわけか?

⑥「昭和28年の国会決議で『戦犯』扱いは解かれ、閣議決定で『公務死』ということになった」と―日本の国会や政府がそう決めたからといって、それが、中国をはじめ旧連合国など国際社会に通用すると思うのか?

⑦「日本人の死生観は、大将であろうが一兵卒であろうが、亡くなれば差別はなく、すべてが神様になる。指導者(A級戦犯)だからいけないとか、いいとかいうのは日本の精神文化にはない」と―しかし靖国神社には、敵側戦死者は勿論のこと、何の罪もない一般の民間人戦没者は一切合祀されていないし、それは、国家の政治的意図に基づくものではあっても、日本の伝統的な精神文化とか、死生観などに基づくとはいえないのでは?

 氏の、これらの見解に対して、田原氏はうなずいて肯定するばかりか、補強さえしている。「昭和天皇は『もし戦争を無理に止めたりしたら、格子戸の付いた所に入れられて自分は全く関係なくなってしまい、もっとひどい戦争になっただろう』とおっしゃっているが、東条さんも、そういう気持がおありになったのか」だとか、「マッカーサーも、日本は(ABCD包囲網や石油禁輸にあい)『自衛』のために戦争せざるを得なかったと証言していますね」などと。

 桜井氏は氏の話の感想を訊かれて、「現代に生きる侍の生き残り」「感動しました」と答え、高野氏も「感動した」と答えている。

 しかし、この方は、「国内では、天皇にたいし、国民にたいし、国土を焦土に化した責任はあるが、国際的には罪人ではない」といって、中国をはじめアジア諸国民に対する責任には一言も言及していない。それは、東条元首相・陸相からして、自己の責任のことは、天皇に対してと、自国民に対しての責任だけで、侵攻して戦争をした相手国の犠牲者・被災者に対する責任には(「俘虜虐待等の人道問題については至極遺憾であり、それは軍の一部の不心得によるものだが、彼らに規律を徹底させられなかったのは、一人自分の責任だ」と云っている以外は)一切言及がないのと同じである。(花山信勝著「平和の発見―巣鴨の生と死の記録」朝日新聞社)

 そして、孫の東条氏は自分が味わった辛い思いは語られたが、アジア諸国の犠牲者(2000万人)の遺族、そして自国民戦没者(310万人)の遺族、その中には東条陸相の戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」を真に受けて、捕虜となるのを拒んで集団自決したサイパンや沖縄の住民戦没者の遺族もおり、それぞれに辛く悲しい思いがあるのである。靖国に合祀されている軍人・軍属でも、赤紙一枚でかりだされた兵隊、台湾人・朝鮮人兵士の遺族など、その思いは格別のものがあり、中には指導者とともに合祀されていることに違和感を覚え、或は異民族の宗教施設に勝手に祀られていることに耐え難い屈辱を覚え、裁判訴訟をおこしている遺族もいるのである。

 番組は、これらのことも考慮を払うべきである。

 氏のこの番組への出演と発言は極めて大きな影響力をもつだろう。これによって世論は、靖国参拝と扶桑社版教科書への支持に大きく傾くに違いないでしょう。 

第二部「反日、歴史認識・・・」の討論

 司会の田原氏のほかメンバーは5人、うち中国人は一人だけ(それも日本の某私立大学に職を得ている方)。2人はともに保守系の国会議員、それに桜井氏と、いずれも反中右派系論者である。あとの一人は高野氏。

 民主党の松原氏は、中国の、教師の指導マニュアルなるものを取り上げ、それは中国の子どもたちの心に日本への怨みを植えつけようとするものであり、その反日教育は、中国共産党政権に対する国内の不満を反日に転化するためのものだと論じている。(中国人の側からすれば、このような発言は、自国側の非を認めたがらず、自国に対して向けられている反日の矛先を中国共産党政権への批判に転化しようとするものだ、となるだろう。)

自民党の西川氏は、日本の教科書は、中国や韓国側の視点で書かれていると。(自国側の一方的な視点に立った記述ではなく、相手国側の視点を加えることも必要なことなのに)

 桜井氏は日中戦争の中国側の死者の数が、戦後数年おきにかさ上げされていると指摘。田原氏は、そのことに対して抗議していない日本の外務省の非を突いている。(調査の進展によって数が増えるのはあり得ないことではないし、3500万人という数字は「死者」の数ではなく「死傷者」の数であるはず。また、先方に抗議する前に、日本側がその根拠となる確かなデータを自分で調べ、国内外に明らかにすべきであるのに)

 日本政府は何回も謝罪しているが、謝罪のあとで閣僚の中に、それを打ち消すような発言がされることについて、田原氏は、その閣僚はクビになっていることを強調。(しかし小泉首相になってからは、だれもクビにはなっていないし、首相も、自ら謝罪の言葉を発しておきながら、それとは両立し得ない靖国参拝をやめようとしてないのに)

今回の当番組は第1・2部とも、一方に偏し、非常にアンフェアな感は否めません。この局が、NHKのような過ちをおかさないようにしていただきたいし、特定教科書の採択に手を貸すようなことはしないようにしていただきたい。次回にでも今回の不公平をならす措置を講じていただければ幸いです。


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