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2013年12月 アーカイブ

2013年12月01日

佐藤栄作元首相の核密約

1969年3月佐藤栄作首相、沖縄の「核抜き、本土並み返還」の対米交渉方針を公表
    6月愛知外相、米外相に沖縄に「非核3原則」適用を要請
    7月若泉敬氏(京都産業大学教授、愛知外相と面識あり佐藤首相に紹介され、首相の密使として度々渡米)、米国大統領補佐官キッシンジャーと有事、沖縄への核再持込み協議―密約、作成へ
   11月日米首脳会談―佐藤首相、ニクソン大統領と本土並み返還の協議開始、返還時の核撤去についても合意―その裏で両首脳密約に署名
1971年6月日米が沖縄返還協定調印  
1972年沖縄本土復帰 佐藤首相、退陣後74年ノーベル平和賞受賞
1994年若泉氏、著書(「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」)を文芸春秋に発表―極秘交渉の経緯を記す―それに日米秘密合意議事録の存在について触れる。96年7月服毒自殺
2009年12月佐藤元首相宅から秘密合意議事録の原本発見される。
2010年12月日本外務省が沖縄返還をめぐる交渉などに関する外交文書291冊を東京・麻布台の外交史料館で一般公開

 こんな秘密外交、やっていいのか。
 「非核3原則」(核兵器はつくらず、持たず、持ち込ませず))が日本の国是だと信じてきた自国民も  諸国民にとっても、日本外交にこんな機密があっていいなんて思えるのか。
 核兵器を「抑止力」などと言って容認する向きが、こんな核密約を容認する。
 若泉氏が自責の念に駆られて(「歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を果たすのだ」という思いを―沖縄県知事太田昌秀宛に送った遺書にしたためている)交渉経過を告白・公表して自殺した(いま制定されようとしている秘密保護法ならば漏えい罪として重罰をくらっていただろう)が、なぜこんな悲劇を生んだのか。秘密外交などやらせたからだ。
 佐藤元首相にノーベル平和賞を与えた委員会はこの「核密約」のことを知らずに与えてしまった。こんなことが許されるのか。

<参考>Wikipedia
    孫崎亨『戦後史の正体』(創元社)
    朝日新聞2010.12.23特集記事  etc


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  我が家の二階建て車庫の軒下に去年まで巣くっていたスズメバチの巣
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12月のつぶやき(上に加筆)

●天気になったので、いつもの郊外散歩。ところが農道は轍が雪で埋まっていて、もはや通れるなくなっていた。普通道路を、車は1~2台行き交うも、人家も人影もない区間を歌いながら歩いた。ふと雪原の方に目をやると白い鳥が二羽飛んできた。鷺かと思いきや白鳥。立ち止まって歌を中断。頭上を通り過ぎ彼方へ飛び去って行くのを目で追いかけた。見えなくなってまた歌い歩き出した。♪ららららーららららー・・・・・いつか会える きっと会える さよならは 愛の 言葉さー♪(尾崎紀世彦の「さよならをもう一度」)
●結婚式
 新郎・新婦それぞれへの祝辞、同僚・友人たち多くの皆さんが参画して制作した双方のDVDと余興は、いずれも心がこもった素晴らしい盛り上がりようだった。感謝・感激!
 当方、挨拶の中で二人に「毎日毎時間やることは、世のため人のため、互いの相方のために、『自己満足』というと語弊がありますが、それで『生きがい』が得られるんだと前向き肯定的に取り組んで精一杯生きていってほしい」と。
 人のやることは、何事も(「世のため人のため」と言っても)煎じ詰めれば自己満足ため。達成すれば満足感が得られるし、最終結果的には達成はできなくとも一日一日・一時間一時間、取り組んでいる過程で「今日この時間、自分はやったし、やっているぞ」と自己満足する、それが生きがいとなるのだ。
 そういう意味では、「自己満足こそが生きる原動力であり、それ無しには生きる意欲が無くなるもの」。
 それから、世のため人のためであれ、自分のためであれ、誰のためであれ、人を害せず不快にするものでない限り、人は「バカになって」(ということは一生懸命・一心不乱・無心になって)やれてこそ人を感動させられ、そういう自己満足ほど満足感が深いんだな。
 それにつけても、いい結婚式だったな・・・・・・
●昼のテレビ・ニュースで「一票格差で“憲法”違反判決」。
その「ケンポウ」という言葉を耳にした孫(幼稚園児)が「ジイジ、ケンポウの歌うたって」とリクエスト。「ご飯を食べ終わったらな」と言って、その後でCD(きたがわてつの「憲法の歌」)をかけて、その中に入っている伴奏(カラオケ)で唄ってやった。キイが高く、拍子がちょっとずれるが、声はまずまずだな
●散歩道―長靴を履いて唄いながら。
 ♪こうとしか 生きようのない 人生がある せめて 消えない 轍を 残そうか♪(「遥かな轍」)
 ♪遠い 遠い 遥かな道を 冬の 嵐が 吹いてるが・・・・・・・♪(「銀色の道」)
 ♪日本国民は恒久の 平和を念願し・・・・・・・・・・♪(「憲法の歌」)
 ここでは、伸び伸び唄えるな
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●雪が積もった。田んぼ道の歌の散歩はしばらくお預けだ。冬はやんだな・・・・・いや、もっと積もったらウルトラマンの雪像制作に挑戦しようか。そうだ、もっと積もれ!
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 鉛色の空の下を田んぼ道を歌いながら散歩。♪どこかで だ~れかが お前を待っていてくれる・・・・・風の中でも待っている♪(「木枯紋次郎」の主題歌で上条恒彦の歌) ♪OK corral OK corral・・・♪(「OK牧場の決闘」の主題歌でフランキーレインの歌)
 衰えを知らないかのようなポール・マッカートニー(71歳)、北島三郎(77歳)にも負けちゃいられね
●6日深夜、秘密保護法強行可決、翌朝、首相いわく 「朝、目が覚めたら公邸の周りが静かだったので、嵐が過ぎ去った感じがした」。
 こちとら国民には、これから冬の嵐が吹きすさぶことになるのか。あ~あ!
●秘密保護法―「罪作り」法
 秘密を指定しては次々それに引っかけてしょっぴくか、しょっぴくぞと脅す。
 公務員・自衛隊員・ジャーナリスト・一般市民も何かかにかに引っかかってしまう―罠にはめられ、陥れられることになる。NHK土曜ドラマの『太陽の罠』みたいな(企業サスペンスドラマだが、電機メーカーのシステムエンジニアの一青年が罠にはまりこむ)。
 自民党幹事長がつぶやいた「デモの絶叫戦術はテロ行為と同然だ」、それは彼らの本音。これでデモの参加者はみんな引っかけられてしまうんだ。ああ、恐ろしや。
 誰もいない田んぼに行って叫んでくるしかないのか。
●カレンダーをめくった。ああ、最後の月が来たか。
 散歩―空はどんより、田んぼ道、歌は木枯紋次郎の歌(「だれかが風の中で」)、あとはいつもの「愛しき日々」「遥かな轍」「ピース&ハイライト」「銀色の道」「仕事の歌」「風」(はしだのりひこの歌)「イチゴ白書」もう一つ尾崎紀代彦の「さよならをもう一度」は歌詞の二番目を覚えておらず、帰ってきてネットで調べた(こだわったのは夕べ見た夢の中で実に上手く歌えていたからだ)。
 
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9日11


2013年12月04日

中国の防空識別圏設定と秘密保護法

 中国の防空識別圏の設定―「日中衝突のリスク」・「軍事的緊張」高まる―だから日本版NSCも秘密保護法も必要だというのか?
 いや、このような時こそ、秘密保護法などによって情報が機密(特定秘密)にされ国民がこれに目・耳・口が閉ざされて何することもできないなどということになってはならないのだ。
 この空域での中国軍機の動き、これに対する空自や米軍機の対応活動とその情報が機密にされ、国民が実態を知らないうちに「不測の事態」・軍事衝突が引き起こって、反中感情だけが激化して「第二次日中戦争に突入」などということにでもなったら・・・・。
 イラク戦争はブッシュ政権がありもしない大量破壊兵器とアルカイダに関する情報操作(虚偽情報)から始まったし、ベトナム戦争もトンキン湾事件(湾内で米艦が北ベトナム軍の魚雷攻撃を受けたというでっちあげ事件)の情報操作から始まった。それに日本軍(関東軍)による南満州鉄道爆破謀略事件に始まる満州事変、真珠湾奇襲攻撃に始まる対米開戦も秘密裏に行われた。いずれも戦争は秘密から始まっているのである。
 中国や北朝鮮の「脅威」を口実に、我が国の安全保障のためだとして秘密保護法を制定しようとしているが、「脅威」の実態・真実を国民はよく知らなければならいのであって、「脅威、脅威」と煽られるだけで、実態・真相を見極める情報は秘密にされて、訳も分からず再び戦争へ引きずられるようなことがあってはならないのである。菅官房長官は「秘密漏えいが脅威だ」というが、むしろ「秘密隠しこそが脅威」なのだ。

 ところで、そもそも防空識別圏(ADIZ)とは
 領空・領海(海岸線から12カイリ=約22キロ)とは違って国際法上のルールが確立しているわけではない。高速飛来(22キロは旅客機なら1分、超音速の軍用機なら数十秒で領土上空に到達)して接近する航空機に対して侵犯をくい止めるには領空侵犯を確認してからでは手遅れになるので、予め領空の外側にライン(「防空識別圏」)を設定して、(事前に飛行計画の提出なく、防空チャンネルによる相互通報が機能しない国籍不明機が)そこを超えたら警戒態勢に入るという基準(目安す)線のこと。
 警戒態勢とは警戒機が{スクランブル(対領空侵犯措置)発進→並列飛行→進路変更を促す→領空侵犯寸前になると曳光弾を発射して警告→侵犯すれば誘導して強制着陸を促す→従わない場合は撃墜も}という段階をとって行動(日本の航空自衛隊は、これらの措置を「交通規則ROE」に定めているといわれるが、それは防衛機密)。
 1950年代アメリカが真っ先に設定し、その後、海岸に接する国々がそれぞれ設定、韓国も。しかし中国は設定していなかった。
 日本の防空識別圏は、1945年にGHQが設定したものを1969年に引き継いだもの。そこへ近年、中国軍機が侵入、2012年度だけで306回(自衛隊機がスクランブル発進)。
 中国によるこの度の防空識別圏の設定は、これに対抗したものとも見られる(但し、中国側は「日本に対抗しようとしてそうしたわけではない」「20ヵ国以上が設けている、正当な権利だ」としている。
同国国防省は「識別圏内を飛行する航空機は国防省の指令に従うこと。従わなかったら、その航空機に対して中国の武装力は防御的緊急措置を講じる」と。
 これに対して日本政府は「隣国(日本・韓国)に対して一方的(勝手に)にそれぞれ(日韓)の防空識別圏に重ねて(食い込んで)設定し、日本が実効支配している地域(尖閣など)に対して力によってその変更を迫るものだ」と非難。
 アメリカ政府は「防空識別圏を設定すること自体は新しいことでも特別なことでもない。が、事前の調整がなく、識別圏内(航行自由な公海上)を通るだけで事前通告を求めるなど手続きに問題があり、一方的だ」と。とは言うものの、撤回要求までは踏み込まず。日中間に「不測の事態」「意図しない衝突」の危険を懸念。


2013年12月11日

脅威もいろいろ―秘密法(修正版)

 中国・北朝鮮の「脅威」。メディアは毎日のようにそれらの国の動向を伝え、人々はそれを見るにつけいやおうなしに脅威・不安を感じてしまう。
 首相や官房長官や防衛大臣は「冷静かつ毅然と対処する」と。官房長官は「東アジアの安全保障環境は厳しさを増しており、情報漏えいの『脅威』が強まっている」という言い方をしていた。だから国家安全保障会議(日本版NSC)も秘密保護法も必要なんだと。人々は「なるほど、そうなんだ」となる。
 しかし、待てよ・・・・むこうは、そういう日本を見てどう感じているか。脅威と感じていはしまいか。第2次大戦で日本から侵略・支配を受けたアジア諸国民から見れば、日本はそれこそ脅威だった。その日本は憲法で戦争を放棄し、戦力も交戦権も保持しないとしながらも米軍基地を置き自衛隊をもち日米同盟を結んできた。それを今、さらに緊密化し軍事強化をはかって「集団的自衛権の行使」容認・実質改憲へと向かっている。憲法で「戦争しない国」だったはずなのに、公然と「戦争する国」へと「レジーム・チェンジ」しようとしている。むこうから見れば日本はやはり脅威だ、となるだろう。
 互いに政府は「冷静かつ毅然と対処」するのだと構えて緊張を高め合い、メディアは相手国の不安な動きばかりを伝え、双方とも国民は相手国民に対する反感・不信・嫌悪感(反日・反中・嫌中・反朝)を増幅し合っている。そして政府は緊張緩和・関係改善・友好関係回復の手立てをいっこうに講じようとはせずに互いに「毅然たる対処」一点張り。それこそが脅威なのでは。
 それにこの度の我が国における秘密保護法の制定。日本国民の中にはそのようなものをしゃにむに強行した自国政府に対しても脅威・不安を大いに感じている向きが少なくないだろう。
 秘密法は、日本国民にとって脅威・恐怖だった暗黒時代が再来するのか(北朝鮮との違いは、「過激な恐怖政治」か「穏やかな恐怖政治」かの違いはあるものの恐怖政治であることには変わりない)と思うとうんざり・・・・なんて言ってはいられない。子や孫たちのために何としてもこのような脅威・恐怖は取り除かなければ。 


2013年12月13日

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2013年12月15日

国が秘密を持つには当たりまえ?(加筆修正版)

個人情報を保護し非公開とするのは当たりまえ。
組織の内部情報(職務上知り得た秘密)をみだりに口外し漏らしてはならない、というのは当たりまえ(公務員などの「守秘義務」。ただしその範囲が広すぎるという問題があるが)。
企業が部外者に対して自社の企業秘密を隠して教えないのは当たりまえ。
警察が犯罪捜査で犯人に捜査上の手の内を明かさないとか情報提供者(協力者)の氏名その他も明かさないのは当たりまえ。
報道機関が取材源を明かさないのは当たりまえ。
戦争やゲームで相手に手の内を明かさないのは当たりまえ。

 しからば、警察でも「公安警察」など諜報機関が収集した秘密情報はどうか。
公安警察は反体制の「思想犯」「政治犯」等を対象とし、民主主義体制を暴力で覆そうとする過激派やテロリストなどの動静を探る諜報活動(情報収集)を仕事にしているが、民主主義擁護の立場にたち選挙で一定数の国民の支持を得て国会等に議席も有している政党や労組・市民団体などまで調査・監視対象にしているのが問題。
 それに、国が外交・防衛その他の或る情報を秘密にして内外の国民に隠すのは当たりまえか?国がアメリカなど外国から提供された秘密情報を内外の国民に隠すのは当たりまえか?
  そもそも外交は―国家間の対立する利害(国益のぶつかり合い)の調整で、武力を行使せずに決着(合意)をはかる対話・交渉(説得・取引)のこと。
 そこには表の外交(公開外交)と裏の外交(秘密外交)がある。裏(見えないところ)で―裏工作・裏取引・密約など。
 交渉を進めるうえで有利・不利を決定づけるもの(バックボーン)としては軍事力・経済力・他国との連合それに倫理的(道義的)な力もあり。
 第一次大戦までは秘密外交(謀議・少数者の専断)で、国民はそっちのけ(「知る権利」など、そもそもそのような概念も意識も無かった)というのが当たりまえ。
 ところが、大戦中、ロシア革命を起こして政権を握ったレーニンは秘密外交の廃止を宣言した(旧ロシアが結んでいた秘密条約を暴露し、旧ロシアの権益の放棄を宣言)。
 大戦の講和会議を前に、アメリカのウイルソン大統領が提唱した14ヵ条平和原則の第一番目は「秘密協定・秘密外交の禁止―公開外交」だった。
 第一次大戦までは、戦争は外交政策実現の一手段であり、国際紛争解決の一手段として一般的に合法と見なされたが、大戦後の国際連盟規約・不戦条約(但しそれには条約違反に対する制裁規定がなく、自衛権にもとづく武力行使は禁止の範囲外とし、自衛と称して戦争をおこなう余地を残していた)、それに第二次大戦後の国連憲章などによって、国際紛争の平和的手段による解決を加盟国に義務付け、国際法上、自国への武力攻撃が実際に発生した場合(自衛権の発動は認められるがその場合でも、それを国連に報告し、国連の安全保障理事会が措置をとるまでの間に限られる)を除いて一切の戦争は違法とされ禁止されるようになった。
 大戦後、制定された日本国憲法で、日本国民は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようすることを決意し」、「諸国民の公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持しようと決意し」て、「国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力行使を永久に放棄する」と宣言した。
 しかし、アメリカは国連創設の中心的役割を担いながら、ソ連に対抗し、米ソそれぞれ軍事同盟・軍事ブロックを結成し常時臨戦態勢をとって冷戦を展開した。
 また日本も、憲法に戦力不保持・交戦権否認を定めておきながら、朝鮮戦争を契機に日米安保条約を結んでアメリカ軍の基地と駐留を認め、自衛隊をその協力部隊として再軍備へ向かった。
ソ連陣営解体で冷戦は終結したその後もアメリカは圧倒的な軍備を持ち続けたが、対テロ戦争を掲げてアフガン戦争からイラク戦争へと向かい、日本の自衛隊も後方支援協力をおこなったが、アメリカは戦費がかさみ財政悪化に窮しており、日本などへ資金のみならずの軍事作戦でも肩代わりを求めている。
 この間、第一次大戦・第二次大戦・冷戦を経て現在にいたるまで、戦争に関係した主要国は熾烈な情報戦(スパイ・通信傍受・暗号解読など)・謀略をも展開してきた(それが互いに猜疑心と相互不信の連鎖を生み、戦争に駆り立て、或いは戦争に引き込む結果となる―日米開戦はまさにそうだった―12月8日放映のNHKスペシャル)。
 いま我が国は日米同盟を「深化」させ、両軍一体化した共同作戦(「集団的自衛権」の名目でその行使―その場合、「自衛」といっても「日本本土を守る」ためなら、日米安保条約で既に可能になっているのだから、そのためではなく、むしろアフガニスタンやイラクのような海外での軍事作戦)、それに武器の共同開発も(武器輸出3原則を見直して)可能とし、(核密約で有事に際するアメリカの核持ち込みをも可能としてきた)そのアメリカ側の要請もあって、互いが共有する秘密情報(とりわけアメリカが提供した秘密情報―イラクのありもしない大量破壊兵器などの誤情報も)を保護するための法整備としてこの秘密保護法の制定が行われたものと考えられる。
 このような日米同盟体制を是とする立場からは、それに関わる秘密情報の保護は必要だとなる。
しかし、憲法に忠実であろうとする立場からは、そんな秘密情報の保護など必要ないわけである。なぜなら、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持することを決意し」、戦争放棄・戦力不保持を憲法上国是にしている国に、不信と敵視を前提とする軍事機密(兵器や装備・部隊の配備・作戦・暗号などの秘密情報)などあり得ないことだからである

 元外務省国際情報局の局長・孫崎亨氏によれば、1970代以降、米ロ中など大国同士の安全保障戦略は「勝つための戦略」ではなく「戦争をしないための戦略」(核均衡抑止による相互確証破壊戦略―大陸間弾道核ミサイルなど発射すれば相手も撃ち返してきて共倒れになるということが分かっているので、互いに攻撃を控える)をとっており、核兵器の配備・核弾頭数など「秘密の保護」(隠しておく)よりも「情報の開示」(互いに、相手に手の内を開示)しておくことのほうが重要視されるようになってきている。つまり情報の「秘匿」よりも「開示」のほうが世界の流れになってきており、「いま世界は、秘密の強化よりも偶発的に戦争が起きないよう、相手国に能力や意図を正確に知らせることが潮流になっている。米国と中国の関係でもそうなのであり、いま日本に必要なのは秘密保護よりも情報開示」なのだ。 

 総じて言えることは、国が戦争し、諜報機関をもち、情報戦をやり、外交機密・軍事機密をもち情報隠しするのが当たりまえだなどとは言えない、ということである。

 尚、石破自民党幹事長が以前、「報道の自由、知る権利というが、我々には知らせない権利がある」と言っていたそうだが、この言い方には権利のはき違えがある。
 「権利」というものは国民が持つものであって、権力者や公務員が持つのは「権限」であって「権利」ではあるまい。国民の権利・基本的人権は普遍的な天賦の権利で、憲法で保証されている権利であるが、権力者や公務員の権限は法律によって一定の条件(制約)の下に認められたものにすぎない。
 国民には「知る権利」とともに「知られない権利」(プライバシー権)はあっても権力者や公務員に国民に「知らせない権利」など、国民の権利を規制する「権利」などありえないのである。
 秘密保護法は権力者・公務員に特定秘密を国民に「知らせない」権限を認め、その権限を拡大・強化しようとするものである。

2013年12月17日

公安警察がクローズアップ

 特定秘密法で公安警察がクローズアップされている。
 警察というと無邪気な庶民にはパトカーやパトロールのお巡りさん、泥棒や強盗・傷害・殺人・詐欺事件など犯罪を取り締まるお巡りさん、交通整理のお巡りさん。暴力団や暴走族の乱闘に出動する機動隊、デモなどを警備するお巡りさん等々、市民を守り犯罪を取り締まってくれるお巡りさんのイメージしかないという向きが多いだろう。
 しかし、これら刑事警察や交通警察のほかに、警察にはもう一つ、公安警察(警備公安警察)というものがあるのだ。戦前生まれの年配者には戦前・戦中あって終戦とともに廃止された「特高」(特別高等警察)というものを知っている人はまだいるだろう。
 これらはどんな警察かといえば、それは体制転覆・破壊活動を企む政治犯・思想犯・テロリスト・スパイなどを取り締まる警察のこと。「取り締まる」とは言っても、普通の警察官のように犯人を摘発・検挙することよりも情報収集活動を主たる任務にしている。情報収集活動には、警察当局がその可能性があると見なしている団体・個人をリストアップして監視(監視カメラのようにどかで、或いはブログなどネット監視も)・聞き込み(情報提供「協力者」から、或いは密告者から)、或いは潜入してスパイ・盗聴も。
 公安警察は冷戦終結(ソ連・東欧陣営崩壊)後衰退、95年オウム事件までは多くの人員を抱えていたが事件以後縮小傾向にあったのが、9・11(米国での同時多発テロ)をきっかけに再び盛り返したという。
 今回の特定秘密法には4分野があり、防衛・外交に関する事項と「特定有害活動」(スパイ活動)・テロ活動の防止に関する事項とがあるが、そのうち後者に関わるのが公安警察なのである。そしてその情報収集活動で得た情報の全ては特定秘密に指定されることになるわけである。
 これが怖いのは、善良な市民が、いつの間にか悪者扱い(政治犯・思想犯・テロリスト・スパイか、それらにつながる人物と疑われ)監視され、付け狙われることである。(石破幹事長でさえ、デモで声を上げ叫んでいる市民をテロリストと同然だと思っている、そういう意識なのだから、公安警察官の多くはそのような判断をするのだろう。)
 これが怖いのである。
 日本社会の雰囲気はこれでおかしくなる。戦前・戦中の我が国やどこかの国では今なおその真っただ中にあるような「監視社会」・「密告社会」、どこかの国のように「過激な軍事・警察」ではなくとも「穏やかな(じわりじわりと進行する)軍事・警察国家」にこの先向かっていきかねないのだ。
 
 <参考文献:「世界1月号」>

2013年12月19日

軍事・警察国家へ―戦前回帰

 アメリカをまねてNSC(国家安全保障会議―外交・防衛政策の司令塔)を創設し、特定秘密保護法を制定(強行可決)したうえで、NSS(国家安全保障戦略)を策定し、新防衛計画大綱・中期防衛力整備計画を合わせて閣議決定した。
 ①NSS―今後10年の外交・安保政策の指針となる。
   「国際協調主義に基づく積極的平和主義」―「国際協調主義」は日米同盟が中心。「積極的平和主義」とは海外で米軍とともに軍事的役割を果たすということ―海外の紛争に軍事的関与へ―アメリカとともに「集団的自衛権」の行使を容認へ。PKOなど海外派兵を積極的に推進(「駆付け警護」―PKO活動中の自衛隊が他国軍やNGOなどの民間人。が危険にさらされた場所に駆付け、武器を使って助けるということも)。
   国民一人一人に「我が国と郷土を愛する心を養う」(愛国心教育)・・・・ナショナリズム
 ②新防衛大綱―陸海空の「統合起動防衛力」の構築。「水陸機動団」(海兵隊)の新設など。
   普天間基地の移設(名護辺野古へ)    
   北朝鮮の弾道ミサイルへの対処能力の総合的な向上を図る(「敵基地攻撃能力」など)。
   武器輸出三原則(武器輸出の原則禁止)を緩和し、装備・技術協力、共同開発・生産・輸出を限定的に容認へ。
 ③中期防―装備増強―ステルス戦闘機・オスプレイ・水陸両用車・機動戦闘車・無人偵察機など。 
   それらは中国・北朝鮮を念頭に「東アジアの安全保障環境が一層厳しさを増している」ので、それに備えなければならないという必要に迫られての策定・決定なのだという。
それで、
 
 大転換―(不戦平和主義→)「専守防衛」から「攻勢的防衛」(「積極的平和主義」などと称している)へ(実質的改憲)。
    (新防衛大綱には「日本国憲法の下、専守防衛に徹し、軍事大国にならないとの基本方針に従い・・・・」などと書いてはいるが)
  もっぱら軍事には軍事で対抗という軍事一辺倒で、外交努力で紛争や問題を解決するという姿勢はほとんど示さず。(「対話の扉はいつでも開いている」と言って相手が折れてくるのを待つのみで、具体的な外交的手段を講じる考えはなし。米中関係のような外交チャンネルや意思疎通パイプを構築しようともしていない。)

 「戦争には至らないまでも、不測の事態に備える必要があるのは確かだ」などという向きもあるが(朝日社説)、このやり方では不測の事態を誘発し、戦争に至らしめる危険性が増すことになる。

 それは中国・北朝鮮への対抗心に基づくもの。
  (石破・自民党幹事長いわく、「北朝鮮って最近、怖くありませんか」「『ミサイルを撃つぞ』と脅してきたときに、日本の国はそれに耐えることができるだろうか」と。また中国に対しては「法律や自衛隊の仕組みや装備をきちんとしておかなければ、中国の拡張主義に我々は飲みこまれてしまう」―と煽って、軍事強化・秘密法も合理化。)

 しかし、このやり方は逆にこれらの国の日本に対する警戒感・脅威感を増幅する。
 (中国の習近平政権は「中国の脅威論を口実に日本を軍事大国に向かわせる試み」だとし、中国外務省は「日本の動向には高度の警戒が必要だ」と言明している。また韓国外交省は「(「積極的平和主義」というが、それは)地域の安定の妨げになってはならない。平和憲法の理念や専守防衛の原則を尊重し、透明に進められるべきだ」と。) 
 米紙ニューヨークタイムズは「より強力な日本の軍隊が、20世紀初期の日本の帝国建設の記憶が生々しく残っている韓国など周辺諸国からどう迎えられるか」と書いているという。

 これら安倍政権が進める軍事政策は秘密法の制定と合わせて戦前の軍事・警察国家への回帰を思わせる動きと見ないわけにはいくまい。


2013年12月24日

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2013年12月27日

安倍首相の靖国参拝

 安倍首相が靖国を参拝した。
 以下は、このH・Pに以前(小泉首相当時)、書いた(「新聞に載らない投稿」欄の「過去の分」に載っている)もの。
靖国・首相参拝の客観的意味
 「『靖国』は心のよりどころ」「戦争指導者は裁かれても犯罪者にはあらず」「ひたすら御霊の安らぐことを」とか、「心ならずも戦場に赴き、亡くなられた方への哀悼の誠を捧げ、不戦の誓いをする」とか、人それぞれの思いはあろう。しかし、靖国神社に参拝するとなると、それには客観的な格別の意味が付け加わる。その神社の客観的な歴史的役割からみて、また現在の神社当局が公表しているところから見ても、そこは、我が国の近代以降の対外戦争はすべて正当だとしてその戦死者を讃え祀る顕彰施設なのだ、ということ。そこを首相が参拝するということは、主観的にはどうあれ、それは、かの戦争を肯定し、戦犯までも讃えて敬意と感謝を表することを、日本の国家が認めることを意味する。
 日本軍によってむごい殺され方をした被害者の遺族たちの心は、それによって傷つき、耐え難いものとなるだろう。
参拝で被害諸国民の「心」は?
 首相は靖国参拝を、「私の信条から発する参拝」「他の国が干渉すべきことではない」と言われる。 しかし、同神社は単なる追悼施設ではなく、戦死を讃える顕彰施設なのです。神社の当事者は我が国の近代以降の対外戦争をすべて正当なものとし、戦犯裁判の判決を不当としてA級戦犯の合祀を正当化しているのです。そこへ参拝することは、客観的には、侵略の加害責任を否定することを意味します。侵略され多くが殺された被害諸国民から見れば、動員され命令に従っただけの一般の戦死者をその遺族や戦友がそれぞれの思いで参拝する分には目をつむっても、そこに首相が参拝するとなると、それは、日本の国家として、侵略の推進者・加担者を免罪・容認するものと見なされ、道義にもとる非礼この上もない行為として看過できず、苦情を訴えてくるのはむしろ当然ということになるでしょう。
 参拝は「心の問題」といって、自分の心は晴れるのかもしれないが、それで傷つく被害国の遺族の方々の心はどうなるのでしょうか。被害国民にたいして「反省とお詫び」を口では言っても、心の中でベロを出していると受け取られざるをえないでしょう。
首相参拝には、やはり配慮を
 私の父は復員してどうにか帰ってきましたが、4人の叔父が戦死しました。
 しかし国の内外には、靖国には祀られていない数多くの戦没者がおられるのだということです。戦災にあわれて亡くなられ、国から遺族年金など補償は一切なく、お悔み一つとしてもらっていない方々は沢山おられます。それに日本軍から侵略されたアジア諸国には遙かに多くの犠牲者がおられるのです。その遺族たちは、日本の首相に、何をさしおいてもその国へ追悼に来てほしいと思っているのでは。その方々のことも考えるべきなのではないでしょうか。
大陸へも追悼慰霊に
 戦没者追悼は、自国内で自国民にたいしてだけでなく、海外で、自国民のみならず他国民にたいしても行うべきだろうと思うのです。
 小泉首相は、過日、現職首相としては初めて硫黄島を訪れ、慰霊碑に手を合わせてこられた。
 また、天皇・皇后両陛下も初めてサイパンへ慰霊に行ってこられた。両陛下は、これまで硫黄島・沖縄・広島・長崎、そして大空襲のあった東京へと赴かれ、それは「慰霊の旅」と称されている。サイパン島には日本と現地政府が合同で建てた戦没者慰霊碑があり、慰霊の対象は中部太平洋海域で戦没した人々で、国籍は限定されていない。この碑の他に、両陛下は現地島民・米軍人・沖縄県出身者・韓国人それぞれの碑を回って慰霊してこられたという。(この両陛下は靖国参拝には一回も訪れていない。)
 それにつけても、戦没者が圧倒的に多いのは中国です。首相は、そこへも慰霊に行ってきてくれればよいものを、と思わずにはいられません。
 (もうずっと前に、ドイツのブラント首相がポーランドを訪れてそうしたように)日本の首相が、そこへ行って碑の前でひざまずき頭を垂れてくる、といったようなことを一回ぐらいやってきてもおかしくないのでは。
●靖国を訪れての感想
 神社付設の博物館(遊就館)には、一人一人の遺影、軍人たちの遺品、特攻兵器の実物、史資料が展示され、映像が流され、日本が行なった戦争が解説されていた。私には、戦死した叔父たちのことを思い、悲しくも痛ましいという思いの方が先だった。それに、そこで思ったのは、ここでは度外視されている、おびただしい数の犠牲者たちの悲惨である。ここを訪ねる者は人によって思いは様々であろう。しかし、この神社自体は日本の戦争をすべて肯定し、その前提の上に立って、そのために「命を捧げた」将兵それに戦争責任者も全て英霊として讃え祀っているのである。
 首相をはじめ公人には、個人的な「心の問題」だけでは済まない、諸国の犠牲者たちに対する配慮と憲法(政教分離原則)の厳守が求められるのは当然であろう。
 尚、見学者が感想を書き込むノートが置いてあって、その中に次のような意味の書き込みがあった。「英霊たちのおかげで今があるとよく言われるが、彼らはあくまで日本が勝つ為に戦ったのだ。ところが戦争は負けた。現在に至るまでの日本の平和と繁栄は、むしろ敗戦のおかげなのではないか」と。なるほど―もし勝っていたら、日本はどうなっていただろう。

 そこで今回の安倍首相の靖国参拝のもつ意味
①「日本会議」などの支持母体からの(「靖国に行け」との)後押しのもとに、(これまで行けなかったのは「痛恨の極み」だった)かねてよりの信念(自分の思い・執念)をやってのける―国益より信念を優先―中国や韓国など隣国との関係修復を投げだして敵に追いやり、アメリカからも「失望」を招いて、国際的に孤立しかねないことに。(今年10月、来日中のケリー国務長官とヘーゲル国防長官はそろって千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を訪れて献花。そこから500mの靖国神社には行かなかった)。
②中国・韓国に対しては居直り・挑発とも受け取られる―9月国連総会への出席のために訪れたニューヨークで、「私を右翼の軍国主義者と呼びたいなら、どうぞ呼んでいただきたい」と。
 参拝を終えた当日の午後、参院議員会館で開かれた秘密法反対集会の主催者の一人(32歳、編集業)いわく、「まさに中国・韓国への挑発、その反発を利用して外に敵をつくり、国内の秘密保護法などへの批判を封じ込めようとしているのではないか」と。
 NGO日本国際ボランティアセンター代表理事の谷山博史氏は「安倍首相の靖国参拝は『挑発的』に見える」と。
③「不戦の誓いをした」、「中国・韓国の人々の気持ちを傷つける考えは毛頭ない」というが、そこ(靖国神社)は単なる宗教施設ではなく、戦前・戦中、陸海軍が管理し、戦争に国民を動員して武勲を顕彰する(ほめ讃える)ための施設で、戦後もそれらの(諸国から侵略戦争と見なされている)戦争を(「自存自衛・アジア解放」のための戦争だと)肯定・美化する宣伝センターの役割を果たしてきた特殊な施設なのであって、「不戦の誓い」には最も相応しくない場所。
 また「不戦」を口にしながら、やっていることは戦争に備えて「日本版NSC」(戦争司令塔)の設置、秘密法の制定、国家安全保障戦略、新防衛大綱など次々策定・決定し、集団的自衛権の行使容認(憲法の「戦争放棄」条項の実質放棄)に向かっている、その言行不一致。
 それは中国や韓国など諸国民から見れば、逆なでする行為と受け取られざるを得まい。
④昭和天皇はA級戦犯が合祀されて以降は参拝せず(天皇いわく「或る時に、A級が合祀され<中略>だから私<は>あれ以来参拝していない、それが私の心だ」と―富田宮内庁長官のメモ)、現在の天皇も即位後一度も参拝していない。
 多くの日本国民から見ても、首相の参拝は独善的で違和感と不安を与えるもので、その行為に正当性があるとは到底思われまい。

2013年12月28日

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