1969年3月佐藤栄作首相、沖縄の「核抜き、本土並み返還」の対米交渉方針を公表
6月愛知外相、米外相に沖縄に「非核3原則」適用を要請
7月若泉敬氏(京都産業大学教授、愛知外相と面識あり佐藤首相に紹介され、首相の密使として度々渡米)、米国大統領補佐官キッシンジャーと有事、沖縄への核再持込み協議―密約、作成へ
11月日米首脳会談―佐藤首相、ニクソン大統領と本土並み返還の協議開始、返還時の核撤去についても合意―その裏で両首脳密約に署名
1971年6月日米が沖縄返還協定調印
1972年沖縄本土復帰 佐藤首相、退陣後74年ノーベル平和賞受賞
1994年若泉氏、著書(「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」)を文芸春秋に発表―極秘交渉の経緯を記す―それに日米秘密合意議事録の存在について触れる。96年7月服毒自殺
2009年12月佐藤元首相宅から秘密合意議事録の原本発見される。
2010年12月日本外務省が沖縄返還をめぐる交渉などに関する外交文書291冊を東京・麻布台の外交史料館で一般公開こんな秘密外交、やっていいのか。
「非核3原則」(核兵器はつくらず、持たず、持ち込ませず))が日本の国是だと信じてきた自国民も 諸国民にとっても、日本外交にこんな機密があっていいなんて思えるのか。
核兵器を「抑止力」などと言って容認する向きが、こんな核密約を容認する。
若泉氏が自責の念に駆られて(「歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を果たすのだ」という思いを―沖縄県知事太田昌秀宛に送った遺書にしたためている)交渉経過を告白・公表して自殺した(いま制定されようとしている秘密保護法ならば漏えい罪として重罰をくらっていただろう)が、なぜこんな悲劇を生んだのか。秘密外交などやらせたからだ。
佐藤元首相にノーベル平和賞を与えた委員会はこの「核密約」のことを知らずに与えてしまった。こんなことが許されるのか。<参考>Wikipedia
孫崎亨『戦後史の正体』(創元社)
朝日新聞2010.12.23特集記事 etc