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2015年11月 アーカイブ

2015年11月01日

佐伯教授の「異論のススメ」に異論―その1「国を守るのは誰か」(修正版)

 佐伯啓思・京大名誉教授の朝日新聞(「異論のススメ」)に掲載された二つの論文(コラム)について、その1、「国を守るのは誰か―日米安保と憲法」(7月3日掲載)
 その概略―「安保法制に関して、集団的自衛権の合憲性が論議の的になっている」。しかし、「そもそも、問題の発端は『憲法』よりも『防衛』にあった」。
 ① 「冷戦以降、確かに『国際環境』は変化しており、集団的自衛権の部分的容認を求める安倍首相の提案は、この状況への新たな対応を目指すもの」、「日本の防衛はどうあるべきか」が問題なのだ。「近代国家のもっとも重要な役割は、人々の生活の安全を保障すること、とりわけ外敵から国民の生命や財産を守ること」だと。
 ② 「国の主権者の第一の義務は、社会秩序を維持し、人々の生命や財産の安全確保にある」、「民主主義では国民が主権者であるから、国民が自らの手で、自らの生命・財産を守る義務がある」、「民主主義を標榜する近代国家においては、国民皆兵制(徴兵制)による防衛こそが『原則』―かりに現実化されないにしても、それ自体がひとつの精神のあり方」だと。
 ③ 「戦後日本の防衛の核は、実際上、米軍による抑止だった」、「『防衛』という面からみれば、平和憲法と日米安保体制はセットであった」(「憲法平和主義の背後には実は米軍が控えていたという欺瞞」「日本は『平和主義』によって国を守ってきた、というとすれば、それは、日米安保体制から目を背けた欺瞞」)と。
 「防衛を米軍に委ねる限り、日本は本来の意味で、あるいは厳密な意味で主権国家とはいえない」(9条の『国権の発動たる戦争と・・・を放棄する』というのは「国家の主権的権利としての戦争を放棄する」ということで、「日本は主権を一部、自ら放棄するといっていることになる」)と。
 ④ 自衛隊は、「他国の攻撃に対して戦うための戦力を保持しているのに、『戦力』であれば、憲法違反ということになるので、『戦力』にはあたらないというほかないのだ」(それは「不可解かつ不透明というほかない」)と。

 それへ論評―
 ① について
「外敵から国を守らなければならない、その防衛をいかに」ということで、外敵・脅威の存在を所与のものとして(その存在が誰にでも認められる確実な既定の事実であるかのように、それを前提として)論じているが。
 大戦が終結して、米英中ソ等どの国も外敵や脅威ではなくなったはず、なのに米ソの冷戦でソ連を脅威・仮想敵国として米軍に基地提供して駐留を認め続け、今は中国を北朝鮮とともに脅威と見なして、それを前提に、中国・北朝鮮などから「日本を守らなければ」とか「防衛」「抑止」だとか論じているのである。
 実は戦後、当初は「全面講和」とか「非同盟・中立」といった選択肢もあったにもかかわらず、アメリカなど西側諸国との「単独講和」「日米同盟」の方を選んできた。それは要するに敵味方を峻別し、それを前提として歴代日本政府は安全保障戦略をとってきたが、それを所与のものとして防衛を論じているのである。
 しかし、そのような外敵も脅威も、けっして所与のものではなく、実は意図的に「つくるもの」なのであって、安倍首相が中国などを敵視して敵をつくっているのでは。アメリカはかつて「鬼畜」同然の敵だったのに、今や最も親密な味方。ならば中国もロシアも韓国も北朝鮮も、どの国であれ、味方に変えることができるはず。
 戦後国際秩序、このほうが国連憲章の「敵国条項」(日本は連合国の旧敵国として特別な扱いが為されることを定めている条項で、既に国連総会で削除決議が採択され、事実上「死文化」してはいるが、憲章からは削除されず、そのままになっている)をも含めて「所与のもの」(既定事実・国際的コンセンサス)とされているのである。
 それに対して日本の政権・政治家が思っているような「中国などの国が敵・脅威で、アメリカが味方・同盟国である」などということが「所与のもの」であるはずはないわけであり、それを前提として防衛を論ずること自体まちがっているのでは。
 ② について
 「国民が主権者であるから、国民が自らの手で、自らの生命・財産を守る義務が」あり、「国民皆兵制(徴兵制)による防衛こそが原則」、それは「現実化されないにしても、それがひとつの精神のあり方」だと。
 もっともらしい理屈だが、国の主権者だから国を守る防衛義務があるというのは短絡的。
 各人が、自分が主権者であり参政権を持つ(しかし、それは選挙に立候補して当選した人以外は投票に参加するだけのことで、自分が為政者になって国務・国政に参加するわけではない)そのことと、自分の個人財産や自分の身を自分で(銃刀を所持して)守ることと、国民の生命・財産を警察や消防や海保が守ることと、為政者の決定によって運用される防衛組織(自衛隊か軍隊)に参加・協力することとは別のこと。
 「権利には義務が伴う」という言い方が(売買契約などのように売り手と買い手の間に発生する権利・義務と混同して)なされるが、実は、人権や主権(参政権)は、何かの義務と引き替えに認められているものではない。新たに18才以上に選挙権が認められたからといって、彼らに新たな義務が課せられるわけではのだ。
 「権利には義務を伴う」というならば、それは「国民の権利には(それを守る)国家の義務が伴う」ということなのであって、国民の平和的生存権などの人権には、国家(権力)がそれを守る義務が課せられている、ということにほかなるまい。
 国民の平和的生存権など人権を守るのに、国民に防衛義務・兵役義務(命を捨てる義務)が伴う、などということはあり得まい(人権を守るために「自由か、しからずんば死か」といって自己決定して自発的に戦うレジスタンスのような戦士ならいざしらず、それが義務だなんて)。
 
 ③ について
 「戦後日本の防衛の核は、実際上、米軍による抑止だった」、「『防衛』という面からみれば、平和憲法と日米安保体制はセットであった」。
 「防衛を米軍に委ねる限り、日本は本来の意味で、あるいは厳密な意味で主権国家とはいえない」と。
 しかしそれは、戦後間もなく、憲法制定当時、日本には「全面講和・非同盟・中立」という選択肢もあったのであり、憲法の平和主義に徹して、ソ連など、どの国をも敵とせず、どの国とも友好関係を結んでいれば、わざわざ「防衛」を米軍に委ねる必要もなく、主権を一部放棄するようなことにはならなかったろう、ということだ。それをアメリカなど西側諸国とだけ「単独講和」、日米安保条約を結んで、反ソ陣営に身を置き、対ソ防衛を米軍に委ねて基地を提供し駐留させ続けてきたのである。そして、平和主義を欺瞞たらしめ、主権国家として半端な国たらしめてきたのである。
 ④ について
 自衛隊は、「他国の攻撃に対して戦うための戦力を保持しているのに、『戦力』であれば、憲法違反ということになるので、『戦力』にはあたらないというほかないのだ。」それは「不可解かつ不透明」というほかなく、これまた欺瞞だ。だから憲法を堂々と改正して「戦力」(「自衛軍」とか「国防軍」など軍隊)としてはっきり認めるべきだということなのだろう。(そして、個別的自衛権に限らず集団的自衛権の行使も無限定に認め、日米安保条約も、日本が守ってもらう防御同盟から日米が互いに守り合う攻守同盟へと双務性を深め、軍事同盟として完全に機能できるように進化させるべきだ、ということか。)
 しかし、自衛隊は(これまでは)普通の軍隊とは異なり、急迫不正の侵害に対して(憲法の定めとは別に)自然権としてどの国にも認められている自衛権に基づく必要最小限度の実力行使しかできず、集団的自衛権の行使は認められず、海外で他国の戦争に参戦・武力行使はできない(多国籍軍や国連平和維持軍に参加できない)専守防衛力とされてきた。それは9条と両立する(9条解釈の)許容範囲をぎりぎり守ってきたと言えば言えなくもないということで微妙ではあるが、決定的に重要な一線が認められことは確かだ。(今回の新安保法制はそのレッドラインを越えている。)
 敢て「9条セット論」即ち9条(戦力不保持・交戦権否認―戦争には、仕掛けられてやむなく防戦する以外には応じないことを明記・宣明することによって、諸国民に安心供与)にセットするものとしてこれが有用だということで論ずるなら、9条に対して超攻撃力を持つ米軍(その駐留・基地を受け入れる日米安保条約)をセットするというのは、9条に核兵器をセットするようなもので、全く矛盾・不適切で、それならむしろ自衛隊の方がそれに(9条にセットするものとして)相応しいといえないか。

2015年11月06日

「中国へのイエローカードだ」は暴論

 10月31日の投稿について、それは、中国は「独善的な怪物に成長した」一党独裁国家で公海の不当占拠、札束外交・砲艦外交、人権無視・少数民族弾圧等いずれもが不公正であり、それに対して米国の方は人権重視・国際法尊重・他国の主権尊重、公平な普通選挙等いずれもが真ともなものとして論じている。そしてパクス・アメリカーナ「歓迎」、米国による国際秩序の方が「まし」だとして、覇権主義は「よいとは思わない」と言いながら、米国のそれを肯定している。
 そのような論評は、それぞれの国や海域の実情・実態・歴史的経緯をよく調べた上での確かな検証に基づいたものか不明であり、一つ一つ必要な理由・根拠の説明を抜きにして、一方的に「やりたい放題」などと決めつけて論じているように思われる。
 尚、南沙諸島は大戦までは日本が台湾とともに領有。(アメリカはフィリピンを領有していたが、そこに南沙は入っていなかった。)日本敗戦後、中国が領有権主張するも、12島のうちベトナムとフィリピンが5島づつ、マレーシアと台湾が1島づつ実効支配(それぞれ飛行場建設)、それがゼロだった中国が干出岩に人工島建設に乗り出している、という経緯がある。
 投稿者に、これらの事実認識はあるのだろうか。

2015年11月09日

11月のつぶやき
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●家の周りには、もう花は枯れ落ちて何もなくなっているが、枯草の間に季節外れのフキノトウが咲き出て、てんぷらにして馳走してもらった。僅かな植木に雪囲いをしてもらった、その翌朝、畑の野菜の上に初雪が少し積もっていた。冬が来たか。
起きる前に布団の中で、ふと、中村雅俊のかつての学園ドラマ「夕陽丘の総理大臣」だったかな、その歌が頭に浮かんで、歌の文句を思い出すのに時間を過ごした。後でネットで確かめ、動画を聴いてみた。よ~し、田んぼ散歩で唄ってみるか、しかし、この天気では今日はダメか。
●今月は卒業生のクラス会があり、それに、かつての同僚でも、当方と歳が近い「同世代」の会と歳の離れている「異世代」の会とが相次いだ。
 クラス会での当人を前にした担任こきおろし(?)はいいとして(お互い気心が知れていて後に尾を引くことはないが)、同僚の会の方は、一方の会で他方の会のメンバーの噂話・悪口が語られた。それに異論(弁護)を差し挟んだら、当方まで「ずるいところがあるものな」と言われた。
 総理大臣やなんかの政治批判なら結構、或いは自分の自慢話なら聞き流しても済むが、本人の居ないところで人の陰口はするもんではないな。もうあの会は遠慮させてもらおうかな。
●カラスしかいない田んぼ道を散歩しながら歌ってきた(自分に歌い聞かせながら)。♪ 命は一つ 人生は一回だから 命を捨てないようにね ・・・・・死んで神様と言われるよりも 生きてバカだと言われましょうよね・・・・♪(「教訓1」)
♪ 麗しの国 日本の核が歯車を狂わせたんだ 老いたるは無力を気骨に代えて 礎石となろうぜ・・・・この9条救いたいよ 声に集め歌おう 我が9条守れないなら 真の平和あり得ない♪(「わが窮状」)
♪天国はない ただ空があるだけ 国境もない ただ地球があるだけ みんながそう思えば 簡単なこと さあ・・・・♪(「イマジン」)
♪ ああ果てしない 夢を追い続ける ああいつの日か 大空駆け巡る・・・・・♪(「大都会」)

●一昨日・金曜日のNHK「あさイチ」に小椋佳が白装束で登場、後半にはル・ディーヴォという4人の外人ヴォーカル・グループが登場。気に入ったなぁ
 イル・ディーヴォ はじめて見たが、抜群の声量とハーモニー Wanderful ! Bravo !
 小椋佳は70歳になるが、10年以上も前、胃がん手術をして生き延びて最近「生前葬」コンサートをやったの話。面白い、よ~し、この俺も田んぼで一人「生前葬コンサート」?といくか。観客はカラスたち ♪私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 死んでなんか いません 千の風に 千の風になって あの大きな空を・・・・♪ (バタバタバタ)おいおい!逃げるんじゃないよ
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歌う若者たち、しわがれない声 いいなぁ
                 このステージに立って歌ったこともあった 
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弁論大会「言葉の力」―心の力 
           「今思う」―18才選挙権―社会的責任
                  「今年の夏はとても暑かった」―戦後70年、安保など考えさせられた
            「4年経った今」―教育の力による復興を
         「学べる幸せ」―マララから学ぶ
                   「離」(わかれ)、「人と人とのつながり」―一期一会

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12月のつぶやき                                          
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●暮れも押し迫って、ようやく野山は白い雪景色に覆われ、オーバーズボンに長靴を履いてアスファルト農道を一生懸命歌いながら散歩してきた。♪・・・・・冬が来たぞと 海鳥鳴けば 北は雪国 吹雪の夜の 沖に霧笛が呼びかける 呼びかける・・・・♪(「喜びも悲しみも幾年月」) 一年ぶりの歌なので、一部歌詞を忘れ、思い出すのに手間取ったが、思い出して3番まで歌い切った。♪北の町では もう 悲しみを 暖炉で燃やし始めているらしい・・・・♪(「襟裳岬」)。寒風で頬っぺたが冷たくなってフードをかぶり直し、歌い歩いて帰ってきた。炬燵にあたってお茶を飲み、血圧を測った。大丈夫だ。
●年賀状をパソコンで印刷してもらって出した。春先、旅行に行った時に、たまたま飛行機で通りかかった富士山をデジカメで撮った写真に、2016、今年もLet’s Live ! Go ! と入れて印刷。「今年も頑張って生きていこう!」というわけだ。
●このブログ、19日なぜか「ページが表示できません」となって、ピタッと出なくなった。サーバ―・ダウン。このHPを開設・設定してくれた人からサーバーに、再三メールで問い合わせしてもらったが(電話は受け付けず)応答はないとのこと。サーバーのシステム・ダウン(不具合)か何か不都合が生じたのか、かいもく判らず、まさか、これまでの10年間の「生きた証」ともいうべき記録が、すべて消去されパーになってしまったかもしれない、と気が気でなく、ITに詳しい身内の者に調べてもらったりもした、ところが一週間目にして彼から「出ましたよ」とのメールが入ったので見てみたら、いつの間にか復旧していた。
 ん~、こういうことがあるんだ。サーバーとかドメインとか、そういうものの存在さえ知らず、年( )千円(「登録料」でもあるだろうと思っていた)それさえ払っていれば、自分で消去しない限り、記録として永遠に残っているもんだと思っていた。しかし、そんなもんじゃないんだ、ということを思い知らされた。
まずは復旧してホッとしたが。
●人家が連なる通りから田んぼ道に入って、憶えたての「花は咲けども」を唄い始めようとしたら、歌詞「原子の灰が・・・」は分かるのに節(ふし)が、「あれ?こんな節じゃないな、これって『教訓1』(♪命は一つ 人生は一回だから 命を捨てないようにね・・・♪)の節じゃないか、家で口ずさんでると女房から『浪花節みたいな』と言われる歌の節だが、こんなんじゃない、はてな、どんなだっけかな」何回口ずさんでもおかしい。いつもの一時間半コースの半分近くまで来たところで諦め、別の歌に切り替えて「花は咲く」の歌 ♪真っ白な 雪道を・・・♪と歌いだした、とたんに「あ!この歌の頭のところ♪真っ白な♪という節と同じ出だしの節でよかったんだ、ということに気が付いた。その節で口ずさんでみると、すんなり3番とも最後まで歌えた。♪ 原子の灰が 降った町にも ・・・・・・花は咲けども・・・・・うらめし くやしと 花は散る ♪
●日テレの「ドキュメント15」で長井市のフォーク・グループ“影法師”が飯館村の避難者たちの前で「花は咲けども」を歌っていたのを見た。彼らのこの歌は何度か聴いたことがあるが、番組では避難者が涙しながら聴いていたので、こっちもジーンときた。♪消えない毒に 人は戻れず・・・・異郷で果てる 日を待つのか 花は咲けども 花は咲けども・・・・♪
 その歌詞と節を確かめようとネット動画を開いてみたら、影法師グループ以外にも幾つか、その歌を歌っているのがあって、その中になんと「全世界バージョン“Even though the flowers bloom”」があった。聴いてみたら外人に日本人も1人入った女性グループがきれいな声で歌っていた。この方がプロの歌という感じがした。よ~し、まずは日本語で歌ってみようっと!
●運転免許証・書き換えのための高齢者講習で認知機能検査。「心配ありません」との判定にほっと。しかし、運転適性検査では「反応の速さ」「反応のむら」が同年代の基準では3だが「30~50代」の基準では2と1だった。運転はそもそも苦手なんだが、一層気を付けなくちゃ!
●「若者言葉」に「自己中」があるが、「自己満」というのもあるんっだって。それに「自己満HP」も。そうか「自己満野郎」なんだ。それでいいじゃん。 (但し、エゴはよくないが)

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米沢市窪田  最上川 11月29日 朝 211羽


2015年11月19日

「国民連合政府」構想について

 先の投稿(朝日新聞「声」欄)に「共産党の政権構想は現実的か」というのがあった。それは「連立政権は、将来を見据えた国内外の政策を一致させる必要があり」、「一時的な『安保法廃止』を目標とした政権が果たして現実的に機能するのか」疑問だとしている。
 しかし、この政権構想は、目標は「安保法廃止」だけでなく、もう一つ「立憲主義を取戻す」という目標を掲げており、国は「戦争できない」と定めたはずの憲法を「戦争できる」と実質改憲した閣議決定を撤回し、それに基づいて、海外での武力行使を実質的に可能とすることを盛り込んだ安保法を廃止するとともに、民意を無視して国民一人ひとりの「個人の尊厳」を踏みにじる政治から民主主義をとり戻すという二つの事だけを特別任務とする暫定的な特命政権を目指したもので、その二つの目的を果たし終えたら解散を行い、あらためて各党それぞれの内外政策を問い政権選択を問う総選挙を行うとしている。
 現下の大問題は、あれこれの政策問題とは次元の違う、崩された国の根幹を立て直すところにあるのだと思う。

佐伯教授の「異論のススメ」に異論―その2「そもそも平和とは」(修正版)

 朝日新聞掲載の佐伯教授「異論のススメ」―「そもそも『平和』とは何か―憲法9条と戦争放棄」(10月2日掲載)
その概略―
 ① 「憲法9条を守るという『平和主義者』たちは、戦争とは殺人であり、したがって、平和とは戦争のない(人が殺されない)状態だ、という。そして戦争放棄の憲法9条は、日本が他国の戦争に巻き込まれない(人殺しをしない)仕組みである、という。つまり、私も殺人を犯さないから、私も殺されないようにする条文だという」、しかし、「人殺しは悪だとしても、だからといって人殺しがなくなることはないだろう。とすれば戦争も同じではないか。」また「人殺しと戦争は同じではない」し、「同一視する方がおかしいのではないか」(「戦争は生命を懸けてでも獲得しなければならない何ものかのためにもなされてきた」)。
 ②だとすれば、「戦争をそれなりに回避する仕組みを作ることは可能ではないか。」「支配による平和」「力による平定」、平和とは「力(覇権)を前提とし、そのもとでの秩序形成」、「覇権争いの結果としての勢力均衡(軍事バランス)」、それが「世界標準」(ただし、それが正しくそれに合わせなければならないとは言わないまでも)、戦後日本の平和主義(「仮に他国からの侵攻があったときに基本的には無抵抗主義をとらなければならない」という平和主義)は、「世界標準」から相当ズレており、「そのズレを国是とするとなると、相当な覚悟が必要」で、そういうものを国是とするわけにはいかない。
 ③ 「長い歴史のなかで、日本が危険なことをしたのは(ヨーロッパの帝国主義のさなかの)ほんの短い期間」、「われら日本人だけが、危険極まりない侵略的傾向をもった国民」ではないはず。「日本の憲法平和主義は、自らの武力も戦力も放棄することで、ことさら自らの手足を縛るもの(他国は武力を放棄していないのに)。われわれ自身への過度な不信感、終戦直後のあまりに現実離れした厭戦感情の産物。われわれはいまだに敗戦後の自己不信に縛りつけられている」、「我々日本人は歴史的にみても、法外なほど好戦的で残虐な性癖をもっているとは思われない」。
 以上のようなことだが。

 まず① (「人殺しは悪だとしても、だからといって人殺しがなくなることはないだろう。とすれば戦争も同じではないか。」また「人殺しと戦争を同一視する方がおかしいのではないか」「戦争は生命を懸けてでも獲得しなければならない何ものかのためにもなされてきた」)について。
  「戦争は人殺し。死刑も人殺し。人殺しは悪。故に戦争も死刑も悪であり、避けなければならないもの」というのは倫理(道徳)として真理だろう。そもそも人殺しは何故悪なのか。それは、人殺しを、もしやってもかまわないのだすれば、自分も殺されてもかまわないということになってしまうから、にほかなるまい。善悪の基準は、人と人が人間として相応しく共に生きるという関係に益する行為か害する行為かにあり、益する行為が善であり、害する行為が悪である。その原理は「己の欲せざるところを、人に施すなかれ」(論語)、「自分を愛するように隣人を愛しなさい」(新約聖書)、「人を単に手段としてではなく、常に同時に目的として扱うように行為せよ」(カント)などの言葉に示される。これらは普遍的な道徳原理と言えるだろう。9条が「私も殺人を犯さないから、私も殺されないようにする条文だ」というならば、9条はまさに、普遍的なこの道徳原理に基づいて定められているといえよう。また13条に定められている生命の自由・人命の尊重は基本的人権の中核なすものであり、これまた普遍的道徳原理に基づく規定であるといえる。
  人殺しを罰する死刑や侵略・掠奪戦争・武装反乱・テロ攻撃をしかけた国や集団に対する制裁・懲罰・鎮圧・平定のための戦争、「戦争を早く終わらせて、もうこれ以上犠牲を出さないようにするためと称して、広島・長崎合わせて20万人以上もの市民を犠牲にした」原爆投下など、これらは政治的・法的には「正義」なのだろうが、(そのような死刑や懲罰・制裁・鎮定のための戦争は「正義」だとはいっても、「人殺し」行為であるかぎり、「イコール善」ではなく)倫理・道徳的には罪悪なのであって、避けなければならないもの。
  「生命を懸けてでも(命を犠牲にしてでも)獲得しなければならない何ものかのためになされる戦争」というばあい、その「何ものか」とは民族的自尊とか宗教的信念とか国家・社会の秩序の維持・回復とか国益などであり、それらはその戦争(人殺し、生命の犠牲)を正当化するための手段として大義名分とされ、そのために尽くすことが「正義」とされる。そして互いに「正義」を掲げてぶつかり合う、その結果「勝てば官軍、負ければ賊軍」ということで、勝った方は「正しかった」となり、負けた方は「間違っていた」となる。そのような正義は政治的なもので、兵士や動員される人々の生命が手段として扱われる。そのようなものは善とは言わない。
  「戦争は人殺し。人殺しは悪」なのであって、政治的には「正義」(それは「たくさんの人を救うためなら、より少ない人を犠牲にしてもよい」とする比較衡量の上に立った功利主義的「配分的正義」)だからといって、それで悪を犯した罪が帳消しなるわけではないのである。悪は犯してはならず、避けなければならないもの。
  確かに、歴史上、人殺しはなくならないし、戦争もなくならないのは事実だが、それは、そもそも人殺しを死刑や懲罰・制裁戦争という人殺しによってなくすことはできないし、また、テロを戦争によってなくすことはできない。それらはただ暴力・憎悪の連鎖が続くだけになってしまうからである。

  そもそも平和とは誰もが日々安心して暮らせる状態のことなのであって、単に「戦争(人殺し)のない状態」であればそれで十分というわけではないのである。
  安心とは肉体的・精神的苦痛・落命(死)の恐怖・欠乏(貧窮))などの不安のない状態だろう。これらの不安をもたらす原因は傷病・事故・災害・不公正分配・差別・戦争などであり、戦争はその一つにすぎない。傷病や事故・自然災害は天為的(自然発生的・偶発的)なもので人間が意図して起こしたり起こさなくしたりできるものではないが、戦争は人為的・意図的なものであり、人間の意思によって起こされるもので、無くそうと思えば無くせるもの。現実に戦争が無くならないのは、無くそうとしない人間がいるからにほかなるまい。しかし、戦争は無くさなければならないし、人間皆がその気になれば無くすことはできるはずのものなのである。「皆がそう思えば簡単なこと」(イマジン)。
  ただ、戦争やテロの原因には不公正分配・持てる者と持たざる者の分化・貧富格差・差別などがあり、それらの不条理(不合理・理不尽)に耐えがたい不満を抱き反抗・暴挙を犯す者、それに対して、それを力で抑えつけようとする者、その間に戦争やテロが起きてしまう。しかし、これらも天為ではなく人為によってもたらされるものであり、人々の意思よって生ずるものであり、「人間の手によってはどうしようもない」といったものではなく、それとても人々がその気になりさえすれば、けっして無くせないものではないはず。
  平和とは日々安心して暮らせること。平和主義とはその「安心供与」に徹することにほかなるまい。その安心な暮らしには貧窮(不公正分配)・差別とそれらに対する不満・憤懣の除去が必要であり、「安心供与」にはそれが含まれる。平和とは単に戦争のない状態ではなく、それら不公正分配・持てる者と持たざる者の分化・貧富格差・差別とそれらに対する不満・憤懣のない状態なのであって、力によって単に戦争やテロを抑止・平定できさえすればよいというものではないのである。単に戦争やテロを抑止するだけではなく、それら暴挙を起こさずにはいられなくする程の耐えがたい貧困格差・差別を除去することまでも含めて安心供与に懸命に努める政策こそが真の積極的平和主義。
  安倍首相の「積極的平和主義」は「軍事的抑止力(武威)による平和」に過ぎず、それこそ欺瞞。

 ② について。
  まず、「戦争を人殺しと同一視するのがおかしい」、つまり戦争は一概に悪とは言えない。だから戦争は「それなりに回避する仕組みを作ることは可能ではないか」というわけ。 そして、その仕組みとして、「『覇権』を前提とし、そのもとでの秩序形成」「支配による平和」「パックス・ロマーナ」「パックス・アメリカーナ」「パックス・コンソルティス(国際協調による平和)」などを持ち出し、そのような仕組みを構築することによって戦争は回避できるというわけか。
  しかし、戦争やテロは、それが起きる(人にそれを起こそうとさせる)原因を無くさないかぎり、国連やNATOや日米安保など、このような仕組みをたとえどんなに作り整えても、戦争はなくなりはしまい。そのような仕組み作りよりも、そもそも戦争というものは、「一般に違法ではあるが、集団的自衛権など場合によっては許される」などというものではないのであって、それは人殺しなのであり、悪なのだから、やってはならないものなのだ、ということを全ての人の心に固定観念として植えつけなければならないものなのだ(教育によって)。
  そして、戦争の原因やテロの「温床」となる原因を根絶することに、専念すべきなのだ。
   
  「力の支配による平和」、「力(覇権)を前提とし、そのもとでの秩序形成」、それが(正しいというわけではないが、と言いながら)「世界標準」(グローバル・スタンダード?)だといい、戦後日本の平和主義はそこから相当ズレており、「そのズレを国是とするとなると、相当な覚悟が必要」で、「そういうもの(平和主義)を国是とするわけにはいかない」という。
  しかし、力=軍事力では支配しきれないし、反抗を抑止しきれない。勢力均衡政策は米ソ(「パックス・ルッソ・アメリカーナ」)の冷戦のように絶えざる核軍拡と緊張を招くだけ。ソ連はそれに財政的に耐えきれずに崩壊し、アメリカの一極支配となったが、そのアメリカもそれに耐えきれず、アジア・太平洋圏では中国の台頭を前にして日本の手を借りようとしており、安倍政権はそれに乗って、あたかも「パックス・アメリ・ジャポニカ」を目指しているかのようだ。ヨーロッパではNATO側に付こうとしたウクライナに対してはロシアが勢力挽回を図り、中東でも、イラクとともにイスラム過激派勢力と現政権との抗争で混乱を極めるシリアでロシアは現政権加勢に乗り出し、それに対してアメリカは対応に窮し、アフガニスタンでも依然、収拾がつかない事態に立ち至っている。このようなありさまをみれば、軍事力に依存する平和・秩序など到底「世界標準」・グローバル・スタンダードだなどといえるものではなく、むしろこの9条こそを「世界標準」とすべきだろう。
  9条は単なるブランドで満足するのではなく(それだけではノーベル平和賞はもらえまい)、グローバル・スタンダードとすべく非軍事での積極的平和主義の実績を積まなければなるまい。
  但し、9条は「戦争放棄」と「戦力不保持・交戦権否認」を定めはしても、「他国からの侵攻があったときには無抵抗主義をとらなければならない」などと規定しているわけではない。自衛権は憲法に定めはなくても自然権としてどの国にも認められているものであり、「陸海空軍その他の戦力は保持しない」としても、警察力・海上保安庁はあるし、自衛隊も(現在のような世界有数といってもいい程の装備や米軍と一体化するようなものであってはならないが)「必要最小限の実力組織」として海上保安庁を補完あるいは拡充した非軍隊の国境・国土警備隊として保持することもあり得るし、市民には抵抗権があり、レジスタンスもできるわけである。
 ③ について
  「長い歴史のなかで、日本が危険なことをしたのはほんの短い期間」で、このような戦争は欧米の帝国主義国もやってきたことで、日本だけが悪いわけではないのに、日本人は悪いことをしたと必要以上に思い込んでいる。(「われら日本人だけが、危険極まりない侵略的傾向をもった」「好戦的で残虐な」国民だなどとは思われない。)「日本の憲法平和主義は、自らの武力も戦力も放棄することで、ことさら自らの手足を縛るもの。われわれ自身への過度な不信感、終戦直後のあまりに現実離れした厭戦感情の産物。われわれはいまだに敗戦後の自己不信に縛りつけられている」と。
  このような言い方は反「自虐史観」論者と同様の、いわば「日本人自尊史観」に立った論法と言えるだろう。
フランス人社会人類学者(エマヌエル・トッド氏)が 「日本の侵略を受けた国々だけでなく、日本人自身が自分たちの国を危険な国であると、必要以上に強く認識している」と述べているのだそうだが、中国人や韓国・北朝鮮両国民、それに東南アジア諸国民もそう思っているというなら、いざしらず、日本人である佐伯氏がそういうのは、アジア諸国民から見れば自己弁護・身びいきとも受けとられるだろうし、戦争で実際辛酸を味わった当時の日本人大多数の実感からすれば厭戦感情はあって当然だろう(それは現実から発した実感そのものであり、それを「あまりに現実離れした」空想の産物でもあるかのようにいうのはまったくおかしいのでは)。
  むしろ戦後70年経って、今では戦地に行ってきた人も、戦災を受けた人も、戦没者の遺族も、当時の生存者はすっかり数少なくなって、厭戦感情(実感)が薄れ風化しているのが問題なのであって、われわれ日本国民はたえず原点に立ち返って、自国民310万人、アジア諸国民2.000万人という未曾有の犠牲者を出した我が国の戦争指導者の所業と民族的責任をシビアに見つめ直すことの方が大事だろう。けっして自分に甘くなってはなるまい。
  他国との戦争や植民地支配の歴史を振り返るうえで日本人の心が問われるのは、自虐とか自尊(誇り)とかの問題ではなく、その相手国民に対して犯した過ちと加害に対する反省と責任をどう感じるか、その心(誠意)の方だろう。その誠意なくして相手国民は心開かず、自らの自尊・誇りなどばかり気にするようでは、かえって傲慢だとの反発を抱かれるだろう。
  日本の対外侵略は日清・日露戦争からであり太平洋戦争の敗戦まで50年間。相手国民からみれば、「日本が危険なことをしたのはほんの短い期間」といって済まされるようなものではあるまい。安倍首相が(「70年談話」に)言うように「日露戦争は、植民地支配のもとにあった多くのアジア・アフリカの人々を勇気づけた」といった物言いは韓国・朝鮮国民からは理解されるだろうか。(インドの独立・建国の父ネルーは次のように述べている。「その(日露戦争)直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一つを付け加えたというにすぎなかった。その苦い結果を、まず最初になめたのは朝鮮であった」と。)

  佐伯教授の「異論のススメ」に通じて言えるのは、そこには、①「正義の戦争」であっても「人殺しは悪、悪は犯してはならぬ」という倫理・道徳・道義的責任の軽視があり、②憲法平和主義(非軍事の安心供与による平和安全保障)の軽視、③日本の戦争に対する歴史的民族的責任の軽視、という三つの軽視があって、「正義の戦争」や軍事的抑止力と称する戦争と軍備の肯定・正当化があると思われるのだが。

  親米的な日本人は、戦後日本の平和を支えてきたのは平和憲法と日米安保だと思い込んでいる向きが多いのは確かだろう。だから、集団的自衛権の行使容認と安保法には、安倍政権の憲法解釈や閣議決定・国会審議など手続き上のやり方には異論があっても、中国・朝鮮・ロシアは嫌いで敵対感情さえもあるのにひきかえ、アメリカには従順(日本の戦争も、あれは中国やソ連から負けたのではなく、アメリカの物量に負けたのだという感覚)で、在日米軍を「抑止力」として容認し、沖縄県民以外(本土国民)は沖縄基地も容認している向きが多い。しかし、そのような認識は正しいとは思われない。何故なら、どの国とも友好・非軍事協力するという道はめざさずに、敵対し合う片一方(アメリカ)に付き従って敵を抑止するという(「対米一辺倒」「力(軍事)には力(軍事)を」という軍事に)偏った軍事協力のやり方が正しいとは思われないからである。

<参考>石田淳・国際政治学者―10月16日朝日新聞(インタビュー記事)「安全保障と民主主義」

2015年11月20日

辺野古移設には住民投票が必要

 先の投稿(朝日新聞「声」)に「移設で、普天間の危険性除去と負担軽減は前進する。安全保障に関しては国が決定すべき」というのがあった。しかし、その移設は同じ沖縄県内の名護市への移設であり、危険負担をたらい回ししたにすぎず、何ら本質的な解決にはならい。
 普天間飛行場を撤去すれば、彼の国は、そこに隙ができたからと、それだけの理由で直ちに攻撃を仕掛けてくるかもしれないから、などという非現実的なことを理由にして、代替地・辺野古への移転建設を急がないと普天間の閉鎖・撤去はできないといって、移設にこだわってばかりいるのではなく、「世界一危険な飛行場」ならば普天間は無条件で直ちに閉鎖すべきなのだ。
 基地が集中する沖縄県民にとって最大のリスクは、基地を撤去したことによって攻撃される確率よりも、そこに基地あるが故に有事に際して弾道ミサイルの標的にされる確率の方が高いことである。
 安全保障と平和的生存権は全国民に等しく保障されなければならないが、本土県民の安全保障のために沖縄県民がその危険を押し付けられ続ける(普天間住民には代替基地完成まで爆音被害と墜落事故などの危険と隣り合わせの忍従生活を、名護市に対しては辺野古の海を潰して新基地を、沖縄県には同県内での基地たらい回しを押し付ける)なら、沖縄県民にとっては日本国に属する意味がないことになるわけであり、「琉球王朝時代から交流してきた中国とうまくやってきた」という歴史を踏まえた自治区として、或いは独立して独自に(基地なき)安全保障を講じるしかないことになるわけである。
 それはさておいて、安全保障は「国の専権事項」ではあっても、特定の県・自治体に基地を集中させて移転建設するからには、少なくとも、その地方公共団体のみに適用される特別法を要し、それには住民投票による住民の同意が得なければならないと憲法95条は定めているのであり、その手続きを踏まずに基地の移転建設工事を強行することは絶対許されない。

2015年11月30日

日々、生命の燃焼(加筆版)

 まずは、今は亡き東大教授で宗教学者の岸本英夫という方が、あと半年の命と宣告されながら、10年近くもガンと闘い続けて考えるに至った死に対する考え方を紹介したい。
 (彼は死後も生命は存続するなどとは信じなかったし、天国や浄土などの理想世界を信じることはできなかった。)
 「死というものは実体ではなくて、実体である生命が無くなるということに過ぎない。生と死は、ちょうど光と闇のようなものだが、暗闇というのはそれ自体が存在するのではなくて、光が無いというだけのこと。
 人間に実際与えられているのは現実の生命だけだ。人間にとって確実なことは、『今、生きている』ということだけ。その寿命の中の一日一日は、どの一日もすべての人にとって同じように実態としての生命であり、どの一日も同じように尊い。
 いくら死が近づいても、その死に近い一日も、健康な時の一日と同じように尊い。したがってその命が無くなる日まで、人間は生命を大切にしてよく生きなければならない。
 『与えられた人生をどうよく生きるか』ということが問題なのであって、辛くても苦しくても、与えられた生命をよく生きていくより他、人間として生きるべき生き方はない」と。

 そこで思うに、「生きる」とは「生命を燃焼させる」ということであり、人生は、日々、生命の燃焼。そして「よく生きる」とは、その「生命の灯を光り輝くように燃焼させて生きる」ということなのではないだろうか。
 (1)目標をもって生きる
 すべての生き物は、生命を燃焼させて生きている。動物は欲求をもち、それが獲物や交尾の相手を求め、子を生み育て、天敵から身を守るなどの行動にかりたてる。すなわち欲求が行動にかりたてる原動力や活力となり、「生命力を発揮」させ「生き生き」とさせ、いわば生命の燃焼に光り輝きを加えるのである。(獲物を狙い追いかけ襲いかかる時の動物は、目は爛々と輝き、躍動感に満ちている。)
 動物はすべて、それに人間でも赤ん坊なら、目的・目標など持たなくても、ただ生きるしかなく、ただひたすら生きようとする。それは生への本能的欲求があるからであり、神様(造物主)から生命を与えられた生き物には、「生を欲する」欲求は与えられていても、「死を欲する」欲求は与えられてはいないからである。
 人間の場合は、赤子のうちは動物と同じで本能的・生理的欲求だけにとどまるが、成長するにつれ、その欲求に自己実現欲求(自分の志・夢・希望・目標を果たそうとする欲求、その欲求を満たすことが自己満足)や文化的欲求など様々な欲求が付け加わる。
 それに人間は本能的な欲求選択調整力(色んな欲求の中から、その時その時で最優先の欲求を選びとり、他は先送りするなどの欲求コントロール能力)をもつだけでなく、「こうすればこうなる」と考える論理的思考能力をもち、いわば目標設定計画力(何か目的・目標をもち、それを目指して作戦・計画たてる能力)をもつ。そして目的・目標を果たそうとして一生懸命になり、必死になったりもする。(うまく果たせれば達成感を味わい、結果は失敗に終わっても、それに取り組んでいる過程で心の充実感を味わう)そこに生きがい」を感じる。

 (2)目標は何だっていい
 人々が欲し追い求める欲求と目標にはだいたい次のようなものがある。
 「直面する問題解決」、「仕事」、「カネのやりくり」「カネ儲け」、「蓄財」、「昇進」、「地位や名声の獲得」、「家族との団らん」、「愛し愛されること」、「子育て」、「子や孫の成長を見守ること」、「人助け」、「社会貢献」(ボランティア活動)、「社会活動」(町内会・自治会の活動)、「闘い」、「評論」、「パソコン・インターネット」、「特技や技術を生かした創作活動」、「読書」、「鑑賞」、「学習や教養を高めるための活動」、「スポーツ」「ウォーキング等」、「試験合格」、「趣味」、「ゲーム」、「ギャンブル」、「旅行」、「冒険」、「祭り」、「娯楽」、「ペットの世話」それに「生きることそれ自体」。                  
 これらの欲求と目標が人を行動にかりたて、生命力を発揮させ、生命の灯を光り輝くようにさせる。逆に云えば、欲求と目標を無くしてしまったら「生きがい」も無くなってしまい、生命の灯も光り輝きを失う。
 欲求選択・目標設定も「世のため、人のため」になるようにものならば、それにこしたことはない。人々から感謝され、共感が得られれば嬉しいし、より満足感が得られるからである。しかし、そのようなものではなくても、(この私が今こうしてやっているような)人様には何の役にも立たない自己満足にすぎないものではあっても、人畜無害で、犯罪など法や人の道に反しないかぎり、目標は何だっていいのだ。

 それぞれ、その人の置かれた立場・境遇によって様々なケース。
 ①[心身とも健康で体力・知力に経済的余裕もあるという人の場合]―その場合はどんな目標選択も可能なわけだ。
 <事例>海洋冒険家の堀江謙一氏(1938年生まれで現在77歳)は、以前、ヨットに「一人ぼっち」乗って太平洋を横断、その後「単独無寄港世界一周」を2回も果たしたが、69歳になって、今度は「波力推進船」でハワイから日本まで踏破して見せるという目標と計画をたてて実行し、それを果たした。7,800キロを、化石エネルギーには頼らず完全に自然エネルギーで、というわけだが、波まかせ、徒歩より遅いスピードで110日間かかって、帰ってきて曰く、「精神と肉体を完全に燃焼できました」。そして三桁(100歳代)まで頑張ると言って冒険への挑戦を宣言した、とのこと。
 常人では思いもよらない壮挙には違いないが、人によっては、それは偉業というよりは、人々の実生活には何の役にも立たない当人の自己満足に過ぎない壮大な愚挙とも思えるだろうが、私などはこのスピード時代に何ともスローな大冒険もあるものだなという感動を覚えた。いずれにせよ、彼の生命は100年間燃焼を続け、燦然たる輝きを見せるのだろう。

 ②[重病人の場合]
 <事例>(08年1月9日、NHK「生活ホット・モーニング」から)末期ガンで寝たきりの患者にリハビリを勧めたところ、患者は「どうせ死ぬんだから」と言って難色を示したが、どうにか説得すると、「それなら、友人が集まる恒例のパーテーに行きたい。その会場は2階だから階段を登れるように」といってリハビリを受けた。その結果、パーテー出席の目標を果たしただけでなく、それまで動かずにいたために損なわれていた機能も回復し、活動範囲が広がって新たな生きがいを呼び起こすことになった
という。
 <事例>精神科医でメンタル・ヘルス国際情報センター所長の小林司氏がその著書(「『生きがい』とは何か」)に、長期闘病のあげくガンで亡くなった岸本英夫氏の(冒頭に紹介した)考え方のように最後を生きた人(姫路市で理髪業をしていた田中祐三氏)のことを紹介している。
 彼(田中)は胃ガン手術後、再発の恐怖にさいなまれたが、ある講習会で「悪い方にばかり考えず、物事を別の方角から見て良い方に解釈する」「見方一つで希望をつかめる」と学んだ。暫くたって、ガンは腸に転移して激しい痛みに苦しんだ。しかし彼は「ガンの末期であっても楽しく生きられ、見方を変えればガンだって怖くない。日々の命に感謝しよう」ということを、ガンで苦しむ人たちやその家族に訴えたいと決意して、北海道から岡山まで十数ヵ所で講演して歩いた。東京大学では、学生や医師らを前に「私には今しかない。今、今、今です。あとすこしの命だが、今を楽しく生きれば、明日につながる」と訴えて、強い感動を与えた。「ぼくはガンと闘っているつもりはない。死ぬ方向ではなく生きる方向を見つめているだけです」と生きることの素晴らしさを半年間語り続け、多くの人に生きる勇気を与えて、彼は大阪のホスピスで最期を終えたという。

 生命の火種を絶やさず、燃焼させ続けているかぎり、その灯を光り輝かせることができるのだ、ということだろう。
 <事例>(15・12・8朝日新聞「折々のことば」)ウォーレン・シヴォン―ロスアンゼルスで暮すフォークロック歌手―肺がんで余命3ヵ月と宣告され、残された時間を、友人と家族に遺す最後というよりも生涯最高のアルバムの制作に取りかかった。そして「今度のことで生死について見方が変わったかい?」という友人の質問に答えていわく、”Enjoy every sandwich”(「どのサンドイッチを食べるときも一つ一つ味が楽しめるようになったよ」)と。

 ③[寝たきりの人の場合]
 ALS(筋萎縮性側索硬化症)などで、手足は動かず、口も動かず話もできない。(重症になると人工呼吸器で呼吸、胃ろうで(胃に管を通して)栄養補給。)それでも、耳は聴こえ、目とまぶたが動くので、(介護者が50音や数字を並べた文字盤でカナ文字や数字を指差しながら音声を発し、彼が伝えたい言葉に該当するその字に視線を送って、介護者がそれを読み取る、といったような方法もあるし)何らかの方法を講じればコミュニケーションはとれる。目の前に立って話しかければ、その人の顔も見え、映像も見え、音声も聞き取れる。そしてあれこれ思い出し、思い描き、自分が生きていることも自覚でき、生きている喜び感じることだってできるわけだ。
 <事例>脊髄性筋萎縮症の女性―人口呼吸器をつけ、支援者の力を借りながら一人暮らしをし、同じ立場の人たちの支援に車いすで動き回る。「人工呼吸器が起こすシュー シューという風が「生きろ」と言ってくれるかのように勇気づけてくれる。」「たくさんの支援が必要だからこそ多くの人に出会える。自由に動くことができないからこそ、生きていることに感動する」(ドキュメンタリー映画『風は生きよという』11月19日朝日新聞に紹介記事)。

 ④[脳に障害を負った人の場合]
 認知症などで記憶力、判断力、見当識(場所や時間の認識力)、計算能力など認知機能の低下があっても、自分が自分であることが認識できる自我意識は残り、何かに興味を持ち、喜び悲しみなど人間的感情が残っていて、生きて何かを為すことに(たとえどんなに他愛のないことでも)自己満足が得られ、生きがいが感じられれば命の輝きが得られるわけである。(家族・介護者・支援者など接する人や周りの人の扱い方によっては、不安・恐怖・ストレスから徘徊・暴力など異常行動や不眠・幻覚・妄想などを起こす場合があるが、温かく人間らしく扱ってもらえるかぎり、その人らしく穏やかに生きられるはずだという―NHKスペシャル2015年11月14・15日「認知症革命」)
 <事例>(11月17日、NHK『認知症の私からあなたへ』より)佐藤雅彦氏61歳(元中学校の数学教師、コンピュータ会社のシステムエンジニア、45歳から兆候、51歳になって、何回も来た道なの判らなくなり、直前の事が記憶できないようになり、医院で診てもらったらアルツハイマーと診断。今日の日も年は判っても月日・曜日が判らない、漢字を書けない、何度も買い物に来たスーパーなのに品物が置いてある棚が憶えられなくなり、すごい耳鳴りなども。
 落ち込んで、辛くなり、死にたくなることも
 対策―日記(過去10年間)、パソコンに記録(備忘録)機器が壊れて以後はケイタイ(ナビ機能・カメラ機能)利用。財布の中をチェックも。
 周一回ボランティア(途上国の子供支援の郵便物発送作業など)
 実名で認知症であることを公表しつつ全国講演(年100回以上)、
 認知症のワーキンググループ(当事者活動)に参加
 認知症に関するシンポジウム、国際会議にも認知症当事者として代表参加。
 認知症になっても暮らし易い町づくり提案など等、認知症だからこそできること。
 絵―個展を開くことが夢。
 自分の能力を信じて何でもチャレンジ、認知症でも出来ることがあるのだと人に解ってもらう、それが自分に課せられた使命だと思って頑張れる。
 「不便はあっても不幸ではない」と。
 痛み、傷つき、悩むのも生きているからこそ―「自分は今、生きているぞ」と。

 ⑤[超高齢者の場合
 <事例>瀬戸内寂静93歳(NHKスペシャル『いのち瀬戸内寂静 密着500日』より)以前は「生き飽きた、生きているのが嫌になる、早く死にたい」「死は選ぶことは許される」などと考えていた。
 しかし、昨年(92歳)大病(腰の圧迫骨折と胆のう癌手術)で数ヵ月間闘病。その間「死ぬかもしれない」とか「死にたい」とは一度も思わなかったという。その後も、「もう一度、小説を書くこと」を目標にしてリハビリに励んだ。「未来の自分に期待して」「与えられた命は生ききるのだ」。60年も一つ(小説)の仕事に打ち込んできた、といっても「未だ満足していないから」と。当初は「闘病記」をエッセイとして書くつもりで始めたが、小説に切り換えた。題名は「いのち」・・・・とのこと。

 人は、何でもいいから出来ることを為し、或いは手足も口も動かず何かを為すということはできなくても(医療介護サポートがあれば)生きているだけならできるという場合には、ただひたすら、それ(生きること)だけを自分に課せられた目標として専念し、日々それを果たして過ごせばいいわけだ。
 毎日毎時間の目標・日課は唯ひたすら生き抜くこと、そして眠りにつき目をさます度に「生きている!よ~し、明日も生きるぞ!」と生きていることを確かめて喜び(達成感)を感じ、希望をつなげる。そうやって生きているそのこと自体を喜び楽しむのだ。
 人間というものは、あれこれ何を為したか、何が出来たかで偉いとか偉くないとか価値が計られるのではなく、生命を燃焼させて生きることそれ自体に価値がある、というものなのではないだろうか。

 生命より大事もの、命を犠牲にしてでも果たさなければならない大事なものがある、ということで、何か「大義」なるもの―「お国の為」とか「神のため」とか「多くの人々を救うため」とか―を持ち出して、それに殉じる、というふうなことがあるし、或いは欲望執着だけでなく命への「執着を捨てよ」などと言われたりもするが、各人にとっては、まさに命は「地球よりも重い」最高価値なのであって、それが尽き果てれば、全ては無となってしまうのであり、己の命ほど大切なものはないのである。

 それにつけても、生きとし生けるもの、死は避けられず、いずれ生命は尽き果てる日が来る。しかし、その時まで、生き抜いて生ききる。そして生命・人生を全うして最後に得られる自己満足、それこそが「満足のある死」というものだろう。その意味では、死は苦でもなく恐怖でもない、ということだ。

私の生き方(随想)

  「いったい何のために生まれたんだ」とか「何のために生きてんだ」などと言われたり、「生きる意味」を自問することもたまにはあるものだ。しかし「何のために」なんて言われても、昔なら「家のため」だとか、「お国のため」、などといったようなこともあったかもしれないが、本人はただオギャーといって生まれてきただけの話で、生まれたからには生きるしかなく、ただひたすら生きているだけ、というものなんじゃないだろうか。とにかく生きる。要はそうして授かった命、その生(人生)をどのように生かし発揮して生きがいを感じて生きるかだ。そうして生きる喜びを満喫できれば「ああ、幸せ幸せ」ということになるわけだ。
 しからば、どうすれば生きがいを感じ、生きる喜びを満喫できるかである。その方法は、日々、夢・目標・日課をもち、それを果たしつつ(果たせれば達成感・満足感が得られ、果たし損ねれば、がっかりして、しばらくは落ち込んで挫折感・絶望感に囚われたりすることもあるが、やがて立ち直っては「よ~し、今度はこれでいこう」というふうに切り換えて、再チャレンジを繰り返しながら)生きることだろう。
 夢・目標・日課は人それぞれ、思い思いに、どんなことでもいいわけであるが、究極の人生目標は「死ぬまで生き抜くこと」だろう。そしてそれを果たせた喜びが究極の幸福となる(極楽往生を遂げる)、というものではあるまいか。
 
 かつてドイツのヒトラーが支配した当時オーストリアの精神科医だったフランクルという人が、ユダヤ人強制収容所で極限状況に置かれた人たちの有り様を目の当たりにし、解放後に著した(「夜と霧」)、その文中に次のような意味のことが書かれているという。「人生に何か(いいこと、楽しいことがないかな、と)期待して生きるのではなく、人生(をこれまで生きてきて、これからも生きようとする自分)から(自分自身に)こうあってほしいと期待されて生きることだ」と。
 それは、誰かが何かしてくれて与えてくれるものをただ受け取るだけで、それに満足がいかないと、つまらないとか空しいとかいって、ただ受け身で消極的に生きるのではなく、自分にせっかく与えられている生(一つしかない命、一回しかない人生)を最大限だいじにして、与えられたその条件下で(たとえどんなに恵まれない条件下でも)何でもいいから(世のため人のためになろうと、なるまいと、或いは人様から見ればどんなにか他愛もないことであっても)自分にできることをやって、精一杯(ほんの少しでも)生きる喜びを満喫して生きるがよい、ということなのではないだろうか。
 それは、たとえ極限状況に置かれても、「もはや人生に何も期待できず夢も希望もない、生きていても無意味だ」といって絶望して諦めるのではなく、極限状況に置かれているその人生が自分に「逆境を運命として受け入れつつ逞しく生き抜いてほしい」と期待をよせている、その期待に応えて生きるがよい、ということなんだろう。

 当方の場合、我が人生が自らに期待し、課し、促しているのはどんなことかといえば、それは、今日も朝起きてからやっていること(ラジオ体操・掃除・新聞・テレビ・ブログで「つぶやき」と「声なき声」の発信・歌いながらの散歩・ワイン晩酌たまに市民の集いや飲み会や小旅行など、人様から見れば他愛のないことでも、日々やっている)、そのことにほかなるまい。
 人が何かに取り組み、それがうまくいって「ああ、よかった」といって達成感を得、ひいては生きがい感・幸福感を感じるのは、実は自己満足にほかなるまい。
 人は誰しも、それぞれ置かれた境遇の下で、人生が自分に期待し課している目標・課題に取り組み、それを果たして自己満足を得る。その目標・課題が困難をともなうものほど、また、それが世のため人のためになり、人々から感謝され或いは共感を得られるものほど満足度は高いわけだ。                    
 しかし、置かれた境遇や条件(生活環境、年齢、健康、頭・体力、カネや職や役目の有無など)によっては、世のため人のために役立ちたいとは思ってもそれができず、(当方のように)自分のことしかできないとか、自分のことで精一杯という人は、満足度の低いささやかな自己満足に甘んじるしかないわけであるが、それでも自己満足できるだけでも幸せというものであり、生きている価値があるというものだろう。(当方はそれで満足している。)
 そりゃ、ノーベル賞受賞者が世界中の誰もが認める功績によって得ている満足感と、或いは「国家・国民の為に日本で一番頑張っている」と自分で思いこんでいる総理大臣の自己満足と、当方のような無力な人間の自己満足とでは満足度には(天地の差ほどの)違いはあっても、自己満足であることにはかわりあるまい、と思うのだが。
 どうせ生きるんだったら「生きがい」のあるように生きるということであり、生きがいとは、生きていてよかったと自分で満足できること、要するに自己満足のことだろう。
 人生は「自分が自分に目標・課題を課し、それを一つ一つ果たして満足を得る」という「自己満足の積み重ね」なんではないのか。
 このところずうっと、そういう思いで日々過ごしている。

 それで今日もいつもの日課を・・・・・・・・・・・・・・・
 尚、新聞・テレビはニュース報道を見て、これはどうも?と思うと論評をブログに書き込み、時には新聞に投稿(これまで、この10年余りの間、新聞に載ったのは11回だけで、何十回も載っている教え子のS君にはかなわない)、市民の集まりに行ったりもしている。
 糖尿ぎみで晩酌はワインを一杯だけ。
 散歩は田んぼ道を唄いながら1時間半ほど(歌は「千の風」「花は咲く」「昴」「「河の流れ」「木枯紋次郎」の歌、「君といつまでも」「銀色の道」「大都会」「また逢う日まで」「愛しき日々」「イマジン」、それに徘徊老人への「声掛けソング」―山形県警のお回りさんが作った歌で、「どさどさ どさえぐなや どさどさ どさどさ どさえぐなやっすー」といった歌詞の歌なども)。
 それから「聴き流し」英語を一日15分ぐらい、10年以上やっているが、さっぱり憶えられないのに(少しは憶えたような気になって、いや、そのうち少しは憶えるだろうと思って)未だやっている。(日本語の言葉さえも、すらすら出て来なくなったというのに。)
 これらは自分のボケ防止には役立っても、人様には何の役にも立たない自己満足にすぎないが、ただ人様に迷惑をかけずに退屈しないで生きていかれれば、それでいいんじゃないかな、という思い。
 孫が、親から怒られてふてくされ、「生まれてこなきゃよかった」などとつぶやいたことがあったが、もう一つ、こんな歌もうたっている。「命は一つ、人生は一回だから、命を捨てないようにね・・・・・死んで神様と言われるよりも、生きてバカだと言われましょうよね、きれいごと並べられたときにも、この命を捨てないようにね・・・・・」。 

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