米沢 長南の声なき声


ホームへ戻る


護憲でも自衛隊そのものは容認の人も
2015年10月06日

 先の高校生の方の投稿『護憲派へ、自衛隊は違憲でしょ』には、「立憲主義を貫き通すならば、整合性を取れる立場は改憲論者か自衛隊解散論者だけだ」、「護憲だけれども、自衛隊は現状のままでよいというのであれば立憲主義を語る資格などない」とあったが、もしそうだとしたら、朝日新聞社は(現状の自衛隊を否認してはいないし、改憲を主張しているわけでもない、とすれば)立憲主義を語る資格はないとなるのか?
 護憲の立場でも、自衛隊は普通の軍隊とは異なり、自衛のために必要最小限度の実力(自衛力)は持っていても、9条が否認している対外戦争のための戦力も交戦権も持ってはいないという合憲解釈で、歴代内閣法制局がそれなりに立憲主義を踏み外してはならないとの立場から論理的に整合性を取って、(個別的自衛権―専守防衛に限定しつつ)ぎりぎりのところで許容限界を守って違憲立法を審査して認めてきた現状の自衛隊の存在を是認している、いわば護憲的自衛隊合憲論者もいるわけである。
 しかし、安倍内閣は、その憲法解釈をがらりと変更して、これまで認めてこなかった集団的自衛権の行使までも容認する閣議決定を行い、それを盛り込んだ新たな安保法制につくり変えた。それに対して憲法学者の圧倒的多数および元内閣法制局長官、元最高裁長官までも違憲だとの見解を表明したにもかかわらず、多くの異論・反対を押し切って、国会で与党議席の数に物を言わせて採決を強行、多数決で法案を通した。それは明らかに違憲立法であり、立憲主義を踏みにじるものとしてそれを糾弾するのは誰であれ当然なのでは。
 現下の問題は自衛隊そのものの存在が違憲かどうかの問題ではないのであって、自衛隊なのに国外で米軍など他国軍までも「他衛」する集団的自衛権の行使容認の新安保法を一内閣一国会で憲法解釈の独善的な変更と強引な多数決だけで立法を強行した、そのような立憲主義の破壊を許しておいていいのかの問題だろう。


ホームへ戻る