米沢 長南の声なき声


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自衛隊は軍隊ではなかったはず
2015年10月15日

 安倍首相は自衛隊を「我が軍」と言い、国際法上は軍隊と見なされると。しかし、憲法9条(戦争放棄・戦力の不保持・交戦権の否認)の下では自衛隊は軍隊とは異なり、我が国に対する急迫不正の侵害(直接攻撃)があった時の自衛のための必要最小限度に実力行使は限定される。その国土防衛以外には災害出動や警備活動などもあるが、海外に出て行って紛争に介入したり参戦したりして武力行使することはできないことになっている。
 ところが、湾岸戦争後、PKO(国連平和維持活動)に派遣できるようにされ、また同時多発テロ後には「特措法」によって米軍や多国籍軍への「後方支援」「人道復興支援」活動に「非戦闘地域」などに限定して派遣できるようにされた。
 そして今回、安倍政権による憲法解釈変更の閣議決定によって、自国が攻撃されなくても同盟国等が攻撃されて、危険が我が国に及ぶと判断すれば、それに対して武力行使ができるとして集団的自衛権の行使もできるようにされることになった。(集団的自衛権というのは、この場合、米軍など味方の他国軍を守る「他衛権」というべきものであり、味方が攻撃されて自国に危険が及ぶと感じて、自国が攻撃されてもいないのに、その敵国軍を攻撃するというのは、相手国から見れば先制攻撃ということになる。)それは自衛の範囲を越えており、9条の許容範囲を越えるものと見なされよう。
 また、それをも含めて新安保法制で、恒久法によって戦闘地域における(支援する味方の武力行使と一体化した)兵站活動にまで自衛隊を派遣できるようにされ、PKOにおける自衛隊の任務も拡大させ、住民防護・巡回・警備・検問、それに他国部隊を加勢する「駆け付け警護」も加えるようにし、その際の(任務遂行のための)武器使用も、それまで自己防護などに限定されてきた以外に使用できるようにされることになった。こうなるといや応なしに戦闘(武力行使で、殺し殺される事態)は避けられなくなるわけである。
 こうなると、それまではまだ、9条の(自衛以外には武力行使は許されないという)許容範囲にぎりぎりセーフと見なされてきたものを完全に越え、もはや「自衛隊」ではなく完全な「軍隊」に化したと言わざるを得まい。
 護憲派でも、自衛のための必要最小限度の実力組織としての自衛隊は(災害出動などで大きな役割を果たしてきたこともあって)9条とは両立できるものとして認めてきた人たちもいるわけであり、その人たちが今回、集団的自衛権の行使容認など新安保法制は、もはや自衛隊合憲解釈の一線(レッドライン)を越える違憲立法であり、その強行は立憲主義を覆すものだとして、立憲主義を守れと主張するのは、(9条改憲論者か自衛隊解散論者だけとは限らず)誰であれ当然のことだろう。
 自衛隊は軍隊なのか否か、自衛隊の定義と軍隊の定義など国際法上厳密な定義はどうあれ、自衛隊は米軍・ロシア軍・中国軍など他国の軍隊とも、又かつての日本帝国の軍隊とも性格は全く違うことは明らか。それが今や、その自衛隊が新安保法制によって米軍との一体化を一層強めるようになったことと相まって、それら他国の軍隊やかつての日本帝国の軍隊と同然と化してしまう。それでもかまわないのか。否、その方がいいし、それでもまだ不十分で、正式に改憲して(9条を書き変えて)軍隊として正式に認めるべきだともいうのだろうか。安倍首相はそういう考えだが、国民はどうなのだろうか。そして高校生など、これからの日本を担う若い有権者たちは。


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