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2015年05月 アーカイブ

2015年05月01日

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                       高野山 奥の院
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                たくさんの小さな五輪塔を積み上げてピラミッド型に
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                       壇上伽藍の根本大塔
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                       金剛峰寺の石庭
これら那智・高野山の写真は、前の串本・勝浦・白浜の海、富士山の写真とともに3月半ば過ぎ南紀方面へ旅行に行った時の写真


2015年05月02日

「声」掲載の軍事肯定論は短絡的(加筆版)

 本紙(朝日)「声」に最近載っている軍事肯定論(*)はいずれもが、どうも短絡的で論拠に乏しい。
 東アジア地域は不安定で、中国や北朝鮮に穏やかならぬ動きが見られるとしても、それでどうして、その武力攻撃に備えて軍事を拡充・強化しなければならないとなるのか。
 第一に、中国や北朝鮮などを脅威とみなして、日本が集団的自衛権行使を容認して自衛隊の活動を拡充・強化したら、先方も日本のそれが、アメリカとともに脅威だから、備えなければならないのでそうしているのだと言われれば、それは違うとは言えないわけである。
 第二に、隣国に不穏な動きが見られるとしても、地震など自然災害のようにいつか必ず襲来するという必然性があるわけではあるまい。
 個人レベルで言えば、世の中には「危ない人」はいるものだが、かといって誰もが襲われる必然性があるわけではない。仮にもし襲われたら、それに対して棒や石などそこにある物を使って抵抗し、逆に殺す結果になっても正当防衛として認められる。しかし、だからといって銃刀を所持することは我が国では禁じられている。所持を認めたら、それが使われがちとなり殺傷事件が頻発して、かえって物騒な世の中になってしまうからだ。それと同じように、国には、警察力なら必要だとしても、軍隊は必要とは限らず、コスタリカなど幾つかの国でも憲法で禁じているのである。

 *「自衛隊は国に必要な『軍隊』だ」(3月30日)、「憲法改正で自衛隊の存在明記を」・「日本は防衛軍を持つべきだ」(4月1日)、「軍隊による真の安全保障を」(4月8日)、「目に見える防衛力は必要だ」(4月18日)

戦後レジームの"歪み"からの脱却こそ(加筆修正版)

戦後レジームの歪み―憲法に不忠実―ねじ曲げて解釈、中途半端、憲法が「かくあるべし」と求めているものから乖離
  日米安保条約―日米同盟―沖縄を基地の島に
  再軍備―自衛隊の軍隊化

その歪みからの脱却―憲法が求めている本来(憲法どおり)のあり方をとり戻し(原点回帰・初心に帰る)、それを忠実に守り活かすこと―それこそが焦眉の課題
 原点―9条1項[正義と秩序を基調とする国際平和を希求し、国権の発動たる戦争と武力を放棄]。そのために2項で(「前項の目的を達するため」として)[戦力不保持](軍備撤廃)、これ即ち非武装にほかなるまい。
 第1項(戦争放棄)の条文中の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」と第2項(戦力不保持)の条文中の「前項の目的を達するため」はGHQ案には無かったもので、議会(小委員会→特別委員会→本会議)審議の過程で修正されて加えられた字句。
 小委員会の委員長だった芦田均は、後に「前項の目的を達するため」とは侵略戦争を放棄するという目的を達するため」の意味であり、自衛戦争は放棄しておらず、自衛のための戦力保持は禁じられていないと言い出したので、再軍備論者は、それを芦田修正として、自衛のための戦力保持は許されるという解釈の根拠とするようになったが、当初(46年8月21日、特別委員会で)の芦田の説明はそうではなかった。芦田はそこで、「前項の目的を達するため」の字句を加えた理由は「戦争放棄、軍備撤廃を決意するに至った動機が、専ら人類の和協、世界平和の念願に出発する趣旨を明らかにせんとしたのであります」、「日本国民が他の列強に先駆けて正義と秩序を基調とする平和の世界を創造する熱意あることを的確に表明せんとする趣旨であります」と述べている。要するに、それは平和への熱意を示すためだ、というわけである。
 国民の不断の努力によって保持―12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」―「この憲法が国民に保障する権利」には平和的生存権(前文にあり)も含まれよう。「又、国民は、これを濫用してはならないのであって・・・・」として国民に禁止と責任を課しているが、同時に、それは政府はこれ(国民の自由・権利)を侵害してはならないのであって、政府にも禁止と責任を課しているのである。
 憲法尊重擁護義務―99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」

 政府にも公務員にも国民にも、憲法のこの定めをないがしろにしている向きがあるが、今こそ、「一億総反省」すべきだろう。
 守るだけでなく活かす努力が必要なことも

 

2015年05月03日

今、考えるべきは活憲―投稿 三つ(加筆修正版)

 これまで論じられていることの多くは改憲か、それに反対か、のどっちかだが、ここでは3つとも、単に反対だというだけでなく、現行憲法を忠実に守り活かすことを考えるべきだ、ということを言ってる。

憲法が求めているやり方は?
 いま安倍政権は、安全保障と国際貢献を日米同盟に依拠して専ら軍事的な観点から武力攻撃事態・「存立危機事態」から「グレーゾーン事態」に至るまであらゆる事態を想定して追究し、それを制約する憲法の条項を許容限度ぎりぎりまで拡大解釈して可能たらしめることに心血を注いでおり、与党協議も国会の議論もマスコミの論評も、その土俵内でその是非を論じている。そしてそれが現行憲法では無理だとなれば改憲してその制約を取り払うしかないなどと、憲法が求めないことばかりに血道をあげている。
 我々国民の前には憲法が本来政府に期待し求めているやり方―不戦・非軍事的な方法―というものがあるはずであるが、その方を取り上げるべきだろう。
 戦後70年にしていま議論すべきは、憲法制定の原点に立ち返って、不戦・非軍事の安全保障・国際貢献にはどのような方法があり、それにどのように取り組むべきかということだろう。
 それには、対米従属から脱却、自衛隊を非軍隊化して不戦・自立・中立の立場に立って、どの国、どの民族・宗派も敵味方の区別をつけずに理解・対話に努め、信頼関係を築いて諸地域の紛争和解の仲介に努め、国連では旧敵国条項の適用をはずしてもらって常任理事国に加わり、世界の非核化・軍縮を推進・主導的役割を果たす、といったやり方があると思われるのだが。

平和国家ブランドを活かすか否か
 戦後70年にして、安倍政権によって憲法9条から反れる方向へ大きくカーブが切られ、我々日本国民は分岐に立たされている。安倍政権は歴代内閣の憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認し、憲法の制約も安保条約の枠も踏み越えて自衛隊の米軍協力をグローバル化し拡充させようとしているが、それは「戦後日本が培ってきた平和国家のブランド」が失われる方向であり、いま我々国民に問われているのは、それを良しとするのか、それとも平和国家ブランドを大事にしてさらなるその発揮をめざすのか、どちらを選ぶのかだろう。
 安倍政権は「積極的平和主義」と称しながらアメリカに追随して軍事面で国際的役割を強めようとしているが、それを言うなら平和主義に相応しく中立的・自立的立場に立って全ての国々・民族・宗派の人々と宥和、信頼関係を築いて諸地域の紛争和解の仲介に努め、国連では旧敵国条項の適用をはずしてもらい、常任理事国入りして世界の非核化・軍縮に主導的役割を果たす非軍事国際貢献をめざす、それこそが真の積極的平和主義なのでは。  
 安倍政権が目指す前者と現行憲法に忠実な後者とでは、国益上、国民の安全保障上も、有益なのは後者の方だろう。

むしろ原点に返って活憲
 憲法9条といえば、このところは専ら自民党政府与党の主導で「安全保障」と称して軍事的防衛を、「積極的平和主義」と称して自衛隊の海外活動を、ともに日米同盟の下に拡充・強化すべく実質改憲の方へすっかり傾いているが、我々国民はこの70年間むしろ中途半端にしてきた平和主義を再確認し、今こそ、その原点に立ち返って、それを徹底し活かす方向に乗り出して真の「積極的平和主義」をめざすことにこそ心を傾けて然るべきなのではあるまいか。
 9条には「武力による威嚇又は武力の行使」の永久放棄と「戦力」不保持を定めていながら、米軍の基地と駐留を容認し、自衛隊の名の下に再軍備、アメリカと軍事同盟を組み、今やその活動範囲を世界規模に拡大しようとしている。このような平和主義にはそぐわない対米従属的軍事的な方向ではなく、自立的・中立的立場に立ってどの国とも友好・信頼関係を築き、自衛隊は非軍隊化(国境警備隊・国内外災害復旧支援隊・非軍事PKOなどへ)、国連では旧敵国条項の適用をはずしてもらい、常任理事国入りして諸地域の紛争和解の仲介・世界の非核化、軍縮の推進・主導に努める、そういう方向を追究すべきなのではないだろうか。

2015年05月04日

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                        那智の大滝


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                                        桃の木
5月のつぶやき
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●テレビ・新聞、総理大臣、「中国!」「北朝鮮!」、「安全保障環境が厳しくなった、厳しくなった!」、「抑止力!抑止力!」「だから日米同盟の強化も、辺野古の基地建設も、安保法制の整備も必要!」、「そうだ!そうなんだ!」・・・・ああ単純!なんでそうなるの?
 女房いわく、「中国が、なんで日本さ戦争しかげでこんなねごんだ。あがな無人島(尖閣)の海の縄張り取りだくてが。そごまでバガだど思ってんなだべが」・・・・んだな、かって日本がアジア・太平洋で無謀な戦争を起こしたあの二の舞を「まさか中国が」・・・・いや、やりかねないのは日本のほうだと中国は思ってんなだがも。しかし、「まさか日本が」と思いたい。いずれにしろ「第2次日中戦争」なんてあり得る?。
 問題は両者(日中)のいがみ合い・ケンカを煽る向きがナショナリスト・政治家・メディア・その他にもあることだ。それに乗って両国とも構え、軍備増強(軍事同盟強化・軍事法整備も)。それが危険なのは偶発的(意図せざる)軍事衝突から戦争が起きしてしまうことだろう。だから煽りには乗らず、構えず、日米同盟強化・軍事法整備(新ガイドラインとか安保法整備)など控えたほうがいいんだ。
●孫に(学童野球に入った楽天フアン。ウルトラマンやガンダムが戦うビデオを毎日のように見ている)に、「自衛隊員になったら、世界のあちこちの戦争さ行ってこられっつぉ」と言ってみた。「野球は?」というので、「そういえば昔、ジャイアンツに沢村というすごいピッチャーがいたけど、戦争さ行って戦死して、二度と野球さんねで終わった」「ふ~ん」
●ワードに打ち込んだ英単集(憲法の英文単語も)を印刷してファイルに綴じて2冊、受験生の孫に渡してやった。活用してくれるかどうか・・・・「よかったらどうぞ」というもので、期待はしていない。所詮、当方の自己満足
●軍事評論家の前田哲男氏、曰く「安倍政権の対米従属―『戦争立法』により日本を米戦略にいやおうなく組み込ませ、自衛隊を海外戦争にむけ解き放つ―姿勢こそ、ことばの正しい意味で『売国』というべきではないか」と。やっぱりな
●昼過ぎ、女房は畑から未だ帰ってこない。やむなく自分で飯をと、茶碗を(前に間違えたので)確かめ、オレンジ色の方ではなく、青い方を選んで、それに盛って食べていた。そこへ女房が帰ってきて曰く、「この茶碗、私なだ。なんで忘れんなや」「ん?お前の勘違いでねなが?・・・・だったら、今度から、青い方のこの茶碗ば俺なにすんべや」「そんな訳あっか!その茶碗の方が小さいなだがら。たく、もお」「・・・・」
●♪花は 花は 花は咲く・・・・・♪ いい季節だなや
●安倍首相の米国議会での英語演説が朝日新聞には英文が訳文とともに載っていたので、(日頃からワードに打ち込んでいる英単語集に加えようと)単語をピックアップしながら読んだ。
向こう(アメリカ議会)で議員たちの受けを狙って、祖父である岸元首相とともにアメリカを持ち上げ、アメリカ人を喜ばせる内容と言葉を盛り込んでペラペラ。拍手をもらってしたり顔。
 しかし、どうも軽い。日本人をも含めて諸国民の中には「何を言ってんだか」「よくもまあ」「とんでもね」とnegativeに受けとめている向きも少なくないだろうな。 "an alliance of hope" (希望の盟)というが"unshakable subordinate alliance"(不動の従属的同盟)だろう


2015年05月09日

軍隊とは―自衛隊や警察との違い

 自民党は憲法草案で自衛隊を「国防軍」とし、安倍首相は自衛隊を「我が軍」という言い方をした。自衛隊は軍隊ではなかったはずだが、朝日新聞の投稿にも朝日新聞の投稿にも「軍隊による真の安全保障」、「独立した主権国家として自らの軍隊で国を守る」、「自衛隊は事実上の軍隊」「軍隊として認知すべきだ」、「自衛隊は国に必要な軍隊だ」などと。
 しかし、軍隊とはどんなものなのか、
 東日本大震災に際する米軍の「トモダチ作戦」―日米同盟を「希望の同盟」だなどと綺麗ごと
 日米同盟は中国や北朝鮮・ロシアなどに対する「軍事抑止力」だというが、それは「武力による威嚇」にほかならず。
 軍隊は国家(機構と支配層)を守るが、国民・住民を守るわけではない・・・・旧日本軍は沖縄などでそうだった。
   曽野綾子「軍隊が国民を守らないのは当然」と。

軍隊の特性 ①軍事的合理性―効率性第一(安全性は二の次)
      ②自己増殖性―肥大化
      ③危機・恐怖・脅威・敵をつくる
その現実・実態
   兵士の暴力性→暴力犯罪、内部でいじめ・・・・国民に牙を向ける
   新兵の訓練―殺人マシーン化―人間性・良心喪失・・・・女性・母親を蔑む訓練
    「優しい人だった」(撃てと命令されても撃てなかった)のが「殺人鬼」化。
    第2次大戦で米兵が戦闘中発砲したのは、全体の15%~20%に過ぎなかった(本来ほとんどの人間には同類である人間を殺すことに強烈な抵抗感があるもの)。それが、その後、米軍は発砲率を上げるための訓練法を開発。そのかいあって朝鮮戦争では55%になり、ベトナム戦争では90%以上になったという。 
    アレン・ネルソン元米軍海兵隊員の証言「新兵は教官から『お前たちの仕事は何だ』と訊かれ、『殺しだ』と答えさせられる」「訓練では、平和のことなど一切教わらない。日々殺し方を仕込まれるだけ。何も考えず、疑問を持たずに実行し、何のためらいもなく撃て、と」
     戦場・部隊から帰還後にPTSD(心的外傷後ストレス障害)に(2013年、アフガニスタン・イラクから帰国した200万人の米兵のうち50万人が除隊後に発症、1日22人自殺との推定値)。

2015年05月17日

平和・安全に近づけるのか戦争に近づけるのか―「安保」法制(加筆修正版)

●集団的自衛権の行使容認・安全保障関連法案―①平和安全法制整備法(「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案」)(一括法)②国際平和支援法(「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊に対する協力支援活動等に関する法律案」)(海外派兵恒久法)

●必要理由―「安全保障環境が厳しさ―脅威―を増したから」―しかし、その脅威―中国の軍備増強・海洋進出活動の活発化や北朝鮮の核・ミサイル開発など―は、「こっち(日米側)が何もしないのに、向こう側(中国・北朝鮮側)が一方的に」というわけではなく、向こうに側にしてみれば、こちら側(日米同盟、尖閣の国有化など)の動向に対応したものであり、こちら側にも原因があるのであって、それを棚にあげている。
●あらゆる事態を想定して対処する方策―武力攻撃事態・存立危機事態・重要影響事態・グレーゾーン事態など、あらゆる事態に切れ目のない対応を可能とするもの。
 軍事的合理性の観点からだけ発想―効率的・効果的運用など
集団的自衛権の行使によって「日米同盟は、効果的に抑止力を発揮できるようになる」(安倍首相)。  
  日米安保条約の「効果的な運用に寄与することを中核とする」事態に米軍と連携して対処
  「手続きの迅速化」とか「切れ目のない態勢」とか。
  自衛隊の活動がやり易く、活動範囲・武器使用など制約を減らす。
●自衛隊がアメリカとその同盟国の軍隊と共に行う海外活動を拡大し、(世界中で米軍の活動に組み込まれ、その要請に応じて)戦争に付き合うようにする(参戦へ)。
 新ガイドライン(日米防衛協力指針)と相まって―アメリカ(世界の警察官から後退)の「肩代わり戦略」で、アジア・太平洋地域から中東その他まで、米軍の作戦への支援・協力要請が強まることは必至。
 アメリカという国―自国の市民を守るためだけでなく、その財産や企業権益を世界中で守るため軍隊を使う国で、相手からの第一撃がなくても行動する先制攻撃も辞さない国(学習院大・青井美帆教授)―アメリカ流安全保障―「敵は誰なんだ、どこの国だと名指して、その敵を無力化したり攻撃・排除する」やり方(京都精華大専任講師・白井聡氏)(敵を作らず、全ての国と全方位・等距離の友好関係を保つやり方ではない)―そのような国と戦争に付き合うのだということ。

●安倍首相に言い分(記者会見)
 ① この法案の必要理由―安全保障環境が厳しさを増したから―「テロ―アルジェリア・シリア・チュニジアで日本人が犠牲。北朝鮮―数百発もの核ミサイルの脅威。防空識別圏に進入してきた国籍不明機に対して自衛隊機の緊急発進(スクランブル)の回数は10年前と比べて7倍に増えている。」「もはや一国のみで自国の安全を守ることはできない」と―しかし、だからといって、いずれ日本と同盟国に攻撃を仕掛けてくるかもしれない(だからそれに備えておかなければならない)などと思い込むのは短絡的に過ぎる。はたしてこれらの国が軍事攻撃を仕掛けてくる蓋然性(必然性)は、いったいどこにあるのか。単なる印象や憶測ではなく、具体的事実関係に基づいた論理的説明がついていない。中国との間には尖閣問題と靖国・歴史問題での感情的対立はあっても、それだけで、或いは他に中国が日本に軍事攻撃を仕掛けなければならない必然的理由はどこにあるのだろうか?あるとすれば、それは、こちら(日本)側と向こう(中国)側・双方の軍事挑発であり、それ以外にないのでは。軍事挑発とは軍事的「抑止力」(威嚇)の強化であり、今行われようとしている新ガイドラインと安保法制整備を含めた日米同盟を中軸とする軍事強化もそうなのである。軍事挑発は中国側(軍事増強・海洋進出)だけでなく日米側(同盟強化)・双方とも控えなければならないのである。
 北朝鮮の核・ミサイル開発・配備にしてもイスラム過激派のテロ攻撃にしても、それらはアメリカ側の軍事的圧力や軍事攻撃に対する軍事対応にほかならず、その脅威は、こちら日本が同調するアメリカ側の脅威に対抗しての相互・相関的なものだろう。
 ② 集団的自衛権行使を認めるといっても、「限定的なものであり、厳格な歯止め―『3要件』がある」と―しかし、この要件(①我が国に対する武力攻撃がなくても、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の生命・権利が根底から覆される明白な危険がある場合、②他に適当な手段がない場合、③必要最小限の実力行使)の「存立危機事態」だとか「明白な危険」だとか判断するのは政府であり、その裁量で如何様にも判断されてしまう。(国民はもとより、国会議員も、特定秘密保護法のもとで必要な情報は知らされず、判断のしようがない。)
 ③ 「米軍が攻撃され、日本に危険が及び、日本が危険にさらされた時、その危機を排除できるようにするのであって、米国の戦争に巻き込まれることは、絶対にあり得ない」と―しかし、アメリカの強い要請にも引きずられる(ベトナム戦争やイラク戦争などの時のように先制攻撃を行った場合でも、NOといえない)。
 ④ これによって「争いを未然に防ぐための抑止力はさらに高まり、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなる。」「日米同盟に隙があると思われると、攻撃を受ける危険性は増すが、この法整備で、日本が攻撃を受けたり、日本人の命が危なくなったりするリスクは減少する。」「積極的な平和外交と同時に日米同盟の強化に努めてきたが、それは万が一の備え」だと―しかし、その抑止力とは軍事的抑止力であり、相手への脅し(威嚇)で攻撃を思いとどまらせるやり方であり、安倍政権がやってきたこと、やっていることは「積極的な平和外交」などではなく「日米同盟―『軍事的抑止力』の強化」であり、軍事偏重。それは中国やロシア・北朝鮮・韓国などに警戒感・脅威感を与え、緊張を激化させ、安全保障環境をむしろ悪化させる。
 ⑤ 「海外派兵が一般に許されないという従来からの原則も変わらない」「自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは今後とも決してない」、「自衛隊が後方支援を行う場合には、部隊の安全が確保できない場所で行うことはなく、万が一危険が生じた場合には業務を中止し、あるいは退避する仕組みだ」「いずれの活動でも武力行使はしない」と―しかし、後方支援や監視・警戒・警護などだけで戦闘に参加しに行くのではないといっても、「非戦闘地域」「停戦発効後」という限定なしに行けば、そこでは相手は「戦闘には参加していない日本の自衛隊だからといって区別してくれて攻撃はしてこない、などというわけではなく(前線の戦闘部隊と一体と見なされ)、むしろ後方(兵員・武器・弾薬の輸送・給油など)を断つために真っ先に攻撃される可能性のほうが強く、攻撃されれば武器使用して撃ち返さざるを得ず、とっさに「業務を中止して退避」するなどというわけにはいくまい。(米軍指揮下で、自衛隊が米軍の前線での活動に不可欠の補給を担っていれば、勝手に戦場から逃げることなど不可能。)「戦闘・武力行使を目的にして行かせるのではない。後方支援だから」と言っても、結果として武力行使に発展していくことはわかりきったこと。
 ⑥ 自衛隊員のリスクへの懸念はこれまでもあったことで、「自衛隊発足以来、隊員の殉職1,800名にもおよぶ」―しかし、それは訓練中の事故と災害出動中の事故によるもので、戦死ではない。(イラクのサマワに派遣された隊員―そこは「非戦闘地域」とされていたが、宿営地に何回か砲撃があって、戦死はなかったものの、帰還後しに28名の自殺者が出ている。)この法案が通って実施されれば、戦死者も増えることは明らか。
 ⑦ 「『戦争法案』などという無責任なレッテル貼りは誤り」だと―しかし、これを「平和安全法制整備法案」などと名付けている。それこそが「無責任なレッテル貼り」ではないのか。「平和安全法」などと言われるよりも、「戦争法案」といった方が、ごまかしのない、本質をついた言い方だろう。憲法の平和主義―戦争放棄と武力不行使・戦力不保持―を放棄して、アメリカと共に世界で公然と武力行使・戦争ができるようにするための大転換なのだから。
●元自衛隊高官(海上幕僚長だった方)の評価(15日朝日『考論』インタビュー)―「何かが起こった時、米軍などと一緒に行動できる。これが任務であることの誇りは、現場の人間でないと分からないだろう。隊員は『これで世界中が一人前と見てくれる』と考える」と―しかし、そう思うのは指揮・命令する立場の人であって、現場で命の危険にさらされる一般隊員(若者)とその親たちは、そんな単純ではないだろう。

●戦争抑止力か戦争招来力か
 軍備=軍隊(軍事組織・兵員)と装備(武器)と法制(システム)―それは、戦争をするためのものではなく、「抑止力」で「保険」のようなものだと、軍備・軍事法制を正当化する考え方があるが(慶大・細谷雄一教授ら)、
 軍備「保険」論―戦争や武力攻撃事態に遭遇しても、攻撃を受けても大丈夫なように備える「万一の備え」だというもの―しかし、戦争や武力攻撃は、病気・事故・自然災害など回避不可能なもの(避けられないもの)で起きたら起きたで致し方のないものとは異なり、人が意図して起こすものであり、外交交渉・説得など人の努力によって避けようと思えば避けられる(回避できる)もの。「へた」に「保険」(軍事的抑止力)などあると、それに安易に頼ってその回避努力が疎かになり、かえって相手を挑発、警戒感を与え、相手の軍備増強を促し、攻撃を誘発することにもなる。
 「火事・火消し駆付け」論(元外交官・宮家邦彦―15日報道ステーションで白井聡氏と共にインタビュー)―これまでのような自衛隊に集団的自衛権の行使を認めない憲法解釈を、町内で火事が起きてみんなで一緒に火消しに駆付けようという時に、うちは家訓で禁じられているから行けないと言ってるようなものだと―しかし、例えとしては不適切。そんな家訓はあり得ないだろうし、「火事」と「戦争の火種の燃え上がり」とは性格が全く違うだろう。火事なら水をかけ・放水、消火器・消火剤で消し止められるが、戦争の火種―紛争や抗争―に軍事介入し集団的自衛権の名の下に加勢などすれば、かえって火種を煽って火事を大きくし、収拾がつかなくなったりもする。アメリカが起こしたアフガン戦争・イラク戦争から現在中東で起きている状況をみればわかるだろう。町内の火事のような単純なものではあるまい。
 エコノミストの吉崎達彦氏(15日NHKラジオ「視点」で)―安保法制は「ドッジボールのようなもの」で「前に出て防ぐか、うしろに引っ込んで目立たないようにしていればいいか―自分だけよければいいというわけにはいかないでしょう」と。―しかし、ゲームと軍事(殺し合い)を一緒くたにはできまい。軍事でアメリカと共に世界のあちこちにしゃしゃり出てやるよりも、平和外交でイニシャチブをとる、それこそが本当の「積極的平和主義」だろう。

 このような軍事的「抑止力・対処力」強化が相手側の同様な軍事的「抑止力・対処力」強化を誘発し、軍事衝突ひいては戦争を招来する危険性が増す結果となる。

●現行憲法の平和主義に基ずく我が国の安全保障は、世界の諸国民に対して我が国が戦争と武力による威嚇および武力行使を放棄し、戦力不保持を宣言・実行することによって安心供与と信頼醸成をはかり、国際平和への貢献に努めることによって達成されるはずであった。今その道が絶たれるか否かの岐路に立たされているのだ。


2015年05月25日

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2015年05月27日

「ポジティブリストとネガティブリスト」論(加筆版)

 朝日5月24日「長谷部・杉田 考論」で早大教授・長谷部恭男と法政大教授・杉田敦の両氏が論じていた。それは次のようなこと。
 権力・暴力(武器使用)の用い方―二通り
 ① ポジティブリスト―「できること、やれること」)を列挙―それ以外はやってはならない。
   憲法73条(内閣の行う仕事)に軍事はない(内閣に軍事権はない)―軍事はやってはならないということ。
   ●権力(政府や国会―権力機関)は抑制的に運用―憲法で規制(立憲主義)
     政府の判断―「国会の承認」が「歯止め」となり、それがありさえすれば政府の判断で何でもやれるというものではなく、たとえ国会が承認しても憲法に反していれば無効(安保法制における自衛隊の海外派兵など)。 
   ●海外派兵や他国領域での武力行使は「一般には」やれないが、次のようなことは「新3要件(①国の存立に関わり、国民の生命・自由・幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合、②他に方法がない場合、③必要最小限の限度内)にあてはまるならやれる」と?
    *他国軍隊への「後方支援」(国際法上の兵站行動で武力行使と一体)なら、戦闘地域でも「戦闘現場」から離れた所でならやれると?
    *ホルムズ海峡の機雷掃海(国際法上は武力行使そのもの)はやれると?
    *邦人輸送中の米艦防護のためなら自国の艦・部隊が攻撃されていなくても、他国領域でも集団的自衛権行使で武力行使できると?
    *ミサイル発射を防ぐ敵基地攻撃は、それが日本にではなく他国に向けられたものであってもできると?
  憲法9条は政府に武力行使を禁じている。例外など認めておらず、これらは違憲行為になる。
   ●武器使用―警察官、これまでの自衛隊―正当防衛と緊急避難に限って使える。(警告射撃などはやれても相手を傷つけてはならないことになっている)、それ以外には武器は使えない。(自衛隊は海外で武力行使はできない。)
 ② ネガティブリスト―「できないこと、やれないこと」を列挙―それ以外は何でもやれる。
   ●権力は為政者がやりたいように行使―独裁(国民の選挙で多数を制して選ばれた政治家による「期限付き独裁」。国民投票を利用したヒトラーの手法。安倍首相や橋下大阪市長の考え方も選挙勝者独裁・多数決独裁、いわば「民主的独裁」というものか―筆者)
   ●武器使用―正当防衛・緊急避難以外にも使える―海外で任務(派遣先で治安活動、住民やPKO従事者の防護・警護などの業務)遂行(妨害の排除)に必要な武器使用(武力行使と同じこと)―そうなると、それは軍隊(今度の安保法制で自衛隊の軍隊化へ)

About 2015年05月

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