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2015年04月 アーカイブ

2015年04月02日

普天間基地問題の全国世論調査―本土引き取りか、無条件返還か(加筆版)

 普天間基地の名護市への移設問題で政府と沖縄県はどんなに話し合っても平行線。政府は建設作業を「粛々」と強行するだけで、沖縄県側は結局は折れるしかないかのようだ(それともいっそのこと独立か)。それにしても沖縄県以外の国民はいったいどう思っているのか。
 沖縄県以外の国民は、①政府が名護市辺野古への移設を進めているのを支持し、沖縄県民・名護市民は無駄な抵抗は止めて承服すべきだと思っているのか、②自県・地元への移設を引き受けてもいい(「抑止力」維持のために米軍基地はどうしても必要だとは思うが、だからといって、宜野湾市民と名護市民の分断、どちらかへの負担の押しつけ、ごり押しするのは理不尽だから、自県・地元市町村に移設を引き受けるしかない)と考えるのか、③どちらも反対なのか、そのいずれなのか意思が問われて然るべきだろう。
 そこで全国世論調査を上記の3択でやってみては如何なものだろうか。
 それに移設にさいしては、その移設先市町村で住民投票を実施してその意思を問うべきだ。まずは名護市で、あらためてそれを行い、移設受け入れ賛成票が過半数を得られなければ断念し、そこ以外の移設先を選定すべきだ。その場合は米軍側に普天間基地移設の沖縄県外最適地をいくつか選定させ、それぞれその当該市町村で地元への移設を受け入れるか否かの住民投票を実施し、受け入れ同意が過半数を上回れば、その最多の市町村に移設を決定することにする。あいにく、受け入れ同意がどこも過半数に達しなければ、国民はどの県どこの住民も基地移設は受け入れを望まないものとして、普天間基地は移設なしに撤去・返還するしかないことになるわけである。
 このような全国世論調査や移設先市町村の住民投票を実施することによって国民全体にこの問題を政府と沖縄県民に人任せするのではなく当事者意識をもって考えてもらうようにするのである。
 いかがなものだろうか。
 普天間基地問題で問われているのは「本土引き取りか、無条件返還か」、沖縄県民にとっては「さもなくば琉球独立」あるのみともなるだろうが、それは本土国民にとっては、(沖縄に独立されたら)米軍海兵隊基地をどうしても維持したかったら本土のどこかに移設するしかなく、さもなければ普天間基地は無条件(移設なき)返還しかないということになるわけである。

 尚、沖縄は1879年(明治12年)まで独立国(琉球王国)だった。
  1429年、琉球統一王国成立―中国(明)へ貢物(半ば明の属国)
  1609年、薩摩藩が武力侵攻、以来その支配下に(半ば日本の属国)
                      但し中国(清)へも貢物(両属のかたち)
  1853年ペリー来航→54年、琉米修好通商条約
  1872年、日本政府による第一次琉球処分―「琉球藩」(国王を藩王に)、外交権停止
  1875年、清国への進貢、停止
  1878年、清国、日本政府に対して「琉球処分」に抗議
  1879年、第2次琉球処分―廃藩置県・沖縄県設置(藩王を廃位、首里城を明け渡し)

 NHK世論調査 4月10~12日
   政府の「普天間基地の名護市辺野古への移設」の方針に賛成26%
                            反対22%
                     どちらともいえない44%
                             不明8%
    政府の沖縄県への対応  適切だ16%
              適切でない34%
          どちらともいえない41%
                  不明9%
    安倍内閣 支持51%(先月より5ポイント上) 
      支持しない34%( 〃  3ポイント下)
         不明15%
  朝日新聞 世論調査 4月18・19日
    普天間飛行場の名護市辺野古への移設に 賛成 全国30% 沖縄22%
                       反対  〃41%  〃63%
    どのような解決が望ましいか   沖縄県内に移設 全国27% 沖縄15%
                    本土に移設    〃15%  〃20%
                    国外に 〃    〃45%  〃59%
     安倍政権の対応   評価する 全国25% 沖縄18%
               評価しない 〃55%  〃73%
     安倍内閣 支持 全国44% 沖縄28%
       支持しない  〃35% 〃52%


2015年04月03日

法治国家ならぬ違憲放置国家だ!(加筆版)

●安全保障・防衛政策―自衛隊の海外活動の拡大へ安保法制の整備―9条違憲立法
   防衛省では対中戦争計画(中国と名指しした戦争計画)を作成―有事では沖縄の南西諸島を中心に本土からの「機動展開」や「対着上陸・奪回作戦」による地上戦に加え、「弾道ミサイル防衛も想定。平時では、活動範囲を南シナ海・グアムまでの西太平洋・インド洋等での警戒監視活動を明記。
   辺野古新基地建設強行
   装備・兵器の増強
   首相の「我が軍」発言
  これら軍事―憲法73条(内閣の行う仕事)にない仕事―に邁進
  憲法擁護義務(99条)違反
  「安全保障法整備」と称して一連の関連法改定―自衛隊法の改定、武力攻撃事態法の改定、周辺事態法の改定、恒久法の新設、PKO協力法の改定等々―違憲「戦争立法」―憲法98条「憲法は国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令・・・国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」はず
  裁判所は「一票格差」問題だけでなく9条違憲も、放置せずに違憲立法審査に意を注ぐべきなのである。   

  このような首相や政府の違憲行為(というよりは憲法破壊ともいうべきもの)を放置しているのは国民、それに無批判なマスコミだ。

 違憲審査制にはアメリカ型の付随的違憲審査制とドイツ型の憲法裁判制とがあって、アメリカ型の場合は具体的な事件で訴訟が起きて、その訴訟解決に必要な限りにおいて通常の裁判所が違憲審査を行うやり方であり、ドイツ型の場合は憲法裁判所があって、そこで法令その他の国家行為の違憲審査を行うやり方。我が国はアメリカ型で、憲法裁判所はなく、閣議決定した集団的自衛権の行使容認は違憲だとか、それに関連する安全保障の諸立法は違憲だと正面から審査することはできず、政府のその決定や法令に基づいて具体的にある行為をやらされて不利益を被った当事者が訴訟を起こさない限り違憲判断は行われず、無効と断ずることはできないのである。これまで次のような6例があるだけ。
 ① 1959年砂川事件―米軍基地の拡張に反対するデモ隊の何人かが立ち入り禁止の柵を壊して立ち入ったとして刑事特別法違反で起訴された事件
 東京地裁(裁判長・伊達)では日本政府が米軍に駐留を許したのは9条2項(戦力不保持)違反と。
 しかし、上告審で最高裁は「外国の軍隊は戦力に当たらない。国家統治の基本に関する高度に政治性をもつ条約の内容について違憲かどうかを司法が判断を下すことはできないと(統治行為論)、原判決を棄却、差し戻し審(違う裁判長)でデモ隊の方が有罪に。
 ② 1967年恵庭事件―北海道恵庭町の酪農家兄弟が陸自演習場の電話通信線を切断して防衛器物損壊で訴えられるも、札幌地裁は、通信線は「防衛の用に供する物」には該当しないとして無罪判決。憲法判断は必要ないとして済まされ「肩すかし判決」
 ③ 1973年長沼ナイキ基地訴訟―ナイキ基地建設のための保安林指定解除が違憲だと地域住民が訴え、札幌地裁は違憲判決。控訴審・札幌高裁は「高度の政治性を持つ国家行為は明白な意見・違法でない限り司法審査の対象ではなく、立法・行政部門の判断に従い、国民の政治的判断にゆだねるべきだ」という統治行為論によって原告住民の訴えを却下。上告審・最高裁判決は「保安林解除による洪水や渇水の危険はダムなどの代替施設の設置によって解消、原告の訴えの利益は無くなったとして棄却(「門前払い判決」)
 ④ 1977年百里基地訴訟―茨城県(現)小玉市にある空自基地の建設に際して反対派住民が建設予定地の土地の所有権の帰属を主張しつつ自衛隊違憲訴訟。水戸地裁は「9条は自衛のための戦争まで放棄したものではない」「自衛隊は一見明白な戦力だとは断定できない」としつつ「自衛隊は裁判所の審査は対象にはならない」として(統治行為論)訴えを却下。
控訴審(2審)・東京高裁は「本件は民法レベルで解決できる」私法上の行為だとして、9条適用を回避。最高裁は2審を支持、上告棄却。反対派は敗訴。
 ⑤ 1975~02年小松基地騒音公害訴訟―石川県小松市の空自基地。基地周辺住民が騒音公害で訴訟。02年金沢地裁が国に賠償命令下すも違憲判断はなく、飛行差し止めは認めも認めず。
 ⑥ 2004年~08年イラク派兵差し止め訴訟―箕輪元防衛政務次官・郵政相が札幌地裁に提訴をきっかけに、その後、集団訴訟が全国10地域で(原告、一時5700人)。うち9地域ではいずれも憲法判断は避け、「民事上の請求権はない」と原告敗訴。
  08年、名古屋高裁は違憲判決―「空自の活動のうち少なくと多国籍軍の武装兵員を戦闘地域であるバグダッドに空輸するのは他国による武力行使と一体化した行動であり、武力行使を禁じたイラク特措法に違反し、憲法9条に違反」と。(但し、「原告らの平和的生存権は侵害されたとまでは認められない」として損害賠償は認められず、「訴えの利益を欠く」として差し止め請求は却下)。上告なく確定。

 これから新たに安保諸法令が決まったら、その法令に基づいて自衛隊が派遣されるようになり、隊員や家族その他の関係者が不利益を被る事態が次々と生じるようになれば訴訟も頻発するようになるだろう。

 「違憲状態の選挙で選出された議員は国会活動を行う正統性の無い議員」であり、「現在、国会活動を行う正統性の無い議員が、憲法改正の国会の発議をするための議論をしている。しかし、そもそも国会活動を行う正統性の無い議員は憲法改正を発議する正統性が無い。」(久保利英明弁護士ら『一人一票実現国民会議』の意見広告)

2015年04月04日

辺野古移設は95条特別法の住民投票で

 菅官房長官はよく「日本は法治国家なので法令に則って粛々と」という言い方をされるが、そもそも1996年に橋本首相と米国大使の普天間飛行場返還の合意はあっても、それが即辺野古移設ということにどうしてなるのか。米軍側の移設要求、日米の委員会の合意、当時の知事や市長の受け入れ表明、当時の首相と知事の合意等はあったとしても、憲法95条にある住民投票(この場合名護市の住民投票)で過半数の同意に基づいて国会が制定した特別法に則るという手続きがなければ、それらは成立しないのである。この手続きを踏んで、名護市の住民の過半数の同意を得さえすれば、特別法は成立し、それに基づいて当地への移設は法的に正当性が担保されるのである。しかし、過半数に達しなければ、特別法は成立せず、そこへの移設は認められないことになる。
 日本が真に民主的な法治国家だというのであれば、このような当該住民の民意が最優先され、その同意に基づく法令に則って行わなければならない。たとえ政府が国民の安全保障のために抑止力として是非必要だからと強弁しても、また沖縄県外・名護市以外の国民の大多数が政府に同意を与えたとしても、そこに住んでいて直接生活環境に影響を被る住民が納得・同意しないかぎり、一方的に押し付けることはできないのである。

2015年04月05日

普天間は、危険除去ならまずは閉鎖

 菅官房長官は、辺野古移設は普天間飛行場の危険除去が原点でその唯一の解決策であり、移設の断念は普天間基地の固定化につながると。これに対して翁長知事は、普天間は県民が自ら差し出した基地ではなく、原点は銃剣とブルドーザーで強制接収された場所だというところにあると。
 普天間飛行場は沖縄戦で上陸した米軍によって日本本土への重爆撃用に建設されたもので、その経緯からすれば、知事の言われた通りなのであって、危険除去のためには、まずは一刻も早く閉鎖・閉鎖するというのが筋であり、辺野古に代替施設ができなければ立ち退いてはもらえないといった筋合いのものではあるまい。
 普天間を辺野古新基地完成まで使い続けるその間に、基地周辺の宜野湾市民には今日・明日にでも起きるかもしれない確率の高い事故災害と環境被害それに攻撃を受ける標的にされるリスクも付きまとう。辺野古に移設されれば、そこに代って今度は名護市の基地周辺住民がずうっとリスクを負い続けることになる。それらを考え合わせれば、そのリスク負担は、沖縄県民以外の国民にとっては普天間基地がどこにも移設されずに即時閉鎖されたその隙に(抑止力の低下に乗じて)もしかして攻撃が仕掛けられるかもしれないという確率の低いリスクはあるかもしれないが、沖縄県民にとっては全く間尺に合わないものだろう。辺野古に移設・新基地を建設すれば、普天間基地に変わって今度はそこに新たに基地が固定化されることになるわけであり、沖縄県民にとっては基地負担の削減・縮小にはならないわけである。
 それらのことを考えれば、まずは閉鎖・返還が先だろう。


2015年04月11日

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   航海練習船 日本丸
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                       南紀 串本の橋杭岩
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南紀 白浜の三段壁
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                        自殺の名所にしては賑やか

非軍隊でこそ真の安全保障

 『軍隊による真の安全保障を』との投稿がありましたが、私は次のように考えます。
 日本人の多くは、アジア・太平洋に未曾有の悲惨をもたらした先の大戦で、金輪際戦争に懲りて戦争アレルギーが身体にしみつき、その心で平和憲法を受け容れたはず。その9条こそが「日本は戦後70年、戦争をしかけたことはない」という実績をもたらしもの。
 ところが、その平和主義にそれこそ「自信を持てない人」たちが日米同盟の下に自衛隊の増強を進め、海外派兵も「免疫力」をしだいに強め、今や集団的自衛権の行使をも容認し、その法整備をはかるまでに至っている。
 投稿された方は自衛隊を軍隊として認知し、先制攻撃さえ容認し、中国の海洋進出・領土問題には軍事対決、戦争をも辞さぬとばかりに軍隊の復活、改憲を望んで『軍隊による安全保障』を論じておられる。
 しかし、軍隊・軍備というものは敵を想定して構築され、ある国と敵対関係にあることを前提にしており、相手国もそれに対応して軍備を増強、軍拡競争となり、軍事衝突から戦争になる危険が増幅し、かえって安全保障を害することになる。
 真の安全保障は、むしろ軍隊を持たず、敵をつくらず、どの国とも友好・信頼関係を築いて、懸案問題は外交的解決に徹し、国際平和貢献も非軍事に徹することこそが、我が国の生き方なのではないでしょうか。

2015年04月14日

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                         那智勝浦 ホテル浦島の洞窟風呂
           

2015年04月24日

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4月のつぶやき                       
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●NHK「おはよう日本」のローカル・ニュースでアナウンサーが「今日は『晴れた空、そよぐ風』といったお天気のようですが・・・・」と。そこで散歩に 「あこがれのハワイ航路」。
 吾妻の山の「白馬の騎士」はくっきりとあざやかだったが、桜はすっかり散っていた。
●ポール・マッカートニーが再来日。72歳。パットブーンは何歳になったんだろう。ネットで調べてみたら81歳。未だ健在で歌っているんだろうか。今日は散歩に ♪April Love ・・・・♪(パットブーンの歌) 舌炎が治って唄えた。三浦こう一はもうとっくに亡くなったが、その歌も、♪・・・・・桜の園よ さようなら♪
●朝日の「声」に当方の投稿が載っていた。2週間前に出したものだが、先に「軍隊による真の安全保障を」という投稿が載っていて、それにカチンときて書き送ったものだ。朝日「声」にはよく両論を載せているのだが、先に「軍隊による」安全保障論が載って、その対論(非軍事安全保障論)は直ぐには載らず、ここにきてやっと当方のが載ったな、という感じ
●NHK朝ドラ「まれ」に塩田のおやじ役に扮している田中泯がNHK「あさイチ」に出演、その素顔(活動履歴)が披露された。なんと本職はダンサー(舞踏家)―といっても型(形式―振付など)に囚われずに(音楽に合わせたりすることもなく、言葉も説明も要らない)、どうやら、心が踊るままに自由に身体・手足を動かすだけみたい。よ~し、やってみよう!・・・・
 散歩に出かけ、田んぼ道。辺りにはカラスとサギがいるだけ。舌炎でベロが荒れて、歌おうにも唄えない。代わりに、踊り?(適当に手を動かし)ながら歩いてきた(時折、強風が吹きつけ、後ろから煽られて身が軽くなり、両手をサギが羽ばたくようにしてスキップ)。こういうのもありか。歌って踊って自己満足
●キンキン(愛川欽也)が亡くなった。デモクラTVの前身パックインジャーナルの司会をずうっと続けてこられた。そこで事あるごとに胸ポケットから手帳のようなものを取り出して「ほら、これ憲法ですよ」と言って見せていたが、それを常時所持していた護憲派の信念の人だった。80歳か。若いなと思っていたが、肺がんとは・・・・。菅原文太は81歳で逝った。加藤剛は加山雄三と同じ77歳で健在で、「9条『命』」ともいうべき護憲派なんだな
 よ~し、この俺も・・・・死んではいられねな
●久々に田んぼ道の定番コースを歩いた。♪どこかで誰かが お前を待っていてくれる・・・・風の中でも 待っている♪(「木枯らし紋次郎」の歌)そういえば朝ドラに中村敦夫が出ていて、スタパに出演。なんと、こちとらとタメのようだ。負けちゃいられねな。それにしても 加山雄三は(ファミリーヒストリーに出ていた)三つも年上、かなわね。ついでに上条恒彦もネットで調べてみたら、なんとこれまたタメ。よ~し!
●昨日はマスクをはずして散歩に出かけ、久々に唄ってきた。♪・・・・春風香る 私はなつかしい あの街を思い出す 叶なえたい夢もあった・・・・今はただなつかしい あの人を思い出す・・・・誰の笑顔が見える 悲しみの向こう側に 花は 花は 花は咲く いつか・・・・♪
 今朝のテレビNHK「おはよう日本」、福島県富岡町の桜並木が映っていた。防護服を着てしばし戻ってきた婦人が「なつかしい」と感慨。第一原発から7キロ。メルトダウンして溶け落ちた核物質は地中から放射能を漏出し続けている。いつになったら除去できるのか(そのこともニュースにあった)。
 長井のフォークバンド“影法師”のCD「花は咲けども」をかけてみた。♪原子の灰が 降った町にも 変わらぬように 春は訪れ もぬけのからの寂しい町で ・・・・花は咲けども 春をよろこぶ 人はなし 毒を吐きだす 土の上 うらめし くやしと 花は散る♪
 ネットで富岡町のこの桜並木の動画を見てみたらエンディングの字幕に「美しいものを美しいとだけ感じ喜べる日が一日も早く訪れることを願っています」とあった。
●「いつまでも寝てばかりいないで、散歩さ行ってくんだで!薬なのもう飲まねたてええがら!」と言われて、久々に歩いてきた。郊外に出る前にドラッグストアのトイレを借りて大便をして、あとはほぼいつものコース。田んぼはほとんど雪が消えていた。マスクをして途中二回ほど鼻をかんだだけで、歌わずに歩いてきた。曇り空でやや肌寒く、オーバーコートに毛糸の帽子。あぶら汗もかかずに済んだ。大丈夫だったな
●参院予算委員会 委員長(岸宏一)が 「小池君!」―質問「消費税増税は社会保障のためと言いながら老いも若きも負担増、年金は給付減、医療・介護サービスも縮減・・・・じゃないですか」、「厚労大臣!」(答弁)、「総理大臣!」(答弁)と指名して発言させていた。宏一くん、元気でよく頑張ってるな
 こちとら風邪なんか引いてる場合じゃないな・・・・ゲホンゲホン 女房のつぶやき「情げねごど」、「薬が切れたのだったら、医者さ、もらいに行って来いよ!」
 折から「高齢者肺炎球菌ワクチン予防接種のおしらせ」が届いた。行ってくるしかないか
●「値上げの春」(ヤフーニュースのトップ項目)、「負担実感の春」(朝日一面) ああ
 風邪に罹って、引きこもり10日にもなるが、まだマスクははずせず、医者からもらってきた薬を飲んでる。ゴホン!

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