米沢 長南の声なき声


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平和・安全に近づけるのか戦争に近づけるのか―「安保」法制(加筆修正版)
2015年05月17日

●集団的自衛権の行使容認・安全保障関連法案―①平和安全法制整備法(「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案」)(一括法)②国際平和支援法(「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊に対する協力支援活動等に関する法律案」)(海外派兵恒久法)

●必要理由―「安全保障環境が厳しさ―脅威―を増したから」―しかし、その脅威―中国の軍備増強・海洋進出活動の活発化や北朝鮮の核・ミサイル開発など―は、「こっち(日米側)が何もしないのに、向こう側(中国・北朝鮮側)が一方的に」というわけではなく、向こうに側にしてみれば、こちら側(日米同盟、尖閣の国有化など)の動向に対応したものであり、こちら側にも原因があるのであって、それを棚にあげている。
●あらゆる事態を想定して対処する方策―武力攻撃事態・存立危機事態・重要影響事態・グレーゾーン事態など、あらゆる事態に切れ目のない対応を可能とするもの。
 軍事的合理性の観点からだけ発想―効率的・効果的運用など
集団的自衛権の行使によって「日米同盟は、効果的に抑止力を発揮できるようになる」(安倍首相)。  
  日米安保条約の「効果的な運用に寄与することを中核とする」事態に米軍と連携して対処
  「手続きの迅速化」とか「切れ目のない態勢」とか。
  自衛隊の活動がやり易く、活動範囲・武器使用など制約を減らす。
●自衛隊がアメリカとその同盟国の軍隊と共に行う海外活動を拡大し、(世界中で米軍の活動に組み込まれ、その要請に応じて)戦争に付き合うようにする(参戦へ)。
 新ガイドライン(日米防衛協力指針)と相まって―アメリカ(世界の警察官から後退)の「肩代わり戦略」で、アジア・太平洋地域から中東その他まで、米軍の作戦への支援・協力要請が強まることは必至。
 アメリカという国―自国の市民を守るためだけでなく、その財産や企業権益を世界中で守るため軍隊を使う国で、相手からの第一撃がなくても行動する先制攻撃も辞さない国(学習院大・青井美帆教授)―アメリカ流安全保障―「敵は誰なんだ、どこの国だと名指して、その敵を無力化したり攻撃・排除する」やり方(京都精華大専任講師・白井聡氏)(敵を作らず、全ての国と全方位・等距離の友好関係を保つやり方ではない)―そのような国と戦争に付き合うのだということ。

●安倍首相に言い分(記者会見)
 ① この法案の必要理由―安全保障環境が厳しさを増したから―「テロ―アルジェリア・シリア・チュニジアで日本人が犠牲。北朝鮮―数百発もの核ミサイルの脅威。防空識別圏に進入してきた国籍不明機に対して自衛隊機の緊急発進(スクランブル)の回数は10年前と比べて7倍に増えている。」「もはや一国のみで自国の安全を守ることはできない」と―しかし、だからといって、いずれ日本と同盟国に攻撃を仕掛けてくるかもしれない(だからそれに備えておかなければならない)などと思い込むのは短絡的に過ぎる。はたしてこれらの国が軍事攻撃を仕掛けてくる蓋然性(必然性)は、いったいどこにあるのか。単なる印象や憶測ではなく、具体的事実関係に基づいた論理的説明がついていない。中国との間には尖閣問題と靖国・歴史問題での感情的対立はあっても、それだけで、或いは他に中国が日本に軍事攻撃を仕掛けなければならない必然的理由はどこにあるのだろうか?あるとすれば、それは、こちら(日本)側と向こう(中国)側・双方の軍事挑発であり、それ以外にないのでは。軍事挑発とは軍事的「抑止力」(威嚇)の強化であり、今行われようとしている新ガイドラインと安保法制整備を含めた日米同盟を中軸とする軍事強化もそうなのである。軍事挑発は中国側(軍事増強・海洋進出)だけでなく日米側(同盟強化)・双方とも控えなければならないのである。
 北朝鮮の核・ミサイル開発・配備にしてもイスラム過激派のテロ攻撃にしても、それらはアメリカ側の軍事的圧力や軍事攻撃に対する軍事対応にほかならず、その脅威は、こちら日本が同調するアメリカ側の脅威に対抗しての相互・相関的なものだろう。
 ② 集団的自衛権行使を認めるといっても、「限定的なものであり、厳格な歯止め―『3要件』がある」と―しかし、この要件(①我が国に対する武力攻撃がなくても、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の生命・権利が根底から覆される明白な危険がある場合、②他に適当な手段がない場合、③必要最小限の実力行使)の「存立危機事態」だとか「明白な危険」だとか判断するのは政府であり、その裁量で如何様にも判断されてしまう。(国民はもとより、国会議員も、特定秘密保護法のもとで必要な情報は知らされず、判断のしようがない。)
 ③ 「米軍が攻撃され、日本に危険が及び、日本が危険にさらされた時、その危機を排除できるようにするのであって、米国の戦争に巻き込まれることは、絶対にあり得ない」と―しかし、アメリカの強い要請にも引きずられる(ベトナム戦争やイラク戦争などの時のように先制攻撃を行った場合でも、NOといえない)。
 ④ これによって「争いを未然に防ぐための抑止力はさらに高まり、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなる。」「日米同盟に隙があると思われると、攻撃を受ける危険性は増すが、この法整備で、日本が攻撃を受けたり、日本人の命が危なくなったりするリスクは減少する。」「積極的な平和外交と同時に日米同盟の強化に努めてきたが、それは万が一の備え」だと―しかし、その抑止力とは軍事的抑止力であり、相手への脅し(威嚇)で攻撃を思いとどまらせるやり方であり、安倍政権がやってきたこと、やっていることは「積極的な平和外交」などではなく「日米同盟―『軍事的抑止力』の強化」であり、軍事偏重。それは中国やロシア・北朝鮮・韓国などに警戒感・脅威感を与え、緊張を激化させ、安全保障環境をむしろ悪化させる。
 ⑤ 「海外派兵が一般に許されないという従来からの原則も変わらない」「自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは今後とも決してない」、「自衛隊が後方支援を行う場合には、部隊の安全が確保できない場所で行うことはなく、万が一危険が生じた場合には業務を中止し、あるいは退避する仕組みだ」「いずれの活動でも武力行使はしない」と―しかし、後方支援や監視・警戒・警護などだけで戦闘に参加しに行くのではないといっても、「非戦闘地域」「停戦発効後」という限定なしに行けば、そこでは相手は「戦闘には参加していない日本の自衛隊だからといって区別してくれて攻撃はしてこない、などというわけではなく(前線の戦闘部隊と一体と見なされ)、むしろ後方(兵員・武器・弾薬の輸送・給油など)を断つために真っ先に攻撃される可能性のほうが強く、攻撃されれば武器使用して撃ち返さざるを得ず、とっさに「業務を中止して退避」するなどというわけにはいくまい。(米軍指揮下で、自衛隊が米軍の前線での活動に不可欠の補給を担っていれば、勝手に戦場から逃げることなど不可能。)「戦闘・武力行使を目的にして行かせるのではない。後方支援だから」と言っても、結果として武力行使に発展していくことはわかりきったこと。
 ⑥ 自衛隊員のリスクへの懸念はこれまでもあったことで、「自衛隊発足以来、隊員の殉職1,800名にもおよぶ」―しかし、それは訓練中の事故と災害出動中の事故によるもので、戦死ではない。(イラクのサマワに派遣された隊員―そこは「非戦闘地域」とされていたが、宿営地に何回か砲撃があって、戦死はなかったものの、帰還後しに28名の自殺者が出ている。)この法案が通って実施されれば、戦死者も増えることは明らか。
 ⑦ 「『戦争法案』などという無責任なレッテル貼りは誤り」だと―しかし、これを「平和安全法制整備法案」などと名付けている。それこそが「無責任なレッテル貼り」ではないのか。「平和安全法」などと言われるよりも、「戦争法案」といった方が、ごまかしのない、本質をついた言い方だろう。憲法の平和主義―戦争放棄と武力不行使・戦力不保持―を放棄して、アメリカと共に世界で公然と武力行使・戦争ができるようにするための大転換なのだから。
●元自衛隊高官(海上幕僚長だった方)の評価(15日朝日『考論』インタビュー)―「何かが起こった時、米軍などと一緒に行動できる。これが任務であることの誇りは、現場の人間でないと分からないだろう。隊員は『これで世界中が一人前と見てくれる』と考える」と―しかし、そう思うのは指揮・命令する立場の人であって、現場で命の危険にさらされる一般隊員(若者)とその親たちは、そんな単純ではないだろう。

●戦争抑止力か戦争招来力か
 軍備=軍隊(軍事組織・兵員)と装備(武器)と法制(システム)―それは、戦争をするためのものではなく、「抑止力」で「保険」のようなものだと、軍備・軍事法制を正当化する考え方があるが(慶大・細谷雄一教授ら)、
 軍備「保険」論―戦争や武力攻撃事態に遭遇しても、攻撃を受けても大丈夫なように備える「万一の備え」だというもの―しかし、戦争や武力攻撃は、病気・事故・自然災害など回避不可能なもの(避けられないもの)で起きたら起きたで致し方のないものとは異なり、人が意図して起こすものであり、外交交渉・説得など人の努力によって避けようと思えば避けられる(回避できる)もの。「へた」に「保険」(軍事的抑止力)などあると、それに安易に頼ってその回避努力が疎かになり、かえって相手を挑発、警戒感を与え、相手の軍備増強を促し、攻撃を誘発することにもなる。
 「火事・火消し駆付け」論(元外交官・宮家邦彦―15日報道ステーションで白井聡氏と共にインタビュー)―これまでのような自衛隊に集団的自衛権の行使を認めない憲法解釈を、町内で火事が起きてみんなで一緒に火消しに駆付けようという時に、うちは家訓で禁じられているから行けないと言ってるようなものだと―しかし、例えとしては不適切。そんな家訓はあり得ないだろうし、「火事」と「戦争の火種の燃え上がり」とは性格が全く違うだろう。火事なら水をかけ・放水、消火器・消火剤で消し止められるが、戦争の火種―紛争や抗争―に軍事介入し集団的自衛権の名の下に加勢などすれば、かえって火種を煽って火事を大きくし、収拾がつかなくなったりもする。アメリカが起こしたアフガン戦争・イラク戦争から現在中東で起きている状況をみればわかるだろう。町内の火事のような単純なものではあるまい。
 エコノミストの吉崎達彦氏(15日NHKラジオ「視点」で)―安保法制は「ドッジボールのようなもの」で「前に出て防ぐか、うしろに引っ込んで目立たないようにしていればいいか―自分だけよければいいというわけにはいかないでしょう」と。―しかし、ゲームと軍事(殺し合い)を一緒くたにはできまい。軍事でアメリカと共に世界のあちこちにしゃしゃり出てやるよりも、平和外交でイニシャチブをとる、それこそが本当の「積極的平和主義」だろう。

 このような軍事的「抑止力・対処力」強化が相手側の同様な軍事的「抑止力・対処力」強化を誘発し、軍事衝突ひいては戦争を招来する危険性が増す結果となる。

●現行憲法の平和主義に基ずく我が国の安全保障は、世界の諸国民に対して我が国が戦争と武力による威嚇および武力行使を放棄し、戦力不保持を宣言・実行することによって安心供与と信頼醸成をはかり、国際平和への貢献に努めることによって達成されるはずであった。今その道が絶たれるか否かの岐路に立たされているのだ。



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