米沢 長南の声なき声


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今、考えるべきは活憲―投稿 三つ(加筆修正版)
2015年05月03日

 これまで論じられていることの多くは改憲か、それに反対か、のどっちかだが、ここでは3つとも、単に反対だというだけでなく、現行憲法を忠実に守り活かすことを考えるべきだ、ということを言ってる。

憲法が求めているやり方は?
 いま安倍政権は、安全保障と国際貢献を日米同盟に依拠して専ら軍事的な観点から武力攻撃事態・「存立危機事態」から「グレーゾーン事態」に至るまであらゆる事態を想定して追究し、それを制約する憲法の条項を許容限度ぎりぎりまで拡大解釈して可能たらしめることに心血を注いでおり、与党協議も国会の議論もマスコミの論評も、その土俵内でその是非を論じている。そしてそれが現行憲法では無理だとなれば改憲してその制約を取り払うしかないなどと、憲法が求めないことばかりに血道をあげている。
 我々国民の前には憲法が本来政府に期待し求めているやり方―不戦・非軍事的な方法―というものがあるはずであるが、その方を取り上げるべきだろう。
 戦後70年にしていま議論すべきは、憲法制定の原点に立ち返って、不戦・非軍事の安全保障・国際貢献にはどのような方法があり、それにどのように取り組むべきかということだろう。
 それには、対米従属から脱却、自衛隊を非軍隊化して不戦・自立・中立の立場に立って、どの国、どの民族・宗派も敵味方の区別をつけずに理解・対話に努め、信頼関係を築いて諸地域の紛争和解の仲介に努め、国連では旧敵国条項の適用をはずしてもらって常任理事国に加わり、世界の非核化・軍縮を推進・主導的役割を果たす、といったやり方があると思われるのだが。

平和国家ブランドを活かすか否か
 戦後70年にして、安倍政権によって憲法9条から反れる方向へ大きくカーブが切られ、我々日本国民は分岐に立たされている。安倍政権は歴代内閣の憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認し、憲法の制約も安保条約の枠も踏み越えて自衛隊の米軍協力をグローバル化し拡充させようとしているが、それは「戦後日本が培ってきた平和国家のブランド」が失われる方向であり、いま我々国民に問われているのは、それを良しとするのか、それとも平和国家ブランドを大事にしてさらなるその発揮をめざすのか、どちらを選ぶのかだろう。
 安倍政権は「積極的平和主義」と称しながらアメリカに追随して軍事面で国際的役割を強めようとしているが、それを言うなら平和主義に相応しく中立的・自立的立場に立って全ての国々・民族・宗派の人々と宥和、信頼関係を築いて諸地域の紛争和解の仲介に努め、国連では旧敵国条項の適用をはずしてもらい、常任理事国入りして世界の非核化・軍縮に主導的役割を果たす非軍事国際貢献をめざす、それこそが真の積極的平和主義なのでは。  
 安倍政権が目指す前者と現行憲法に忠実な後者とでは、国益上、国民の安全保障上も、有益なのは後者の方だろう。

むしろ原点に返って活憲
 憲法9条といえば、このところは専ら自民党政府与党の主導で「安全保障」と称して軍事的防衛を、「積極的平和主義」と称して自衛隊の海外活動を、ともに日米同盟の下に拡充・強化すべく実質改憲の方へすっかり傾いているが、我々国民はこの70年間むしろ中途半端にしてきた平和主義を再確認し、今こそ、その原点に立ち返って、それを徹底し活かす方向に乗り出して真の「積極的平和主義」をめざすことにこそ心を傾けて然るべきなのではあるまいか。
 9条には「武力による威嚇又は武力の行使」の永久放棄と「戦力」不保持を定めていながら、米軍の基地と駐留を容認し、自衛隊の名の下に再軍備、アメリカと軍事同盟を組み、今やその活動範囲を世界規模に拡大しようとしている。このような平和主義にはそぐわない対米従属的軍事的な方向ではなく、自立的・中立的立場に立ってどの国とも友好・信頼関係を築き、自衛隊は非軍隊化(国境警備隊・国内外災害復旧支援隊・非軍事PKOなどへ)、国連では旧敵国条項の適用をはずしてもらい、常任理事国入りして諸地域の紛争和解の仲介・世界の非核化、軍縮の推進・主導に努める、そういう方向を追究すべきなのではないだろうか。


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