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2014年08月 アーカイブ

2014年08月01日

8月のつぶやき

8月のつぶやき                                  6511    
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●いつかクラス会で飲んだ時、卒業生が私に「先生、おれは先生から・・・していたのを見つかって停学をくらったのを憶えでっか」。当方「ん?そんなごどあったっけがな」。彼「都合の悪いごどっていうど、忘れんもな」。
 当方が加害者で彼は被害者というわけでもないが、戦争や植民地支配のことでは、中国などアジア諸国の人々は日本のことをそう思っているのだろうな。日本人は加害事実を忘れ去って戦争責任をあまり感じていない、と。
 ところで、昨日の昼飯はなにを食べたっけがな・・・忘れた。
●女房は大学ノートに、当方はこのパソコン(ワード)に備忘録。ブログもその一部だ(心に思ったことを忘れないように記録)。
●こちとらのささやかな自己満足―人畜無害。
 同じ自己満足でも、「アベノミクス」・「積極的平和主義」それらで富国強兵、「戦後レジームからの脱却」、改憲、「強い日本をとり戻す」、そして祖父の意思を果たすのだという権力者の野望。
 それにひきかえ、米沢で置賜自給圏推進機構を立ち上げた井上君・新関君たち。かねてより「ボランティア山形」を結成して阪神・淡路大地震・中越地震・東日本大地震など震災救援活動に尽力。彼らは大したものだ。
●置賜自給圏推進機構(一般社団法人)設立
 置賜3市5市町で自然エネルギー・人材をも含めた地域資源をベースに食・農・加工・流通・販売・教育・医療など可能な限り地産地消をめざす(ローカリズムとグローバリズムの総合)。
役員(40余名)には各分野の代表的人士・大学教授・有識者がなり、代表理事は山大工学部教授の高橋幸司氏、高畠町の有機農業家・渡部務氏、専務理事にボランティア山形の理事・井上肇氏、常務理事に元農水省官僚や生協理事、その他理事の中には九里学園校長、監事に米沢中央高校校長、顧問の中には飯田哲也(環境エネルギー政策研究所長)も入っている。
 8月2日設立総会が置賜総合文化センターで開かれ、地元国会議員、市町長・議会関係者も列席、記念講演に隠岐の島・海士町の町長・山内氏の講演(過疎の島を蘇らせ一躍全国から注目されるまでに至った地域再生戦略とその成功事例を披露)が行われた。          
●♪毎日 毎日 僕らは鉄板の・・・・♪散歩で唄い出してから2年以上なるが、大分いい声が出るようになった、と思ったら、3曲・4曲と歌い続けると喉が疲れる。それに声の割れが治まらない。喉にポリーブでも?
●女房「ほら、また私の茶碗と間違えた・・・・たく、もう」。 ん?青いのが俺ので赤いのが女房のでなかったのか?この前間違えた時、そう確認したと思ったが、違うのか?「お前のほうが間違ってんじゃねえのが・・・・・」「そんなわげ、ねえべな!」。

軍事・戦争というものは(未完)

 軍事・戦争には緊張状態と想定外(不測)の事態(予期せぬ悲惨)が付きもの―事故・誤射・誤爆―無辜の(罪なき)人々を巻き添えに
 これらの事態は巻き込まれた自国民or相手国民の反発を呼び起こし、関係は悪化してより複雑で困難なものとなり、修復を難しくする。
 軍事的な現実は流動的―状況はどう変わるか分からず、戦争の現場では何が起こるか分からず、事前予測は難しい。
 最初は「限定的」でも、いったん撃ち合いになれば殺すか殺されるかで、殺される前に殺るしかないという状態になり、コントロールは効かず、しだいに拡大・激化、戦争が戦争を呼ぶといった事態にも発展する。(「憎しみが憎しみを呼び、狂気が狂気を呼ぶ」)
 憎悪は末代に及ぶ―加害国に対する被害国の遺恨。
 ウクライナ―旅客機を撃ったのはどの者たちか、そんなところを飛ぶのは危ないと分かっているはずなのになぜ飛んだか、親ロシア側かウクライナ軍側かどっちが撃ったか分かったところで解決はつかず。
 シリア・イラク
 イスラエル・パレスチナ
 アフガニスタン
 ナイジェリア
 過去の戦争―第一次大戦
          第二次大戦
          日中戦争~アジア・太平洋戦争
          朝鮮戦争(未だ終結しておらず)
          ベトナム戦争

 これらを見れば明らか

 とりわけ日本人は分かっていなければならないはず
 だが、忘れ去っているか、分かろうとしないか、全く知らない向きが多い。
    或いは広島・長崎・沖縄戦・東京大空襲・日本各都市での空襲
       満州・朝鮮・シベリア(抑留)からの命からがらの引き揚げ
       など被害意識の方は多いが
      侵略・占領支配の加害意識は乏しい(忘れたか、思い出したくないか、知らないか、知ろうとしないか、無かったことにしているか)―歴史認識の問題―中国・韓国・北朝鮮など被害国民との意識のギャップ―これが平和友好の妨げに
   いじめられた側―心に傷の痛みが残り、忘れようとて忘れられない    
   いじめた側―忘れ、思い出そうとしない
            相手の立場・気持ちを思いやることなく、自己弁護が先行、「そんなことあるはずない」と否定、「俺は悪くない、悪いのはそっちの方だ、ありもしないことをでっちあげねつ造してる」と正当化・転嫁。(「悪い、悪かった」なんて言うのは「自虐」だと。)
            相手の神経を逆なでし、いじめられた側はさらに傷つく
    ラルフ・コッサ氏(ハワイの有力シンクタンク・戦略国際問題研究所長)「南京大虐殺が30万規模ではなく5万人だったとしても、旧日本軍の従軍慰安婦問題で強制性がなかったとしても。『悪かった』『ひどく悪かった』『ものすごく悪かった』の違いで議論に勝てたとしても、『悪かった』ことには変わりない」と。     

 来年で戦後70年―未だ共通認識に至らず。共通認識への真摯な努力も不十分。      
    被害国民はいつまでも忘れられず―加害国に加害の事実と責任を認め謝罪(口先だけでなく行動に表して)を求める
 加害国政府に誠実な対応と加害国民に真摯な反省ないかぎり信頼関係は築けない

2014年08月05日

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米沢市にメガソーラー   林の向こうに米沢市街地
 南原・李山(猪苗代町)―南原パイロット農園が所有の遊休農地3.8ha
 置賜3社・共同運営
①エーシー(社長・大友裕一)
     ②高畠町「ウェステック山形」(リサイクル業)
     ③米沢市「ミクロンメンタル」(精密機器の再生・洗浄など)
 事業費6億円
 着工5月 10月稼働
 パネル7200枚 1.9メガワット 年間発電量180万キロワット
 年間売電量収入7800万円―全量・東北電力に売電

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         近くにもう一か所 造成中
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               隣接地に既設の変電所


2014年08月10日

軍事的抑止力と9条抑止力とでどちらがベターか

抑止力―相手の攻撃を思いとどまらせ、攻撃の企みをくじくこと
①軍事的方法―兵器・軍備を見せつけて、「いざとなったら使うぞ・やるぞ」と(威圧)―他国・相手国を不信用・「仮想敵国」想定―他国・相手国もそれに対抗―互いに軍拡(脅威が増幅)→緊張(不安)→たえず引き金・ボタンに手を(相手が撃てばすかさず撃ち返すか「やられる前にやる」)―軍事衝突→戦争に発展(限定的な戦闘でも、相手にとって銃弾1発は100発と同じ)というリスク(戦争を惹起、数多の国民が戦争に巻き込まれて犠牲になる危険性)を伴う。
 個人に例えれば―各自が対強盗などに備え銃を保有・所持―そのリスク―使用(発砲)しがちとなり(話す―対話・問答―より先に)、相手も凶器を用意→殺し合いになる。
②非軍事的方法―個人に例えれば各自が家に鍵(戸締り)
 武器・軍備を持たず、どんなことがあっても戦う意思のないことを示す―9条(戦争・武力行使の放棄と戦力不保持・交戦権否認)は国の内外にそれを宣明。
 但し、9条は国権の発動たる戦争と武力による威嚇・武力行使を放棄し、国の交戦権は認めないとは言っても、国は警察権を持ち海上保安庁も対テロ特殊部隊もあり、国民には正当防衛権(不当な支配に対する抵抗権)もあり、無防備・無抵抗ということにはならない。
 {ところで軍隊と警察の違い・・・海上保安庁もSAT(対テロ特殊部隊)などは後者
  ①軍隊―交戦権―武器使用、殺しても殺人罪に問われない
           (尚、自衛隊は交戦権が認められていないから軍隊ではない。それに自衛隊は、軍隊と異なり、武器をむやみに使用することはできず、一般人と同じく刑法で定める正当防衛・緊急避難の場合以外には、また警察官と同じく警察官職務執行法に定める場合(犯人逮捕などの職務執行に対する抵抗と逃亡を防止するため)以外には人に危害を与えてはならないことになっているからである。(それで殺せば殺人罪になる。)(上官の命令には従う義務があり、任務の遂行上、自分の生命を危険にさらすことをいとわないということはあっても、上記の正当防衛など以外には発砲して人を殺したり、殺されて死ぬことを強いるような命令は違法であり、拒否することができる。)
  ②警察―交戦権なし―武器使用規制、正当防衛・緊急避難だけ、それ以外は殺人罪に。
     「警察比例の原則」―相手の武器に比例―大砲には大砲、戦車には戦車、戦闘機には戦闘機―重武装
     自国・自国民(生命・財産)に対する不正な侵害行為(犯罪)に対処―領海・領空侵犯、不法上陸、公海上での海賊行為、テロ等にも
     警備・強制排除・職務質問など(行政警察権)
     逮捕・押収など強制捜査権(司法警察権)もつ(国内法規で裁判・処罰)(日本領域外にいる命令者も―共同正犯として―逮捕できる)
                      <参考―小野田堂郎「日本国憲法と武力」>}

 しかし、相手が核・軍事力を持ち、その力を背景に威圧、無理難題(理不尽な要求)、軍事占領、屈従を強いられるリスク―それに対して毅然と拒否、非協力・不服従抵抗―それは決死の覚悟を伴う。  
  (2010年、阿刀田 高―作家・日本ペンクラブ会長―全国革新懇ニュース4月号インタビューにいわく「軍備も持たず、どこかに攻められたらどうするのかとの問いには、『その時には死ぬんです』というのが私の答えです。・・・軍国少年であった子供の時、天皇陛下のために俺は死ぬんだと思った。同じ死ならば、よくわからない目的のために死ぬより、とことん平和を守り、攻撃を受けて死ぬ方がまだ無駄じゃない。丸腰で死ぬんです。個人のモラルとしてなら、人を殺すくらいなら自分が死ぬ・・・つきつめれば死の覚悟を持って平和を守る、命を懸けるということです。そうである以上、中途半端に銃器なんか持っていない方がいいですね。死ぬのは嫌だから、外交などいろんな努力を全部やる。やり尽くすべきだと思います。」)
 

 さて、①の「軍事的抑止力」と②の「9条抑止力」とで、どちらが、よりましなやり方か(国民にとって)。

2014年08月13日

9条こそ抑止力

 軍事的抑止力は相手に優る軍事力を持つことによって、相手の攻撃意思をくじき、攻撃を思いとどまらせるというものだが、それには単に戦力を見せつけるだけでなく「いざとなったら」それを行使する、或いは「行使も辞さない」という戦意を伴わなければならない(その意思はないのだとなれば、それは単なる「張り子の虎」同然で抑止力にはならないからだ)。そこに矛盾がある。その戦力と戦意を見せつけられた相手はそれに恐れをなして戦う気を起こさなくなるかといえば、必ずしもそうはならず、相手はかえって身構え対抗心をかきたてられて軍備増強の方に向かい、その結果互いに軍拡、脅威増幅・緊張・不安にかられることになり、たえず身構え、一触即発状態となり、ちょっとしたきっかけで戦争に突入しかねないことになる。
  それにその軍事力に物を言わせ、外交交渉で話し合ってもあくまで自分の言い分を通そうとして妥協・譲歩を拒み、結局「これ以上話し合っても無駄、武力に訴えるしかない」となって戦闘に突入。いずれにしてもそれは「抑止力」どころか、かえって戦争を呼び込む結果となる。
 それに対して9条は戦力も戦意も持たず、あくまで戦争回避。これこそが抑止力だろう。

政府による戦争加害実態調査の必要性(加筆版)

アジア太平洋戦争と日本の植民地支配における加害実態調査
  諸事件―これまで訴訟で取り上げられた事件
    「慰安婦」問題
    強制連行・強制労働問題
    「三光作戦」(殺し尽くし、奪い尽くし、焼き尽くす―中国側の言い方だが、日本軍によるゲリラ掃討作戦で、町や村を襲い女・子供も「便衣隊」<ゲリラ>とみなして殺害)
    南京虐殺や平頂山事件など住民虐殺事件
    人体実験や細菌戦など731部隊に関する事件
    重慶爆撃や東京大空襲などの空爆事件
    日本軍遺棄毒ガス事件
    元捕虜への虐待事件
    韓国・朝鮮人の軍人・軍属や在外被爆者などへの不平等取扱いに関する事件
    サハリン抑留者や原爆被爆者への補償問題  etc

相手国政府との合同調査(相手国政府からみれば被害実態調査)が望ましい
  戦後70年を期して  和解―友好・信頼関係の回復へ
  戦争体験世代(当事者)がいなくならないうちに(証言・記憶がなくならないうちに)
     (加害体験者は口をつぐみ沈黙しがちだが)
  客観的事実を確かめる調査―加害国・被害国双方のくい違いをなくして共通認識へ
  なによりも被害者個々人が加害者である日本政府や日本企業に補償を求めているから(解決要求)―①日本国が加害と被害の事実と責任を認めること。②謝罪をすること。③謝罪の証を何らかの行動で示すこと(個人への金銭給付、或いは日本政府の費用で謝罪の碑を建立、陵園を設置など)。④二度と同じ過ちを繰り返さないために次の世代に教訓を伝える行動をとること(教科書に掲載、歴史的資料の公開など)。
  調査委員の選任―中立的な立場の人―歴史家・法律家―保阪正康・半藤一利氏のような―原発事故調のように
    政府の責任ではあっても委員メンバーは中立的な人でなければならない
    (自民党などかつての戦争推進側につながる人やそれへの同調者ではなく)
  安倍首相が言うような「歴史家任せ」(無責任)ではなく政府の責任で調査実施。
  戦争責任―①法的・政治的責任(謝罪・補償・賠償など)②道徳的・倫理的責任
     ①の法的責任については、国家間の賠償責任は(中国に対しては1972年の日中共同声明で、韓国に対しては日韓請求権協定で)中国政府も韓国政府も放棄したとされているが、中国や韓国の被害者たちの間では個人の賠償請求権は別だ(放棄されていない)と提訴―日本政府は法的義務は消滅しているとし、日本の裁判所ではほとんどが「国家無答責」の法理・時効・除斥・請求権放棄論などの法律論で却下。但し最高裁は「請求権」は放棄しても、請求権の実態は消滅してはいないとし、「発生」もあり得るとし、債務者側(日本政府もしくは日本企業)において任意の自発的な対応(基金を設立・出資してそこから金銭支給もしくは慰霊碑を建立など)をすることは妨げられない」と―訴訟ではなく、外交or政治的解決。
韓国司法府の判断では慰安婦問題と強制動員問題は賠償請求権協定の範囲外だ(だから個人請求権は放棄されていない)としている。

    戦後世代で当事者ではない世代は個人的には責任ないが、民族的責任
          民族感情(同胞意識)―勝利を誇り、「大和魂」「大和なでしこ」などと優越感を覚えもし、敗北を悔しがり屈辱感を覚え、怨念を抱き、過ちには「ひどいことをしたもんだ」と罪を意識ー「安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませぬから」などと
             ナショナリズム―「日の丸」に熱狂・・・オリンピックやワールドカップでは選手とは個人的には何の関係もないのに「わくわく」。
       国(政府―法的人格)には国家責任あり、その政府は国民(主権者)が選んだ政府である限り、国民は全く無関係とは言えない(自分の反対する政府の決めた消費税だからといって払わないわけにはいかないのと同じで、仮に戦後補償を日本政府が払わなければならないとなった場合、そのカネは税金から支払われることになるが、自分は直接加害者でないから払わないというわけにはいかない)

 尚、従軍慰安婦問題の政府調査は河野談話の際に日本政府がそれなりに行っている(関係省庁における関連文書の調査、米国国立公文書館での文献調査、軍関係者や慰安所経営者等各方面への聞き取り調査、韓国挺身隊問題対策協議会の証言集の分析等の調査。これら以外に元慰安婦16名からの聞き取り調査も行っているが、その結果は河野談話の内容を確定する根拠としては位置づけられていない―なぜならその結果が出る前に談話の原案は既にできていたから。)(その際、韓国政府との間で事前協議も談話の文言調整も行われている。但し韓国側の意見・要望については受け入れられものは受け入れ、受け入れられないものは拒否というやりかたで、日本政府が独自に行った調査を踏まえた事実関係は歪められてはいない、という。) 

2014年08月19日

国民の戦争責任―4グループ(加筆版)

 1982.1.23付毎日新聞に載った会津若松市の一医師(穴沢氏)の「提言」―「戦争責任は国民全体―足りない自己批判」に日本の中国侵略から敗戦までの日本人は次の4つのグループに分けられるとあった。
 ①(陸軍軍人・右翼政治家、一部言論人・官僚・軍需産業資本家・メディア・大衆作家)戦争を積極的に推進
 ②(天皇・重臣・「良識派」の政治家・海軍・知識人)―消極的抵抗―①の勢力が作り出した既成事実を次々事後承認せざるを得ず、ずるずる戦争に加担
 ③(一般大衆)―①が進める侵略・戦勝に熱狂、拍手
 ④(少数の左翼、平和主義者、リベラリスト)―①に抵抗、激しい弾圧受ける
 それで、氏は「戦争の最大の責任者は①の部類の人々であるし、天皇をはじめ②の部類の人々も大なり小なり道義的責任を免れるわけにはいくまい。しかし、十五年戦争の真の原因は閉鎖的・排外的で攻撃的だった一般の日本国民(③の部類の人々―引用者)の心性に深く根ざしていたのである」と書いている。即ち一般の日本国民の戦争責任を問題にしているのである。
 (既に終戦1年後の時点で、映画監督だった伊丹万作は次のように書いていたという。「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。・・・私の知っている範囲ではおれがだましたのだと言った人間はまだ一人もいない。」「つまり日本人全体が夢中になって互いにだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といったような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐわかることである」と―世界9月号・青井未帆氏の論稿)

 昨今の中国や北朝鮮の動きを睨み(中東・アフリカやウクライナにおける戦乱も今起きているが)「厳しい安全保障環境」に乗じて憲法解釈上、個別的自衛権はもとより集団的自衛権(他国が攻撃された場合)であっても自衛戦争(先の戦争もその名目で行われた。「自衛権」というと何か正当性があるように響くが、実態は個別的であろうと集団的だろうと「戦争」には違いない)は容認されるとする閣議決定が安倍政権の下でなされ、それをめぐって今、上記のような4つのグループに分かれつつあるように思われる。
 ①(安倍自民党、「維新」会・「次世代」党、民主党の一部、メディアでは読売・産経など)自衛隊と日米安保条約による軍事的「抑止力」の強化と集団的自衛権による自衛戦争の積極的肯定(安倍首相は「日本を戦争する国にはしない」「他国の戦闘には参加しない」と言いながら、戦闘地域での後方支援は認めて、攻撃されれば応戦せざるを得ないようにし、事実上、武力行使―戦争できるようにしている。そこに再戦の意思がるわけだ。)  
 ②(公明党、民主党の一部、結の党、生活党、社民党、メディアでは朝日・毎日など)自衛隊と日米安保条約は肯定、集団的自衛権行使に対しては公明党・結の党・生活の党は慎重、民主党の一部は慎重もしくは反対、社民党は反対、朝日・毎日は反対。
 ③(一般大衆)①or②それとも④か?今のところ世論調査では②が一番上回っているが。   
 ④(共産など)①に対して積極的反対―集団的自衛権はもとより日米安保条約にも反対。

 今回、安倍政権の閣議決定で集団的自衛権でも自衛の名目で戦争ができる法整備が行われることになったが、憲法で「戦争放棄」、国(政府)に戦争をさせないと定めたはずの日本国民はここにきて集団的自衛権の行使を容認して再び戦争を許す可能性が出てきたわけである。
 今のところ、国民は③のように政府方針には慎重・反対が上回っているが、揺れ動いてどうなるか。いずれにしても決定づけるのは民意であり、後々日本国民の責任が問われることになる。いったい誰が戦争を許したのか、ということが。

2014年08月20日

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                      政宗と支倉常長
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             7品種の稲を植え付けて描かれた田んぼアート
                        

2014年08月22日

国に戦争をさせないのが9条

 憲法上、国と国民とは区別して考えなければならない。憲法は国民が国(政府など)に命じその権限を縛るものであって、その逆ではないし、国の責務と国民の権利を混同してはならない。
 9条の「戦争放棄」は国にたいして戦争をさせないように、戦力と交戦権を放棄させたものであるが、このことは外敵・侵犯者に対して国は無防備でもかまわないとか、侵略者に対して国民の抵抗権までも放棄したものではない。国には外敵の侵犯に対して防備(警備)は課しても、戦争はさせないということであり、9条はあくまで国に戦争はさせないことを定めたものである。
 自衛隊には自国の領土・領海の防備は課しても、「集団的自衛権」であれ「集団安保」であれ、米軍などと共に海外で、戦闘参加であれ後方支援であれ参戦させてはならないし、また駐留米軍にも我が国の為に戦争をさせてはならないのである。
 国に領土・領海の防備を課し、侵略者に対して国民の抵抗権はあっても、国にも同盟国にも戦争はさせない。それが9条なのである。
 集団的自衛権の行使容認は「戦争をするためではなく抑止するためだ」と弁明するが、それは他国の戦争に参戦できるようにすることであって、海外で戦争することを認めることにほかならず、9条に適法しているとは到底言えまい。

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