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2015年01月 アーカイブ

2015年01月01日

安倍首相とマスコミ幹部の会食問題

 ネット情報によれば、山本太郎議員が参院議長に安倍首相とマスコミ幹部の会食に関する次のような質問書を提出したという。
 「新聞報道によれば、安倍首相は・・・・全国紙やテレビキー局といった報道各社の社長等の経営幹部や解説委員・論説委員あるいは政治関係担当記者らと会食を頻回に行っていることが明らかにされており・・・・」「政権トップとメディア関係者の親密な関係、政治家とメディアの癒着が報道の中立公正公平、不偏不党の観点から批判の対象になることは、今や欧米などの先進諸国においては常識であり、安倍首相のこれらの行動は、国際的な常識から見ても極めて奇異である(云々)」。
 ライブドア・ニュースには、「この会合を唯一批判的に取り上げた『しんぶん赤旗』」として、同紙のこれに関する報道を紹介している。ネットで、その赤旗記事を調べてみると次のような事実関係が掲載されている。
 (いずれもこの2年間で、回数の多い順に挙げれば)
 「読売」の会長(ナベツネ)と8回、社長と2回、論説主幹と7回。
 フジテレビの会長と7回。「産経」の会長と4回、社長と3回。
 日テレの社長と4回、解説委員長と6回。
 「日経」の会長と2回、社長と1回、論説委員長と1回。
 「朝日」の社長と2回、政治部長と4回。
 「毎日」の社長と2回、特別編集委員と4回。
 テレ朝の社長と3回。
などとなっている。

 これらは政局の節目節目で行われた。秘密法強行の直後、集団的自衛権の検討表明の日、靖国参拝や消費税増税強行の直後に報道各社の政治部長らと。
これらの会食は、高級料理店で2~3時間、通常の取材と事が違うだろう。

 これらの行為には、明らかに為政者側のマスコミ各社に対する選別(ひいき)意図がはたらいている。
 これらの行為を禁止する法律はないので違法とは言えない。しかし、公器としての報道機関は特定の層(利益集団)だけでなく全ての国民にとって中立公正でなければならないというのが原則であり、権力の監視・チェックを本来の役割とするというのが厳然たるコンセンサス(常識)としてある。イギリスの「タイムズ」の往年の編集長ハロルド・エヴァンス氏は「首相と会食することはジャーナリストとして絶対に避けなければならない」と述べ、報道の独立性を強調しているとのこと(立教大名誉教授・門奈直樹)。

 
 為政者は自分たちの思想・政策に基本的に反しないか、同調的な書き方・報じ方をマスコミにたいして望み、自分の意に反した(自分の考え方や政策に批判的な)書き方・報じ方をするメディア・ジャーナリストを嫌う。
 また、メディア・ジャーナリスト側には、為政者・権力者の考え・真意(心のうち)やかれらが握っている情報を探り聞き出すために、その懐に入って彼らに近づき直に接触しようとする。(しかし、為政者の側は狡猾。ちゃんと選別して話す。相手―所属する社や局―を選び、話しておいた方が都合いいか、話してもかまわない情報と都合のわるい情報を選り分けてしか話さない。)
 それにメディア側には政権に対して消費税の軽減税率を適用してもらいたいという思惑もあるだろう(ジャーナリスト・斎藤貴男)。

 このようなそれぞれの思惑から、会食の場や機会を為政者・マスコミ双方とも利用したがるのだろう。
 だからといって、法律で禁じられていないから、なんでも自由というわけでもあるまい。
 必要不可欠なのは、そうすることが自分たちに有利・有益かどうかだけではなく、国民のために有用かどうか、全ての国民にとって中立公正・不偏不党であるべき原則に照らしてどうかである。

 この問題は、マスコミの誤報問題に劣らない大きな問題として取り上げられて然るべきだろう。
 会食にはカネ(代金)がかかるが、それをポケットマネーならいざしらず(私費ならば誰と会食しようが勝手だという言い分は通るが)、公費(国民の税金)からそれが支払われているとなれば、合法では済まされまい。
 いずれにしても、山本太郎議員がこの問題を取り上げて質問・異議をとなえているのは理の当然であろう。

2015年01月03日

1月のつぶやき                                 6976     
●人家のない、人通りのない街道を吹雪をついて散歩。山も家並も何も見えず、ビュービュー風に身を煽られながら、鼻水を拭い拭い、声を張り上げる。♪われらの思いは それはただ一つ なつかしき祖国 とわに栄えよ 雪や風 星も飛べば わが心は 早遠き地に♪(「心騒ぐ青春の歌」)・・・・日露戦争の日本兵とロシア兵、八甲田山の雪中行軍の気分 
●「花は咲く」―大震災以来ずうっと耳にしてきた歌だが、NHKの「スタパ」でオペラ歌手の錦織が歌ったのを聴いた。よし!とその気になって、ネットで歌詞を調べ、動画で聴き憶えいつもの人通りのない雪道の散歩で唄ってきた。
 ♪真っ白な 雪道を・・・・花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう♪ 
●カラオケに行くかと誘われた。広めのボックスの中で、一人は朝ドラ「マッサン」の「麦の唄」、一人は♪ありのままで・・・・♪、一人は♪・・・・ウルトラソウル♪、一人は♪・・・・タロー タロー タロー ウルトラマンタロー♪と歌った。当方は「クスノキ」、500円で一曲・・・・タカ!
●雪降る雪原を貫く街道を数日ぶりに散歩。歌は福山の歌の「クスノキ」。♪我が魂は この土に根差し・・・・・我が魂は 奪われはしない この身折られど この身焼かれども 涼風も 爆風も 五月雨も 黒い雨も ただ浴びて・・・・・葉音で歌う 命の叫びを♪  よ~し!憶えた、歌えた。長崎で被爆して生き残った楠木を歌った、福山の作詞・作曲の歌だ。紅白で歌っていた。
●年始に出かけた。日頃は家にこもり、外出は人通りのない野道を散歩するだけで、家族以外の人々の顔はテレビで見るだけ。久々に訪ねた親族とは話しを交わしてきたが、往き帰りの電車の車中、久々に人々の顔を直に見た。真向いの長椅子に黙って並んでいる面々。10人中5人はスマフォに目をやっていた。彼らの顔を眺めながら、それぞれ、いったい何を考え、何を見ているのだろう、なんて思ったりした。
                       ●紅白の歌では福山の「クスノキ」がえがったな。よし!この歌おぼえよう。サザン・オールスターズの「ピース&ハイライト」 もえがった。よし!雪の野道で、これ唄ってこようっと。 ♪なにげなく見たニュースで お隣の人が怒ってた ・・・・・都合のいい解釈で 争いを仕掛けて 裸の王様が牛耳る世はインセンス(狂気) 20世紀で 懲りたはずでしょう くすぶる火種が 燃え上がる~だけ♪                                     


2015年01月06日

軍事的抑止力よりも9条抑止力

 世界2015・1月号で谷山博史・国際協力NGOセンター副理事長が「紛争現場からの警鐘」と題して紛争地で活動するNGOの安全対策と日本の国際貢献のあり方について次のように論じている。(NGOの事例だけで、国民すべての安全保障の問題を言い尽くすことはできないかもしれないが、一つのヒントにはなるだろう。)

 紛争地で活動するNGOにとっては―安全対策―①軍隊や自衛隊に守ってもらったり、救出してもらったらいいか、②それは避けた方がいいか(参考―世界2015・1月号谷山博史・国際協力NGOセンター副理事長「紛争現場からの警鐘」)
 紛争現場の現実―現代の戦争は、圧倒的な軍事力を持つアメリカが有志を募って制裁やテロ掃討を名目に弱小国を攻撃する場合が多い。(アフガン・イラクなどの例)初期の短い期間で政権を崩壊させる。しかしその後が長い。離散した元政府軍や政権崩壊後の治安の真空状態に付け入って勢力を伸ばす非正規の武装グループが新政権や外国軍に対抗する。それらの非正規武装グループは住民と混在しているために、政府軍や外国軍による掃討作戦は住民を巻き込んだものとなる。外国軍による住民の殺害や急襲による家宅捜索は人々の反発を強め、反政府・反外国軍の武装グループは人々の支持を集めて攻勢を強める結果になる。(米軍のテロ掃討作戦が住民を巻き添えにするたびに、反米のために武器を取るグループが増加していった。)
 ①(軍隊や自衛隊に守ってもらうやり方)は、それが軍隊を敵視して攻撃対象としている武装勢力を活動地に引き入れることになり、NGOだけでなく地域の住民にも危害が及ぶことにもなる。軍による復興人道支援活動との連携は危険を伴う。中立を旨とするNGOの人道復興活動が軍事活動と混同され、攻撃のターゲットになりかねない。
 軍の介入―軍隊による(救出作戦)突入は極めて危険であり、失敗することが多い。
   外国軍による復興・人道支援活動は「住民の中で戦う戦争」をより複雑にする。
   住民や武装勢力の間に、外国軍のみならず軍以外の外国機関の民生活動も軍事活動であるとの混同を引き起こす結果になっている。(①にはリスクが多いということ。)
 それに対して、②(軍隊や自衛隊には頼らないやり方)は、地元で信頼の厚い人間や赤十字国際委員会など中立性の高い機関の仲介で交渉でき、NGO独自の安全対策に基づいて行動―すなわち1、現地の住民に信頼され、受け入れられること(その村の住民がNGOを受け容れていなければ正しい情報は提供してもらえない)。2、治安や危険に関する情報収集を綿密に行い、危険な状態に身を置くことを避けること。危険が予測される場所にはなるべく行かず、危険が迫れば待機するか速やかに退避する。

 日本独自の平和貢献(世界2015・1月号谷山博史・国際協力NGOセンター副理事長「紛争現場からの警鐘」)―国是として「武力によって紛争解決はしない」「海外で武力を行使しない」という独自の立場に立った国際安全保障への貢献。
 アフガンや中東・南アジア・アフリカなどの地域の人々の日本に対するイメージ―日本はアメリカに原爆を二発も落とされながら、アメリカを憎むことをせず、平和国家として蘇り、長足の発展を遂げた。日本は軍事介入(他国に軍隊を派遣)せず、欧米的な価値観を押し付けることもしない。(主要な先進国のほぼすべてがアフガンに軍を派遣し、紛争の一方の当事者になってしまったために、紛争当事者間で対話に向けた外交的なイニシャチブを発揮できる国がなかった。アフガニスタンで生活して感じるのは、人々の日本に対する特別な信頼。日本は軍隊を派遣していないから日本の援助は真にアフガンの復興を目的にしたものだと信じられる。紛争が泥沼化しているアフガンを安定化させる唯一の方策はアフガン政府とタリバーンの対話しかないと考える人間は多い。その仲介ができるのは、また周辺国も含めて国際的な協議の枠組み作りの役割を担うことができるのは、アフガンに軍隊を派遣していない日本しかないと考えるアフガン人も少なくない。(もし日本が海外で武力行使するようなことがあれば人々は裏切られたと思うだろう。そしてアメリカと同様、国際的なテロの脅威に晒されることになるだろう。)

 紛争地におけるNGOの活動と各国政府の関与の実態を踏まえた、このようなリアリズムの立場に立って考えた場合、やはり我が国の安全保障と国際貢献は現行憲法9条に徹するやり方がベストという結論になるだろう。
 すなわち、自国の安全保障は自国軍や同盟軍に守ってもらう軍事的抑止力に頼るやり方よりも、戦力不保持・交戦権の放棄に徹し、不戦平和国家として国際的信頼(諸国民からの信頼)の上に立って他国からの攻撃を抑止(回避)しつつ紛争・係争問題(島の帰属や海洋資源問題など)は外交交渉・話し合いに徹した解決をめざす。同時に、他国・他地域における紛争・貧困・差別や国際間の諸問題にも中立的立場に立って仲介・人道援助・非軍事ODAに力を注ぎ、外交的イニシャティブを発揮する、これこそが「9条抑止力」ともいうべきものであり、実効性のあるより確かな安全保障となるのではあるまいか。

 安倍首相は「積極的平和主義」というが、それは軍事(自衛隊と日米同盟)に依存してのやり方。
 軍事的抑止力―武力は自分から先には行使しないが、相手は武力攻撃してくるかもしれない(不信感)から、それを抑止するために必要だというものだが、それはその国に対する不信感(話し合っても、心は通じないという不信感)を前提にしている。
 その場合、相手は日本を信頼しているのに、というわけではなく相手側も日本に不信感をもっているという相関関係(相互不信)がある。北朝鮮・中国も然りだろう。北朝鮮は、アメリカと敵対しており、そのアメリカと同盟し、かつての植民地支配にともなう負の遺産を清算していない日本を信頼することはできないのだ。中国には対日歴史問題(その象徴が靖国問題)があり、尖閣については、かねがね日本による島の実効支配は認めつつも、帰属問題は不確定で棚上げと思い込んできたものを、日本政府が一方的に国有化を宣言したことに反発して、それ以来不信感を強めた。
 このような不信の種を除去すれば不信感は無くなり、軍事的抑止力など不要なことになろう。
 その不信の種とは、北朝鮮の場合は(日本に対して)敵対するアメリカと同盟を結んで基地を置いていること、それにかつて植民地支配をした負の遺産(強制連行・従軍慰安婦その他)を未だ清算していないこと等(日本側は北朝鮮に対して拉致問題で不信)。中国の場合は(日本に対する不信の種は)歴史問題・尖閣問題などだが、これらの不信の種を除去すれば、これらの国に対する軍事的抑止力は不要となるわけである。
 だとすれば、これらの不信の種―日米同盟・過去の清算・歴史問題・尖閣問題、日本にとっては拉致問題―を解決・解消する、そのことにひたすら傾注することに全てをかけるようにすればよいのである。
 ところが、我が国政府は、そのような不信の種を除去して軍事的抑止力を無用化するどころか、ほとんどその逆の方向にやっきとなって、日米同盟の強化と軍事力の増強につとめている。そこに問題の全てがあるのである。

 尚、「イスラム国」などイスラム過激派は、日本人に対しては今のところは恨みも不信もないように思われる。それは、日本は米欧のキリスト教徒やイスラエルのユダヤ教徒とは異なり、イスラム教徒に対して未だかつて政治的・経済的にも軍事的にも恨まれるようなことはしていないと思われていて信頼感をもたれているからである。このイスラム過激派の攻撃に備えてわざわざ軍事的抑止力を固める必要もないわけであり、むしろアメリカから原爆をくらって惨たんたる敗戦を被ったあげくに憲法に戦争放棄・戦力不保持を定めて非戦を国是としている国として信頼感を得、ほかならぬ憲法9条が抑止力となっていると言えよう。

 「イスラム国」などのテロ国家、北朝鮮などの「テロ支援国家」、アルカイーダなどの国際テロ組織、ボゴ・ハラムなどアフリカの武装勢力など―これらの相手に対しては「話し合っても理性的な話は通じない、武力―軍事的な抑止力・攻撃力―で対抗するしかない」のか?
 真の問題は、そう言って何が何でも自らの利益とそれが得られる社会システム(資本主義)を守ろうとする(国ごとの、或いは国際的な法制度・機構など合理的な装いを弄すも結局は非理性的な強制手段すなわち暴力装置・武力でしか守れない)身分・階層と社会体制が存在していることである。
 その根っこにあるシステムは資本主義経済システムであり、そこから生じているものは競争・格差・失業・貧困・差別・人間疎外である。(失業者数は世界合計で2億人超、世界の最富裕層85人の資産総額は下層35億人分=世界人口の約半分の資産合計に相当。)それらがテロリズムの土壌(争いの種)となっている。
 歴史的に見れば、近代資本主義の発展過程で、欧米先進資本主義国による経済のグローバル化、アジア・アフリカ・中南米の植民地化にともなって、先進国・途上国間・地域間、それぞれの地域内・国内間にそれらはもたらされた。(先進国内でも疎外感・閉塞感に打ちひしがれた若者がイスラム過激派にはしり、「イスラム国」やアルカイーダなどに身を投じている。「国内に居て自殺して果てるよりは、戦場で」と。)
 そのような資本主義のグローバル体制下で、そこであえぎ、どうすることもできずに疎外感に打ちひしがれた人々は、アメリカなどの圧倒的に強力な軍事力(抑止力・攻撃力)によって守られ、或いは支援されている政府の軍に抗するにはテロ手段しかないという考え・過激思想にとらわれる。それに対してグローバル支配権力者とその同調者たちも、彼ら過激派にはどうせ話は通じず武力で攻撃を封じる軍事力で抑止・排劇するしかないという考え・軍事主義にとらわれる。
 こうして互いに「暴力には暴力しかない」という考えに囚われ、果てしない「憎しみと暴力の連鎖」(悪循環)に陥る。それでは、いつまで経っても問題は解決せず、争いは収まらないのであって、「軍事的抑止力」などなんの意味もないわけである。
 根本問題は、格差・貧困・差別・人間疎外などテロリズムの土壌(争いの種)を除去することにあるはず。それを除去することなく、いくら軍事的抑止力を強化したところで、なんの解決にもならないどころか、それはかえって相手を刺激し、反発を招き、闘争心をかきたてる以外の何ものでもなく、話し合おうにもその妨げとなる。話を通じなくさせるのは、ほかならぬ「軍事的抑止力」(それは右手に棍棒を持ち、左手に聖書を持って話そうとするようなもの)。
 このようなテロに対する抑止力の場合でも、最善の抑止力は、やはり「9条抑止力」、というほかあるまい。

2015年01月11日

過激派の武装ゲリラ・テロ攻撃を無くするには―軍事的抑止力ではダメ(後半に加筆)

 これらは支配体制・権力に対する反抗であるが、そうせざるを得なくする原因を絶つこと。その原因とは
 ① 彼らを耐えがたい窮状(格差・差別で、職も教育も居場所も得られず、人間疎外された状態)に貶めている体制―不平等な資本主義
 ② 支配権力―抗しがたい圧倒的な武力(それには殉教的に死を覚悟で抗するしかない)
 ③ 「言論の自由」「表現の自由」をいいことに、(節度ある理性的な批判ならいいが)彼らを侮辱し、或いは彼らの信ずる神や預言者を笑いものにして心を傷つけるヘイトスピーチや風刺画(「暴力の自由」がないのと同様、「言葉の暴力」の自由もないはず。新聞などでの風刺は権力に対する弱者の批判・抗議方法で、権力者を笑いものにするもの。弱者・マイノリティーを笑いものにしたら、それは強者による弱者への侮蔑となり、心を傷つけ反感と恨みを招く。)
 これらは、彼らに国家や社会の支配的な権力や人々に対する不信頼・不寛容をもたらし、対話・交流・話し合いの道を閉ざし、現状から脱するには暴力・武力で抗うしかないという気持ち(「暴力と憎悪の連鎖」)にさせる。
 それらの原因を絶つこと、すなわち①の体制を変革・改善すること(トマス・ピケティ著『21世紀の資本』では累進所得税・累進相続税・累進資本税などの累進税制の導入―金持ちの財産にもっと課税―を提言)、②の武力による抑圧(抑え込み)を排すること、③の人間の尊厳を傷つける「表現の自由」を抑制する(節度を保つ)こと、これらによって、相互の信頼と寛容の精神を回復して、心を開いて話し合える状態にする以外にあるまい。

 いずれにしても、軍事的抑止力など力で押さえつけ、彼らの思想や行動を一方的に非難・排撃するだけでは、これらは無くならない、ということだ。
加筆>フランスの失業率は9.97%(日本は3.7%)、移民500万人で全人口の11.6%(日本は1.1%)、移民の失業率は非移民の2倍。
 そのフランスでは、週刊紙(シャルリー・エブド社一昨年、20年五輪開催地に東京が選ばれたことを報じた際、「フクシマのおかげで相撲が五輪種目になった」として奇形で手足が3本ある力士の風刺漫画を掲載、日本大使館から抗議を受けている)が偶像崇拝を禁止しているイスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画を掲載、同社その他がイスラム過激派メンバー(二人はアルジェリア系、一人はマリ系)から襲撃をうけ計17名が殺害され、犯人3人も警察特殊部隊によって射殺された。
 これに対して空前の(370万人もの)抗議・追悼デモがパリその他で行われ、フランス大統領とともにイギリス・ドイツ・トルコ・イスラエルなどの首相、パレスチナ自治政府議長、ヨルダン国王、マリ大統領など数十ヵ国の首脳もデモに参加。「表現の自由を守れ」の声とともに「私はシャルリー」と風刺画擁護の表示が手に手に掲げられた。そのシャルリー・エブド紙はその後再びムハンマド風刺のマンガをつくって何百万部というさらに大量部数の販売を強行した。
 これらには異論も発せられ、「異教を侮辱した風刺漫画など、どのような『言論の自由の濫用』も脅威だ」「『反テロ』で結束するのはよい。問題はなぜ『反戦』でも結束できないのか、である。戦争が起き続けているから、テロも起き続けてしまうのだ」と。
 ところが、フランス政府は「イスラム過激派との戦争状態にある」として、強硬策を打ち出し、対テロ治安対策に軍兵士を一万人動員して重要警備拠点に配置。かつてフランス植民地だった北西アフリカでは13年1月にマリで、北部のイスラム教徒の反乱を抑えようとするマリ政府の要請を受けてフランスが軍事介入、それに反発したアルカイダ系の武装組織がアルジェリアで日本人拘束事件を起こしている。中東の過激派「イスラム国」に対する有志連合にはフランス軍も既に参加しているが、今回それに加えて新たに原子力空母をペルシャ湾へ派遣、空爆に乗り出している。
 
 これでは火に油を注ぐようなもので、テロと反イスラムの連鎖はますます激化こそすれ、治まることはないだろう。

 安倍首相は中東諸国首脳を歴訪して、先々でテロ対策に言及し、「過激主義の流れを止める」「中庸は最善」などと言ったりしているが、そのやり方は集団的自衛権による軍事的「抑止」(ジプチ基地など自衛隊の海外派兵展開)をめざす立場での「積極的平和主義」であり、自国憲法9条の不戦・非同盟中立の精神に立つものではなく、それはイスラム過激派をなだめるどころか、かえって逆恨みをかい、日本人も標的にされるようになるという極めて危ういものであろう。

2015年01月16日

不戦憲法でこその独立国家

 朝日(「声」)に「独立国家ならば憲法改正を」との投稿―「普通の独立国家として生きたいのであれば、戦力を保持」できるようにすべきだと。
 しかし、我が国は、70年前、アジア・太平洋地域に未曾有の戦争の惨禍をもたらした国であり、国民は再びそれが起こることのないように決意し、「全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」「国際社会において名誉ある地位を占めたい」と決意して、「諸国民の公正と信義に信頼して」安全と生存を保持しつつ、「自国の主権を維持し他国と対等関係に」立って責務を果たすという崇高な理想と目的を「国家の名誉にかけ、全力をあげて」達成することを誓った国民なのである。それが何で今さら「普通の国」に帰って、戦力を保持して再び戦争ができるように改憲しなくてはならないのだろうか。
 国民がこの憲法を受け容れたのは、決して安全保障を他国に任せ、自国防衛を他国に頼ればいいなどと思ったからではあるまい。日本が安全保障をアメリカに依存するようになったのは、その後、米ソ冷戦が顕在化するようになって朝鮮戦争が勃発し、その最中にアメリカが急きょ日本と単独講和して安保条約を結んだ結果、そうなってしまったのだ。日本が自国防衛を他国に頼り、独立国家に相応しくない状態に置かれるようになったのは、憲法のせいではなく日米安保条約のせいなのだ。
 独立国家とは、自国の主権と安全を独力で守れる国家のことであるが、主権・安全は必ずしも戦力を持たなければ守れないというわけではなく、どの国をも敵とせず戦わず、親密な経済・文化協力関係を結び、尊重すべき友好国として信頼を得ることによってこそ確保される。戦力保持はむしろ他国の脅威となり、警戒感・不信感を与え、友好・信頼関係の妨げとなる。
 自国憲法に戦争放棄を宣言して、(必要最小限の自衛力は保持しながらも)戦力も交戦権も持たずに、戦争をしなかった70年間は歴史上特筆に値する日本国民の誇りであり、それを今さら「普通の国」に戻さなければならない理由はあるまい。

2015年01月17日

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長井市のフォーク・グループ 影法師
  『花は咲けども』(「花は咲く」の向こうを張って)―♪原子の灰が 降った町にも 変わらぬように 春は訪れ もぬけの殻の 寂しい町で それでも草木は 花は咲かせる 
 花は咲けども 花は咲けども 春をよろこぶ 人はなし 毒を吐きだす 土の上 うらめし くやしと 花は散る♪           


2015年01月21日

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                           米沢東南方向、高い方の白く尖った山は?
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                              わかった、栗子山だって
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                  北東の遠くにあるこの山は蔵王
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2015年01月27日

I am Kenji,too

 前の文(『過激派・・・・・』)の最後に、安倍首相のやり方では「日本人も標的にされるようになる」と加筆したが、その矢先、日本人二人を人質にして首相を脅迫(身代金を要求)している映像のニュースが飛び込んできた。やっぱり。
 しかし、日本人に対してこんな非道・理不尽な仕打ちはやめてくれ!日本はあくまで平和国家、『十字軍』(有志連合)には参加していないし、カネは軍資金ではなく避難民への人道支援のためで、風刺画などでムスリムの心を傷つけるようなこともしていないのだからと、ただひたすら二人の無事を祈るばかりだ。
 拘束された後藤健二氏の母親が記者会見に出て、次のようなことを読み上げた(ネットに出ている)。
 「日本国民・日本政府の皆さん、諸外国の皆さんに健二が大変ご迷惑をおかけしていることに心からお詫びします。
 健二は、幼い頃から心優しい子でした。健二はいつも『戦地の子どもたちの命を救いたい』と言っていました。中立の立場で戦争報道をしてきました。イスラム国の皆さん、健二はイスラム国の敵ではありません。
 日本は戦争しないと憲法9条に誓った国です。70年間戦争をしていません。日本はイスラム教諸国の敵ではなく、友好関係を保ってきました。日本は唯一の被爆国です。アメリカによる広島と長崎への原爆投下で 数十万人が亡くなりました。
 あと残された時間はわずかです。日本政府の皆さん、健二の命を救ってください。」と。

 そうだ“I am Kenji” だ!“I am not Abe”(報道ステーションでコメンテータの古賀氏が指摘)なんだよ
        Let me go ! Let me free !(届け!声なきこの声)

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