米沢 長南の声なき声


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過激派の武装ゲリラ・テロ攻撃を無くするには―軍事的抑止力ではダメ(後半に加筆)
2015年01月11日

 これらは支配体制・権力に対する反抗であるが、そうせざるを得なくする原因を絶つこと。その原因とは
 ① 彼らを耐えがたい窮状(格差・差別で、職も教育も居場所も得られず、人間疎外された状態)に貶めている体制―不平等な資本主義
 ② 支配権力―抗しがたい圧倒的な武力(それには殉教的に死を覚悟で抗するしかない)
 ③ 「言論の自由」「表現の自由」をいいことに、(節度ある理性的な批判ならいいが)彼らを侮辱し、或いは彼らの信ずる神や預言者を笑いものにして心を傷つけるヘイトスピーチや風刺画(「暴力の自由」がないのと同様、「言葉の暴力」の自由もないはず。新聞などでの風刺は権力に対する弱者の批判・抗議方法で、権力者を笑いものにするもの。弱者・マイノリティーを笑いものにしたら、それは強者による弱者への侮蔑となり、心を傷つけ反感と恨みを招く。)
 これらは、彼らに国家や社会の支配的な権力や人々に対する不信頼・不寛容をもたらし、対話・交流・話し合いの道を閉ざし、現状から脱するには暴力・武力で抗うしかないという気持ち(「暴力と憎悪の連鎖」)にさせる。
 それらの原因を絶つこと、すなわち①の体制を変革・改善すること(トマス・ピケティ著『21世紀の資本』では累進所得税・累進相続税・累進資本税などの累進税制の導入―金持ちの財産にもっと課税―を提言)、②の武力による抑圧(抑え込み)を排すること、③の人間の尊厳を傷つける「表現の自由」を抑制する(節度を保つ)こと、これらによって、相互の信頼と寛容の精神を回復して、心を開いて話し合える状態にする以外にあるまい。

 いずれにしても、軍事的抑止力など力で押さえつけ、彼らの思想や行動を一方的に非難・排撃するだけでは、これらは無くならない、ということだ。
加筆>フランスの失業率は9.97%(日本は3.7%)、移民500万人で全人口の11.6%(日本は1.1%)、移民の失業率は非移民の2倍。
 そのフランスでは、週刊紙(シャルリー・エブド社一昨年、20年五輪開催地に東京が選ばれたことを報じた際、「フクシマのおかげで相撲が五輪種目になった」として奇形で手足が3本ある力士の風刺漫画を掲載、日本大使館から抗議を受けている)が偶像崇拝を禁止しているイスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画を掲載、同社その他がイスラム過激派メンバー(二人はアルジェリア系、一人はマリ系)から襲撃をうけ計17名が殺害され、犯人3人も警察特殊部隊によって射殺された。
 これに対して空前の(370万人もの)抗議・追悼デモがパリその他で行われ、フランス大統領とともにイギリス・ドイツ・トルコ・イスラエルなどの首相、パレスチナ自治政府議長、ヨルダン国王、マリ大統領など数十ヵ国の首脳もデモに参加。「表現の自由を守れ」の声とともに「私はシャルリー」と風刺画擁護の表示が手に手に掲げられた。そのシャルリー・エブド紙はその後再びムハンマド風刺のマンガをつくって何百万部というさらに大量部数の販売を強行した。
 これらには異論も発せられ、「異教を侮辱した風刺漫画など、どのような『言論の自由の濫用』も脅威だ」「『反テロ』で結束するのはよい。問題はなぜ『反戦』でも結束できないのか、である。戦争が起き続けているから、テロも起き続けてしまうのだ」と。
 ところが、フランス政府は「イスラム過激派との戦争状態にある」として、強硬策を打ち出し、対テロ治安対策に軍兵士を一万人動員して重要警備拠点に配置。かつてフランス植民地だった北西アフリカでは13年1月にマリで、北部のイスラム教徒の反乱を抑えようとするマリ政府の要請を受けてフランスが軍事介入、それに反発したアルカイダ系の武装組織がアルジェリアで日本人拘束事件を起こしている。中東の過激派「イスラム国」に対する有志連合にはフランス軍も既に参加しているが、今回それに加えて新たに原子力空母をペルシャ湾へ派遣、空爆に乗り出している。
 
 これでは火に油を注ぐようなもので、テロと反イスラムの連鎖はますます激化こそすれ、治まることはないだろう。

 安倍首相は中東諸国首脳を歴訪して、先々でテロ対策に言及し、「過激主義の流れを止める」「中庸は最善」などと言ったりしているが、そのやり方は集団的自衛権による軍事的「抑止」(ジプチ基地など自衛隊の海外派兵展開)をめざす立場での「積極的平和主義」であり、自国憲法9条の不戦・非同盟中立の精神に立つものではなく、それはイスラム過激派をなだめるどころか、かえって逆恨みをかい、日本人も標的にされるようになるという極めて危ういものであろう。


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