米沢 長南の声なき声


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不戦憲法でこその独立国家
2015年01月16日

 朝日(「声」)に「独立国家ならば憲法改正を」との投稿―「普通の独立国家として生きたいのであれば、戦力を保持」できるようにすべきだと。
 しかし、我が国は、70年前、アジア・太平洋地域に未曾有の戦争の惨禍をもたらした国であり、国民は再びそれが起こることのないように決意し、「全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」「国際社会において名誉ある地位を占めたい」と決意して、「諸国民の公正と信義に信頼して」安全と生存を保持しつつ、「自国の主権を維持し他国と対等関係に」立って責務を果たすという崇高な理想と目的を「国家の名誉にかけ、全力をあげて」達成することを誓った国民なのである。それが何で今さら「普通の国」に帰って、戦力を保持して再び戦争ができるように改憲しなくてはならないのだろうか。
 国民がこの憲法を受け容れたのは、決して安全保障を他国に任せ、自国防衛を他国に頼ればいいなどと思ったからではあるまい。日本が安全保障をアメリカに依存するようになったのは、その後、米ソ冷戦が顕在化するようになって朝鮮戦争が勃発し、その最中にアメリカが急きょ日本と単独講和して安保条約を結んだ結果、そうなってしまったのだ。日本が自国防衛を他国に頼り、独立国家に相応しくない状態に置かれるようになったのは、憲法のせいではなく日米安保条約のせいなのだ。
 独立国家とは、自国の主権と安全を独力で守れる国家のことであるが、主権・安全は必ずしも戦力を持たなければ守れないというわけではなく、どの国をも敵とせず戦わず、親密な経済・文化協力関係を結び、尊重すべき友好国として信頼を得ることによってこそ確保される。戦力保持はむしろ他国の脅威となり、警戒感・不信感を与え、友好・信頼関係の妨げとなる。
 自国憲法に戦争放棄を宣言して、(必要最小限の自衛力は保持しながらも)戦力も交戦権も持たずに、戦争をしなかった70年間は歴史上特筆に値する日本国民の誇りであり、それを今さら「普通の国」に戻さなければならない理由はあるまい。


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