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2016年08月 アーカイブ

2016年08月01日

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       ゼロ戦(実物大模型) 茨城県阿見町 予科練平和記念館の敷地内
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吾妻山嶺に出た!
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                        ゴジラ
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8月のつぶやき
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●農道を歌いながら散歩。入道雲が盛り上がる夏の空に「ゴジラ雲」探し。
 コースを折り返して間もなく、行く手の空に低く黒い雲が垂れ込め、空を覆いだしたかとおもうと、雨がザーザー。車で迎えに来てくれないかなと、木の下でしばし雨宿りも、あり得ないなと諦め、「雨ニモ負ケズ」とばかり、大声で歌いながら歩き通して帰ってきた。麦藁帽子で頭はしのげたものの、シャツとパンツとシューズはびしょ濡れ。
 6日、黙祷を捧げた朝は雲一つない青空だったが、夕暮れになって散歩に出かけ、何時もの農道。四方の山々を見渡すと吾妻山の西嶺にだけ入道雲。もしかしてと、急いで家に帰り、屋根に上がってその雲を眺めるとやはり「ゴジラ雲」になっていた。写真を撮って孫に見せたが・・・・(当方ほどの感動は?)。
●8月6日朝、市役所の庭園(南東側角には非核・平和都市宣言の看板塔が立っている。付近に広島で被爆して生き残ったアオギリの種をもらってきて植えつけられていて、3mぐらいの高さになったいる)そこで「平和のつどい」があって黙祷してきた。雲一つない青空で、あたりの林にとまる蝉の声は鳴き止まない。あの時、広島では街中が静まりかえったのだ、と黙祷しながら思った。
●ゴジラ映画の新作(シンゴジラ)を小学生の孫から誘われて見てきた。
 どこかの海底で眠っていた古代生物が目を醒まし、海洋投棄された核廃棄物を食べて突然変異して巨大化した?「原子怪獣」、東京に襲来、それに対処する総理大臣(大杉連、官邸から避難中「殉死」して平泉成に交代)・官房長官(柄本明)・副長官(長谷川博巳)・秘書(高良)・女性防衛大臣(余貴美子)・都知事そして自衛隊(斉藤工・ピエール瀧・鶴見辰吾ら)それに米国大統領特使・日系3世(石原さとみ)国連安保理・米軍までもからむ。
 「武力攻撃事態・緊急事態・超法規的措置が必要だ」とか、「総理!ご決断を!」といったセリフが。
 なんか政府や自衛隊の広報映画の感じも。或いは都知事選も意識?政府も自衛隊も、国難・危機事態に際しては、こうやって必死で頑張るんだ、というイメージを植え付けるための映画なのかな?
 上映中、孫はポップコーンを当方にすすめてくれる、そのほうに気が行ってる様子。当方にもわけがわからないところが。なにしろ、画面に出て話してるのは総理大臣以下の政府要人と部下の官僚スタッフ、専門家・自衛隊幹部らだけであり、交わす言葉は「専門用語」を使った難しい言葉で、一般庶民や民衆などは背景として写っているだけに過ぎない。ウルトラマンと怪獣が戦う映画にあるような子供が出る幕は一切ない。
 封切りから一週間近くたってネットに解説や評論が出るようになったところで、それを見て確かめて、「ああ、こういうことだったのか」とやっとわかったような次第(出演者名と役職も)。
●71周忌・戦没慰霊の月が来た。
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               カサブランカとアジサイ

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                      フヨウ


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                  プロパガンダ
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              参院選から街なかに貼り付けられているポスター


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                   小野川温泉の近く 「田んぼアート」
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9月のつぶやき
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●「日本社会が政治をタブー視して、政治の話をする人間を面倒くさいヤツだと敬遠される」(コラムリストの小田嶋隆氏)。だいぶ前、元NHKアナウンサーの鈴木健二氏が出した本(『気くばりのすすめ』だったか)に「人とうまく付き合うには政治と宗教の話は避けることだ」といった意味のことが書いてあって、当方も、「なるほどそういうものか」と思って心してきたものだ。ただ社会科の教師だったので、政経や歴史の授業でそこをまるっきりはずすわけにはいかず、生徒にはそれなりに教えてはきたし、教科書に書いてあること以外に「余計なこと」まで取り上げなくても、自分の頭にはバックグラウンドとしてしっかり入れておかなければと思って新聞やテレビニュースはじっくり見て、文献資料も読み勉強はしたものだ。なので、おのずから政治や社会には未だに、必要以上に(「普通の」人から見れば)興味・関心はあるのかもしれない。それだけに、人と付き合って、その人が政治問題や戦争の実相に無頓着・無頓着だったりすると「いらつく」ことがある。
 日本人って、いったい民度(国民の知的レベル)が高いのか、低いのか。政治と宗教と戦争の事を除けばトップレベル(?)かもしれないが。
 我が家の身内の面々(いずれも高卒以上で大卒もいるが、当方と女房以外は、勤めから疲れて帰ってくる)を見ても、新聞・テレビの政治や社会問題に関するニュースはチラッと見るだけで、子どもと一緒になってバラエティー番組か、サッカー中継などしか見ない。スマホはしょっちゅう見ているが、当方のこのブログなど誰も見やしない。当方はといえば、スマホもケイタイも使えず、新商品・新用語もサッカーなどの戦術・ルールもよく知らない、そんな爺のことを時代遅れのボケ老人とでも思っているのだろうな(?)。
 こんな我が家は特殊で平均以下なのかもしれないし、日本人はこんな低レベルじゃないと言われるかもしれないが。
 アメリカの民主主義もさることながら、日本の民主主義って果たして真ともなのか、衆愚政治になってはいないのか。「お任せ民主主義」という向きはあるが、「アベ自民党にお任せ」ってこと?
●12日NHKニュース、世論調査―アベ内閣支持率57%、不支持26%
  各党支持率、自民党40.2%、民進8.3%、公明4.3%、共産2.5%、維新1.9%、社民0.4%、こころ0.2%、特になし36.0%
憲法改正、必要31% 必要なし29%、どちらともいえない 32%
などの調査結果。安倍内閣の高支持率、一強多弱が際立つ。それに改憲賛成が反対を上回る。
この間、通常国会が6月1日閉会以来、7月参院選・都知事選があって、8月のアタマに臨時会が3日間だけあっただけで、ずうっと開かれていないのだ。
 首相は国内外で諸行事が相次ぎ、いかにも多忙で、ほとんど毎日のようにテレビ・新聞に出る。小池新都知事もだが。それに引き替え野党は一体何をしているのだろう。民進党はこのところの代表選出で3人が出てくる以外、あとはどの野党もマスコミ・メディアには出る幕なし、というより出してもらえない。
折から、北朝鮮のミサイル発射に核実験。「戦争できない」憲法を「できる」憲法に変えた方がいい、という気にもなるわけだ。
 アベ自民党は労せずして一方的なプロパガンダ効果にありつけているわけだ。
 世論調査には、庶民はこういうマスコミ・メディアだけを見て、判断して回答しているわけだ。「安倍内閣?自民党?いいんじゃないの、他に替われる党も人もいないんだから」と。
●こちとらは、誰もいない田んぼ道を、憲法の歌を唄いながら、今日も歩き続ける。♪ the Japanese people forever renounce war(日本国民は永久に戦争を放棄する)・・・・ ♪
●YAHOOニュースに「安倍マリオ、G20各国首脳に好評」と。例のリオ五輪閉会式でのパフォーマンス。「日本政府高官によると、会議の合間に多くの首脳が安倍首相に『ミスター・マリオ』とか『アベ・マリオ』と声をかけた」んだって。まさに「アベノリンピック」だな。
 何でもプロパガンダ(宣伝)に利用。それにメディアが呼応
●台風一過、実りの秋が来たな。


9条は日本人に無意識に定着した良心―二説紹介(再加筆修正版)

(1)堀尾輝久・東大名誉教授(教育学)の説―『世界』5月号より
 憲法9条の「戦争放棄」は制定当時首相だった幣原喜重郎(戦前、第一次大戦後は1921年のワシントン軍縮条約の代表であり、外相として戦争違法化の運動、その結果でもあるパリ不戦条約を熟知し、戦争拡大に反対して下野していた)の発案だったという。そのことは幣原自身の回想や、「あれは幣原だった」とする当時の幾人かの証言、マッカーサーの米国上院での証言及び回顧録(その中に幣原が、その提案をマッカーサーに申し出た時、顔を涙でくしゃくしゃにしながら「世界は私たちを非現実的な夢想家と笑いあざけるかもしれない。しかし、百年後に私たちは予言者とよばれますよ」と言っていたと書かれてある)に書かれていることなどからそう言われるが、それを裏付ける資料を発見したと。
 その資料とは高柳賢三・マッカーサー元帥の往復書簡である。
 高柳賢三とは、岸信介首相当時の自民党政府もとで改憲のためにつくられた憲法調査会の会長を務め、憲法制定過程を検証し報告書をまとめた責任者である。
 高柳は憲法調査会の会長として、憲法の成立過程に関わったアメリカ人を訪ね、確かな事実を突き詰めようとしたが、マッカーサーとの接触はままならず、応答は会見によってではなく文書によるものであった。それだけによく準備され、焦点のはっきりした質問と明快な回答は貴重な証拠資料と見なされる、と堀尾教授は書いている。教授は最近、国会図書館の憲政資料室で、その原文の手紙(高柳・マッカーサー往復書簡)を見つけ出すことができたのだという。
 それによれば、高柳の質問、「幣原首相は、新憲法起草の際に戦争と武力の保持を禁止する条文を入れるように提案しましたか。それとも、首相は、このような考えを単に日本の将来の政策として貴下に伝え、貴下が日本政府に対して、このような考えを憲法に入れるよう勧告されたのですか」という単刀直入な質問にたいして、マッカーサーは回答で「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は幣原首相が行ったのです。・・・・わたくしは、首相の提案に驚きましたが、首相にわたくしも心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました。」
 1946年(2月国務大臣松本試案がだされるもマッカーサーが却下、GHQ案を日本政府に提示、4月17日政府原案・公表、以後枢密院に次いで帝国議会で審議、10月まで修正可決、11月3日公布)この間3月27日、幣原首相、戦争委員会の開会挨拶で「かくのごとき憲法の規定は現在世界各国いずれの憲法にもその例を見ないのでありまして・・・・戦争を放棄するというようなことは、夢の理想だと考える人があるかもしれませぬ」。しかし「原爆よりも更に強力な破壊的新兵器も出現するであろうとき、軍隊をもつことは無駄なことだ」と。
 片やマッカーサーは、4月5日、連合国対日理事会の開会での冒頭挨拶で参加各国にこう訴えている。「国策の手段として戦争が完全に間違いであることを身に染みて知った国民の上にたつ日本政府が為したこの提案は、実際に戦争を相互に防止するには国際的な社会、政治道徳のより高次の法を発展させることを認めるものです」「したがって私は戦争放棄に対する日本の提案を、全世界の人々が深く考慮することを提案するものです」。国際連合の目標は「偉大なもの」ですが、「その目標も、日本がこの憲法によって一方的におこなうことを宣言した戦争する権利の放棄を、まさしくすべての国が行ったときにはじめて実現されるのです」と。
 次期大統領に立候補する気でいたマッカーサーにとっては占領統治を是非とも成功させなければならない、その手段として何より必要とされたのは、徳川など歴代の日本の統治者がとってきたやり方すなわち天皇制を象徴天皇として存続させることであって、それを日本国憲法の第1条とし、9条に幣原の提案に基づいて「戦争放棄・戦力の不保持・国の交戦権否認」を明記することは、ソ連など連合軍諸国だけでなく米国の世論でも天皇の責任を問う意見が強かった当時の国際世論を説得する切り札として必要だったのだ。
 「戦争放棄」は幣原の発案であり、それをマッカーサーがそれを受け容れたということだとしても、この憲法制定には、それが連合軍の占領下でおこなわれたということ自体、その状況からして、そこに強制性があったことは否定し難い。
 しかし、だからといって、それは「押しつけ憲法」だから、それを廃して「自主憲法」を制定しなければならない、などという主張は短絡的に過ぎよう。
 (2)柄谷行人・哲学者の説―岩波新書『憲法の無意識』および6月14日朝日新聞掲載の同氏インタビュー記事から
 戦争の忌避や厭戦には、戦争でおこなったことに対する反省(意識的な罪悪感)から来るものと、無意識的な罪悪感から来るものとがあると考えられるが、日本人が9条(戦争放棄)を受け容れたのは後者の要素が強い、という。柄谷氏はそれを心理学者のフロイトの学説を用いて論じている。
 そのフロイト心理学説とは、人間を行動に向かわせる無意識の衝動(欲動)には「生の欲動(生きようとする自己保存欲動と子孫を残そうとする性の欲動で、動物的本能でもる)」と「死の欲動(死にたいという気持ちに駆られる衝動で、自分(有機体)を無(無機)の状態に回帰させようとする破壊・攻撃欲動―動物のように弱肉強食の生存競争で自分が生き抜くために他を攻撃する攻撃本能とは違う)」とがあり、後者(「死の欲動」「攻撃欲動」)は、それがマゾヒズム的に自分に向かう場合は自虐・自傷・自殺ということにもなるが、それが転じてサディズム的に外に向かうと、他者に対する攻撃・破壊になり戦争ともなる。それが何かを契機に抑えられて(外部の力、攻撃相手からの反撃によって制圧されて)、攻撃欲動を断念せざるを得なくなり、「死の欲動」は再び内に向けられる。そのとき無意識のうちに(「超自我」即ち自我を超えた)良心(例えば「人は殺してはならない。戦って人を殺すくらいなら、戦わずに死にたい」といったかたちで不戦の倫理的態度)が生じる。超自我とは自分の意識を超えて(親や周囲の大人によって、とはいっても家庭や学校・メディアその他で意図的に教え込まれてではなく、親の背中をみて育つように、いつのまにか知らぬ間に身に着いた)社会道徳や良心に無意識的に従おうとする倫理的な態度のこと。(文化と同様に世代の差を超えて伝わる。それは意識的に伝えることができないのと同様に、意識的に取り除くこともできない。)
 アジア・太平洋戦争で、日本は連合国に敗れた。そしてその占領下にいやおうなしに新憲法を制定し、9条を定めた。
 柄谷氏は「9条が作られたのは、日本人の深い反省・自発的な意志によってではありません。外部からの押しつけです。しかし、だからこそ、それはその後に、(無意識のうちに―引用者)深く定着した」のだと。
 尚、マッカーサーにとっては、憲法1条こそが重要で、9条は副次的なものでしかなかった。だから、朝鮮戦争の勃発とともに、その改定(再軍備―引用者)を迫ったのです。ところが、その時点では、9条が日本人にとって深い意味をもつようになっていたのです。それは、9条が『無意識の罪悪感』とつながるようになったことを意味します。おそらく、吉田首相がマッカーサーの要請を断った時点では、それが明白になっていたはずです。」
 「9条はアメリカの占領軍によって強制されたとはいっても、それは日本の軍事的復活を抑えるという目的だけでなく、そこにカント(1795年『永遠平和のために』―そこでの平和とは、単なる休戦条約で戦争をしていない状態にすぎないような平和ではなく、戦争をもたらす一切の敵対状態がなくなることを意味する平和で、それを諸国家の連合によって創出するという構想)以来の理念が入っていた。草案を作った人たちが、自国の憲法にそう書き込みたかったであろうものを、日本の憲法に書き込んだのだ。もしも日本人が「自発的」に憲法を作っていたら、9条はないのみならず、多くの点で明治憲法とあまり変わらないものとなっただろう。
 確かに憲法9条には、戦争を忌避する強い倫理的な意思がある。しかし、それは意識的あるいは自発的に出てきたものではない。9条は明らかに、占領軍の強制によるもの。(だから、真の自主的な憲法を新たに作ろうという人たちが戦後ずっといたし、今もいる。)ところが、日本人はそれを自主的に受け入れた。それは、大多数の国民の間に、あの戦争体験が生きていたからだ。
 強制した当のアメリカ国家はまもなく当初の戦略を改めて、日本に改憲を要求した。ところが日本人はそれに従わなかった。この9条は、後から日本人によって「内発的」に選ばれたというべきもの。だから変えられないのである。そういう日本人にとっては、この憲法9条は占領軍によって強制された(「押し付けられた」)ものというよりは、むしろ贈与され、授かったというべきもの(柄谷氏は「9条における戦争放棄は国際社会に向けられた純粋贈与である」と)。

 この9条は日本人にとって、まったく外来ものというわけではない。実は、それは「徳川の平和」への回帰なのだ、と柄谷氏はいう。
 それは、南北朝の動乱~応仁の乱~戦国時代~秀吉の朝鮮侵略へと続いた400年に及ぶ戦乱に終止符を打った、その戦後の徳川体制(武力によってではなく、法と礼による統治と鎖国政策)の下で、どの身分・階層も戦争と無縁な時代が250年以上も続いたことをいい、それが開国とそれに伴う動乱によって崩れ、明治政府の富国強兵政策の下で日清・日露戦争からアジア・太平洋戦争へと突き進み、そのあげくの敗戦、連合国による占領下に戦後・現行の憲法体制がスタートした。占領軍による強制とはいえ、それは、まさに「徳川の平和(パクストクガワ―ナ)への回帰」にほかならず、日本人にとっては既に馴染みの伝統文化であり、だから抵抗なく受け入れられた、というわけ。(「自衛隊員は、徳川の武士に似ていて、彼らは兵士にして兵士にあらず、或いは兵士ではないが、兵士である」というわけだ。)

 「日本人はドイツ人に比べて歴史的な(或いは理性的な)反省に欠けている(意識的な罪悪感が希薄)といわれることがあります。確かに『意識』のレベルではそういってもいいでしょう。しかし、憲法9条のようなものはドイツにはありません。憲法9条が示すのは、日本人の強い『無意識の罪悪感』です。それは一種の脅迫神経症です。」「日本人に戦争に対する罪悪感があるとしても、それは意識的なものではない。・・・・もしそれが意識的な反省によるものであったなら、(気が変わったからと)9条はとうの昔に放棄されたでしょう。意識を変えるのはたやすいことだからです。教育・宣伝その他で、人々の意識を変えることができる。それなのに、日本では、なぜか9条を変えることができないのだ。」 日本人の戦争への嫌悪感・拒絶反応は身体と心の奥底から湧き上がってくる理屈抜きの感覚・情念であり、占領軍の9条(戦争放棄)強制を(反発せずに、むしろ贈与として)無意識的に受け入れ(間もなくして突きつけられた再軍備要請は拒否して)自主的に定着させた

 9条は解釈改憲が行われて形だけの条項になりつつある。が「形」はあくまで残る。それを残したままでは軍事行動は(やったりすれば訴訟だらけになるから)できないのだ。それをできるようにするためには変えるほかない。しかし、変えられない。なぜなら、9条は意識の問題ではなく、無意識の問題だからだ。それを意識的な操作で変えることはできない。「世論は変わる、私の力で変えてみせる」と政治家はいくら思っても、その相手は「無意識」なのだから変えようがないのだ
 人や政党を選ぶ(議員を選出する)選挙ならば、その者(候補者・政党)の憲法や9条に対する考え方(改憲派か護憲派か)だけでなく、それ以外の様々な考えや政策・公約、力量・信頼性など総合的にイメージ・評価して議員やリーダーとして適任かどうかという判断になり、争点を特定したとしても、(今回の参院選のように)改憲問題ははずしてアベノミクスなど他に争点をずらせば、結果的に「改憲派」が3分の2議席を制することはできる。しかし、改憲そのものを特定し争点として賛否を問う国民投票となると、投票率は高くなるし、そう簡単にはいかず、柄谷氏は「改憲はどだい無理」なのだという。
 柄谷氏は「9条は、それによって日本が単に戦争と武力を放棄させられたというものではなく、日本から世界に向けられた贈与なのであり、贈与には強い力がある。日本に賛同する国が続出し、それがこれまで第二次大戦の戦勝国が牛耳ってきた国連を変えることになるだろう。それによって国連はカントの理念に近づくことになる」というわけである。
 それには憲法9条を(形の上で護るだけでなく、文字通り)実行すること。そして、それを国連総会で表明すること。そうすれば、日本はすぐに常任理事国になれる。現在の常任理事国が反対しても、多数が賛成して国連総会で承認されるだろう、というわけ。
 憲法9条は非現実的であるといわれ、リアリスティックに対処する必要があるということがいつも強調されるが、最もリアリスティックなやり方は、憲法9条を掲げ、かつ、それを実行しようとすること。9条を実行することは、おそらく日本人ができる唯一の普遍的かつ「強力」な行為なのだ、と。
 9条を文字通り実行するということは、戦争はしない、戦力(軍備)は持たない、武力行使はしないとうことだ。「軍備を持たずに、どこかに攻められたらどうするのか」。阿刀田高氏(作家、2010年当時日本ペンクラブ会長―全国革新懇ニュース4月号インタビューに)いわく「『その時には死ぬんです』というのが私の答えです。・・・軍国少年であった子供の時、天皇陛下のために俺は死ぬんだと思った。同じ死ならば、よくわからない目的のために死ぬより、とことん平和を守り、攻撃を受けて死ぬ方がまだ無駄じゃない。丸腰で死ぬんです。個人のモラルとしてなら、人を殺すくらいなら自分が死ぬ・・・つきつめれば死の覚悟を持って平和を守る、命を懸けるということです。そうである以上、中途半端に銃器なんか持っていない方がいいですね。死ぬのは嫌だから、外交などいろんな努力を全部やる。やり尽くすべきだと思います」と。これは「死の欲動」でも、超自我(良心)に従い、人を殺すくらいなら、戦わずして死んだ方がましだとして、他者への攻撃欲動には向かわず、自死を選ぶ、ということだろう(但し、そこで言わんとしていることは、自殺の肯定ではなく、あくまで人殺し・暴力・戦争の否定であり、攻撃欲動の断念と良心・倫理性への「こだわり」なのだ)。
 超自我は、内にある「死の欲動」が、外に向けられて攻撃欲動に転じた後、さらに内に向けられたときに生じる(その超自我は外部から来たように見えるが、内なる「死の欲動」すなわち内部から来るもの)。
 (「人は通常、倫理的な要求が最初にあり、欲動(攻撃欲動―引用者)の断念が、その結果として生まれると考えがちであるが、それでは倫理性の由来が不明なままである。実際には、その逆で、最初の欲動(攻撃欲動)の断念は外部の力によって強制されたものであり、その欲動の断念が初めて倫理性を生み出し、これが良心というかたちで表現され、欲動の断念をさらに求めるのである。」)
 確かに憲法9条には、戦争を忌避する強い倫理的な意思がある。しかし、それは意識的あるいは自発的に出てきたものではなく、明らかに、占領軍の強制によるもの。なのに、日本人はそれを自主的に受け入れた。それは、大多数の国民の間に、あの戦争体験と敗戦による攻撃欲動の断念から超自我(良心)が生じ、それがさらに欲動の断念を求めていたからである。
 (柄谷氏は又、カント的な普遍的な理念が、他ならぬ日本において制度として定着したと考えているが、それも日本人の意思あるいは理想主義によるものではなく、それはむしろ、日本が侵略戦争を行ったことを通して、さらに占領軍による強制を通して実現されたのだと。)

 「憲法9条は日本人の集団的な超自我」。日本人のその超自我は、戦争の後、その9条の戦争を禁止する条項(不戦平和主義―引用者)として形成されたと言える、と柄谷氏がいうのは、具体的には阿刀田氏の「応戦して人を殺すくらいなら、戦わずして死んだ方がまし」ということにほかならないのではあるまいか。
 不戦平和主義は決して、マッカーサーに「戦争放棄」を提案した幣原首相の「夢想家といわれかもしれない」理想主義によるものではなく、日本人の深層心理として実存する「死の欲動」に根ざすリアリスティックなものなのだ


 

2016年08月17日

深層心理に発想する戦争・平和論―柄谷行人教授の論考から(再加筆修正版)

 フロイトの精神分析学説によれば、人間には「生の欲動(動物の生存本能)」だけでなく、「死の欲動」というものがあるのだそうだ。(動物にあるのは生存本能だけで、ただひたすら生きるしかないというものだが、人間は死<それに死後>を意識し、死を恐れ、憧れもする―「死ねば楽になれる」とか、「成仏」とか「天国」への憧れがあり、生きる苦しみからの解放として死を求める)。自虐・自傷・自殺というものはそうして起こるが、その欲動が内から外へ向けられて、他者への攻撃欲動に転じることにもなる。暴力・破壊・殺傷行為などはそうして起こる。動物には弱肉強食・優勝劣敗の生存競争における攻撃本能はあるが、人間の場合は「死の欲動」からの攻撃欲動というものもあるというのである。イスラム過激派のジハード型自爆攻撃(自爆テロ)、(最近日本で起きた障害者殺傷事件などもその部類なのか?)そして戦争も、その攻撃欲動によって行われるのだ、というわけである。
 南満州鉄道爆破事件から満州事変、盧溝橋における日中両軍部隊の衝突事件から日中戦争、真珠湾攻撃から広島・長崎原爆投下に至る太平洋戦争、これらの戦争は互いの指導部・軍幹部による軍事戦略・作戦計画に基づいて行われたが、その策定と個々の軍事行動は、将兵や民衆の間に募るフラストレーションから生ずる不安・恐怖・怒り・憎悪・敵愾心・復讐心などから刺激されて、それぞれの当事者・将兵たちが攻撃欲動に駆られて断行された、と考えられる。
 この間に学校では、校長や教師が生徒に「征け、戦え、死ね」と欲動を駆り立てた(8月18日朝日新聞・声欄、早乙女勝元氏の投稿「戦時の校長祝辞『死ね』に慄然」)
 そして行われたのが玉砕戦(「万歳突撃」)、特攻隊の自爆攻撃、沖縄や満州などでの民間人の集団自決、サイパン島のバンザイクリフの断崖から数多の邦人投身自殺など。これらはいずれも「死の欲動」から発している、と考えられる。

 「死の欲動」―「死を憧れ」、「死ねば楽になるのだと、苦から解放を求めて」自殺にはしる。ところが、自己の生命体を守るために外に攻撃欲動を向け、他者への暴力・殺傷・破壊(ひいては戦争)にはしる。ところが、それに対して攻撃欲動に駆り立てられた相手側(大戦では連合軍)から反撃され制圧されて、自らの攻撃欲動を引っ込めざるを得なくなる(攻撃欲動の断念)。そして、その欲動が自我の内部に戻ったとき、もはや自我(自分の生命など)には囚われずに、無意識のうちに良心にのみ従う「超自我」というものが自分に生まれる。(自我の内部に戻った攻撃欲動が、自我の他の部分と対立している自我の一部に取り入れられて「良心」となり、自分とは縁のない他人に対するのと同様な厳格さをもって、自分もその「良心」に従うようになる。)
 そこで、凶器を持った暴漢やテロに遭遇したり、武力攻撃や戦争を仕掛けてこられたりした場合は、「殺されて死ぬくらいなら、相手を殺しても自分の命は守りぬくか、相手を殺して自分も死ぬ(いずれにしても相手を殺す)のを良しとする」のか、「人を殺すくらいなら、殺されて死んだ方がいい」のか(「カルネアデスの板」の例えがあるが―難破した船から投げ出された二人が、一人しか掴まっていられない板を一方が奪うか、それとも譲るか)、どちらを選ぶか、が問われるが、前者は法的には「正当防衛」とか「緊急避難」として罪は免除される。国の戦争や武力攻撃事態に際しては「交戦権」「自衛権」とかで人をたくさん殺しても「しかたなかった」として正当化でき、刑罰は免れ得る。しかしそれは、いずれにしても「人殺し」には変わりなく、道徳的には許されない行為であり、良心の呵責(罪悪感)にさいなまれ続ける心の傷として一生残るものだが、その方が嫌だとして、むしろ後者、即ち、自分は殺されて死んでも(自分は犠牲になっても)、人を殺してはならない(人を犠牲にしてはならない)という方をとる。それが「超自我」に従うということなのでは。
 第二次大戦・太平洋戦争でアメリカは広島・長崎に原爆を投下し、20万人もの無辜の市民を犠牲にしたが、それは、そうすることによって戦争を早く終わらせ、米兵はもとより、それ以上多くの人々の生命を犠牲にしないで済ませることができた、と正当化してきた。
 それに対して日本は、ドイツ・イタリアとともに世界中を敵に回してこれらの戦争を起こしたあげく、惨たんたる敗戦を喫して、やむなく「人々を殺し合う戦争は二度とやってはならない」という誓約(そのことを規定した憲法)を受け容れた。

 尚、「超自我」は個人だけでなく、集団(共同体)にも形成され、むしろ、その方により顕著にあらわれるという。集団的超自我とか集団的無意識。文化とは集団における超自我にほかならず、憲法9条も然り、超自我だといえるのだ、というわけである。
 アメリカなどは植民・建国以来、生存圏の維持・拡張のため市民の銃所持とともに国の軍備の強大化に意を注ぎ、戦いに明け暮れてきた歴史から、いわば「戦争文化」が発達しているが、それにひきかえ、我が国の場合、その歴史をたどると、戦国時代に終止符を打って長らく続いた「徳川の平和」ともいうべき非戦文化の時代があり、それが崩れた明治以来、対外戦争に明け暮れて大戦に至り、空前絶後の悲惨を経験した、その間の民族的戦争体験と、戦後再び非戦平和文化(集団的超自我)への回帰を迎えることになったわけである。アメリカとは違い、市民の銃刀所持の禁止はもとより当たりまえ、国も憲法で軍備も交戦権も否認されることになった。その憲法は米軍の占領下で連合国によって強いられたものとはいえ、日本国民はそれを受け容れ、今日に至る迄、「人々を殺す戦争は二度とやってはならない」という定めが無意識のうちに心の内から発せられる定言命法(「もし~ならば~せよ」という仮言的命令に対して、「ダメなものはダメ」といったように、無条件に従うべき命令)ともいうべきものとなり、それが、もはや世界の誰も変えることのできない命法となっているのではあるまいか。(日本が起こした満州事変~日中戦争、真珠湾攻撃~太平洋戦争、その間に行われた数々の非人道的行為、それにアメリカの原爆投下も許されざる非人道的行為なのであって、どの国も核兵器は廃絶すべきなのであり、どの国も戦争は放棄し、交戦権など否認して然るべきなのだ。)

 それが、柄谷行人氏のいう「改憲不可能な9条」という見解なのか。(氏は「憲法9条が無意識の超自我であるということは心理的な憶測ではなく、統計学的に裏付けられている」という。その9条改憲が不可能だというのは、議員の総選挙なら争点が多様で曖昧なうえ投票率も低いが、改憲は最終的には国民投票によって決し、国民投票は―それとても何らかの操作・策動が可能だとはいえ―争点はっきりしている上、投票率も高いので『無意識』が前面に出てくるだろうからである。現に新聞の世論調査―朝日5月3日付―では、憲法を「変える必要がある」37%に対して「変える必要がない」は55%で、9条に限っていえば、「変える方がよい」27%に対して「変えない方がよい」68%ということで、約7割が現行のままでよいと。)

 尚、「超自我」は、父親の理想的なイメージや倫理的な態度を内在化して形成されるのだという。
 人間は、幼児期は動物的本能に近い欲動で、快・不快で反応し、無意識的に快楽原則にのみ従うが、自我が成長するにつれて外界(自然や社会)の現実の要請に応じて、意識的あるいは無意識的に、不快に耐え、欲求の満足を延期したり断念したりして現実原則(自然法則や社会的規範)にも従う。その(現実原則に従う)場合は、外部から親や大人の意図的なしつけ・教育・啓蒙・宣伝などの働きかけによって、それらを個々人が意識的に学んで人々にその態度が身に着く。その場合は、現実の要請が変わり、或いは親や大人、社会や権力者の都合しだいで方針や規範を(憲法も)変えようと思えば、教育・宣伝その他によって人々の意識を変えることができる。
 それに対して「超自我」は、幼児期に「ダメなものはダメ」と、(「天の声」の如く)否応なしに従わざるを得なかった厳格な父親の背中に、実は自らが作り出した理想的なイメージ(神様の如きもの)を重ね、無意識のうちにいつの間にか知らぬ間に心の深層に内在化して良心や倫理的な態度などになって現れるものであろう。(柄谷教授によれば、憲法9条は「外部からの押し付け」によって生まれたが、日本人の「無意識に」深く定着した。「憲法9条は、日本人の集団的自我であり、『文化』です。子供は親の背中を見て育つといいますが、文化もそのようなものです。つまり、、それは家庭や学校、メディアその他で、直接に、正面から伝達されるようなものではなく、いつの間にか知らぬ間に背中から伝えられるのです。だから、それは世代の差を超えて伝わる。それは意識的に伝えることができないのと同様に、意識的に取り除くこともできません」と。)

 NHKのETV特集に『父は特攻兵器の発案者、戦後は名を変え別人に』というドキュメンタリーがあった。戦争中、海軍少尉で日中戦争に際しては、魚雷や爆弾を投下する攻撃機の搭乗員や偵察員に従事し、太平洋戦争の末期、「人間爆弾」(「桜花」と命名。爆弾に羽根のついたようなもので、母機の胴体の下に装着されて敵艦隊の上空まで来たところで、搭乗員が1人それに乗り移り、母機から切り離されてロケット噴射で高速降下し標的艦に激突する、というもので、特攻の先駆けとなった)を考案し、実践に用いられ、ほとんど戦果のないまま撃ち落とされて搭乗員829名が戦死。中尉自らは乗りこまず、出撃せず終戦。しかし、終戦の3日後、遺書を残してゼロ戦に乗り込んで海に飛び込み「自殺して果てた」とされた。ところが、彼は救助されて生き長らえ、偽名を使って、別人として結婚もし、職は20回も替えたが、大阪で妻子とひっそり暮らし続けた。妻子には、戦争中の事も詳しい身の上もほとんど語ることはなかったが、妻には本名と「あの特攻兵器を考え出したのは私だ」といことは語っていた。子煩悩で面倒見の良い父だと思っていた息子は、中学生になって、そのことを母から聞き知るようになって、父の人間性を疑うようになった。戦後も50年ほど経って、ふいに高野山を訪れ、その後、白浜海岸の「三段壁」の断崖から飛び降り自殺を図ろうとした、寸前引止められて警察から保護され、迎えに来た息子の前で、せきを切ったように泣き崩れたという。その7か月後、彼は亡くなった。息子(60代と思われる)はその後、かつての父の部隊の搭乗員で生き残っている方数人の各家を訪ね、事実を確かめておられた。この方が幼児期から父親の背中を見てきて、自らに形成してきた超自我―無意識の良心・罪悪感など―が考えられる。
 当方の父は、警察官をしていたが、戦争末期、一年余り兵隊に召集され、当方ら母子は母の実家で暮らし、防空壕に隠れたりもしたが、終戦で父は進駐軍の士官の下で復職して自治体警察に務め、あちこちの町を転勤、当方は転校して回ったが、中2の時、病死した(詳細はこのHPの過去の分のどこかに)。このような父がいて、当方の場合は、それなりの超自我が身に着いたのだろうか。
 天皇には、父(昭和天皇)の背中を見てきて自らに形成し、身に着いたであろう超自我(無意識の良心)があり、戦争と憲法に対する思いを持ち、それを語り、行動しておられるのだろう。
 近隣のかの国の最高権力者は世襲の3代目で、父は祖父の、自分は父の背中に自らが思い描く理想的なイメージを重ね、「こうせよ」という父の声を「天の声」としてそれに従う無意識の態度(超自我)が身に付いているのか。自らの行為や他人・他国の行為が正しいか否かの評価・善悪の判断が諸国民あるいは自国民のそれとは一致しないか、かけ離れているように思われる。
 安倍首相の場合は、父親よりもむしろ祖父(岸信介―東条内閣の閣僚、戦後、A級戦犯容疑・不起訴、公職追放、政界復帰後首相に就任、安保条約改定、強行後総辞職)の背中に理想的な父親イメージを重ね、「靖国の御霊」に心が向かう倫理的態度は、稲田防衛相らのそれと同様に、多くの国民からはかけ離れ、或は天皇の(現行憲法尊重や戦争に対する倫理的態度など、その心性は、むしろ国民の方に近いようにも思われる)それとも異なる彼らの超自我を感じる。
 このような安倍首相らの無意識の超自我(スーパー・エゴ)あるいは自我(エゴ)の意識に対して国民の集団的無意識の超自我(良心)は凌駕され改憲は押し切られてしまうのだろうか。
 


2016年08月24日

マリオが何故アベ首相でなければ?―リオ五輪閉会式

 オリンピックは、本来は(国際オリンピック憲章の規定では)国ではなく選手個人やチームが競うもの。それが国威発揚の場として利用される。マスコミはテレビも新聞も、国別メダル獲得数のランキング表を掲げて日本はその上位何番目だと誇って見せる(上位7ヵ国の内の5ヵ国はいずれも国連安保理常任理事国で、あとの2国はドイツと日本)(オリンピック憲章では、競技で勝利をおさめた栄誉はあくまで選手個人・団体のもので、国別メダル獲得ランキング作成などは禁じてられているともいわれる。)ところが、NHK「おはよう日本」で、スポーツ解説員は開催国のメリットとして1に「国威発揚」、2に「国際的な存在感」、3に「経済効果」などと5つあげ、「国威発揚」を一番目にあげていた。ロシア選手のドーピング問題には国が関与していたとして同国の多くの選手が出場を禁止される事態も起きたが、そのような弊害はオリンピックを、国威を競う揚であるかのように思っている勘違いからくるものだろう。今回のリオ五輪では「難民選手団」が参加し、彼らには国旗も国歌も関係なかった。そういうのがむしろど本来の姿だろう。ところが東京大会組織委員会の会長・森元首相は選手団の壮行会で「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」と言ったという。
 国が、或は国民が税金を出して、助成金や競技施設を提供しサポートしているからといって、恩着せがましく、選手たちは国や国民に感謝して国歌を歌い国旗に頭を下げるのが当然だなどという。それが国家主義なのであって、国のため、国威発揚のためにアスリートたちの活躍を政治利用しようとするもので、それが間違いなのだ。国がすべての国民に人権として健康で文化的な最低限度の生活を保障するために措置するのが当然であるように、国民の健康を増進し、スポーツや文化活動を支え、それをリード・誘発してその発展に寄与し、国民に感動を与えるアスリートやアーチストたちのために国や自治体が環境・施設を整え助成金を出すなど彼らをサポートするのは当然のことだろう。それに対してアスリートたちがそれぞれに国民や国に感謝の念を抱くのはいいとしても、それを恩着せがましく要求するのは筋違いだろう。
 リオ五輪は終わった。メダルをもらった選手、もらわなかた選手といるが、入賞し、或はメダルをとったあの選手たち、彼らに対して、「国や国民のおかげなのだ、感謝するがいい、国旗に頭を下げるがいい」なんて要求したりできるものか。(彼らの方からは「皆さんの応援に感謝しています」といってくれているのだが。)また入賞できず、或は予選失格に終わった彼らに対して「国や国民に申し訳ないと、頭を下げるがいい」なんて要求したりできるものか。「みんな、よく頑張ってくれた、ありがとう」とめいっぱい感謝し、健闘を讃えてやればいいのだ。
 ところで、リオ五輪の閉会式では、次回開催都市の東京都知事に五輪旗がリオ市長から引き継がれて知事はそれを振って見せた。それはいいとして、その後、何と安倍首相がゲームキャラクターのマリオの帽子をかぶって、地球の反対側に土管をくぐって会場の真ん中に跳び出してきた、という趣向で登場し、“see you in Tokyo”と発声した。この趣向の考案・創作・演出は、その道の第一人者たちの手によって行われたのだろうが、その主役にアベ首相を選んだのは、実は森元首相なのだという。
 このような形で開催国の政府首脳が登場するのは前例がないとのことだが、格別ブーイングが出ることもひんしゅくかうこともなかったようだ。
 しかし当方には、その趣向自体はいいとして、そこにどうしてアベ首相を当てなければならなかったのか、どうも違和感を禁じ得なかった(そんなことを思ったは当方だけなのか?)。当方にはどうもそれが、髭をはやして帽子をかぶったマリオというよりはヒトラーに思えてならなかった。かってベルリン・オリンピック開催に際して、ゲッペルス宣伝担当大臣のアイデアで聖火を掲げるなどの趣向が考案され、そのオリンピックが国民の熱狂を誘い、ヒトラー総統の威勢と国威の発揚に最大限政治利用された、そのことが想起されてならなかったのだ。
 あのような政治家ではなく、適任者にはもっと別の方がいたのでは―室伏(ハンマー投げ―アテネ・オリンピックで金、前回ロンドンでは銅)とか、或いは皇太子とか?。

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