フロイトの精神分析学説によれば、人間には「生の欲動(動物の生存本能)」だけでなく、「死の欲動」というものがあるのだそうだ。(動物にあるのは生存本能だけで、ただひたすら生きるしかないというものだが、人間は死<それに死後>を意識し、死を恐れ、憧れもする―「死ねば楽になれる」とか、「成仏」とか「天国」への憧れがあり、生きる苦しみからの解放として死を求める)。自虐・自傷・自殺というものはそうして起こるが、その欲動が内から外へ向けられて、他者への攻撃欲動に転じることにもなる。暴力・破壊・殺傷行為などはそうして起こる。動物には弱肉強食・優勝劣敗の生存競争における攻撃本能はあるが、人間の場合は「死の欲動」からの攻撃欲動というものもあるというのである。イスラム過激派のジハード型自爆攻撃(自爆テロ)、(最近日本で起きた障害者殺傷事件などもその部類なのか?)そして戦争も、その攻撃欲動によって行われるのだ、というわけである。
南満州鉄道爆破事件から満州事変、盧溝橋における日中両軍部隊の衝突事件から日中戦争、真珠湾攻撃から広島・長崎原爆投下に至る太平洋戦争、これらの戦争は互いの指導部・軍幹部による軍事戦略・作戦計画に基づいて行われたが、その策定と個々の軍事行動は、将兵や民衆の間に募るフラストレーションから生ずる不安・恐怖・怒り・憎悪・敵愾心・復讐心などから刺激されて、それぞれの当事者・将兵たちが攻撃欲動に駆られて断行された、と考えられる。
この間に学校では、校長や教師が生徒に「征け、戦え、死ね」と欲動を駆り立てた(8月18日朝日新聞・声欄、早乙女勝元氏の投稿「戦時の校長祝辞『死ね』に慄然」)
そして行われたのが玉砕戦(「万歳突撃」)、特攻隊の自爆攻撃、沖縄や満州などでの民間人の集団自決、サイパン島のバンザイクリフの断崖から数多の邦人投身自殺など。これらはいずれも「死の欲動」から発している、と考えられる。「死の欲動」―「死を憧れ」、「死ねば楽になるのだと、苦から解放を求めて」自殺にはしる。ところが、自己の生命体を守るために外に攻撃欲動を向け、他者への暴力・殺傷・破壊(ひいては戦争)にはしる。ところが、それに対して攻撃欲動に駆り立てられた相手側(大戦では連合軍)から反撃され制圧されて、自らの攻撃欲動を引っ込めざるを得なくなる(攻撃欲動の断念)。そして、その欲動が自我の内部に戻ったとき、もはや自我(自分の生命など)には囚われずに、無意識のうちに良心にのみ従う「超自我」というものが自分に生まれる。(自我の内部に戻った攻撃欲動が、自我の他の部分と対立している自我の一部に取り入れられて「良心」となり、自分とは縁のない他人に対するのと同様な厳格さをもって、自分もその「良心」に従うようになる。)
そこで、凶器を持った暴漢やテロに遭遇したり、武力攻撃や戦争を仕掛けてこられたりした場合は、「殺されて死ぬくらいなら、相手を殺しても自分の命は守りぬくか、相手を殺して自分も死ぬ(いずれにしても相手を殺す)のを良しとする」のか、「人を殺すくらいなら、殺されて死んだ方がいい」のか(「カルネアデスの板」の例えがあるが―難破した船から投げ出された二人が、一人しか掴まっていられない板を一方が奪うか、それとも譲るか)、どちらを選ぶか、が問われるが、前者は法的には「正当防衛」とか「緊急避難」として罪は免除される。国の戦争や武力攻撃事態に際しては「交戦権」「自衛権」とかで人をたくさん殺しても「しかたなかった」として正当化でき、刑罰は免れ得る。しかしそれは、いずれにしても「人殺し」には変わりなく、道徳的には許されない行為であり、良心の呵責(罪悪感)にさいなまれ続ける心の傷として一生残るものだが、その方が嫌だとして、むしろ後者、即ち、自分は殺されて死んでも(自分は犠牲になっても)、人を殺してはならない(人を犠牲にしてはならない)という方をとる。それが「超自我」に従うということなのでは。
第二次大戦・太平洋戦争でアメリカは広島・長崎に原爆を投下し、20万人もの無辜の市民を犠牲にしたが、それは、そうすることによって戦争を早く終わらせ、米兵はもとより、それ以上多くの人々の生命を犠牲にしないで済ませることができた、と正当化してきた。
それに対して日本は、ドイツ・イタリアとともに世界中を敵に回してこれらの戦争を起こしたあげく、惨たんたる敗戦を喫して、やむなく「人々を殺し合う戦争は二度とやってはならない」という誓約(そのことを規定した憲法)を受け容れた。尚、「超自我」は個人だけでなく、集団(共同体)にも形成され、むしろ、その方により顕著にあらわれるという。集団的超自我とか集団的無意識。文化とは集団における超自我にほかならず、憲法9条も然り、超自我だといえるのだ、というわけである。
アメリカなどは植民・建国以来、生存圏の維持・拡張のため市民の銃所持とともに国の軍備の強大化に意を注ぎ、戦いに明け暮れてきた歴史から、いわば「戦争文化」が発達しているが、それにひきかえ、我が国の場合、その歴史をたどると、戦国時代に終止符を打って長らく続いた「徳川の平和」ともいうべき非戦文化の時代があり、それが崩れた明治以来、対外戦争に明け暮れて大戦に至り、空前絶後の悲惨を経験した、その間の民族的戦争体験と、戦後再び非戦平和文化(集団的超自我)への回帰を迎えることになったわけである。アメリカとは違い、市民の銃刀所持の禁止はもとより当たりまえ、国も憲法で軍備も交戦権も否認されることになった。その憲法は米軍の占領下で連合国によって強いられたものとはいえ、日本国民はそれを受け容れ、今日に至る迄、「人々を殺す戦争は二度とやってはならない」という定めが無意識のうちに心の内から発せられる定言命法(「もし~ならば~せよ」という仮言的命令に対して、「ダメなものはダメ」といったように、無条件に従うべき命令)ともいうべきものとなり、それが、もはや世界の誰も変えることのできない命法となっているのではあるまいか。(日本が起こした満州事変~日中戦争、真珠湾攻撃~太平洋戦争、その間に行われた数々の非人道的行為、それにアメリカの原爆投下も許されざる非人道的行為なのであって、どの国も核兵器は廃絶すべきなのであり、どの国も戦争は放棄し、交戦権など否認して然るべきなのだ。)それが、柄谷行人氏のいう「改憲不可能な9条」という見解なのか。(氏は「憲法9条が無意識の超自我であるということは心理的な憶測ではなく、統計学的に裏付けられている」という。その9条改憲が不可能だというのは、議員の総選挙なら争点が多様で曖昧なうえ投票率も低いが、改憲は最終的には国民投票によって決し、国民投票は―それとても何らかの操作・策動が可能だとはいえ―争点はっきりしている上、投票率も高いので『無意識』が前面に出てくるだろうからである。現に新聞の世論調査―朝日5月3日付―では、憲法を「変える必要がある」37%に対して「変える必要がない」は55%で、9条に限っていえば、「変える方がよい」27%に対して「変えない方がよい」68%ということで、約7割が現行のままでよいと。)
尚、「超自我」は、父親の理想的なイメージや倫理的な態度を内在化して形成されるのだという。
人間は、幼児期は動物的本能に近い欲動で、快・不快で反応し、無意識的に快楽原則にのみ従うが、自我が成長するにつれて外界(自然や社会)の現実の要請に応じて、意識的あるいは無意識的に、不快に耐え、欲求の満足を延期したり断念したりして現実原則(自然法則や社会的規範)にも従う。その(現実原則に従う)場合は、外部から親や大人の意図的なしつけ・教育・啓蒙・宣伝などの働きかけによって、それらを個々人が意識的に学んで人々にその態度が身に着く。その場合は、現実の要請が変わり、或いは親や大人、社会や権力者の都合しだいで方針や規範を(憲法も)変えようと思えば、教育・宣伝その他によって人々の意識を変えることができる。
それに対して「超自我」は、幼児期に「ダメなものはダメ」と、(「天の声」の如く)否応なしに従わざるを得なかった厳格な父親の背中に、実は自らが作り出した理想的なイメージ(神様の如きもの)を重ね、無意識のうちにいつの間にか知らぬ間に心の深層に内在化して良心や倫理的な態度などになって現れるものであろう。(柄谷教授によれば、憲法9条は「外部からの押し付け」によって生まれたが、日本人の「無意識に」深く定着した。「憲法9条は、日本人の集団的自我であり、『文化』です。子供は親の背中を見て育つといいますが、文化もそのようなものです。つまり、、それは家庭や学校、メディアその他で、直接に、正面から伝達されるようなものではなく、いつの間にか知らぬ間に背中から伝えられるのです。だから、それは世代の差を超えて伝わる。それは意識的に伝えることができないのと同様に、意識的に取り除くこともできません」と。)NHKのETV特集に『父は特攻兵器の発案者、戦後は名を変え別人に』というドキュメンタリーがあった。戦争中、海軍少尉で日中戦争に際しては、魚雷や爆弾を投下する攻撃機の搭乗員や偵察員に従事し、太平洋戦争の末期、「人間爆弾」(「桜花」と命名。爆弾に羽根のついたようなもので、母機の胴体の下に装着されて敵艦隊の上空まで来たところで、搭乗員が1人それに乗り移り、母機から切り離されてロケット噴射で高速降下し標的艦に激突する、というもので、特攻の先駆けとなった)を考案し、実践に用いられ、ほとんど戦果のないまま撃ち落とされて搭乗員829名が戦死。中尉自らは乗りこまず、出撃せず終戦。しかし、終戦の3日後、遺書を残してゼロ戦に乗り込んで海に飛び込み「自殺して果てた」とされた。ところが、彼は救助されて生き長らえ、偽名を使って、別人として結婚もし、職は20回も替えたが、大阪で妻子とひっそり暮らし続けた。妻子には、戦争中の事も詳しい身の上もほとんど語ることはなかったが、妻には本名と「あの特攻兵器を考え出したのは私だ」といことは語っていた。子煩悩で面倒見の良い父だと思っていた息子は、中学生になって、そのことを母から聞き知るようになって、父の人間性を疑うようになった。戦後も50年ほど経って、ふいに高野山を訪れ、その後、白浜海岸の「三段壁」の断崖から飛び降り自殺を図ろうとした、寸前引止められて警察から保護され、迎えに来た息子の前で、せきを切ったように泣き崩れたという。その7か月後、彼は亡くなった。息子(60代と思われる)はその後、かつての父の部隊の搭乗員で生き残っている方数人の各家を訪ね、事実を確かめておられた。この方が幼児期から父親の背中を見てきて、自らに形成してきた超自我―無意識の良心・罪悪感など―が考えられる。
当方の父は、警察官をしていたが、戦争末期、一年余り兵隊に召集され、当方ら母子は母の実家で暮らし、防空壕に隠れたりもしたが、終戦で父は進駐軍の士官の下で復職して自治体警察に務め、あちこちの町を転勤、当方は転校して回ったが、中2の時、病死した(詳細はこのHPの過去の分のどこかに)。このような父がいて、当方の場合は、それなりの超自我が身に着いたのだろうか。
天皇には、父(昭和天皇)の背中を見てきて自らに形成し、身に着いたであろう超自我(無意識の良心)があり、戦争と憲法に対する思いを持ち、それを語り、行動しておられるのだろう。
近隣のかの国の最高権力者は世襲の3代目で、父は祖父の、自分は父の背中に自らが思い描く理想的なイメージを重ね、「こうせよ」という父の声を「天の声」としてそれに従う無意識の態度(超自我)が身に付いているのか。自らの行為や他人・他国の行為が正しいか否かの評価・善悪の判断が諸国民あるいは自国民のそれとは一致しないか、かけ離れているように思われる。
安倍首相の場合は、父親よりもむしろ祖父(岸信介―東条内閣の閣僚、戦後、A級戦犯容疑・不起訴、公職追放、政界復帰後首相に就任、安保条約改定、強行後総辞職)の背中に理想的な父親イメージを重ね、「靖国の御霊」に心が向かう倫理的態度は、稲田防衛相らのそれと同様に、多くの国民からはかけ離れ、或は天皇の(現行憲法尊重や戦争に対する倫理的態度など、その心性は、むしろ国民の方に近いようにも思われる)それとも異なる彼らの超自我を感じる。
このような安倍首相らの無意識の超自我(スーパー・エゴ)あるいは自我(エゴ)の意識に対して国民の集団的無意識の超自我(良心)は凌駕され改憲は押し切られてしまうのだろうか。