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2016年02月 アーカイブ

2016年02月01日

9条を自分で空洞化させておいて

 衆院予算委員会で稲田自民党政調会長が「憲法学者の多くが素直に文理解釈すれば自衛隊が違憲である9条2項は現実とまったく合わなくなっている。このままにしておくことこそ立憲主義を空洞化する」のでは、と質問、安倍首相は「7割の憲法学者が自衛隊に憲法違反の疑いを持っている状況を無くすべきではないかという考え方もある」と答弁し、9条改定による集団的自衛権の行使容認や国防軍創設を明記した自民党改憲草案について「将来あるべき憲法の姿を示した。私たち手で憲法を変えていくべきだという考えで発表した」と。

 たしかに憲法学者には自衛隊の存在を違憲とする人が多い(昨年、朝日新聞による憲法学者へのアンケートでは63%)、それに対してこれまで歴代政府(内閣法制局)は「自衛の措置は国家固有の権能の行使」であり、「自衛隊は必要最小限の実力組織だ」として合憲解釈、最高裁は砂川判決で日米安保条約に基づく米軍の日本への駐留を「9条は我が国が平和・安全を維持するために他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではない」とし、「我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと」として合憲判断。
 その自衛隊に海外に出て行くことを(PKO協力法、周辺事態法、テロ特措法、イラク特措法、海賊対処法などで)次々と認めてきたが、専守防衛(個別的自衛権の行使だけ)に限定し、朝鮮有事では直接日本への武力行使前でも米軍に後方支援ができるとか、インド洋やイラク等への海外派遣に際しては非戦闘地域に限定し、武器使用は正当防衛・緊急避難だけに限定してきた。
 その憲法解釈には①文理解釈という文字通り解釈する考えと、②解釈に幅を認める考えとがあるが、歴代政府は②の立場で解釈の幅を広げてきた。それでも、論理的整合性・法的安定性にこだわって(自衛隊には交戦権はなく国際法上の軍隊ではない等)曲りなりにもその限度を守ってきた。
 ところが、今や、その自衛隊に閣議決定で集団的自衛権の行使まで(「限定的に」とはいえ)容認し、安保法制を作り変えて(これまでの地域限定・時限・支援内容の限定・武器使用などの制限を取り払うか、緩和して9条を完全に空洞化(骨抜き)した。
 それを自らやっておきながら、9条は空洞化したから、現実に合わせて改憲すべきであり、「それをそのままにすることこそ立憲主義の空洞化」だというわけである(本末転倒、あたかも「スピード違反や駐車違反をしておいて、違反とならないように道交法を変えろ」と言ってるようなご都合主義)。このような筋の通らない改憲正当化論にごまかされてはなるまい。

 ところで、長谷部恭男教授や杉田敦教授らは②の立場で、9条は文字通り実施さるべき準則ではなく、理念を実現する政策の方向性を示す原理を定めたもので、「幸福追求権」を定めた13条、「生存権」を定めた25条、「表現の自由」を定めた21条(ヘイトスピーチや猥褻表現など無制限な自由を認めているわけではない)などと同様だとする。憲法学者でも彼らは、従来の(安保法制改定前の)自衛隊は合憲として認める考え。この立場からすれば、自衛隊は従来のままの「非軍隊」にとどまる限り、9条が空文化しているとも、立憲主義が空洞化しているとも言えず、改憲する必要はないわけであり、現にこの立場から安倍政権の解釈改憲にも、明文改憲にも反対しているわけである(杉田教授は9条2項の「戦力不保持・交戦権の否認」を削除することはもとより、同条に個別的自衛権を明記したうえで、それ以上拡大解釈できないように「集団的自衛権は行使しない」などと新規定を加える必要もない、なぜなら、そのような条文を加えても、「それはフルスペックの集団的自衛権を意味しており、集団的自衛権一般を指しておらず、『限定的に行使』なら許されるなどと意訳されてしまうからだと)。

 <参考>『世界』15年8月号(長谷部恭男「安保法案はなぜ違憲なのか」)、同誌16年1月号(「杉田敦「憲法九条の削除・改定は必要か」)

2月のつぶやき                                           8349
●ヨーグルトをヤクルトに切り替えてから一層軟便になって、痔にはこの方がいいようだ。
●ブログに「評論」などとああだこうだ書き込んでいるが、写真や文にその人となり(どんなタイプの人間か)があらわれている通り、アホで愚直なだけで、ろくに仕事はできず、人様から頼まれもせず、頼られもせず、ただ毎日が暇なばかりに、朝から晩まで新聞・テレビを見てはあれこれ考え、そうするしかなくてこのブログを(「つぶやき」とか「声なき声」などと称して)打ち込んでいるだけの話。賢くて働き者の「一億総活躍社会」の皆様から見れば「落ちこぼれ」というわけか。
●このブログ―「声なき声」などというよりも「独り言」といった方がいい。どうせ自己マンなんだから。
 それにつけても、皆様はいったい何を考えてんだろう。君子は何も発せず、黙秘あるのみ・・・・か、岸信介が言った「声なき声」(サイレント・マジョリティー)?
●テレビのドラマのセリフなど音量を60以上あげないとよく聞き取れない。耳が遠くなったようだ。
●女房は備忘録を毎日書いていて、新聞のクロスワード・パズルなどもやっているが、来客が目の前で使ったアイフォンを見てその気になって、パソコンを当方が独占しているからというので、アイフォンの安ものを買った。ゲームアプリでも認知機能の低下予防に役立つ、というわけだ。
 税金の確定申告はパソコンで女房からやってもらわなきゃならないが。
●NHK「おはよう日本」で「認知症に音楽療法」というのを取り上げていた。思い出の曲を聴いたり歌ったりすることで、脳機能が改善(脳の一部分に血流の変化)、心や体の回復が得られるというものだ。日頃、当方がやっている歌の散歩は、いわば「セルフ音楽療法」。理に適っているではないか。よ~し! ♪ everybodey loves somebody sometime、evrybody ・・・ん?(忘れた、思い出せない)。帰ったらネットで歌詞を確かめようっと・・・・今は亡きディーン・マーチンの歌
●北朝鮮、「衛星ロケット」打ち上げ予告―「事実上の弾道ミサイル実験であり、安全保障上の脅威。だからこその安保法制なのでは」と、衆院予算委員会で公明党委員。「このようなことに備えての抑止力なのです」と安倍総理。つまり、相手が仕掛けて来たら受けて立つ、その用意、即ち撃ち合いの用意、即ち戦争の用意を整えている、ということだろう。「『戦争法』には当たらない」というが、「戦争放棄」を定めた憲法に基づく「平和安保法」なんてとても言えたものではない、「戦争法」としか言いようのないものだろう。抑止なんかになっておらず、むしろ戦争を誘っているようなものだろう。
●山形県(危機管理課)が北朝鮮からミサイルが発射されたというメールを地元のテレビ・ラジオ局や陸上自衛隊第6師団など何十ヵ所かにわたって誤って送信し、3分後に訂正メールを送った、というニュース―こんなミス(誤情報→誤認→誤って送信→誤発射)から戦争がおっぱじまるんだよな! 迎撃ミサイルの発射は一刻をあらそう瞬時の対応を要する。防衛大臣の迎撃ミサイルによる破壊措置命令は既に発せられている。戦争の危機迫る?
●アメリカではトランプ、日本ではアベ、この人気はいったいどうして?「強いアメリカ」「強い日本」「強いリーダーシップ」のアピール、それに引かれる向きが多くなっているということだろう。ヒトラー人気と同じなんだな。
 「弱くなってるアメリカ」「GDPが中国に追い抜かれた日本」だが、「負けてなるものか」というわけか。
民主主義って何だ?「多数派大衆による強者(財界・大企業)のための強いリーダー(権力者)の政治」?


2016年02月03日

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                         街角(肉屋の前)                           


2016年02月09日

北朝鮮の核・ミサイル実験で勢いづく改憲派(修正版)

 北朝鮮のロケット打ち上げ(衛星打ち上げ用であることは事実―実戦用ミサイルなら、あんな直ぐ判るようなところに発射台をくんで燃料注入に時間をかけて打ち上げたりはしないし、大気圏外に打ち上げっぱなしで、地上に達するように大気圏内に再突入させることもないことから、それは明らか。しかし、たとえ衛星打ち上げ用だとしても、北朝鮮は国連安保理決議で「いかなる核実験または弾道ミサイル技術を使用した発射も」ダメだと禁止されているので違法は違法)。それに対して安倍政権は迎撃ミサイル等を配備・展開、全国市町村に発射・通過情報を送信。(そのP3の迎撃高度は数十キロ、北朝鮮ミサイルが沖縄南方の先島諸島上空を飛ぶ高度は500キロであり、そもそも届かない。予想軌道から外れた破片など軌道計算ができないものに当てようとしてもどうにもならない。市ヶ谷や習志野など方向違いの首都圏に配備したところで何の役にも立たない。しかし、全国どこの住民にも臨戦態勢に慣れさせるための「地ならし」になると思えば、それも有用といえば有用なのかも。)
 日朝双方ともそれぞれに、国内外に対してデモンストレーション。北朝鮮はアメリカであれ日韓であれどの国にも「負けないぞ!」という「抑止力」を見せつけ、日本は日本で、北朝鮮であれ中国であれどの国にも「負けないぞ!」(「やるならやってみろ、受けて立つぞ!」)とばかり「抑止力」を見せつけようとするデモンストレーション。
 中東などでの殺し合いもさることながら、神様から見れば、どいつもこいつも一体何やってんだ、というものだろう。
 安倍政権の場合は、今回の北朝鮮ミサイル打ち上げに対する「万全の対応をアピール」しつつ、さらに、これを奇貨として安保法制も改憲も合理化・正当化(「だからそれが必要なんだ」とアピール)でき、国民にそれらを容認しむけるチャンスととらえ、国民をその気にさせるデモンストレーションとなったわけだ。しかし、拉致被害者はますます取り残されるばかりだろう。こんなデモンストレーションの応酬(軍事的「抑止力」の見せつけ合い)をやっている限りラチ(埒)はあくまい。

 朝日新聞2月8日付に「北朝鮮といかに向き合う」と題して3人の識者の見解を載せていた。
①元日朝国交正常化交渉政府代表の美根慶樹氏
  北朝鮮にとって最大の問題は国(体制)の存続(指導層は寝ても覚めても自国の存続について恐怖心を抱いている)―そのための「生きるか死ぬか」をかけた核・ミサイル開発。
 だから、その(同国の存続に対する)保障がない限り核・ミサイル開発は放棄しないだろう。
 北朝鮮の生殺与奪権を握る中国は、厳しい制裁で過度に追い詰めてはならないという立場を取り続けている。
 このまま朝鮮半島で第二の戦争が起きたときの衝撃は計り知れない。核不拡散体制の維持を含め、交渉で得られる利益は莫大だと日本は米国に働きかけるべきだ。
 必要なのは休戦状態にある朝鮮戦争の終結について米国に北朝鮮との交渉を促すこと―そこで北朝鮮が核を放棄すればその地位(同国の存続・体制維持)を認めるかどうかを話し合う(その交渉が進めれば拉致問題の前進に貢献するはず)。
 ただ「けしからん」「国連決議違反だ」と非難し、制裁を加えるだけでは解決しない―核を放棄しなければ話し合いに応じないという門前払いはすべきでない。
 国連制裁を重視しつつも、それだけでは解決しないことも考えるべきだ。
②元米国務次官補のロバート・アィンホーン氏
 北朝鮮は食糧・燃料・貿易のどれも中国に依存しており、中国は北朝鮮に決定的な圧力をかけられる立場なのに、そうしてこなかった。それは中国が、北朝鮮が核兵器を持つことよりも朝鮮半島が不安定化することを恐れているからだ。
 日米韓をはじめとする国際社会は国連安保理決議があろうとなかろうと、北朝鮮を罰する行動をとる以外にない。
 日米韓(同盟国)はミサイル防衛システムなど防衛力(核抑止力)を強化して北朝鮮に対する圧力(制裁)と関与(交渉準備―最終目標は非核化だが、短期的には核とミサイルの能力を凍結する話し合いが第一歩)を同時に進めるアプローチを、中国を巻き込んで(北朝鮮に対する制裁・圧力と関与に中国にも協力させて)やっていかなければならない。(中国の企業や銀行などは、北朝鮮が核やミサイル開発に関連する品目を入手し、外貨を得るのを手助けしてきたが、こうした中国の北朝鮮との取引をやめなければ、中国をも制裁対象にしなければならない。)
③元韓国外交通商相の尹永寛氏
 北朝鮮の弾道ミサイル開発は米国を脅して朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に変えるための交渉に引っ張り出すため。北朝鮮は冷戦が終わり、国際的に孤立している。経済困難のなか、敵に取り囲まれているという過度な危機意識を持っており、対決的な威嚇外交を生んでいる。
 これに対し、しっかりとした軍事安全保障で対応しつつ、一方では対話の門を開いて説得に努力を続けなければならない。軍事安全保障問題だけに限って扱うのではなく、外交・政治・経済など絡み合った多元的な問題で包括的なアプローチが必要だ。
 北朝鮮は欧米などとの経済的関係がほとんどないが、中国はほぼ唯一、経済的な関係のある国で、自らの戦略的な理由から突っ込んだ制裁に同意していない。(このため北朝鮮に対する制裁はさほど効果は上げていない。)中国は北朝鮮の核・ミサイルの脅威を取り除くことより、北朝鮮の体制を存続させることを優先している。米国はその反対だ(北朝鮮の核・ミサイルの脅威を取り除くことが先決だとしている)。
 現在は、どの周辺国も北朝鮮問題を本格的に解決しようとする政治的な意思も、決断も持っていない。

 以上の三つのうち、②の元米国務次官補の考えには賛成しかねる。彼は北朝鮮の核・ミサイル開発を単なる「弱小国の強がり」と見なし、北朝鮮を(真ともでないことは確かだとはいえ)ただ単に「ならずもの国家」だとか、無法国家と決めつけて、核・ミサイルの開発には罰する行動を取る以外になく、核兵器開発を無条件に放棄するか否か以外には交渉に応じてはならないというが、それには70年前日本の植民地支配から解放されはしたものの冷戦下に南北分断から朝鮮戦争~休戦協定は行われるも、北朝鮮は降伏したわけではなく、未だ戦争は終結していないという歴史的経緯と北朝鮮の立場があることを全く無視・度外視した超大国の傲慢(「上から目線」の一方的な決めつけ)が感じられるからだ。
 北朝鮮の核・ミサイル開発は、アメリカ等の大国が核兵器を独善的・独占的に大量に持ち続けているのと同様に、常軌を逸しており、無謀であることには違いないが、北朝鮮にとっては、それなりの止むを得ざる理由(アメリカ等が北朝鮮にそうせざるを得なくしていると彼らに思わせる理由)があるからであり、それを考慮することなしに、ただ傍若無人の暴挙だと決めつけるのでは、相手は「何を言うか」と反発を強めるばかりで、どんなに非難を浴びても素直に従うことはないのでは。

 当方の考えに一番近いのは①の美根氏の見解である。

2016年02月16日

現下の“Vs”―対決構図 (加筆修正版)

人間のタイプ(性格)
 Xタイプ―我・自尊心(プライド)の強い人、自信家、優越感を持ちたがる人、
     強気な人、鼻っ柱の強い(強腰な)人
     世の中や将来を楽観的に考える(深刻には考えない)タイプ
     利口な(狡猾な)人、金儲けの得意な人
     身びいきするタイプ、力や勢を誇示したがる人、
     競争心が旺盛な人、競争心が旺盛な人、好戦的なタイプ
     強者・権力の側に組するタイプ、強きを助け弱気を挫くタイプ(どちらかといえばいじめるか、見て見ぬふりをするタイプ)、権力志向の強い人、
     「長いものには巻かれろ」タイプ(大勢順応型)       
     自分の非を省みるより相手の非を言い立てるタイプ、
     自己肯定の強い人(自分・自国が悪いとは思いたくないタイプ)、独善的なタイプ
     条件(能力・家庭環境など)に恵まれた者が富や地位や幸福を得、条件に恵まれない者が惨めな境遇に置かれることを当然か、やむをえないと思う人、
     格差・貧困は自己責任と思うタイプ
     理想・善悪・人の命よりも己の利害・利便・損得が先立つ(実利主義的な)人
     子や孫たちの将来や人々の幸せより己の目先の利益を優先するタイプ、
     生活保守主義の(今の生活を手離したくないという)タイプ
     昨今のアメリカでいえばトランプ候補に同調するタイプ
 Yタイプ―思慮深い人、慎み深い人・謙遜な人
     正直者(バカをみる愚直なタイプ)、生真面目な人
     良心的な人、公正な人、正義感の強い人
     優しい(思いやりのある)人、柔和・温和な人、お人好し(番を人に譲るタイプ)、
     弱気を助け強気をくじくタイプ、弱い者に組したがる人、
     反権力志向(反骨精神)のある人、大勢に抗うタイプ
     己の利害損得・利便より社会のあり方(理想)や人の道(善悪)にこだわる人
     人の命が一番大事と思うタイプ―人の命を犠牲にする最悪の事態はあくまで避けなければならないと思うタイプ、
     目先の利益より子や孫たちの将来を心配するタイプ、
     世の中や将来を懐疑的に(深刻に)考えるタイプ
     トランプに対してサンダース候補に同調するタイプ
 (人はこの二つのうちどちらかだとは一概には言えないが、人はその置かれた境遇、地位、職業・生業、生まれ育った生活環境・家庭環境 、どんな教育を受けてきたか、などによって人間のタイプが分かれることは確かだ。
 両者の間に、中間層というか、どっちとも言えない人たちがいる。そう言う人の方が一番多いだろう。とかく彼らには忙しい仕事・務め・生業・家事・育児、学生・高校生なら就活や受験勉強でじっくり新聞・テレビ報道を見て考える暇がない。結局、テレビや新聞・インターネットをチラッと見るだけで、大勢や知名度・人気・勢いのある方になびき、或いは地域・業界・団体・仲間から勧められ誘われるまま、という人たち。彼らは結局Xの方になびく。だからXの方が多数派になるわけである。
 とはいっても、こんな分類は調査・データがあるわけじゃなし、短絡的で勝手な思い込みに過ぎないのだが。
 ところで、このホームページの「評論」の「過去の分」に2012年12月(総選挙当時)掲載した『国民の“B層”が決定づける選挙』には次のようなことを記した。
 「国民はABCDの4層に分類されるという。小泉内閣が『郵政選挙』前、『メディアを使って選挙戦をどう戦うべきか』という分析を頼んだスリードという広告会社が考えたもの。
 A層は政治家・有識者・大手メディアの人間など社会的地位が高く、IQも高く、小泉構造改革への関心が高い層。
 B層は主婦層・若者層・高齢者層など大衆で、比較的IQが低く、マスコミ報道に流されやすい層。具体的な政策よりも人気(イメージや空気)によって、或いは「寄らば大樹」で大政党か勢いのある政党・政治家を選択する傾向にある。
 C層は、IQは高いが、小泉改革に慎重な層。
 D層はIQも小泉改革への関心も低い。
としたうえで
 A層は、マーケティングを駆使して積極的にB層向けの商品を作り続ける。選挙戦もB層をターゲットにして戦うべきだと。
 経済アナリストの森永卓郎氏によれば、B層は『郵政選挙』における小泉政権の支持母体、『政権交代選挙』における民主党の支持母体にもなった、という。
 これで言うと今回(12年総選挙)の『政権奪還』+『第3極』選挙における自民党と維新の会の支持母体もやはりB層というわけか。
 ただし、ここに言う各層分類の基準の一つを『IQの高い低い』としているのは、どうも短絡的で、それよりも『民度(知的水準・教育水準・文化水準・行動様式などの成熟度)の高い低い』とした方が適切なような気がする。
 4割以上も棄権し、自民党が圧勝といっても、その自民党得票率(有権者総数に占める絶対得票率は1.5か1.6割)よりも、この棄権率(4割)のほうがはるかに多いのだ。棄権したのはD層(無関心層)、それにC層の中にも「どうせ投票しても死票になるばかりで意味がない」と思う向きには)棄権した人はいtただろうが、A層はもとより投票所に一番足を運んだのはB層だろう。
 自民党の大勝と維新の会躍進など改憲派の圧勝を決定づけたものは、やはりB層の投票だろう。この層は、原発再稼働も消費税もTPPもやむを得ない、沖縄基地もオスプレイもやむを得ない、中国・北朝鮮とは戦争になってもやむを得ない、といった感覚で、政策の良し悪しはどうでも「決断と実行」力のある政治家であればそれでよく、A層が掲げる『賢くて強い日本』で『君が代が千代に八千代に』栄え続ける国であればそれでいいのだ。
 このB層が、この国のあり方を決定づけている、といってもよいだろう。
 この国の国民の民度は高いという向きもあるが、それほどでもないという向きもある。いずれにしろ、B層に限って言えば、民度は高くないということだ。それがこの国の民主主義の未熟さ、この国の政治家たちの国際水準(ひいては外交力)の低さにもつながっている。
 ただ黙々と働く勤勉さと天災・人災にも耐える忍耐は日本人の美徳とされてはいるが、政治問題・社会問題への関心、選挙・投票となると民度・政治意識の点では、まだまだ。」
 この分類でいうと、XタイプはどちらかといえばA層に、YタイプはどちらかといえばC層に相当するということになるか。そして中間層で、多数派を決定づけるのがB層というわけか。)

 これらによって、次にあげるVs(対立関係)のそれぞれ前者はXタイプの人、後者はYタイプの人に多いと思われる。

 ●自民・公明・おおさか維新 Vs 共産・社民・生活 (民主・維新?)
   |                |
   新保守主義派          リベラル派
   |                 |
  新自由主義プラス新国家主義   旧保守と革新派
   |                |
 ●タカ派(強硬派)    Vs     ハト派
   |                |
  「強い日本」(アメリカを後ろ盾に)   |     
  対中・対北朝鮮軍事対決    全ての国と友好・宥和(不戦・非軍事平和外交)
   |                |
  安保法制に賛成       安保法制に反対―国民を戦争やテロに近づけることを恐れる
 (集団的自衛権の行使容認) (集団的自衛権の行使は認めない)
 (軍事的国際貢献)       (非軍事国際平和貢献) 
   |                |
 ●「辺野古基地建設」容認派  Vs    反対派

 ●改憲派   Vs    反改憲派
   |          |
  自衛隊の正式軍隊化   |
  天皇の元首化       |
  緊急事態条項を書き込む | 
   |          |
  「国民会議」 Vs 「9条の会」
   |          |
  国家ナショナリスト Vs ヒューマニスト
    |            |
  自国民第一主義     人種・民族・国籍などで人を分け隔てしない
  嫌中・嫌韓・嫌朝・嫌ロ
 ●原発容認派 Vs 脱原発派
           |
          危険―最悪の事態を恐れる 
 ●「アベノミクス」を信じる派 Vs 信じない派
     |
   経済成長から分配へトリクルダウン(果実は大企業に留まり、成果みられず)
 ●「企業・団体献金」容認派 Vs 禁止派
 ●マスコミ
  読売・産経・日経・NHK・日本テレビ系・フジテレビ系―自公政府寄り―改憲派
  Vs 朝日・毎日・テレビ朝日系・TBS系―「中立」(両論併記など、賛否両意見を取り上げてバランスをとる)―どっちつかず
  Bタイプの人の側にはっきりと立って報じている新聞・テレビは?(「赤旗」は政党機関紙なのではっきりしているのは当然だが、商業新聞では東京新聞や中日新聞、琉球新報や沖縄タイムスなど地方紙によってはそれに近いものが。週刊紙では「週刊金曜日」、ネットTVでは「デモクラTV」など)
 ●(歴史・公民教科書)育鵬社・自由社版 Vs 他の教科書会社版  
 
 今のところ政党支持では自民党が最大多数派だが、世論調査では、憲法でも9条と安保法制の問題・沖縄基地問題・原発問題などでは自民党は少数派であり、安保法制反対・9条護憲・辺野古基地建設反対・原発再稼働反対の方が多数派であり、アベノミクス・消費税増税・TPP問題などでも否定か反対の方が多数派である。
 それでも、「一強多弱」という自民党の圧倒的優勢が保たれているのは何故なのか。それには①前の総選挙で政権交代させて民主党に政権を預けてはみたものの全く期待外れの結果をみて、その民主党とその他の弱小政党に対して自民党は様々な問題はあっても「よりまし」と思われていること、②「一強」による安定政権・「決められる政治」任せ(お任せ民主主義)、③支配政党と「寄らば大樹」意識の大衆に迎合したマスコミの大衆扇情、等々のことがあるだろう。それに決定的なのは極端に大政党に有利、小政党に不利(票を投じてもその党の候補を当選させることはできず、死票として切り捨てられるだけ)で民意を適正に反映しない結果をもたらす小選挙区制で選挙が行われていることだろう。
 この歪みを正さないかぎり我が国は民主国家とは言えまい。

2016年02月18日

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                  ん?
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あんた 
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あほや                    うちかて あほや

2016年02月19日

やっと野党選挙協力で合意

 それは次のような投稿を打った次の日の事。

 <野党の緩みの責任はどこに?
 朝日川柳に「緩んでる野党はもっと緩んでる―期待薄」というのがあった。先月(21日)本紙(朝日新聞)『インタビュー』に辺見庸氏は「安倍は死に物狂い・・・・気合の入り方が尋常じゃない」「それに対して野党には『死ぬ覚悟』なんてないですよ」と語っていた。また13日(朝日)の『声』には「共産党は考え方に幅があるのか」というものもあった。
 今夏参院選を控えて有権者にとって最大の争点は安保法制と改憲問題。今「市民連合」などが野党各党に求めているのは、党内に「改憲派がいてもよい」などと無原則に「考え方の幅」があることではなく、安保法反対と立憲主義回復という2点で大同団結し、政権奪取の気概をもって統一候補を立て選挙協力することであろう。
 ところが、最大野党の民主党(護憲派もいれば改憲派もいる)は共産党などに対して「ハードル」にこだわり、マスコミも野党共闘には消極的で、朝日の世論調査も最近では安保法は取り上げられなくなり、民主と維新の合流・新党の是非しか取り上げていない。これでは「一強多弱」は変わりそうにないのでは。>

 かねて共産党が、安保法廃止し立憲主義をとり戻すという二大目的を実現するための「国民連合政府」をめざして野党統一候補・選挙協力を提唱し、シールズやママの会、学者の会などがそれに呼応して市民連合を結成し呼びかけてきた「野党共闘」だが、やっと5党の間で合意に至ったわけである。
 その際、共産党は、民主党などが「ハードルが高い」と難色を示してきた「国民連合政府」のことは前提とはしないということで、とにかく一人区では自党候補を取り下げてもいいという譲歩の意向を示し、「それなら」と民主党などが選挙協力の協議に入ることに、どうにか応じたかっこうである。
 いずれにしろ、勝負は「ここからだ」ということになるだろう。

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