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2013年05月 アーカイブ

2013年05月01日

5月のつぶやき(随時上に加筆)

●80歳 三浦雄一郎 エベレスト登頂―壮大な自己満足―それは偉業として讃えられる。
それに比べれば、けし粒のごときささやかな当方の自己満足―自分以外の人には取るに足りない、どうでもいいこと。
 しかし、いずれにしろ、人間とは大なり小なり自己満足で生きるもの―それが人生。
生きていくうえで必要なのは(大きかろうと小さかろうと)目標をもち、それに向かって挑戦・努力―それを果たせて自己満足する―人生はその積み重ね。
 さて、今日もささやかな目標に取り組んで日を過ごすか。あ、そうだ、今日は、伊達政宗が初期に居城した館山城跡の探訪に行くんだ。明日は天童に行って、九条の会の県民集会で、ノーベル賞受賞者・益川教授の講演を聞いてくる―彼の偉業も彼自身の自己満足から発していることには違いはあるまい。
●吾妻山を望む田んぼ道、田植えが始まった。当方は歌いながら散歩。♪♪吾妻山なみ雲晴れて すがしき嶺を仰ぐとき・・・・・われらの高校♪♪日本国民は 国家の名誉にかけ 全力をあげて この崇高な理想と 目的を 達成することを 誓う~♪
 トラクターや田植え機の響きからすれば「つぶやき」にしか聴こえまい。
●自己満足―人間の行動はすべて(私心なき利他行動も―己をかえりみず唯ひたすら世のため人のために尽くし、感謝されて満足する、それも結局は)自己満足が動因―、このブログ、部屋に張り紙、歌いながら散歩など当方がやっていることはすべてそれだが―罪なきささやかな自己満足―女房いわく、「わたしのやっている花や畑、山菜取りもみんな自己満足だけど、それをあんたにも家族にも分けてやってるが、あんたのやってることは丸っきり自己満足」―それにしても、(アベのミックス・靖国参拝・改憲・原発輸出など)為政者たちがやっている大いなる自己満足の罪深きことよ(多くの人々を巻き込み不幸に陥れる)。
●桃・椿・チューリップは散り落ちて、つつじ・さつき・しゃくなげ・牡丹が出そろった。Flowers Change! だな。
●あ!アクセス数、やっと5千の大台を突破したか。このところ、ひと月100、そのうち30近くは自分の分。
●田んぼの中をトラクターが動いている、その田んぼ道を歌いながら散歩。♪♪日本国民は、恒久の平和を、念願し、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげて、この崇高な理想と、目的を、達成することを、誓う♪ ♪日本国民は、正義と秩序を基調とする 国際平和を誠実に希求し・・・・戦争と 武力による威嚇又は武力の行使を・・・・・・・永久にこれを 放棄する、 前項の目的を達するため、・・・・戦力は、これを保持しない、国の交戦権はこれを 認めない♪♪(つかえ、つかえ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・これを続けていれば、認知症が抑えられるかな
●憲法の前文と9条をサインペンで書いて居間に貼り付け、<きたがわてつ>のその歌のCDを何回もかけて覚えようと一日頑張った。前文・条文の文句に節(メロデー)を付けて歌っている<きたがわてつ>が歌うようには、なかなか唄えないし覚えられない。しかし何とかなりそうだ。田んぼ道を散歩しながら唄えたらたいしたものだが・・・・・そういえば田植えが始まるな。田んぼ道ではのびのび唄えそうにないか
●デモクラTV―このインターネットで見れる、普通のテレビでは聴かれない唯一のリベラル派・護憲派のメディア(といってもよい)。「大メディア幹部と首相の会食」問題など、やはり普通のテレビでは聴かない問題が取り上げられている。国民栄誉賞で行われた長嶋・松井と首相の会食に読売のナベツネが何で呼ばれなきゃならないの?バッター長嶋、ピッチャー松井はいいが、球審が何で安倍96番なの?幕張メッセで首相が迷彩服で戦車に搭乗して格好をつけていたとはいったい・・・・・。パネリストも司会者も当方が思っていたことを語ってくれていた。そうだ、そうだよ
●NHKニュース・ウォッチ9―憲法の歌があることを知っていますか?といって憲法前文(そのまま)に節(曲)を付けて歌った歌を(きたがわてつ作曲なのだが、それらの説明はなしに)、ワンフレーズかそこらを流した後、中曽根元首相が作った「改憲の歌」を、当時の映像と歌詞を映しながら流し、その後、自民党議員(船田元)に改憲の言い分を語らせていた。何とも不公正な取り上げ方。それがNHKなんだな
●吾妻 山麓を 滔々と 流るる最上が 潤すところ
  兵(つわもの)ども 相生たち 今ぞここに 集う吾らは 堂々と
   勝つぞ 米沢 米沢・・・・(校名)
 
 歌われることのなかった自作応援歌だったが、吾妻を望む田んぼ道の散歩で口を突いて出て独り唄った。♪♪♪
●上杉祭り最終日、最上川河畔の桜は未だ咲き乱れていた。観衆6万5千人とのこと。土手の上から「川中島合戦」を見下ろす頭上から目の前を花びらが舞い散っていた。Oh !
●今年は桜も開花が遅く、4月28日の上杉祭り開幕にあわせて満開。3日川中島合戦の再現イベントで祭りが終わるまで咲き続けているかな。
 我が家の庭先には水仙にチューリップも咲いて、2~3本づつ摘んで孫が幼稚園に持って行った。「咲いた咲いた♪♪♪」と歌うんかな。
 桃はつぼみがふくらみ出している。これからツツジにサツキ、それから・・・・・次々と咲きだす爛漫の季節。

おかしい96条改憲理由

 安倍首相は96条の改憲発議要件で「3分の1ちょっとの議員が反対すれば、国民はいくらその気になっても改憲できないのはおかしい」ということを改正の理由にしておられる。
 ところで、先の総選挙は投票率が6割だったが、小選挙区で8割もの議席を獲得した自民党の得票率は4割。それは有権者全体から見ればたった4分の1。それが他の改憲派と合わせて3分の2以上で96条を変え、そのハードルを2分の1に下げて、より少ない「多数者」でも改憲できるようにしようとしているのだ。つまり改憲を切望している国民はそれ程多くはなくても改憲がた易くやれてしまうというやり方になるが、そのほうがおかしいのではあるまいか。
 問題は小選挙区制で死票が多く有力政党がわずかな得票でも圧倒的な多数議席を獲得できるという選挙制度にある。
 高裁が違憲判断を下している一票の価値が不平等な選挙で当選した議員によって構成される、そのような正統性のない国会の改憲発議は許してはならず、小選挙区制を改める選挙制度の抜本改革をまず行って国民の投票権の平等保障を実現することこそが先決だろう。

 (尚、4月30日の朝日―声欄に当方の投稿「96条改憲より一票の格差是正を」が載ったが、その原文がこれ。朝日に載った投稿は、一週間後BS朝日の「午後のニュース・ルーム」という番組で96条改憲問題が取り上げられ<自民党平沢議員・民主党生方議員が出演>、そこでキャスターからこれが紹介・引用された<全文大写し、要所に傍線、女子アナが読み上げ>)。

2013年05月03日


                   謙信・信玄の一騎打ち「三太刀七太刀」


2013年05月04日


上越市の春日山城址に立つ上杉謙信像

             米沢市 最上川の河川敷から望む吾妻山「白馬の騎士」

               川中島に見立てた米沢最上川の河川敷


2013年05月15日

恥さらしな政権と政治家(加筆修正版)

 選挙に大勝、高い支持率に増長して傲慢・厚顔
(1)歴史に無反省―国際社会から批判、対北朝鮮問題など米中韓との結束と東アジアの協力関係緊密化が必要な時に、それらを妨げる障害をもたらし、日本孤立化を招く恐れもあり、国益を害している。
 麻生副総理ら閣僚の靖国参拝、首相の真榊奉納。
 「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」「歴史家・専門家に任せるべきだ」論。
 批判に対して「どんな脅しにも屈しない」と居直り。

 韓国大統領―「歴史に目をつむるも者は未来を見ることはできない」「東北アジア地域の平和のためには日本が正しい歴史認識を持たなければいけない」と。
 アメリカではメディア(主要紙)が批判論評。
     議会調査局の報告書―安倍首相の歴史認識について「侵略の歴史を否定する歴史修正主義者の見方を持っている」、閣僚の中に「ナショナリストや国粋主義者がいる」、安倍首相や閣僚の歴史認識をめぐる言動が「中国や韓国をはじめ周辺諸国との関係を緊張させ、米国の利益を損なう可能性がある」と指摘。

 高市・自民党政調会長―1995年戦後50年の国会決議では「私は(戦争の)当事者とは言えない世代だから反省なんかしていない」と。
 橋下・維新の会代表の慰安婦問題発言―「当時は日本だけじゃなくいろんな軍で慰安婦制度を活用していた。あれだけ銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、どこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度は必要(なのは誰だってわかる)」と。
 それに橋下代表は、沖縄で米軍司令官に兵士たちのために「風俗業の活用」を進言したところ、「司令官は凍りついたように苦笑いになって『禁止している』と言った。『行くなと通達を出しているし、これ以上この話はやめよう』と打ち切られた」という。
 石原代表も彼に同調、「軍と売春はつきもの」だと。

 各国軍隊の周辺でも、軍専用の慰安施設・売春宿の設置・利用はあったとしても(終戦直後日本に進駐した米兵のために日本政府が金をだして業者たちに開設させた軍専用の施設もあったが性病の蔓延で閉鎖)、第二次大戦中、国防軍が軍中央の命令で占領地に大量の軍専用売春宿を設置していたというドイツ軍とともに、日本軍のそれが特異だったのは軍と政府の中央(参謀本部・陸軍省など)がそれを軍の制度として推進し、慰安所が設置・運営されたということである。
 娘たちを首に縄つけて引っ張っていくような暴力的連行を直接軍や官憲がやったという「強制連行」の事実を示す証拠となる公文書はないと否定論者は言う。 しかし、朝鮮半島など植民地で「人さらい(奴隷狩り)まがいの徴募」を直接やるのは周旋業者であり、女を差し出すよう要請をうけた地元の有力者だとしても、元締めとなる業者は軍の身分証明書をもち、背後に軍や総督府がひかえていて慰安婦の人数確保を待っている等のことがあるかぎり、軍がそれらをやらせていると見なされるのは当然だろう。それを裏付ける証言(元慰安婦や元軍人の証言)や記録(報告書・業務日誌、アメリカ側の日本人捕虜尋問報告、元軍人の日記・回想記や体験記)など資料は数多く存在いているのである。それに、中国・東南アジア・太平洋地域では地元の女性が徴募され、直接軍や官憲が暴力的に集めた事例も多々あるのである。ただ証言や記録はあっても、軍その他当局が出した公文書資料が(焼却や隠ぺい工作によって)残っていないか、非公開になっているものが多く、非常に限られているが、在ることは在るのである。

  「国と国との関係でどちらから見るかで違う」という人たちには歴史に対する相対主義的な考え方(現在における真偽・善悪の基準を当時にあてはめて裁断するのは間違いという考え方)がある。
 国の立場、時代によって(当時と現代とで)歴史(過去の戦争・植民地支配・慰安婦制度など)に対する見方・考え方は異なるものだとする。

 しかし、殺人・暴力は国や時代によっては「当たりまえ」のこととして行われていたなどということはあり得ないし、売春などはあったとしても、それが当たり前のこととしておこなわれ、それで女性はなんら心に傷つくこともなく平気でいられた国や時代があったなどということもあり得ない話だろう。
 普遍的な真理、普遍的な道徳というものはあるのであって、どの国どの時代であっても客観的に正しい行為だったか否か、理不尽な行為だったか否か、人の道に反する恥ずべき行為だったか否か(侵略行為だったか否か)は事実関係(事の真相)ととに解明(に近づけることは)できるし評価・判断もできるのである。
 そして、それを踏まえて(歴史に対する民族的反省のうえにたって)、先人の過ちを繰り返すことなく相手国の政府や市民に適切に(外交なり付き合いなり)対応しなくてはならないわけであり、それを「そんなことは歴史家に任せればいい」「自分が生きてもいない昔のことなんか知ったこっちゃない」というのでは心の通い合った外交も付き合いもできないわけである。(政治や外交は単なる駆け引きではないのであって、信義・信頼がなけれ成り立たないもの。)
 
 過去の欧米人がおこなった奴隷制度と植民地制度に対して、2001年に国連人権委員会主催の「人種差別反対世界会議」でアフリカとカリブ海諸国が、それらによって利益を得た国々に対して謝罪を求め、一部の国は金銭的な補償を主張した。これに対して欧米諸国の多くは難色を示したが、オランダは補償に応じている。どんなに昔のことであろうと、「ならぬものはならぬ」というわけである。

 第二次大戦で敵対したフランス・ドイツの間では歴史共同研究がおこなわれ、共同の歴史教科書を作り上げて今、学校で使っているのである。

 尚、侵略の定義に関して―国連では1974年総会決議で「侵略とは、国家による他の国家の主権・領土保全もしくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使」であると定義。この定義にもとづき「侵略犯罪」を定義した国際刑事裁判所の「ローマ規程」改定決議が2010年採択されている。
 そもそも、国連発足にあたって国連憲章(53条)に日本・ドイツ・イタリアがとった政策を「侵略政策」と規定し、その「再現に備え・・・・侵略を防止する」ためにとして国連結成。
 「後世の歴史家」任せにするのなら、現実に起きている国際紛争についても(侵略行為か否か)判断できないことになる。

(2)原発輸出―国内での原発事故をよそに、再稼働を企図するとともに。
 首相はサウジアラビア・トルコ・アラブ首長国連邦などに原発メーカーを含む企業経済人を大勢したがえて訪問して回り、トップセールス―原発売り込み、原子力協定締結。(トルコは地震国なのに。)サウジでも原子力協定の締結交渉に入る方針を確認しあう。
 事故を逆手にとって(事故経験から学んだのだからと)安全性技術向上を売り込む―「世界最高水準の安全基準に達している」と新たな「原発安全神話」をふりまいて。
 原発事故は未だ原因未解明、収束の見込みもたっておらず、「核のゴミ」(「死の灰」、使用済み核燃料)の処分法のないままに―福島第1原発では放射能汚染水の貯水タンクも水槽も満杯、「海への放出」に動くなど収拾がつかない事態になっている。なのに。

 それに(唯一の被爆国政府でありながら)―NPT(核拡散防止条約)再検討会議に向けたジュネーブでの準備委員会で日本政府代表が、「いかなる状況下でも核兵器不使用」とした共同声明に署名拒否。
 これまでも核兵器禁止条約の国際交渉を求める国連総会決議に棄権。
(3)都知事の「イスラム諸国で唯一共有しているのはアラーだけ。けんかばかりしている」発言
 「トルコの人々も長生きしたければ、日本のような文化をつくるべきだ」とも。
 猪瀬知事は2020年オリンピックの東京への招致委員会会長。ニューヨーク訪問中に米紙(ニューヨーク・タイムズ)記者とのインタビューでの発言。
 オリンピック招致合戦でライバル都市(回教国トルコのイスタンブール)を悪しざまに言うことによって、自分(東京都)を引き立てようとする思惑から出た言葉。
 IOCは行動規範で他の候補都市との比較を禁止しており、トルコ側も閣僚が「発言はオリンピック精神に反し、残念」とコメント。
 知事は、記事は曲解だと否認したものの、反論されて認めざるを得なくなって陳謝。
 安倍首相は、その後トルコへ原発売り込みに訪問し、「イスタンブールが五輪を射止めたら私は誰よりも先に『イスタンブール万歳』と言いたい。もし東京が射止めたら誰よりも早く『万歳』と叫んでいただきたい」とスピーチして友好ムードを取り繕った。
 尚、知事はその後の定例記者会見で、「トルコ側に直接会って謝罪・釈明する意思はあるか?」と尋ねられ、「考えています。それだけではなく・・・・・大げさに言うと、世界史とかそういうことを語り合いたいなという風に思っています」と語ったという。
 猪瀬知事は博識な作家であるが、世界史を「語る」前に、一方的な思い込みではなく、相手側・イスラム諸国民の立場にもたって謙虚に世界史を学び直すことが肝要なのでは。
 
 数か月前、朝日新聞の「声」欄に「地震国トルコに五輪譲ろう」という投稿があって、それには、「親日のトルコ人に『謙虚の美徳』を示しましょう」と。それにひきかえ、その地震国トルコ(1999年の地震では死者1万人超)に、地震で原発大事故を起こして収まりつかないでいる日本の首相が原発を売り込みに赴くという厚かましさ。それに、イスラム諸国民とその国の文化のあり方を不当にけなしてオリンピック招致を何が何でも勝ち取ろうとする厚かましさが際立っている。 

 次は日本国憲法の前文の一節である。 
 日本国民は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。我らは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」「我らは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。」
 
 われわれ日本国民は、このことを国際社会に対しても公約しているのである。
 それなのに、何ということを・・・・・・・・・・
 この憲法を変え、この前文や9条を破り捨てようとさえしているのだ。

2013年05月26日

憲法の歌も色々あるんですね

<この投稿は、いささか音楽をかじっている身内のものが出したもの>

 NHKのニュースウオッチ9で、憲法の歌があることを知っていますかと言って、二つ挙げていたました。最初の一つは憲法の前文そのままに節(曲)を付けて歌ったもので、作曲者名も何も解説ぬきでほんの数小節流しただけでしたが、二つ目は「憲法改正の歌」で、作者の中曽根元首相と作られた当時の映像に歌詞を示して歌を流した後、自民党議員にインタビューして改憲の言い分を語らせていました。なので、後者(改憲の歌)の方を重点的に取り上げたものと思われます。
 インターネットで調べてみたところ、前者はきたがわてつ氏の作曲で、9条も条文そのままに曲をつけて歌われており、動画で聴くと優れて音楽性を感じるものでした。
 他にも笠木透氏が作詞した「あの日の授業~新しい憲法のはなし」があり、ジュリーこと沢田研二の「我が窮状」もあるんですね。いずれも動画で聴きましたが、格調を感じ、ジーンとこみあげてくるところもありました。憲法は歌にしようと思えば歌にもなるんですね。憲法は、理屈で考えることもだいじですが、感性で受け止め、心で感じることもだいじなのではないでしょうか。

2013年05月29日


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