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2012年09月 アーカイブ

2012年09月01日

9月のつぶやき(随時、上に加筆)

●オリジナル川柳―水かけ論 放水合戦で終わればいいが
        放射性廃棄物 かの島を処分場にしたら?
        ああ、また安倍総理 今度は改憲実行か
●朝日川柳の一句―「尖閣や都知事の火遊び火事のもと」・・・ったくもう!
●今、世の中は、一字で表現すれば「」。
 マスコミ報道は「自民党総裁選劇場」と「橋下劇場」のオンパレード、そこに来て「尖閣大騒動」。「危」とは、原発・オスプレイなど色々あるが、改憲―「9条危うし」、日中戦争の再発も。そんな気がしてならない。
●今日も、吾妻の山並みに向かって、誰もいない田んぼ道を散歩しながら歌ってきた。
だいぶ声がでるようになった。♪♪しらず しらず 歩いてきた 細く長いこの道・・・
ああ 河のながれのように・・・♪ ♪・・・われは行く さらば昴よ♪
 いつまで歌えるものか
 ♪わたしの お墓の前で 泣かないで下さい・・・・千の風になって・・・♪
●朝日「声」欄から
 川柳
  「都民より他県の漁民可愛がり」―都知事
  「『AKB』と『維新』のほかに何もない」―ニュースの昨今
 かたえくぼ(コント)
  「『実効支配』 ヤギです―尖閣諸島」         ん~なるほど
 自作川柳
  「『希望は橋下』と望まれる当人『希望は安倍総理』」―やぱり「希望は戦争」か 
●「米沢市長と語る会」に行ってきた。
 そこで、学校・学級の適正規模・統廃合などについて、話が出て、市長は「学校教育の問題は行政主導にはならないようにすべきだ。それは、行政の立場ではどうしても財政面(コストや効率など)が先行しがちになるからで、地域の子ども・親・先生たちの立場や目線に立って教育委員会が主導すべきだ、といった意味のことを述べていた。このあたりは、首長のイデオロギーや価値観で学校管理・運営を押し付けようとする橋本大阪市長とは違うな、とホッとした。
●週刊紙AERAに「『希望は橋本』30代の渇望」という記事があった。それを読んで思いついた川柳一句
 「希望は橋本」と望まれる当人、「希望は戦争」かも
 (5年前、赤木智弘氏は「31歳フリーライター、希望は戦争」という評論を書いて、ロストジェネレーション世代には「日本社会をリセットするための戦争」を望む願望があると論じた。)
 橋本・石原・安倍ライン―彼らの場合、リセットとは、安倍元首相のいう「戦後レジームからの脱却」改憲。
 彼らはいずれも威勢のいいタカ派(中国・朝鮮に対しては力で対決、戦争も辞さない強硬派)であり、彼らの希望は「戦後レジームからの脱却改憲」なんだ。

2012年09月02日

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    山形市 馬見ヶ崎川
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2012年09月05日

従軍慰安婦問題が再燃―安倍・橋下両氏の言説

 李大統領は自らの竹島上陸のきっかけは、慰安婦問題で日本政府の対応に進展がないからだと。
 これに対する野田首相の発言に「強制連行の事実を文書で確認できなかった」と―それが韓国国内で「歴史の歪曲」などと反発を広げているという。
 松原国家公安委員長は河野談話の見直しを求める発言も。

 「河野談話」とは―1993年、河野洋平氏が官房長官として発表。
 当時、韓国人の元従軍慰安婦らが91年末に日本政府に補償を求めて提訴したのを受け、宮澤内閣が事実関係確認のために調査。その結果を踏まえて発表。慰安所の設置や管理、慰安婦の移送に対して旧日本軍が直接・間接これに関与したことを認定し、従軍慰安婦への「おわびと反省」を表明。
 様々な資料や証言をもとに「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり」、「慰安婦の募集・移送・管理等も甘言(だまし―引用者)・強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と断定、「官憲等が直接これに加担した」とも。慰安所における生活は、「強制的な状況の下での痛ましいものであった(慰安所に閉じこめられ、一日に何回も兵士たちの相手をさせられた―引用者)」と。

 これに対して、07年3月、安倍内閣は、辻元清美議員の質問主意書にたいする答弁書で、「強制性」の定義を広義と狭義二通りに分けて考え、河野談話は(広い意味では強制性はあったかもしれないとして)継承はしつつも、「当初、定義されていた強制性(当局が人さらいのように、「家に乗り込んで強引に連れて行った」などの行為)については、それを裏付ける証拠はなかったと。(それは「政府が発見した資料の中には軍や官憲による強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」からだ、というわけだが、そもそも、軍や官憲にとって不都合なことが記されている公文書は、敗戦時、焼却・廃棄されており、存在しないのが当たり前。それでも研究者の努力でいくつも発見されているのだが)。
 (「いじめ」の定義を広義と狭義に区別し、狭義には「いじめ」はなかったと弁明しているようなものでは?)
 これ(強制性の否定発言と答弁書)に対して国際的な批判。
 韓国政府は、「歴史的な真実をごまかそうとするもの」「河野官房長官談話を継承するとの日本政府の度重なる立場表明にもかかわらず、日本の反省と謝罪の真実性をうたがわせる」と。元「慰安婦」たちをはじめ抗議行動。
 アメリカ下院議会は、旧日本軍が女性たちに「性奴隷」化を強制した事実を承認し、「20世紀最悪の人身売買事件の一つ」として、日本政府に謝罪を求める決議を全会一致で採択。その後、欧州議会、オランダやカナダなどでも。
 安倍首相は、任期中は「河野談話を継承している」と繰り返さざるを得なかった。

 ところが、ここにきて安倍元首相、再び「慰安婦」強制を否定し、河野談話の見直しを求める発言。
 橋下市長―安倍説を支持―河野談話は「あいまい」だと。
  河野談話は「総じて本人の意思に反して行われた」としているが、そこのところは「第三者から強制的に(無理矢理)させられた」という場合の「狭義の強制性」と、「自らの意思でそうしたが、本意ではなかった(不本意)」(そんなことはしたくなかったが、あのような環境―貧窮に瀕し、売春・「身売り」などそれ以外に選択肢がないという状況下―にあっては、そうせざるを得なかった)という場合の「広義の強制性」とを区別すべきだ。(前者すなわち「慰安婦の強制連行」の場合は、国として責任があり、謝罪・補償があって然るべきだが、後者すなわち売買春のような場合は、部隊の秩序と慰安所・慰安婦の衛生・管理上、国が関与することはあっても、基本的には本人と業者の問題で、国としてはただ「かわいそうだった」と同情を寄せ、「たいへんでしたね」と見舞い金を寄せることはあっても、謝罪・補償を要するような筋合いのものではない。)なのに、河野談話はそこがあいまいだというわけ。
 しかし、14、15歳の少女はもとより、いかに貧窮に瀕し、それ以外にカネを得る方法はないからとはいえ、わざわざ戦地に、自分の意思で行くことなどあり得ようか。軍や官憲が直接または業者を介して、暴力・脅迫か甘言・だましによって連れて行かれたと解するのが自然だろう。
 橋下氏は、当時の時代背景において、慰安婦制度というものはどこの国でも許されていたかのように発言しているが、1998年、国連人権委員会では、慰安婦は事実上の奴隷であり、「当時ですら、奴隷制を禁じた慣習的国際法に明らかに違反していた」との報告書を採択している。
 本人たちの証言だけで、それを裏付ける証拠となる文書ないというが、公文書の多くは敗戦時、証拠を残さないように焼却・廃棄されて、そのような証拠はないのが、当たり前。
 朝日(9月5日)「声」欄に「慰安婦問題に女性の目線を」という投稿があったが、投稿者(主婦37歳)は「犯罪行為の立証に文書が必ずしも必要なわけではない。『私は女性を犯しました』と書いた文書がなくても、被害者の証言や状況証拠で十分なはず」と。
 橋下氏は「証人が何百人出てきても信用性が足りるかどうかが問題」だとして、証言の信用性を疑うが、それは、高齢に達して人生が終わってしまう前に今こそと勇気を出して、ようやく「生き証人」として名乗りでたハルモ二(元「慰安婦」)たちを二重に辱めることになる。それに、証言を公的に認定した裁判所の判決も、実はあるのだ。
 安倍流に「強制性の定義」(広義・狭義)の区別と「証拠」の有無にこだわることに、なんの意味があるのだろうか。

 橋下氏は、河野談話こそが、韓国側の日本に対するこの問題での謝罪・償い要求の根拠にされ、反日を招き、日韓関係を悪化させている「元凶」であり、韓国側とは強制性を裏付ける証拠の有無について論戦し、あいまいにせずに決着すべきだと。
 しかし、「強制性はない、証拠はない、あるなら出してみよ」、「いや、本人たちはあると言っている。ないと言い張るなら、そっちこそ「ない」という証拠を出してみよ」なんて論戦していたら、いつまでも未解決問題として、係争の種は残り続けることになる。
 そうやって、いつまでも「証拠を出せ」などと強弁し、強制性の定義はどうのこうのと免罪合理化の理屈を弄し、強制性の否定論、河野談話の見直し論をむし返して、ずるずるモメ続けるよりも、いさぎよく非は非として認め、謝罪して被害者たちに個人補償すれば、それで決着はつくのである。

 先月、橋下市長の記者会見での発言。
 (たまたま医院に行って見かけた週刊紙「週刊新潮9月6日号」に「『安倍総理』誕生に加勢する『橋下市長』」という見出しの記事と「『橋下市長』と従軍慰安婦論争の赤旗記者が『風俗未体験』」という見出しの記事が出ていた。『風俗未体験』とは何のことかと思って読んでみると) 
 赤旗記者が「河野談話」(「慰安婦」強制連行の事実を認めていること)について質問したところが、市長から「07年の閣議決定はどう書かれていましたか?」と逆質問され、赤旗記者は「すみません」と言うばかりで、「どうやら知らなかったようだ」と。(市長は、「河野談話」は官房長官の談話にすぎないが、「閣議決定」は安倍内閣の閣僚たちが署名したもので、このほうが重いとの考えだが、その「閣議決定」なるものはどうやら上記の辻元議員の質問主意書に対する「政府答弁書」のことを指してそう言ったのだろうが、記者は「閣議決定」と言われて一瞬ピンと来なかったのでは?)(それに、その答弁書は、文中に「政府が発見した資料の中には、軍や官憲による強制連行を示すような記述も見られなかった」とは書いてあるが、「河野談話」は、文書資料だけでなく元軍人や元「慰安婦」からの聞き取りなどを行ったうえで総合的に判断して軍による強制を認めたものであって、その「談話」自体は継承すると回答したものであって、「河野談話」そのものを否定したものではない。)
 市長いわく、「韓国は、強制的に連れてきたこと、それとも慰安所自体を問題視しているのか、分からない。現代社会でも、いわゆる性を商売にすることは世界各国である。(それが)倫理的に良くないという話しと、強制的に連れてきたから謝るという話しは別問題。赤旗記者は風俗営業に行ったことがないんですか?」と、また逆質問。すると記者は「無視すると思いきや、なんと正直に、『ないです』と答えたのだ。一瞬、苦笑する他社の記者たち。」
 市長「強制的に連れてきて無理矢理働かせたということがなければ、倫理の問題でしょ。謝罪の問題ではない」と。
 「赤旗記者は勉強不足」「他社の記者たちの前でオモチャにされ」、「橋下さんに太刀打ちできない」。
 というのが、週刊新潮の記事だった。

 この記事を書いた週刊新潮の記者をはじめ、市長に「まくしたてられ」て、丸め込まれる記者たちと、市長のしたり顔がありあり。

 この記事に見られる問題として、もう一つ見落としてはならないことは、風俗営業を引き合いに出して「従軍慰安婦」制度を合理化する橋下氏と、風俗店に行ったは「ないです」と答えた赤旗記者を笑った週刊新潮記者をはじめとする記者たちの、まるで男は風俗店(売春)を利用するのが当たり前であるかのような感覚、女性に対する人権感覚である。

2012年09月06日

領土問題の解決法―内田樹説から(加筆版)

 内田樹氏―神戸女学院大学名誉教授、朝日新聞紙面審議会委員
    9月11日の朝日に「わたしの紙面批評」を書いていた。
 氏によれば、領土問題の解決方法は次の二つしかないと。
  ①戦争―勝った方が領土を獲得。
  ②外交交渉―双方が同程度の不満をもって終わる「五分五分の痛み分け」。

 そこから、考えたこと。
 ①の方法(戦争にうったえるやり方)は、今の時代では非現実的―中国にしても韓国・朝鮮にしてもロシアにしても、それらと戦争をしても、負けはしなくても勝てるという保証もなく、勝ったとしても物的・人的に犠牲と損失が甚大で、同じ「痛み分け」でも②の場合とは比べものにならないから。

 だとすれば、②の方法(外交交渉)でいくしかないことになろう。

 ②の場合、内田教授は、外交交渉は両国の統治者がともに政権基盤が安定しており、高い国民的人気に支えられている場合にしか行なわれない、として次のように2例あげている。
 中国は、1972年周恩来首相の時、日中共同声明で「日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言」し、「主権及び領土保全の相互尊重・・・・・(平和五原則―引用者)」を確認した。また、78年鄧小平副首相の時には、尖閣について「こういう問題は、一時棚上げしてもかまわない」、「次の世代は、きっと我々よりは賢くなるでしょう。その時は必ずや、お互い皆が受け入れられる良い方法を見つけることができるでしょう」と。
 これらの言葉は「つよい政治家」にしか口にすることはできない。この場合「つよい政治家」とは、単に威勢がよく口が達者でケンカが強いだけの、その政治家個人の資質・力量ではなく、「政権基盤が安定しており、補償問題・領土問題でどのような譲歩カードを切っても(国民から、あまり反発や文句が出ず―引用者)国内の統制が乱れる不安がない」という意味での「つよい政治家」のこと。それに、単に強気で「一歩も譲らない」などと意地を押し通すのではなく、むしろ、相手に対して「弱腰批判」などを恐れずに、(大局的に国益を考えて)譲れるところは譲る度量とそれを国民に説得できる力をもつことこそ「つよい政治家」ということか。
 さて、今、中国にしても韓国にしても、この日本にしても、高い国民的人気に支えられ安定した基盤の上に立てる政権・「つよい政治家」など生まれるだろうか。
そういう政権が生まれないかぎりは、両国の国民間・政府間で互いにいがみ合い、(「売られたケンカ、受けて立つ」「ナメられてたまるか」などと)つっぱり合い続ける。(週刊紙・新聞・テレビなどのメディアがそれを煽り、政治家をけしかけ、政府をつきあげる。)あげくの果ては軍事衝突という事態にもエスカレートする危険につきまとわれることになる。
 「『言うべきこと』を言わずに、『やるべきこと』をやらないできたからナメられる」と(週刊現代9月15日号「オレに任せておけ!中国・韓国に売られたケンカ、橋下徹なら、こう闘う」)。そのように言う場合、「『言うべきこと』を言う」とは―尖閣は日本側に領有権があるということの歴史的根拠・国際法上の正当性を相手側にしっかり(事実と道理にのっとって)説明しきること―だとしたら、それはその通りだろう―これまでの日本政府は(尖閣は日本に領有権があることは解り切ったこと、故に)「両国間には、そもそも領土問題は存在しない」というばかりで、それ以上突っ込んだやりとりをしてこなかったのだから。
 しかし、「『やるべきこと』をやる」という場合は、国際司法裁判所への提訴、あるいは現状(日本側の実効支配)の「平穏な安定維持のため」の島の国有化くらいならいいかもしれない?が、島に何らかの施設を建設するとか、そこに人員を常駐させるようなことをやれば、相手側の反発・トラブルをエスカレートさせ、かえって実効支配の「平穏な安定維持」を損なう結果になってしまう。
 ところが、最近の推移を見てると、都知事の島の買い上げ表明(訪米中、唐突にそれを発表し、国際社会にも、中国の一般人にも、日中間における領土問題の存在が、いやおうなしにクローズアップされることになった)に端を発して中国人の一部から反発・抗議が起こり、双方による島上陸騒動などの応酬、それに対して日本政府が、東京都による島の買い上げ(島に何か施設を建設したり、人を常駐させたりして中国側を挑発する結果となること)を阻止して事態を鎮静化すべく島を国有化(今度は国が買い上げることに)したことが、(中国側からは、今までは、島そのものは日本の一民間人が所有していて、日本政府がそれを賃借して管理・実効支配してきた―とはいうものの施設の建設・常駐などは控え海保の巡視船が「領海」警備するだけに留めてきた―のを黙認してきたが、それを日本政府が「国有化」したということに強烈な抵抗感を覚え、最初に島を「都が買い上げる」とぶち上げた都知事と、「それじゃ国が買い上げることにします」と言いだした首相は、実は初めから「ぐる」だったのだとも受けとられ、「実効支配の平穏な安定維持」のための「国有化」は、日本政府の意図に反して、都知事が点けた火に油をそそぐ結果になってしまい)中国側のさらなる反発を招いて、反日デモなど状況は悪化し、緊張が激化するところとなっている。

 現状では、これまでの日本は政権基盤が不安定で首相も外相もころころ替わり、相手国と腹を据えた、心をわった対話・交渉はできず、相手からの信頼も得られない状態(日本から発せられるメッセージが額面通りに受け取ってもらえない状態)にある。

 ところが、ここにきて、今度の総選挙の結果しだいで、「つよい政治家」の安定政権ができるかもしれない。しかし、それは自・公・維新などの連立政権タカ派政権で、「譲歩」どころか「一歩も譲らない」強硬派。中国側の攻勢に対しては「やるならやってみろ」「売られたケンカは受けて立つ」などと言って、韓国・朝鮮人の「従軍慰安婦」などに対する謝罪・補償は突っぱね、尖閣には施設(灯台・船どまり・監視所など)の建設を強行・常駐を重ねる。そのようなことになれば、外交交渉で「五分五分の痛み分け」決着どころか、解決は遠のくばかりで、下手をすると戦争の方に向かいかねないことになる。
 「受けて立つ」とは言っても、アメリカ頼みの軍事力(日米同盟)をかさにきての強がり?
 そんなことでいいのだろうか。外交は勝つか負けるかのケンカではなく、「相互の信頼と敬意こそが外交の要諦」(河野洋平・元自民党総裁、「世界」10月号に掲載のインタビュー記事)であり、双方ウイン・ウインの結果をめざすべきもの

 尚、内田教授は、日本と隣国との間の領土問題での対立には、背後にアメリカの存在があるということも指摘している。アメリカの国益にとっては(西太平洋戦略上)、日本と隣国の軍事衝突に至らない程度の相互不信と対立のうちにあり続けることがいちばん都合がよい。すなわち、日中韓それぞれの間で領土問題が円満解決し、相互理解・相互依存関係が深まると米国抜きの「東アジア共同体」構想が現実味を帯びてくる。それはアメリカにとっては都合がわるく、阻止すべきことなのだという。
 しかし、アメリカにとっては日本と中国が対立関係にあり続けるほうが都合がいいからといって、アメリカは日本の方を味方して中国に刃向かうかといえば、そんなことはすまい。あくまで中立の立場をとる。なぜなら米中は対立関係にはないし、それどころか経済的には、アメリカにとって中国は最大の貿易相手国であり、アメリカ国債の最大の引き受け手なのであって、日本以上に緊密な互恵関係にあるからである。だから、日本はアメリカを後ろ盾にして(その加勢を当てにして)中国と事を構えるなどというわけにはいかないのである。

 とにかく、領土問題の解決方法で言えることは、戦争にうったえることはできないということと、外交交渉でも「五分五分の痛み分け」―排他的独占を控え、一定ルール(協定)を定めて、それに従いつつ、島と周辺海域の漁場などの共同利用・資源の共同開発・共同分配を行うようにするといったようなこと(「次世代の知恵」)―で決着に持ち込む以外にはあるまい、ということだろう。

 9月17日の朝日新聞の記事によれば、米海軍大学の研究者(ジェームズ・ホルム准教授)が論文(それは産経新聞や週刊文春などにも紹介されているという)に、もしも尖閣をめぐって自衛隊と中国軍が海戦をした場合、「米軍抜きでも自衛隊が有利に立てる」と書いている。(自衛隊の方が強いというわけだ。)
 それについて、軍事ジャーナリストの前田哲男氏は、「民間や警察レベルならともかく、もし「軍」同士の衝突となれば、日米安保条約は発動される」ので、米軍が動かないということはあり得ない、とも指摘しているが、それは(自衛隊の方が有利だいうのは)あくまで「局地的で短期の海戦」に限った場合の話しで、「尖閣周辺の海戦だけで戦争が収まると想定することは現実的ではない」と。(中国軍は海戦では負けても、それで引き下がりはしないだろうから、それだけで勝負がつくというわけではなく、日中戦争の時のように総力戦に拡大・発展すれば勝てないということ―引用者)
 それに前田氏は、「尖閣をめぐって(それだけのために―引用者)両軍が戦争を起こす可能性は考えにくい。目的と手段があまりにも釣り合わないからだ」とも。つまり、小さな無人島と周辺の漁場・海底資源―石油・ガス田があるなどと言っても、はたしてどれだけ産出するのか確かなことは、掘ってみないと判らない(尖閣近辺での学術調査に携わったことのある猪間明俊・元石油資源開発取締役によれば「実際に掘らないと分からないのが海洋資源。仮にあるのが確実でも、掘らなければそれは『資源』ではない」)―そんなもののために、「国家の主権を守る」という「大義」のためだからといって戦争すれば、それに伴うコストと(人命を犠牲にするなどの)リスクは計り知れないが、それでももかまわないなどと「そこまで血迷うとは思えない」というわけ。(アメリカも、そんなことのために自国兵士を犠牲にしようとは、さらさら思うまい。)

 しかし、そんなことは何も考えないで、「やれ、やれ!やってしまえ!こっちの方が強いんだから」などと血迷う輩(彼らを煽る政治家やメディア)が存在することも事実だろう。


竹島・尖閣問題―NHK「週刊ニュース深読み」から
(9月1日放映)
ゲスト―桂文珍、小島慶子
解説―孫崎亨・宮家邦彦ともに元外交官  NHK解説委員―出石直・加藤青延

竹島問題 
<日本側の主張と動き>
 17世紀幕府、漁師たちの渡航を竹島へは許可(その向こうの鬱陵島へは禁じたが)。 1905年、島根県に編入したと。
 1952年、サンフランシスコ条約で日本が放棄する領土に竹島は明記されていないが、米国側の見解では、その島は歴史的に見て日本領だと。
 韓国側の一方的な「李承晩ライン」設定に抗議 
 1954年、国際司法裁判所に付託(韓国側は応じず)
 1962年、再度 国際司法裁判所に付託(韓国側は応じず)
 1965年、(日韓基本条約調印)漁業協定が結ばれ「李承晩ライン」は撤廃されるも、竹島はそのまま
 1999年、新たに日韓漁業協定―竹島周辺を含む「暫定水域」で、双方の漁船の操業を認め合う。
 2012年、李大統領の島上陸に抗議、国際司法裁判所に提訴へ
<韓国側の主張と動き>
 512年、于山国(竹島)は新羅に帰属していたと。
 1905年は日露戦争―日本海の海戦に備えて日本が必要とした。その後(1910年)の日本による不当な朝鮮(まるごと)併合の第一歩
 1943年、連合国(米英中国)カイロ宣言―「日本は暴力と欲望で奪った全ての地域から追い出されるべし」―そこには竹島も含まれると。
 1952年、日本海に「李承晩ライン」を設定して竹島を編入、その後(1954年)、武装警備員を常駐させ、監視所を設けて実効支配へ。
  その後、日本漁船を度々だ捕(延べ200隻以上、2800人抑留)
 1965年、日韓基本条約調印
 2012年、李大統領、島に上陸
尖閣問題
<日本側の主張と動き>
 1895年(そこは、無人島で、中国も、どの国も支配していないことを調査・確認のうえで)日本領とし、沖縄県に編入。
 1896年、5島のうち魚釣島など4島は民間人に貸与、その後払い下げで民有地
 その後 魚釣島などには250人が住み、かつお節の製造業
 1940年頃、再び無人島に。
 1969年、中国政府の発行した地図には「尖閣列島」(日本名)と。
 1952年、サンフランシスコ講和条約―沖縄とともに米国の施政権下に。
 1972年、沖縄とともに返還
 現在に至るまで実効支配は維持
 1978年には鄧小平の「棚上げ」論もあって、「そもそも日中間には解決すべき領土問題は存在しない」として、この問題での話し合いを避け続ける。
<中国側の主張と動き>―「そこは中国人が最も早く発見し、命名、利用してきた」と。
 1403年、資料に中国名(釣魚嶼)記載
 16世紀の文書に記述
 1895年は日清戦争中で、台湾とともに日本から奪われたと。
 1945年、ポツダム宣言―「カイロ宣言を履行すべし―日本は清国人より受け取った一切の地域を中国に返還すべし」とされているが、そこに含まれると。
 1968年、尖閣諸島の近くの海底に石油資源が産出する可能性が専門家によって分かる。
 1970年代以降、諸島は中国領だと言い出す。(日本側は、中国はずっと日本側の領有権に対して異議を唱えてこなかったのは、そこを自国の領土だと考えていなかった証拠で、それをにわかに中国領だと言い出したのは石油が出ると分かったからだ、と。しかし、中国は日清戦争後、革命~内戦~日本との戦争~内戦・民族紛争・国境紛争(ソ連・インド・ベトナムなどと)の繰り返しで、国家が安定せず、国際的に認知される状況になかった。国連加盟が認められたのは1971年になってからのこと。この間、小さな無人島に関わっている余裕はなかったのだ。それに、70年代当時、中国は石油にはこと欠かない輸出国だったから、日本側の指摘は必ずしも、その通りだとは言えない。)
 1971年、(台湾政府に替わって)国連の代表権が認められる
 1972年、日中国交正常化
 1978年、日中平和友好条約調印(第1条に、「すべての紛争を平和的手段により解決し、武力または武力による威嚇に訴えないことを確認する」と)
鄧小平副首相、尖閣問題「棚上げ」を表明(「我々の世代に解決の知恵がない問題は次世代で」と)―現状維持(日本の実効支配も―日本側に有利)、軍事を用いて現状を変更することはしないと。
 1992年、中国―領海法に中国領と明記。
<台湾政府の主張>
 1971年以来、領有権を主張
トラブル対応
 1996年、日本の右翼団体が灯台設置、これに中国が抗議
 2004年、中国の活動家らが上陸、逮捕され強制送還
 2010年、中国漁船が海保の巡視船と衝突、船長逮捕、公務執行妨害容疑で送検するも処分保留のまま釈放
 2012年、石原都知事、島を都が買い上げると表明
    香港の活動家ら上陸、逮捕されるも強制送還 
     日本政府、島を国が買い上げ国有化へ動く(「平穏かつ安定的な維持管理のため」と、これまでも地権者と賃借契約してきたが)。
<アメリカのスタンス>中立(尖閣諸島は日米安保条約の適用範囲には入っているとはいうものの、日本の領有権を支持しているというわけではない)。

(孫崎)「領土問題で一番大事なことは、いかに紛争にしないか(戦争の回避)であり、その知恵を考え出すこと」。
 双方がそれぞれに自国の領有権の正当性を主張しているかぎり、そこは「係争地
そこで新たな行動をとって(事を起こして)緊張を高めるようなことは、お互い差し控えるのが肝要
(出石)「領土問題は、解決はめざすべきで、交渉なり第三者に頼むなり、その努力は必要。しかし、一方、国境の線を引くだけが外交ではない。人も物もお金も国境を越えて流れていくこの時代、線で区切る時代ではない。」
(加藤)「早期解決にはこだわらず、解決しない―何もしないことも一つの解決策」(中国の諺に「重い石を無理やり持ち上げようすれば物すごい力がいるが、置いておいたら力はなにもいらない」と―何もしないことが最善の策だと) 
(小島)「弱腰であろうとなかろうと、戦争にはなってほしくない
(宮家)「ガールフレンドに例えれば、もし相手が、彼女が一人でいるところにちょっかいをかけてきたら、殴り返す必要はなく、そんなことは必要ないが、ボデーガードぐらいはあって然るべき」
(孫崎)「ドイツとフランスとの間には領土問題は本質的にはあるのだが、両国が協力しあうことによって、領土問題は重要性の低いところにおいて、もっともっとお互いが協力することが大事だという感じにもっていくのが重要」。
 国際司法裁判所への提訴・付託―相手が応じず、裁判決着はつかないとしても、有意義―①国際社会の支持を引きつける上で、②相手国民への教育上も。

2012年09月11日

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この子らの未来は・・・・
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希望は平和(平穏無事)

2012年09月16日

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鳥海山  秋田県側
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秋田県では自然エネルギーの占める割合25%(全国2位、山形県は8%程度)
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                にかほ市中島台地区        
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                ブナの林
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             「あがりこ大王」(人ではなく木のほう)
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2012年09月23日

領土問題の教育のあり方

 まず、「そこは日本領だ」ということをきちんと教えること。しかし、隣国も「そこは自国領だ」と主張していて、対立・論争があり、トラブルも起きている、ということにも言及しなければならない。そこで、その領土問題はどう解決したらいいか。それを考えさせること。
 その解決方法は三つ。①国際司法裁判所で決着。ただしそれは相手国が応じなければ裁判は始まらないので、その点が難しい。②両国間でよく話し合って決着。この場合は、漁場や海底資源の共同的な利用・開発など譲り合えるところは譲り合って、五分五分でも決着(協定にこぎつける)。ただしそれには、両国政府のみならず両国民の間で、色んな場面で互いに交流・対話を重ねて友好・信頼関係を築いていかなければならず、それなしには譲り合いも合意も成り立たない。③ケンカ(戦争)で決着。この場合は、たとえそれに勝ったとしても人命その他に大きな損害がともなうし、その後にわたって、「いつか奪い返してやる」という遺恨を残すことになる。
 これらのうち、どの方法がいいのかを考えさせる。そこが肝心なところだろう。
 この問題解決には「将来世代の知恵」が求められているのだから。

2012年09月24日

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男鹿半島 戸賀湾 二ノ目潟(火口湖)
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            寒風山から西側の眺め  爆裂火口    
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             八郎潟の干拓水田地帯
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           (大潟村)田んぼ一枚(区画)1,000 m×600m

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