米沢 長南の声なき声


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領土問題の解決法―内田樹説から(加筆版)
2012年09月06日

 内田樹氏―神戸女学院大学名誉教授、朝日新聞紙面審議会委員
    9月11日の朝日に「わたしの紙面批評」を書いていた。
 氏によれば、領土問題の解決方法は次の二つしかないと。
  ①戦争―勝った方が領土を獲得。
  ②外交交渉―双方が同程度の不満をもって終わる「五分五分の痛み分け」。

 そこから、考えたこと。
 ①の方法(戦争にうったえるやり方)は、今の時代では非現実的―中国にしても韓国・朝鮮にしてもロシアにしても、それらと戦争をしても、負けはしなくても勝てるという保証もなく、勝ったとしても物的・人的に犠牲と損失が甚大で、同じ「痛み分け」でも②の場合とは比べものにならないから。

 だとすれば、②の方法(外交交渉)でいくしかないことになろう。

 ②の場合、内田教授は、外交交渉は両国の統治者がともに政権基盤が安定しており、高い国民的人気に支えられている場合にしか行なわれない、として次のように2例あげている。
 中国は、1972年周恩来首相の時、日中共同声明で「日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言」し、「主権及び領土保全の相互尊重・・・・・(平和五原則―引用者)」を確認した。また、78年鄧小平副首相の時には、尖閣について「こういう問題は、一時棚上げしてもかまわない」、「次の世代は、きっと我々よりは賢くなるでしょう。その時は必ずや、お互い皆が受け入れられる良い方法を見つけることができるでしょう」と。
 これらの言葉は「つよい政治家」にしか口にすることはできない。この場合「つよい政治家」とは、単に威勢がよく口が達者でケンカが強いだけの、その政治家個人の資質・力量ではなく、「政権基盤が安定しており、補償問題・領土問題でどのような譲歩カードを切っても(国民から、あまり反発や文句が出ず―引用者)国内の統制が乱れる不安がない」という意味での「つよい政治家」のこと。それに、単に強気で「一歩も譲らない」などと意地を押し通すのではなく、むしろ、相手に対して「弱腰批判」などを恐れずに、(大局的に国益を考えて)譲れるところは譲る度量とそれを国民に説得できる力をもつことこそ「つよい政治家」ということか。
 さて、今、中国にしても韓国にしても、この日本にしても、高い国民的人気に支えられ安定した基盤の上に立てる政権・「つよい政治家」など生まれるだろうか。
そういう政権が生まれないかぎりは、両国の国民間・政府間で互いにいがみ合い、(「売られたケンカ、受けて立つ」「ナメられてたまるか」などと)つっぱり合い続ける。(週刊紙・新聞・テレビなどのメディアがそれを煽り、政治家をけしかけ、政府をつきあげる。)あげくの果ては軍事衝突という事態にもエスカレートする危険につきまとわれることになる。
 「『言うべきこと』を言わずに、『やるべきこと』をやらないできたからナメられる」と(週刊現代9月15日号「オレに任せておけ!中国・韓国に売られたケンカ、橋下徹なら、こう闘う」)。そのように言う場合、「『言うべきこと』を言う」とは―尖閣は日本側に領有権があるということの歴史的根拠・国際法上の正当性を相手側にしっかり(事実と道理にのっとって)説明しきること―だとしたら、それはその通りだろう―これまでの日本政府は(尖閣は日本に領有権があることは解り切ったこと、故に)「両国間には、そもそも領土問題は存在しない」というばかりで、それ以上突っ込んだやりとりをしてこなかったのだから。
 しかし、「『やるべきこと』をやる」という場合は、国際司法裁判所への提訴、あるいは現状(日本側の実効支配)の「平穏な安定維持のため」の島の国有化くらいならいいかもしれない?が、島に何らかの施設を建設するとか、そこに人員を常駐させるようなことをやれば、相手側の反発・トラブルをエスカレートさせ、かえって実効支配の「平穏な安定維持」を損なう結果になってしまう。
 ところが、最近の推移を見てると、都知事の島の買い上げ表明(訪米中、唐突にそれを発表し、国際社会にも、中国の一般人にも、日中間における領土問題の存在が、いやおうなしにクローズアップされることになった)に端を発して中国人の一部から反発・抗議が起こり、双方による島上陸騒動などの応酬、それに対して日本政府が、東京都による島の買い上げ(島に何か施設を建設したり、人を常駐させたりして中国側を挑発する結果となること)を阻止して事態を鎮静化すべく島を国有化(今度は国が買い上げることに)したことが、(中国側からは、今までは、島そのものは日本の一民間人が所有していて、日本政府がそれを賃借して管理・実効支配してきた―とはいうものの施設の建設・常駐などは控え海保の巡視船が「領海」警備するだけに留めてきた―のを黙認してきたが、それを日本政府が「国有化」したということに強烈な抵抗感を覚え、最初に島を「都が買い上げる」とぶち上げた都知事と、「それじゃ国が買い上げることにします」と言いだした首相は、実は初めから「ぐる」だったのだとも受けとられ、「実効支配の平穏な安定維持」のための「国有化」は、日本政府の意図に反して、都知事が点けた火に油をそそぐ結果になってしまい)中国側のさらなる反発を招いて、反日デモなど状況は悪化し、緊張が激化するところとなっている。

 現状では、これまでの日本は政権基盤が不安定で首相も外相もころころ替わり、相手国と腹を据えた、心をわった対話・交渉はできず、相手からの信頼も得られない状態(日本から発せられるメッセージが額面通りに受け取ってもらえない状態)にある。

 ところが、ここにきて、今度の総選挙の結果しだいで、「つよい政治家」の安定政権ができるかもしれない。しかし、それは自・公・維新などの連立政権タカ派政権で、「譲歩」どころか「一歩も譲らない」強硬派。中国側の攻勢に対しては「やるならやってみろ」「売られたケンカは受けて立つ」などと言って、韓国・朝鮮人の「従軍慰安婦」などに対する謝罪・補償は突っぱね、尖閣には施設(灯台・船どまり・監視所など)の建設を強行・常駐を重ねる。そのようなことになれば、外交交渉で「五分五分の痛み分け」決着どころか、解決は遠のくばかりで、下手をすると戦争の方に向かいかねないことになる。
 「受けて立つ」とは言っても、アメリカ頼みの軍事力(日米同盟)をかさにきての強がり?
 そんなことでいいのだろうか。外交は勝つか負けるかのケンカではなく、「相互の信頼と敬意こそが外交の要諦」(河野洋平・元自民党総裁、「世界」10月号に掲載のインタビュー記事)であり、双方ウイン・ウインの結果をめざすべきもの

 尚、内田教授は、日本と隣国との間の領土問題での対立には、背後にアメリカの存在があるということも指摘している。アメリカの国益にとっては(西太平洋戦略上)、日本と隣国の軍事衝突に至らない程度の相互不信と対立のうちにあり続けることがいちばん都合がよい。すなわち、日中韓それぞれの間で領土問題が円満解決し、相互理解・相互依存関係が深まると米国抜きの「東アジア共同体」構想が現実味を帯びてくる。それはアメリカにとっては都合がわるく、阻止すべきことなのだという。
 しかし、アメリカにとっては日本と中国が対立関係にあり続けるほうが都合がいいからといって、アメリカは日本の方を味方して中国に刃向かうかといえば、そんなことはすまい。あくまで中立の立場をとる。なぜなら米中は対立関係にはないし、それどころか経済的には、アメリカにとって中国は最大の貿易相手国であり、アメリカ国債の最大の引き受け手なのであって、日本以上に緊密な互恵関係にあるからである。だから、日本はアメリカを後ろ盾にして(その加勢を当てにして)中国と事を構えるなどというわけにはいかないのである。

 とにかく、領土問題の解決方法で言えることは、戦争にうったえることはできないということと、外交交渉でも「五分五分の痛み分け」―排他的独占を控え、一定ルール(協定)を定めて、それに従いつつ、島と周辺海域の漁場などの共同利用・資源の共同開発・共同分配を行うようにするといったようなこと(「次世代の知恵」)―で決着に持ち込む以外にはあるまい、ということだろう。

 9月17日の朝日新聞の記事によれば、米海軍大学の研究者(ジェームズ・ホルム准教授)が論文(それは産経新聞や週刊文春などにも紹介されているという)に、もしも尖閣をめぐって自衛隊と中国軍が海戦をした場合、「米軍抜きでも自衛隊が有利に立てる」と書いている。(自衛隊の方が強いというわけだ。)
 それについて、軍事ジャーナリストの前田哲男氏は、「民間や警察レベルならともかく、もし「軍」同士の衝突となれば、日米安保条約は発動される」ので、米軍が動かないということはあり得ない、とも指摘しているが、それは(自衛隊の方が有利だいうのは)あくまで「局地的で短期の海戦」に限った場合の話しで、「尖閣周辺の海戦だけで戦争が収まると想定することは現実的ではない」と。(中国軍は海戦では負けても、それで引き下がりはしないだろうから、それだけで勝負がつくというわけではなく、日中戦争の時のように総力戦に拡大・発展すれば勝てないということ―引用者)
 それに前田氏は、「尖閣をめぐって(それだけのために―引用者)両軍が戦争を起こす可能性は考えにくい。目的と手段があまりにも釣り合わないからだ」とも。つまり、小さな無人島と周辺の漁場・海底資源―石油・ガス田があるなどと言っても、はたしてどれだけ産出するのか確かなことは、掘ってみないと判らない(尖閣近辺での学術調査に携わったことのある猪間明俊・元石油資源開発取締役によれば「実際に掘らないと分からないのが海洋資源。仮にあるのが確実でも、掘らなければそれは『資源』ではない」)―そんなもののために、「国家の主権を守る」という「大義」のためだからといって戦争すれば、それに伴うコストと(人命を犠牲にするなどの)リスクは計り知れないが、それでももかまわないなどと「そこまで血迷うとは思えない」というわけ。(アメリカも、そんなことのために自国兵士を犠牲にしようとは、さらさら思うまい。)

 しかし、そんなことは何も考えないで、「やれ、やれ!やってしまえ!こっちの方が強いんだから」などと血迷う輩(彼らを煽る政治家やメディア)が存在することも事実だろう。


竹島・尖閣問題―NHK「週刊ニュース深読み」から
(9月1日放映)
ゲスト―桂文珍、小島慶子
解説―孫崎亨・宮家邦彦ともに元外交官  NHK解説委員―出石直・加藤青延

竹島問題 
<日本側の主張と動き>
 17世紀幕府、漁師たちの渡航を竹島へは許可(その向こうの鬱陵島へは禁じたが)。 1905年、島根県に編入したと。
 1952年、サンフランシスコ条約で日本が放棄する領土に竹島は明記されていないが、米国側の見解では、その島は歴史的に見て日本領だと。
 韓国側の一方的な「李承晩ライン」設定に抗議 
 1954年、国際司法裁判所に付託(韓国側は応じず)
 1962年、再度 国際司法裁判所に付託(韓国側は応じず)
 1965年、(日韓基本条約調印)漁業協定が結ばれ「李承晩ライン」は撤廃されるも、竹島はそのまま
 1999年、新たに日韓漁業協定―竹島周辺を含む「暫定水域」で、双方の漁船の操業を認め合う。
 2012年、李大統領の島上陸に抗議、国際司法裁判所に提訴へ
<韓国側の主張と動き>
 512年、于山国(竹島)は新羅に帰属していたと。
 1905年は日露戦争―日本海の海戦に備えて日本が必要とした。その後(1910年)の日本による不当な朝鮮(まるごと)併合の第一歩
 1943年、連合国(米英中国)カイロ宣言―「日本は暴力と欲望で奪った全ての地域から追い出されるべし」―そこには竹島も含まれると。
 1952年、日本海に「李承晩ライン」を設定して竹島を編入、その後(1954年)、武装警備員を常駐させ、監視所を設けて実効支配へ。
  その後、日本漁船を度々だ捕(延べ200隻以上、2800人抑留)
 1965年、日韓基本条約調印
 2012年、李大統領、島に上陸
尖閣問題
<日本側の主張と動き>
 1895年(そこは、無人島で、中国も、どの国も支配していないことを調査・確認のうえで)日本領とし、沖縄県に編入。
 1896年、5島のうち魚釣島など4島は民間人に貸与、その後払い下げで民有地
 その後 魚釣島などには250人が住み、かつお節の製造業
 1940年頃、再び無人島に。
 1969年、中国政府の発行した地図には「尖閣列島」(日本名)と。
 1952年、サンフランシスコ講和条約―沖縄とともに米国の施政権下に。
 1972年、沖縄とともに返還
 現在に至るまで実効支配は維持
 1978年には鄧小平の「棚上げ」論もあって、「そもそも日中間には解決すべき領土問題は存在しない」として、この問題での話し合いを避け続ける。
<中国側の主張と動き>―「そこは中国人が最も早く発見し、命名、利用してきた」と。
 1403年、資料に中国名(釣魚嶼)記載
 16世紀の文書に記述
 1895年は日清戦争中で、台湾とともに日本から奪われたと。
 1945年、ポツダム宣言―「カイロ宣言を履行すべし―日本は清国人より受け取った一切の地域を中国に返還すべし」とされているが、そこに含まれると。
 1968年、尖閣諸島の近くの海底に石油資源が産出する可能性が専門家によって分かる。
 1970年代以降、諸島は中国領だと言い出す。(日本側は、中国はずっと日本側の領有権に対して異議を唱えてこなかったのは、そこを自国の領土だと考えていなかった証拠で、それをにわかに中国領だと言い出したのは石油が出ると分かったからだ、と。しかし、中国は日清戦争後、革命~内戦~日本との戦争~内戦・民族紛争・国境紛争(ソ連・インド・ベトナムなどと)の繰り返しで、国家が安定せず、国際的に認知される状況になかった。国連加盟が認められたのは1971年になってからのこと。この間、小さな無人島に関わっている余裕はなかったのだ。それに、70年代当時、中国は石油にはこと欠かない輸出国だったから、日本側の指摘は必ずしも、その通りだとは言えない。)
 1971年、(台湾政府に替わって)国連の代表権が認められる
 1972年、日中国交正常化
 1978年、日中平和友好条約調印(第1条に、「すべての紛争を平和的手段により解決し、武力または武力による威嚇に訴えないことを確認する」と)
鄧小平副首相、尖閣問題「棚上げ」を表明(「我々の世代に解決の知恵がない問題は次世代で」と)―現状維持(日本の実効支配も―日本側に有利)、軍事を用いて現状を変更することはしないと。
 1992年、中国―領海法に中国領と明記。
<台湾政府の主張>
 1971年以来、領有権を主張
トラブル対応
 1996年、日本の右翼団体が灯台設置、これに中国が抗議
 2004年、中国の活動家らが上陸、逮捕され強制送還
 2010年、中国漁船が海保の巡視船と衝突、船長逮捕、公務執行妨害容疑で送検するも処分保留のまま釈放
 2012年、石原都知事、島を都が買い上げると表明
    香港の活動家ら上陸、逮捕されるも強制送還 
     日本政府、島を国が買い上げ国有化へ動く(「平穏かつ安定的な維持管理のため」と、これまでも地権者と賃借契約してきたが)。
<アメリカのスタンス>中立(尖閣諸島は日米安保条約の適用範囲には入っているとはいうものの、日本の領有権を支持しているというわけではない)。

(孫崎)「領土問題で一番大事なことは、いかに紛争にしないか(戦争の回避)であり、その知恵を考え出すこと」。
 双方がそれぞれに自国の領有権の正当性を主張しているかぎり、そこは「係争地
そこで新たな行動をとって(事を起こして)緊張を高めるようなことは、お互い差し控えるのが肝要
(出石)「領土問題は、解決はめざすべきで、交渉なり第三者に頼むなり、その努力は必要。しかし、一方、国境の線を引くだけが外交ではない。人も物もお金も国境を越えて流れていくこの時代、線で区切る時代ではない。」
(加藤)「早期解決にはこだわらず、解決しない―何もしないことも一つの解決策」(中国の諺に「重い石を無理やり持ち上げようすれば物すごい力がいるが、置いておいたら力はなにもいらない」と―何もしないことが最善の策だと) 
(小島)「弱腰であろうとなかろうと、戦争にはなってほしくない
(宮家)「ガールフレンドに例えれば、もし相手が、彼女が一人でいるところにちょっかいをかけてきたら、殴り返す必要はなく、そんなことは必要ないが、ボデーガードぐらいはあって然るべき」
(孫崎)「ドイツとフランスとの間には領土問題は本質的にはあるのだが、両国が協力しあうことによって、領土問題は重要性の低いところにおいて、もっともっとお互いが協力することが大事だという感じにもっていくのが重要」。
 国際司法裁判所への提訴・付託―相手が応じず、裁判決着はつかないとしても、有意義―①国際社会の支持を引きつける上で、②相手国民への教育上も。


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