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2010年11月 アーカイブ

2010年11月01日

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磐梯・朝日国立公園 吾妻小富士の火口

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           群馬県 白根山の火口               

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           吾妻スカイバレーから眺める吾妻山・最上川源流

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磐梯山 五色沼

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             磐梯山

2010年11月02日

衝突映像―公開の是非よりも漏出の方が問題(加筆修正版)

 あの映像は国民にとっては(国益のためには)、公開の是非よりも一海上保安官が勝手な判断によって漏出した問題のほうが重大なのでは?。
 なぜなら
①その映像は、「これを見ればどちらがぶつかってきたかは一目瞭然」とは言っても、撮影の(3隻の巡視艇から担当-採証班-の海上保安官が撮った)視点・視野は限られており、鳥瞰的に(上空から、漁船・巡視艇各船の航跡などもとらえて)全体像として撮られてはおらず、第三者的な報道カメラマンが撮った映像などとは異なり客観性に欠けるところがある。
 採証班は海保が自らの活動を記録しておくと同時に(「海猿」たちはどんなに危ない思いをして命がけの仕事にたずさわっているか等)PR用に撮っている。通常、それらの映像は海保のH・Pに載せて公開、この時も報道機関に配るため十数枚のDVDを作製していたという。そのような海保側の都合・意図で撮られた映像なのだということ。
 しかも、ユーチューブから流された映像は、全体―3隻から撮った分を合わせて延べ10時間―のうちの44分だけに切り取り編集されたもので、追跡・逮捕の場面なども含めた全体像ではない。
 要するにそれらの映像には偏りがあり、それを見せられたからといって、一つの参考にはなっても、それで全貌がわかり真相がわかるという筋合いのものではないわけだ。
 それでも公開するのであれば編集前の原版すべてを見せるべきだろう。さもないと自分の都合のいい部分だけを見せ、都合の悪い部分はカットしていると見なされてもしかたないことになるから。
②映像は、事件の捜査資料・証拠物件になり、外交カード(国益に関わる外交交渉の一つの切り札)にもなり得るもので、機密管理を要するもの。然るべき時が来れば公開されるとしても、今その時点で公開すべきかすべきでないかの判断は組織の決定に基づかなければならず、個々のメンバーが(たとえ、本人が言っているように「政治的主張や私利私欲に基づくものではなく、一人でも多くの人に遠く離れた日本の海での出来事を見てもらいたい」一心であっても)勝手に判断して許可無く「公開」(漏らしたり、流出させたり)することは許されまい。
 職務上知り得た内部情報を外部に漏出して(許可無く流布させて)はならない、といったことは公務員なら誰しもが解っている常識である(それが国家公務員法の「守秘義務違反の罪」に当たるかどうかには異論があり、その罪に問えるのかは別としても。)
 だからこそ、かの海上保安官は「SENGOKU38」などと称し、正々堂々と実名を名乗ることを避け、映像が入った記憶媒体を壊して捨てるなど証拠隠滅をはかったと見なされるようなことまでやっているのだ。
 その映像は、省庁における上意下達組織の統制・管理下で、実際どう扱われていようと(全国各海上保安部の職場ネットワークによって広範に職員間で閲覧できていたとか、国会の要請に応じて予算委員会理事ら一部の議員たちに数分間分の編集映像を見せたとか、などのことは行われていたとしても)海保官一個人が誰の許可もなく外部流出を行った行為に対しては、なんらかの処分が下されるのは当然(組織内で横行している不正・違法行為にたまりかねておこなう「内部告発」として法律で保護される要件を満たしているというわけでもない)。
 ましてや海上保安庁といういわば準軍隊組織の一員であり「武力を行使できる公務員」として格別なモラルと規律の遵守が求められる立場の人間が規律・統制に背いたとなれば、事は簡単では済まされまい。本人はもとより、その者の現場の上司・直属の監督責任者にまで処分が及ぶことも考えられる。
 但し、シビリアン・コントロールする側の国交大臣・官房長官・総理大臣らは、それぞれになんらかの責任は求められるとしても、かれらにまで処分がおよぶということはあり得まい。なぜなら、彼らには、海保長官らに対する任免権はあっても、海保長官のように海保という組織内にあって現場を熟知しつつ直接部下たちを教育・監督し、海保官たちの動静を把握し、内部情報・資料を管理する立場にはなく、組織外の彼ら大臣の首をすげ替えても意味がない(状況が変わるわけではない)からである。
 ただ、内部情報を国民に公開・開示するか、しないか、公開するとすれば、いつどの範囲で公開するか、などを判断する権限は彼ら(国交大臣・官房長官ら)にある。その判断はあらゆる場合のことを考慮して、あらゆる角度から総合的に判断されなければならないのだろうが、元外務審議官の田中均氏は、「国民の『知る権利』の意識と日中関係への配慮とを両方充足させることは多分できない。それは政府の国益判断と責任でやるしかない」と。

 今回の衝突映像の非公開判断は適切であったかどうかについては、論評なら如何よう
にでも論じることはできようが、①に述べたように、一部の国会議員が見た6分50秒の映像とユーチューブから流れた44分の映像だけから、これだったらもっと早く公開しておればよかったものをなどと、一概に言い切ることはできまい。野党は、それを公開しなかったのは不適切極まりなく大臣辞任に値するとして不信任決議や問責決議を行おうとしているが、それは筋違いなのではないだろうか。
 野党やメディアの中に、また国民の中にも「映像を早く公開していれば、『中国があのような過剰な反応を示すことはなかったかもしれない』し、政府が隠し立てをするから漏出を招く結果にもなったのだ。海上保安官の彼は、公開しようとしない政府に反発し、正義感にかられてそうせざるを得なかったのだ。そもそも『公務によって得た情報は国民の共有財産』であり、公務員には国民の「知る権利」に応ずる「公開の義務」があるはず。彼はその義務を果たしたまで。故に悪いのは政府の方であって、彼ではない」かのように考える向きがある(朝日新聞にそのような投稿が見られた)。はたしてそういうものだろうか。
 
 中国では反日デモで「愛国無罪」を掲げて乱暴行為にはしった学生たちがいたし、漁船衝突事件で拘留され釈放されて帰還した船長が「英雄」として迎えられた、といったことがあったが、日本でも今、似たような現象が起きているということだ。自民党議員の丸山氏は「義民一揆の如きもの」といい、石原都知事は「何で愛国者を逮捕する!」と。
 中国の場合(学生や漁船の船長らのそれ)と一つ違うのは、彼は海上保安部主任航海士といういわば準軍人。そのような立場にある者の行為にたいして「愛国無罪」で済ませば、それがエスカレートした時どうなるか。かつての5.15事件(軍人の反政府テロ行為をいわば「愛国無罪」として軽い処分で済ませた。その結果、2.26事件そして戦争へとなだれこんでいった)が想起される、と指摘している論者もいる(元外務省主任分析官の佐藤優氏や軍事ジャーナリストの田岡氏)。

 どうやら逮捕は見送られるようだが、その理由の一つが中国人漁船・船長に対する釈放措置とのバランスを考慮してとのこと。それは両国の国民感情にとらわれたやり方だと思えるが、それで問題はないのだろうか(禍根を残さないだろうか)。
 中国側の軍事施設の敷地に立ち入ったフジタの社員に対する拘束から釈放に至るまでの措置は、漁船の船長に対する日本側の措置とのバランスを考えたのかもしれないが、彼らと準軍事組織の一員たる者の立場を同列には考えられまい。
 
<参考>11月12日付け朝日新聞オピニオン欄「耕論」
      13日CS放送朝日ニュースター「愛川欽也パックイン・ジャーナル」
      15日NHKクローズアップ現代 


2010年11月08日

領土問題は国際司法裁に

 隣国との間で、領土問題で喧嘩の種やわだかまりをいつまでも抱え続けている。それがある事をきっかけに頭をもたげ、その都度、国民感情が悪化していがみ合いが始まり、貿易・経済・文化など交流が中断し友好・協力関係が絶たれかねない事態が繰り返されるのは実に不幸なこと。
 互いに自国の領有権の正当性を主張し合って水掛論争、一方が実効支配、現場では漁船が拿捕されたり巡視艇に体当たりをかけたり、トラブルが耐えない。
 このような状態に早く終止符を打つべく、問題(いくらこっちで「我が方に領有権があることに疑問の余地は無く、領土問題は存在しない」といっても、相手がそう思っていないかぎり問題)に決着をつけ、事態の打開を図らなければなるまい。
 決着・打開をはかるとは、まさか力で相手を屈服させるやり方ではなく、国際司法裁判所に提訴して、そこで決着をつけてもらうということにほかならない。それに対して相手国が受託を拒否すれば、そのこと自体、相手国が自らの(領有権の)主張の正当性に自信がない証拠だと見なされるし、我が国のほうは、自らの領有権の主張の正当性を国際社会それに相手国の国民世論に堂々と(反日を気にすることなく)アピールできるわけである。
 だからといって、外交交渉では、我が国はその諸島・海域における(領有権の主張はいいとしても)権益(漁業・資源開発・居住権など)の排他的独占に固執するのではなく、そこで操業し或は在住する相手国民に引き続きその既得権を認める方向で相手国の納得を得ることに努め、共同利用・共同開発・共同管理ばあいによっては共同主権などの方法をも追求することとする。
 とにかく、この問題で隣国との間で、ただ単にいがみ合いを続け、いくらアメリカなど他国の力に頼ったり、自らの軍事力を相手国に対抗して増強しても、けっして相手が折れてきてこっちの意に従うなどということはあり得ず、いがみ合いや力の対決では、けっしてこちらの都合のいい結果は得られないばかりか、武力衝突による惨害を含めて不都合な結果のほうがはるかに大きくなる。
 この際は、領土問題は国際司法裁に提訴して、打開をはかる以外には良策はあるまい。・・・・と思うんだがなあ。

2010年11月09日

倒閣利用に乗ぜられまい

 我々国民は今、政府に何を最優先に求めているのだろうか。それは危機に瀕している生活・仕事・教育・保育の保障であり、さしあたり今年度、それらを可能な限り手当てする補正予算案を与野党ともよく知恵を出し合って最善を期して審議・決定してもらうことにあるはず。
 ところが、小沢問題が検察審査会による強制起訴で再び浮上し、加えて、にわかにもちあがった尖閣沖の中国漁船衝突事件、それにロシア大統領の国後島訪問に対する政府の対応のあり方をめぐって議論が割かれ、国民生活に直結する問題の審議がおろそかになっている。
 中国であれロシアであれ諸国との外交で最優先すべきは共通利益の追求であり、対決の回避であって、島の領有権問題は大事には違いないが、だからといってそのために両国間の友好・協力関係を犠牲にしてもケンカ(対決)しなければならないことではないはず。なのに政府にケンカをけしかけ、弱腰だと言いたてて非難攻撃する。
 これらの事件・問題が野党による政府攻撃・倒閣に利用される事態にもなっているのだ。メディアも我々国民もそれに乗ぜられるようなことがあっていいのだろうか。(尚、領有権問題については国際司法裁判所に提訴すべきことと考えるのだが。)

2010年11月10日

外交・安全保障の要諦と対中外交

各氏の考え紹介
<軍事ジャーナリスト田岡氏の考え―朝日ニュースターの番組「パックイン・ジャーナル」での発言より>
①相手の事情をよく理解し、相手の真意を見極めること。
②対立点よりも共通利益を追求すること。
③安全保障の要諦は敵を減らし、味方を増やすこと。(軍人・軍部はとかく敵を作りたがるものだが)
<ユニクロ社長柳井正氏の考え―朝日新聞10月23日付より>
 日中両国政府は「お互い主張をぶっつけるが、相手の言い分には耳を貸さず、ただ非難しあうだけ。これでは対話の糸口は見つかるはずもない。自国のみが正しいという、偏狭な愛国心ばかりがヒステリー気味に増幅することになった。」「とくに危うさを感じたのは、不用意に勇ましい発言を繰り返した日中双方の政治家の態度だ。勇ましい話は一見、格好がいい。国民にも受ける。人気とりにしか思えない発言で火に油を注ぎ、メディアも「非国民」「売国奴」といった言葉で煽った。」
 「アジアは共存共栄をめざすしかない。すでに日中は互いに切っても切れない関係を築いている。」「現在の結びつきの重要性に比べれば、摩擦によって失うものが、どれほど大きいか。」
 (無責任な政治家とメディアは、国民に受けようとして、勇ましい、格好のいい言葉で相手国を非難するとともに自国政府の「弱腰外交」をも批判して国民を煽っている、ということか。)
<ハーバード大学名誉教授エズラ・ボーゲル氏の考え―朝日新聞10月29日付け「オピニオン・インタビュー」より>
*中国の指導者は自国が安定的に発展できるか不安。まだまだ生活水準の低い多くの国民と多数の少数民族を抱える巨大な国、その秩序を維持しコントロールするのが容易ではなく、民主化に不安。そこで共産党への忠誠心と愛国心に頼っている。
*中国人にとって日本との最も緊密な接触体験は日中戦争。日本観はその戦争から形作られている。米国人にとって最も緊密な接触体験は戦後の占領期だから、日本が軍国主義を捨て平和な国になったことを理解しているが、中国人はまだそのようには考えない。
*中国は国力が増して自信をつける(経済発展を達成し、もはや日本から近代化に必要な基礎的なテクノロジーを学ぶ必要がなくなった)とともに、行動を変えてくるのではないかという長期的な懸念も。
*尖閣列島―アメリカ政府の公的立場は「国際法上、どの国に属するか確定していない」という立場。(実際、クリントン国務長官は「尖閣列島に日米安保条約が適用される」と言明したといっても、それは「尖閣は日本の施政権下にある」という従来の立場を繰り返しただけで、領有権には触れていない。ということは、そこで万一軍事衝突が起きたとしても、必ずしも米軍が出動するとは限らないということ。)
*中国に対抗して反中感情を利用して日米同盟を強化しようとするのは健全ではない。
中国は大国であり、我々は中国とやっていかなければならないのだ。中国は世界との貿易から利益を得、世界システムの受益者であり、自らの国益のために国際機関を必要としており、覇権国家にはなれない。中国にとっては平和的な国際環境が不可欠であり、過大な軍事費はかつてのソ連の失敗の原因でもあるところから、軍事費の増強には抑制がある。

2010年11月15日

11月のつぶやき

●沖縄知事選:尖閣沖での衝突事件に続いて北朝鮮の~島砲撃事件、そして米韓合同演習に日本の基地から米軍が出動と、まるで知事選に合わせたかのように事態が展開しているのを見せつけられて、やはり沖縄県民は、基地は「撤去」よりも、「できれば県外に」移設して維持する方を選んだということだろう。再戦された仲井真知事は「基地は沖縄を守るためにだけあるのではない(日本を守るためにある)のだから・・・」などとコメントしていた。
 黄海の軍事演習には横須賀から原子力空母、沖縄の嘉手納基地から電子偵察機が出動。嘉手納町長は深刻な面持ちで「基地のあるこの町が(北朝鮮ミサイルの)ターゲットにされる可能性は充分ある」と語っていた(報道ステーション)。
●TBSサンデーモーニングの「風」コーナーは閉塞感(につつまれた今の世の中)のことが取り上げていた。内閣支持率の低下、長びく経済不況に外交危機など等。例によって「街の声」(インタビュー)を拾っていた。
 うちのカミサン、口説いて曰く。「マスコミがそんなことばかり流しているから、世の中ますます暗くなるんだでや」
●挑発合戦:韓国軍が境界線海域で軍事演習―北朝鮮軍が島を砲撃―黄海で米韓合同軍事演習・・・・今度は何?
●テレビの報道番組はNHK・民放ともよく見ているが、CS放送の朝日ニュースターの「愛川欽也のパックイン・ジャーナル」は毎週土曜日、ビデオを採って見ている。
司会の愛川氏は俳優だが、「学童疎開」世代で憲法をごしょう大事(いつもポケットに)
にしており、視聴率を気にしないでこの番組をやっているのだという。
 北朝鮮の砲撃問題とこのところの国会の動きなど、そこでの論評(コメンテーターは軍事ジャーナリストの田岡氏、ノンフィクション作家の石川氏、ジャーナリストの二木氏、元衆院議員の水島広子氏、社会評論家の横尾氏)は当方の「つぶやき」意見に裏づけを与えてくれるものだった。
 やはり、北朝鮮が島を砲撃する前に韓国軍がその周辺で実弾演習をやっていたことを他の番組や新聞ではほとんど問題視していないが、この番組では詳しく取り上げていた。それは北朝鮮からみれば、韓国海軍が軍事演習を、普通は外洋でやるべきものを「領海」内で敢えてやっていたということ、それは尖閣沖に中国海軍が来て軍事演習をやるようなもの。(中国の漁業監視船が来ているというが、それは、そこでトラブルが起きないように互いに自国の漁船を取り締まる―日本の巡視船は日本の漁船を取り締まる―という協定があるからにほかならない。)
 韓国軍のあの海域での軍事演習は単なる演習ではなく、威嚇だと。それに対して北朝鮮は事前に「やめよ、さもなくば・・・」と通告したうえで、砲撃を強行した。北朝鮮は、約束はやぶるが、このような場合には有言実行する国だということ。「ソウルを火の海にする」とよく言い立てるが、それは単なる脅しではないということを、今回、韓国市民も思い知らされたのではないか。
 韓国人は「瞬間湯沸し」のように熱しやすく冷めやすいところがあるが、38度線を挟んで対峙して暮らしているだけに常々危機意識をもちつつ冷静になれる。それにひきかえ日本人には平和ボケのきらいがあり、そういう(戦争を知らない人)ほど勇ましいことを言って強硬派になる。
 北朝鮮が求めているのは、アメリカとの間で未だに「休戦協定」を結んだだけで、戦争が終結していない状態にあり、早く「平和協定」にこぎつけて、それに切りをつけ、国交を正常化して経済の遅れを埋め合わせる支援協力を得るようにしなくてはならないとやっきになっているのだ。それなのにオバマ政権は、核もミサイルも放棄した上でなければだめだと米朝交渉にも6ヵ国協議にも応じてこないので、交渉に応じるか、さもなくば戦争か、どっちでもいいのだぞ(どうせこっちは失う物は何もないのだから)と―それは「瀬戸際外交」というよりはむしろ「崖っぷち外交」というもので、まるで自分を人質にとっているようなもの。
 ところが、アメリカも韓国も戦争に踏み切ることはできないのだ。それは勝つことだけなら簡単だが、失うもの(人的・物的な損失)が大き過ぎるうえ、韓国にとっては戦後、統一は果たせたとしても、崩壊したキム政権に変わって、疲弊しあぶれた北朝鮮国民はとうてい面倒みきれないからだ。中国も、彼らを面倒みきれないというその点では同じだろう。誰にとっても戦争は割が合わないのだ。
 だから、結局は交渉・協議に応じるしかない、ということだろう。
 日本は中国と尖閣でぶつかったが、今回のような韓国と北朝鮮のぶつかり合いに比べれば、あのレベルで終わってよかったということだ。「断固たる対応でやる」ということは、あのような砲撃戦になるということなのであって、そのことを教訓とすべきだろう。日本政府の対応は国内で批判されているが、結果的に尖閣の現状(日本側の実効支配)は維持されているし、日中関係もレアアースの輸入その他も元に戻りつつあり、あれで国益が損なわれたということには何らなってはいない。
 国会では、自民党などの野党は、瑣末な問題や言葉尻をとらえて、時間を空費している。
 埼玉県の入間基地内で催された自衛隊関係者の集まりに招いた人物が「菅政権をつぶそう」と演説したという出来事があって、防衛省が自衛隊施設で行事を催すさいは、そのような政治的発言をする人を呼ばないよう事務次官通達を出していたことを自民党議員が取り上げ、「言論の自由」を侵害するものとして問題にしたが、そもそも自衛隊員は政治的中立を守らなければならず、自衛隊内で、政権に反対したり、特定政党を支持するよう呼びかけるなどの言動が禁じられていることは自衛隊法に明記されていること(違反は3年以下の懲役)であって、通達はそのことの注意を喚起したものにほかならないのであって問題にするほうがおかしい。
 また、そのことに関連して官房長官が行った答弁のなかで、自衛隊を指して「暴力装置」という言葉を使ったことが問題にされ、長官が陳謝しその言葉を撤回するということがあったが、これまたおかしなこと。その言葉は政治学用語で、警官などとともに武器をもつ権力機関を意味しており、辞書(広辞苑)の「せいじけんりょく」の意味の説明文に明記されている(このことは朝日新聞の投稿者が指摘しているところであり、「騒ぐ方がおかしい」、「仙石氏は謝罪を撤回した方がいい」と書いている)。
 「国会がワイドショウーに見える」「メディアが劣化している」「韓国海軍があそこでどういう演習をしていたのか、メディアに出ないのが変だ」など等

 こういったことが「愛川欽也のパックイン・ジャーナル」で語られていたのだが、こちとらが考えたことも、あながちピントはずれではないんだな・・・・。
●テレビのニュースを見て小4の孫は「これに日本はまきこまれるの?」と訊く。「へたをするとそうなるかもしれないな」といって、世界地図をだしてきて解説。「かつて朝鮮半島を日本がのっとって領土にしていたことがあったんだ。日本がアメリカや中国・ロシアなどとの戦争に負けて引き上げた後、そこは韓国と北朝鮮が分かれて、アメリカと中国がそれぞれ加勢して戦争をし、今は打ち合いはずうっとやめているが、未だいがみあいは続いている。日本とは韓国は仲直りしているが、北朝鮮は仲直りしていない。アメリカは韓国に基地を置き、日本にも、沖縄をはじめあちこちに基地を置いていて、そこから朝鮮半島だけでなくあちこちの戦争や演習に部隊を繰り出して行った。今度またあの海(黄海)で韓国と一緒に大がかりな軍事演習をやりに、日本の基地から出動してそっちへ向かっているんだ。だから北朝鮮は韓国のあの島だけでなく、アメリカの基地を置いている日本の島(沖縄)にもミサイルを打ち込んでくるかもしれないわけだ―と話した。
 そうだ、普天間基地や嘉手納基地、それらが北朝鮮のミサイルの標的にされて、沖縄が韓国のあの島のように、あんな惨状に見舞われる、ということにもなるんだ・・・。
 それに備えて基地をもっと堅固にして防備を固めるのがよいか、それとも標的にされないように基地を撤去させるのがよいか、どっちがいいのかだな。

 それにしても国会での野党の質問とそれを取り上げるマスコミ。
 肝心の「北朝鮮はどうしてあんなことをおこなったのか、その原因・根本原因はどこにあるのか。北朝鮮が再びあのような挙におよび、あのような事態が再び起きないようにするにはどうすればよいのか」(再発の防止)の議論は一部少数野党が取り上げ、「『軍事には軍事で』という軍事的緊張の拡大と悪循環を退け、外交的・政治的な努力によって解決すべきだ。憲法9条を生かして、平和的環境をつくりあげていく外交力こそ求められている」と提起し、首相は「事態のさらなるエスカレートを招かないよう北朝鮮に求めるとともに、関係国と緊密に連携して取り組む」と答弁し、外務大臣は「平和的に解決することに焦点をあて努力したい。日本外交もそれを中心に取り組む」と応じていた。
 ところが自民党その他は、多くは、既に起きてしまったことに、あの時、事態にどう対応したのか、首相はどこで何をしていたのか、官房長官はどこで何をしていたのか、~大臣はどこで何をしていたのか、「官邸は空っぽだったんですよ」とか、初動が遅かったとか、「危機管理がなっていない」とか、(首相や長官・大臣らはいちいち答弁していたが、)そんなことは後でじっくり検証して反省すべきは反省してもらうことにして、今はとにかく「もっとしっかり対応し、手抜かりのないようにして、しっかり取り組んでもらいたいし、協力も惜しまない」とだけ言っておけばいいものを、延々と同じようなことをねほりはほり繰り返し、言葉の揚げ足とりや失言を引き出すことにばかりやっきとなり、非を突いては大げさに声高にまくし立てる。もっぱら政権奪回のための足の引っ張りばかりにうつつをぬかし、自分らのやっていることはといえば、この大事な時に問責決議をもて遊ぶだけで、建設的提案はほとんど見られない。NHKやテレビ朝日などマスコミもそっちのほうばかり取り上げる。
 うちのカミさんは病院に検査を受けに行ってきたのだが、待合室で流しているテレビの国会中継を見てイライラしてならなかったと口説くの口説くの。
 ●「北朝鮮、韓国の島を砲撃」、NHK「ニュース・ウオッチ」、男アナウンサー「どうしてこのようなことをと思うとともに怒りを覚えずにはいられません」と。女子アナ「北朝鮮は日本にも攻めてくるんでしょうか」と。拓大の例の教授は日米韓の連携体制を固めることが益々重要だろうと。沖縄の米軍基地を撤去してはならないということか。沖縄知事選は自公民の日米同盟・基地容認派は勢いづいているだろう。「ほら、みろ」と。
 仙石官房長官は「許しがたいものであり、北朝鮮を強く非難する」「独自に(制裁)できるものがあれば検討していく」と述べ、文科大臣は朝鮮学校の無償化は当面控えると言っている。-------はてさて
 いったい、どうして、このようなとろで(韓国・北朝鮮双方とも互いに領海を主張し合っていて、昨年も11月中、そこで両軍艦艇が銃撃戦、北朝鮮艦艇のほうが大破して何人かの死者をだしており、今年3月には韓国軍哨戒艦沈没事件―日米韓側は北朝鮮による魚雷攻撃だと断定しているが、北朝鮮はそれを否定し、ロシア、それに韓国内でもそれを疑問視している向きがある―が起きている、そのようなところで)なぜ韓国軍が軍事演習を強行したのか(「北」は事前にそれを非難し、「南側が領海に射撃すれば座視しない」と通告していたというのに)。島内には民間人も居住しているが、韓国軍4千人もが駐屯しており、そこで海上射撃訓練を行っていたという。そこを砲撃されたのだ。
 互いに不安と憎悪をかきたて合っている。
 かの国が言っていることをまともに受け取ってはならないが、日本のマスコミの言うことにも気をつけなくちゃ。
  
 今朝の「布団の中音楽」はシューベルト、「菩提樹」など組曲集「冬の旅」だった。
●今朝は3時台に目が覚めてしまい、4時過ぎまで待ってウォークマンをかけた。クラシック全集の54巻め、これまたショパンの曲。何曲目かに往年の名画、タイロンパワーの「愛情物語」の曲(「ノクターン」)が聴かれ、それが終わると今度は「雪の降る街を」。出だしがそれとよく似た「幻想曲」だった。6時だ。どーれ、掃除機かけに取り掛かるか。「ゆーきーのふーるまちおー」と。
●今朝も、イヤホン音楽を聴いて起床、掃除機かけの後、ラジオ体操―頭も体調よしだな。しかし雨か。婿殿を駅まで車で送っていかなきゃ。
●山形に、ある用事で行ってたまたま通りかかった旭銀座通り。街頭スピーカーから音楽が流れてきた。映画「避暑地の出来事」の「夏の日の恋」ではないか。一瞬足を止めてあたりを見回すと、「~堂書店」の看板はあったが、シャッターが下りていて、「大福まんじゅう」の店が、わずかに昔のたたずまいを残してまだやっていた。・・・なつかしいなぁー
●(実は、毎朝早く目が覚めてしまうので、布団の中でCD音楽をイヤホンで聴くことにしている。映画音楽やポピュラー音楽も聴くが、このところはクラシック全集を一巻づつ聴いている。昨日はベートーベンの「ロマンス」を聴いた。)今朝は、聴き始めるや、ピアノで、「あなた変わりはないですか」―都はるみの「北の宿」の出だしとよく似てる。ショパンのピアノ協奏曲だった。・・・ええなぁー 
●朝・明け方、布団の中、ウォークマンで音楽(今朝はベートーベンのピアノ協奏曲「皇帝」と合唱幻想曲「何とか」)。聴き終えてイヤフォンをはずしたら、「グォー・・・グォー」。女房の鼾(いびき)だ。
 逃れ起きて6時、掃除機かけ「ざ―――」、女房が起きて来た。
 今日も一日が始る。 


2010年11月23日

どなたなら沖縄の現状打開?

 明治期、当地米沢の藩知事だった上杉氏が琉球処分後まもなく沖縄県令になってそちらに赴き、山形県令には薩摩藩士が就任していたことがあるのです。
 沖縄の島には、まるで植民地のように米軍基地の大半が押し付けられている。このような現状をアメリカ政府にかけあって打開できるのは、はたしてどなたなのか。現政権の党首か前政権の党首か、3人の知事候補者のうちのどなたか。
 現政権も前政権も普天間基地の辺野古移設を決めた当事者であり、彼らには基地が押し付けられている現状打開は期待できまい。
 前政権の辺野古移設を容認してきて、今回もそれらの党の支持を得、本土移設を求めはしても政府頼みの現知事に期待できるか。それとも、普天間基地を抱える宜野湾市の市長として、はっきりと県内移設に反対し、基地の無条件撤去をめざして、これまでもアメリカ側に直接かけ合ってきている前市長か。主にこの判断だろうと思います。
 本土も沖縄も、米軍の基地を置いて守ってもらうという考え方に固執し続けるか、
かつての平和貿易立国たる琉球王国の気概をもって現状を打開するか、その歴史的岐路に立って行われるのが今回の知事選挙なのではないでしょうか。

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