あの映像は国民にとっては(国益のためには)、公開の是非よりも一海上保安官が勝手な判断によって漏出した問題のほうが重大なのでは?。
なぜなら
①その映像は、「これを見ればどちらがぶつかってきたかは一目瞭然」とは言っても、撮影の(3隻の巡視艇から担当-採証班-の海上保安官が撮った)視点・視野は限られており、鳥瞰的に(上空から、漁船・巡視艇各船の航跡などもとらえて)全体像として撮られてはおらず、第三者的な報道カメラマンが撮った映像などとは異なり客観性に欠けるところがある。
採証班は海保が自らの活動を記録しておくと同時に(「海猿」たちはどんなに危ない思いをして命がけの仕事にたずさわっているか等)PR用に撮っている。通常、それらの映像は海保のH・Pに載せて公開、この時も報道機関に配るため十数枚のDVDを作製していたという。そのような海保側の都合・意図で撮られた映像なのだということ。
しかも、ユーチューブから流された映像は、全体―3隻から撮った分を合わせて延べ10時間―のうちの44分だけに切り取り編集されたもので、追跡・逮捕の場面なども含めた全体像ではない。
要するにそれらの映像には偏りがあり、それを見せられたからといって、一つの参考にはなっても、それで全貌がわかり真相がわかるという筋合いのものではないわけだ。
それでも公開するのであれば編集前の原版すべてを見せるべきだろう。さもないと自分の都合のいい部分だけを見せ、都合の悪い部分はカットしていると見なされてもしかたないことになるから。
②映像は、事件の捜査資料・証拠物件になり、外交カード(国益に関わる外交交渉の一つの切り札)にもなり得るもので、機密管理を要するもの。然るべき時が来れば公開されるとしても、今その時点で公開すべきかすべきでないかの判断は組織の決定に基づかなければならず、個々のメンバーが(たとえ、本人が言っているように「政治的主張や私利私欲に基づくものではなく、一人でも多くの人に遠く離れた日本の海での出来事を見てもらいたい」一心であっても)勝手に判断して許可無く「公開」(漏らしたり、流出させたり)することは許されまい。
職務上知り得た内部情報を外部に漏出して(許可無く流布させて)はならない、といったことは公務員なら誰しもが解っている常識である(それが国家公務員法の「守秘義務違反の罪」に当たるかどうかには異論があり、その罪に問えるのかは別としても。)
だからこそ、かの海上保安官は「SENGOKU38」などと称し、正々堂々と実名を名乗ることを避け、映像が入った記憶媒体を壊して捨てるなど証拠隠滅をはかったと見なされるようなことまでやっているのだ。
その映像は、省庁における上意下達組織の統制・管理下で、実際どう扱われていようと(全国各海上保安部の職場ネットワークによって広範に職員間で閲覧できていたとか、国会の要請に応じて予算委員会理事ら一部の議員たちに数分間分の編集映像を見せたとか、などのことは行われていたとしても)海保官一個人が誰の許可もなく外部流出を行った行為に対しては、なんらかの処分が下されるのは当然(組織内で横行している不正・違法行為にたまりかねておこなう「内部告発」として法律で保護される要件を満たしているというわけでもない)。
ましてや海上保安庁といういわば準軍隊組織の一員であり「武力を行使できる公務員」として格別なモラルと規律の遵守が求められる立場の人間が規律・統制に背いたとなれば、事は簡単では済まされまい。本人はもとより、その者の現場の上司・直属の監督責任者にまで処分が及ぶことも考えられる。
但し、シビリアン・コントロールする側の国交大臣・官房長官・総理大臣らは、それぞれになんらかの責任は求められるとしても、かれらにまで処分がおよぶということはあり得まい。なぜなら、彼らには、海保長官らに対する任免権はあっても、海保長官のように海保という組織内にあって現場を熟知しつつ直接部下たちを教育・監督し、海保官たちの動静を把握し、内部情報・資料を管理する立場にはなく、組織外の彼ら大臣の首をすげ替えても意味がない(状況が変わるわけではない)からである。
ただ、内部情報を国民に公開・開示するか、しないか、公開するとすれば、いつどの範囲で公開するか、などを判断する権限は彼ら(国交大臣・官房長官ら)にある。その判断はあらゆる場合のことを考慮して、あらゆる角度から総合的に判断されなければならないのだろうが、元外務審議官の田中均氏は、「国民の『知る権利』の意識と日中関係への配慮とを両方充足させることは多分できない。それは政府の国益判断と責任でやるしかない」と。今回の衝突映像の非公開判断は適切であったかどうかについては、論評なら如何よう
にでも論じることはできようが、①に述べたように、一部の国会議員が見た6分50秒の映像とユーチューブから流れた44分の映像だけから、これだったらもっと早く公開しておればよかったものをなどと、一概に言い切ることはできまい。野党は、それを公開しなかったのは不適切極まりなく大臣辞任に値するとして不信任決議や問責決議を行おうとしているが、それは筋違いなのではないだろうか。
野党やメディアの中に、また国民の中にも「映像を早く公開していれば、『中国があのような過剰な反応を示すことはなかったかもしれない』し、政府が隠し立てをするから漏出を招く結果にもなったのだ。海上保安官の彼は、公開しようとしない政府に反発し、正義感にかられてそうせざるを得なかったのだ。そもそも『公務によって得た情報は国民の共有財産』であり、公務員には国民の「知る権利」に応ずる「公開の義務」があるはず。彼はその義務を果たしたまで。故に悪いのは政府の方であって、彼ではない」かのように考える向きがある(朝日新聞にそのような投稿が見られた)。はたしてそういうものだろうか。
中国では反日デモで「愛国無罪」を掲げて乱暴行為にはしった学生たちがいたし、漁船衝突事件で拘留され釈放されて帰還した船長が「英雄」として迎えられた、といったことがあったが、日本でも今、似たような現象が起きているということだ。自民党議員の丸山氏は「義民一揆の如きもの」といい、石原都知事は「何で愛国者を逮捕する!」と。
中国の場合(学生や漁船の船長らのそれ)と一つ違うのは、彼は海上保安部主任航海士といういわば準軍人。そのような立場にある者の行為にたいして「愛国無罪」で済ませば、それがエスカレートした時どうなるか。かつての5.15事件(軍人の反政府テロ行為をいわば「愛国無罪」として軽い処分で済ませた。その結果、2.26事件そして戦争へとなだれこんでいった)が想起される、と指摘している論者もいる(元外務省主任分析官の佐藤優氏や軍事ジャーナリストの田岡氏)。どうやら逮捕は見送られるようだが、その理由の一つが中国人漁船・船長に対する釈放措置とのバランスを考慮してとのこと。それは両国の国民感情にとらわれたやり方だと思えるが、それで問題はないのだろうか(禍根を残さないだろうか)。
中国側の軍事施設の敷地に立ち入ったフジタの社員に対する拘束から釈放に至るまでの措置は、漁船の船長に対する日本側の措置とのバランスを考えたのかもしれないが、彼らと準軍事組織の一員たる者の立場を同列には考えられまい。
<参考>11月12日付け朝日新聞オピニオン欄「耕論」
13日CS放送朝日ニュースター「愛川欽也パックイン・ジャーナル」
15日NHKクローズアップ現代