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2018年05月 アーカイブ

2018年05月01日

5月のつぶやき                                  11o64 534
●朝日川柳に「安倍首相内田監督ダブります」(指示してないと日大アメフト氏)―当方が思ったことを詠んでくれたな

●この憲法は、これでも旧憲法(大日本帝国憲法)から比べれば、いたって平易に書かれているのだ。旧憲法はカタカナ文語体で言い回しも漢文調であったのに対して、ひらがな口語体で、難しい漢字はできるだけ使わない等。制定当時、その文体・表記について首相(幣原喜重郎)に進言して素案を示した中心人物は山本有三なのだ。ところで山本有三といえば『路傍の石』や『真実一路』の作者だが、少年少女向けに「日本少国民文庫」(16巻)も編纂・刊行。その「少国民文庫」の一巻として『心に太陽を持て』(原作はドイツの詩人だが、山本有三が訳詩)が出され、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』(当初は山本有三が書くつもりでいたのが、病気で筆が執れなくって、吉野に執筆を託されたもの)もこの文庫の一巻として出版された。
 憲法の前文・条文は、そんなに難しく書いてあるわけではない、ということなんだな。「心に太陽を持ち、唇に歌を持つ」つもりで、 この憲法は歌になるし、歌にして口ずさんで「心に憲法を持つ」ようにすりゃいいんだ。
●憲法には制定者たち(当時、その作業―発案・執筆・審議などに直接当たった国内外の関係者だけでなく、背後にあって世論・民意を醸した国民)の感情と意思が込められている。その文を読みとるに際しては、法文として字句の意味や文意・論理を正しく(正確に解釈)読みとらなければならないのは当然のことだが、それだけでなく、そこに込められている制定者たち・国民の感情・意思をも読み取らなければならない。その感情・意思を無視して、字句だけを追って棒読みし、文意を勝手に解釈したりしてはならず、そこに込められている制定者・国民の感情・意思まで汲み取って読み込まなければなるまい。それが歌になるのだ。

日本国憲法の前文と主要な条文に節(曲)を付けて朗詠した音声が入ってる
     前半は日本語版で、後半は英語版

憲法の前文と条文、それらの背後には当時の人々の(子供だったこの自分、乳飲み子で死んだ弟、その顔を見ずに兵隊から帰ってきた父や戦死した叔父たち)の生き様・死に様と心があった。そこに思いを致し、その心を込めて朗詠し歌ってみた。憲法は国のあり方を「かくあるべし」と規定づけるものだが、その一字一句に人々の心が込められている。その心で朗詠し歌うんだ。

心に太陽を持て 唇に歌を持て
憲法は太陽 憲法を歌にして口ずさむ
嵐が吹こうが 吹雪がこようが
改憲の嵐に吹き飛ばされてなるものか
心に憲法を 唇に憲法の歌を!

 この憲法の前文・条文のうちの平和主義に関した前文と9条のフレーズをピックアップして、次のように組み合わせて『9条の歌』として、同様な節を付けて歌ってもいる。
日本国民は 政府の行為によって 再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し 国権の発動たる戦争と 武力による威嚇又は武力の行使は 国際紛争を解決する手段としては永久に これを放棄する 
 我らは 全世界の国民が 等しく恐怖と欠乏から免れ 平和のうちに生存する権利を有することを 確認する
 日本国民は 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して 我らの安全と生存を保持しようと決意した


    

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こうのとり
持ち合わせていたカメラをかまえて3枚とったところで飛び立ってしまい、空高く大きく旋回、また舞い降りてこないかな、と数分間空を見上げて待ったが、そのまま笹野山と南の吾妻山との間の彼方から見えなくなった。
   帰宅して山形県みどり自然課に(写真をメールで送って)問い合わせてみたが、反応なし。フェイク情報・「ガセねた」とでも思われたか、それとも、そんなの珍しくもなんでもない、わざわざ通報するほどのことでもなかったのか。
 ネットで調べて見比べてみたが、どうも「こうのとり」に見える。
 日本では一時絶滅したが、人工繁殖が行われ放鳥されて各県で発見されるようになるも、合計100羽ほどしかいないとか。

 数日後、山形県みどり自然課に確認メールを入れ「どうだったのか」問い合わせしたところ、電話が返ってきて、やはり「こうのとり」のようだとのこと。山形県ではいつか鶴岡の方で見られたことがあったらしいとのことだが、いずれにしろ米沢では初めてということだ。新潟かどこからか飛来してきたものだろう。

 

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                   笹野山 
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        その麓の田んぼにアオサギとそれより大きな鳥が近くに  何だろう?
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                     これはアオサギ
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                     アオサギは飛び去った
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5月21日午前11時前後(ウォーキングの途中―農道、辺りの田んぼでは田植え、その向こうに)笹野山(テレビ塔が立つ山頂の下辺りの)麓の街道沿いの田んぼに。3~4m離れたところにアオサギもいたのだが、飛び去って、それよりデカいほうのこの一羽が残った。

朝鮮戦争終結交渉と北朝鮮の非核化どっちが先決(加筆修正版)

 安倍首相もマスコミも、北朝鮮問題・米朝首脳会談といえば、専ら北朝鮮が完全非核化に応じるか否かということと拉致問題のほうにばかり焦点が当てられて、朝鮮戦争終結の和平協定の問題は度外視か二の次で、国民もそこにはほとんど関心は向けないきらいがある。日本にとっては北朝鮮の非核化と拉致問題が最大の関心事であることは当然のことではある。しかし、全ての問題の根源にある根本問題は、朝鮮戦争すなわち長らく休戦中ではあるも未だ終わっておらず今にも再開されそうな戦争を終わらせ、北朝鮮と米韓それに日本との間の敵対関係を解消することであり、先ずはそこをどうするかに焦点を当てて然るべきなのではないだろうか。
日本人の気持ちとしては、北朝鮮に対しては核・ミサイルの放棄に加えて拉致問題が何よりも気が気でない焦眉の課題であることは当然だが、朝鮮戦争が対岸の火事ではない韓国人にとっては、それが再開されはしないかということのほうが気が気でないし、北朝鮮にとっては朝鮮戦争再開の不安さえ解消されれば、核兵器などに全てを犠牲にしてまで執着する必要はないわけだ。北朝鮮は日本に対しては、その以前植民地支配をうけたことで韓国のほうは既に日韓基本条約でけりがついているが、北朝鮮のほうは未だにけりがついていない上に、日本は朝鮮戦争の最中から現在に至るまで米軍に出撃基地を提供し日米同盟を結んでいてずうっと敵対関係にある、その関係に終止符を打ちたいと望んでやまないところだろう。
 また、朝鮮戦争終結の和平協定(相互不可侵協定)を日米政府やマスコミは、北朝鮮が非核化を実行したならば、それへの「見返り」の一つとして(制裁緩和などとともに)与える「体制保証」という言い方をするが、その言い方もおかしい。和平協定でで相互不可侵を約束したからには、米韓軍が北朝鮮に対して政権打倒や体制転覆の攻撃をかけるということはあり得ないことになる。そうなれば自ずから北朝鮮にとっては核抑止力など不要となり、非核化は当然のこと。それを「体制保証」などという言い方で、アメリカ政府(それに日本政府)が、上から目線で、或いはディール(取引)で、「見返り」として与えるという筋合いのものではあるまい。

 北朝鮮に対して圧力一辺倒(問答無用)か圧力とともに対話か
 アメリカ側(トランプ大統領)は先ず北朝鮮が核放棄(検証可能で不可逆的に完全非核化)する(そのことを単に約束するだけでなく)行動に踏み切ることが先で、それを果たすまで最大限圧力(制裁)をかけ続け、それが達成されれば和平協定を締結(休戦協定を和平協定に切り換えて、北朝鮮の政権と体制を保証)し、制裁解除・国交正常化することとする。それは要するに「先ず武装放棄すれば、政権の命と体制保証の話に応じてやる」というもので、北朝鮮側にとっては戦わずして政権の命の保証を条件に降伏させられるようなもの。それは「リビア方式」というもので、以前カダフィ政権の下で実現したが、同政権はその後崩壊の憂き目にあった。北朝鮮は「カダフィの二の舞は踏んでなるものか」と思っているのではとみられる。
 「最大限圧力」強硬姿勢と言っても、トランプ大統領は前任者オバマの「戦略的忍耐」方針つまり北朝鮮が核放棄の行動(措置)をとらない限り対話には応じないというやり方は間違いだったとしており(実際、その間北朝鮮の核開発はかえって進展する結果になってしまっているとして)、必ずしも「圧力一辺倒」ではなく「対話」には前向き。
 それに対して日本政府(安倍首相)は北朝鮮に対して圧力一辺倒で、核・ミサイル放棄だけでなく拉致問題でも被害者解放の行動をとる(措置を講じる)までは問答無用で対話には(「対話のための対話は時間稼ぎに過ぎず意味がない」として)応じずに最大限圧力をかけ続けるようトランプ大統領に促している。つまり、北朝鮮に対して、日本にとって脅威となっている核・ミサイルを放棄することに加えて拉致被害者を全員解放・帰国させること(それを約束するだけでなく具体的にその行動をとること)、それがないかぎり制裁解除・国交など関係正常化交渉には応じない、というものだ。
 それに対して韓国(ムン大統領)は、自国での冬季五輪開催に際して開会式で北朝鮮選手団と統一旗を掲げて合同行進したりアイスホッケーで統一チームを組むなどの交流が行われたのを契機にして、「対話」に乗り出し、米大統領了解のもとに北朝鮮に特使を派遣(日本政府は「ほほえみ外交」と揶揄)、キム国務委員長の米大統領との対話の意向を(訪朝した特使をワシントンに派遣して)トランプ大統領に伝えたうえで、南北首脳会談にこぎ付け、朝鮮半島の非核化の早期実現を期する事とともに朝鮮戦争終結を年内中にこぎ付けることに合意した(板門店宣言)。それと相まってトランプ大統領も、既にポンペオ氏(当時は中央情報局長官、現在国務長官)を平壌に派遣してキム委員長と極秘会談させ(感触を確かめ)ており近々米朝首脳会談に臨む意向を示している。この米朝首脳会談で南北首脳会談におけるムン大統領とキム委員長が話し合った朝鮮戦争終結の和平協定締結と朝鮮半島の非核化問題のさらに詰めた話を行うものとみられる。
 尚、キム委員長は南北首脳会談に先立って北京を訪れ中朝首脳会談を行っている。
 つまり、韓国・北朝鮮・アメリカ・中国の首脳たちは対話に乗り出し、米朝首脳会談はこれからだが、他はそれぞれに既に会談をもち、一定の合意を達している。最重要なのは米朝首脳会談だが、そこで合意に達すれば完結をみることになるわけである。即ち朝鮮戦争の完全終結と朝鮮半島の非核化が実現するということである。
 問題は日朝間、拉致問題はどうなるかである。今のところ、日本政府の方針は圧力一辺倒で、北朝鮮とは対話の場はなく(「対話のための対話は意味がない」と言って拒否)、専らアメリカ頼み(唯ひたすらトランプ大統領に「是非拉致問題のことも話して下さい」と人頼み)で、主体的、具体的な対応が全くみられない。拉致被害者・家族の方々は居ても立ってもいられまい。それなのに。
 当方が思うに、先ずは朝鮮戦争を終結(休戦協定から和平協定にこぎつけること)―南北首脳会談では北朝鮮は韓国との間で終戦宣言を行っただけだが、正式の和平協定(相互不可侵協定でもある)の締結は、休戦協定の時と同様にアメリカ(国連軍代表)と中国と北朝鮮の3者か、それに韓国を加えた4者が調印して行われなければならない。まずはそれをやり遂げることである。そうすれば、北朝鮮にとってはもはや「核抑止力」は不要となり、完全非核化をはじめ制裁解除・米朝国交正常化まで、あとのすべては実行可能となる。日朝間には既に小泉・キム=ジョンイル両首脳が交わしたピョンヤン宣言に明記された拉致問題も含めた懸案の包括的解決へのロードマップが存在しており、それにしたがって事を運べばよいのである。それらに各国とも全力をあげて取り組むこと、とりわけタイムリミットにある(これ以上待てないという)拉致問題を抱える日本政府は他力本願ではなく北朝鮮との主体的な直接アプローチが急がれよう。

 このところ北朝鮮のキム=ジョンウンがにわかに非核化の意向を示して首脳会談に動き出したのは圧力が効いたお蔭だとトランプ大統領も安倍首相も自らの強硬圧力政策を合理化するが、はたしてキム氏は、その圧力に屈してやむなく核武装放棄に踏み切ったのか、それとも核開発計画が(アメリカ本土まで届く大陸間弾道ミサイルとともに)完了し核抑止力保有を達成した、その自信からか。いずれにしろ、北朝鮮が完全非核化を果たせば、その「見返り」に制裁を緩和・解除して「体制保証」もしてやる、といった考え方には、どうも強者・官軍が弱者・賊軍に、迫るやりかたで、追いつめられて城に立てこもる賊軍を兵糧攻めにし、白旗をあげて降伏すれば、命と身分(体制・政権の延命)だけは保証してやるといった「上から目線」或いは高圧的態度を感じ、違和感どころか反発がつきまとう。
 軍事的オプション(選択肢)も含めた「最大限圧力」を「これでもか、これでもか」とばかりかけ続けるやり方だが、それでうまくいけば、北朝鮮は耐え切れずに、屈服して要求に全て(核放棄も拉致被害者の解放も)応じることも考えられるが、逆に「窮鼠猫をも噛む」「戦わずして屈服するよりも戦って討ち死にする方を選ぶ」となって暴発(戦争)を招いてしまう結果にもなりかねない、といったリスクがそれには付きまとう。そのような「最大限圧力」に物を言わせる高圧的やり方でよいのか、それとも相手の立場をも尊重した対等関係で臨んだ方がよいか、どちらが賢明なのかだろう。
 北朝鮮の立場に限らず、客観的に云っても、歴史的経緯から考えれば、そもそも朝鮮半島は、73年前の日本軍降伏以来、南北分断、朝鮮戦争、休戦協定は結ばれたものの、38度線を挟んで対峙、韓国それに日本にもアメリカ軍が引き続き基地に駐留し、北朝鮮にはソ連と中国が後ろ盾となっていたが、冷戦終結にともない中ソともに韓国と国交、北朝鮮はただ一国で米韓軍に立ち向かわなければならなくなった。通常戦力では圧倒的な米韓軍に対して北朝鮮は核戦力にすがるようになった。そこから考えれば、ただ単に核・ミサイルを放棄せよとばかり言い立て、完全非核化しないかぎり体制保証など「見返り」は一切与えない、というのには、どうも無理があるように思う。先ずやるべきことは、何を置いても朝鮮戦争以来の戦争状態(休戦協定にとどまって対峙している状態)を終わらせる和平交渉、平和協定締結を関係国が互いに対等の立場で行うことが先決なのである。それさえ果たされれば、核もミサイルも無用の長物となり、キム政権にとってそんなものにこれ以上すがりついている必要も、政権が打倒される心配もなくなるわけであり、日本に対しても拉致問題など深い怨みをかっている罪過をこれ以上抱え続ける必要はなく、即刻解放措置を講じて然るべきことになり、経済制裁解除・国交正常化も可能となる。
 とにかく、米朝首脳会談は、先ずは朝鮮戦争終結の話から始めるのが筋なのでは、ということだ。それに会談は対等な立場で対話し、交渉・説得が行われなければなるまい(アメリカ軍の戦力が圧倒的に強いからといって、強圧的に自国側に有利な条件で、在韓米軍・在日米軍とも、それらを全くそのまま維持して、北朝鮮にだけ核・ミサイルともに放棄せよと一方的に押し付けるようなことのないように)。そうして朝鮮戦争終結の和平協定の交渉が先ずは米朝間で対等の立場で話し合われて合意に達し、中国・韓国も調印して協定が結ばれれば、もはや互いの敵対関係は解消される。そうなったかぎり、経済関係正常化や国交正常化など、あとのことは「見返り」という交換条件ではなく、当然のこととして、それぞれの求めに応じて受け入れなければならないことになる。日本政府も北朝鮮との対話・交渉に踏み切れば、そこで直接拉致被害者を全員帰せと要求して当然だし、北朝鮮はそれに応じなければならない。それはそれとして北朝鮮からも日本に対して過去(日本によって行われた植民地支配にともなう被害・損害)の清算など求められれば、(韓国にたいしては既に行っているのと同様に)その求めに応じて清算するのは当然のことだろう。

 論理的には、朝鮮半島に関わる国々の間で全ての関係正常化と懸案解決の前提となる敵対関係の解消・信頼関係の構築が先決で、それさえできればあとのことはすんなりといく。その信頼関係構築のために先ずもって朝鮮戦争終結の和平協定締結が行われなければならないが、それ自体は首脳会談での合意から協定締結に至るまで手順にしたがった作業が必要であり、それには一定の時間(年内とか何か月以内とか)を要する。
 一方、拉致問題も、論理的にはそれも米朝が和平協定を結んで、それに伴って日朝間にも敵対関係が解消され信頼関係が築かれたうえで取り組まれるのが筋だが、この問題に限っては、拉致被害者・家族の生命が懸ったタイムリミットに直面していて一刻の猶予もないので、時間的優先順位としては、真っ先に取り組んで然るべきであり、解放・帰国に向けた措置を急いで講じてもらわなばければならない。したがって朝鮮戦争終結の平和協定は米朝首脳会談で双方とも合意に達してその意志を確認した段階で、協定締結に至るまでの作業は完了しない段階であっても、日本政府は米韓と北朝鮮の和平協定に向けた終戦合意を支持して、日本も北朝鮮に対して敵対関係をとり続けるのをやめて対話に転じ、早急に日朝交渉に着手し、拉致問題に決着をつけなければならない。とにかく、「アメリカ頼み」で、米朝首脳会談を「蚊帳の外」から様子見しているだけではだめで、自ら主体的積極的に動かなければなるまい。
 核・ミサイルの完全放棄(核施設の廃棄、検証など)も、国交正常化も、過去の清算も、それらが実現を見るまでには、いずれも年月・時間がかかるので、まずは包括的に話し合って合意し、それぞれ実行の意志を確認すればよいのである
 そのように事が運べばいいんだがな、いやそうすべきだ、ということ。

 とにかく北朝鮮と米韓との間で未だ終わっていない朝鮮戦争と、日本もアメリカとともに北朝鮮に対して敵対関係にある状態に終止符を打つことが先決だということだ。

2018年05月29日

森友・加計学園問題―安倍内閣はやはり退陣してもらうしか(再加筆版)

安倍首相―加計学園の理事長(加計孝太郎)が友人(「腹心の友」)
昭恵夫人―加計学園が運営する保育施設の名誉園長
      森友学園が新設しようとした小学校の名誉校長に就任
①戦略特区(愛媛県今治市)に加計学園岡山大学の獣医学部開校が認定、その特区指定、開校認可に際して優遇措置(特別扱い)(選定・認可にいたるその間のプロセスが「加計ありき」で進められたと思われている)―それに首相の関与が疑われる。
 文科省―元事務次官(前川)が「総理の意向」などと証言、省内に記録(担当職員が記したメモ)残る。愛媛県庁にも(職員が記した記録・メモに「総理案件」とか、「首相と学園理事長が面談」し、学園の獣医学部新設計画に首相が「いいね」と言っていたなど)。
②森友学園が開校を計画した小学校の用地に国有地を破格の値引きで払下げ、その優遇措置に首相夫人の関与が疑われる。それを管轄する財務省で用地取引に際する交渉記録、決裁文書など大量の公文書改竄・隠ぺい(財務省担当局長が記録・文書は廃棄して「残ってございません」などと答弁したり、首相が「私や妻が関係していたということになれば首相も国会議員も辞める」などと言った答弁に沿うように改竄・隠ぺい・口裏合わせ等)が発覚。
    
 いずれも首相は指示・関与を否定。しかし、それがたとえそうだ(首相は直接には指示・関与しておらず、秘書や官僚が勝手に忖度してやったのであり、首相に法的責任は問えない)としても、首相には道義的・政治的責任はあり、「忖度」せざるを得ない彼の存在がある(彼が首相でいる)限り、その「忖度」(首相をかばい、政権を守るために自発的に口裏合わせ・公文書改竄・隠ぺい)は止むことなく、このような不正・違法の再発をくい止めることはできない(官僚や職員たちの職務心得や公文書管理などをいくら厳しくしても、それだけでは再発防止はできない)。したがって安倍首相から辞任してもらうしかあるまい、ということだ。
 「忖度(相手の意向や意図を推しはかる)」という場合、それには公務員が全体の奉仕者として公正・中立に徹して国民の意向を忖度するというのであれば、国民に対して無私の忠誠心と認められよう(財務省の中にも、そういう良心や正義感をもつ職員が一人いたものの、違法行為を強いられ、それに耐えかねて自殺している)。国会議員とともにその最上級の公務員たる総理大臣こそが公正無私に徹しなければならないはず。なのに、自分の「腹心の友」(加計学園理事長)には特区を指定してそこに学部新設・開校を認可、夫人の知り合い(森友学園理事長)には夫人を名誉校長とする新設小学校の用地に国有地を格安で払下げるなど、友人や夫人の知人に有利なように財務省・文科省等において行政事務の処理が為された。そして、それにともなって数々の公文書改竄・隠ぺい・虚偽説明が行われた。それに対して首相は(「私や妻が関係していれば総理大臣も国会議員も辞める」と言って)自らの関与を否定している。しかし、官僚たちが指示もなく勝手に忖度してやったものだとしても、「忖度されるリーダーは、それだけで辞任に値する」、と豊永郁子・早稲田大学政治学教授は論じている(19日付朝日新聞「政治季評―辞めぬ限り混乱は続く」)。
 豊川教授によれば、リーダーへの忖度は一見「忠誠心による無私の行為」のように見えるが、それには様々な個人的・利己的な思惑や欲望(出世・昇進欲、金銭欲、将来の利得、競争心など動機)が伴っているものだ、という。その「小さな悪」が積み上がって巨大な悪のシステムとなる。「あるリーダーの周辺に忖度が起るとき、彼はもはや国家と社会、個人にとって危険な存在である。・・・・リーダーの意向を忖度する行動が、忖度する個人の小さな、しかも油断のならない悪を国家と社会に蔓延らせる。」「安倍政権の統治下の下では、忖度はやまず、不祥事も続くだろう。安倍氏が辞めない限りは。」とのことである。

 佐川前理財局長ら財務省の担当者らに対する市民の告発に応じて大阪地検特捜部が捜査に乗り出したものの、このほど(5月31日)「嫌疑不十分または嫌疑なし」として全員不起訴とされた。(これも検察上層部の人事権を握る政権への忖度による「初めから不起訴ありき」の決定なのでは、との批判もあり、告発した市民たちによって検察審査会への審査申し立てが行われるも、その結果どうなるかだ。起訴して裁判にかけても「疑わしきは罰せず」で、いくら疑わしくとも「証拠が十分」でなければ有罪にはできない。それが司法判断というもの。今回の不起訴判断をした大阪地検特捜部長は「佐川さんは(嫌疑不十分ではあるが)『嫌疑なし』という証拠はない」とも語っている。)
 このように不起訴となって、刑事事件としては誰も罪には問われず、法的責任が課されることはなくても、この間の経緯と結果はどう見ても異常・不公正であり(森友学園には国有地を8.2億円値引きして1億3,400万円で払下げ、加計学園には京都産業大学などライバル校を排する有利な特区選定をして、その愛媛県今治市に新設する獣医学部の校舎建設用地・評価額36億7,500万円を市が無償譲渡、建設費補助金に県と市が合わせて約96億円もの税金がつぎ込まれる)、誰よりも公正無私が求められる首相の政治的・道義的責任を問わずには済まされまい。それは、単なる些細なスキャンダルとして片付けられるようなものではなく、国民に計り知れない政治不信を招き、社会のモラル(社会全体の規範意識)を掘り崩す結果を招くからである。

 6月4日森友学園問題について財務省が内部(職員の聞き取り)調査結果と関係職員の処分を発表した。但し、そこでは国有地取引きの違法性については問うてはおらず、文書改ざん等のことだけを調査対象にしている。そこでは、財務省理財局長だった佐川氏が文書改竄の事実上の指示を認定(昭恵夫人や政治家の名前が記載されている文書は「このままでは外に出せない」、「最低限の記載とすべきだ」などと指示。それは大臣に一切報告せぬままに、自らの国会答弁とつじつまを合わせ、国会審議で野党などの質問につながり得る材料を極力少なくして紛糾を回避するために行われた、としている。)安倍首相夫妻への忖度の有無、「私や妻が」云々の総理答弁が改竄のきっかけとなったか否かについては、「調べた範囲では、それはない」と事実を否定しているが、実は、そのことは職員に質問してはいないとのことだ。処分は佐川氏(停職3か月)をはじめ省内の職員20人だけ。肝心なのは、その改ざん等は何故、誰のために行われたのか、だが、それは明にされていない(麻生大臣いわく、「それが分かりゃ、苦労せんのですよ、どうしてそうなったのか分かりません」と。それは大臣たる彼に責任能力が欠如しているということであり、他に替ってもらうしかないということだろう。それに「分からん」なら、昭恵夫人と夫人付政府職員や財務省幹部を証人喚問して訊けばいい話だ)。

  安倍首相は「膿を出し切る」というがその膿の源は他ならぬ彼自身にあり、その根を絶たないかぎり、膿を出し切るにも尽きることはあるまい。このような首相の下で、リーダーに信を置く政権党(自民・公明)の議員の多数決で「重要法案」(働き方改革法案・カジノ法案・TPP関連法案など悪法)が強行採決されるのは良心的な国民にとっては到底納得し難いところだろう。

 世論調査では、森友・加計問題について首相の説明には「信用できない」が7割(12・13日共同通信の調査)、安倍政権が疑惑解明に「適切に対応していない」が75%(19・20日の朝日新聞の調査)で、大多数の人々が不信感を持っている。ところが、内閣支持率は朝日調査では36%(前回31%)で下げ止まっている。その支持する理由で一番多いのは「他よりよさそうだから」が51%で、要するにそんな自民党内閣でも野党よりはマシだろうから、ということなのだろう。政党支持率では「支持政党なし」が39%で一番多いが、自民党支持は36%(前回33%)で、立憲民主が9%、公明党・共産党がともに3%、維新が1%、それ以外の野党は0%と「一強多弱」であることには変わりない。

 しかし、「市民と立憲野党の共闘」を頼みとして、諦めずに頑張ってもらうしかあるまい。


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