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2012年07月 アーカイブ

2012年07月01日

民自公・維新の会に対する護憲派(加筆版)

 閉塞感・政治不信が極に達している。
 民自2大政党or民自公3党(談合政治)に対して反発(怒り)・違和感をもつ向き、
或は既成政党に対して支持なし層・無党派層が溢れつつある。
 これらを引き付けて橋下・「維新の会」が勢いを増し(来るべき総選挙で大躍進の可能性)―みんなの党あるいは小沢新党もそれに連携の手を。
 当面は、民自2大政党あるいは民自公3党への人々の反発に乗じて、消費税増税問題と原発問題で、これら維新の会、みんなの党あるいは小沢新党が連携し、社民党までも小沢新党と連携して総選挙に臨むという可能性がある。
 しかし、民自公・「維新の会」・「みんなの党」・小沢新党はいずれも改憲派―国会ではこれらが改憲発議権を有する3分の2以上を制する可能性が高い。
 これに対抗する護憲政党共産・社民2党は(両党間には互いに相手との違いを強調して、自分たちの方が正しいとして譲らないセクト主義の傾向があり、人々からも、共産党に対しては根強い反共意識からネガティブなイメージがもたれ、社民党に対しては共産党を敬遠して自公民のどちらかにブレてくっついてきたという日和見的なイメージをもたれて)あまりに弱小で、「いいことを言っているが、あまりに力が弱い」と見なされ、メディアが取り上げてくれないし、「受け皿」としてはどうも頼りがいがなく、期待がもてない(と思われている)。
 そこで、新党―例えば「緑の党」のようなものを結成し(現在、中沢新一氏らの「グリーンアクティブ」とか、すぐろ奈緒氏らの「みどり未来」などのグループが結成されており、後者は7月中に党結成の運びにしているようだが?)、これを結集軸として共産・社民とともに護憲連合が結成されればいいのでは?
 その共通項は「①護憲②脱安保③脱原発④脱消費税⑤リベラル(反ファシズム)」。
それぞれの特性:共産党―ブレずに一貫した護憲政策と固い組織ノウハウをもつ。
        社民党―護憲・平和・リベラルのイメージを持たれている。
        緑の党(護憲新党)―新鮮なイメージをもち、既成政党になじまない                  人たちを引き付ける。
 この3党がくっつけば、「維新の会」など改憲派連合と張り合える。
 それ(3党護憲派連合)ができなければ、共産党や社民党だけでは票は集まらない。

 「9条の会」など市民運動だけでは、国会で護憲派政党が3分の1以上を上回る議席獲得なしには、改憲勢力に対して力にはならず攻勢をかけることはできない。
 怒りと要求を集会やデモにぶっつけるだけでなく、投票にぶっつける(「怒りの批判票」を投じる)、その受け皿となり得る(怒りと要求を十分受け止め、それを代弁してくれる)政党が必要だということ。
 今そこに「維新の会」が手を広げて待ち構え、「怒りの批判票」を一挙にかっさらってしまう可能性が高いが、そうなってしまっては共産・社民など護憲派への票が、それに食われてしまい、改憲派のほうが益々膨れ上がることになる。そうならないように、「維新の会」などへの対抗勢力となり得る有力な護憲派新党が、もう一つの受け皿として必要なのでは?

 いずれにしても、9条をはじめ憲法は、9条の会や護憲ネットなど市民運動だけでは守れないし、共産党だけでも、また社民党だけでも守れないことは確かだ。
 もし、守れなかったら、これらの市民運動や政党は存在する意味がない、というものだろう。

 どうも、そんなふうに思えるのだが。
 


7月のつぶやき(随時、上に加筆)

●デモ行進が終着地の新宿中央公園に着くと、入り口で新聞号外を配っていた。「赤旗」だった。受け取ってチラっと見てみると、何と、さっき行ってきたばかりの代々木公園、そこに集まった大群衆を空から撮った写真が大きく載っていた。そういえばあの時上空には数機のヘリコプターが旋回していた、そのうちの1機が撮ったものだろう。
 米沢に帰って翌日、コンビニや図書館で各紙をチラっと見てみると、毎日新聞だけ1面上段に似たような空撮写真が「赤旗」のそれより4分の1ぐらい小さく載っていた、それ以外は朝日が3面(社会面)に地上から広角レンズで撮った会場風景、読売は3面に空撮写真が白黒で小さく、日経は3面に写真なしの小さな記事だけ。マスコミ各紙のスタンス(いったい誰の立場に立っているのか)がうかがわれた。
 もう一つ、代々木公園会場付近で配られた一枚の小さな新聞があった。家に帰って見てみると、何と「革マル派」の新聞だった。60~70年安保闘争当時「全学連」を主導していたものだが、まだ生きていたんだな、という感じ。新聞には「野田政権を打倒せよ!」「全原発・核燃施設を廃棄せよ!安保強化・大増税を許すな!」と書いていながら、「共産党中央の『自然エネルギーへの転換』要請運動をのりこえ闘おう!」とも書いてあった。相変わらず反共に徹しているふうだ。
●バスで東京にさしかかったら、車窓からスカイツリーが見えたと思ったら、はるか彼方の山並みの間に一際高いコニーデ型の山が見えた。どうやら富士山のよう。最近パステルで描いて毎日居間に座って眺めている富士山の絵は上部が白い雪山だが、この日に見えたのは残雪が何筋か残っているだけの夏山だった。そういえば富士山の「怒り」もあるのか?
●東京で「さようなら原発10万人集会」。当地(置賜地区)の実行委員会がしたてたバスに便乗して行って来た。そして、「政府は国民の声を聞け―!」「原発再稼働はんた―い!」「原発は要らな―い!」と叫んできた。
 「声なき声」でつぶやいてばかりじゃいられない。
●今日の「朝日川柳」から
 「海怒り天怒り次何怒る」・・・・「地怒る」「民怒る」と来るのでは?
 「都と政府尖閣領有競い合い」・・・なるほど、困ったもんだ!
●今日の「朝日川柳」 
 「どじょうには音に聞こえる人の声」
 「音として妻の小言を聞くを知り」      うまい!
●新聞の「声」欄に載っている川柳やコントに溜飲を下げるようなのが、しばしば見られる。
 「橋本を上げ下げ稼ぐ週刊誌」
 「知事市長次は総理と書き立てる」
 「どこまでも主役でいたい天の邪鬼」(国ではないと都知事)
 「日中間 暗示するよなパンダの死」
 「『尖閣購入』全然興味ない―シンシン」(都知事は「パンダなんか全然興味ない」と言っていた。)
 ●女房から「サクランボ泥棒」の話しを聞いた。たった一掴み。なのに、そこ(サクランボ畑)のカアちゃんが泥棒を捕まえて表彰(?正確には、発見して通報した方が「感謝状」)を受け、新聞・テレビにも出た、それが米沢では、どうやらひんしゅくを招いている、という話し。
 図書館に行って新聞を確かめてみると、現場の近くにいた婦人が見つけて所有者の夫人と警察に通報して、男を夫人が取り押さえた、という。夫人が男に「何しった」と訊くと、「『悪かった、腹が減って食べた』と力なく答えた」と。しかし、サクランボは「手がかかる貴重な収入源」、被害拡大を食い止めた「お手柄」、と書いてあった。
 被害はサクランボ5~7個(200円相当)。男の名は・・・新聞には実名、本籍が書いてある、66歳、住所不定、新聞には福島から歩いて来たとあるが、大阪あたりでホームレスをしていたらしく秋田方面に帰る途中だったらしい。
 我が家の小学生の孫には、ジャン・バルジャン(パン一個で何年も刑務所に入れられた)の話をして聞かせた。
 そして、地元紙にこの一件で投稿した。「ああ無情」と。
●女房が大学ノートに「つぶやき」を綴り始めた。誰も読まない当方のブログと同じだろうが、書いていることは、どうせ大半は亭主と孫の親たちへの口説きだろう、と言ったら、「そんなことはない、ボケ防止のため、その日あったことを書いているだけだ」という。
 しかし、覚書として役立つこともあるだろう。「あの時、誰それがこう言った」とか「こういうことがあった」とか。
 隣地との境界(隣地との境が、官地になっている通路で隔てられていて、その中央線に杭が3本打たれている)をめぐってひともめあった。尖閣諸島をめぐる日中紛争みたい?(女房にはそれなりの記憶と言い分があったが、隣人は「そんなことはあり得ない、あの時、貴方も立会っていたはずだ」と言われ、「当方はバカだから覚えていない」と言った。)そのような場合、覚書をちゃんと書いておけばよかったのだな、とつくづく思った。女房は「つぶやきノート」に、自分の記憶と言い分を、図示しながら書き綴り、その夜「眠れなかった」と書いたという(「文章は読まねたてええがら、図だけ見て」と言って見せた)。
●いよいよ真夏。猛暑・停電になるのか。大飯原発の再稼動のおかげでしのげた、ということになるのか。
 消費税増税法案は参院でも可決・成立するのか。
「維新の会」「小沢新党」その他どんな新党ができるのか?
 ああ、気が気でない!孫たちが心配で。

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2012年07月04日

サクランボで「ああ無情」

 米沢で「サクランボ盗み食い事件」があった。木から5~7個もいで食べ、逮捕されて新聞に実名で書かれたのだ。
時節柄、サクランボ農家にとっては盗難被害対策に気が気でないといったところ。
小学生の孫には二点話した。一つは、たとえ五個でも盗み食いするのは全く怪しからんことだということ。
もう一つは、遠い県外から歩いて来て空腹のあまりそんなことをしてしまった。そういうかわいそうな人がいる世の中に問題があるのだ。そのような人を実名をあげて記事にして罪人あつかいし、捕まえた人を「お手柄」とほめそやすのも如何なものか。メディアは、そのようなことをせざるを得なかった彼はどのような境遇にあったのか、その方を書くべきなのではないか、と。
そして孫には、パン一個で何年も監獄に入れられたジャン・バルジャンの「ああ無情」の話しをした。

2012年07月07日

今、必要な新党は護憲新党

 既成政党に嫌気をさしている人たちは維新の会とか小沢新党などにも期待を託する向きが強いだろう。しかし、それらはいずれも改憲派で、護憲派は共産党と社民党、二つの少数党しかない上に、両者はどっちかが敬遠し合って手を組みたがらない。このままでは改憲派が、既成政党と新党と合わせて国会で3分の2以上を占めるようになって、改憲発議されてしまう。
 そこで今必要なのは護憲派の結集軸となる新党である。脱原発の「緑の党」のようなものができるとしたら、護憲新党としてそれに賭けたいものだ。

2012年07月17日

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   柵の向こうには裸姿
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   都庁の近く 間もなく終着地(新宿中央公園) この間2.5k

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           以下は自前のデジカメ写真
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舞台マイク前には坂本龍一・大江健三郎・内橋克人・落合恵子・澤地久恵・瀬戸内寂静                              ら各氏が立った
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代々木公園 福島原発事故以来の関連集会では最大規模(主催者発表17万人、警視庁発表7万5千人)
周辺隣接地・道路にも人があふれている  
                 (某新聞号外の写真をデジカメで撮ったもの)

2012年07月22日

騙されまい

(1)「決断する政治」なるもの
 首相、大飯原発再稼働を「決断」―「私の責任で」「国民の生活を守るために」と。
大江健三郎氏らが官邸に750万人の署名を持って再稼動を思いとどまるよう要請に行った、その翌日、首相は再稼動を発表したのだ。大江氏は「侮辱」と言って憤っていた(「さようなら原発10万人集会」で)。
 首相が負おうとするその責任は電力の確保―停電にならないよう一般庶民は節電に努めようとするが、なにがなんでも停電になったら大変だという人々(事業所―大口電気利用者、医療用電気利用者など)がいる、そういう限られた人々のため。(医療用電気利用者については、震災では仙台などで長期間停電になったところがあったが、そのために病人が死んだという話しはほとんど聞かない。病院などでは自家発電装置でカバーできる。)
 それよりも、再稼動で原発の過酷事故の危険にさらされる数多の生命に対する責任はとれるのか?―責任とりようがないのだ。なのにそれは度外視。確かな科学的根拠もなく、何の保証もなく、ただ「安全は確保されている」(事故の心配はない)というだけ。
 毎日のようにどこかで地震が起きているのに、そこではどうか巨大地震は起きないようにと、ただひたすら運を天にまかせるだけ―まるでギャンブルだ。
 坂本龍一氏は「たかが電気のために、子ども命を危険にさらすようなことはすべきでありません。お金より命です」と(「さようなら原発10万人集会」で)。

 現政権(経産省・原子力関係機関)はいったい誰の立場に立っているのか―財界(事業経営者)の立場に立ちこそすれ、庶民の立場には立っていないのだ。

 政府が新エネルギー政策を決めるため国民の声を聞くと称して設けた意見聴取会―2030年の原発の割合を「0%」か(ゼロといっても30年までの話しであって、即ゼロという選択肢は入ってはいない)、それとも「15%」か、「20~25%」か、という3案を示して、どれに賛成か、全国各地(11会場)の市民から意見を聴く。
 その際、3案それぞれの賛成意見発言希望者から3人づつ(抽選で)選んで発言させる。
 さいたま会場では、原発0%賛成者(発言希望者)239人から3人、15%賛成者 30人から3人 、 20~25%希望者 40人から3人選んで発言させた。
 仙台会場では、0%66人から3人、15% 14人から3人、 20~25%13人から3人(うち1人は東北電力の企画部長、1人は東北エネルギー懇談会の専務理事)。
 名古屋会場では、0%106から3人、15%18人から3人、 20~25%37人から3人(うち1人は中部電力原子力部の課長)
 この発言者の人選のやり方の不公平さ―政府・電力会社に都合よく人選。またしても「やらせ」。
 名古屋会場では中部電力の課長が「福島原発の事故では、放射能の直接的影響で亡くなった人は一人もいない」などと発言した。
 ピカドン(原爆)と異なり、今回のような原発事故では、一瞬のうちに大量の死者が出るということはないが、福島のあの周辺地域では、そのままそこに除線もなしに人々が居続ければ、いつか続々死んでいくか、障害を持った子が生まれると予想され、16万人もの人々が離散・避難し、いつ終わるともない除染を待ちながら故郷に帰れずにいるか、帰っても不安におののきながら暮らしているのだ。
 この意見聴取会に加えて「討論型世論調査」なるものを(全国から3,000人を無作為抽出して電話で世論調査、彼らの中から200~300人が討論会)やったうえで、8月末に3案のうちのどれかに決定するのだという。要するに最終的には首相が決断・決定するということだが、そんなことでいいのか?
 首相は、「原発ゼロ」は決断できまい。

(2)「決められる政治」なるもの
 肝心なのは(消費税増税・原発再稼働・TPP参加・オスプレイ配備容認・集団的自衛権容認・改憲など)「何を決めるのか」であって、国民が「決めてほしくないこと」でも「決められる」というのでは困る。大多数の国民の意思に反して(国民の声を無視して)或は国会審議を十分尽くさず、首相の一存で決めてしまうとか、与党だけで強行採決して決めてしまうとか、3党談合とか大連立して決めてしまう(多数派独裁)とかも、あってはならない。法案が何でもスイスイ通ってしまい、何でも簡単に決まってしまうのが良いかといえば、そんなのいいわけない。
(3)「マニフェスト」(公約)破り―マニフェストにないことまでやってのける。それは政治不信とモラルハザード(倫理・道徳の退廃)を招く。
 選挙で勝ったら、「勝てば官軍」「白紙委任」で何をやっても許されるというものではない。

 野田首相と橋本大阪市長は、これらが共通。橋本氏は大飯原発再稼動の決断に踏み切った首相に「負けた」といい、消費税増税法案を通した首相を「すごい」と感服(NHKのニュースウォッチ9は、そのインタビュー・コメントをそのまま流していた)。

 (4)マスコミ―「中立・公正・客観報道」とは言ってるが、それらは、あくまで真実追求の立場に徹するということではなく、マジョリティー(「多数派」・「大勢」―支配的階層)に合わせた報道ということなのだ。彼らの意識からすれば「中立・公正」かもしれないが、そうでない人々から見れば偏っている。そう考えると、新聞といい、週刊誌といい、放送といい、日本にまともなのがあるのだろうか。

 日本のマスコミ・メディアには商業マスコミ、公共放送(NHK)、政府・自治体の広報、政党機関紙、その他に企業・団体など組織や個人の新聞、ソーシャルメディアなどがある。
 そして、それぞれに目的と役割を持ち、色んな側面を持っている。それは次のようなものだ。
 ①ジャーナリズム―真実を報道・・・・権力チェック機能(「権力への監視役」)
 ②伝達・宣伝―政策・方針・主張・活動ぶり等を国民・その組織の構成員・支持者に知らせ、一般大衆に宣伝
 ③コマーシャリズム―商業主義・営利主義
 ④センセーショナリズム―煽情主義・世論誘導

 我々庶民がマスメディアに求めているのは①の「真実の報道」なのだが、多くのマスコミは③営利主義・④世論誘導に偏している。
 
 戦前・戦中は、ほとんどのメディアは日本の戦争を礼賛し、肯定的に伝え、煽りさえした。そして軍部(大本営)発表そのままに流した。
 戦後は、一部の政党機関紙以外すべてのメディアは日米安保・日米同盟を肯定的に伝え、「アメリカが日本を守ってくれる」かのように報じて、それが国民の頭に刷り込まれた。
 また1950年代後半(原水禁運動の一方で)、主要メディアは「原子力の平和利用」の大キャンペーンを張ってアメリカからの原発導入・推進に肩入れした。(読売社主の正力松太郎が原子力担当大臣になってキャンペーン推進。70年代には朝日も原発容認に社論統一。各社とも電力会社から莫大な広告料を得た。)
 今は、朝日・毎日は脱原発へ舵を切っているが、読売・産経・日経は原発推進を堅持。
 小選挙区制による二大政党制の創出をはかって、その導入・推進にこぞって肩入れしたのも、これら主要メディア。
 小泉政権の郵政民営化を応援し、民主党政権に消費税増税をけしかけてきたのも主要メディアだ。
 それら主要メディアのスタンスは基本的に親米・親財界なのだ。

政治家それにマスコミにも、騙されてなるものか。

2012年07月29日

選挙の争点は原発と消費税、それに憲法

 愛川さん(欽也氏)は、(kinkin.tvで)今度の選挙の争点は、脱原発なのかどうか、消費税増税に反対なのかどうか、それに憲法を守るのかどうか、その3つだねと言われましたが、同感です。
 憲法をめぐっては、改憲・護憲・創憲・加憲など様々あるとはいっても、基本的には現行憲法をしっかり守り生かすという護憲なのか、それともそれ例外なのか、そのどちらなのかが争点でしょう。
 緑の党が結成されましたが、それが護憲派ならば歓迎ですね。

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