米沢 長南の声なき声


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騙されまい
2012年07月22日

(1)「決断する政治」なるもの
 首相、大飯原発再稼働を「決断」―「私の責任で」「国民の生活を守るために」と。
大江健三郎氏らが官邸に750万人の署名を持って再稼動を思いとどまるよう要請に行った、その翌日、首相は再稼動を発表したのだ。大江氏は「侮辱」と言って憤っていた(「さようなら原発10万人集会」で)。
 首相が負おうとするその責任は電力の確保―停電にならないよう一般庶民は節電に努めようとするが、なにがなんでも停電になったら大変だという人々(事業所―大口電気利用者、医療用電気利用者など)がいる、そういう限られた人々のため。(医療用電気利用者については、震災では仙台などで長期間停電になったところがあったが、そのために病人が死んだという話しはほとんど聞かない。病院などでは自家発電装置でカバーできる。)
 それよりも、再稼動で原発の過酷事故の危険にさらされる数多の生命に対する責任はとれるのか?―責任とりようがないのだ。なのにそれは度外視。確かな科学的根拠もなく、何の保証もなく、ただ「安全は確保されている」(事故の心配はない)というだけ。
 毎日のようにどこかで地震が起きているのに、そこではどうか巨大地震は起きないようにと、ただひたすら運を天にまかせるだけ―まるでギャンブルだ。
 坂本龍一氏は「たかが電気のために、子ども命を危険にさらすようなことはすべきでありません。お金より命です」と(「さようなら原発10万人集会」で)。

 現政権(経産省・原子力関係機関)はいったい誰の立場に立っているのか―財界(事業経営者)の立場に立ちこそすれ、庶民の立場には立っていないのだ。

 政府が新エネルギー政策を決めるため国民の声を聞くと称して設けた意見聴取会―2030年の原発の割合を「0%」か(ゼロといっても30年までの話しであって、即ゼロという選択肢は入ってはいない)、それとも「15%」か、「20~25%」か、という3案を示して、どれに賛成か、全国各地(11会場)の市民から意見を聴く。
 その際、3案それぞれの賛成意見発言希望者から3人づつ(抽選で)選んで発言させる。
 さいたま会場では、原発0%賛成者(発言希望者)239人から3人、15%賛成者 30人から3人 、 20~25%希望者 40人から3人選んで発言させた。
 仙台会場では、0%66人から3人、15% 14人から3人、 20~25%13人から3人(うち1人は東北電力の企画部長、1人は東北エネルギー懇談会の専務理事)。
 名古屋会場では、0%106から3人、15%18人から3人、 20~25%37人から3人(うち1人は中部電力原子力部の課長)
 この発言者の人選のやり方の不公平さ―政府・電力会社に都合よく人選。またしても「やらせ」。
 名古屋会場では中部電力の課長が「福島原発の事故では、放射能の直接的影響で亡くなった人は一人もいない」などと発言した。
 ピカドン(原爆)と異なり、今回のような原発事故では、一瞬のうちに大量の死者が出るということはないが、福島のあの周辺地域では、そのままそこに除線もなしに人々が居続ければ、いつか続々死んでいくか、障害を持った子が生まれると予想され、16万人もの人々が離散・避難し、いつ終わるともない除染を待ちながら故郷に帰れずにいるか、帰っても不安におののきながら暮らしているのだ。
 この意見聴取会に加えて「討論型世論調査」なるものを(全国から3,000人を無作為抽出して電話で世論調査、彼らの中から200~300人が討論会)やったうえで、8月末に3案のうちのどれかに決定するのだという。要するに最終的には首相が決断・決定するということだが、そんなことでいいのか?
 首相は、「原発ゼロ」は決断できまい。

(2)「決められる政治」なるもの
 肝心なのは(消費税増税・原発再稼働・TPP参加・オスプレイ配備容認・集団的自衛権容認・改憲など)「何を決めるのか」であって、国民が「決めてほしくないこと」でも「決められる」というのでは困る。大多数の国民の意思に反して(国民の声を無視して)或は国会審議を十分尽くさず、首相の一存で決めてしまうとか、与党だけで強行採決して決めてしまうとか、3党談合とか大連立して決めてしまう(多数派独裁)とかも、あってはならない。法案が何でもスイスイ通ってしまい、何でも簡単に決まってしまうのが良いかといえば、そんなのいいわけない。
(3)「マニフェスト」(公約)破り―マニフェストにないことまでやってのける。それは政治不信とモラルハザード(倫理・道徳の退廃)を招く。
 選挙で勝ったら、「勝てば官軍」「白紙委任」で何をやっても許されるというものではない。

 野田首相と橋本大阪市長は、これらが共通。橋本氏は大飯原発再稼動の決断に踏み切った首相に「負けた」といい、消費税増税法案を通した首相を「すごい」と感服(NHKのニュースウォッチ9は、そのインタビュー・コメントをそのまま流していた)。

 (4)マスコミ―「中立・公正・客観報道」とは言ってるが、それらは、あくまで真実追求の立場に徹するということではなく、マジョリティー(「多数派」・「大勢」―支配的階層)に合わせた報道ということなのだ。彼らの意識からすれば「中立・公正」かもしれないが、そうでない人々から見れば偏っている。そう考えると、新聞といい、週刊誌といい、放送といい、日本にまともなのがあるのだろうか。

 日本のマスコミ・メディアには商業マスコミ、公共放送(NHK)、政府・自治体の広報、政党機関紙、その他に企業・団体など組織や個人の新聞、ソーシャルメディアなどがある。
 そして、それぞれに目的と役割を持ち、色んな側面を持っている。それは次のようなものだ。
 ①ジャーナリズム―真実を報道・・・・権力チェック機能(「権力への監視役」)
 ②伝達・宣伝―政策・方針・主張・活動ぶり等を国民・その組織の構成員・支持者に知らせ、一般大衆に宣伝
 ③コマーシャリズム―商業主義・営利主義
 ④センセーショナリズム―煽情主義・世論誘導

 我々庶民がマスメディアに求めているのは①の「真実の報道」なのだが、多くのマスコミは③営利主義・④世論誘導に偏している。
 
 戦前・戦中は、ほとんどのメディアは日本の戦争を礼賛し、肯定的に伝え、煽りさえした。そして軍部(大本営)発表そのままに流した。
 戦後は、一部の政党機関紙以外すべてのメディアは日米安保・日米同盟を肯定的に伝え、「アメリカが日本を守ってくれる」かのように報じて、それが国民の頭に刷り込まれた。
 また1950年代後半(原水禁運動の一方で)、主要メディアは「原子力の平和利用」の大キャンペーンを張ってアメリカからの原発導入・推進に肩入れした。(読売社主の正力松太郎が原子力担当大臣になってキャンペーン推進。70年代には朝日も原発容認に社論統一。各社とも電力会社から莫大な広告料を得た。)
 今は、朝日・毎日は脱原発へ舵を切っているが、読売・産経・日経は原発推進を堅持。
 小選挙区制による二大政党制の創出をはかって、その導入・推進にこぞって肩入れしたのも、これら主要メディア。
 小泉政権の郵政民営化を応援し、民主党政権に消費税増税をけしかけてきたのも主要メディアだ。
 それら主要メディアのスタンスは基本的に親米・親財界なのだ。

政治家それにマスコミにも、騙されてなるものか。


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