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2010年09月 アーカイブ

2010年09月06日

「朝まで生テレビ」『激論!米中新冷戦時代とニッポン』を見て―安保肯定誘導(加筆版)

●司会はいつもの田原氏。
●出演者―生方氏(民主党国会議員)・下地氏(国民新党国会議員)・浅尾氏(みんなの党国会議員)・井上氏(共産党国会議員)・山口氏(元自衛官陸将・現防衛大教授)・潮氏(元自衛官・防衛庁広報誌編集長・軍事ジャーナリスト)・宋氏(中国人・日本留学・日本で「ソフトブレーン」創業)・渡部恒雄氏(東京財団上級研究員・サンプロの常連コメンテータだった)・高野氏(サンプロの常連コメンテータだった)・富坂(中国通ジャーナリスト)・村田氏(同志社大教授)
●視聴者への質問
Q1「今後、米中関係は良くなるか、悪くなるか?」
Q2「日米同盟は強化すべきか、すべきでないか?」
●潮氏の解説(アメリカ国防総省の「中国の軍事動向に関する年次報告書」要旨を解説)―海軍は、南西諸島(沖縄近海)・西太平洋への進出の動き。空母建造計画の動きも。南シナ海・南沙諸島の領有権をめぐってASEAN諸国と対立。東シナ海ガス田・尖閣諸島の領有権をめぐって日本と対立、等々。
●諸氏の発言
下地氏―中国は日本をしのぐ経済大国となりつつあるが、そもそも「軍事大国」をめざしていると。(?)渡部氏は「富国強兵」だと。
山口氏―米中の国防費は20年前は50:1だったのが、現在は10:1から6:1にもなってきているが、今の段階では未だ・・・・」。
 「『勝つこと』と『負けないこと』とは違う。アメリカの第7艦隊(それに日本の海上自衛隊も相当強い)、これに真正面から立ち向かって勝つのはどこの国も難しいが、負けないことは可能。そのためには潜水艦を展開して接近を阻み、ゲリラ戦などで抵抗するだけの戦力をもつだけでよいのだ」と。(そういえば、圧倒的な軍事力の相手に勝ちはしなくとも、負けなかったという事例は、かつて中国人民解放軍が日中戦争では日本軍に対して、朝鮮戦争ではアメリカ軍に対して負けなかったとか、ベトナム戦争ではベトナム人民はアメリカ軍に対して負けなかったとか、それにアフガニスタンでは、以前はソ連軍に対して、現在はNATO軍に対してタリバンは負けてはいないなど数々ある。)

 諸氏の発言は、「米中新冷戦」・中国脅威論には異論があったが、日米同盟については肯定論が大勢(井上氏以外、宋氏も)。

井上氏―「06年、小泉首相は『中国軍の戦力規模は世界最大だが、装備は旧式で、火力・機動力など不十分だ』と言っている。前政権も現政権も、正式には、中国は『脅威』だと言ったことはない」と。(実際、日本政府自身は中国を一度も「脅威」とは認定しておらず、むしろ、「戦略的互恵関係」にあるとしている。)
山口氏―「米中間には外交のすごいパイプがる。」「中国に対して警戒感はあっても、『脅威』とは見なしていない。中国とは良い関係をつくっていき、『敵』にしない方法―『関与』し、共有できる部分を共有するなど―を考えている。」「中国軍には、かつてのソ連(その陸軍はヨーロッパではNATO軍を圧倒していた)のような強さはなく、中国に有利な戦場はどこにもない」と。
高野氏―「『新冷戦』など起きていず、アメリカ側が出した中国の軍事動向についての指摘など『国際政治ゲーム』の域をでない」と。
田原氏―「しかし、米中の間の緊張は明らかに高まっていると思う。」「中国の中央政府は、日本のような国会や野党などがないから決定は早いが、軍に対してコントロールが危うくなってきてはいないか。戦前の日本も政府に軍を抑える力がなかったが。」
宋氏―「今の中国にはイデオロギーでの対抗意識はない。」
浅尾氏―「共産主義などのイデオロギーは薄れている、そのかわりに民衆の愛国心が政府や軍を突き動かすこともあるのでは。」
村田氏―「米ソ冷戦では、ソ連が社会主義経済圏を形成し、共産主義イデオロギーを『輸出』を志向していたのとは異なり、今の中国にはそれがない。米中は同じ資本主義の網の目に組み込まれ、経済的にかつてなく相互依存関係が深まっており、中国が日本を滅ぼしたら中国の経済は成り立たないし、米中関係も同じだ。」

田原氏―「日米安保・同盟関係は深めるべきだ。」(?)「集団的自衛権をやるか、やらないか、が日本に迫られている」(?)と。
山口氏―「そうは思わない・・・・ただ、米国への攻撃ミサイルを撃ち落すことができるか、日本防衛に向かう米艦を防護することができるか、その問題はある」と。
 「仮に理想の社会が世界にできて、中国が日本のシーレーンを守ってくれるようになれば、日本に集団的自衛権の行使を求めてくるだろう」(?)とも。富坂氏は「今は中国の船の70%を海賊から日本が守っている」(?)と。
 「アメリカは軍事費がGDPの4~5%、中国が3%に対して、日本は1%。これで自主防衛とはおこがましい」と。
 尖閣列島について「太田前知事が、そこは沖縄の一部で日本領だから自衛隊が守るべきだと言っており、(日本の施政権下にある領域に適用される)条約上、米軍も一緒に対処するものと思う」と。
(陸上自衛隊と米軍海兵隊の上陸訓練など行われているが、偶発的な事態の防止のための日中防衛当局間に協議を重ねることは必要)

生方氏―「もっと根本から考えて、冷戦構造が終わって20年も経って、その前の構造のまま同じ米軍基地を日本に置くべきなのかどうか。戦後65年も経って、外国の軍隊がずうっと日本に居続けるのがいいのかどうか、抑止力の問題も含めて我々は考えるべき時がきている。」「軍事力・軍事力というが、日本の防衛というものを考えた場合、経済力や人的交流もあるし、そういう総合的なもののなかで、日本を守るわけですから、軍事力だけで、中国が強くなったから日本も強くしなければいかん(向こうが空母をもつから日本も持たないといけない)などといったら、きりもなくエスカレートする。戦後60年、日本がやってきた外交力を活かしながら日本を守っていくということを考えないと。東アジア共同体(構想)というものはそういうことだ。」と。

井上氏―「軍事には軍事という悪循環に入っていくかたちは退けるべきだ。」「かつてはアジアにも、ヨーロッパのNATOのようにSEATO とかCENTOとかがあったが、それをやめて今はASEAN中心に平和な枠組みがつくられている。東アジアにも、そういう話し合いでやる平和的な環境をつくる外交努力を日本はもっとやらなくてはならない。」

田原氏―「日本はなんだかんだ言っても「核の傘」に守られている。」(?)
井上氏―「『核の傘』というのは、核兵器を使うことを前提にして脅すやり方だが、核兵器は使うべき兵器ではないし、また使えないものなのだ。これで脅すというやり方は、特に唯一の被爆国たる日本は絶対とるべきではない。脅すようなやり方から脱却すべきだ。」

村田氏―「軍事には軍事というやり方はよくないという、そのこと自体は間違っているとは思わないが、今この地域で中国の軍事力が急速に伸びていて軍事バランスが崩れるかもしれない、この事態に対して、中国と同じように対抗しろとは言わないけれども、バランスが変化しているのを、地域の大国として何もしないのは逆に無責任。情報や文化やなんかではカバーできないことがある。」(?)
 「日米同盟は、冷戦が終わってから刺激がなくなって、国民の間では強い支持もなければ、強い反対もなく、あって当たり前なものとして格別意識してこなかったが、鳩山さんのおかげで、ガタガタなりはしたが、『日米同盟はやっぱり無ければダメだ』と気づかせてくれた。」(?)
片山氏―「国防にたいする認識が高まっている。」(?)
田原氏―「日本は追い詰められている、ということだね。」(?)
下地氏―「日米安保に刺激が無い」というのは、沖縄に押し付けて、日本全体で考えないからで、一つのところに押し付けていたら、あとの人間は誰も考えない、というこだ。」と言いながら、「普天間は移設できなければ、いつまでも凍結されることになり、アメリカはそれを日本政府のせいだというだろう。辺野古への移設をこれまで(十何年も)できなかったのは、機動隊を入れてまで断行しようとしなかったからだ」と。

●視聴者アンケートの結果
Q1、『今後、米中関係は良くなる』が42%―理由①「経済協力が重要だから」(26件)、②「協力せざるを得ないから」(13件)
『悪くなる』が50%―理由①「覇権争いが激しくなるから」(17件)②「思想が違うから」(15件)③「中国が軍事力を拡大しているから」(9件)④「自国の利益を優先するから」(8件)⑤「中国が力をつけてきたから」(7件)⑥「中国経済が発展しているから」(7件)
Q2、『日米同盟は強化すべきだ』が65%―理由①「アメリカに頼らざるを得ないから」(34件)②「中国の脅威に対抗するため」(33件)③「日本の安全保障のため」(21件)④「今までの関係を大切にすべき」(17件)⑤「北朝鮮の脅威に対抗するため」(13件)
『すべきでない』が26%―理由①「日本はもっと自立すべきだ」(35件)②「強化してもメリットがない」(3件)③「普天間基地の問題があるから」(3件)
浅尾氏と下地氏は「『日米同盟強化』と『自立』を望んでいる人が大勢で、それ以外の人はあまりいないということだね」とコメント。田原氏は「だだ、「自立・自立」というのは「危ないね」と。生方氏は「新冷戦」という言葉は「刺激的過ぎる」とコメントしていた。

論評
●国民は、普天間問題で日米同盟は「無ければダメだ」と気づいたのではなく、むしろ、沖縄に未だに広大な米軍基地が存在して海兵隊が駐留し続けていることを知り、日米安保が未だ続いていることに気づいたということであって、基地を撤去させるべく安保は見直さなければダメだということに気づいたということだろう。それが逆に「無ければダメだ」となっているのだとすれば、それはマスコミが(この番組も)、生方氏が言うように「新冷戦」などと刺激的に書きたて言いたてるから、それが歪められてのことなのだろう。
 海兵隊については、最近米下院の民主党大物議員バーニー・フランク氏が、それはジョンウェインの映画に残った65年前の戦争の遺物にすぎず、「1万5,000人の海兵隊が中国本土に上陸して、数百万人の中国軍と戦うことはないだろう」と。
●「激論」するなら、我々国民の生活(日々の暮らしに関わる貿易・国際経済)を営む上で危機・不安・閉塞感をどう打開するかであり、そのために日中関係・日米関係・世界の諸国との関係にどう対応すべきか、をこそ議論すべきなのである。
 生活・貿易・経済の危機・不安を解決するのに、日米同盟や自主防衛など軍事対応
強化など必要なのか。
 日米同盟の下で、アメリカに追従して世界第2の経済大国・「豊な国」を謳歌してきた旧来の安保体制をひたすら守るだけの後ろ向きの議論でよいのか。
 中国脅威論はアメリカによる中国への軍事的けん制であり、日米同盟を維持・強化する口実で、日米同盟を合理化するものにほかならないのでは。
 日米同盟に代わる外交・安全保障戦略を考える時期に来ている、そこをこそ議論すべき時なのではないか。
●そもそも我々日本国民にとって脅威とは
①広島・長崎市民をはじめとする核兵器の脅威―それは北朝鮮の核や中国の核だけでなく、アメリカをはじめとするすべての核保有国の核(一方の核は攻撃用だから禁止すべきで、他方のそれは防御用だから大丈夫だなどという区別はありえない)。
②沖縄をはじめとする基地住民にとって、日々危険・被害にさらされ、生活がおびやかされている、その脅威。
③軍事費(5兆円)の重圧―財政危機をよそに「思いやり予算」を含めた駐留米軍経費負担(年間6,000億円)―ヨーロッパ諸国もアメリカも軍事費は削減・節約しているのに、日本だけむしろ増額。
 我々日本国民にとっては、それらこそが脅威・重圧。
●北朝鮮や中国が今にも攻めてこようとしている、そんな危機・脅威はありえない。むしろ、北朝鮮のほうがアメリカ・日本・韓国の圧倒的な軍事力の脅威に脅え、経済制裁に苦しんでいる毎日なのだろう。
 「北朝鮮の脅威」なるものだが、防衛省に近いシンクタンク(平和・安全保障研究所)の07年の報告書によれば、「かつての朝鮮戦争のような大規模全面侵攻が勃発する蓋然性は高くない」という。
 ペリー元米国防長官は「北朝鮮は、核兵器使用は自殺行為であることをよく理解している。」「実際の脅威は核攻撃ではなく、体制崩壊にともなう核の流出だ」と。
 また、ある専門家によれば、「仮に北朝鮮が崩壊しても、避難民の流出先は韓国や中国であり、海を越えて大量に日本に押し寄せるとは考えられない」と。
 軍事的圧力・経済的制裁圧力でこの国を追いつめ、「窮鼠猫をも噛む」の暴発を招くようなことだけは避けなければならないだろう。(哨戒艦沈没事件を米日韓3国は、北朝鮮軍による魚雷攻撃によるものだと決め付け、米韓合同軍事演習―田原氏は、これに日本の自衛隊も参加を申し入れたが、韓国から拒否され、結果的にオブザーバー参加になったとのことだという。しかし、北朝鮮魚雷攻撃説には多くの疑問点が指摘されていて、韓国の要請で検証にあたったロシア調査団は「明確な沈没原因を得ることはできなかった」としている。)
 北朝鮮が追い詰められているということはあっても、日本が「追い詰められている」などということはあり得まい。
 危ないのは追い詰められた北朝鮮が自暴自棄的に核ミサイル攻撃に走るということであり、それにはどんなに圧倒的なアメリカの核抑止力であっても、自爆テロの抑止には効きめがないのと同じく、その抑止は効かないということであり、それこそが危険なのだ。
 自暴自棄、それはかつて日本人が戦争末期にしかかったあの「一億玉砕」の悪夢と同じだろう。

●自国の2都市に原爆を落とされて数多の市民が殺された、その国の「核の傘」で中国や北朝鮮の「脅威」から守ってもらっているとひたすら信じている政府とマスコミ・識者・評論家と国民がいることが不可解でならない。
 また、太平洋戦争末期、日本で唯一の地上戦場になって数多の島民が日本軍の巻き添えにされて命を落とした、そこへ上陸し、占拠した土地を基地にして未だに居座っている米軍海兵隊、彼らから日本を守ってもらっているとひたすら信じている政府とマスコミ・識者・国民がいることが不可解でならない。まるで認知症みたいなものではないか。(それらを不可解と思う方が認知症だと彼らは言うのだろうが)いずれにせよ、国家の品格の失墜・堕落の極みだ・・・と言ったら言いすぎだろうか。
 目的は安全保障なのであるが、目的のためには適切な手段を選ばなければならず、道義・信義・人道にもとるものであってはならず、用いるものは経済・文化交流(それによって信頼醸成・相利共生)と外交(対話・交渉・説得)でなければならず、武力は正当防衛以外には用いない。とりわけ核兵器のような「悪魔の兵器」ともいうべき無差別殺傷残虐兵器は同盟国のものであろうと、自前のものであろうと絶対利用しない。
 これこそが、遠くない過去に自ら招いた未曽有の戦争の惨禍を反省して得た教訓から制定した日本国憲法が我が国に課している大原則なのである。この原則に立ち返ってこそ、我が国家・民族の品格(国際的名誉・信頼の源泉)をとり戻すことができる。名誉と信頼の獲得、それこそが何よりの国益なのであって、その喪失・堕落は国益にとっての大損失なのだ。

2010年09月14日

普天間問題と安保

(1)普天間基地―「世界一危険なところ」―代替地へ移設できないうちは現状のまま(固定化)なのか?
 日本政府は米軍・海兵隊その基地は「抑止力」だとして、その維持に執着。
アメリカは「それなら」と、代替地を日本政府に要求、その確保・移設ができないなら、それは日本政府のせいだと。
 基地に対する住民負担・危険性―政府は住民の「負担」(騒音・米兵犯罪などの迷惑、墜落事故などの危険に対する精神的負担)と称して、その「軽減」策を講ずるからと、受け入れ容認を求める。
 しかし、住民たちにとっては、そのような単なる「負担」だけでなく、敵の攻撃の
ターゲットになるという危険も―坂手洋二氏(劇作家)は(朝日新聞9月4日付けオピニオン欄に論劇「徳之島少年と旅人」で)次のように指摘。「アメリカは辺野古基地建設で、日本政府が「桟橋方式」を提案した時、『テロの攻撃を受けやすい』からといって、それに反対したが、それは基地が攻撃のターゲットになるということだ。徳之島が、太平洋戦争中、空襲にあったのは、そこに日本の特攻基地があったからだ」と。
 基地住民は、それを県内であれ県外・国外であれ、その「負担」・ターゲットになる危険はまっぴら御免だが、かといって他に押し付けたくはない。だから日本政府に対して代替地に「移設」してほしい(そこに新基地が完成しないうちは米軍は普天間基地に居座り続ける)というのではなく、アメリカに対して、普天間基地を「とにかく(無条件で)撤去」してほしいと言っているわけである。

(2)元沖縄知事の太田氏によれば(『世界』8月号の誌上対談「太田昌秀×佐藤優」で)、アメリカの有名なシンクタンクのケイトー研究所は議会に勧告書を提出して、米政府は5年以内に在日米軍を全部撤退させ、その2年後に現行の日米安保条約を廃棄して日米平和友好条約を締結する旨、日本政府に通告すべき、と提言している。また在沖米軍を最優先にして撤退させ、グアムや太平洋中部の米国領土にもっと小規模の軍隊を駐留させるべきだ、とも主張しているという。つまり、米軍がグアムにいようが沖縄にいようが、抑止能力からいえばべつに関係ないというわけ。アメリカには、似たような主張をする言論人は少なからずいるとのこと。

(3)辺野古沿岸で(橋本内閣当時・普天間返還を日米合意して以来)14年もの間、自民党など与党が、国会は衆参とも、沖縄では知事も県議会も名護市長をも握っていながら、新基地を着工できなかった、それを国民新党の下地氏は(「朝まで生テレビ」で)「政府が、機動隊を入れてまでやるという決断ができなかったからだ」と言っていたが、それに関して元防衛事務次官の守屋氏は回想録に次のように書いている(『世界』9月号誌上の「太田昌秀×佐藤優」の対談で佐藤氏が紹介)。04年、那覇防衛施設局が建設予定水域の環境影響評価(アセスメント)のため行おうとしたボーリング調査が反対派の妨害行動(小船で押し寄せ岩石を海面に投げつける)で阻止された。その時、守屋氏は海上保安庁に強制排除を要請。それに対して海上保安庁は「強制排除に出れば、海上なので水中に落ちたりした場合は人命を損なう危険がある。それにどうしてそこまでして、県民に恨まれるようなことをしなくちゃならないんだ」とのことだったという。

(4)安全保障というと、政治家・マスコミ・評論家・それらに影響される庶民が考えることは、とかく軍事対応。尖閣諸島沖で中国漁船と海上保安庁の巡視船がぶつかったといえば直ぐに軍事対決を考える。
 そして、中国や北朝鮮の軍事力の増強・核開発に対抗して自らの軍事力を(日米同盟・沖縄基地・「核の傘」も)「抑止力」と称して維持・強化しようとする。
 しかし、中国・北朝鮮のそれを招いてきたのは、日米自らが他に先行して、これまでかくも軍事力(中国・北朝鮮などにとっては、それらは脅威)を増強してきたからにほかならない。
 相手に軍事力増強・核開発をやめさせるには、彼らをはるかに上回る自らの軍事力を縮減し、核は廃絶しなければならず、それなくして一方的に相手にのみそれを求めても応じないのは当たり前。
 戦争や武力の行使・威嚇(脅し)では相手国(その政権を倒すことはできても国民)を従わせることはできないし、問題が解決しないことは、今や(イラク・アフガニスタンなどを見れば)明らか。
 軍備はそれほど役には立たず、巨額のムダ遣いとなることが多く、それこそ事業仕分けの対象。軍事で儲かる軍需産業・バイヤー(「死の商人」)・それらと癒着する防衛官僚(「安保マフィア」)に税金が食い物にされてはならないし、日米両国にいる「安保で飯を食べている人たち」の思惑に支配されるようなことがあってはならないのである。
 21世紀いまや、どの国も安全保障は、軍事には頼ることなく、経済・文化の交流・協力と外交、それらの枠組み結成によって確保される(ASEAN諸国がめざしているような不戦共同体を北東アジアにもつくって東アジア共同体をめざす)時代なのである。それらこそが戦争抑止力となるのである。(東南アジアにはかつてアメリカを中心とした軍事同盟SEATOがあったが、ベトナム戦争後に解消され、米軍基地はフィリピンを最後にこの地域からすべて撤去された。このような軍事同盟に代わって非軍事的な安全保障の枠組みとしてASAEAN「東南アジア諸国連合」が結成、TAC「東南アジア友好協力条約」を締結して武力行使・威嚇の放棄、紛争の平和的手段による解決を原則とした。これには日本・中国・韓国・ロシアそれにEU、最近になってはアメリカまでも加盟するに至っている。)
(5)1月の名護市長選挙は辺野古移設受け入れ反対の市長が当選、今月は同市議会議員選挙が行われて、移設受け入れ反対派が圧勝した。沖縄では、これから11月知事選挙があって、沖縄県全体の民意が示されることになっているが、辺野古移設容認へ逆転ということにはならないだろう。菅政権は「受け入れを説得する」という方針に変わりないとしているが、説得は不可能だろう。
 宜野湾市民は普天間基地の即時撤去・返還を求め、名護市民は移設受け入れ反対、沖縄県民も辺野古への移設・新基地建設の日米合意撤回を求めてアメリカと交渉をすることを政府に求め続けるだろう。本土の我々はそれを精一杯応援しなければなるまい。

2010年09月21日

歳祝ありがとう!

 先日は当方の中学校時代の同期会が「古稀」を期して開かれた。案内状に「同期会は今回で最後」とあったので、出ないわけにはいくまいと思って出た。
 卒業時400名以上(50人学級8クラス)。集まったのは90名ほど。10%以上が亡くなったとのこと。担任の先生方は8名中、ご存命で出席されたのは2人(一人は女ご先生で「米寿」の歳、車椅子だった。もう一人は男先生で82歳とのこと。彼は、教員は早期に退職し、この地方で有名な亀岡文殊の住職になられており、一同「お守り」を戴いた)。当方の担任は昨年81歳で亡くなられた(当方が52歳の頃のクラス会にはお出でになられたが、還暦祝いのクラス会には既にご病気で来られなかった)。
 この同期会の1日後、当方の教え子たちの2クラス合同クラス会が、高校卒業45周年と当方の古稀の祝を兼ねて催され、20名ほど集まった。この先7年後、彼らの古稀と当方の喜寿、両方の歳祝を兼ねて「またやることにします」とのこと。それまで生きていなければならないことになったわけだ。よーし!(糖尿病を抑えるため日頃励行している一合晩酌は、今回は一時規制解除で諸君と盃を酌み交わし深酒をしてしまったので、とりあえず一週間禁酒。)
 この度は、皆さん、ありがとうね!

2010年09月23日

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「喜ぶ少女」北村西望(長崎平和記念像の作者)の作

2010年09月30日

尖閣問題―日中対立(加筆修正版)

尖閣諸島―東シナ海域にある魚釣島(中国語は釣魚島)・南小島・北小島・赤尾嶼・黄尾嶼など、いずれも無人島
領有権―日中双方が主張
日本側―「日本固有の領土」「東シナ海に領土問題は存在しない」と。
 1895年(日清戦争中)「先占」(それに先だつ85年から調査、無主の島であることを確認のうえ他国に先駆けて占有―国際法上の領有権確立)、沖縄県に編入、以来、実効支配
 当初、福岡県の実業家・古賀辰四郎氏に国が貸与・払い下げ、1972~78年、古賀家から埼玉県大宮の実業家・栗原国起氏に売却・譲渡、栗原氏が登記簿上の所有者となる。(要するに島は個人の私有地になっているのだ。)それを2002年、国(総務省)が栗原家から年間2千5百万円で借り上げ現在に至る。
 戦前、島に「かつお節工場」(古賀氏が建設)
 近海では沖縄などの漁民が操業
中国側―明の時代(1368~1644年)以来「中国固有の領土」「日中間に領土問題は存在する」と。
 文献(古文書)に膨大な記録、そこに「釣魚島」の名が記載。日本人学者にも(故・井上清京都大学教授、村田忠禧横浜国立大学教授ら)中国説を支持する主張あり。
 倭寇などに対抗する海上防衛区域の島嶼で、台湾の付属島嶼。台湾漁民が操業
 中国と琉球との間の境界は赤尾嶼と久米島の間だと。
 1879年、清の李鴻章が日本と交渉、琉球に魚釣島は含まれていないことを確認。
 日清戦争戦争で(下関条約で台湾とともに日本領に編入)、日本政府はこれらの島を「かすめとった」と。
 大戦後、台湾とともに中国に返還さるべきものだった、と。

アメリカ―第2次大戦後、沖縄とともに施政権下に。
 米海軍の射爆訓練の標的として利用

1968年、東シナ海の海底に石油資源埋蔵が判明   
1970年、台湾政府、魚釣島に「中華民国」国旗を立てる。
    中国政府も「中国領」と。
1971年沖縄返還協定で施政権返還(ただし、それは「領有権」の返還を意味せず、この問題は当事者どうしの話し合いで解決することがお望ましい、との方針)
1978年4月、魚釣島周辺に中国漁船100隻以上集結うち10~40隻が日本が主張する領海で操業(多くが小銃・機銃で武装)
同年8月、日本の民間政治団体(日本青年社)が魚釣島に灯台を建設。
同年12月、日中平和友好条約―条約そのものには尖閣諸島は触れず。批准書交換で来日した鄧小平(副主席)は「次の世代の知恵でよい解決方法を見出すべきだ」と。(「棚上げ」へ)以後日本の実効支配は黙認するも、日本がそのことで何か言うと反論)
1992年、中国―領海法に尖閣を中国領として定める
1997年5月、新進党国会議員の西村氏が上陸(石原都知事が応援)
同年11月、日中漁業協定締結(発効は2000年)―排他的経済水域(EEZ)の境界画定交渉―日本側「200海里説」(相互に重なり合う中間線を主張)に対して中国側「大陸棚説」―交渉継続―画定までの間、暫定的措置を導入―尖閣諸島(領有権は棚上げ)の周辺海域は既存の漁業秩序を維持―領海は別として排他的経済水域は、そこでは互いに排除し合うことなく「入会い」区域として双方ともそこで魚を獲ってもいいことにし、管理は、それぞれ自国の漁船は自国で取り締まることとする。
2004年、中国人7人が魚釣島に上陸、沖縄県警が逮捕・強制退去させる。北京で活動家 50人がこれに抗議、日本大使館前で「日の丸」を焼いて気炎をあげる。
2005年、日本政府が魚釣島灯台を国有化

今回事件)、尖閣沖合いで中国漁船が操業、日本領海を侵犯したのを排除しようとした海保巡視艇に一隻が「体当たり」、海保は悪質な「公務執行妨害」として船員を逮捕・送検・拘留、船員釈放後も船長だけ拘留・延長(日本政府―「日本の国内法に従って粛々と司法手続き」と)。
中国側―船長の即時・無条件釈放を要求
  東シナ海ガス田条約交渉・延期
  航空交渉・中断
  閣僚級以上の交流停止
  「日本青年上海万博訪問団」など若者の民間交流も停止
  日本観光キャンセル
  レアアース禁輸
日本側―官房長官「日本も中国も、あまり偏狭で極端なナショナリズムを刺激しないことを政府の担当者として心すべきだ。エスカレートしないかっこうで解決することをあらゆるチャンネルを使って要請したい」と。
 那覇市議会―中国政府に抗議決議、日本政府に中国に対して毅然たる対処を求める意見書。
 那覇地検―船長を「処分保留」のまま釈放(その理由の一つに「国民への影響や今後の日中関係を考慮」して、と。中国側は、その後、「日本の措置は『不法で無効』だ」とし、謝罪と賠償を求める声明。日本側は拒否。)
 沖縄県議会―日中両政府に抗議(日本政府には船長釈放に抗議)その他いくつかの地方議会も。
 仲井沖縄県知事(11月知事選を控えている)は、尖閣諸島の視察に「早めにぜひ行きたい」と。
 石原都知事は訪中を中止、「国の防衛の基本ができていない。外務省は腰が抜けている」と日本政府の対応を批判。

日中それぞれに反中・反日ナショナリズムが自国の反政府・政府批判に向かいがち(「弱腰外交だ」とか「なめられている」とか)。政治家やメディアが煽って政府を突き上げる。それで強硬外交をとりがちとなる。
アメリカの対応― 尖閣諸島は「日米安保(日本防衛義務)の適用対象」。ただし、この問題では中立―「仲介はしない」、「自由航行の保証を望む」と。
 アジア・西太平洋(東シナ海・南シナ海)への軍事プレゼンス(「抑止力」)と日米同盟は維持・強化へ(日本も呼応―P3C哨戒機による警戒監視活動など日米連携・分担。普天間基地の辺野古移設とともに沖縄基地の維持も?「日本の政権内には、尖閣問題を逆手に取って、米軍普天間飛行場の移設問題を動かすテコにしようという思惑もある。『沖縄がいかに重要な場所にあるか、脅威が身近にあるかを国民、沖縄県民が認識した』というわけだ」―朝日10.2『向龍時代』)
 しかし、この尖閣諸島のために日本を加勢して米軍兵士が中国軍と戦って血を流すことを米国政府は受け入れるだろうか。
 貿易や人的交流では日米よりも米中のほうが緊密なのだ。(貿易額は日米のそれより2,5倍も多く、アメリカから中国へ訪れる人々の数は、日本へ訪れる人よりも100万人も多いという。)
課題
①領土問題については原理・原則は貫き、その政治的意思を明確にすること。
(国際司法裁判所に提訴すれば、日本側が勝てると思われるが、「領土問題は存在しない」としているかぎり、日本政府自身がとりあうまい。)
紛糾事態の沈静化
②国家間の対立激化・紛争は回避―領土問題は「棚上げ」(凍結)続行(日本側は黙って実効支配を続けるのみ、中国側は何も言わない―しかし、何かをすると大騒ぎる)。
 それとも互いに「ここは我が国固有の領土だ」と領有権を主張しあい、言い争うのか。そして海の現場では両国漁民・「巡視船」・「監視船」がぶつかりあうのか。
③紛争を未然に解決する方法・仕組み(メカニズム)を両国で知恵を尽くして構築。
 海域の共同管理・共同利用(資源の共同開発・共同漁場など)への道を追求。
 (ロシアとノルウェーはバレンツ海をめぐって40年間対立してきたが、今年、両国が歩み寄り、天然ガスなどの海底エネルギー資源の共同開発を視野に、バレンツ海域における両国間の権利と境界を区別し、海域を2等分する形で合意。)
 (スペイン南端のジブラルタルはイギリス領だが海峡はスペイン・イギリス両国の共同主権)(南極には我が国も他の国も観測基地を置いてはいるが、領土権はどの国にもない―南極条約)
 (早稲田大学の天児慧教授は「国家主権」は「不変不可侵の固有概念ではなく、可変的な歴史概念」要するに絶対的なものではないとして、グローバリゼーションの進んだ現代にあっては「脱国家主権」の新発想が必要で、領土・領海の係争地域には共同主権の「政治特別区」として協力・依存関係の構築を提唱している―9月22日・朝日新聞に掲載)

 いずれにしても、東シナ海を「紛争の海」とはせずに「平和・協力の海」に。
 そして沖縄は「基地の島」から「平和の島」へ

  
孫はテレビのニュースを見て、「中国は嫌いだ!」とつぶやいた。「だけど、戦争だけはまずい」とも。
 そこで、彼に教えておかなければならないことは、「これからの世の中、世界の人々と付き合っていかないと生きてはいけないが、中国人だけのけ者にしても、かえってこっちの方が割を食うことになるのだ」ということ。
 なにしろ世界の5人に1人は中国人で、彼らは中国国内だけでなく、「華僑」として世界のあちこちで暮らしているんだ。
 日本が外国から買ってもらっているのは(アメリカから16%)中国からは24%で一番買ってもらっているが、中国のほうは(一番買ってもらっているのはEU諸国からで、2番目がアメリカ)日本からは8%しか買ってもらっていない。
 日本から中国へ行ってる観光客は340万以上なのに対して、日本に来る中国人観光客は101万人で、日本から行ってやってるほうが多いが、パーセントでいえば、(340万というのは)中国を訪れる外国人全体(1億3,000万人)の2,6%にすぎず、中国から来てもらっている観光客(昨年101万人)は日本に来る外国人全体の17,7%、今年は前半だけで104万人、買い物など金額では22%にもなっていて、中国から来てもらっているほうがけた違いに多いのだ。(データは朝日ニュースターの番組パックイン・ジャーナルでのコメンテータ田岡氏から。)
 孫が着ているモンテディオ山形のユニフォーム・シャツには”MADE IN CHINA”とあった。
 朝日新聞10月2日の「声」欄に次のような大学生の投稿があったので孫に(噛み砕いて)読んでやった。
 「『君たちと会って、日本が好きになったよ』。昨夏から1年間のイギリス留学中に中国人留学生たちが言った言葉だ。当初疎遠だった私たちは戦争の話もする本当の友達になっていた。・・・(略)
 事件発生後いかにうまく処理するかは外交の手腕だ。しかし実は、中国人の心底にある対日感情を変えていくことがより大切なのではないか。中国政府の強硬姿勢も、感情を背景にしてこそだ。もし漁船の船長が親日家だったなら巡視船衝突という選択をしなかったかもしれない。今回の件で日中政府の対応を責める前に、事件の根底にある国民感情を見つめ直す必要はないか。
 国益を追求するだけの外交より、日本が好きという外国人を一人でも増やすことがより良い外交につながるのではないか。私は自分にできる小さな『外交』を続けたい。」

 こんなふうに思っているお姉ちゃんもいるんだよ。

 <参考>―金子利喜男「世界の領土・境界紛争と国際裁判」明石書店
    横山宏章「反日と反中」集英社新書
    インターネットの尖閣問題関連サイト

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