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2010年08月 アーカイブ

2010年08月01日

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2010年08月04日

議員定数削減は筋違い(完成版)

 菅首相は参院選に臨んで消費税増税を打ち出したが、それとともに「衆院比例80、参院40程度の削減」をも公約にしていた。しかし選挙の結果は、与党は大幅に議席を減らし政権に対する不信が大きく表れた。
 その後、首相は消費税増税には及び腰となったが、増税の前に「まずはムダの削減」、「国会議員自身が身を切ることだ」として、議員定数削減のほうを言いだした。(それを朝日は「臨時国会召集日に記者会見で、今後何をめざすのか、その数少ない具体案、唯一の目玉」だと書いている。)
 しかし、議員定数削減は議会制民主主義の根幹に関わる問題であって、単に財政の都合で減らしたり増やしたりする筋合いのものではない。
 そもそも民主政治は国民の意思に従って行う政治であり、成人に達した国民は全員国政に参加することが理想なのであり、デモクラシーの発祥地アテネなどで実際それが行われたこともあったが、人口など大規模で複雑な現代国家においては全員が一堂に会することは不可能なので、国民が選挙で選んだ代表に限定して国会を開くようにしている(間接民主制)のであって、それは単に物理的な理由からにほかならない。そういう意味では、一堂に集まれるだけ集ることのできる最大限の人数を議員定数とすべきなのである。(論理的にはそういうことになる。)
 その議員定数を減らすなどというのは議会制民主主義の逆行にほかならない。
 「身を切る」といっても、それは議員報酬(歳費など)を減額するのなら話しはわかるが、議員定数を削減するというのは、主権者国民にとっては、その意思・願いを託し、自らに代わって要求・意見を代弁してもらおうとする権利、あるいは自分たちの代表(議員)を立てようとする権利が削られるということにほかならないのであって、実際に削られるのは中小政党とそれを支持する民意にほかならない。それを「国会議員自身が身を切る」などというのはズルい国民ダマしだ。

 我が国は、国会議員が他国に比べて(人口比に対する議員数が)多すぎるという向きがあるが、それはアメリカとだけ比べて多いといっているのであって、ヨーロッパ諸国と比べればどの国よりも少ないのである。

 実際、いてもいなくてもいいような無駄な議員がいることも事実だが、それは選んだ方の問題、つまり、そのような人物に投票した有権者側の知識・判断力の問題にほかならない。議員定数を減らせば、おのずから有能でまともな人物が選ばれるという保証があるわけではなく、かえって有能でまともな人物が落選させられるという結果にもなるのだ(今回の選挙でも、前の国会議員で、論客と目され、国会内外でしばしば的を射た発言をおこない、国会になくてはならない存在だと思われるような惜しい人が落選している)。
 政治不信は、それまで選ばれてきた議員(それに、その中から選ばれてきた総理大臣とそれが任命してきた大臣たち)が招いたのであって、選ばれなかった候補者たちが招いたものではない。落選した彼らが議員になっていれば、政治不信などなかったかもしれないのだ。政治不信は当選して議員になっている者たちのせいなのであって、議員定数が多すぎるせいではないのだ。
 「いい加減な議員が多い」「働かない議員が多い」との政治不信に乗じ、「そんな議員はいらない」との国民感情を利用して、議員定数を削減し、消費税増税・日米同盟堅持・改憲などに反対する政党議員を切り捨てて、これらの政策・路線を押し通そうという思惑があるのだろうが、それはとんでもないことだ。

 民主党マニフェストの議員定数削減案は比例代表のほうを削減するというものだが、それでは小選挙区で二大政党のどちら側かしか選ばれないことになり、少数政党の議席の多くは切り捨てられてしまうことになる。
 衆院の比例代表定数を80削減すればどうなるか。昨年の総選挙結果で試算すると民主党は比例代表42.4%の得票率で、小選挙区の分も含め衆院議席68.5%を占め、3分の2以上(法案が参院で否決されても衆院で再議決できる数)の議席を得ることになる。一方、自民党は得票率26.7%で議席23.5%、議席占有率は比例得票率とほぼ同じだが、その他の小政党は全部合わせて得票率30.8%を得ながらも、議席はわずか8%だけ、ということになる。
 民主党にとっては全く都合のいいやり方で、党利党略もいいところ。そればかりか一党独裁的な強権政治にはしりがちな危険性もある。
 民主党という党名に反する、どこかの国のような多数派独裁の体制にもなりかねない由々しき一大事、といったら言い過ぎだろうか。 

 国民の間には、実に様々な生活基盤・生活信条・意見・要望(民意の多様性)があり、その中で少数ではあっても、それらの人々の深刻で切実な願い・要望を代弁してくれる少数政党の議員が国会にいなくなるということは、それら立場が弱く困っている人々の願い・要望が国会には全く届けられなくなってしまうということなのだ。たとえば消費税を上げられては困る人々、職や仕事がなくて困っている人々、派遣切りにあって困っている人たち、学費で困っている人たち、米軍基地で困っている人々、感染症で困っている人たち等々、彼らの声を正面から取り上げて国会の場で訴えてくれる政党・議員がいなくなってしまうということになるのだ。

 財政上のムダということで、議員活動がその月は実質たった数日だけなのに月割りで一月分の歳費が支給されるなど議員歳費のムダを問題にすること自体はおかしくない。議員歳費日割り法案が出ているが、それは秋の臨時国会で審議されることのようだ。とりあえずは今回の参院選で当選した議員に限って「自主返納」方式(いったん支給された歳費を日割り計算して自主返納するということ―任期は7月26日からで、7月分歳費129万7千円のうち 104万円を返納)で対応する動きになっている(自主返納法案は今国会で成立)。

 それから、原口総務大臣は来年度予算に関連して、政党交付金の削減を議論する必要があるとの認識を示したとのことであるが、これは的を射ている。政党交付金(政党助成金)はそもそも不合理なもの(各党に、議席に応じて配分され、民主党ついで自民党にゴソっと分配されている。税金が、これらの党を支持していない人の分までそこに流用されている。近代政党は党員が出し合う党費と支持者のカンパのみによって資金は賄われるべきものなのに)であり、ムダの削減というなら、この政党助成金こそ全面カットしてもいいのだ。(衆参議員定数それぞれ80人・40人を削減すれば、各議員の歳費・立法事務費・秘書給与など合わせて合計84億円。それに対して政党助成金は320億円にもなるのだ。)

 それを、消費税の増税を国民から受け入れてもらえるように、まずはムダを削減すると称して、国民の政治不信を逆手に取って(いい加減な政治家―いなくてもよいムダな議員」と感じる不信感に乗じて)、「国会議員なんか減らせばいいんだ」と単純に考えがちな大衆の受けをねらって「ムダを削減するために議員定数削減を断行する」。そうして消費税増税に反対する政党や議員の議席を奪った上で、その法案をすんなり通せるようにする、というわけである。なんというズルいやり方だ。それは消費税増税のみならず、日米同盟の「深化」・米軍基地の永続その他、改憲発議までも、国会では万事、二大政党の思惑通り一方的にすんなり決められてしまうようになる、ということだ。
 
 菅首相は議員定数削減案を12月までに与野党で合意、実行まで企図している。それは阻止しなければならないが、同時に、衆院の場合、現在の小選挙区主体の比例代表並立制(民主党は衆院比例部分を削減して、小選挙区部分4分の2.5を4分の3に増やそうとしている)を、全体の定数はそのままに小選挙区のほう(二大政党のどちらか一人しか当選できず、大半の投票は「死に票」になってしまい、著しく民意を歪める)を廃止して、その分を比例代表(民意を最も正確に反映するやり方)に変え、全員を比例代表で選ぶようにするなど選挙制度そのものの改変にも取り組まなければなるまい。 

 

2010年08月12日

「核依存症」社説に疑問

 広島市長が「核の傘」から離脱を促したのに対して、首相が核抑止力は引き続き必要だと述べたことを、本紙社説は「すぐに核の傘から離脱することは現実には困難」であり、「首相の言う通りだ」とし、世界の核依存を「減らしていく」外交を積極的に展開することによって「非核日本の道理を世界にアピールできる」、そうして「核依存症から抜け出そう」と書いている。あたかも「吸引をきっぱり絶つことなく、本数を減らして依存症から抜け出そう」と言っているようにも思える。
 アメリカには核廃絶を求めずにその核抑止力に依存し続けながら、いくら「相手の核使用抑止以外には核を使わないようにする」など「世界の核依存を減らしていく外交」を展開して、北朝鮮などに核の放棄を要求し、諸国に核廃絶を促しても、国々は納得してそれに応じようとするだろうか。やはり「日本は矛盾している」との不信感を払うことはできないだろう。
 「すぐに・・・は困難」だというが、「核の傘から離脱する」とは、必ずしも「同盟から離脱」するというわけではなく、ただ「アメリカにも核廃絶を求める」というだけのことで、我が国政府がその気になれば済む話。既に国是としている非核三原則を堅持し、その上、同盟国アメリカにも核廃絶を求めてこそ、「非核日本の道理」が通用し、「核廃絶への道」の先頭に立つ資格が得られるというものではあるまいか。

2010年08月25日

議員定数削減の理由は?(訂正版)

 議員定数削減。菅首相が提起しているこの問題は我が国の議会制民主主義の根幹に関わる大問題。
 彼および民主党がこれを持ち出した理由はそもそも何なのか。
 財政難を打開するべく、少しでも財政負担を減らすためだというのだろうが、それが、それよりもはるかに金額の多い政党助成金などではなく、なぜ国会議員定数削減でなければならないのか。

 日本の国会議員が多すぎるという根拠はない。アメリカより多いというが、ヨーロッパ諸国から比べれば、それらのどこよりも少ないのだ。
 アメリカは連邦議会の議員は少ないが、この国は50州に分かれており、各州には軍事・外交など以外は独自の権限をもつ州政府とともに上下2院の議会があり、州議会のすべての議員を合計すれば、下院だけで5,000人以上にものぼる。このようなアメリカと比べるのは、そもそもおかしいのだ。

 にもかかわらず削減する理由はいったい何なのか。
 CS放送の朝日ニュースターの番組「闘え!山里ジャーナル」は先日(8月21日)この問題をテーマに取り上げていた。(ゲスト出演者:民主党議員の伴野氏、共産党議員の穀田氏、NPOドットジュービー事務局次長の北島優子氏。コメンテーター:朝日新聞編集委員の曽我氏・安井氏、週間朝日編集長の山口氏)そこで解ったことなのだが、どうやらそれは次のようなことのようだ。
①一般国民の国会議員に対するイメージ―高いカネをもらっていながら、たいした仕事をしていない議員が多く、「特権階級」と見なされている。
②国民に消費税増税など「痛み」を求める(「辛い事」をお願いする)うえで、それを
国民から受け容れてもらえるように、「議員自ら身を削る」という姿勢を示す。―しかし、消費税1%税率アップで2兆6千億円の国民負担増。それにひきかえ、議員が「身を削る」といっても、(議員1人当り年間7千万円として)120名(衆院80名、参院40名)の削減で、その金額は総計わずか84億円程度にしかならないし、バランス上も極めて合理性に乏しいのだが、①のような思いを持つ国民感情にはアピールしやすく、「国民受け」する(情緒的・象徴的効果をもつ)と考えたわけだ。
③議員定数を削減するにしても、それがなぜ(選挙区部分ではなく)比例部分なのかといえば、各都道府県選挙区の定数を削減するとなると、それら(削減する選挙区)の有権者の納得を得るのは容易でなく、手っ取り早く比例部分のほうから削減してしまおう、というわけだ。

 要するに、このような国会議員定数削減案は、なんら合理的な根拠に基づいてはおらず、「思惑」から発想している、ということ。
 ①②③のような現実があることも確かだが、だからと言って、このように議員定数を削減してしまったら、(少数政党は切り捨てられ、国会に多様な民意が反映されなくなるなど)そのデメリットは余りに大きく、我が国の議会制民主主義を著しく損なうものとなるだろう。

 「ムダを削る」というのであれば、政党助成金(年間320億円―国会議員450人分の経費に相当。議席数に応じて配分され、民主党・自民党2党で85%を山分けしている、それらの党を支持していない国民にとっては、税金で強制的に献金させられているようなもの)こそカットすればいい話なのだ。

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