尖閣諸島―東シナ海域にある魚釣島(中国語は釣魚島)・南小島・北小島・赤尾嶼・黄尾嶼など、いずれも無人島
領有権―日中双方が主張
日本側―「日本固有の領土」「東シナ海に領土問題は存在しない」と。
1895年(日清戦争中)「先占」(それに先だつ85年から調査、無主の島であることを確認のうえ他国に先駆けて占有―国際法上の領有権確立)、沖縄県に編入、以来、実効支配
当初、福岡県の実業家・古賀辰四郎氏に国が貸与・払い下げ、1972~78年、古賀家から埼玉県大宮の実業家・栗原国起氏に売却・譲渡、栗原氏が登記簿上の所有者となる。(要するに島は個人の私有地になっているのだ。)それを2002年、国(総務省)が栗原家から年間2千5百万円で借り上げ現在に至る。
戦前、島に「かつお節工場」(古賀氏が建設)
近海では沖縄などの漁民が操業
中国側―明の時代(1368~1644年)以来「中国固有の領土」「日中間に領土問題は存在する」と。
文献(古文書)に膨大な記録、そこに「釣魚島」の名が記載。日本人学者にも(故・井上清京都大学教授、村田忠禧横浜国立大学教授ら)中国説を支持する主張あり。
倭寇などに対抗する海上防衛区域の島嶼で、台湾の付属島嶼。台湾漁民が操業
中国と琉球との間の境界は赤尾嶼と久米島の間だと。
1879年、清の李鴻章が日本と交渉、琉球に魚釣島は含まれていないことを確認。
日清戦争戦争で(下関条約で台湾とともに日本領に編入)、日本政府はこれらの島を「かすめとった」と。
大戦後、台湾とともに中国に返還さるべきものだった、と。アメリカ―第2次大戦後、沖縄とともに施政権下に。
米海軍の射爆訓練の標的として利用1968年、東シナ海の海底に石油資源埋蔵が判明
1970年、台湾政府、魚釣島に「中華民国」国旗を立てる。
中国政府も「中国領」と。
1971年沖縄返還協定で施政権返還(ただし、それは「領有権」の返還を意味せず、この問題は当事者どうしの話し合いで解決することがお望ましい、との方針)
1978年4月、魚釣島周辺に中国漁船100隻以上集結うち10~40隻が日本が主張する領海で操業(多くが小銃・機銃で武装)
同年8月、日本の民間政治団体(日本青年社)が魚釣島に灯台を建設。
同年12月、日中平和友好条約―条約そのものには尖閣諸島は触れず。批准書交換で来日した鄧小平(副主席)は「次の世代の知恵でよい解決方法を見出すべきだ」と。(「棚上げ」へ)以後日本の実効支配は黙認するも、日本がそのことで何か言うと反論)
1992年、中国―領海法に尖閣を中国領として定める。
1997年5月、新進党国会議員の西村氏が上陸(石原都知事が応援)
同年11月、日中漁業協定締結(発効は2000年)―排他的経済水域(EEZ)の境界画定交渉―日本側「200海里説」(相互に重なり合う中間線を主張)に対して中国側「大陸棚説」―交渉継続―画定までの間、暫定的措置を導入―尖閣諸島(領有権は棚上げ)の周辺海域は既存の漁業秩序を維持―領海は別として排他的経済水域は、そこでは互いに排除し合うことなく「入会い」区域として双方ともそこで魚を獲ってもいいことにし、管理は、それぞれ自国の漁船は自国で取り締まることとする。
2004年、中国人7人が魚釣島に上陸、沖縄県警が逮捕・強制退去させる。北京で活動家 50人がこれに抗議、日本大使館前で「日の丸」を焼いて気炎をあげる。
2005年、日本政府が魚釣島灯台を国有化今回(事件)、尖閣沖合いで中国漁船が操業、日本領海を侵犯したのを排除しようとした海保巡視艇に一隻が「体当たり」、海保は悪質な「公務執行妨害」として船員を逮捕・送検・拘留、船員釈放後も船長だけ拘留・延長(日本政府―「日本の国内法に従って粛々と司法手続き」と)。
中国側―船長の即時・無条件釈放を要求
東シナ海ガス田条約交渉・延期
航空交渉・中断
閣僚級以上の交流停止
「日本青年上海万博訪問団」など若者の民間交流も停止
日本観光キャンセル
レアアース禁輸
日本側―官房長官「日本も中国も、あまり偏狭で極端なナショナリズムを刺激しないことを政府の担当者として心すべきだ。エスカレートしないかっこうで解決することをあらゆるチャンネルを使って要請したい」と。
那覇市議会―中国政府に抗議決議、日本政府に中国に対して毅然たる対処を求める意見書。
那覇地検―船長を「処分保留」のまま釈放(その理由の一つに「国民への影響や今後の日中関係を考慮」して、と。中国側は、その後、「日本の措置は『不法で無効』だ」とし、謝罪と賠償を求める声明。日本側は拒否。)
沖縄県議会―日中両政府に抗議(日本政府には船長釈放に抗議)その他いくつかの地方議会も。
仲井沖縄県知事(11月知事選を控えている)は、尖閣諸島の視察に「早めにぜひ行きたい」と。
石原都知事は訪中を中止、「国の防衛の基本ができていない。外務省は腰が抜けている」と日本政府の対応を批判。日中それぞれに反中・反日ナショナリズムが自国の反政府・政府批判に向かいがち(「弱腰外交だ」とか「なめられている」とか)。政治家やメディアが煽って政府を突き上げる。それで強硬外交をとりがちとなる。
アメリカの対応― 尖閣諸島は「日米安保(日本防衛義務)の適用対象」。ただし、この問題では中立―「仲介はしない」、「自由航行の保証を望む」と。
アジア・西太平洋(東シナ海・南シナ海)への軍事プレゼンス(「抑止力」)と日米同盟は維持・強化へ(日本も呼応―P3C哨戒機による警戒監視活動など日米連携・分担。普天間基地の辺野古移設とともに沖縄基地の維持も?「日本の政権内には、尖閣問題を逆手に取って、米軍普天間飛行場の移設問題を動かすテコにしようという思惑もある。『沖縄がいかに重要な場所にあるか、脅威が身近にあるかを国民、沖縄県民が認識した』というわけだ」―朝日10.2『向龍時代』)
しかし、この尖閣諸島のために日本を加勢して米軍兵士が中国軍と戦って血を流すことを米国政府は受け入れるだろうか。
貿易や人的交流では日米よりも米中のほうが緊密なのだ。(貿易額は日米のそれより2,5倍も多く、アメリカから中国へ訪れる人々の数は、日本へ訪れる人よりも100万人も多いという。)
課題
①領土問題については原理・原則は貫き、その政治的意思を明確にすること。
(国際司法裁判所に提訴すれば、日本側が勝てると思われるが、「領土問題は存在しない」としているかぎり、日本政府自身がとりあうまい。)
紛糾事態の沈静化
②国家間の対立激化・紛争は回避―領土問題は「棚上げ」(凍結)続行(日本側は黙って実効支配を続けるのみ、中国側は何も言わない―しかし、何かをすると大騒ぎる)。
それとも互いに「ここは我が国固有の領土だ」と領有権を主張しあい、言い争うのか。そして海の現場では両国漁民・「巡視船」・「監視船」がぶつかりあうのか。
③紛争を未然に解決する方法・仕組み(メカニズム)を両国で知恵を尽くして構築。
海域の共同管理・共同利用(資源の共同開発・共同漁場など)への道を追求。
(ロシアとノルウェーはバレンツ海をめぐって40年間対立してきたが、今年、両国が歩み寄り、天然ガスなどの海底エネルギー資源の共同開発を視野に、バレンツ海域における両国間の権利と境界を区別し、海域を2等分する形で合意。)
(スペイン南端のジブラルタルはイギリス領だが海峡はスペイン・イギリス両国の共同主権)(南極には我が国も他の国も観測基地を置いてはいるが、領土権はどの国にもない―南極条約)
(早稲田大学の天児慧教授は「国家主権」は「不変不可侵の固有概念ではなく、可変的な歴史概念」要するに絶対的なものではないとして、グローバリゼーションの進んだ現代にあっては「脱国家主権」の新発想が必要で、領土・領海の係争地域には共同主権の「政治特別区」として協力・依存関係の構築を提唱している―9月22日・朝日新聞に掲載)いずれにしても、東シナ海を「紛争の海」とはせずに「平和・協力の海」に。
そして沖縄は「基地の島」から「平和の島」へ。
孫はテレビのニュースを見て、「中国は嫌いだ!」とつぶやいた。「だけど、戦争だけはまずい」とも。
そこで、彼に教えておかなければならないことは、「これからの世の中、世界の人々と付き合っていかないと生きてはいけないが、中国人だけのけ者にしても、かえってこっちの方が割を食うことになるのだ」ということ。
なにしろ世界の5人に1人は中国人で、彼らは中国国内だけでなく、「華僑」として世界のあちこちで暮らしているんだ。
日本が外国から買ってもらっているのは(アメリカから16%)中国からは24%で一番買ってもらっているが、中国のほうは(一番買ってもらっているのはEU諸国からで、2番目がアメリカ)日本からは8%しか買ってもらっていない。
日本から中国へ行ってる観光客は340万以上なのに対して、日本に来る中国人観光客は101万人で、日本から行ってやってるほうが多いが、パーセントでいえば、(340万というのは)中国を訪れる外国人全体(1億3,000万人)の2,6%にすぎず、中国から来てもらっている観光客(昨年101万人)は日本に来る外国人全体の17,7%、今年は前半だけで104万人、買い物など金額では22%にもなっていて、中国から来てもらっているほうがけた違いに多いのだ。(データは朝日ニュースターの番組パックイン・ジャーナルでのコメンテータ田岡氏から。)
孫が着ているモンテディオ山形のユニフォーム・シャツには”MADE IN CHINA”とあった。
朝日新聞10月2日の「声」欄に次のような大学生の投稿があったので孫に(噛み砕いて)読んでやった。
「『君たちと会って、日本が好きになったよ』。昨夏から1年間のイギリス留学中に中国人留学生たちが言った言葉だ。当初疎遠だった私たちは戦争の話もする本当の友達になっていた。・・・(略)
事件発生後いかにうまく処理するかは外交の手腕だ。しかし実は、中国人の心底にある対日感情を変えていくことがより大切なのではないか。中国政府の強硬姿勢も、感情を背景にしてこそだ。もし漁船の船長が親日家だったなら巡視船衝突という選択をしなかったかもしれない。今回の件で日中政府の対応を責める前に、事件の根底にある国民感情を見つめ直す必要はないか。
国益を追求するだけの外交より、日本が好きという外国人を一人でも増やすことがより良い外交につながるのではないか。私は自分にできる小さな『外交』を続けたい。」こんなふうに思っているお姉ちゃんもいるんだよ。
<参考>―金子利喜男「世界の領土・境界紛争と国際裁判」明石書店
横山宏章「反日と反中」集英社新書
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