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2007年01月 アーカイブ

2007年01月13日

9条堅持の方が妥当

13日の本紙に、「私の視点」・「9条『理想論』で悪いのか」と、「声」・「自衛隊の存在、憲法で認めよ」とがありました。

 一方は、「現実に『法』を合わせるのではなく、『法』に現実を合わせるというのが、法制定の根拠」だと。

もう一方は、「災害や災難はいつどこで遭うか」分からないと。だから災害復興支援隊や、拉致・密輸などに対する国境警備隊といったものは必要不可欠でしょう。しかし「他国が攻めてくる」という場合は、どの国が、どういう場合に攻めてくるのか。その国は、こちら側が何か仕掛けないかぎりは、攻めてくることはあり得ないとか、どうすれば暴発を回避できるか、とかは前もって分かることであり、説得・交渉(取引)などによって回避できることであって、それを自然災害や災難と一緒に考えるのはおかしい。

 現実は、超大国が圧倒的戦力を以てしても、武力行使は結局失敗だったということ、それでも我が自衛隊は、憲法のおかげで戦闘の犠牲者は一人も出していないということである。

 このような現実を踏まえれば、我が国民にとって国を守る最善の方法は、現行の非戦憲法を堅持し、「平和国家」として諸国民の信頼を維持し、非軍事・平和的国際貢献に徹することなのではないでしょうか。

2007年01月14日

参院選の争点は?

安倍首相は任期中に改憲を果たすとしており、年頭記者会見でそれを参院選の争点にすると言明している。

改憲は、戦後、自民党結党当初からの宿願であり、首相にとっては祖父以来の悲願。昨今、国民の多くは、日々の暮らしや社会の様相に焦燥と不安をつのらせている。それに北朝鮮問題。

戦後の大部分にわたって政権を担当してきた自民党は、それらの危機を自らの政策のせいではなく、憲法などの「戦後レジーム」のせいにして、首相はそこからの「脱却」ということを謳い文句にしている。

「新教育基本法」は自公だけで成立させ、「防衛省」法は民主党も賛成して一気に成立させた。これから始まる通常国会では「改憲手続き」法案も自公と民主党の間で合意して成立の運びとなるのだろう。

あとは、参院選で改憲反対派を3分の1以下に抑え込んで、衆参両院での改憲発議にこぎつけるというわけか。
しかし、危機をもたらした真の原因ははたして憲法にあるのか、それとも自民党のこれまでの政策にあるのか、どっちなのか。それこそが争点なのであって、今度の参院選は、単に「改憲に賛成か反対か」ではなく、「自民党の改憲を含めた諸政策に賛成か反対か」の選挙だ、ということになるのではないだろうか。

2007年01月19日

「美しい国憲法」で孫たちは

(1)この国に不安

幼稚園のお便り帳に先生が書いてよこしたその中に、「大きくなったら何に」と訊いたら、孫は「アメリカを守る人になりたいです」と答えたという。「でかい夢で何よりです」とあった。

妻がそれを読んで本人に訊くと、「アメリカでピストルの先生になる」「アメリカに居る間、バーバとはメールでやり取りするから心配いらない」と。

彼は、世の中にたいしても、自分の将来にたいしても、何の不安・心配も今は感じていない。しかし、この春から小学生。これから段々と・・・・。

現行憲法は、すべての国民に、健康で文化的な最低限度の生活を保障し、それぞれ幸福を追求して生きることを権利として認め、あわせて勤労の権利、就学の権利(教育を受ける権利)を認め、平和・安全で自由な暮らしを保障している。

 ところが今、この国に希望が持てず不安を感じているという向きがかつてなく多くなってきている。新聞社による意識調査(1月5日付朝日新聞の定期国民意識調査)では次のようなぐあいである。

今の日本は人々が希望を持てる社会だと思いますか。

  「希望を持てる社会」だと思う (25~35歳)29% 全体で30%

  「希望を持てない社会」だと思う(25~35歳)64% 全体で59%

これからの日本はどうなっていくと思いますか。

  「今よりよくなる」    (25~35歳) 9% 全体で 9% 
  「悪くなる」 (25~35歳)28% 全体で31%
  「あまり変わらない」  (25~35歳)61% 全体で55%

自分の将来について期待と不安とでどちらが大きいですか。

  「期待」        (25~35歳)33% 全体で24%
  「不安」        (25~35歳)64% 全体で67%
このような人々の不安感の広がりは、政府がこれまで進めてきた政策・失政の結果であることは否めまい。

とくに、前政権から進められてきた「構造改革」―アメリカの新自由主義(反福祉国家)の考え方で、何もかも市場―個々人の売買・取引―にまかせた方がうまくいくという考え方(市場原理至上主義)のもとに、各種の公共サービス、郵政に福祉に教育・医療、それに農業までも規制緩和(起業・事業参入の規制を緩和・撤廃し、雇用規制を緩和して派遣労働・不正規雇用を拡大し、解雇条件の緩和を図るなど)もしくは民営化して、政府や行政は手を引く(「小さな政府」「官から民へ」)というやり方。何もかも個々人の自助努力・自己責任に帰せられ、うまくいかなければ、それは本人の努力が足りないか、無能のせいで、本人の責任だとなる。資本と企業の論理で、グローバル化して激化する国際競争の中で生き残るためにはこうするしかないとして、企業の競争力の維持・向上を第一にして、それ以外のこと(労働者の権利や庶民の生活の安定・向上)は、「欲しがりません、勝つまでは」として、二の次にされるか、犠牲にされる(競争力至上主義)。

これら財界・大企業本位の「構造改革」政策によって、グローバル経済の下、世界にまたがって個人間・業者間に熾烈な生き残り競争・弱肉強食の競争が展開されるにいたっている。かくして少数の「勝ち組」と大多数の「負け組」に分かれ、その間に格差が拡大し、日本はアメリカのような「競争社会」「格差社会」に化しつつある。

相対的貧困率(各人の所得税などを引いた後の自由に使える可処分所得の順番中、真ん中の人の所得の半分以下の所得人口が全人口に占める割合)はOECD加盟国(25カ国)中、我が国は(高齢者を含めればメキシコ・アメリカ・トルコ・アイルランドに次いで第5位だが)18~65歳の労働年齢人口に限ればアメリカに次いで第2位。ということは、貧乏人の比率が一番多いのはアメリカで、日本はその次に貧乏人の多い国になっているということだ。

経済に詳しい作家の幸田真音氏によれば(財務省の法人企業統計では)、大企業では、2001~05年の間、従業員の給料(ボーナス込み)は3,9%下がったのに対して、役員の報酬は97,3%も上がっている。一方、中小企業(資本金1億円以下)のばあいは、従業員は4,2%下がり、役員も8,2%下がっているという。大企業の役員とその従業員および中小企業の役員・従業員との間の格差拡大は歴然としているということだ。

非正社員など不安定雇用も急増して、3人に1人、若者は2人に1人にも達している。

外国資本も含め、金持ち(ファンドマネー資本家も)と大企業・大銀行は益々有利となり、肥え太っている。一方、年収200万以下が5人に1人、生活保護世帯は10世帯に1世帯(105万世帯)にも達しているが、一生懸命働いていながらそれ(生活保護水準)以下の収入で生きている人々(ワーキング・プア)も急増し(02年で656万世帯)、今は2割前後にも達しているだろうといわれる。

このような生き残り競争と貧困化の中で、長時間過密労働とストレスによる健康被害(心身の疾患)、過労死・自殺も激増している。

若者の間に、職にも就かず学校にも入らないニートも増えているが、職に就いてはいても非正規で結婚できず子どもをつくれないという人々が増え、それが少子化の原因になっている。

学校生徒は受験競争のため、予備校や塾だけでなく学校でも競争教育が行なわれ、そこでもそのストレスに起因する「いじめ」「不登校」は増え続けている。競争教育は、これまでの教育基本法の精神に反して行なわれてきたが、政府はその教育基本法の方を変えてしまい、学力テスト・学校選択制など競争教育をさらに激化させようとしている。

国民年金の空洞化率(未納などの比率)が4割近く。国民健康保険の保険料の滞納者470万世帯(32万世帯が保険証を取り上げられている)。年金・医療・介護など社会保険体制は崩れだし、社会の持続可能性が大きく損なわれている。

育児・教育に関連する家庭基盤の崩壊と社会環境の悪化、それらにともなって様々な社会病理現象が頻発するようになった。

子どもも若者も老人も多くの人たちが不安・心配を抱えているということだ。1月13日

発表された内閣府調査では、日常生活に「悩みや不安を感じている」と答えた人は67,6%で、それは1958年(この私の高校時代)調査開始以来、過去最多だという。

我が子や孫たちはいったいどうなるのだろうか、心配でならない。


(2)不満・不安を愛国改憲で解消

安倍政権は、国民の不満を外(北朝鮮・中国・国際テロ組織などの脅威)にそらすとともに、国民の疲弊・不安の原因を、小泉前政権あるいはそれ以前からの自民党政権の政策の誤りや失政に求めず、それらは戦後体制の欠陥か制度疲労によるものだとして、こともあろうに、憲法とそれに基づく諸制度に疲弊・不安の原因を求め、「戦後レジームからの脱却」をかかげて、既に教育基本法を変え、防衛庁をかつての陸海軍省のように防衛省に変え、さらに憲法を変えようとしているのである。占領軍による「押しつけ憲法」だとして、北朝鮮などとともに憲法を悪者にして、教育基本法改変とともに改憲によって自らの政策に対する不満をかわし、不安解消をはかるという魂胆。

競争と個々人の自己責任・自助努力まかせの政策、格差拡大によって、社会が分断され人々が孤立してバラバラになるのをくい止め、人々の不満を外(国の外)にそらして国内不安を解消するために、おこなおうとしているのが愛国心・公徳心の喧伝・注入なのであり、それによって国民統合と社会秩序の維持をはかろうとする。それが安倍政権の狙いなのである。

一方で、政財界の権力者・有力者たちはアメリカ政府や外国資本に対して売国的なことをやり(追従・迎合)、或は「やらせタウン・ミーティング」問題や政治資金の不適切経理(事務所費問題)など道義に反することをやっていながら、一般庶民や子ども・若者には愛国心・道徳心を持てと説教するのである。そのために、北朝鮮・中国・アルカイダなど外国の脅威と「国際貢献」に目を向けさせ、ナショナリズムをあおる。

日本経団連の御手洗会長の提言(「希望の国、日本」)は、「新しい教育基本法の理念に基づき、日本の伝統や文化・歴史に関する教育を充実し、国を愛する心や国旗・国歌を大切に思う気持を育て」「教育現場のみならず、官公庁や企業・スポーツイベントなど、社会の様々な場面で日常的に国旗を掲げ、国歌を斉唱し、これを尊重する心を確立する。」公徳心は「基本的な価値観を共有する共同体の一員という自覚を持つことにより育まれる。」「愛国心を持つ国民は、愛情と責任感と気概をもって国を支え守る」などと説いている。彼の云う「希望の国」とは、安倍首相の云う「美しい国」とぴったり一致するものだ。その言葉をもじって(「うつくしいくに」の字を反対に並べて)「憎いし苦痛」な国と揶揄する向きがあるが、庶民にとってはその方が当たっていると考える向きが少なくないだろう。

多国籍企業などはビジネスのグローバル展開と世界各地における権益・シーレーンの安全確保のために、安全保障(警備)と世界秩序の安定維持を、軍事超大国で「世界の警察官・保安官」たるアメリカとその「副保安官」たるべき日本の自衛隊に求めようとする。そこで必要なのが、自衛隊をアメリカ軍について世界のどこへでも行って作戦行動を共にすることができるようにすることであり、そのために憲法の縛り(制約)からそれを解き放つことである。日本経団連など財界が改憲を求めている理由はそこにある。

アメリカが始めたイラク戦争に、陸上自衛隊は「非戦闘地域」と人道復興支援に限定して派遣され、航空自衛隊は輸送任務だけ、アフガン戦争には海上自衛隊がインド洋上での給油だけということで、後方支援・非戦闘任務に限定して派遣されているが、改憲してそのような制約を取り除き、参戦・戦闘参加もできるようにしようというのである。

格差社会で貧困層の若者は、自衛隊が有利な就職口となる。徴兵制はなくても自衛隊員はたやすく集められることになる。(今のアメリカ軍兵士がプア・ホワイトや貧しい黒人・移民などから集められているように) 自民党の武部前幹事長は「ニートはサマワへ行け」と発言したことがあったとか(斉藤貴男『憲法が変わっても戦争はなくならないと思っている人のための本』日本評論社)。

単に職を求め収入を求める貧困層だけでなく、ニートやフリーターなど、会社や社会に期待をもてず、どこにも帰属意識をもてない若者の中に、唯一確かな居場所として身近で愛し守るべき存在として日本という国に拠り所を求め、「自衛隊の一員なら国民や国土を守れる」と云って、予備自衛官補(普段は普通の会社員か学生で、有事の際に後方任務を担う。02年度から採用、06年度は1260人採用されている)になって訓練を受けている者がいるのだそうであるが、そのようにして自衛隊に志願する若者は益々増えていくのだろう。

こうして焦燥と不安にかられて爆発・暴走するはずの若者たちの心を、安部政権はうまく取り込むことができるというわけである。

「ならず者国家」北朝鮮や中国・アルカイダなどの脅威のまえに、アメリカに次ぐ経済大国であるだけでなく軍事大国として世界各地で「国際貢献」に活躍する自衛隊の姿に「美しい国」日本の誇りを感じ、格差・貧困をものともせずに心が一つになる。それが安倍政権の狙いなのだと思われる。その新憲法は「美しい国憲法」というわけか。

しかし、騙されまい。


(3)騙されまい

人々の不満をそらす(気を紛らわせる)ものに娯楽があるが、そこで利用されるのがテレビなどのメディアである。テレビ(ワイドショーやバラエテーショーなど)に乗せて政治を面白おかしく見せる、ということも行なわれる(政治の劇場化)。NHKをはじめマスコミは政府によって巧みに利用され、操作される。メディアが改憲ムードを作り出してくれる。

娘は、テレビで「納豆ダイエット」なるものを見て2・3日というもの、納豆をばくばく食べていた。数日後、それが「捏造番組」であったことが(他のメディア―「週刊朝日」によって)発覚した。

メディアといい政府のやることといい、よほど気をつけないと騙される。

「やらせタウン・ミーティング」で教育基本法改正ムードを作り出し、「やらせ」が(野党―共産党などによって)発覚しても、政府与党は強引に「改正」を押し通した。

政府与党は権限を利用でき、情報の入手、政策の宣伝、世論調査・世論誘導など野党に対して圧倒的に有利であり、よりたやすく多数支持が得られる。

また、政府与党や権力担当者は国民・市民の表現の自由や思想・言論の自由に法律を利用し、官憲を使って反対運動を抑え込むことができる(ビラを取り締まるなど)。

ところで、日本国憲法にかぎらず近代憲法は、そもそも国民の自由・人権を守るべく権力を縛るために制定されたものなのだが、改憲派はその憲法を、「国家と国民とが協力し合いながら共生社会をつくることを定めたルール」であり、国民と権力の両方を縛るものだとして、市民の反対運動を「公の秩序」を理由に取り締まり、国民を縛るものに変質させようとしている、そこにも改憲の狙いがあるのだ。

政治の劇場化によって「一億総観客」化し、新教育基本法によって「一億総愛国者」化して、国民の不満・不安は雲散霧消し、表面的には解消されるとしても、庶民の生活と社会の実態は変わらないどころか、ますますひどくなりかねない。

憲法を変えてしまったら、それこそ取り返しのつかないことになってしまう。

 孫よ、大きくなったら、みんなが政財界やメディアから騙されないように、インチキやうそ・ごまかしを見破る先生になって、世界の人々を守る人になって欲しい。

 日本という国は、政財界の権力者や野心家の強欲・傲慢・欺瞞さえなければ、黙っていても「美しい国」だし、愛さずにはいられない国なのだから。

2007年01月25日

納得できない県の対応

 私学助成削減問題で生徒たちが県庁前に集まるというのに対して県が広場使用料を取るとの記事を見て、たまりかねて駆けつけた。冬の寒空の下で、1500人もの高校生が、代表団が県庁の中に入って陳情から帰ってくる間、コンクリートの地べたに腰を下ろして待機していた。
憲法26条及び新教育基本法4条に教育の機会均等、差別の禁止が定められている。又、新教育基本法には第8条に、私立学校の有する公の性質及び学校教育において果たす重要な役割にかんがみ、国及び地方公共団体は助成その他の適当な方法により私立学校教育の振興に努めなければならないとなっている。
 憲法89条に、公金その他の公の財産は、公の支配に属しない教育の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならないとなっているが、私立学校と公立学校とは、設置主体が国・地方公共団体か法人かの違いがあるだけで、学校教育法その他の法律に従って公の支配に属している点は同じなのである。
 県が私学助成金2年連続合わせて11%以上もの削減を決めたことに困り果てた生徒たちが、考え直してほしいと請願・陳情のために県庁前に集まった、その彼らから広場使用料を9万円も取るとは、いったいどういうことなのだろうか。どうしてそれが自分たちだけの特定の利益を求めていて公益性がないと見なされるのか。

2007年01月26日

知事の考え方は共感得られぬ

 山形県の私立高校生が、私学助成削減問題で県庁前に集まった。それに対して、「不特定多数の利益というほど公益性はない」と断じ、彼らに広場使用料を出させた知事は、「学期末が近く、受験も控えている時期に、ああした時間をとることが本当に適切だったのか」、「ああいう行動自体が共感を得るのか疑問だ」と述べたという。
 まるで、生徒は余計なことをせずに、黙って勉強していればよいのだと云わんばかり。確かに、今のこの時期、受験や試験勉強に余念がないという状況はある。しかし、それは受験知識偏重の教育をそのままにしてきた為政者の文教政策がもたらした現実なのであって、本当は受験などにとらわれない「生きた勉強」こそが大事なのだ。また国連「子ども権利条約」には意見表明の権利が定められており、子どもは為政者の決めたことに黙って従えばよいというものではないのである。
 教育の機会均等は憲法の定めるところであり、学費の公私格差を埋める私学助成の削減を決めたことに対して、見直しを求めることは正当な要求であり、県の財政事情はあるにせよ、削減は私学関係者だけでなく公立の中学生受験生にとっても誰にとっても困ることであり、知事の発言こそ共感は得られまい。

2007年01月31日

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「外国が攻めてきたら?」は愚問

 先日、「守る気概欠き何が愛国心か」という投稿があった。愛国心世論調査で、「仮に外国が攻めてきたら」の質問に対して選択肢、「戦う」「逃げる」「降参する」のうち「戦う」と答えた人が3分の1で、多くないことを嘆いておられる。私はむしろ、このような質問と選択肢自体に疑問をもった。
 投稿者も指摘しておられるように「今の日本は侵略することも侵略されることも予想し難い」というのはその通りで、今は、互いに自衛・抑止力として軍備はもっていても、侵略して利益になる国などどこにもないのである。それなのにどうしてそのようなことを質問するのか。
 愛国心の基本は「国を守る気概」といわれるが、守るべき「国」とは何なのか、「守る」とは「戦う」ことなのか。
 現実的に考えた場合、軍隊が守るのは国家だが、国民が国を守るという場合は家族や町を守るということだろう。「戦う」といっても、国民はどうやって戦うのか。ヨーロッパのレジスタンスのようにか、中東の自爆テロのようにか。それとも銃後の協力か。我が国民は無謀な愛国戦争には懲りているはず。
 家族や同胞の命を守るためには、むしろ戦わないこと、即ち、国々は攻め合わないように平和友好協力関係を結ぶ、そのために努める気概こそ愛国心なのではないだろうか。

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