米沢 長南の声なき声


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「外国が攻めてきたら?」は愚問
2007年01月31日

 先日、「守る気概欠き何が愛国心か」という投稿があった。愛国心世論調査で、「仮に外国が攻めてきたら」の質問に対して選択肢、「戦う」「逃げる」「降参する」のうち「戦う」と答えた人が3分の1で、多くないことを嘆いておられる。私はむしろ、このような質問と選択肢自体に疑問をもった。
 投稿者も指摘しておられるように「今の日本は侵略することも侵略されることも予想し難い」というのはその通りで、今は、互いに自衛・抑止力として軍備はもっていても、侵略して利益になる国などどこにもないのである。それなのにどうしてそのようなことを質問するのか。
 愛国心の基本は「国を守る気概」といわれるが、守るべき「国」とは何なのか、「守る」とは「戦う」ことなのか。
 現実的に考えた場合、軍隊が守るのは国家だが、国民が国を守るという場合は家族や町を守るということだろう。「戦う」といっても、国民はどうやって戦うのか。ヨーロッパのレジスタンスのようにか、中東の自爆テロのようにか。それとも銃後の協力か。我が国民は無謀な愛国戦争には懲りているはず。
 家族や同胞の命を守るためには、むしろ戦わないこと、即ち、国々は攻め合わないように平和友好協力関係を結ぶ、そのために努める気概こそ愛国心なのではないだろうか。


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