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2012年01月 アーカイブ

2012年01月01日

1月のつぶやき

●孫よ。消費税10%になったら、100円のボールペンを買うのに10円余計にかかり、1,000円の本を買うのに100円も余計にかかることになるんだぞ。総理大臣は「付けを子や孫の世代に先送りしてはならない」なんて言っているが、孫のお前たちからまで税金を取るなんておかしくない?
●また咳き込みだした。夜、うるさくてかなわね、と口説かれる。降り積もる雪の中、デジカメをぶらさげて徘徊し、罰が当たったか。ゲホン、ゲホン(ちくしょう!―つぶやき)。
●TVのサンデーモーニング(震災復興・原発問題、社会保障削減・消費税増税問題、沖縄基地問題、そして解散・総選挙など、諸問題を取り上げていた)を見て、「今年は『ちくしょう!ちくしょう!』の年にるな」というと、女房「やめてけろな、『ちくしょう』なんて、その言葉を聴くたびに、こっちのストレスがつのる」。
●孫を連れて映画「山本五十六」を見てきた。
 映画では、当時「首相は7年間に9人も替わった」とか、「新聞が国民の閉塞感を煽っていた」とか、あたかも今の日本を思わせるかのような時代状況を示すセリフやナレーションが語られていた。実際、当時マスコミに煽られた国民の間には日独伊三国同盟・対米開戦を望む声が強まり、優柔不断な近衛首相に対して対米強硬派・主戦論者の東条独裁を歓迎するムードが強まっていった(マスコミは東条を「行動する指導者」として演出した)。対米非戦論にたつ山本は暗殺さえも心配され、海軍次官を解任されたが、対米開戦が決定されるにおよんで、山本には連合艦隊司令長官として対米作戦計画の立案・作戦総指揮に当たるという任務が課せられ、真珠湾奇襲・ミッドウェー海戦など対米作戦敢行を余儀なくされた。それでも、彼はあくまで早期講和をめざしたとして、映画では、山本を非戦平和主義者として描いている。しかし、その非戦論はあくまでアメリカとの戦争の話しに限られ、彼には日本が中国との戦争から手を引くことなど念頭にはなかったと言われる。
 孫に「意味わかったけが?」と訊くと「うん、だいたい」。「山本何と言う名前だっけ?」「山本なんとか六」「五十六と書いて『いそろく』と読むんだよ」。「南雲という司令官がいたが、あの司令官は米沢の南原出身だったんだぞ」。
 いずれ、おいおい、もっと詳しく教えてやらなくては・・・・。「やってみて、説いて聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」という山本の言葉も。いや、これは、親たちに教えなきゃならない言葉だ・・・と思って、家で親たちに聞こえよがしにその言葉を語ったが、親たちはテレビのバラエテー番組から目を離さなかった。「だめだこりゃ」。
●米沢では例年になく、12月中に、あちこちの家で雪降ろし、我が家でも娘が屋根に上がったので、梯子かけを手伝った。
 それに、先月は地震が3回あって1回はガタンときたが、震度は3だった。しかし、震源地はいずれも当地置賜地方だった。インターネットで調べてみると、4月5日から12月まで32回、マグニチュードは(10月28日)最高で4,1で震度は3。
 今年も自然災害には気をつけなくちゃ。放射線量は米沢はほぼ0,1μSv/h以下。
●さて今年は何をしようかな。できることをやるだけの話しだが、(経済力・技能・体力など先だつものから言って)当方のできる範囲というのは非常に狭い。せいぜい、新聞・テレビを見てHPに評論を書くぐらいなもの。他には孫に勉強以外の人の生き方・物の考え方などに関したことを、たまに思いつくままに教えることぐらいかな。

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2012年01月08日

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            上杉景勝と直江兼継
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2012年01月18日

マスコミが流す論評や巷の声のワンパターン―消費税増税(完成版)

「膨大な国の借金―財政破綻の危機―「次世代に付けを回すわけにはいかない」―だから消費税増税は『避けられない』―それは『しかたない』としても、だったら、その前に政治家が身を削るべきだ―公務員と国会議員の給与や定数を削減すりゃいいんだ」
「財源不足―社会保障破綻の恐れ―消費税増税は避けられない」
「北朝鮮・中国の脅威―日米同盟は機軸―沖縄米軍基地の維持―普天間の沖縄県内移設はやむをえない」
「エネルギー不足―節電―電気料金値上げは避けられない―原発再稼動もやむをえない」
「関税など互いにはずして日本の製品や産物をどんどん輸出できるように、また海外からより安い産物を買えるように、TPPもやむをえない」

 これらはいずれも財界の利益に即してマスコミが流している論調―政府は「国民によく説得せよ」と促し、けしかけているかのようだ。
 野田政権はこれを追い風にして勝負に打って出ようとしている。

 野田政権は消費税の増税を14年8月から8%へ、そして15年10月から10%へと2段階を踏んでやり遂げようとしている。ここでは、その消費税増税論について論評したい。
(1)「財政危機」「財政破綻に直面している」―本当か?
 インターネットで菊地英博氏(日本金融財政研究所長、11年3月23日参院予算委員会公聴会で公述)らの見解参照。
 「日本は世界一の対外純債権国であり、日本は財政危機とはほど遠く、財務省は財政危機を『偽装』している」と。
 「諸外国は日本が財政危機に陥っているとは思っていない」(中川俊男氏)。
 「国の借金」―債務総額(粗債務09年末で、国・地方合わせて872兆円、12年末には937兆円、対GDP比195%)では確かに先進国で最悪。 (以下の数字はいずれも09年末のもの)
 しかし、債務総額の約半分は二重にカウントされている(加藤寛―90~2000年政府税制調査会長が指摘)―政府が国債などによって集めた資金や年金基金などからも他の政府機関や地方自治体・外国政府などへまた貸ししているが、それも負債として加算されている)。
 日本政府の金融資産(513兆円、米国債など―外貨準備、郵政株など有価証券、特殊法人への出資金、国民が積み立てた年金・健康保険など社会保障基金)は世界一 ―GDPに匹敵(欧米諸国は15~20%程度しか)。
 粗債務-金融資産=純債務(359兆円)―一国の財政状況をはかる指標としてはこの方が国際的常識。
 (京都弁証法認識論研究会のブログによれば)例えば、200万円の借金をしていて他に何も資産を持っていないAさんと、500万円の借金をしているが、預貯金や株式などの金融資産400万円を持っているBさん(その純債務は100万円)とでは、危機的な状況にいるのはAさんの方なのであって、単に借金の総額だけでBさんと決め付けることはできまい。
 尚、貯蓄・生命保険など国民の金融資産は1,400兆円(世界一、国内の銀行や保険会社などの金融機関はそれを元手に政府の国債を引き受けているが、今のところ、その債務残高900兆円をまだ大きく上まわっている)、その内の海外への投資分(対外純資産)は266兆円で世界一。(但し、高齢者が貯蓄を取り崩すなど、現在それは低下しているので、長期的には安全とはいえない、とも―国債の発行残高が増え続けることは問題)。
 ギリシャもアメリカも財政赤字だけでなく経常収支(貿易収支と貿易外収支)も赤字なのだが(むしろこの方が重大)、日本は経常収支はまだ黒字(貿易収支は昨年31年ぶりに2.5兆円の赤字になったが、貿易外収支のうち外国証券や海外子会社などからの利子・配当収入で所得収支が黒字なので、トータルでは10兆円弱の黒字)。
 海外投資家からの債務は、ギリシャは7割以上、アメリカ・ドイツも半分以上占めるが、日本はわずか7%だけで、9割以上が国内の投資家からのもので、ヘッジファンドなど外国の投機的な売買に振り回されることが少なく、利子も海外流出はわずかで国内に回り、景気への影響も少ない。

 ところが、最近のNHK「クローズアップ現代『2012年岐路に立つ世界経済』」で、次のようなことを解説していた。
 IMFが日本国債についての報告書で、海外投資家が日本国債の先物を扱う(デリバティブ)市場で売りを仕掛けてくる(ターゲットになる)可能性があると指摘、その結果、安定して推移している国債の金利を上昇させる恐れがあるというのだ。そうすると(国債の先物といったデリバティブから崩れていけば)、「国内の投資家も、一斉に投資スタンスを変えなければいけなくなり、今いっぱい持っている国債を投売りし始めるようになる、これが一番大きな問題だ」というわけ。
 日本国債は今、いくつかの条件が満たされているので金利1%以下に保たれているが(10年もの国債の利回りでは、ギリシャ国債は34.96%、イタリア国債は7.108%だが、日本国債は0.988%)、それが崩れるとヨーロッパのような危機に陥る可能性がある(マーケットというのは一度弾みがつきはじめると誰が何と言おうと信用されなくなる)。いつまでもつか、早ければ数年(倉都康行・国際金融アナリスト)、家計貯蓄がこれから減ってくるということを考えれば5年もつかだと(伊藤隆敏・東大教授)。日本国債の信用維持のためには「健全な財政」に早く戻す「財政再建」(それは避けて通れない道)の明確な道筋・方向性を示すメッセージを国としてしっかり出していくことが必要だ。それがないと市場が不安がる、というわけ。
 日本国債は世界の債券市場では優良銘柄で、格付け会社によって最上位(トリプルA)と見なされてきたが、このところ巨額の債務を理由に、一段下(ダブルAプラス)へ格下げられている。今、国内の金融機関の間でも日本国債に対して慎重な見方が広がりつつあるという。
 金利1%上がれば1兆円超の利払い費がかさみ、わずかな金利上昇でも利払いが膨らみ、財政をさらに圧迫する。 
 だから、そうならないうちに早く消費税増税を決めてしまえ、というわけか。
要するに、政府が何か手を打たないと、ヘッジファンドなど海外投資家が日本国債の先物市場で売りを仕掛けてくる可能性がある(その結果、安定して推移している国債の金利を上昇させる恐れがある)、だから、政府が消費税の増税を敢えて強行するのを国民は甘受せよというわけか。ヘッジファンドによる「仕掛け」(いわば陰謀)など投機マネーに振り回されることを恐れて庶民増税、そんなの理不尽だ。
 尚、NHKの同番組(「クローズアップ現代」)では、ロナルド・ドーア氏(イギリス人・政治経済学者で日本に留学、半世紀以上にわたって日本の資本主義と文化研究)にインタビュー、氏は「世界経済全体が金融化されていて、金融業者の支配下に置かれている。それが災いの根源。そういう資本を持っている投資家が今の世の中に少なくなっていて、ほとんどが投機家。銀行が投資家の役割を果たして、ただギャンブルする投機家の役割ができないような制度に変えるべきだ」と語っていた。

 日本政府の債務膨張・財政赤字の拡大が日本国債の信用を失墜させる結果になる。その債務膨張を招いた原因は①自民党政権以来重ねてきた不要不急の大型公共事業と米軍への思いやり予算などを含めた軍事費などの無駄―ゼネコンや日米の軍需産業への大盤振る舞い②大企業・富裕層への優遇税制(法人税減税、所得税の最高税率を切り下げるなど、取るべきところから取らない)―それはまた直接税(所得税や法人税など)のビルト・イン・スタビライザー機能(「自動安定化装置」―不況期に財政赤字が増えても、好況期には企業利益や賃金が増えるので税収が増えて赤字が減るという機能)を働かなくした、この二つである
 このやり方を是正すること(無駄を削減すること、大企業・富裕層への優遇税制をやめること、労働者の賃金・中小企業の収益をアップすること)は不可欠。それなしに単に穴埋めするために「取りやすいところから取る式」の消費税など庶民増税をするのは理不尽である。
 また、消費税増税は国民の消費を冷え込ませ(需要不足→生産・投資・雇用の連鎖的悪化を招き)、さらなる景気悪化を招き、税収を落ち込ませ、かえって財政危機を強めこそすれ、財政再建にはならない

(2)消費税はいいものだ?
経産省とマスコミの宣伝―①「広く薄く課税し、世代に偏らず公平」
 ②「国民みんなが互いの生活を支え合う社会保障財源に相応しい」
 ③「所得税や法人税と比べて、景気の良し悪しに左右されない」         
 「増税分を福祉などの分野にあて、生活の安定と雇用を増すことで消費が増加して景気が回復して税収も増え、経済が成長」
         ④「シンプル(やり方が簡単)で安定財源」だと。

公平で社会保障財源に相応しいか?
 平均的な家庭で、(09年)消費額が月25.4万円で、5%消費税は1.3万円、年間では消費額300万円で、消費税15万円だが、(年収300万円の家庭と年収1,500万円の家庭とでは)所得の低い人ほど、所得のうち消費にあてる割合が高い(逆進性)―社会保障財源としては、むしろ最も相応わしくない。
 消費税というのは、いわば低所得者や所得の無い子供からまで合法的にカネをまきあげるもの。
 そして、売買で強い立場にある方が得をする(取引先との力関係で弱い中小零細の、とりわけ自営業者により重い負担を強いる)―メーカー・部品メーカー・卸業者・小売業者はそれぞれ消費税を価格に上乗せ(転嫁)して売り渡すことになっているが、下請けなど中小零細企業や自営業者は大口顧客(大手メーカー・大手百貨店・ス-パー・チェーン店など)から値引きを強要されて、それがなかなかできず、結局自分でかぶる(自腹を切る)か、滞納せざるを得なくなる、といったことが多くなる(滞納額はあらゆる税のなかで消費税がワーストワン)。日本商工会議所によると、税率が今後引き上げられれば、売上高5千万円以下の事業者の6割以上は転嫁できないと。
 (自殺は12年で連続で3万人を超え続けているが、「自営業・家族従事者」は3,202人で全体の9.7%なのに対して、「被雇用者・勤め人」は27.9%なので、両者の比率は1対3だが、就業者全体にしめる「自営業者」と「被雇用者」の割合が1対7であるのに比べれば、自営業者の自殺率は非常に多い。)
 一方、大企業など輸出比率の高い企業は、輸出や国際輸送など輸出に類似する取引では売上に対して消費税は免除され(「仕入れ税額控除」)、仕入れで負担した消費税は還付される(「輸出戻し税」)ので、消費税は全くかからない。
 (尚、会社設立したばかりの2年間と年間売上1千万円を超えない事業所は消費税は免税―「益税」) 
「景気の良し悪しに左右さらず、福祉など雇用が増えて経済が成長する」?
 保育・介護・救急医療などは確かに雇用が増えるが、それだけのことで、それだけで景気回復・経済成長を云々するのは机上の空論。
消費税増税で消費が冷え込み(消費マインドが低下して)景気をガタンと悪化させる。
④シンプルか?
 一般の消費者は店に代金とともに支払うだけだが、税務署に自己申告して直接納めに行く事業者は課税の事実を証明できる帳簿や請求書の類を保存しておかなければならず、書類作成の事務負担が非常に煩雑。
 「シンプルで安定財源」だというのは徴税する側の都合。
 それに消費税には派遣社員の増大をもたらすという弊害がある―納税義務者(事業者)は、仕入れのために支払った消費税を差し引いた金額を税務署に納めることになっている(「仕入れ税額控除」)が、派遣社員や請負社員への報酬にも、物を仕入れたのと同様の消費税率(5%)控除が適用されるので、正社員を減らして派遣社員に切り替えれば、その分が節税できることになっているから。(2,000年11月の朝日新聞だが、1989年消費税導入以来、人材派遣事業所は2倍に増えている。)
(3)日本の消費税は低すぎるか?
 消費税の税率(5%)はヨーロッパ(20%前後、イギリスは17.5%)に比べれば確かに低いが、国税収入全体に占める消費税の割合から見れば、22.1%でイギリス22.5%、スウェーデン22.1%とほぼ同じ。ヨーロッパの税収が税率ほど高くないのは、食料品・生活必需品など広範な分野に完全非課税や軽減税率が適用されているからだ。
 それに、ヨーロッパ諸国が消費税(「付加価値税」)を取るようになったのは、帝国主義の戦争時代、戦費調達とともに、銃後を守る女性や子供・老人たちが安心して生活できるだけの社会保障が整っていないと、戦争に兵士を動員できなくなるから、といった理由から始ったのであって、戦争にともなう歴史的な背景があったことを考慮しなければならない。だから高福祉・高負担なのである。
 逆にアメリカでは、州によっては「小売り売上税」(小売店だけが顧客から預かって納める形の消費税で、他の流通段階には適用されない)を導入しているところもあるが、国税としては消費税も付加価値税もない(かつてレーガン大統領当時、税制改革案に関連して財務省は大統領に報告書を提出したことがあったが、その時、消費税の欠陥を指摘して次のように書いている。「もし、付加価値税がすべての消費購入に均一税率で適用されるならば、租税の相当部分は貧困レベル以下の人々によって担われることになる。平均的に言って、消費目的のために使われる所得の割合は、所得が増すにつれて低下するから、このような租税は逆進的である」と。その結果、大統領提案の税制改革案には、この税の導入は盛り込まれなかったという。ブッシュ大統領の時にも、その導入は見送られている。)
(4)増税は必要だとしても、それがなぜ消費税でなければならないのか?なぜ、法人税減税なのか?
 消費税以外に法人税・所得税などいろんな税があるのに、増税と言えば、なぜ消費税しかないかのように言うのか。
 それは財界・富裕層にとって、その方が得だからにほかならない。法人税減税や低い所得税最高税率の低さや証券優遇税制などで優遇されている彼らにとっては、消費税の導入・増税で、それによって社会保障財源が賄われようになれば、自らにかかる法人税の減税など大企業・富裕層遇税制が維持できるからだ。
社会保障と税の一体改革」と称して消費税増税、それは法人税減税のためにほかならないということなのだ。
 そもそも1989年消費税が「福祉の拡充」を掲げて初めて導入されると同時に法人税が下げられはじめ、97年消費税率が3%から5%に引き上げられとその翌年、法人税のほうはさらに引き下げられ、99年には所得税の定率減税とあいまって法人税はさらに引き下げられた。(所得税の定率減税のほうは06~07年打ち切られたが、法人税減税はそのまま。)
 消費税は社会保障財源に当てるため、といった「福祉目的税」化は、結局、所得税や法人税など他の税は軍事費や公共事業費などに当てられ、あとは「借金返済」に注ぎ込まれる、ということになる。
(5)法人税は?
 法人税は1980年代には40%台だったのが、99年以降30%に減税されている。
 財界とマスコミは、日本の法人税は「世界一高い」、これでは「国際競争力が損なわれる」、「工場の海外移転が増え」「海外からの投資が損なわれる」と。
 財界内部から(税務弘報10年1月号鼎談「あるべき税制論議」で、経団連の阿部泰久経済基盤本部長)「日本の法人税は決して高くはない」「表面税率は高いが、いろいろな政策税制あるいは減価償却から考えたら、実はそんなに高くはない。・・・・特に製造業であれば欧米並み・・・。日本の法人税負担は、税率は高いが税率を補う部分できちんと調整されている、」と。実際、大企業は研究開発減税や外国税額控除をはじめとする幾多の優遇措置を受け実質的な税負担率は平均で30%程度にとどまっている。アメリカ(カリフォルニア州など)は40%で日本より高い。

 法人税だけの比較ではなく、それに社会保険料を加えた企業負担(税+社会保険料)を比べれば、日本企業の負担はドイツやフランスの企業より2・3割少ない。
 法人税を減税すれば、その分を雇用や投資に回せるというが、その保証・見込みはなく、溜め込み(内部留保)に回るだけ。
 工場の海外移転は、必ずしも日本の法人税が高いからという理由ではなく、むしろ人件費(労働コスト)、海外市場の将来性、それに円高のほうが大きな理由なのだ。
 法人税減税で中小企業は助かるか?中小企業は一定の所得までは軽減税率(18%)が適用されるため、法人税の基本税率(30%)引き下げの恩恵はない。それに中小企業は内需低迷や大企業の下請け単価の買いたたきで赤字決算のため、そもそも法人税を払える状態ではないのだ。
 ところが、三大メガバンク(三菱UFJ・三井住友・みずほ)グループ傘下の6銀行は10年以上、法人税ゼロとして済まされている(企業は「欠損金の繰越控除」で、法人税納付に際して過去の損失を7年間繰り越して黒字と相殺することができることになっていて、不良債権処理で発生した巨額の損失を繰越すことで、課税所得が相殺されて法人税納付ゼロが続いていたため)。
(6)所得税は?
応能負担の原則」を踏まえた累進課税で、所得に応じて税率が高く、所得の多い人は多く納め、所得の少ない人は少なく納めるというやり方。以前(1970年代)には19段階にも分けられ、最高税率は75%だった。ところがそれが段々、段階が減らされ、最高税率は引き下げられ、今では6段階、最高税率は40%、つまり課税所得が195万円以下の人は5%(最低税率)、1800万円を上回れば、どんな高額所得者でも40%しか取られなくなっている。そっちの方(富裕層の所得税)を上げるべきなのでは?。
 「富裕層に課税を」は世界の流れ―いま、アメリカでもヨーロッパでも富裕層自身が「もっと税金をとってくれ」と言っている状況。
 社会保障は、本来は弱者支援が基本―そのための政策手段は「再分配の強化」が基本。「所得の再分配機能」をもつのは所得税の累進課税なのだから、所得税こそが社会保障財源として最も相応しい。今は、最高税率の引き下げと段階縮減で所得再分配機能が低下してしまっている。
(7)その他の税は?
証券優遇税制」―株式など金融資産の譲渡益・配当に対する税率20%だったのが10%に引き下げられていて、その措置をさらに延長しようとしている。
 相続税―最高税率(法定相続人の取得金額が20億円超の場合に適用)が02年までは70%だったのが50%に引き下げられている。
 これらの改変も必要。

 以上、(参考―斉藤貴男「消費増税で日本崩壊」)
(8)議員定数削減―比例80人減らしていいの?公務員給与下げてしまっていいの?
 政治家が身を削って議員定数を削減し、そのうえで、消費税を上げるなら上げろ、というが、比例定数80人減らすなんて、そんなことしていいの?
 国会議員は民意を代表する者。政治で飯を食う議員を減らすというが、議員定数を削るということは民意を削るということのもなる。
 とはいっても、国会議員の中には確かに「いてもいなくてもいい」ような議員もいることはいる。だからといって、小選挙区比例代表並立制の議員定数(小選挙区300人、比例180人)のうち、民意をより正確に反映するほうの比例代表部分を80人も減らしてしまったら、各小選挙区から二大政党のどちらかが選ばれる両大政党の議員が相対的に多く残り、多勢に無勢ながらも、少数精鋭で頑張っている少数党の議席がさらに、ガタンと減ってしまうことになる。(TBSサンデーモーニングによれば、試算では、公明党は半減して10人、共産党は4人、社民党などはゼロになるという。)
 これでは、消費税増税も、原発再稼動も、普天間基地の名護移設も、TPPも、そして9条改憲も、賛成派二大政党とそれらに準ずる小党だけで3分の2を超える議席が占められ、何もかも簡単に決められてしまう。
 そもそも、かつての中選挙区制を廃して小選挙区比例代表並立制という現在のやり方に変えた細川内閣の選挙制度改革を支持して二大政党制に仕向けてきたのはマスコミだったが、(当時大手メディアは「政治改革」と称して大キャンペーンを張った)その二大政党制をさらに徹底させようとするもので、日本には保守二大政党しかいらないという体制を敷こうとするものだ。このようなことを許してはなるまい。細川氏、それに彼の選挙制度改革に合意を与えた河野当時自民党総裁も、小選挙区制を導入したのは間違いだったと言っているのに。
 公務員給与―ストライキ権を取り上げられた公務員に対して人事院が民間の給与水準をみて公務員の給与アップを勧告するするというシステムをとってきて、以前は公務員よりも民間の方が高すぎるからといって民間の方が下げた。それを今度は公務員の方が相対的に高すぎるから下げろと。公務員を下げれば民間も下げる。結局そうやって公務員も民間もみんな給与ダウンしてしまう。全般的に所得が減れば景気はさらに悪化するという悪循環になりかねまい。
 税金の無駄を削るというなら、むしろ政党助成金こそ返上させるべきだ。国会議員を80人減らしても56億円削減されるだけだが、政党助成金を返上させれば360億円削減になるのだから。

 
 

2012年01月25日

国旗・国歌を踏み絵にしてならぬ

 朝日新聞に「国旗・国歌で愛国心教えたい」という投稿があったが、単純過ぎないか。
(1)愛国心には二通りあり、一つは、生まれた国への愛着、同胞への親近感、もう一つは、自分がその一員として権利・義務をもつ国家・国柄への愛着。
 前者は、親子・家族の情愛や郷土愛などと同様、自然に生まれ育つ感情なのであって、わざわざ教えなければならないようなものではない。
 後者については、憲法上の国家の理念や権利・義務、歴史・伝統・文化など学校その他で教えなければならない。
 しかし、「愛国心を持て」などと押し付けがましく教える筋合いのものではない。ただ、「誇りを持つのはいいが、驕り・独善になってはいけない」といったことはよく教えておかなければなるまい。
(2)国旗・国歌は、それが国民誰しも違和感なく受け入れられる旗や歌ならばいいが、「日の丸」・「君が代」は、それらが国民を戦争に駆り立てたというい歴史から拒否感をもっている向きもある。それらは、そもそも「大日本帝国」の国旗・国歌だったのに、戦後、国が全く変わっても使われ続け、99年それを正式に国旗・国歌とする法案が国会で可決されたが、少なからぬ反対もあったのだ。審議の過程では政府はそれらを「強制はしない」とする見解を繰り返し述べていた。
 (3)公教育の場で生徒・教師・親たちが心を一つに祝い合う式典に、「踏み絵」のようにイデオロギーに関わる対立のタネを持ち込むのは望ましくない。少なくともそれを強制すること自体、式典に臨む生徒・教師・親たちの中に要らざる困惑やギスギスした重苦しさ与え、式典を乱す元にもなり、かえって愛国心を損なうことにもなる、といったことも考えなくてはなるまい。



2012年01月27日

愛国心・国旗・国歌問題

(1)愛国心には二通りあり、一つは、生まれた国・同胞への愛着、もう一つは、その 一員として権利・義務をもつ国家・国民共同体への愛着。
 前者は、親子・家族の情愛や郷土愛などと同様、自然に生まれ育つ感情なのであって、わざわざ教えなくても済むもの。
 後者については、憲法上の国家の理念や権利・義務、歴史・伝統文化など学校その他で教えなければならない。
 しかし、「愛国心を持て」などと押し付けがましく教えるたりする筋合いのものではない。ただ、よく教えておかなければならないことは「誇りを持つのはいいが、驕り・独善になってはいけない」ということであり、「自国のために他国を犠牲にしてはばからないような自国エゴに陥ってはならない」ということである。
(2)国旗・国歌は、それが誰しも違和感なく受け入れられる旗や歌ならば、それを掲げ、斉唱させることによってと愛国心を高揚させ一体感を醸成させる効果をもつ。
 しかし、「日の丸」・「君が代」は、そもそも戦前来の「大日本帝国」のイデオロギー(国家思想・価値観・世界観)と結びついていた「帝国」の国旗であり国歌だったのだ。戦後「日本国」となって、国は全く変わった。(ドイツやイタリアでは戦後、国旗・国歌を改変。)ところが「日の丸」・「君が代」はそのまま。99年それを正式に国旗・国歌とする法案が国会で可決された。しかし、衆院では86名、参院では71名の反対があって、審議の過程で政府(小渕内閣)はそれらを「強制はしない」とする見解を繰り返し述べていた。(当時の野中官房長官は「式典等において起立・斉唱する自由もあれば、しない自由もあろうかと思うわけでございまして、この法制化は、それを画一的にしようというわけではございません」と答弁している。04年天皇は園遊会の席上、当時都教育委員だった米長氏が「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べたのに対して、「やはり、強制になるというものではないのが望ましい」と。)
 それを掲揚し、歌うことに疑問をもたない人は多いが、中には拒否感を持つ人もいるのだ。(それらは国民の間に定着していると思っている人もいるが、必ずしもそうだとは限らないし、それらを好きな人もいれば、忌み嫌う人もいるのである。オリンピックやワールドカップでは誰もが日本選手を応援してもだ。)
 それを「多数」の支持を背景にして知事や教育委員会や校長が強権を振るって強制すれば、思想・信条の自由を害し、そんなことがまかり通ればファシズム(全体主義)になってしまう。
(3)公教育の場で生徒・教師・親たちが心を一つに祝い合う卒業式などの式典に、「踏み絵」のようにイデオロギーに関わる対立・わだかまりのタネを持ち込むのは望ましくない。少なくともそれを強制すること自体、儀式に臨む生徒・教師・親たちにかえって要らざる困惑やギスギスした重苦しさ与え、規律・秩序を乱す元にもなる。そのような事態が想定されるにもかかわらず、それを強行し、強制に服さないからといって、その者を罰するのは全くお門違いというものだろう。国民の内心に踏み込む強制や押し付けは国民の嫌気をさそい、かえって愛国心を損なう結果を招き、人心統合を崩す元にもなろうというもの。
(4)1989年からの経緯
   89年3月日の丸掲揚と君が代斉唱を義務づける学習指導要領が告示
   99年2月日の丸・君が代問題をめぐり広島県立世羅高校長が自殺
     4月石原慎太郎氏、都知事に就任
     8月国旗・国歌法が成立
   2003年3月全国の公立小中学校・高校のほぼ全てで、卒業式に日の丸を掲揚し、君が代を斉唱
    10月東京都教委が教職員に起立斉唱などを義務化
   04年3月都教委が、君が代斉唱時に不起立の教職員ら171人を初の戒告処分に
     5月都教委が、不起立の生徒が多い学校の教員に指導
   06年9月東京地裁が都教委の通達や職務命令を違憲と判断
   07年2月最高裁が君が代のピアノ伴奏命令を合憲と判断
   11年3月東京高裁が、不起立教員ら167年への都教委の処分を「懲戒権の乱用」と取り消す判決
     5月最高裁が起立斉唱の命令を合憲と初の判断
     6月大阪府で、公立校教職員に君が代の起立斉唱を義務づける全国初の条例が成立
   12年1月16日最高裁が不起立教員に対して戒告は認め、減給・停職は取り消す判決
(5)16日の最高裁判決は、教職員に起立斉唱させる職務命令は憲法19条に違反するものではないとし、不起立行為は職務命令違反であり、式典の秩序や雰囲気を一定程度損ない、生徒への影響も否定しがたい。それに対する懲戒処分は学校の規律や秩序を保つために重すぎない範囲内ならばやむをえないとしている。行き過ぎた処分には歯止めをかけたが、起立斉唱の職務命令と懲戒処分そのものは認める判決を下した。
 起立斉唱の強制は思想・信条の自由を侵し、精神的苦痛を強いるもので(都立高校に30年勤めたある男性教員は「踏み絵」を強要されている気がしたと―朝日)、憲法19条(「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」)の規定と両立するとは普通思えまい。06年東京地裁は都教委の通達や職務命令を違憲と判断し、斉唱の義務はないとしている。
 16日の最高裁判決における4人の多数意見に対して、宮川裁判官は、学説などでは起立斉唱を職務命令で強制することは19条に違反するという見解が大多数だとして反対意見をのべている。宮川裁判官は不起立行為は、「いわゆる非行・違反行為(セクハラや体罰など―筆者)とは次元を異にする」として「戒告でも重過ぎる」とも。
 判決は、不起立行為は、積極的な妨害ではないものの、式典の秩序・雰囲気を一定程度損なうとしているが、そもそも職務命令で起立斉唱を強制すること自体が式典の秩序・雰囲気を損なう原因になっているのだ。式典にそれらを無理やり押し付けたり、強制したりしなければ、それは和やかな雰囲気のもとに平穏無事に執り行われるはずのものなのだ。

 裁判官は権力擁護の立場に立っているか、自由・人権をを守る立場に立っているかだ
 (6)この問題の根本的な解決法はといえば、それは強制されることなく老いも若きも国民の誰からも受け入れられ、心を一つにして仰ぎ歌える新しい国旗・国歌に改変することだろう。
 たとえば国歌なら「われら愛す」―これは戦後主権回復後の1953年、サントリーの壽屋が企画して「新国民歌」を公募、5万余の応募の中から、審査員(山田耕筰、西条八十、古関裕而、堀内敬三、サトウハチローら)が選んだもの。作詞は当時山形南高校の国語教師だった芳賀秀次郎。作曲は西崎嘉太郎だが、行進曲調で、当方には忘れられない曲だ。当時毎朝ラジオから流れていたから。
 歌詞は次ぎのようなもの。
 3番「われら進む
    かがやける 明日を信じて
    たじろがず 
    われら進む
    空に満つ平和の祈り
    地に響く自由の誓い
    われら進む
    かたくうでくみ
    日本のきよき未来よ
    かぐわしき夜明けの風よ」

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