●孫よ。消費税10%になったら、100円のボールペンを買うのに10円余計にかかり、1,000円の本を買うのに100円も余計にかかることになるんだぞ。総理大臣は「付けを子や孫の世代に先送りしてはならない」なんて言っているが、孫のお前たちからまで税金を取るなんておかしくない?
●また咳き込みだした。夜、うるさくてかなわね、と口説かれる。降り積もる雪の中、デジカメをぶらさげて徘徊し、罰が当たったか。ゲホン、ゲホン(ちくしょう!―つぶやき)。
●TVのサンデーモーニング(震災復興・原発問題、社会保障削減・消費税増税問題、沖縄基地問題、そして解散・総選挙など、諸問題を取り上げていた)を見て、「今年は『ちくしょう!ちくしょう!』の年にるな」というと、女房「やめてけろな、『ちくしょう』なんて、その言葉を聴くたびに、こっちのストレスがつのる」。
●孫を連れて映画「山本五十六」を見てきた。
映画では、当時「首相は7年間に9人も替わった」とか、「新聞が国民の閉塞感を煽っていた」とか、あたかも今の日本を思わせるかのような時代状況を示すセリフやナレーションが語られていた。実際、当時マスコミに煽られた国民の間には日独伊三国同盟・対米開戦を望む声が強まり、優柔不断な近衛首相に対して対米強硬派・主戦論者の東条独裁を歓迎するムードが強まっていった(マスコミは東条を「行動する指導者」として演出した)。対米非戦論にたつ山本は暗殺さえも心配され、海軍次官を解任されたが、対米開戦が決定されるにおよんで、山本には連合艦隊司令長官として対米作戦計画の立案・作戦総指揮に当たるという任務が課せられ、真珠湾奇襲・ミッドウェー海戦など対米作戦敢行を余儀なくされた。それでも、彼はあくまで早期講和をめざしたとして、映画では、山本を非戦平和主義者として描いている。しかし、その非戦論はあくまでアメリカとの戦争の話しに限られ、彼には日本が中国との戦争から手を引くことなど念頭にはなかったと言われる。
孫に「意味わかったけが?」と訊くと「うん、だいたい」。「山本何と言う名前だっけ?」「山本なんとか六」「五十六と書いて『いそろく』と読むんだよ」。「南雲という司令官がいたが、あの司令官は米沢の南原出身だったんだぞ」。
いずれ、おいおい、もっと詳しく教えてやらなくては・・・・。「やってみて、説いて聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」という山本の言葉も。いや、これは、親たちに教えなきゃならない言葉だ・・・と思って、家で親たちに聞こえよがしにその言葉を語ったが、親たちはテレビのバラエテー番組から目を離さなかった。「だめだこりゃ」。
●米沢では例年になく、12月中に、あちこちの家で雪降ろし、我が家でも娘が屋根に上がったので、梯子かけを手伝った。
それに、先月は地震が3回あって1回はガタンときたが、震度は3だった。しかし、震源地はいずれも当地置賜地方だった。インターネットで調べてみると、4月5日から12月まで32回、マグニチュードは(10月28日)最高で4,1で震度は3。
今年も自然災害には気をつけなくちゃ。放射線量は米沢はほぼ0,1μSv/h以下。
●さて今年は何をしようかな。できることをやるだけの話しだが、(経済力・技能・体力など先だつものから言って)当方のできる範囲というのは非常に狭い。せいぜい、新聞・テレビを見てHPに評論を書くぐらいなもの。他には孫に勉強以外の人の生き方・物の考え方などに関したことを、たまに思いつくままに教えることぐらいかな。