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2011年04月 アーカイブ

2011年04月01日

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米沢市営体育館 避難所
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                   新聞・週刊誌の写真の切り抜き
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                   仙台市の荒浜の近く
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がんばろう東北!がんばれ政府!(加筆版)

 13日夜、菅首相は、国民の協力を訴える記者会見で、「戦後65年間経過した中で、ある意味でこの間で最も厳しい危機・・・・・。どうか、お一人おひとり、そうした覚悟を持って、そしてしっかりと家族・友人・地域の絆を深めながら、この危機を乗り越え、そして、よりよい日本を改めてつくり上げようではありませんか」と声をつまらせながら語っていた。
 ところが、福島原発の大破損で放射能不安が広がり、危機はさらに拡大する事態になってしまった。今の日本では誰もが経験したことのない大地震と大津波に原発事故が加わり、それらを前に菅首相が「右往左往」したとしても、誰が責められるだろうか。
 このところのマスコミ・メディアの中には(週刊朝日・サンデー毎日・週刊現代など)(「首相の視察で初動が遅れた」とか、「事故対応を東電に丸投げ」とか、「アメリカの救援申し入れを断わった」とか、「東京消防庁のハイパー・レスキュー隊に対して」どうこうとか、「谷垣自民党総裁に入閣を要請したりした」などの理由で)「国民を不幸に陥れる『亡国の官邸』」だとか、「菅首相の罪は万死に値する」だとか、「『風評被害』の元凶は菅首相」「菅首相が総理の座に居座れば、その分だけ日本の復興と原発への危機対策が後手に回ってしまう・・・退陣してもらうしかない」などと、(その論拠は、ほとんどが、「永田町関係者」とか、「官邸周辺」とか、「民主党幹部」・「自民党幹部」とか、「経産省幹部」とかが「こう言っていた」という伝聞情報で、自分が首相なり官房長官なり本人に同行・面会し、現場で直接目の当たりにした情報ではないのだが)菅政権をボロくそにこきおろす向きが強まっている。 これでは、「そうか、政府には頼れないな」「この国はもう終わりだ。諦めるしかあるまい」となるだろう。
 いま菅首相をどうやって退陣させるのか。誰に替わればいいというのか―谷垣か?小沢か?・・・誰なら皆が従って、うまくこの事態、この国難を収められるというのだろうか。

 マスコミは被災・被害の実態・実情を正確に伝え、政府などの救援~復興への取り組みぶりを論評し、「しっかり頑張れ!」と「激励の喝」を入れる叱咤・激励はいいとしても、一生懸命取り組んでいる人をけなし、こきおろしてばかりでは、被災者たちの不安や絶望をかきたてる結果にしかなるまい。
 このような時のマスコミの使命は、むしろ「みんな頑張ってくれているから大丈夫だ」と被災者に伝え、少しでも希望と安心を与えることなのであって、被災者たちに「政府は当てにならないから、諦めたほうがいい」などと不安・絶望をかきたてることではないはず。
 敵・味方があり情報心理戦などを伴う戦時とは異なり、災害時には、政府にとっては情報操作もプロパガンダ(政治宣伝)もマスコミの「大本営発表」伝達機関化も無用なのであり、必要なのは、国民にたいして、ただひたすら正確な情報を解るように伝えて不安・絶望感をかきたてることのないようにし、可能な限り安心と希望を与えること以外に余計な思惑は無用なのだ。
 今回の震災にあたって政府その他の対応に対する検証は、いずれ事態が収束し落ち着いてからの時点では大いにやって然るべきであり、責任追及もあって然るべきだが、被災者が一刻も早い救援・復旧を待っており、余震が未だ続いている今はまだその時ではない。
 このような災害・非常時には、被災者・被災地に対して救援・復旧・復興に取り組み、或は取り組もうとしている人々に対しては、自衛隊員にも、菅首相にもみんな「頑張れ」というべきなのでは?
 このような時に、与野党とも党利党略・派利派略で政争や政局にうつつを抜かしている場合ではなく、「挙国一致・救国臨時内閣」のようなつもりで、政府と与野党が一丸となり、かねてより懸案になっている問題でも緊急を要しないものはすべて棚上げして、復興対策に全力で当たるよう各党とも「頑張れ!」、とも言いたい。

 以下は、4月11日、孫が小学校で渡されてきたプリント。(このようなプリント―総理大臣から学校生徒へのメッセージ―は初めて見た、異例なこと。)

 新学期を迎えるみなさんへ
・・・・・・中略・・・・・・・
 みなさんは、この4月、希望に満ちた春を迎えるはずでした。
 しかし、この春は、私たちにとって、とてもつらい春になってしまいました。
・・・・・・中略・・・・・・・
 いま、みなさんは、すべての悲しみや不安から逃れることはできないかもしれません。でも、みなさんは、けっして一人ではありません。どうか、先生やお友達と助け合って、一日も早く、みんなが楽しく安心して学び、遊べる学校を取り戻しましょう。私たちも全力で、みなさんと一緒にがんばります
災害にあわなかった地域の児童のみなさんにも、お願いがあります。
 どうか、みなさんの学校にやってくる、避難してきた仲間たちを温かく迎えてあげてください。すぐ近くに、そういったお友達がいなくても、遠く離れて不自由な生活をしている子どもたち、あるいは、この震災で亡くなり、進学、進級を果たせなかった子どもたちのことも、同じ仲間だと思って、祈りとはげましの声をあげてきださい。
・・・・・・中略・・・・・・
 日本の国土は縦に細長いために、沖縄では例年1月上旬に開花宣言が行われ、その桜前線は、約半年をかけて、5月の下旬に北海道の北端に到達します。自然のおりなす、素晴らしい命のリレーです。
自然は、今回の地震や津波のように、時に、私たちに厳しい試練を与えます。しかし桜前線のように、私たちをやさしく包んでくれるのも、また自然の力です。
・・・・・・・中略・・・・・・・
 原子力発電所の事故に対して、危険をかえりみずに立ち向かう消防士さんや自衛官、電力会社の人たちの姿。各地の被災地で救命救急活動に当たった警察官やお医者さん、看護師さん、そして何より、本当に命がけでみなさんを守ってくれた学校の先生たちの姿を忘れないでください。       ・・・・・・・中略・・・・・・・・。
 私たちも、全国の学校の先生方も、みなさんが笑顔で登校できるように、全力でみなさんを支えます。日本の未来は、みなさんにかかっています。みなさんの明るい笑顔で、日本を元気にしてください。
                                            内閣総理大臣 菅 直人
                                            文部科学大臣 高木義明
 がんばれ政府!がんばろう孫たち!

4月のつぶやき(随時加筆)

●参院予算委員会。まるで 菅首相つるしあげ質問の感。「菅は菅でも鈍『菅』だ」、「言い訳ばかりだ」、「恋々と政権にしがみついているが、潔く身を引くべきだ」とか。「広島・長崎の原爆と原発はどう違うんですか?総理」とか、まるで中学生への質問だ。「そんなのに、よく大人しく答弁しているもんだ。俺(のような気性)には首相は務まらん」と、聴くに堪えず切った。
●CS放送の朝日ニュースターの番組「愛川欽也のパックイン・ジャーナル」を毎週土曜日に見ているが、23日のそれは、やはり原発問題が話題の中心だった。その中で、愛川キャスターは京都大学の原子炉実験所助教授の小出裕章氏に電話インタヴューで訊いていたが、小出氏は、東電が発表した事故収束への行程表(ステップ1を3ヶ月、ステップ2を3~6ヶ月など)を、その通り運ぶのは極めて難しいと答えていた。遠隔操作ロボットでやれるのは線量・温度・湿度などの測定と映像を撮るくらいのもので、それ以外は全部、人手でやらなければならず、その防護服はガンマ線などには役に立たず(防ぎきれず)、被曝許容限度内の短時間で作業をやめ、退避・次々交代しながらやらなければならず、時間がかかる。また、水素爆発などの危険性も全く無いわけではない、とも。
 欽キンは政治家を判断するキーポイントは憲法(9条)にたいする考え方(改憲か護憲か)に加えて原発にたいする考え方(原発維持か脱原発か)だ。
 また震災復興財源に、共産党以外の各党が受け取っている政党交付金を回すべきではないか、ということも問題にしていた。
 「ところで、この難局、菅首相ではもはやダメだとして、誰か替わり手がいますかね」
「いないでしょうね」
「小沢さんはどうなんですかね」「彼は何をしてるんですか」「さあ」
「彼なら官僚やアメリカにも物が言えそうだし」「そういう力がある人だとは私も思いますけど、今はもう客観的な構造が彼にリーダーシップを託せる構造にはなっていないでしょう」
といったことも話していた。
 他の番組でもその話。「今、このような時にリーダーシップを振るえる政治家なんてどこに?」「出てくるんじゃないですか?」「石原都知事とか、橋本府知事・河村名古屋市長のような」「たのもしいような、こわいような」「私はこわくなると思いますけど」とも。
 とにかく、この国の政治はダメだ。無責任な野党・与党内野党、それにマスコミがダメにしているのだ。

●原発―維持・増設に賛成か反対か―世論調査
 NHK(15~17日)では―増やすべき0.7% 現状維持42% 減らすべき32% 全て廃止すべき12%
 朝日新聞(16・17日)―増やすべき5% 現状維持51% 減らすべき30% やめるべき11%
                    原発利用への賛否―賛成50%  反対32%
 現状維持と原発利用に賛成という方が多いことに愕然。いったい何を考えてんだ?日本人!
「原発か停電か」で考えるのではなく、「原発か自然エネルギーの普及と節電か」で考えるべきなのに。
●福島原発の建屋の床をロボットが動きまわっている様子がテレビ・ニュースに映し出された。アメリカのiRobot社製だと開設していた。我が家で、最近、女房が買ってきたロボット掃除機(ドラム型。当方が毎朝一手に引き受けてきた掃除機掛けから、居間一部屋分をロボットに奪われてしまうことに)。よく見てみたらiRobotと書かれてあった。「なんでそんなものを」と訊くと、「アダプター付きで、普通の掃除機よりも電気を食わないからだ」という。
●年金が入ったので2回目の義援金を振り込んできた。女房は「毎月送ったら」というが、毎月、月給もらってるわけじゃあるまいし・・・・。
●4・18福島へ花見―飯坂の手前の穴原温泉へ13号線から山道に入って途中にある「館の山公園」(源義経の忠臣で有名な佐藤忠信・継信兄弟が出た奥州藤原氏一族佐藤氏の城跡)―同じ福島の「花見山公園」は有名だが(行ったことはない)、そこ(館の山公園)は「隠れた花見の名所」だというので、行ってみた。孫を誘ったが、「ババ、福島には行かないで!ジジだけ行かせて」と言って断わられたので、女房だけ連れて行った。行ったら飯坂の町の中など他の所では満開に近い桜が所々に見えたのに、そこだけ、ろくに咲いておらず、つぼみも疎らだった。いったいどういうわけだ。鳥が食べ尽したせい?カメラは一枚も撮らずに空しく帰ってきた。
●石原都知事がまた再選された。彼は今回の巨大地震・津波を日本人の「我欲」に対する「天罰」だと言ってのけたが、原発も含めて「我欲」を欲しいままにする政治を推進してきた張本人なのではないか。そのような人物を4度も都知事に選んで東京都民の感覚はとても理解できない、民主主義の不条理としか言いようがない。
 東京に限らず新保守ポピュリズムの風潮が強まっている、その結果が今回の統一地方選挙の結果に現われている。ネオリベラリズム(新自由主義的改革志向)とナショナリズム(伝統国家―「日の丸・君が代」と軍事強国―信奉)とが合体したイデオロギー(思想傾向)の持ち主で、大衆受けするハッキリした物言いと強権政治、そんなのが受けているのだ。
 この大震災をきっかけに戦後日本人の意識改革(価値観の転換)と社会の一大変革が求められているというこの時に、こんな新保守ポピュリズムとは。まったくいやになっちゃうよ!へたをすると戦前への逆戻りみたいなことにさえなりかねない。
●巨大地震・津波に襲われ、福島原発が壊れて放射性物質が漏れ出して一ヶ月たった。
 放射性物質の測定値は、今のところは「ただちに人体の健康に影響するレベルにはない」というが、数年から10年以上放射線にさらされ続けると人体のDNAを傷め、発癌するなどの放射線障害の可能性が出てくる。
 冷却装置が復旧して「冷温停止」ができたとしても、燃料棒を全部取り出し、配管を塞いで密閉状態(「廃炉」)にするまでには10年以上もかかるのだという。
 どうせ人間、だれでも何らかの病気にかかり、いずれ死ぬものだし、文明の恩恵にはリスクがつきもので、火力発電にも飛行機にも事故はつきものであり、自動車事故で死ぬ確率から比べれば原発事故で人が死ぬ確率ははるかに少ない、というが、自動車事故で死ぬのは、それに遭遇した人だけだが、原発事故が一度起きてしまえば、何万何十万という人々の死につながる。安全性と経済効率性とをプラス・マイナスするコスト計算だけで割り切られる筋合いのものではないのだ。
 地震・津波の国に、こんな原発依存のエネルギー政策はもうやめてくれ!
●1日、東日本大震災、発生から3週間
 さあ、頑張ろう・・・・頑張れない?いや、頑張るしかない!
 2日、震災とは無関係だが、脳梗塞で急逝した教え子(とは言っても歳も近く友達のような間柄で、クラス会・OB会など何かある度に運転やら写真撮りやら名簿つくりやらをやってくれた)の火葬と葬儀に行ってきた。火葬場には仙台など被災地から霊柩車が来あわせていた。葬儀には多数の会葬者が出席され、6人もの心のこもった弔辞が読まれ、あらためて彼の人徳が偲ばれた。震災の死者1万何千人と数えてきたが、その一人一人の生と死の有様その重さをつくづく思い知った。彼の息子たち(立派だった)それに孫たち・・・・頑張れよ!

2011年04月18日

大震災関連の投稿集

4・16余震も菅のせい?
 本欄の川柳に「余震まで菅が悪いと言いかねぬ」というのが載っていたが、同感だ。
 「総理の存在自体が国民の不安材料」だとか「総理の存在自体が風評被害そのものだ」などと野党・マスコミそれに与党内からまで批判の矢面に立たされ、まさにサンドバックの感。
 「右往左往」「もたもた」「後手後手」など、それらの指摘は当たってはいるのかもしれないが、今直面している事態は、誰もが経験したことのないレベルの国難であり、かつ、危機は未だ進行中。なのに、その最中の退陣論。
 いったい誰が「自分ならちゃんとやれる」と言い切れるのか?いや口先だけなら誰でも言えるし、あと知恵なら誰でも出せる。
 当方は何も現政権を支持しているというわけでもないし、庇いだてしているわけでもないのだが、今、投げ出すわけにはいかずに必死で頑張っている者の足を引っ張り、機先をそいではつぶしにかかっている、そのことに反発を禁じえないのだ。
 「政府が悪い、菅が悪い」とテレビ・新聞・週刊誌で言い立てられると、国民は皆そう思い込んでしまう。この大災害・国難にあって被災者・国民の政府不信をかきたて、不安を煽っている、そのことに憤りを感じてしかたないのだ。

4・15首相から学校生徒へメッセージ
 孫が学校から「新学期を迎えるみなさんへ」という首相からのメッセージがしたためられたプリントをもらってきた。インターネットで調べてみると小学生向けと中学・高校生向けとがある。次のようなものだ。
「この春は、私たちにとって、とてもつらい春になってしまいました。」「でも、皆さんは、けっして一人ではありません。どうか・・・・」「同じ仲間だとおもって、祈りはげましの声をあげてください。」「この大地震を通じて、日本国と日本社会は大きな変化を余儀なくされます。」「大きな試練に立ち向かわなければならなくなりました。」「学校は、あらゆる面で、皆さんが、この逆境を乗り越えていくためのサポートをしていきます。」「私たちも全力で、みなさんと一緒にがんばります。」
 「自然は、今回の地震や津波のように、時に、私たちに厳しい試練を与えます。しかし、桜前線のように、私たちをやさしく包んでくれるのも、また自然の力です。」「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に『僕、もうあんな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでも僕たち一緒に進んでいこう』という言葉があります。」「日本の未来は、みなさんにかかっています。みなさんの明るい笑顔で、日本を元気にしてください。」「私たちも、全力で、皆さんの支援に取り組みます。」
 これを読んで孫と話し合った。「な!」「うん!」と。

4・14首相退陣論は無責任
 自民党など野党からだけでなく、与党内からも「菅政権の対応は深刻な惨禍を招きかねない」などと言い立てられ、12日の首相記者会見では記者から「後手後手に回った震災対応でも総理の存在自体が国民にとって不安材料になっていると思います。一体何のためにその地位にしがみ付いていらっしゃるのか」などと質問されたりしている。
 現首相を誰かに変えれば、余震が止み、被災者の救援も被災地の復旧も進展し、原発危機も何もかも事態は好転するというのだろうか。
 「後手後手」というが、いまだかつて誰も経験したことのないこのような事態に遭遇しても、他の誰かであれば後手に回ることはなかったなどと断言できるのか。
 責任の無い者には何でも言えるのだろう。しかし、今このような時に、被災者・国民の首相や政府に対する不信・不安を煽り立てる、このような物言いは許されていいことなのだろうか。
 首相や政府のミスを指摘し批判するのはいいとしても、いま辞めさせたところで、被災者・国民に何の益があるというのだろうか。かえって不安・動揺をかきたてるだけではないのか。首相が替わり新内閣が発足するまでの時間のロスで取り返しの付かない不都合を来たすことはあっても、彼が首相でいるよりは、いない方がましだとでもいうのだろうか。
 退陣論は無責任論だ。

4・9今は戦時とは違う災害時
 「非常事態内閣」について本欄に賛否両論が載った。反対論(「『翼賛化』招く・・・」)は、今回のような災害時の戦時との違い―少数意見・異論の排除・抹殺など起こりようがないという点―を度外視した考え方に立っている。戦時の場合は反戦・厭戦など反対意見や異論がつきものであり、権力はそれを「挙国一致」の名の下に排除・抹殺しようとするものだが、今回の場合は地震・津波とそれに起因する原発放射能災害という未曽有の多重災害からいかに被災者を救援し、いかに事態を収拾し、インフラをいかに復旧するかという全国民共通の課題に対して、それらをやめろだとか放っておけだとかの反対論・異論などはありえず、党派を超え一致して取り組んで然るべきケースだろう。
 事態が収拾した暁には、党派によって国家ビジョン・復興戦略・手法などの相違が出てくるだろうが、今は、現下の危難から被災者を救い、いまだかつて誰も経験したことがなく戸惑うのが当たり前の非常事態をいかに収拾するかの一点集中・一致協力の時であり、足引っ張りや揚げ足取りを演じている場合ではないのである。
 また戦時の場合のようなプロパガンダの必要も情報隠しの必要もなく、公明正大な情報開示に不都合を感じる者は誰もいないはず。

4・1がんばろう東北!がんばれ政府!
 13日夜、菅首相は、国民の協力を訴える記者会見で、「戦後65年間経過した中で、ある意味でこの間で最も厳しい危機・・・・・。どうか、お一人おひとり、そうした覚悟を持って、そしてしっかりと家族・友人・地域の絆を深めながら、この危機を乗り越え、そして、よりよい日本を改めてつくり上げようではありませんか」と声をつまらせながら語っていた。
 ところが、このところのマスコミ・メディアの中には、「亡国の官邸」だとか、「菅首相の罪は万死に値する」だとか、菅政権をボロくそにこきおろす向きが強まっている。 
 このような時のマスコミの使命は、むしろ「みんな頑張ってくれているから大丈夫だ」と被災者に伝え、少しでも希望と安心を与えることなのであって、被災者たちに「政府は当てにならないから、諦めたほうがいい」などと不安・絶望をかきたてることではないはず。
 今回の震災にあたって政府その他の対応に対する検証は、いずれ事態が収束し落ち着いてからの時点では大いにやって然るべきであり、責任追及もあって然るべきだが、被災者が一刻も早い救援・復旧を待っており、余震が未だ続いている今はまだその時ではない。
 このような災害・非常時には、救援~復興に取り組み、或は取り組もうとしている人々に対しては、ボランテアにも自衛隊員にも、みんな「頑張れ!」と言い、菅首相にも「しっかり!頑張れ!」と言ってやってもいいのでは?。

2011年04月24日

がんばろう日本!がんばれ政府!

朝日新聞の「声」欄に次のような川柳が載っていた。
     「余震まで菅が悪いと言いかねぬ」(4月15日)
     「首相にはねぎらい言えぬお国柄」(4月23日)
 5月2日付けの同欄には新潟県新発田市の小学校教員54歳という方が寄せた投稿で「批判もいいが具体的提案を」というのがあった。それは次のようなものだ。
 「最近の報道は政権バッシングばかりが目立つ。災害・事故への対応が鈍い、菅首相は自分の保身しか頭にない、怒鳴ってばかりいる、といった具合だ。
 では誰なら現在の窮状を速やかに救えるのか。国会でも批判非難ばかりで、実現可能な具体的な提言が聞かれない。与党内でも首相への「無策無能」発言が目立つ。かつてない天災、人災が重なって大変な状況に直面している日本。今大切なのは復興に向けた総力の結集である。
 政権に批判的な政治勢力、報道各社も無策を責めるなら、その度に有為な代案を示すべきである。・・・・・。揚げ足取りばかりでは、早い復興に役立つとは思えない。」
 同感だ。全くそのとおりだ。
 マスコミやジャーナリズムの役目は権力の広報・宣伝機関ではなく、むしろ批判的チェック機能にあるべきだ、というのはわかりきった話だ。しかし、だからといって、国民にたいして政府不信と社会不安を煽りたてることは、厳に慎まなければならないはず。
 マスコミ・ジャーナリズムは、平時の場合なら政府の政策や行為に対して批判論を展開することがあって当然だし、あるいは戦時の場合なら、政府の戦争政策を批判し、国民に反戦・非戦を呼びかけることも認められて然るべきだ(先の戦争の時には、そういうことが全く無くて、まるで軍部と政府の広報・宣伝機関化していた)。
 しかし、大震災・原発事故が勃発した今のような非常時の場合は、国民に正確な情報を伝えること、それとともに絶望に打ちひしがれた被災者、不安におののく人々を希望へと導く、そのような報道姿勢であるべきで、それこそが災害・非常時おけるマスコミの使命だろう。
 首相の「この危機を乗り越え、この国の再生に、共に取り組もうではありませんか」という呼びかけに呼応するどころか、それに背を向け、心無い野党や与党内野党の党利党略の思惑に乗って、かれらの政権奪還に手を貸すが如き論調。
 田原総一朗氏などは「今回の震災を『菅災』だという声が出るのは当然」「あえて政変を起こし、一致団結して菅氏抜きの連立体制を民主・自民・公明の3党でつくるべきだ」と(4月23日付け朝日新聞オピニオン欄)。
 「政変を起こし」というが、いったいどうやって、それを起こすというのか、(被災者・避難者への対応に一刻も空費が許されない、この緊急非常時に)どうやって何日間も空白をつくらずにそれを果たせるというのか、いったい誰を首相に据えようというのか、全く具体性のない無責任な評論だ。
 このような論調に対しては、このうえなく反発を感じる。だからこそ、あえて「がんばれ政府!がんばろう日本!」というのだ。
 5月4日の朝日「声」欄には「『がんばれ』って言わないで」という投稿があった。それは「被災者たちはもう十分がんばっています。」だから「せめて『負けるな』と」。しかし、政府には「がんばれ!」と叱咤激励せざるを得ないのだ。
  


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