米沢 長南の声なき声


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大震災関連の投稿集
2011年04月18日

4・16余震も菅のせい?
 本欄の川柳に「余震まで菅が悪いと言いかねぬ」というのが載っていたが、同感だ。
 「総理の存在自体が国民の不安材料」だとか「総理の存在自体が風評被害そのものだ」などと野党・マスコミそれに与党内からまで批判の矢面に立たされ、まさにサンドバックの感。
 「右往左往」「もたもた」「後手後手」など、それらの指摘は当たってはいるのかもしれないが、今直面している事態は、誰もが経験したことのないレベルの国難であり、かつ、危機は未だ進行中。なのに、その最中の退陣論。
 いったい誰が「自分ならちゃんとやれる」と言い切れるのか?いや口先だけなら誰でも言えるし、あと知恵なら誰でも出せる。
 当方は何も現政権を支持しているというわけでもないし、庇いだてしているわけでもないのだが、今、投げ出すわけにはいかずに必死で頑張っている者の足を引っ張り、機先をそいではつぶしにかかっている、そのことに反発を禁じえないのだ。
 「政府が悪い、菅が悪い」とテレビ・新聞・週刊誌で言い立てられると、国民は皆そう思い込んでしまう。この大災害・国難にあって被災者・国民の政府不信をかきたて、不安を煽っている、そのことに憤りを感じてしかたないのだ。

4・15首相から学校生徒へメッセージ
 孫が学校から「新学期を迎えるみなさんへ」という首相からのメッセージがしたためられたプリントをもらってきた。インターネットで調べてみると小学生向けと中学・高校生向けとがある。次のようなものだ。
「この春は、私たちにとって、とてもつらい春になってしまいました。」「でも、皆さんは、けっして一人ではありません。どうか・・・・」「同じ仲間だとおもって、祈りはげましの声をあげてください。」「この大地震を通じて、日本国と日本社会は大きな変化を余儀なくされます。」「大きな試練に立ち向かわなければならなくなりました。」「学校は、あらゆる面で、皆さんが、この逆境を乗り越えていくためのサポートをしていきます。」「私たちも全力で、みなさんと一緒にがんばります。」
 「自然は、今回の地震や津波のように、時に、私たちに厳しい試練を与えます。しかし、桜前線のように、私たちをやさしく包んでくれるのも、また自然の力です。」「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に『僕、もうあんな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでも僕たち一緒に進んでいこう』という言葉があります。」「日本の未来は、みなさんにかかっています。みなさんの明るい笑顔で、日本を元気にしてください。」「私たちも、全力で、皆さんの支援に取り組みます。」
 これを読んで孫と話し合った。「な!」「うん!」と。

4・14首相退陣論は無責任
 自民党など野党からだけでなく、与党内からも「菅政権の対応は深刻な惨禍を招きかねない」などと言い立てられ、12日の首相記者会見では記者から「後手後手に回った震災対応でも総理の存在自体が国民にとって不安材料になっていると思います。一体何のためにその地位にしがみ付いていらっしゃるのか」などと質問されたりしている。
 現首相を誰かに変えれば、余震が止み、被災者の救援も被災地の復旧も進展し、原発危機も何もかも事態は好転するというのだろうか。
 「後手後手」というが、いまだかつて誰も経験したことのないこのような事態に遭遇しても、他の誰かであれば後手に回ることはなかったなどと断言できるのか。
 責任の無い者には何でも言えるのだろう。しかし、今このような時に、被災者・国民の首相や政府に対する不信・不安を煽り立てる、このような物言いは許されていいことなのだろうか。
 首相や政府のミスを指摘し批判するのはいいとしても、いま辞めさせたところで、被災者・国民に何の益があるというのだろうか。かえって不安・動揺をかきたてるだけではないのか。首相が替わり新内閣が発足するまでの時間のロスで取り返しの付かない不都合を来たすことはあっても、彼が首相でいるよりは、いない方がましだとでもいうのだろうか。
 退陣論は無責任論だ。

4・9今は戦時とは違う災害時
 「非常事態内閣」について本欄に賛否両論が載った。反対論(「『翼賛化』招く・・・」)は、今回のような災害時の戦時との違い―少数意見・異論の排除・抹殺など起こりようがないという点―を度外視した考え方に立っている。戦時の場合は反戦・厭戦など反対意見や異論がつきものであり、権力はそれを「挙国一致」の名の下に排除・抹殺しようとするものだが、今回の場合は地震・津波とそれに起因する原発放射能災害という未曽有の多重災害からいかに被災者を救援し、いかに事態を収拾し、インフラをいかに復旧するかという全国民共通の課題に対して、それらをやめろだとか放っておけだとかの反対論・異論などはありえず、党派を超え一致して取り組んで然るべきケースだろう。
 事態が収拾した暁には、党派によって国家ビジョン・復興戦略・手法などの相違が出てくるだろうが、今は、現下の危難から被災者を救い、いまだかつて誰も経験したことがなく戸惑うのが当たり前の非常事態をいかに収拾するかの一点集中・一致協力の時であり、足引っ張りや揚げ足取りを演じている場合ではないのである。
 また戦時の場合のようなプロパガンダの必要も情報隠しの必要もなく、公明正大な情報開示に不都合を感じる者は誰もいないはず。

4・1がんばろう東北!がんばれ政府!
 13日夜、菅首相は、国民の協力を訴える記者会見で、「戦後65年間経過した中で、ある意味でこの間で最も厳しい危機・・・・・。どうか、お一人おひとり、そうした覚悟を持って、そしてしっかりと家族・友人・地域の絆を深めながら、この危機を乗り越え、そして、よりよい日本を改めてつくり上げようではありませんか」と声をつまらせながら語っていた。
 ところが、このところのマスコミ・メディアの中には、「亡国の官邸」だとか、「菅首相の罪は万死に値する」だとか、菅政権をボロくそにこきおろす向きが強まっている。 
 このような時のマスコミの使命は、むしろ「みんな頑張ってくれているから大丈夫だ」と被災者に伝え、少しでも希望と安心を与えることなのであって、被災者たちに「政府は当てにならないから、諦めたほうがいい」などと不安・絶望をかきたてることではないはず。
 今回の震災にあたって政府その他の対応に対する検証は、いずれ事態が収束し落ち着いてからの時点では大いにやって然るべきであり、責任追及もあって然るべきだが、被災者が一刻も早い救援・復旧を待っており、余震が未だ続いている今はまだその時ではない。
 このような災害・非常時には、救援~復興に取り組み、或は取り組もうとしている人々に対しては、ボランテアにも自衛隊員にも、みんな「頑張れ!」と言い、菅首相にも「しっかり!頑張れ!」と言ってやってもいいのでは?。


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