朝日新聞の「声」欄に次のような川柳が載っていた。
「余震まで菅が悪いと言いかねぬ」(4月15日)
「首相にはねぎらい言えぬお国柄」(4月23日)
5月2日付けの同欄には新潟県新発田市の小学校教員54歳という方が寄せた投稿で「批判もいいが具体的提案を」というのがあった。それは次のようなものだ。
「最近の報道は政権バッシングばかりが目立つ。災害・事故への対応が鈍い、菅首相は自分の保身しか頭にない、怒鳴ってばかりいる、といった具合だ。
では誰なら現在の窮状を速やかに救えるのか。国会でも批判非難ばかりで、実現可能な具体的な提言が聞かれない。与党内でも首相への「無策無能」発言が目立つ。かつてない天災、人災が重なって大変な状況に直面している日本。今大切なのは復興に向けた総力の結集である。
政権に批判的な政治勢力、報道各社も無策を責めるなら、その度に有為な代案を示すべきである。・・・・・。揚げ足取りばかりでは、早い復興に役立つとは思えない。」
同感だ。全くそのとおりだ。
マスコミやジャーナリズムの役目は権力の広報・宣伝機関ではなく、むしろ批判的チェック機能にあるべきだ、というのはわかりきった話だ。しかし、だからといって、国民にたいして政府不信と社会不安を煽りたてることは、厳に慎まなければならないはず。
マスコミ・ジャーナリズムは、平時の場合なら政府の政策や行為に対して批判論を展開することがあって当然だし、あるいは戦時の場合なら、政府の戦争政策を批判し、国民に反戦・非戦を呼びかけることも認められて然るべきだ(先の戦争の時には、そういうことが全く無くて、まるで軍部と政府の広報・宣伝機関化していた)。
しかし、大震災・原発事故が勃発した今のような非常時の場合は、国民に正確な情報を伝えること、それとともに絶望に打ちひしがれた被災者、不安におののく人々を希望へと導く、そのような報道姿勢であるべきで、それこそが災害・非常時おけるマスコミの使命だろう。
首相の「この危機を乗り越え、この国の再生に、共に取り組もうではありませんか」という呼びかけに呼応するどころか、それに背を向け、心無い野党や与党内野党の党利党略の思惑に乗って、かれらの政権奪還に手を貸すが如き論調。
田原総一朗氏などは「今回の震災を『菅災』だという声が出るのは当然」「あえて政変を起こし、一致団結して菅氏抜きの連立体制を民主・自民・公明の3党でつくるべきだ」と(4月23日付け朝日新聞オピニオン欄)。
「政変を起こし」というが、いったいどうやって、それを起こすというのか、(被災者・避難者への対応に一刻も空費が許されない、この緊急非常時に)どうやって何日間も空白をつくらずにそれを果たせるというのか、いったい誰を首相に据えようというのか、全く具体性のない無責任な評論だ。
このような論調に対しては、このうえなく反発を感じる。だからこそ、あえて「がんばれ政府!がんばろう日本!」というのだ。
5月4日の朝日「声」欄には「『がんばれ』って言わないで」という投稿があった。それは「被災者たちはもう十分がんばっています。」だから「せめて『負けるな』と」。しかし、政府には「がんばれ!」と叱咤激励せざるを得ないのだ。