議員定数削減。菅首相が提起しているこの問題は我が国の議会制民主主義の根幹に関わる大問題。
彼および民主党がこれを持ち出した理由はそもそも何なのか。
財政難を打開するべく、少しでも財政負担を減らすためだというのだろうが、それが、それよりもはるかに金額の多い政党助成金などではなく、なぜ国会議員定数削減でなければならないのか。日本の国会議員が多すぎるという根拠はない。アメリカより多いというが、ヨーロッパ諸国から比べれば、それらのどこよりも少ないのだ。
アメリカは連邦議会の議員は少ないが、この国は50州に分かれており、各州には軍事・外交など以外は独自の権限をもつ州政府とともに上下2院の議会があり、州議会のすべての議員を合計すれば、下院だけで5,000人以上にものぼる。このようなアメリカと比べるのは、そもそもおかしいのだ。にもかかわらず削減する理由はいったい何なのか。
CS放送の朝日ニュースターの番組「闘え!山里ジャーナル」は先日(8月21日)この問題をテーマに取り上げていた。(ゲスト出演者:民主党議員の伴野氏、共産党議員の穀田氏、NPOドットジュービー事務局次長の北島優子氏。コメンテーター:朝日新聞編集委員の曽我氏・安井氏、週間朝日編集長の山口氏)そこで解ったことなのだが、どうやらそれは次のようなことのようだ。
①一般国民の国会議員に対するイメージ―高いカネをもらっていながら、たいした仕事をしていない議員が多く、「特権階級」と見なされている。
②国民に消費税増税など「痛み」を求める(「辛い事」をお願いする)うえで、それを
国民から受け容れてもらえるように、「議員自ら身を削る」という姿勢を示す。―しかし、消費税1%税率アップで2兆6千億円の国民負担増。それにひきかえ、議員が「身を削る」といっても、(議員1人当り年間7千万円として)120名(衆院80名、参院40名)の削減で、その金額は総計わずか84億円程度にしかならないし、バランス上も極めて合理性に乏しいのだが、①のような思いを持つ国民感情にはアピールしやすく、「国民受け」する(情緒的・象徴的効果をもつ)と考えたわけだ。
③議員定数を削減するにしても、それがなぜ(選挙区部分ではなく)比例部分なのかといえば、各都道府県選挙区の定数を削減するとなると、それら(削減する選挙区)の有権者の納得を得るのは容易でなく、手っ取り早く比例部分のほうから削減してしまおう、というわけだ。要するに、このような国会議員定数削減案は、なんら合理的な根拠に基づいてはおらず、「思惑」から発想している、ということ。
①②③のような現実があることも確かだが、だからと言って、このように議員定数を削減してしまったら、(少数政党は切り捨てられ、国会に多様な民意が反映されなくなるなど)そのデメリットは余りに大きく、我が国の議会制民主主義を著しく損なうものとなるだろう。「ムダを削る」というのであれば、政党助成金(年間320億円―国会議員450人分の経費に相当。議席数に応じて配分され、民主党・自民党2党で85%を山分けしている、それらの党を支持していない国民にとっては、税金で強制的に献金させられているようなもの)こそカットすればいい話なのだ。