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2007年08月 アーカイブ

2007年08月07日

「改憲」避けた民主党は賢明

 この度の参院選に際し、安倍首相は改憲を争点にすると言い切って、自民党はそれをマニフェストの第一に掲げて臨んだ。それに対して民主党はそれを無視し、「国民の生活が第一」ということに徹して臨み、大勝を博した。
 当選者の中で改憲賛成派は大きく後退し、積極改憲派の多くが落選、とりわけ民主党は改憲賛成派が29%で、反対派41%を大きく下まっているという(朝日・東大共同調査)。
 民主党は今後、憲法審査会などでは自民党の「新憲法草案」などを批判し、問題点を指摘するのはよいとしても、自ら積極的に改憲案大綱・骨子の作成・提起などに取り組むことは控えた方が賢明であり、遠からず行なわれるだろう解散総選挙でも「改憲より生活第一」で臨んだ方が賢明だろうと思う。
 なぜなら、国民の多くは現行憲法に格別不都合を感じておらず、改憲など切実に望んではいないことが明白になったのに、安倍首相の執念で何としても3年後に改憲を果たすのだという自民党の土俵にわざわざはまり込み、抱き込みにあうようなことになってはバカバカしいだろうと思うからである。
 国民が安倍自民党から離れて民主党に求めているのは改憲などではなく、むしろ現行憲法を活かすことにあるのだ。

2007年08月08日

原爆謝罪要求に加えて

 先日、本欄に「原爆への謝罪、国会に求めよ」という投稿がありましたが、私も同じことを考え、前にも投稿しました。私は、その国会決議の原爆謝罪要求に加えて、アメリカの学校の教科書で広島・長崎への原爆投下を正当化するような記述は控え、その悲惨さ、非人道性をきちんと教える教育を同国に求めることをも盛り込むべきである、と思うのですが、いかがなものでしょうか。
 先だって我が国では防衛大臣の原爆「しょうがない」発言が問題となったが、アメリカでは「原爆投下は戦争を早く終わらせて多くの命を救った正しい行為だった」という考え方がむしろ一般的であり、教科書にもそのように書かれ、教師たちの多くは「原爆投下はやむを得なかった」と教えているという。しかし、アメリカ人のその考え方は間違っている。そのことを指摘し、教科書の書き直しを求めることは、被爆国民の当然の権利であり、責務であると思います。
 ただしそれは、我が国自身が自らの戦争とそれにともなう非道行為に対して、真珠湾奇襲攻撃も従軍慰安婦も南京大虐殺も含めて、反省を新たにし、我が国の歴史教育でそれらを正当化するようなことはけっしてあってはならないという、自省・自戒を込めてのことでなければなるまい。

2007年08月20日

参院選の結果と今後―改憲をめぐって

(1)選挙結果と有権者の投票行動
 先だっての参院選は与党大敗、民主党大勝という結果であった。しかし、この民主党大勝は「敵失(自民党側の失策・失政)に負うところが大」との見方が一般的であり、それに間違いはないだろう。(選挙後の朝日新聞の世論調査では、「民主党が議席を増した一番大きな理由は?」との質問に対して「自民党に問題があるから」と答えた人は81%、それに対して「民主党の政策に期待できるから」と答えた人は9%に過ぎない。読売新聞の世論調査では、民主党の議席増の理由は「安倍・自民党への批判」が68%で一番多く、「政権交代への期待」は39%、「小沢代表への期待」は14%,「民主党の政策への期待」は12%にとどまる。)民主党が政府与党に対する批判票の受け皿となって、「自民党は負けてほしい。そのためには共産党など他の野党支持者であっても一人区などで反自民票が割れないようにと」民主党に票が流れたということであって、必ずしも民主党の政策や活動実績が評価されたわけではない、ということだ。
 そこで安倍首相および彼の続投を支持する向きは、「確かに年金や失言大臣、『政治とカネ』については問題だった。それでお灸をすえられたのだろうが、基本政策は間違ってはいない」という言い方をしている。「『構造改革・経済成長』路線といい、公務員制度改革といい、外交・防衛政策、『教育再生』政策、それに改憲政策も間違ってはおらず、首相は引き続きそれらに鋭意取り組んでいけばよい。参院選は『中間テスト』の如きもの。国民は安倍首相の内閣改造後の取り組みとその成果を見たうえで、次の総選挙(衆院選)で勝ち負けを決めるべきだ」というわけである。しかし、はたしてそうだろうか?

 自民党が忌避された原因には、「消えた年金記録」の問題や閣僚の失態・失言、「事務所費」等の「政治とカネ」の問題などの失点、それに「数の力」で押し通すやり方に対する反発もあるが、それだけでなく小泉・安倍内閣の『構造改革』路線―規制緩和・民営化政策、市場競争主義、格差容認政策、それらが根本原因ではないのか。それに「戦後体制(レジーム)からの脱却―「憲法改正」とか「美しい国へ」とかも―国民から違和感を持てれだした。(投票直後のTBS系テレビの世論調査では「『戦後レジームからの脱却』には共感できない」が50,8%、「『美しい国づくり』には共感できない」が63,1%、「『憲法改正』には共感できない」が61,9%)

 今回の参院選では、自民党は改憲問題を争点としてマニフェスト(政権公約)の第一番に掲げ、共産・社民の両党はそれに正面から対決する構えを見せたが、民主党はそれを避けた(マニフェストでは、改憲については「足らざる点があれば補い、改めるべき点があれば改める」というにとどめ、重点政策には入れず、別枠に記載)。投票日前のマスコミ各社の世論調査では、争点として挙げられた中で改憲問題を重視すると答えた割合は一番低い方で、メディアも、また当の自民党もそれを強くもち出そうとはしなくなったようだ。結局、有権者の多くは、改憲に対する考え方でその政党・候補者に投票するということはなかったのである。
 当選者の方はといえば非改選議員と合わせた改憲賛成派は、04年の参院選当時は71%もいたのが、今回は51%に減っており、3分の2からぐうっと遠くなった。9条に限っていえば、今回の当選者・非改選と合わせて「変える方がいい」が31%、「変えない方がいい」が50%と改憲反対の方が多い、という結果だったという(8月19日TBS「サンデーモーニング」)。
 改憲問題に限って云えば、今回の選挙で国民が求めたものには改憲は入っておらず、国民は改憲など格別望んではいないということだけは、はっきりしたのではあるまいか。
 自民党が改憲をマニフェストの筆頭に掲げて争点にしようとしたのに対して民主党が改憲を持ち出さなかったその戦術は民主党にとっては賢明であったと云えるだろう。もしもそれを取り上げ(同党の、かねてよりの「憲法提言」のように)9条を変えるようなことを持ち出していれば、それを望まない有権者の票は護憲政党である共産党や社民党のほうに流れていただろう。
 ということは、今後、総選挙(衆院選)が遠からず行なわれるとすれば、民主党はその際にも同じ戦術をとる(改憲を持ち出さず、争点にしない)か、或は9条改憲には反対だということをはっきりと打ち出して自民党とこの問題で正面から対決するかしたら、再び勝って政権獲得を物にすることも夢でなくなるかもしれない。但しその場合は、その民主党政権下では改憲推進政策は控えなければならなくなる(「創憲」「憲法提言」は保留か撤回)。それをもし憲法審査会などで自民党と談合して改憲発議案の骨子・大綱づくりを進めたり、ましてや自民党と大連立を組んで両党が一緒になって改憲案作りに取り組んだりすれば、それは全くの公約違反(マニフェストに取り上げていないのにそれをやれば、民主党は改憲しないものと思って投票した有権者からはそう見なされる)ということになり、国民を欺くものとして反発をかい、国民投票で(過半数賛成は得られず)改憲は覆され、政権も覆されるだろう。
 いずれにしても安倍自民党の改憲という土俵に民主党は乗ってはならないということだ。
(2)民主党という党は
 当面は、参院選に大勝した小沢民主党は安倍自民党に対して対決姿勢(テロ特措法延長に反対、郵政民営化法凍結法案を提出するなど)でのぞみ、攻勢をかけて衆院解散・総選挙に持ち込み、再び勝利して政権獲得を果たそうと伺うだろう。
 しかし、選挙で勝ちはしても単独過半数に達しないその場合には政界再編、民主・公明連立あるいは民主・自民の大連立もあり得ないことではない。
 ところで、民主党という党は、そもそも自民党と基本方向を共有している「もう一つ保守党」という一面をもっている。民主党は当初(1998年、旧民主党に新進党から分かれた4党が合流して新民主党が誕生した時)の基本理念は「生活者」「納税者」「消費者」の立場を代表するとし「市民主義」を標榜していたが、2003年小沢氏らの自由党と合併して以来、財界の経団連から自民党とともに政策評価(「政党通信簿」)が付けられて企業・団体献金を受けるようになり、懇談を通じて財界との関係を強め、財界の要求に応える政策を自民党と競い合うようになった。そうして自らを自民党に対して「もう一つの保守党」と称したりするようになった。(岡田代表―当時―曰く「(自民・民主は)基本のところは同じだ。形だけの理念か、それを本気でやるかだ」と。菅代表代行いわく「安倍は保守亜流。今や保守本流は民主党だ」と。)その党内には旧自民党・旧社会党右派・民社党など各党の出身者がいて、「連合」など労組からからも支持・献金を受けている一方、自民党の安倍・中川昭一らとともに「日本会議議連」や「歴史教育議連」に所属しているメンバー(靖国派)もいる。したがって右に左にブレる可能性があり、バラバラになる可能性もある。
 二大政党といっても、保守二大政党で、自民党と大連立するような民主党を国民は支持しないだろうし、大連立を組んで議員の数に物を言わせて改憲を強行するような二大政党制ともなれば、保守改憲派独裁と変わりないことになり、そうなっては二大政党制の意味がないと、国民は思うだろうからである。
(3)改憲はどうなるか
 安倍自民党の改憲は、彼らのイデオロギー(歴史観・価値観など)(日の丸・君が代・靖国信奉イデオロギーと親米イデオロギー)から発想されており、その「新憲法草案」は既に一昨年発表されている。
 一方、民主党は「論憲から創憲へ」―新しい憲法をつくる方向―を掲げ、「憲法提言」も出されているが、それは我が国憲法に対する同党の考え方(現行憲法の問題点、もし改憲するとすればこういう点―9条ならば「制約された自衛権」を明確にすること、それに国連多国籍軍やPKOなどの集団安全保障活動ならば武力行使も認めること―といったこと)を提起したものであって、自民党の「新憲法草案」のように具体的に条文の文案を提示したものではない。この「提言」をたたき台に昨年4月全国11ブロックの衆院比例区単位で支持者らとの対話集会を始めたが、同8月の5ヶ所目の開催を最後に中断したまま。開催を断ったある県の幹部は「選挙や組織のことを考えると、党が割れる危険が大きい。それに見合う利点があるのか疑問だ」と党内事情を語っているという(朝日7月3日「07参院選・迷走の行方―下」)。ただ、民主党には自民党のイデオロギーを共有し、その改憲路線に同調もしくは妥協しそうな向きが少なからずいる。
 自民・民主ともに、党内には積極的改憲派から護憲派まで様々いて、その間でブレ、党が割れる可能性もある。
 安倍首相が「私の内閣で憲法改正を実現する」として続投、政権の座に居座り続けるかぎり、これから改憲をめぐってイデオロギー対決またはレジーム選択(8月15日の全国戦没者追悼式の追悼の辞で河野洋平衆院議長は「海外での武力行使を自ら禁じた『日本国憲法』に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んできた」と述べ、安倍首相が掲げる「戦後レジームからの脱却」を牽制したが、その「戦後レジーム」からの脱却か継承かの選択)が日程に上ってくる。その場合、民主党はどのような立場をとるのか。解散・総選挙が行なわれれば、今度は安倍自民党の改憲マニフェストに対してどういう対応をとるのか。
 「安倍カラー」は、今回の参院選大敗で薄めざるをえず、安倍首相の思惑どおりには進まないだろうが、その改憲の執念が貫かれるとすれば、安倍自民党は、その改憲案が3分の2以上の賛成にこぎつけるためには、公明党や国民新党だけでは間に合わず、どうしても民主党の支持・合意も獲得しなければならないことになる。そのために民主党との妥協、自民党原案の修正を重ねることになろう。自民党の「新憲法草案」(05年10月公表)は、その前(04年12月発表)の「憲法改正草案大綱」から比べれば、既に民主党と公明党の合意を得やすいように作り直したものなのだ(天皇の元首化など復古的だと思われるような規定は除去)。一橋大学院教授の渡辺治氏(旬報社「安倍政権論」)によれば、安倍首相にとって大事なのは改憲そのものを実現することにある。そのためには「自らの新保守的心情を封印し」「新保守的規定はどうなってもよいと割り切っている」という。安倍氏いわく「ある段階に来れば憲法改正に必要な総議員の3分の2の賛成を得るためにも、党の改憲案を思い切って修正することだってあり得るでしょう。自分たちの改憲案がベストだと言って一字一句にこだわるつもりはありません」と。
 今後、衆参各院に設置される憲法審査会などにおける3年後の改憲発議案の提出に向けた(改憲原案の骨子・大綱などの)議論の過程では妥協・修正を重ねつつ、ついには安倍自民党と民主それに公明・国民新党との合意にたどり着くのだろうか。

 発議案が国会で成立しても、最終的には国民投票で賛成が過半数に達しなければ現行憲法は維持されることになる。改憲の可否を決するのはあくまでも国民だということであるが、国民はそのさい安倍自民党のイデオロギーや美学や執念に引きずられてはならないし、財界やアメリカ政府の都合・利益にひきずられてもならない。国民が考慮すべきは、ただ自らの実生活を省みて、自らの平和的生存権・自由権・平等権・社会権・幸福追求権・参政権などの保障に関して現行憲法に不都合・不便を感じているのか否か(或は変えられたら困るか否か)ということと、世界の諸国民は日本の現行憲法(9条など)に不都合を感じているのか否か(或は変えられたら困るだろうか否か)の二つだけなのである。

 総選挙(衆院選)はいつになるか。争点は何になるか。消費税・法人税など税制は?労働・雇用問題は?憲法9条問題(自衛隊の海外派兵、集団的自衛権)は?市場競争主義・格差・貧困問題は?年金・医療・介護等の保険制度問題は?・・・・「戦後レジーム(現行憲法体制)の脱却か継承か」は?
 さて、今度は誰に、どの党に入れようかな・・・・・・。


2007年08月23日

9条論議は生命の問題

 先日15日NHKで9条に関する長時間討論番組(「日本のこれから」)があった。
この討論を聞いて思ったことは、この種の議論には、前提として次の2点の理解が必要不可欠なのでは、ということ。
 一つは、そもそも戦争・武力行使とそれがもたらす結果(効果、弊害、リスク)とはいかなるものか、単に抽象的・観念的な理解ではなく、その具体的な実態・実相をよく知ること。(専門家や体験者から解説してもらって)
 もう一つは、そもそも人の生命の重さとはどれ程のものなのか。それ以上に価値あるもの、もっと優先すべきものに何があるというのか。自他、多数者・少数者、敵・味方に生命の軽重などあるのか。犠牲にしても「しかたない」生命などあるのか。小林よしのり氏が指摘していたが、ガンジー主義とは、自分や民衆がいかに弾圧を受け殺されそうになっても、暴力で反撃はせずに不服従抵抗を貫くというものだが、それが、生命を顧みない、生命を軽んずることになるのか。これらのことも解っておくこと。(哲学者などから解説してもらって)
 この二つのことを解ったうえで議論すべきなのだ。さもないと、事の本質や実態をよく解っていない者同士が、ただ感情的に反論し合って、空しく平行線で終わってしまう。


 

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