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2023年07月 アーカイブ

2023年07月17日

「あなたはどこの国の総理ですか」

 この言葉は、以前、当時の安倍首相が長崎市平和祈念式典に訪れた際に、被爆者代表の方が核禁条約への署名などを求めた要望書を持参して面会した時に発した言葉だが、今回のG7サミットは日本国内では大方の目には「大成功」「良くやった」好評のよう。それでも、被爆者の方々の目には、いったい「どこの国の、どこの出身の総理なんですか」と思われた向きが多かったのでは。
 折から発行された米国のニュース雑誌「TIME」で(ことし世界で最も影響力のある100人として)表紙を飾ったのは日本の首相の顔だが、その添え書きには「岸田首相は何十年も続く平和主義を放棄し、自国を真の軍事大国にしたいと望んでいる」とあり(中の特集記事のタイトルも当初は「平和主義だった日本を軍事大国に変える」となっていたのが、そこは差し替えられたとのことだが、表紙の添え書きはそのまま)、世界の目にはそのように見える向きもあるのだということなのだろう。日本の国民は「それでもいいと思っているのだろうか」と問われている、とも言えるのでは。
 日本国憲法の平和主義(前文「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意して・・・・この憲法を確定する」)には、制定当時の国民の覚悟が込められていたはずだが、今、憲法を変えて、その平和主義を捨てようとする、それでもいいのかと。問われているのは日本の国民なのでは。
 広島サミットは、メディアを通じて見た目には、いかにも素晴らしかったかのように受け取られたのだろう。しかし、被爆国で憲法に戦争放棄を誓った国の、しかも被爆地出身の首相が議長となって、わざわざ被爆地に各国首脳を集めて開いたサミットならば、その立場で首脳たちに訴え世界に発信しなければならなかったものを、被爆者をはじめ良識のある向きには「いったいどこの国でどこの都市で開かれたサミットなのか」と忸怩たる思いを禁じ得なかったのでは。
 集まった各国首脳たちの中で(当方の目には)唯一まともだったと思われたのは、グローバルサウスから招待されたブラジルのルラ大統領―ウクライナ紛争で「双方とも戦争に勝つのは自分たちだと思い込んでいる」、「双方とも100%譲らないのは無理だ」として、同紛争に向けた多国間グループの創設を目指し、インド・インドネシア・中国などとともに自らを調停者と位置付け、核禁条約批准の意志も表明している。
 被爆国で憲法に不戦平和を誓っている国ならば、せめてこのようなことを言える日本のリーダーで(TIME誌の表紙にあんなことを書かれることのないリーダーで)あったらよかったものを。
 我が国政府の外交と国際会議における議論に際して依拠すべきは憲法であり、誇るべきは9条で、いわば「無刀流サムライ日本」(無刀流とは、幕末の江戸城無血開城に際して勝海舟とともに西郷隆盛との談判に当たった山岡鉄舟が開いた剣術の流派で、「敵と相対するときは刀ではなく心を以て相手の心を打つ」というもの。)なのにどうもはき違えが。

広島サミットと世論―解散総選挙など今後の動向

 先のG7広島サミットにメディアの礼賛報道を通じて世論の多くは「良くやった」と好評のようで、岸田内閣の支持率も急上昇。
しかし、被爆者からは「失敗だった」(サーロー節子氏)とか「戦争を煽るような会議になった」(被団協事務局長)などの痛烈な批判もあったし、(朝日川柳には)「良い核と悪い核ありG7」「過ちは繰り返さぬと核頼り」「「軒を借り母屋を取ったゼレンスキー」「解散が次の頭のど真ん中」などといったものもあった。
 尚、この広島サミットに先立って、アメリカのニュース雑誌『TIME』の表紙に「世界で最も影響力のある100人のリーダー」として岸田首相の顔が大きく載り、顔のわきに「長年の平和主義を放棄して真の軍事大国にすることを望んでいる」と訳される英字が添えられた。(その特集記事のタイトルも当初は「平和主義だった日本を軍事大国に変える」となっていたのが、そこは差し替えられたとのことだが、表紙の方はそのまま)、世界の目にはそのように見える向きもあるのだ、ということなのだろう。日本の国民は「それでもいいと思っているのだろうか」(と問われているようにも思える)。
 国会では、軍拡財源法案などは既に衆院で可決し、参院で審議中。
今後、岸田政権にとっては、広島サミットがうまくいって世論からは首相の指導力も含めて好評で内閣支持率が不支持を一挙に上回ったところで、その勢いが止まぬうちに解散総選挙に踏み切る可能性があると。
 争点は
 ①防衛問題(敵基地攻撃能力保有・防衛費倍増・軍需産業支援法案の是非) ②核問題(核
抑止の是非、核禁条約参加の是非) ③少子化対策問題 ④教育・子育て問題 ⑤原発推進法問題 ⑥マイナカード制度問題 ⑦ジェンダー関連法問題 ⑧世代間等格差問題 ⑨財源・増税問題 ⑩入管法問題 ⑪統一教会問題 etc
 選挙になったら有権者は何を考えて投票するのか?
 各党・各候補者の政治理念と上記の①以下それぞれについて政策をじっくり見比べて投票するのか?(そんなことができる余裕のある人は少数で、大多数は)政策などはどうあれ、とにかく現政権を信任するか、しないかで、「安心して任せられるのは、やはり〇〇党しかなさそう。野党は○〇だけは勢いがありそうだが、他はどれも期待できそうにない」だとか、フィーリングやイメージで投票するか、或いは投票しない(棄権)か、なのでは。
 いずれにしても、そのうち選挙はある。その際、我々にとって核心的な争点は、政権党とそれに同調する党の「アメリカの核抑止力」依存と「敵基地攻撃能力」保有・「軍事大国化」容認そして「改憲」の是非であり、それらに反対する立憲野党と市民連合が共闘体制を再構築して、どれだけ頑張れるかが問われる。共闘は党利党略のためではなく憲法の理念・目的実現のため、憲法改悪阻止のためであり、それでまとまれるかだ。(立憲民主党は果たしてどうなのか?)

「ウクライナは明日の東アジアかも」という政権に対する危機感

 岸田首相が「ウクライナは明日の東アジアかもしれない」と云って、中ロ・北朝鮮を念頭に、日米同盟からNATOとまで連携強化を図り、防衛力・防衛費の増強を推し進めている。台湾有事や朝鮮半島有事などに備えて戦う戦争の準備だ。それに対して国民はどうかと云えば、世論調査(5月の朝日新聞など)では6割が賛成(ウクライナ侵攻で「防衛力を強化すべきだと思うようになった」が57%)。
 岸田首相の防衛政策・改憲に同調している政治家や選挙民は、自国の過去における大戦争とその惨禍を再び繰り返すことのないようにと制定した憲法とその9条の存在意義は(学校で習ったはずの大人も若者も)もう意識の中にないのか。
 それら防衛力強化は日本が(ウクライナのように)ロシア・中国・北朝鮮などから侵攻されないようにそれに備えて、といっても、これらの国が何故侵攻してくるのか。何か理由・動機があるとすれば、中国には台湾との(統一か独立か)の戦争にアメリカが介入して、米軍が沖縄など日本各地に置かれている基地から出撃し、自衛隊がそれを支援・参戦した場合の日本への反撃はあるだろう(それとは別に尖閣諸島「奪還」のためわざわざ日本に戦争を仕掛けてくるなどということは中国にとってはコスパからいってあり得まい)。北朝鮮は、米韓と今まで休戦中の朝鮮戦争を再開して、それに米軍が日本の基地から出撃し、自衛隊がそれを支援・参戦した場合のそれへの反撃はあろう。ロシアの場合は、(ウクライナ戦争から発展して、或いはそれとは別に)アメリカと戦争になった場合に、米軍が日本の基地から出撃し、自衛隊がそれを支援(或いはそれに乗じて北方領土奪還のためもあって)参戦するといったようなことが、もしかしてあった場合のことだろう。だとすれば、それらは、いずれもアメリカに対する戦争であり、それに日本が(日米安保条約を結んで米軍に駐留基地を提供し、自衛隊に集団的自衛権の行使を認めたために)巻き込まれてのことであって、それ以外にはあるまい。そのような、もしかしてこれからあるかもしれないアメリカの対中、対北朝鮮などの戦争のために、日本がなんでわざわざ戦争準備の「防衛力増強」(軍拡)をしなければならないのか。そんなことより、アメリカに台湾有事に際する対中戦争や対北朝鮮戦争の再開は控えてくれと訴え、中国・台湾政府・北朝鮮・韓国などの各国政府にも自制を促し戦争はくれぐれも起こさないでくれと申し入れるのはいいとしても、第一義的に訴えるべきはアメリカに対してだろう。アメリカに対してそんなことを云ったりしたら日本を守ってもらえなくなるからと、アメリカの言いなりになったら、それこそ意気地のない従属国家だとの誹りは免れまい。
 岸田政権のウクライナ戦争に便乗した日米同盟依存の防衛力強化(軍拡)・改憲路線に国民は唯々諾々と従っていてよいのか、それとも9条堅持・護憲の立場に立ってそれに反対するのか、どの道を選べば日本国民と諸国民の平和的生存権(恐怖と欠乏からの自由・安心)は守られるのか、どうなるのか(特に、これから先の長い若い人たちには)もっと切迫感をもって考えてほしいものだ。

 若者など国民は、実際どう思っているのだろうか。防衛力、それは相手が戦争を仕掛けてくるのを抑止するための「抑止力」だと云っても、いざとなったらそれで自衛隊は米軍など同盟軍と組んで戦争するんだという覚悟がなければならない、戦争には悲惨な殺傷・破壊が伴うが、その覚悟があってのことなのだろうか。そのような戦争を容認するのか否か、その意識の中には感情的なものと理性的なものとがあるが、感情的なものには愛国心や家族・同胞を守らなければならないといった情念に、戦う相手に対する反感・憎悪・敵愾心があり、理性的なものには国益・私益上のコスパ・リスク計算、道徳的価値観などがある。憲法前文の「恐怖と欠乏から免れ平和の裡に生存する権利」即ち平和的生存権と、それを保障するために定めたのが9条にほかならないが、意識の中にそれがあるのか。それには国際紛争解決の手段として戦争や武力に訴えることを禁止し、そのために国に戦力の保持・交戦することを禁じるという規定であり、その立場を堅持しているかぎり、わが国はどこの国とも戦争にはならないわけである。台湾有事問題は中台統一か分離かの問題であり、それが「日本有事」となることはそもそもあり得ないし、朝鮮半島有事問題も休戦中の米韓対中朝の戦争が再開した場合の問題であって、それにアメリカの軍事介入はあっても(在日米軍基地からの出撃と、それに対する北朝鮮軍の米軍基地攻撃があって、それに巻き込まれるということはあっても)日本が軍事介入(自衛隊が参戦)することは、憲法上はあり得ないはず。
 その憲法規定を守って不戦平和主義に徹するか、それともそれに背を向け、同盟国アメリカの戦争に自衛隊が支援・参戦するなど、軍事と戦争を容認する方に向かうのか、国民の意識が問われるわけである。
 国民多数者の意識如何によって、国民の平和的生存権が保障されるか否か、ひいては将来世代にわたる国民の運命(幸不幸)が決まるわけである。
 それを決定づけるともいうべき来るべき総選挙の争点は、「反原発」やマイナーカード問題など様々あるが、最大の争点は「不戦・非軍事の平和安全保障」か「戦争容認の軍事的安全保障」かで、護憲派と改憲派両勢力が対決。護憲派各党は、個別的には政策の不一致(小異)はあっても大同(護憲)で団結して選挙戦に臨み、政権与党とその補完政党の軍事的安保派・改憲勢力に対して、彼らの3分の2議席以上獲得を阻止し、台湾有事及び朝鮮半島有事の戦争を何としても回避・阻止しなければなるまい。

日本国憲法の平和観―欧米などとの違い

1、ウクライナの現実
 対ロ戦争―ロシア軍の侵攻に対して果敢に(軍民が一丸となって)抗戦、それを(NATO)が軍事支援(武器供与)
 ロシアとの歴史的関係―地続きでロシア帝国・ソ連時代にかけ同一国家に属してきて、ソ連邦解体にともなって独立したが、国内(東部から南部・クリミア半島)には多くのロシア人(全人口の3分の1)が居住。親ロ政権が親米政権に替わった政変で両派抗争、クリミア半島はロシアが併合、東部の親ロ勢力と政府軍との間で内戦が続いてきた。
 旧ソ連は、アメリカが西欧諸国と結成した多国間軍事同盟NATOに対抗して東欧諸国とWATOを結成していたが、ソ連解体にともなってそれも解消、西側のNATOだけが残った。東欧諸国はNATOに次々加盟、ソ連邦に属していたバルト3国も加盟し、その上ウクライナまでもそれに加盟しようとしていることロシアは危機感を持った―それらが戦争の遠因。
  双方の犠牲者―3月時点でウクライナ軍の死傷者―最大約12万人
  ロシア軍の死傷者―約20万人
  (米紙報道、実際の総数はこれより大きく上回るとの見方)
  ウクライナ市民の死者―6月時点で9043人(国連人権高等弁務官事務所)
  ウクライナ国民の8割もが家族・友人に死傷者
  
2、日本の現実
 岸田首相は国内外(首脳会談や講演・記者会見など)で再三「ウクライナは明日の東アジアかもしれない」と述べ、バイデン大統領との会談では、首相は「次は台湾ではないか」とも言ったと語っている。そして中ロ・北朝鮮を念頭に、日米同盟からNATOとまで連携強化を図り、防衛力・防衛費の増強を推し進めている。台湾有事や朝鮮半島有事などに備えて戦う戦争の準備だ。それに対して国民はどうかと云えば、世論調査(5月の朝日新聞など)では6割が賛成(ウクライナ侵攻で「防衛力を強化すべきだと思うようになった」が57%)。
 「台湾有事」とは―そもそも中国と台湾の関係も明・清帝国時代にかけて同一国家だったが、日清戦争で敗れて台湾は日本にあけわたし日本領(植民地)となった。清朝は革命で中華民国(国民党政権)に替わったその中国に日本軍が侵攻し、日中戦争から太平洋戦争へと発展した。そのあげく日本は敗退して本土からも、台湾からも撤退。その後、中国で国民党と共産党が内戦のあげくに、共産党が中華人民共和国を樹立。中華民国(国民党政府)は台湾に逃れて政府を維持し、政府が並立することになった(「一国二制度」へ)。国連では間もなく本土の共産党政府が唯一の正統政府(「一つの中国」)として代表権が認められ、アメリカも日本もそれを承認。その後台湾では独立志向が強い民進党への政権交代が行われたが政権を奪還した国民党政府は本土政府との関係改善・経済交流を図った。ところがそのトップ(総統)が退任後、再び政権交代して民進党の現政権になって、中台関係は再び冷え込むようになった。中国政府は、台湾独立は断じて許さない(武力を持ってでも阻止する)として、あくまで再統一をめざしている。そこで想定される所謂「台湾有事」とは、中国の「台湾との再統一」か「台湾独立か」を巡る戦争が起きた場合のこと。
 それにアメリカが介入して台湾を加勢し、米軍が沖縄など日本各地に置かれている基地から出撃し、自衛隊がそれを支援・参戦した場合に日本が中国から反撃を被ることになる。
 「朝鮮半島有事」とは―北朝鮮と米韓との間で、今まで休戦中の朝鮮戦争が再開される事態となった場合のこと。それに米軍が日本の基地から出撃し、自衛隊がそれを支援・参戦した場合に日本が北朝鮮から反撃を被ることになる。

 それら「有事」は中国或いは北朝鮮の、いずれもアメリカに対する戦争になるということであり、それに日本が(日米安保条約を結んで米軍に駐留基地を提供し、自衛隊に集団的自衛権の行使を認めたために)巻き込まれざるを得ない戦争になるということだ。そのような他国(アメリカ)の戦争に自衛隊が加勢・参戦するという、そんなのに「我が国への急迫不正の侵害に対して、それを排除するために他に適当な手段がなくて、やむなく行使される必要最小限の武力行使」という自衛権行使の正当性を認めることはできまい

3、憲法の平和主義に対する意識―平和観
(1)憲法―前文に「全世界の国民が等しく恐怖と欠乏から免れ平和の裡に生存する権利を有する」―「平和的生存権
      9条に「戦争放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」
    13条「すべての国民は個人として尊重される。生命・・・・に対する国民の権利は・・・・・国政の上で最大の尊重を必要とする」
    「平和的生存権」は1962年憲法学者の星野安三郎が日本国憲法から導き出される人権の一つとして初めて提唱―日本が先駆的(但し、その原型は1941年8月ルーズベルト、チャーチル会談で大西洋憲章の第6項に「ナチ暴政の最終的破壊の後・・・・すべての国のすべての人類が恐怖及び欠乏から解放されて、その生命を全うすることを保障するような平和を確立されることを希望する」と)
   「平和的生存権は現代において、憲法の保障する基本的人権が平和の基盤なしには存立し得ないからして、全ての基本的人権の基礎にあって、その享有を可能ならしめる基本的権利であるということができ、単に基本的精神や理念を表明したに留まるものではない」(2008年4月、自衛隊イラク派兵差止訴訟の名古屋高裁判決文)
 生命は自由の土台的存在(生命がなければ自由は存在しないのだから)
 殺人・殺戮・死刑など「なぜ人を殺してはいけないのか」、それは「人に人を殺す権限などないから」(そもそも人間には生命―誕生・延命など―自由にコントロールすることはできないのだから)・・・・<サイト[生命権|法における生命についての観念|憲法の学習・・・]-法務行政書士事務所リーガル・ウインド>
 2008年、スペインの市民団体が(イラク戦争の犠牲者の悲惨から)それ(平和的生存権)を国際法上の権利にしようと考えたのがきっかけとなり、国連で「平和への権利」の議論が進められることに(人権委員会で「平和への権利」宣言案の起草作業へ)―それに対してアメリカやEU諸国・オーストラリアなどは採択には反対(武力行使に足かせをはめられるのを嫌う)・・・・<サイト[100の論点:88.平和への権利、平和的生存権とは何でしょうか]―平和学会>
 
(2)京大名誉教授の佐伯啓思氏によれば(朝日7月1日おピニオン&フォーラム欄「日本の『平和』とは」)によれば―平和観に対する日本人と米欧人の違いは
  日本人(①伝統的自然観-「日本人の神は(ユダヤ教・キリスト教などの絶対的・超越的な神ではなく)自然そのものの森羅万象のうちにあまねく存在するもの」であり、「万物は自ずからそこにあり、自ずとなるもので調和している」との「和」の考え、②戦争に対する反省)―平和とは「戦争のない状態」、戦争は「絶対悪」と考える向きが多い―「平和」とは戦争の放棄であり、無条件の生命の安全確保(絶対的な生命尊重主義)
  米欧人(ユダヤ教・キリスト教-一神教…唯一絶対なる神の下の平和な世界秩序を実現するのが正義であり、それを覆そうとする邪悪と戦わなかればならないとの考え―戦争の必要性)―平和とは「戦争のない状態を作り出すための戦争」でもあるとして、それ(平和実現のための戦争)を「正義の戦争」として肯定・・・・ヒロシマ・ナガサキに投下した原爆も戦争を終わらせるための「正義の原爆」。
 
 佐伯教授は日本文化のうちにある伝統的自然観や「神」の観念という「思考の祖型」に日本人の「平和」についての原初的な意識が認められるとし、その意識からすれば、日本人の平和に対する考え方は近代憲法の発想とは異なったものであり、今日の憲法9条の平和主義とはまったく違っているはず(われわれは日本独自の『平和論』をまだ持ち得ていないのだ)」とも述べている。
 ところが、思想家の柄谷行人氏は(『憲法の無意識』岩波新書で)日本人は(フロイトの心理学である「超自我」による)戦争への拒絶反応で無意識のうちに平和憲法(9条)を受け入れ、それが日本人の心に定着しているのだと。(ドイツ人が大戦の無残な結果に否応なく意識した理性的な反省による罪悪感とは違って、歴史的な反省には欠けているが、むしろ無意識の罪悪感の方がより強いのだ。)そして日本史上、明治以来戦争に明け暮れた時代が終結して訪れた9条憲法下の平和は、「戦国」の動乱が最終的に徳川家康によって平定されて以後久しく天下泰平の世が続いた「徳川体制への回帰」の如きものだと論じている。

(3)ウクライナ戦争は500日も経って、人命の犠牲と惨害は嵩む一方で、いつ止まるともなく続いている。
 戦争には戦う双方の将兵・国民に感情(勧善懲悪の正義感・敵愾心・憎しみ・復讐心など)が働き、一旦始まるとそれが激してエスカレートするばかりでなかなか止められなくなる。
 ロシアとウクライナ(及びその軍事支援国―NATO)双方にそれぞれに戦争目的(自国・同胞の安全保障・主権と領土防衛など、掲げる大義・「正義」)があって戦っている。なのに何故それを止めなければならないのかといえば、それには次の二つがある。一つ(A)は当事国にとって、自国が掲げる「正当な」戦争目的(正義)に対して、それに逆らい阻もうとする相手の「不正義」を許さず、その敵対・違法行為を止めさせるため(戦争に打ち勝って止める)という「正義」の立場。もう一つ(B)は当事国双方の国民のみならず諸国民にとっても人命の犠牲・生活環境の破壊をくい止め平和的生存権を保持するためという人道の立場、とがある。
 しからば戦争を止めるにはどうするかといえば、方法は次の4つがある。
 ①(侵攻)仕掛けた方が、攻撃(戦闘)をやめる(武器を置く) 
  その場合a自発的に自ら(潔く)武器を置くか、b降伏してやむなく武器を置くか
 ②仕掛けられた方が、抗戦(戦闘)をやめる(武器を置く)
その場合a自発的に自ら(潔く)武器を置くか、b降伏してやむなく武器を置くか
 ③双方とも(協議の上しめし合わせて)互いに自発的に武器を置く
 ④第三者(第三国か国連機関)が仲介(双方を説得)して共にやめさせる。
これらのうち①と②のいずれもb(降伏してやむなく)の場合は、戦争が長引いた末に勝敗が決してのことで、その間の人命の犠牲・惨害は長引いただけ甚大なものとなる。このような勝敗に決着がつくまで戦い続けるのは、上の(A)の「正義」の立場で、相手の違法・不正義を許してはならないということにこだわった情念による。それ以外(①②のaと③④)は、いずれも人命の尊重・平和的生存権の方にこだわる人道の立場といえるのでは。
 しかし④以外(当事国が「自発的に自ら潔くその気になって」戦争を止めるなどという方法)は非常に難しく不可能に近いだろうが、④(第三者の仲介)ならば可能性はなくはない。中国やブラジルなどグローバル・サウスの国々の中にその意向を示している国があるも、未だその見通しが立ってはいない。日本では先のG7広島サミット開催を前にして一部の学者・専門家グループが「今こそ停戦を!Ceasefire Now!」という声明を発しているが、地方新聞で長周新聞など以外にはほとんど取り上げられていない。ただ東京新聞それにニューヨーク・タイムズにも意見広告として掲載されているという。

 ウクライナ軍の「徹底抗戦」とそれへの米欧諸国の支援・ロシア制裁、それに日本政府も(武器供与以外は)加わっているが、それらを控えて無条件・即時停戦を促している国々もある。平和憲法と日本人の平和観からいえば、日本国民の多くが同調するのはどちらかといえば後者の方なのでは。
 ところが日本のメディアはインターネット・メディアを含めて、ウクライナの対ロシア「徹底抗戦」・停戦拒否を支持する西側(米欧側)に同調、それに政権与党だけでなく野
党政治家も(「れいわ」の山本議員や「維新」鈴木議員ら以外の)ほとんどがウクライナの停戦拒否・徹底抗戦に同調しているかのようだが、いったいどういうことなのだろうか。

 徹底抗戦派は国際関係の基本的ルールである法の正義を重視。侵攻して戦争を仕掛けたのはロシアの方であり、それに抗戦するウクライナとを同列に置いて、双方とも武器を置いて停戦・和平するというのは不公平であり、あくまで侵攻したロシア軍を撤退させ、それが犯した罪と損害を償わせるようにしない限り、戦争は続行せざるを得ず、長期化して死傷者が増えてもやむを得ないとして、仇敵懲罰にこだわり、生命より「正義」を貫く方が大事とする「正義派」。
 それに対して即時停戦派は、法の正義もさることながら(それに反した違法行為を咎め、断罪もあって然るべきだとしても)そもそも戦争(殺し合い)そのものが悪なのだとして戦闘停止にこだわり、生命尊重の「平和的生存権」の方を重視。戦争を続けて人命の犠牲と生活環境・インフラの破壊がこれ以上生じないように、一日も早く停戦して協議に入り、たとえ交渉が難航しても和平にこぎつけて戦争を終わらせるべきだという「和平派」。

 プーチン・ロシアの「悪」に対して敢然として立ち向かうゼレンスキー・ウクライナとそれを支援する「正義の味方」バイデン・アメリカが率いるNATOと岸田・日本政府、それに同調する各党・メディアの「正義派」の前に「停戦・和平派」は影薄。
 どちらの考えをとるか、違法な侵略者に対する「正義」の制裁か「平和的生存権」(人命尊重平和)のどちらの価値に重きを置くかだ。憲法に9条を定めている日本人ならば。

4,今、日本では日本国憲法9条(戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認の規定)に対して解釈・考え方が分かれている―
 ①国の自衛権はもとより、自衛隊も容認(合憲)、日米同盟(米国の核抑止力)も容認し集団的自衛権の限定的行使・敵基地攻撃能力の保有と積極的海外派兵を容認―安倍政権以来の政府の言う「積極的平和主義」(自衛隊の軍事的積極活用・名ばかり「専守防衛」)―軍事優先主義
防衛産業支援・装備品生産基盤強化法案の可決と武器輸出拡大も(殺傷兵器までも)企図―9条改憲目指す
 ②国の自衛権はもとより、自衛隊も容認(合憲)、日米同盟容認も集団的自衛権行使と敵基地攻撃能力保有は否認(自衛隊は自国防衛のための必要最小限度の実力であって武力反撃は原則として日本の領域内にとどまるもの)―専守防衛論―安倍政権(安保法制転換)の前までの政府見解、立憲民主党・社民党なども―国民の大半支持
 ③国の自衛権は認めるも、自衛隊は違憲―憲法学者の多数派の考え
 ④国の自衛権は認めるも、自衛隊は違憲―但し合法的に認められて現に存在している以上、「我が国への急迫不正の侵害に対して、それを排除するために他に適当な手段がなく、必要最小限の武力行使」としては警察力と同様に活用―共産党の考え
 ⑤国の自衛権は認めるも、自衛隊は違憲―廃止して人道支援部隊兼非軍事国境警備隊(災害救助即応隊と陸上・沿岸・航空警備隊―軽武装で外敵の排除活動に留まるもの)に改編―花岡しげる氏の考え
 ⑥自衛権も否認、自衛隊・日米同盟も否認―旧社会党(石橋委員長の前まで)の非武装中立論

(1)これらのうち①は軍事優先主義で改憲派、それ以外の②以下は平和優先主義(⑥は絶対平和主義)で9条護憲派として共闘できるのでは。

 政府・与党に対抗する野党共闘・選挙協力・候補者一本化などという場合、「小異を残して大同につく」といえば、この場合「9条護憲」ということが「大同」ということになる。
(2)それにつけても、核兵器禁止条約への日本政府の参加・批准促進運動などに国民が結集するうえで不可欠な運動推進センターに関して、かつて原水禁運動の唯一のセンターとして国民が総結集していたのが原水協(原水爆禁止日本協議会)であった。それが分裂して「原水協」と「原水禁」(原水爆禁止日本国民会議)とに分かれ、運動がバラバラになってしまい、毎年8月ともなれば広島・長崎で開かれている原水爆禁止世界大会も別々に開いている。それを国民が一丸となって結集できるように大会・集会・デモの統一・共同開催などの積極的取り組みが必要なのでは(本会―憲法カフェで前回に問題提起があった)。
 そもそもどうして原水協が分裂してしまったのか、そのいきさつ・経緯は?(Wikipediaによれば次のようなこと)
 1954年 ビキニ環礁でのアメリカの核実験で日本漁船が被爆
 1955年8月 広島で第1回原水爆禁止世界大会開催、原水爆禁止日本協議会(原水協)が発足
 1960年 日米安保反対の方針を巡って自民党系・民社党系が離脱
   61年 ソ連の核実験再開に対して社会党系グループがそれに抗議すべきだと主張、   それに対して共産党系は抗議に反対
   62年(ソ連の再度核実験)社会党系が「いかなる国の核実験」にも反対、それに対して共産党系は「ソ連の核実験はアメリカと違って戦争を防止するためのものであるから」と容認・擁護
   63年 社会党系グループが「いかなる国の・・・にも反対」とともに「部分核実験禁止条約への支持」要求、それに対して共産党系は部分核実験禁止条約では地下核実験を容認することになるから(それに同条約は、中国の核開発・実験を阻止して米英ソ3国だけで核兵器を独占しようとするものだから)反対
     大会は混乱して流会、共産党系は「意見の違いにかかわらず『核廃絶・核戦争阻止・被爆者救援』の3点で統一すべきだ」と主張するも、社会党系グループ
は脱退
 1965年 原水協から脱退して社会党系グループが原水爆禁止日本国民会議(原水禁)を結
 成
  その後共産党と原水協は中ソ両国共産党に批判的になり、両国の核保有容認から核兵器全面禁止へ転換、一方の社会党は反米・親ソ・親中・親北朝鮮の傾向を強めたため原水禁の方は逆に中ソの核保有擁護に転じた。

 原水爆禁止運動は当初は超党派で一つのセンター(原水協)で一つの原水爆禁止世界大会が開催されてきた。それがセンターは「社会党系の原水禁」と「共産党系の原水協」に二分され、世界大会も分かれて開催されることにもなったのだ。
 このように過去、その時点の情勢下で持ち上がった問題を巡って起きた対立・いがみ合いを、情勢がすっかり変わっているのに、いつまでもわだかまりを残してそれを引きずって国民の総結集を妨げる運動センター分立をそのままにしておくのは如何なものか。唯一の被爆国日本で国民が一丸となって結集し、政府に対して核兵器禁止条約への参加・批准要求やアメリカの核抑止力(核の傘)依存政策反対、ロシアのウクライナ侵攻とともに核使用に反対、北朝鮮のミサイル発射・核実験反対、英仏中印パ各国も含めて全ての核保有国のNPT核軍縮の促進、全ての国の核放棄・廃絶を求める運動を最大限盛り上げられるように核禁運動のセンター統一および世界大会等の統一開催に努めなければなるまい。

 共闘の要諦は「小異を残して大同につく」即ち「過去のいさかい・わだかまりを残して護憲平和・核禁条約批准・脱原発の実現の大義につくということ」なのでは。

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