米沢 長南の声なき声


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「ウクライナは明日の東アジアかも」という政権に対する危機感
2023年07月17日

 岸田首相が「ウクライナは明日の東アジアかもしれない」と云って、中ロ・北朝鮮を念頭に、日米同盟からNATOとまで連携強化を図り、防衛力・防衛費の増強を推し進めている。台湾有事や朝鮮半島有事などに備えて戦う戦争の準備だ。それに対して国民はどうかと云えば、世論調査(5月の朝日新聞など)では6割が賛成(ウクライナ侵攻で「防衛力を強化すべきだと思うようになった」が57%)。
 岸田首相の防衛政策・改憲に同調している政治家や選挙民は、自国の過去における大戦争とその惨禍を再び繰り返すことのないようにと制定した憲法とその9条の存在意義は(学校で習ったはずの大人も若者も)もう意識の中にないのか。
 それら防衛力強化は日本が(ウクライナのように)ロシア・中国・北朝鮮などから侵攻されないようにそれに備えて、といっても、これらの国が何故侵攻してくるのか。何か理由・動機があるとすれば、中国には台湾との(統一か独立か)の戦争にアメリカが介入して、米軍が沖縄など日本各地に置かれている基地から出撃し、自衛隊がそれを支援・参戦した場合の日本への反撃はあるだろう(それとは別に尖閣諸島「奪還」のためわざわざ日本に戦争を仕掛けてくるなどということは中国にとってはコスパからいってあり得まい)。北朝鮮は、米韓と今まで休戦中の朝鮮戦争を再開して、それに米軍が日本の基地から出撃し、自衛隊がそれを支援・参戦した場合のそれへの反撃はあろう。ロシアの場合は、(ウクライナ戦争から発展して、或いはそれとは別に)アメリカと戦争になった場合に、米軍が日本の基地から出撃し、自衛隊がそれを支援(或いはそれに乗じて北方領土奪還のためもあって)参戦するといったようなことが、もしかしてあった場合のことだろう。だとすれば、それらは、いずれもアメリカに対する戦争であり、それに日本が(日米安保条約を結んで米軍に駐留基地を提供し、自衛隊に集団的自衛権の行使を認めたために)巻き込まれてのことであって、それ以外にはあるまい。そのような、もしかしてこれからあるかもしれないアメリカの対中、対北朝鮮などの戦争のために、日本がなんでわざわざ戦争準備の「防衛力増強」(軍拡)をしなければならないのか。そんなことより、アメリカに台湾有事に際する対中戦争や対北朝鮮戦争の再開は控えてくれと訴え、中国・台湾政府・北朝鮮・韓国などの各国政府にも自制を促し戦争はくれぐれも起こさないでくれと申し入れるのはいいとしても、第一義的に訴えるべきはアメリカに対してだろう。アメリカに対してそんなことを云ったりしたら日本を守ってもらえなくなるからと、アメリカの言いなりになったら、それこそ意気地のない従属国家だとの誹りは免れまい。
 岸田政権のウクライナ戦争に便乗した日米同盟依存の防衛力強化(軍拡)・改憲路線に国民は唯々諾々と従っていてよいのか、それとも9条堅持・護憲の立場に立ってそれに反対するのか、どの道を選べば日本国民と諸国民の平和的生存権(恐怖と欠乏からの自由・安心)は守られるのか、どうなるのか(特に、これから先の長い若い人たちには)もっと切迫感をもって考えてほしいものだ。

 若者など国民は、実際どう思っているのだろうか。防衛力、それは相手が戦争を仕掛けてくるのを抑止するための「抑止力」だと云っても、いざとなったらそれで自衛隊は米軍など同盟軍と組んで戦争するんだという覚悟がなければならない、戦争には悲惨な殺傷・破壊が伴うが、その覚悟があってのことなのだろうか。そのような戦争を容認するのか否か、その意識の中には感情的なものと理性的なものとがあるが、感情的なものには愛国心や家族・同胞を守らなければならないといった情念に、戦う相手に対する反感・憎悪・敵愾心があり、理性的なものには国益・私益上のコスパ・リスク計算、道徳的価値観などがある。憲法前文の「恐怖と欠乏から免れ平和の裡に生存する権利」即ち平和的生存権と、それを保障するために定めたのが9条にほかならないが、意識の中にそれがあるのか。それには国際紛争解決の手段として戦争や武力に訴えることを禁止し、そのために国に戦力の保持・交戦することを禁じるという規定であり、その立場を堅持しているかぎり、わが国はどこの国とも戦争にはならないわけである。台湾有事問題は中台統一か分離かの問題であり、それが「日本有事」となることはそもそもあり得ないし、朝鮮半島有事問題も休戦中の米韓対中朝の戦争が再開した場合の問題であって、それにアメリカの軍事介入はあっても(在日米軍基地からの出撃と、それに対する北朝鮮軍の米軍基地攻撃があって、それに巻き込まれるということはあっても)日本が軍事介入(自衛隊が参戦)することは、憲法上はあり得ないはず。
 その憲法規定を守って不戦平和主義に徹するか、それともそれに背を向け、同盟国アメリカの戦争に自衛隊が支援・参戦するなど、軍事と戦争を容認する方に向かうのか、国民の意識が問われるわけである。
 国民多数者の意識如何によって、国民の平和的生存権が保障されるか否か、ひいては将来世代にわたる国民の運命(幸不幸)が決まるわけである。
 それを決定づけるともいうべき来るべき総選挙の争点は、「反原発」やマイナーカード問題など様々あるが、最大の争点は「不戦・非軍事の平和安全保障」か「戦争容認の軍事的安全保障」かで、護憲派と改憲派両勢力が対決。護憲派各党は、個別的には政策の不一致(小異)はあっても大同(護憲)で団結して選挙戦に臨み、政権与党とその補完政党の軍事的安保派・改憲勢力に対して、彼らの3分の2議席以上獲得を阻止し、台湾有事及び朝鮮半島有事の戦争を何としても回避・阻止しなければなるまい。


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