« 2022年09月 | メイン | 2022年11月 »

2022年10月 アーカイブ

2022年10月19日

他国からの侵攻や軍事的圧力にどう対応するか

(1)一般的には
 ①対抗―応戦(抗戦)、軍事力(抑止力)増強、同盟国と連携
 ②不戦・非軍事対応―無抵抗・服従(占領支配を受け入れ)
 ③ 〃   〃  ―非暴力抵抗(武器なき戦い)・不服従・非協力・・・・ガンジーの非 暴力思想やジーン・シャープの非暴力行動論から
   戦略―侵略軍の占領支配者に対して市民大衆(公務員・警察官さえも)が団結して不服従(命令に従わず)・非協力の態度・行動を貫く―そうすれば占領統治者は命令に従う協力者を失い、もたなくなって撤退へ―その非暴力方法にはボイコット・ストライキ・デモなど(シャープ氏によれば198もの方法があるとのこと)―投石したり、手は出さない(非暴力を徹底)
   弾圧・投獄・処刑などで犠牲者は出ても、抗戦・応戦(砲爆・ミサイルの撃ち合い等の戦闘)に伴う犠牲・破壊に比べれば被災や死者は少なくて済む

(2)中国から
 ①中国にのよる台湾統一作戦―台湾軍に米軍(日本の基地から出撃)が加勢―米軍に自衛隊が加勢―日本が中国軍から攻撃され戦争に巻き込まれる―という可能性
  そのような事態に立ち至ることを容認し(成り行きにまかせ)、それに備えて防
衛費の増額、「反撃能力」保持、9条改憲)するか、
  それとも、それには反対し、そのような事態を招かないように(中・台・米、とくに中国に対して自制を促すなど)日本政府の外交努力をもとめるか。

 ②尖閣諸島に侵攻?―自衛隊が抗戦―米軍が加勢
そのような事態(侵攻・軍事衝突・戦争)にならないよう(招かないよう)に
 対話・警戒・監視
(3)北朝鮮から
 朝鮮戦争の再開―米軍が日本の基地から出撃―米軍に自衛隊が加勢―日本が北朝鮮軍から核ミサイル攻撃され巻き込まれる
  そのような事態に立ち至ることを容認し(成り行きにまかせ)、それに備えて防衛
費の増額、「反撃能力」保持、9条改憲)するか、
  それとも、それには反対し、そのような事態を招かないように、北朝鮮・米韓に
対して朝鮮戦争の終結を呼びかけるなど日本政府の外交努力を求めるか。
(4)ロシアから?(可能性なくはないが、低い―日本が北方領土奪還の軍事作戦を起こさない限り、ロシア側から先制攻撃を仕掛けてくるくるとは考え難い)、

 これら以外に、日本がどこかの国から急迫不正の侵害・侵略を受ける蓋然性などあるのだろうか。
 これらのために「自衛戦争」を容認する軍事的安全保障の拡充・強化を目指して防衛費の増額、「反撃能力」保持、或いはNATO加盟、9条改憲の路線を採るか、それとも平和憲法に忠実な護憲の立場で、不戦・非軍事安全保障の路線を採るか、どれを採るかだ。

 護憲派(と云っても色々)の対応
 ①自衛隊は違憲として非武装・非軍事であるべきとする考え
 ②自衛隊は違憲でも、存在する限りは、万一急迫不正の侵害あれば活用
 ③自衛隊は、個別的自衛権の行使(専守防衛)に限って合憲、日米同盟も容認
いずれも集団的自衛権の行使容認と改憲に反対、核兵器禁止条約参加などでは共通
 
(5)国連の対応
  現状の問題点
 ①侵略など違法行為を認定し制裁措置を決める安保理で拒否権を持つ常任理事国
(5大国)が一国でも拒否すれば何事も決まらず機能不全に陥ること。(常任理事国になっている国自身か或いはその同盟・友好国が侵略者と認定されたり、制裁の対象となる決議にはその大国は拒否権を行使するということで)安保理の決定に基づく「国連警察軍」が組織できず、侵略など違法行為を制止、軍事的制裁措置を講じることができないでいる。
  (憲章43条には安保理が加盟国と「特別協定」を締結して、必要な兵力などの提供・分担を得て「国連軍」を組織・編成することが定められているが空文化している。)
 ②(国連憲章51条に、安保理が侵略国に対して制裁措置をとるまでの間という限定で)各国に個別的自衛権と集団的自衛権の行使が認められているために、各国とも軍備、自衛力(抑止力)の名のもとに軍事力を保持・増強 、互いに脅威(軍事的緊張関係)を及ぼし合い、「自衛」の名のもとに戦争し合う結果になっている(アメリカのアフガン戦争やイラク戦争、それに今回のロシアのウクライナ侵攻も、「自衛」の名のもとに行われている。)
 現に、常任理事国のロシアがウクライナに侵攻し、ウクライナが米欧の軍事同盟NATOの支援の下に抗戦、戦争は激化、長期化し、それを国連は制止できず、国連の集団安全保障・平和機構としての役割を果たせずにいる。

 これらの欠陥を除去するなど、国連は改革(憲章の改正)を迫られている—特に上の2点について
 ①常任理事国(5大国)に認められている拒否権の行使濫用を禁止するために、それ(事案に対する拒否権行使の正当性―濫用に当たるか否か)をチェックする機関を設けるなど、その方法を検討し、具体案を総会で決議。
 軍事的制裁措置を決定に当たる「国連警察軍」は軍事大国など加盟国に兵力などの分担・提供に頼らず、国連自身の機関として常設し、兵員・指揮官(参謀)など国連職員(国際公務員)として世界から直接募集して組織・編成する。資金は通常の国連予算と同様加盟国の拠出金(分担金)で。
 ②各国の軍備は全廃し、憲章51条の自衛権行使のための軍備は廃止。(自衛のためと称して軍備と軍事同盟を持ち合うことによって、それ自体が戦争の火種となるから)―各国とも日本国憲法9条のように戦力不保持・交戦権否認。国連警察軍以外には、各国の軍備は全て放棄。武器・兵器も全て
 (核兵器など大量破壊兵器や対人地雷など残虐兵器のみならず、大型重火器・小型軽火器も)製造・取引・輸出も禁止。
 そうすれば戦争はなくなり、恒久平和が実現。
 この際は国連の現状変更(レジーム・チェンジ)は必要不可欠

2022年10月20日

自衛権は正当防衛権と同じ自然権として固有の権利か?

 自然権とは、国家が生まれて法律が制定される以前から、人間(個々人)に生まれながらにして備わり、国家によって侵されることのない権利―「基本的人権」で「天賦人権」と称される。

 生存権(誰しも生命が保障され生きる権利)は自然権であるが、個人の正当防衛権(襲ってきた相手に自分の身を護るため、或いは襲われた人を助けるため、やむを得ず暴力を振るい相手に怪我を負わせ、殺してしまったりなど)の場合は刑法上の権利であって、生まれながら人間が有する権利というわけではなく、本来は違法な犯罪行為になるところを例外的に罪には問われない権利

自衛権」は国家の「固有の権利」というが、それらは国連憲章に初めて記された言葉で、第2次大戦まではそのような概念はなかった第1次大戦までの国際法には戦争に用いる手段や方法には制約があっても、国家の戦争行為そのものには自衛のためであろうとなかろうとなんの制約もなかった。それが1928年の不戦条約で「国際紛争解決のために戦争に訴える」ことを禁止するとなって、それを自衛のための戦争ならかまわないのだな、と解釈されるようになった。その「国家の自衛」が「個人の正当防衛」と似ているので国連憲章には国家の「固有の権利」として「自衛権」を認めるということにされたのでは―杉江栄一著『日本国憲法と国連』)
 
 要するに国の自衛権は、個人の正当防衛権とは異なり、自然権として大昔からどの国にも認められてきた固有の権利と云うわけではない、ということだ。

 暴漢から襲われて自分の身を守るため、他に方法がなく、やむを得ず物理的手段(暴力)に訴えて抵抗するというのは当たり前ではあっても、戦争を仕掛けてきた相手に対して国を守るために武力で応戦する自衛戦争は「正当な戦争」と見なされるかといえば、必ずしもそういうものではあるまい、ということだ。「個人の正当防衛」で、急迫不正な侵害に対して他に防ぐ方法がなく物理的暴力を行使するしかないという場合ならともかく、国に対する軍事侵攻や占領に対しては武力による抗戦しか他に方法はないとは限らず、「非暴力抵抗」という方法(アメリカの政治学者ジーン・シャープ氏が198「手」挙げている非暴力的方法)もあるわけである。

「正当防衛」が認められているといっても、日本では一般の個々人が護身用に銃刀など武器を保持・所持することは法律で禁止されている。しかし、アメリカでは憲法(「修正2条」)で人民の武装権として銃器などの保持・所持が認められている(植民地時代以来、開拓者がインデアンとの戦い、独立戦争では民兵がイギリス軍と戦い、黒人奴隷を反抗を抑止しながら使役したなどの特殊な歴史的背景から未だにそれが維持されているのだ)。殺人発生率(人口10万人当り2017年)は銃刀保持が禁止されている日本は0.2件なのに対してアメリカは5.3件と遥かに多い(尚、フランスは1.3、イギリス1.2、ドイツ1.0)。市民に銃保持を認めているアメリカはそれだけ銃射殺事件が多いということだ。(30年前、アメリカで留学中の日本人高校生射殺事件があった時、その日本人高校生はハロウインパーテーの訪問先を間違えて入っていこうとした家の人から不審者と見間違えられて撃たれたのだが、「もし相手が銃を持っていなければ、先ず言葉をかわしたはず」といわれる。武器を持てば、言葉を尽くすよりも、武器に頼ってしまいがちなのでは。)

 「国の自衛権」は国連憲章ではどの国にも認められていて軍備も認められているが、日本では憲法では戦力の保持(軍備)は交戦権とともに否認されているにもかかわらず、自衛権はどの国にも認められた国家固有の権利だからとして、憲法上の「戦力」には当たらない程度の「自衛力」しか持たない装備の実力組織として自衛隊を保持し、アメリカと安保条約を結んで米軍に駐留基地を提供し、集団的自衛権の体制を組んでいる。
 国連憲章は国際紛争の平和的解決と戦争・武力行使・侵攻・侵略の禁止、相互不可侵を定め、侵略行為など禁止を破った国に対してそれ以外の全ての国か一致協力して制裁措置を実行するという集団安全保障のシステムとして国連は発足した。ところが、この集団安全保障システムは、その中核(平和に対する脅威や侵略行為の認定と制裁措置の決定に主要な責任)を担う安保理で拒否権を持つ米中ロなど5大常任理事国が一国でも反対すれば決定できないことから、実質的に一度も機能しておらずその一方、各国に自衛権と軍事同盟・ブロックを組むことを認めていることから、てんで勝手に認定して個別的自衛権あるいは集団的自衛権を発動して戦争。朝鮮戦争以後、ベトナム戦争、湾岸戦争、対テロ・アフガン戦争、イラク戦争、そして今ウクライナ戦争と、いつ終わるともなく戦争が繰り返される。
 それを止めるにはどうすればよいのか。それには国連憲章を改正(51条を削除)し、各国の自衛権を廃止して軍備を全廃するしかない―それは日本国憲法9条(戦力不保持・交戦権の否認)を世界に押し広げるということだ。
 気候危機(地球温暖化)とともに、これこそが国連が取り組むべき喫緊の課題なのでは。
 世界の国々の間には紛争の種が様々あるが、各国がそのために戦争に備えて軍備を持ち合い、軍事同盟に寄りかかって対峙し、脅威を及ぼし合っていて、それ自体が火種となっているからである。
 
 これまでの国際法の戦争法規には、兵器の制約(核兵器や生物化学兵器などの大量破壊兵器の禁止や対人地雷やクラスター爆弾などの残虐兵器の禁止)はあるが、それだけでなく、自衛戦争を含めた戦争そのものを禁止し、日本国憲法9条2項のように戦力(常備軍)不保持・交戦権の否認を国連憲章に(改正して)定めてもおかしくないわけである。
 国際司法裁判所・国際刑事裁判所があるが、法執行機関として常設の国際警察軍があって然るべきであり、それ以外には各国の軍備・軍隊は全廃するということにする。そうしてこそ恒久平和が実現する、ということだ。


About 2022年10月

2022年10月にブログ「米沢長南の声なき声」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2022年09月です。

次のアーカイブは2022年11月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34