米沢 長南の声なき声


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自衛権は正当防衛権と同じ自然権として固有の権利か?
2022年10月20日

 自然権とは、国家が生まれて法律が制定される以前から、人間(個々人)に生まれながらにして備わり、国家によって侵されることのない権利―「基本的人権」で「天賦人権」と称される。

 生存権(誰しも生命が保障され生きる権利)は自然権であるが、個人の正当防衛権(襲ってきた相手に自分の身を護るため、或いは襲われた人を助けるため、やむを得ず暴力を振るい相手に怪我を負わせ、殺してしまったりなど)の場合は刑法上の権利であって、生まれながら人間が有する権利というわけではなく、本来は違法な犯罪行為になるところを例外的に罪には問われない権利

自衛権」は国家の「固有の権利」というが、それらは国連憲章に初めて記された言葉で、第2次大戦まではそのような概念はなかった第1次大戦までの国際法には戦争に用いる手段や方法には制約があっても、国家の戦争行為そのものには自衛のためであろうとなかろうとなんの制約もなかった。それが1928年の不戦条約で「国際紛争解決のために戦争に訴える」ことを禁止するとなって、それを自衛のための戦争ならかまわないのだな、と解釈されるようになった。その「国家の自衛」が「個人の正当防衛」と似ているので国連憲章には国家の「固有の権利」として「自衛権」を認めるということにされたのでは―杉江栄一著『日本国憲法と国連』)
 
 要するに国の自衛権は、個人の正当防衛権とは異なり、自然権として大昔からどの国にも認められてきた固有の権利と云うわけではない、ということだ。

 暴漢から襲われて自分の身を守るため、他に方法がなく、やむを得ず物理的手段(暴力)に訴えて抵抗するというのは当たり前ではあっても、戦争を仕掛けてきた相手に対して国を守るために武力で応戦する自衛戦争は「正当な戦争」と見なされるかといえば、必ずしもそういうものではあるまい、ということだ。「個人の正当防衛」で、急迫不正な侵害に対して他に防ぐ方法がなく物理的暴力を行使するしかないという場合ならともかく、国に対する軍事侵攻や占領に対しては武力による抗戦しか他に方法はないとは限らず、「非暴力抵抗」という方法(アメリカの政治学者ジーン・シャープ氏が198「手」挙げている非暴力的方法)もあるわけである。

「正当防衛」が認められているといっても、日本では一般の個々人が護身用に銃刀など武器を保持・所持することは法律で禁止されている。しかし、アメリカでは憲法(「修正2条」)で人民の武装権として銃器などの保持・所持が認められている(植民地時代以来、開拓者がインデアンとの戦い、独立戦争では民兵がイギリス軍と戦い、黒人奴隷を反抗を抑止しながら使役したなどの特殊な歴史的背景から未だにそれが維持されているのだ)。殺人発生率(人口10万人当り2017年)は銃刀保持が禁止されている日本は0.2件なのに対してアメリカは5.3件と遥かに多い(尚、フランスは1.3、イギリス1.2、ドイツ1.0)。市民に銃保持を認めているアメリカはそれだけ銃射殺事件が多いということだ。(30年前、アメリカで留学中の日本人高校生射殺事件があった時、その日本人高校生はハロウインパーテーの訪問先を間違えて入っていこうとした家の人から不審者と見間違えられて撃たれたのだが、「もし相手が銃を持っていなければ、先ず言葉をかわしたはず」といわれる。武器を持てば、言葉を尽くすよりも、武器に頼ってしまいがちなのでは。)

 「国の自衛権」は国連憲章ではどの国にも認められていて軍備も認められているが、日本では憲法では戦力の保持(軍備)は交戦権とともに否認されているにもかかわらず、自衛権はどの国にも認められた国家固有の権利だからとして、憲法上の「戦力」には当たらない程度の「自衛力」しか持たない装備の実力組織として自衛隊を保持し、アメリカと安保条約を結んで米軍に駐留基地を提供し、集団的自衛権の体制を組んでいる。
 国連憲章は国際紛争の平和的解決と戦争・武力行使・侵攻・侵略の禁止、相互不可侵を定め、侵略行為など禁止を破った国に対してそれ以外の全ての国か一致協力して制裁措置を実行するという集団安全保障のシステムとして国連は発足した。ところが、この集団安全保障システムは、その中核(平和に対する脅威や侵略行為の認定と制裁措置の決定に主要な責任)を担う安保理で拒否権を持つ米中ロなど5大常任理事国が一国でも反対すれば決定できないことから、実質的に一度も機能しておらずその一方、各国に自衛権と軍事同盟・ブロックを組むことを認めていることから、てんで勝手に認定して個別的自衛権あるいは集団的自衛権を発動して戦争。朝鮮戦争以後、ベトナム戦争、湾岸戦争、対テロ・アフガン戦争、イラク戦争、そして今ウクライナ戦争と、いつ終わるともなく戦争が繰り返される。
 それを止めるにはどうすればよいのか。それには国連憲章を改正(51条を削除)し、各国の自衛権を廃止して軍備を全廃するしかない―それは日本国憲法9条(戦力不保持・交戦権の否認)を世界に押し広げるということだ。
 気候危機(地球温暖化)とともに、これこそが国連が取り組むべき喫緊の課題なのでは。
 世界の国々の間には紛争の種が様々あるが、各国がそのために戦争に備えて軍備を持ち合い、軍事同盟に寄りかかって対峙し、脅威を及ぼし合っていて、それ自体が火種となっているからである。
 
 これまでの国際法の戦争法規には、兵器の制約(核兵器や生物化学兵器などの大量破壊兵器の禁止や対人地雷やクラスター爆弾などの残虐兵器の禁止)はあるが、それだけでなく、自衛戦争を含めた戦争そのものを禁止し、日本国憲法9条2項のように戦力(常備軍)不保持・交戦権の否認を国連憲章に(改正して)定めてもおかしくないわけである。
 国際司法裁判所・国際刑事裁判所があるが、法執行機関として常設の国際警察軍があって然るべきであり、それ以外には各国の軍備・軍隊は全廃するということにする。そうしてこそ恒久平和が実現する、ということだ。



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