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2019年07月 アーカイブ

2019年07月01日

7月のつぶやき                                 12078 1263 1608
●某政権党の政見放送とCMを見ての感想―「巧言令色少なし仁」
●7月4日の「天声人語」(朝日)に「ひいきのチームを持とう―。スポーツと同じように、選挙でも」、「選挙とは、端的にいえば『ひいきの候補者』に一票を投じる行為なのだ」、「ひいきの候補者」をつくって(選択して)、「観戦ではなく参戦」するのだ、といったようことが書かれていた。んだ、これでいこうや!
 とにかく、狡猾・傲慢な「一強」には我慢ならねー、なんとかさんなね!
●参院選―争点は年金問題、消費税増税問題、9条改憲問題、原発再稼働問題など。
これらは、いずれも庶民にとって切実な問題なのだが、どちらかといえば高齢者なんかよりも、若者にとって深刻な問題。
 今65歳になる人は公的年金だけでは2000万円不足するということで騒がれているが、41歳以下の若者が65歳になる頃には3600万円も不足するようになるのだ。
 税金も保険料もカネ(負担能力)のある者から、所得収入に応じて課すべきものだが、消費税は一律10%ということで、子供や学生からまで取り立てる。
 憲法9条に自衛隊を明記されれば、自衛隊は「堂々と」軍事活動ができ戦争もできるようになる(世界に展開する米軍が攻撃されたときは日本の自衛隊も参戦)。戦わされる自衛隊員は若者たちだ。
 原発事故で被曝する(放射線を多少ともかぶる)と老人なんかは大丈夫でも子供や若者はそうはいかない。

2019年07月02日

                            

2019年07月10日

AIならぬ人間による民主主義―心情によるところ(加筆版)

 AI(人工知能)は人知には勝っても人の心(心情)はない。
政治―選挙―どの政党・候補者が最適かの評価・判断はAIの方が正確だから、AIに任せてしまったほうがよい。ならば人間の手による投票など無用、だとすれば民主主義も無用だ、ということになる。そんなことってある?
 どの政党・候補者が一番適任か、という場合、その評価・判断はそれぞれの政党・候補者の理念・政策・階層的立場・実績・人物(能力・人柄・規範意識‐ルールや道徳に忠実か)などに判断基準を置く。有権者・個々人はそれら政党・候補者の政策・人物などを自分でいちいち吟味して的確に評価・判断できるかといえば、多くの人は知識・情報・判断材料など充分持ち合わせず、また持ち合わせてもそれらをAIほどに的確に選り分ける能力は持ち合わせまい。ならば一層のことAI(データから割り出して評価・判定する人工知能)に任せて選んでもらった方がいいようなものだ
 しかし、政党・候補者の政策や力量を判定するに際して、AIは、「最大多数の最大幸福」ということで国に最大限の富や利益をもたらしてくれるか、といったようなことについては計算で的確に割り出すことはできるだろうが、国民の間の格差・貧困、或は自国ファーストによって他国が犠牲を強いられる結果になる、といったことについては計算外だったり度外視されがちとなる。そもそも数理的・論理的に正しい判断でも、人は心情的・道義的に正しくなければ納得しない。それゆえ、格差・貧困・犠牲などあってはならないという道徳的な心情(思いやりの心)を持った人間の手による民主主義でないと、やはりダメということになる。又、人間にはプライドという心情があり、一人ひとり自らがかけがえのない存在として尊重され、平等に決定に関わる手続きを経ない限り、たとえAIがどんなに優れた政治判断能力をもち客観的に正しい決定を導き出したとしても、人間はそれを(独裁政権による決定押し付けと同様に)正統なものと感じることができず、その決定に従う気にはならないだろう。
 いずれにしても、民主主義ということで選挙権年齢に達した全国民に一票づつ投票権を認めて選挙するという方法をとる限り人知によって選ぶしかないわけであるが、個々人にとっては、知性(政治的リテラシー)で判断するだけでなく、各自の心の中にある思い(心情)から、その政党・候補者の良し悪し(適否)を(自分の心情に合致しているかどうかで)評価・判断する部分が大きいだろう。その場合、人間の心情というものはAIなどでは割り出すことはできないわけであり、結局は各人の心情によって(心情に合っているかどうかで)政党・候補者は選ばれることになるんではないか。
 政党・候補者の側も、有権者には政策や公約などその考えを要領よく説明して理解・評価してもらうことよりも、むしろ心情(フィーリング)に訴えて心をつかむほうに力点をおく戦術をとることになる。

 「才智より出でたる行為は軽薄なり。心情より出でたる行為は篤実なり」という言葉(当方が奉職した私学の創設者の言葉)がある。但し、心情にも色々(喜び・悲しみ・怒り・楽しみ・愛憎・好き嫌い・快苦・プライド・不安・恐怖心、好奇心・探究心・協力心・強調心・公徳心・良心・正義感・思いやり・愛郷心・愛国心・友愛・博愛精神・反骨精神・義侠心・欲心・利己心・邪心・野心・野望・慢心・対抗心・敵愾心・功名心・意地・執念・嫉妬心・猜疑心・怨恨・復讐心など等)あり、良き心情(良心)もあれば、悪しき心情もあるわけである。
 「才智より・・・・、心情に出でたる行為は篤実」といっても、「悪しき心情」で憎悪・対抗心・敵愾心などの心情(気持ち)をぶっつけ合うだけでは、勝つか負けるかのケンカになり、国家間・民族間ならば戦争になる。互いの心情(気持ち)や民族感情を理解し合う協調心(歩み寄る心)とともに、互いに正確な知識(事実認識)と論理的合理性の共有に近づく「すりあわせ」によって、妥協点・合意点を見出す対話・交渉・協議が必要なわけであり、その意味では才智・知恵も必要だということ。

 心情で判断するとなると、「好き嫌い」「気に入る、気に食わない」などの感情に支配された判断となり、合理的選択(必要なあらゆる事柄を網羅した知識・データに基づく客観的な評価・判断)とは言えないことになるが、AIならぬ人間による民主主義である限りそうならざるをえないわけである。

 心情(思い)というものは、その人のうまれ育ちや境遇から生じるものと思われる。
安倍首相の祖父・岸信介は太平洋戦争開戦当時の東条内閣の大臣で、敗戦直後戦犯容疑で逮捕され、東条は死刑となったが彼(岸)は釈放され、公職追放解除後政界に復帰して自民党の首相となって、憲法の制定し直し(改憲)と日米安保条約の改定(結び直し)をめざした。安保の方は目的を果たしたものの退陣に追い込まれた。当時、大学1~2年生だった当方は、全国的に盛り上がった安保反対の集会・デモに参加し、「岸内閣打倒」を叫んだりしたものだ。安倍首相はその孫で、当時子供だったが、長ずるに及んで祖父の意思を受け継いで安保推進と改憲に執念を燃やすことになった。それも彼の心情から発しているわけだ。その彼は、当方にとっては心情的に「宿敵」みたいなもの。だから当方がひいきする政党・候補者はアンチ安倍自民党で、その中でも一番鋭く対決している政党・候補者ということになる。

 政党支持率で一番高いのはその自民党で、中でも世代別でいちばん自民党支持率が高いのは若年層(18~39歳)ということだが、いったいどうしてなんだろうか。彼らは、いったいどんな心情(気持ち)で彼らを支持しているんだろう。やはり「よくわからないし、他にいい政党はなさそうだし、自民にしておくか」というわけか。
 テレビやネットのニュースでは、一見いかにも華々しくやってるかのように、またスピーチや答弁も「弁舌さわやか」で「そつなく」やっているかのように表面上見えるので、「いいね!」「いいじゃない」となるわけか。
 しかし、それは当方にとっては、とても納得がいかない。当方が彼らを心情的に嫌いで気に食わない理由は
 ①その政策は、結局は「恵まれている人や財界・大企業本位」で、税金も大企業や富裕層を優遇、庶民には消費税を増税。
 ②権力とカネ(企業団体献金と政党助成金の圧倒的な資金)に物を言わせた広報宣伝力(NHKニュース、民放CMなど利用)。
 ③優勝劣敗(能力の勝る者が勝ち、劣る者が負ける)競争を肯定(負けるのは自己責任で、その結果格差・貧困が生じるのは「しかたのない」こと)。エリート・勝ち組意識(優越感)から上から目線で傲慢・横暴(多数の力に物を言わせて押し通す)。党所属議員や官僚には忖度させる(暗黙のうちに「総理の意向に」沿うように仕向ける。
 ④ごまかす(答弁・説明は言葉巧みにごまかし、都合の悪い文書は隠ぺい・改ざん)。
 ⑤「強き(アメリカ)を助け、弱き(韓国・北朝鮮)をくじく」外交。
 このような自民党に対して、その対極にあって、昔から権力とそれに逆らえずに同調するマジョリティー(多数者)の側からは「嫌われ者」とされてきた政党のほうに、むしろ共感を覚える、それが当方の心情なんだな。なにしろ、戦前から恵まれない庶民を味方し、国民の自由・人権平等と主権在民・反戦平和を主張し、迫害・弾圧を受けながらも踏ん張り通した「不屈の精神」。それもさることながら、企業・団体献金はもとより、税金による政党助成金も受け取らない等、その愚直さがいい。

 どなたかの言葉で「選挙とは、端的にいえば『ひいきのチーム』や『ひいきの候補者』に一票を投じる行為」で、「観戦するだけでなく参戦」することだ、と朝日新聞の『天声人語』に書いてあった。投票に行かずに棄権すれば現政権を(そのままでよいと)容認したことになるわけだし、そんなことにならないように、「参戦」しなくちゃ。

 株の取引きや投資などに必要なのは知的合理的判断力で、それらはAIに任せて済ませることができるが、政治家・政党を選ぶ投票となると、それには心情的・道徳的判断力も必要なので「心」というものを持った人間の判断でやるしかないわけである。

 『アベ政治を許さない!』『なんとかさんなね!』
 これらの言葉も心情から発したものと思われるが、さて、選挙では、どの政党・候補者に投票するか、その判断も、このような心情に決定づけられる部分が大きいだろう。
 当方が心情的に共感する政党・候補者は、といえば・・・・要するに「弱きを助け、強きをくじく」そんな政党かな。

2019年07月16日

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(徳光アナウンサーの芳賀応援メッセージ)「芳賀ちゃんとは40年来の友人でございます」「彼を国政に、皆さんに送ってもらいたい」「芳賀道也という人物は、参議院議員に誠にもってふさわしい人物だと思っております」と。
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2019年07月19日

AIならぬ人間による民主主義―心情によるところ(その2)

 9条には、大戦の悲惨・辛酸を実体験した国民の思い(心情)が込められている。その思いは、戦中世代はもとより、戦後生まれでも、まだその惨状の跡が残り、窮状が続いている間に生まれた世代ならあるだろう。
 彼ら高齢者(65歳以上)に対して、未成年者は勿論のこと現役世代には(米軍が日本から出撃した朝鮮戦争後に生まれてそれまであった戦争時代の生活体験がない安倍首相や同じく米軍が沖縄基地から出撃したベトナム戦争後に生まれてそれまであった戦争時代の生活体験のない小泉進次郎議員らも含めて)、このような反戦・厭戦の心情など全く持ち合わせない人が多くなってきている(中には北方領土問題で「戦争しないとどうしようもなくないですか」などと言った丸山議員のような好戦的と思われる人さえも)。そういう人たちは、とかく「平和」とか「安全保障」というと、「他国の攻撃から国を守る安全保障」ということで、軍事的安全保障の観点から考え、「抑止力」というと、軍事的抑止力、要するに軍事力(戦力)は必要であり、それをいかに完備するか、という次元で考えがちなのでは。いわゆる「軍事的抑止力による平和」だ(安倍首相をはじめ9条改憲派の政治家が「平和安全保障」と称して考え、やっていることは、専ら自衛隊と日米同盟を維持強化して、それをどう効果的に活用するかということだけである。安保法制の改定、そして改憲もその観点から9条に自衛隊を明記する改憲を策しているのである。)
 そのような彼らは、現行憲法制定当時の国民にあった心情は、もはや何ら持ち合わせないAIと同じような無感覚な人間に化してしまっている、とも思える。AI(人工知能)には、戦争―「人殺し」というものに対する不安・恐怖・悲惨・残虐・非道などといった思い(心情)はない。AIが備え持っているのは、(平和・安全といえば自国の平和、自分の身の安全を守ることで、国を守るのは軍事的抑止力、身を護るのは「正当防衛」用の銃器であり)その軍事組織(軍隊・「自衛隊」)・兵器・武器を他国・他者が持つそれらに対して同等(均衡)か、それを上回る性能・数量をどれだけ備えればよいかを機械的に計算して割り出す計算能力だけ。軍事組織・兵器・武器は、そもそも人を殺傷するために用いられる非人道的手段であるのに、そのようなものを作り、備え、用いてはならないという道徳的観念も心情もAIにはないわけである。
 では若者は、そのようなAIと同じで、道徳観念も心情も全く持ち合わせないかといえば、学校やテレビで伝え聞き、映像を見るなりして少しは持ち合わせている者もいるのかもしれないが、あまり多くはいないだろう。ただAIなどとは異なり、若者は理想を追い求める(理想主義的)心情を持ち、「みんな仲良く、争いも戦争もない世の中」を追い求め、非戦・平和な世界と国・社会を追い求める心情が若者には多かれ少なかれ潜んでいるものと思われる。そこにこそ、AIや中高年者にはない若者たちへの希望・期待があるのでは。
 しかし、若者の心情には、他方では「戦争しないとどうしよもなくないですか」といった発言に共鳴する好戦的な心情をもつ向きもあるのかもしれない。
 また、安倍首相が言うように、9条に自衛隊を明記して自衛隊違憲論が説かれる余地をなくすことによって、自衛隊員の誇りを傷つけないようにできる、ということに共感する向きも多いのかも。
 当の自衛隊の若者たちはどのような心情を持っているのだろうか。国を守るための戦いに命をかけることに誇りを持ちたいと思っているのだろうか。かつての帝国軍人(愛国心に燃え、お国の為に命を惜しまずに戦った兵士)のようでありたいと。「他国の攻撃から自国を守る」と称して他国を(中国でもロシアでも北朝鮮でも)敵に回し、アメリカは日本を守ってくれる同盟国だからと、(全世界に展開する米軍が戦争状態に入ったとき)その米軍を守るため戦って「血を流す」ことも厭わないという、そんなにまで戦意(闘争心)があるというのだろうか。
 しかし、総理大臣(自衛隊の最高司令官)の命令となれば、何が何でも(その命令が正しかろうと正しくなかろうと黙って従い)戦って命を捨てる。忠義の戦士のように思われるが、それでは、それこそ「情けない」単なる兵器ロボットと同然ということになり、そんなことなら知能が人間に優るAIロボットの方が軍事的合理性からいってよっぽどましだということになるのでは。かくて自衛隊の戦闘員がAIロボット(無人兵器)に取って代わられる。いずれにしても自衛隊員のプライドなどどうでもよいことになるのでは?
 そうなると、軍事力の優劣を決定づけるものは兵士(自衛隊員)の愛国心による戦意の優劣ではなく、AIロボット兵器の優劣に懸ってくるいうことになる。
 そのような軍事的抑止力による平和は、自国の軍事力が他国に対して圧倒的に優勢か或いは均衡する軍事力による一時的な平和(戦争抑止状態)に過ぎず、それでは真の平和・恒久平和を実現することはできない。したがって自衛隊を憲法(9条)に書き加えたところで、そのような軍事的抑止力よっては現行憲法がめざす恒久平和はいつまでたっても達成することはできないということだろう。
 要するに平和はAIによって達成することはできず、「人間による民主主義」によってでなければ恒久平和は達成できないということ。そうなると「人間による民主主義」を決定づけるのは、AIの方が人間の知能より優る才知などよりも人間にしかない「良き心情」(良心)なのだ、ということではないだろうか。

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