米沢 長南の声なき声


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AIならぬ人間による民主主義―心情によるところ(その2)
2019年07月19日

 9条には、大戦の悲惨・辛酸を実体験した国民の思い(心情)が込められている。その思いは、戦中世代はもとより、戦後生まれでも、まだその惨状の跡が残り、窮状が続いている間に生まれた世代ならあるだろう。
 彼ら高齢者(65歳以上)に対して、未成年者は勿論のこと現役世代には(米軍が日本から出撃した朝鮮戦争後に生まれてそれまであった戦争時代の生活体験がない安倍首相や同じく米軍が沖縄基地から出撃したベトナム戦争後に生まれてそれまであった戦争時代の生活体験のない小泉進次郎議員らも含めて)、このような反戦・厭戦の心情など全く持ち合わせない人が多くなってきている(中には北方領土問題で「戦争しないとどうしようもなくないですか」などと言った丸山議員のような好戦的と思われる人さえも)。そういう人たちは、とかく「平和」とか「安全保障」というと、「他国の攻撃から国を守る安全保障」ということで、軍事的安全保障の観点から考え、「抑止力」というと、軍事的抑止力、要するに軍事力(戦力)は必要であり、それをいかに完備するか、という次元で考えがちなのでは。いわゆる「軍事的抑止力による平和」だ(安倍首相をはじめ9条改憲派の政治家が「平和安全保障」と称して考え、やっていることは、専ら自衛隊と日米同盟を維持強化して、それをどう効果的に活用するかということだけである。安保法制の改定、そして改憲もその観点から9条に自衛隊を明記する改憲を策しているのである。)
 そのような彼らは、現行憲法制定当時の国民にあった心情は、もはや何ら持ち合わせないAIと同じような無感覚な人間に化してしまっている、とも思える。AI(人工知能)には、戦争―「人殺し」というものに対する不安・恐怖・悲惨・残虐・非道などといった思い(心情)はない。AIが備え持っているのは、(平和・安全といえば自国の平和、自分の身の安全を守ることで、国を守るのは軍事的抑止力、身を護るのは「正当防衛」用の銃器であり)その軍事組織(軍隊・「自衛隊」)・兵器・武器を他国・他者が持つそれらに対して同等(均衡)か、それを上回る性能・数量をどれだけ備えればよいかを機械的に計算して割り出す計算能力だけ。軍事組織・兵器・武器は、そもそも人を殺傷するために用いられる非人道的手段であるのに、そのようなものを作り、備え、用いてはならないという道徳的観念も心情もAIにはないわけである。
 では若者は、そのようなAIと同じで、道徳観念も心情も全く持ち合わせないかといえば、学校やテレビで伝え聞き、映像を見るなりして少しは持ち合わせている者もいるのかもしれないが、あまり多くはいないだろう。ただAIなどとは異なり、若者は理想を追い求める(理想主義的)心情を持ち、「みんな仲良く、争いも戦争もない世の中」を追い求め、非戦・平和な世界と国・社会を追い求める心情が若者には多かれ少なかれ潜んでいるものと思われる。そこにこそ、AIや中高年者にはない若者たちへの希望・期待があるのでは。
 しかし、若者の心情には、他方では「戦争しないとどうしよもなくないですか」といった発言に共鳴する好戦的な心情をもつ向きもあるのかもしれない。
 また、安倍首相が言うように、9条に自衛隊を明記して自衛隊違憲論が説かれる余地をなくすことによって、自衛隊員の誇りを傷つけないようにできる、ということに共感する向きも多いのかも。
 当の自衛隊の若者たちはどのような心情を持っているのだろうか。国を守るための戦いに命をかけることに誇りを持ちたいと思っているのだろうか。かつての帝国軍人(愛国心に燃え、お国の為に命を惜しまずに戦った兵士)のようでありたいと。「他国の攻撃から自国を守る」と称して他国を(中国でもロシアでも北朝鮮でも)敵に回し、アメリカは日本を守ってくれる同盟国だからと、(全世界に展開する米軍が戦争状態に入ったとき)その米軍を守るため戦って「血を流す」ことも厭わないという、そんなにまで戦意(闘争心)があるというのだろうか。
 しかし、総理大臣(自衛隊の最高司令官)の命令となれば、何が何でも(その命令が正しかろうと正しくなかろうと黙って従い)戦って命を捨てる。忠義の戦士のように思われるが、それでは、それこそ「情けない」単なる兵器ロボットと同然ということになり、そんなことなら知能が人間に優るAIロボットの方が軍事的合理性からいってよっぽどましだということになるのでは。かくて自衛隊の戦闘員がAIロボット(無人兵器)に取って代わられる。いずれにしても自衛隊員のプライドなどどうでもよいことになるのでは?
 そうなると、軍事力の優劣を決定づけるものは兵士(自衛隊員)の愛国心による戦意の優劣ではなく、AIロボット兵器の優劣に懸ってくるいうことになる。
 そのような軍事的抑止力による平和は、自国の軍事力が他国に対して圧倒的に優勢か或いは均衡する軍事力による一時的な平和(戦争抑止状態)に過ぎず、それでは真の平和・恒久平和を実現することはできない。したがって自衛隊を憲法(9条)に書き加えたところで、そのような軍事的抑止力よっては現行憲法がめざす恒久平和はいつまでたっても達成することはできないということだろう。
 要するに平和はAIによって達成することはできず、「人間による民主主義」によってでなければ恒久平和は達成できないということ。そうなると「人間による民主主義」を決定づけるのは、AIの方が人間の知能より優る才知などよりも人間にしかない「良き心情」(良心)なのだ、ということではないだろうか。


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